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2009年6月

2009年6月30日 (火)

またもやスント信仰にはまる

半分仕事、半分オフの日。

オフ時間では、台所まわりの掃除をしまくって、それから映画へ。

ウッディ・アレンの映画は大学時代にたくさん見たので、久しぶりに見てみようと思ったのだ。そのうえ、最近好きな女優のペネロペ・クルスが出るから。

『それでも恋するバルセロナ』。やっぱりペネロペ・クルスは美しくてうまかった。ほかの出演者たちをくいまくっている。そして、ちょっと古めかしいウッディ・アレンタッチの映画だった。私は映画に多くのものを求めすぎると、夫から言われることがあるけれど、映画というのは本来、こんなものなのかもしれない、と思わせるような作品だった。

ウッディ・アレンらしく、あっというまにスクリーンのなかに引き寄せられるけれど、最後にちゃんと、スクリーンの外に放り出されちゃうのだ。

 ずっと迷っていた高度計付き腕時計。先代に引き続き、スントにした。先代のヴェクターは約7年使ったことになる。

 先日の那須岳の大雨で中が曇ってしまったり、接触が悪くなったり調子が悪いことが続いていた。完全防水ではないのでサーフィンでは使っていないのに(カズはサーフィンでも使っているけれど平気らしい)、あの大雨にやられた。

 ある国産時計メーカーの企画者は、自分で電池を取り換えられる(素人が中身を開けられる)時計というのは、そもそも信じられんというようなことを言っていた。それほど時計というのは精密機器だということだ。という点をかんがみると、スントの立場はないのだけれど、何しろ操作しやすい。

 カシオ・プロトレックのマナスルはとてもとても捨てがたかった。先日インタビューしたこともあり、その魅力にはかなりやられていたのだけれど、予算が合わず。

 スントの旧品番のカラーはモンベルでセールをやっていたのだ。先代の濃緑も気に入っていたけれど、今回はヴェクター・ブラックという色。

 7年で使い物にならなくなったというのはどういうことか、という疑問もあったけれど、スント信仰には勝てず、またもやスントにした。そのかわり、コアシリーズは安定性に疑問を感じたので、ヴェクターに落ちつけておいた。

 先代は、クライミングで結構酷使し、岩に打ち付けたりボロボロだったから、消耗してしまったのだろうか。水漏れの形跡は、電池交換の蓋にはなかった。

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2009年6月29日 (月)

早起きは三文の得

 滑り出し快調。

 MJリンクについて、出勤前のたまりんとスタバミーティング。朝から1時間半、しゃべりっぱなしだったけれど、メールだけではわかりにくいことが、一挙にすっきりした気分。

 その後、自宅に戻って仕事。

 深夜まで机に向かっていたら、足がむくんでしまった。

 下記に写っているのは、いつもわがページに良質の写真を寄せてくれるアライ。逆写された@谷川岳。

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2009年6月28日 (日)

Hello Kristian!

ノルウェーから1ヶ月半ほどの出張で筑波にやってきたクリスチャンは、日本に着くなり、「ハイキングシューズを持ってきたから、どこかに出かけよう」とメールしてきた。

 かくして、体の大きなクリスチャンはそれに見合った、大きなアゾロのハイキングシューズを持ってきた(写真)。

 先週は高尾山をひとりで歩いたというので、今週は谷川岳になった。ほか、高尾山の違うコースや奥多摩のハイキング+酒蔵巡りも提案したのだけれど。

 上野駅で待ち合わせて新幹線でゴー。上毛高原駅に迎えに来てくれたのはアライだ。アライと3人でロープウェイに乗る。下降ルートは巌剛新道か西黒尾根という選択肢もあると、新幹線のなかで話し、頂上で決めることにしておいたのだけれど、チケットを買う段階になって、(往復の割引があるため)「下降もロープウェイを使わないと、温泉に間に合わないかもしれない」とクリスチャン。

 瑞々しい緑とさわやかな風が吹く笹の原っぱを登りって頂上へ。

 アミノ酸のジェルタイプサプリメントしか持っていないクリスチャンに玄米ごはんのおにぎりを差し出すと、喜んで食べていた。彼は大の日本びいきなのだ。煮卵(チャイニーズテイスト)も食べたし、ハードルが高いだろうフキ味噌も「美味しい」と言った。前回東京に来た時に、コシアブラやタラノメのてんぷらは経験済みなのだけれど。

 下山後、八木原さんが作った資料館に寄った。長谷川恒男さんのアイガーやグランドジョラスの写真を見て喜んでいた。クリスチャンは登山オタクなのだ。

温泉も、アライとふたりで男風呂に行き、楽しんだようだ。

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2009年6月27日 (土)

Bye bye Zevi.......

 あと4日でカナダに帰国するザービーが我が家にやってきてくれた。

 2年前の夏、シーニン(中国青海省)で初めて会った。私が取材と偵察などを目的に同行したラフトツアーの顧客だったのだ。彼女は両親と一緒に参加していた。この3週間のツアーは、終わりのころになるといろんなことが勃発するのが常だった。その2年前に私が同行したときと同様、この年も、顧客からはいろんな文句が出始めるのだ。けれど、ハリス一家とごく一部の顧客だけが違った。

 ザービーは温かい両親に育てられた、とてもまっすぐなで心根の優しい、20代半ばの女性だ。

 ほんの数週間前、彼女は突如、帰国を決意し、実家のあるトロントでの仕事を見つけた。今の仕事の更新にあたっていろいろ考えることがあった。東京で働いたのは2年間。あっという間だった。本当はもっといろんなところへ一緒に行きたかった。

