雪の下の炎→大海原研究室
朝5時に起きて仕事をし、朝食を食べて夫を送り出したあと、ふと気付いた。先延ばしにしていた映画『雪の下の炎』は、今日を逃したら見にいけないのだ。UPLINKでは26日までしか上映が決まっていない。さっそく出かけた。
33年の長きにわたって投獄され拷問に苦しんだチベット僧パルデン・ギャツォを描いたドキュメンタリーだ。彼の著書『雪の下の炎』は読了しているので、ストーリーは理解していた。
あらためて、パルデン・ギャツォが穏やかにしかし瞳の奥底に確固たる信念の炎を燃やしながら語る姿を見て、人間の魂の尊さを感じた。弾圧し続けている中国当局だって、じかにパルデンに拷問を加えた警察だって、本当は心の片隅のどこかで炎の魂、尊厳を感じているはずなのではないかと思う。けれど、それをどこかに追いやり、彼らのような信仰心をふてぶてしく思い、苦しみを与え続けているのではないか。
現在、チベットはサカダワの期間であり、この間の行いは善きものも悪しきものも、倍増されるといわれている。この間、法要も多い。中国当局は早速、ラサではサカダワ期間中はゴンパに行くなと規制したそうだ。まったくつまらん規制だ。人の信じる心までは誰も規制なんてでいないことを、本当はわかっていて、だから思いどおりにならず駄々をこねて、さらに規制を強めているんじゃないか。
ところで、『雪の下の炎』の原題は『Fire under the Snow』である。Fireには一切の冠詞がつかず、Snowにはtheがついている。私は英語が苦手で正確なことはわからないけれど、これにはある意図を感じた。
続けて『風の馬』も見た。正直最初は期待していなかったのだけれど、これを見て背筋がぞっとした。
ペマのような拷問を受けた僧は大勢いるだろうし、ドルジェのようなやりきれない気持ちを持っているチベット人もいるだろう。そしてドルガのようなふるまいをしているチベット人もいる。さらには、中国人とチベット人の恋人同士が、彼らのようにうまくいかなくなるケースもある。隣の人がスパイであることも日常茶飯事だし、エミーのような旅行者もいるだろう。ラサから逃げるあたりはできすぎのストーリーかもしれないけれど、会話のところどころに、恐ろしいほどのリアルさを感じた。
チベットのゴンパで祈る人たちを見ると涙が止まらなくなることがある。いったい何が彼らを強くし、尊い気持ちを持ち続けさせているのか、その根幹をなすものについて(つまり、仏教なのかもしれないし、信じる心なのかもしれないし、人間そのものなのかもしれない)、もっと知りたくなる。
人間は尊いのだ。
夕方、海の見える学長室へ。山に登るお医者さんM先生を訪ねた。
今週アタマにあがったゲラのなかで、医療に関するページを読んでいただき、指導を受けた。およそ3時間。私は、何度高山病について書いても、脱水症について書いても、こうも未熟な点が出てくるのだろう。原稿を厳密に突き詰めていくと穴だらけだ。一般の人が読むのだから、わかりやすくするのは当然なので、厳密に突き詰めたあとに「こなす」作業が必要なのだけれど。
いつも思うことだが、M先生のように本業をもちながら、私の仕事に協力してくれる人は本当に多い。医師だけでなく、ほかの分野の専門家も。彼らは、自分の専門領域について一般の人に役に立つのであれば、おしみなく協力しようと考えてくださっているのか。本当にありがたいし、こちらも責任を感じる。
今日はクルマでも自転車でもなかったので、駅前でいっぱい。仕事が終われば、仕事の話も終わり、もっぱら山の話ばかり。GWにM先生は私の大好きな北海道の山のピークと北壁を独り占めしたそうだ。それはとても幸せだったのではないかと思う。
またさらに、某国の独立峰を滑りたいという話にもなった。最近、千島列島の火山が噴火したことでフライトキャンセルが出ていたけれど、それよりももっと北の火の山。
世界には、おもしろいところがたくさんある。
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