 今日のテーマは「ジャパニーズ・サマー・ランチ」。かぼちゃの煮物と枝豆はザービーの好物。そうめんも好きだけれど、稲庭うどんは初めてだったようだ。

 おなかいっぱい食べてくれて、食後のスイカまでたどり着かなかった。

 スイカは思い出の果物なのだ。確かユーシュ(青海省の小さな町)でのことだったと思う。脂っこい中国料理の口直しにとザービーのお母さん、ビビアンが、大きなスイカを買ったのだ。「スミコも一緒に食べよう」と誘ってくれた。そのとき、ある3人の顧客が高山病に苦しんで食事を摂れないことが気になっていた私は、彼女に彼らの話をした。するとビビアンはすぐに「持っていってあげなさい」と言ったのだ。

 仕事で成田に見送りにいけないことを言うと、「心配しないで。別れがたくなるから来なくていいのよ」と。私も泣いちゃいそうだから止めておこう。

東京の生活で一番大変だったことはなに?と聞くと、「ドライクリーニングの店」と。カタイ職業の彼女は、ドライクリーニング屋を日常的に利用していたが、いろいろな店を当たっても英語ができる店員には巡り合えず、苦労したそうだ。意外な答えだった。いちばん多く作った日本料理はお好み焼き。「だって、簡単でおいしいんだもん」。

 次に会うのは、トロントか彼女らのセカンドハウスのあるコロラドか。それとも日本に戻って来てくれるかな。

 白いラフトにハリス一家が乗っている。私は彼らをサポートするギアボートで移動中、写真を撮った。揚子江源流にて

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2009年6月26日 (金)

思い出ぽろぽろ

 朝早くに家を出て、大宮駅から徒歩30分のところにあるいずみ高校へ。

 埼玉県内の高校山岳部の生徒さん達が、夏山シーズンを前に机上講習会をやるというのだ。およそ私の話が“講習”になるとは思えなかったけれど、高校生など若い人たちと接することのできる貴重な機会、少しでもお役に立てるのならばと、お引き受けした。5年ぐらい前には栃木県内の高校山岳部の生徒さんたちの前で話をしたことがあった。

 テーマは「山の楽しみ」。この7年ぐらいの間のいろんな説目となった登山や山の旅についてスライド写真を見てもらいながら、話をした。

 スタートの写真を何にしようか昨晩考えたのだけれど、やっぱりいつも部屋に飾ってあるゆっこちと小川山で撮ったものにした。彼女は私に女性と登る楽しさを教えてくれた、10歳年下の友人だ。振り返ると、あの頃がひとつの説目になって、私はほかにも一緒に山に登る女性たちと知り合うようになった。

 会場は、ほとんどが男子学生だったけれど、女子学生がほんの数人だけいた。話をする機会はなかったけれど、そこの席だけ雰囲気が華やいでいた。箸が転がってもおかしい年ごろらしく、ケラケラと笑っているのが印象的だった。私はあんなかわいい女性高生じゃなかったな。

 男子学生のなかにも数人は親しげに話しかけてくれた。

 感想文がどれぐらい集まったか、今の時点ではわからないのだけれど、私が帰るときに集まった分だけいただいてきた。ありがたい。

 私の話のなかにバター茶(チベット人が飲むバターと塩がたっぷり入った紅茶)が出てきたため、素直にも感想文に「今度、山で作ってみます」と書いてくれた学生がいたけれど……お願いだから、家で試してみてからにして。あの味は強烈だし、あれは標高の高い乾いた地でこそ美味しく感じるのであって、湿度の高い日本ではどうかと……私は思うのだ。

 スピーチの最後に話したけれど、高校や大学での山登りはほんの入り口にしか過ぎないから、もっともっと長く続けてほしい。けれどほんの入り口ではあるけれど、いま振り返ると何もかも、あの時にスタートがあったのだと思う。

 初めて雪洞に入ったのも、高校生の時だし(隣の部が堀った雪洞だけれど)、初めて岩登りもどきの遊びをしたのもの高校生の時だし(千葉公園の橋脚跡や千葉城の壁だけれど、千葉市内の高校山岳部の多くの人が同じだろう)、初めて雪山登山をしたのもの高校生だった。

 初めての北アルプスも初めての縦走もなにもかも。

 今日の学生たちを見て、自分の高校時代を思い出した。

 家に帰ると、クリから早速アルバムが届いていた。大学山岳部で1年下の期にいた仲間だ。

 手紙に「懐かしい写真でした。久しぶりに見たけれど」とあった。

 ホント懐かしかったけれど、私と一緒に写っているのが一番多いじゃん。ある時、クリの娘が「カシワさんはとーちゃんの一番仲のいい友達なの?」と聞いてきたので、「ヤメテくれ」と答えそうになったけれど(教育上それはひかえておいた)、考えてみると、大学4年間で一番多く一緒に山を登ったのはクリなのかもしれない。

 写真は今日話をした旅のひとつ、ソップ谷(四川省)のゴンパにて。この写真はお見せしなかったけれど( Photo by Honghong )。

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2009年6月24日 (水)

大好きな山

 終日、自宅で原稿書きと雑仕事。

 午後、ある編集者から電話があり、「柏さん、○○岳、好きですか?」と原稿の依頼。「もちろん、大好きですよ。というか、山に登る人、みんな好きでしょう」と即答。私には、あの山が好きでない人がいないわけがない、としか思えない。

 「好きな山は?」と聞かれたら、すぐに心に浮かぶ山々がある。私の場合、大好きな山がふたつあり、大切な山がひとつある(←気が多い)。もちろん、今回の原稿依頼の山は大好きな山。

 朝一番で、お鉢の高低差を含めた距離の計算方法について連絡してきた、山岳部の後輩のクリに電話。彼は測量士なのだ。電話口が騒がしかったので、「夕食の時間?」と聞くと、「今日は飲み会だから駅に向かって歩いているところ」と。

クリとも大好きなこの山には何度か一緒に登り、そのどれもが忘れられないものになっている。というよりも、いつもは思いださないのだけれど、今日のように何かきっかけがあると、その時の登山の内容だけでなくて、山に吹いていた風や、ラジオから流れていた音楽(竹内まりやのSeptember)まで、すぐに思い出す。原稿依頼の件を伝え、「当時の写真、とってある?」と聞くと、「ああ、アルバムがあるから見繕って送るよ」だとさ。

 あれこれ考えたけれど、大好きであれば大好きな相手ほど、何を書けばよいかわからなくなる。この原稿に何を書くかはまだ決めていないけれど、一緒に登った仲間たちは、何を書かれても文句を言わないように(←業務連絡)。

 先日いただいた『Japanese Alpine News』のページをぱらぱらとめくって、いくつか読んでみる。主に日本人の登山・探検・踏査について、英語で発信している冊子だ。今回で10号にもなるのだと、感慨深く、先日、中村保さんにお礼のメールを書いた。彼が編集や発行業務のすべてを担っているのだ。

 英語で発信するということで、日本人の登山や日本人クライマーについて世界に知ってもらう好機となるのだろうと思っていたけれど、実は、私たち日本人にこそ大きな影響を与えたのではないかと、今になって思う。

 次号から編集長が交代することを、今日届いた『山』(日本山岳会の月刊ニュース)で知った。

 下記はモンベルクラブの会員向けに発行される冊子『OUTWARD』最新号。拙著『海・山・キャンプ場で アウトドア救急ハンドブック』 (るるぶDo!ハンディ) を、読者プレゼントで紹介いただいた。JTBパブリッシングで同時発売になった『いざという時に使える!野外生活の基礎知識 』(浜島一郎著・るるぶDo!ハンディ) と2冊セットというお得なプレゼントなので、ふるってご応募ください。

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2009年6月23日 (火)

ネコ専用裏道

 早朝から自宅仕事。午前中のうちにジョギングを済ませて、午後からN出版へ。

 渋谷の町はまったく私とは異文化。驚くことばかりのストリートを通り抜けて、出版社にたどり着く。

 昨日ゲラが出稿されていて、それに各方面(講師、監修者、校正者、番組担当者、編集者、著者)からのアカを反映させたところ。

 私は、今日はそれぞれのアカを読み込んで、調整などの仕事。

 富士山のお鉢めぐりについてその距離を示そうと思ったけれど、各資料、距離はマチマチ。Webを見たら最後、1キロメートルから3キロメートルまで数字があった。

 途中、近所の書店へ行き、富士登山関連のムック本4冊を立ち読みしたけれど、距離が書かれていたのは1冊だけ。

 紐を使って、とりあえず平面的距離を地図から割り出した。これにアップダウンが加わる。

 GPSもって頂上に行かなきゃ、正確な距離はわかりそうにない。

 帰り、編集者のひとりである女性と一緒に駅へ。裏玄関から出ると、裏道を通ってセンター街へ行けることがわかった。猫の通り道のようなところも通過。こっちの方がずっとよい。

 帰宅後、また夜中まで机仕事。疲れてきた……。

 一昨日届いた『macpac book』。macpacの読み物的雰囲気のあるカタログ。いろんな人の文章があったけれど、断然光っているのが佐藤祐介さんがカランカ北壁のことを書いたもの。あらためて、興味深くこの登攀について読んだ。

 商品紹介ではなく、ブランドの雰囲気やセンスを伝えるような読み物的カタログが流行っているようだ。ほかのメーカーでもちらほら見受ける。

 ここ数年ずっと、35-40リットルのザックについて悩まされているので、macpacにいいものがないか探してみようと思った(……読み物だけでなく、そう思わせるようなカタログでもあった)

*写真は、macpacの公式サイトから。

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2009年6月22日 (月)

剱岳 点の記

 昨晩2時までかかってゲラを読み込んだけれど、終わらず。問題ページだけを残して、夜中に宅急便に乗せた。

 今朝は寝坊。6時からゲラ読み再開。ゲラにアカ(訂正)を入れる際に注意しなければならないのは、いろんな人がいろんなアカを入れるので、文章がガタガタになっていること。「てにをは」までくるってくる場合がある。アカを入れたあとは、ちゃんと読みなおす。これ、常識だけれどつい怠ってしまいがち。私がとてもお世話になっているある編集者は、いつ読みなおしている。必ず行うその姿が印象的。

 昼から登山家さんのオフィスへ行き、1時間半ほどミーティング。

 夕方、『剱岳 点の記』を見に行った。これについては山岳雑誌各誌が大々的に記事を作っていたけれど、(申し訳ないことに)その記事を1ページも読んでいない私は、実は配役も知らなかった。だから、冒頭シーンで、「え? まさか、小島烏水って仲村トオルなの?」と軽く絶句。

 映画としての出来栄えは私にはわからなかった。脚本の弱さなどが目立ったように思う。

 けれど、映像は素晴らしかった。常々思っていることだけれど、剱岳は間違いなく「日本で一番でっかい山」だ。

 登山をする者であれば、剱岳に何度も通った人も多いと思う。数えきれないほど通った人も多いはず。そういった私たちにとっては、どのカメラアングルも、とても親しみのある近しい風景であり、改めて剱岳の魅力を感じる。

 朝日や夕日のシーン、雲海、裏剱、長次郎谷などの雪渓、岩稜、遥かなる山なみ、険しい渓谷、緑濃い樹林帯、どのシーンも美しく、日本の山岳地帯の魅力を映し出していて、この映画を見れば山に憧れる人も増えるかもしれない。

 改めて思ったのは、新田次郎というのは、やはり偉大な小説家であったということ。

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2009年6月21日 (日)

「背広、衛門掛け、ちり紙、乳母車」

 昼、日比谷公園の中にある松本楼へ行った。登山家のHさんと約束のランチ。「雨が降ったら別の場所にしようか」と提案を受けていたのに、友人のがっちゃんの仕事が見たくて、雨でも松本楼。ホント土砂降りで日比谷公園の道は川のように水が流れているなか、到着。

 歴史あるこのレストランを冬に改築工事をしたのは、がっちゃんの会社だった。

 今日はインタビューでも仕事でもなく、近況報告。記事を書く予定がなければ、「必ず聞かなければいけないこと」もないし、「制限時間」もない。そのため、しゃべる、しゃべる、しゃべる。

 今日の早口言葉は、「背広、衛門掛け、ちり紙、乳母車」となった(なんのこっちゃ)。

 Hさんと会って、ケーキを食べないわけがないので、食事のあとはカフェに移動して、チョコのお菓子を食べた。

 仕事を通じていろんな人に会え、いろんな話を聞かせてもらえるのはとてもありがたいこと。学ぶことはたくさん。

 ネパールやヒマラヤ登山、カトマンズの最新ニュースを教えてもらった。もちろん彼自身の話も。そして何よりも感服するのは、いつもバランスよく社会的に成熟した姿勢でいること。いったいこういったスタンスはどこで磨かれるのか。彼もまた、山やいろんな人との出会いを通じて身につけたものなのかもしれない。

 ところで産経新聞などでも報道されていたが、昨日から来年の5月31日まで、南アルプス芦安山岳館で加藤嘉信さんの企画展をやっている。タイトルは「ヒマラヤ8000m峰 天空の頂をめざして」 。このチラシの裏に本人の懐かしい顔があり、いまも生きていてすぐそこにいるような気がしてしまった。

 南アルプス芦安山岳館はちょっと遠いけれど、広河原や夜叉神峠に行くことがあれば帰りに寄れそうだ。

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2009年6月20日 (土)

『MOUNTAIN GEAR GUIDE』にカメット南東壁の記事

ちょっと前の発売になるが、『MOUNTAIN GEAR GUIDE'09-'10 (別冊山と溪谷)』 に記事を書いた。2008年の日本の登山(クライミング)界の10のトピックスのうちのひとつとして、「平出・谷口ペア カメット南東壁初登」について。

彼らのこのクライミングの価値やふたりの強みについては、(私が感じたことを)文中に記した。

 別のページで大先輩のジャーナリストさんがカメット南東壁について「目立つ場所にありながら、これまで一度も本格的攻撃を受けたことがなかった」と書いている。一方私は、カメット南東壁が隔絶された地にあることと天候が安定しないがゆえ、これまで登山者を遠ざけてきたと書いた。

 ちょいと反するような内容……? 私自身実はこの地に行ったことはなく(けれど、カメットのノーマルルートを登りたいと考えたことはあった)、地図を眺めて、経験者の話を聞いて書いたのだけれど、改めて考えると、私の表現も必ずしも正確ではなかったかも、と思った。

 確かに比較的隔絶された土地だと思うが(インナーラインの存在がそうさせている)、カメット南東壁の写真は実は多く出回っているのだ。それは、インド軍が多く登っているからだろうか? 本当の理由はわからない。だから、たとえインナーラインの向こうにある山であっても、この壁を写真で見たことのある人は多いだろう。

 そういう意味で「目立つ」壁だったと、今になって気付かされた。

 他の方の文章を読むのは勉強になる。ほかにも、登山の出来事を大きな歴史(社会の歴史であったり、登山の歴史であったり)のうねりの中でとらえて書く表現などは、なかなか私のキャリアではできないことだ。

 この元気なふたりから、何度か便りが届いた。昨日先輩を経由してもらったフンザからの便りでもとても元気そうで、様子が目に浮かぶようだ。スカルドとアスコーレ間の道は落石や崩壊が多く、ニュースによるとガリンダもとんでもない目にあったようなので、みんな無事でよかった。そしてその先にクライミングも、もちろん。

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2009年6月19日 (金)

田部井さんお祝いの会

 夜、銀座のビアホールへ。

 この春、田部井淳子さんがNHKの放送文化賞を受賞したお祝いのパーティーだ。今年の受賞者の顔ぶれだけを見てもわかるように、田部井さんがこの賞を受賞したというのは、日本のなかで登山が文化として認められたというひとつの現れのように思う。なかなか市民権を得られないので、嬉しいことだ。

 会場には170人が集まり、ものすごい熱気だった。田部井さんが芭蕉布などを歌ったり、お仲間も檀上で歌いだしたり、最後はみんなで円になって四季の歌などを歌ったり。登山とは直接関係のない業界で働いている編集者さんに「山の集まりはいつも歌うんですか?」と尋ねられ、困った。

 田部井さんの功績はあまたあるけれど、長年にわたって登山と社会を結びつけようと努力していらっしゃる点は、本当に頭が下がり、私たちほかの人では到底及ばない域であり、敬服する。これこそが、彼女が登山家である証拠なのではないかと思う。つまり、「エベレストはほんの始まりだった」のだ。

 いただいてきたお花。田部井さんの今日のドレスもこんな鮮やかなオレンジ色だった。

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2009年6月18日 (木)

雪の下の炎→大海原研究室

 朝5時に起きて仕事をし、朝食を食べて夫を送り出したあと、ふと気付いた。先延ばしにしていた映画『雪の下の炎』は、今日を逃したら見にいけないのだ。UPLINKでは26日までしか上映が決まっていない。さっそく出かけた。

 33年の長きにわたって投獄され拷問に苦しんだチベット僧パルデン・ギャツォを描いたドキュメンタリーだ。彼の著書『雪の下の炎』は読了しているので、ストーリーは理解していた。

 あらためて、パルデン・ギャツォが穏やかにしかし瞳の奥底に確固たる信念の炎を燃やしながら語る姿を見て、人間の魂の尊さを感じた。弾圧し続けている中国当局だって、じかにパルデンに拷問を加えた警察だって、本当は心の片隅のどこかで炎の魂、尊厳を感じているはずなのではないかと思う。けれど、それをどこかに追いやり、彼らのような信仰心をふてぶてしく思い、苦しみを与え続けているのではないか。

 現在、チベットはサカダワの期間であり、この間の行いは善きものも悪しきものも、倍増されるといわれている。この間、法要も多い。中国当局は早速、ラサではサカダワ期間中はゴンパに行くなと規制したそうだ。まったくつまらん規制だ。人の信じる心までは誰も規制なんてでいないことを、本当はわかっていて、だから思いどおりにならず駄々をこねて、さらに規制を強めているんじゃないか。

 ところで、『雪の下の炎』の原題は『Fire under the Snow』である。Fireには一切の冠詞がつかず、Snowにはtheがついている。私は英語が苦手で正確なことはわからないけれど、これにはある意図を感じた。

 続けて『風の馬』も見た。正直最初は期待していなかったのだけれど、これを見て背筋がぞっとした。

ペマのような拷問を受けた僧は大勢いるだろうし、ドルジェのようなやりきれない気持ちを持っているチベット人もいるだろう。そしてドルガのようなふるまいをしているチベット人もいる。さらには、中国人とチベット人の恋人同士が、彼らのようにうまくいかなくなるケースもある。隣の人がスパイであることも日常茶飯事だし、エミーのような旅行者もいるだろう。ラサから逃げるあたりはできすぎのストーリーかもしれないけれど、会話のところどころに、恐ろしいほどのリアルさを感じた。

 チベットのゴンパで祈る人たちを見ると涙が止まらなくなることがある。いったい何が彼らを強くし、尊い気持ちを持ち続けさせているのか、その根幹をなすものについて(つまり、仏教なのかもしれないし、信じる心なのかもしれないし、人間そのものなのかもしれない)、もっと知りたくなる。

 人間は尊いのだ。

 夕方、海の見える学長室へ。山に登るお医者さんM先生を訪ねた。

 今週アタマにあがったゲラのなかで、医療に関するページを読んでいただき、指導を受けた。およそ3時間。私は、何度高山病について書いても、脱水症について書いても、こうも未熟な点が出てくるのだろう。原稿を厳密に突き詰めていくと穴だらけだ。一般の人が読むのだから、わかりやすくするのは当然なので、厳密に突き詰めたあとに「こなす」作業が必要なのだけれど。

 いつも思うことだが、M先生のように本業をもちながら、私の仕事に協力してくれる人は本当に多い。医師だけでなく、ほかの分野の専門家も。彼らは、自分の専門領域について一般の人に役に立つのであれば、おしみなく協力しようと考えてくださっているのか。本当にありがたいし、こちらも責任を感じる。

 今日はクルマでも自転車でもなかったので、駅前でいっぱい。仕事が終われば、仕事の話も終わり、もっぱら山の話ばかり。GWM先生は私の大好きな北海道の山のピークと北壁を独り占めしたそうだ。それはとても幸せだったのではないかと思う。

 またさらに、某国の独立峰を滑りたいという話にもなった。最近、千島列島の火山が噴火したことでフライトキャンセルが出ていたけれど、それよりももっと北の火の山。

 世界には、おもしろいところがたくさんある。

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2009年6月16日 (火)

田中さんのおばちゃんに会う

  朝ごはんを食べて、かなっぷの友人たちからのメールを待つ。が、どう見ても御宿の波はおだやかで、わざわざ湘南の方々が訪ねてくるような状況ではない。彼らは千葉北で入ることにしたようだ。

 キクちゃんは朝の散歩に出かけ、私たちはサーフィン。海辺でキクちゃんに会う。かなっぷが「キクちゃんこっちからわたって」と叫んだけれど、そこは川……。いくらウォールディーズのサンダルを履いているとはいえ、これからお出かけの方が塩辛い川をジャブジャブと渡るのはどうかと思ったが、ためらわずに渡ってきた。ワイルドです。

 ところで、彼女は赤のウォールディーズの「アルバ」を履いていたのだけれど、昨晩温泉に行ったときに一緒になった人に、「どこで売っているの?」と聞かれ、「モンベルです」と答えたそうだ。かなっぷは、すぐさまに「モンベルはわからないよー。オオタヤとか言わなきゃ」と。オオタヤは御宿町民の台所(スーパーマーケット)です。 きっと、鮮やかな色のサンダルが都会的に見えたのだろう。

 波伝説の予報よりも波が多少はあって、そこそこ楽しい思いができた。

 午後は千葉の実家へ移動。我が庭が、夏を迎えますますジャングル化してきた。

 高齢の母に代ってスーパーマーケットに買い物に行くと、田中さんのおばちゃんにばったりと会った。田中さん夫妻は私の生まれ育った実家から徒歩3分のところに住んでいる。子どものいない2人は私を実の子どものようにかわいがってくれ、とくに父よりもずっと穏やかで優しいおじちゃんを、私は大好きだった。おじちゃんは10年以上前に他界していて、いまはおばちゃんが一人暮らししている。

 帰りはウチの車に乗っていけばよいと私が言うと、喜んでくれ、「じゃあ、重たいものを買うわ」とミカンなどの果物を買っていた。店内でも「今日は若いもんが乗せていってくれるというから、たくさん買って大丈夫なんだよ」と顔見知りの人に話しているので、なんだか私もうれしかった。おばちゃんの口ぶりも昔とまったくかわらない。

 週に2回は、ここまで片道1時間以上歩いて買い物に来るのだという。80歳過ぎて、おばちゃんはすごい。

 さらには、幼馴染のすし職人ハマチョのご両親にも会った。ここのおじさんは、鮨屋をやっているので地元では有名人。みんなが挨拶していた。

 地元のスーパーに寄っても知人に会うことはめったになかったのだけれど、今日は偶然が重なった。

*写真は、昨晩オオタヤで買った御宿産甘夏。実家の甘夏よりもずっと甘くて美味しかった。

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2009年6月15日 (月)

パドルができません

 午前中は自宅で仕事。

 昼に出発して、御宿へ。早速海に入るものの、最近はまともにサーフィンしていないので、パドルができません。こうやって間を置くと何よりも衰えるのがパドリング。最初の1本なんて、バタバタしているだけ、ちっとも進みやしない。

 1時間半ほどして、少しだけ板に立って、その後ビーチコーミング。

 親指サイズぐらいのちいちゃなふぐの仲間のような魚が、沖に打ち上げられてアップアップしていたので海に帰した。

 海はすっかり夏の雰囲気。海の家の建設が始まった。

 水温も高く、私は3ミリの長そで+半ズボンだったけれど、ロングジョンの人もいた。

 夕方、御宿駅にキクちゃんを迎えに行く。DIVA仲間の彼女は、明日御宿の近くで用事があるそうで、今晩は我が家に泊まることになった。夕飯は何がいいかと、いくつかの選択肢を出すと、「あまからや」と即答なので、隣町勝浦の中華の名店「あまからや」へ向かった。

 私もランチしか食べたことがなく、夜に来るのが夢だったのだ。

 夢のその日が来たら必ずや食べようと思っていた、卵白と白身魚を和えて炒めた一品「芙蓉賽螃蟹(フヨウサイファンシェ)」はさっぱり味で美味しかった。こんな料理、生まれて初めて見た、食べた。

 キクちゃんいわく、あまからやの中華料理はさっぱりしていておいしいと。確かに、さっぱりとした上品な味だ。

 お姉ちゃんが店の外まで送ってくれた。そとのウインドウにあるロウでできた商品見本は、先代や先々代のころから使っているのだという。中華料理を始めたのは今のご主人だから(赤坂の中華料理店に15年勤務)、この見本にあるオムライスとかカレーとか、親子丼は先代以前からのメニューらしい。お姉ちゃん(今のご主人の奥さん)いわく、「昔はこれだけのメニューでも生活できたんだよね」と。

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2009年6月14日 (日)

第1回MJリンク 那須岳

20-40代の女性たちを山に誘い出そうという企画MJリンクの第1回は那須岳。

 三春の回からのリピーターという懐かしい顔ぶれと、フレッシュな顔ぶれが集まった。

 三春からたった2か月。その間に、乳のみ子を抱えていたある人は、子どもが乳離れをしたというし、またある人はこの日のために装備を用意し、この1週間はトレッキングシューズの履きならしをしたという。

 天気はあいにくで、じつは茶臼岳を登っているときに雷鳴を2度聞いた。1度目は気付かなかった人もいたようだ。ロープウェイがキャンセルになったので雷雲が近付いていることは明らかだった。

 朝にチェックした天気図には梅雨前線があった。ほかに、東北上空は大気の状態は不安定であり、天気図には現れない弱い寒冷前線もあった。

 だからいくら上空が明るくなろうが、天気がよくなることはないのだ。

 そのため、当初予定していた山でのランチwithフキ味噌汁とマシュマロココアデザートは取りやめ。みんなには短い休憩時間だけにして歩き通してもらった。

 牛ヶ首でポツリポツリと雨が来て、峰の茶屋の頃にはしっかりと本降り。峠の茶屋に下山したときには大降り。そこから参加者のうちの4人と私だけが下のロープウェイ駅まで歩いたけれど、とうとう土砂降りであられまで降ってきた。

 それでもしっかりとした足取りで最後まで歩くのはすごい。

 雷雨のときの登山は危険ですが、今回は茶臼岳往復のときにはまだ深刻化していなかったことと、本格的に雷が来る前に樹林帯に入れると予測できたので、前に進んだ。 

 そういう細かな説明までを参加者にはすることができず。

 初めての登山の人もいたし、慣れない装備の人もいた。 

 けれど、次回までに「装備を再検討する」「防水パッキングは完璧にする」「体を動かしておく」「家庭を空けられるようにがんばる」など話してくれたことがうれしかった。

 スタッフは、発起人の田部井淳子さんを筆頭に、社会人1年とは思えないしっかり者・切れ者のたまりんと、これ以上心強い人はいないと登山はもちろんすべての面に全幅の信頼をおいているまさみん、と私の4人。ほかの3人に私も勉強させられた。

 帰宅後、装備の後片付けと、事務処理、ほか。

 次回はもっとバージョンアップして、みんなに楽しんでもらえるようにします。

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2009年6月13日 (土)

筆不精、無礼続き

午前中はF山岳会の集会。

 昼に終わって、丸善に立ち寄ってから帰宅。

 入稿やゲラチェックを理由におざなりにし続けてきた、各方面への連絡業務に充てる。

 先日、ある集まりで女性の新聞記者に会った。そのとき撮影してくれた記念写真を紙焼きにして早々に郵送してくれたのだ。初めて会った人。

 いまどきデジタルカメラで撮影した画像データをメール送信してくれる人ならばいくらでもいるけれど、紙焼きにしてくれたことに感激。さらには、超多忙な部署にいるとお見受けしたけれど、パーティー後すぐに封書が届いたことにも、驚いた。

 忙しさなんて言い訳にできないんだな。

 名刺をいただいたときに、見たことがある名前と思ったけれど、後日、貴重な記事を書いている人だということもわかった。

 ちゃんと仕事をしている人は、礼儀も人づきあいもちゃんとしているのだ。

  私は筆不精ばかりが続いていて、なんとかいくつかの礼状や便りを書いたけれど、いちばん気になっていて、いちばん書きたい相手には今日も書けずじまい。

  書きたいことがたくさんあったり、相手の気持ちを考えれば考えるほど、書けないのだ。

 その後、書籍の編集作業の仕事。

 夜から、明日の企画(行先は写真のところ)の準備。天気がいまひとつだけれど、参加者は大勢集まり、また心強いスタッフが集結したので、楽しみ。

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2009年6月12日 (金)

また来ん春の たねになるべき

 カイロプテクティックが終わったあと、家に帰ると猛烈に眠くなるというのは、これまでも起きていた現象だけれど、今日はアジャスト中からすでに眠かった。眠くて眠くて、眠りたいのだけれど、筋組織のマッサージはかなり痛いので、意識が呼び戻されてしまうのだ。

 すべて終わって帰る頃には本当に眠くて、もうともかく一刻も早く家に帰りたい気持ちだった。それから自転車を20分こいで家に着いたときには、ぐったり。

 どういうことが作用して、カイロプラクティックの後に眠くなることが多いのか、調べてみたい。

 帰宅後、いくつかの登山関連の冊子が届いていた。そのなかの一冊が、昨秋、クーラカンリの雪崩事故で死亡したAくんの追悼集だった。

 あの当時のことや、小さくなってしまった3人成田にを迎えに行ったことを思い出した。もちろん、私は記事を書くために成田に行ったのではなく、彼らと登山を通じていろんな交流をもっていから、友人たちを迎えに行ったのだ。

 記事については、『岳人』編集部から依頼があり、12月号に事故の概要と追悼記事を書いた。

 けれど、実は私はAくんとだけ直接の面識がなかったのだ。もちろん彼のことは伝え聞いていたし、その後古くからの友人であるマツウラくんや、私の高校時代の恩師である中間先生と話すうちに、いろんな縁でつながっていた青年であったことを、知った。

 この追悼集は、Aくんの母校である千葉高山岳部OB会有志が作ったものだそうだ。ある意味、彼の登山人生のスタート地点だった時代かもしれない。あらためて、本当に貴重な人を失くしたのだと思ったし、できれば生前に知り合いたかった。

 散る花を 惜しむ心や とどまりて また来ん春の たねになるべき  (西行)

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*この春、Aくんの仲間たちと掘った雪洞

2009年6月11日 (木)

ほろ酔い神楽坂

 朝5時に起きて仕事。

 出版業界は昼から仕事を始めて、夜遅くまでやっていると思われているけれど(実際そいう人は多いと思う)、私がこの仕事を始めたときに最初にお世話になった編集者は、朝9時には会社にいた。もちろん彼以外誰もいない。いたとしたら、昨晩からの徹夜組。その代りに彼は、定時の夕刻6時に退社することも多かったけれど。

 宿題を仕上げ、それから週末の企画の準備をしたらあっという間に昼過ぎ。

 午後から昨日のデザインオフィスへ。

 宿題をゲラに転記し、写真の差し替え準備などをし、地図を整えて、一応今日の私の仕事は終わり。

 データ入稿というのはいいようでそうでもない、というかデザイナーさんは大変。今後の仕事の段取りを聞くに、来週火曜ぐらいまで(週末もなく)、デザイナーさんと編集者さんは厳しい仕事が続くよう。

 夜8時から、神楽坂で1時間ほどインタビュー。

 久しぶりに神楽坂を上がっていったが、やっぱりここはいい街だ。夜の毘沙門天を見ただけで、ゾクゾクする。

 その後、遅い時間になってしまったけれど、夫を神楽坂に呼び出して、夫の誕生日ご飯。誕生日だからといって外食するのは、我が家では珍しい。

 以前まさみんとふたりで行ったカジュアルフレンチ。朝、パンを1枚食べたっきり、お菓子をちょっとつまんだだけだったので、夫を待っている間に飲んだアペリティフでほろ酔い。ワインを空けたころには、しっかり酔っ払い……といいたいところだけれど、酔い度はなぜか横ばい。

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2009年6月10日 (水)

カンヅメ

 テキスト作りのために、デザインオフィスにカンヅメ。

 先週私が仕上げた原稿が、続々とデザインされて上がっているため、それを見ながら、ふたりの編集者さんとデザイナーさんを交えて、調整。

 写真部分は先に印刷所に入れる必要があるので、まずは全ページの写真を確認し、さしかえが必要なものは手配。

 その後、テキスト原稿(文章)を校正。私はキャプション(写真説明文)をほとんど後送にしてある(後回しにしてある)ため、あらかじめ自宅で準備してきたキャプションを入れる。

 ほか編集長のアカを受けて、もろもろ調整。

 問題ページ以外は何とか読み終わる。130ページ近いものを、数時間で読み終えて訂正を入れられるようになったのも、これまでこの仕事を続けてきて、いろんな編集者に鍛えてもらったおかげ。つくづく思うのは、書く仕事も編集する仕事も、「読書力」が必要ということ。

 明日への宿題を残して、夜9時にオフィスを出る。

 ちょうどかなっぷを仕事終了時間が同じになったので、某駅ガード下の呑み屋で夕ご飯。好きなつまみをセルフサービスで取って、食べる。マグロの刺身と冷奴、マグロの煮付け、 ブリ照り、野菜炒めと生ビール。ふたりで2000円。

 11時帰宅。宿題を進めて、日付が変わるころに就寝。

2009年6月 8日 (月)

『冒険の蟲たち』

 再び机仕事に戻る。今週は、いくつかの仕事が並行。

 先週脱稿した原稿が続々と誌面デザインされてpdfで届いているので、そのチェックが第一の仕事。キャプションはほとんど後送になっているので、入れていかなければいけない。大きな変更が必要そうな個所は、今日中に編集者に連絡。ほか、テキスト原稿のチェック、文章量の増減が少し。

 加えて、書籍編集の仕事がある。あと2章分デザイナーさんに入れなければならない。リライトする個所も多く、難航。

 ハイポスポーツの平川さんから連絡があった。 

 フェアトレードで輸入している「シェルパアドベンチャーギア」と「パタンハンドクラフト」の売上金の一部を使い、学用品を購入してネパールの小学校に届けたのだという。 

レポートはココ

 また、同プロジェクトでは、不要になったザック、雨具、登山靴を集め、(その内容をチェックしてから)ネパールに送ることもやっていて、これについては今月末まで受け付けているそうだ。

 仕事柄、私の家にも普段はあまり使わない装備がたくさんある。登山靴は経年劣化があるので送れないものばかりだけれど、ザックであれば4,5個は手放せるのではないだろうか。検討することにした。

 下の本『冒険の蟲たち』 は、先日新浦安の某書店で見つけたもの。

 これまた仕事柄、書店に入ると必ず山岳書の売り場をチェックする。ここの書店には月に数回来るのだけれど、山岳書においてはおよそ期待できないラインナップである(まあ、ほとんどの書店が期待できないけれど)。けれど、本の売れ行きや平積みの内容などは定期的にチェックすると、出版の動向がつかめるのだ。

 というような地味な目的で立ち寄ったところで出会った!

 書名だけではわからなかったけれど、背にあった副題と著者名を見て、内容はすぐにわかった。

 副題は「登った! 漕いだ! 走った! アメリカ大陸5万キロ」。著者は溝渕三郎さん、與田守孝さん、長篠哲生さん。

 土曜日は、原さんの会に行く日で、小さなバッグしか持っておらず、しかもそこにTシャツとクライミングパンツを押し込んであるという状態だったけれど、迷わず買った。

 そして、むさぼるように読んだ。

 おもしろい、おもしろすぎる。

 かつて溝渕さんには2度インタビューしたことがあり、その時にはこの南米の旅の話を断片的には聞かせてもらっていた。だから、73年当時、EBシューズを買ってヨセミテに出向いたことがどれほど新鮮だったか、マラバ号に乗ってアメリカを縦断していったことのおもしろさも、それから某所で銃を突き付けられた話や予想以上に早く国境がやってきて、慌てて現金を隠す話も、知っていたけれど、こうやって1冊の本で読むと、本当におもしろかった。誰が、国際免許証を紛失したときに、あんな行動に出るだろうか。素晴らしい。感動的。南米の山は、今よりもずっと遠くて、ずっと尖っていたはずだ。 

 こんなに身も心も自由に山に登ることが、いまの私にはほとんどない。

 「あとがき」にも書かれているけれど、数年前『Alpinist』がタウリラフ南壁の特集を組むことになり、初登攀の原稿依頼が溝渕さんのところにやってきたのだ。いまもなお、輝き続けている山が南米にはあり、そこにシリアスなクライマーたちが集っているわけだけれど、その彼らも、今本を読むと感動的な気持ちになるのではないか。

 あんまりにもカッコよすぎる。だから、原さんの会場で、この緑のシボレー社ベガの名前が「マラバ号」となったきっかけである貫田さんの顔を見たときは、すぐに駆け寄って、「今日見つけて買いました」と話した。

 話によると、刷り部数も少なく、買取も多いそうで、書店に出る部数は少ないとのこと。何となくそんな予感もして、これを逃したら買えないかもしれないと、私も手に取ったのだ。よかった。

 ラインナップははなから期待できない書店だったのに、何があったのだろうか。いい出会いだった。書店で見かけたら、絶対に「買い!」の一冊です。

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2009年6月 7日 (日)

強風の那須・茶臼岳

 宇都宮に転勤になった、塚ちゃん邸へ。

 塚ちゃんはウチの山岳部の後輩で、大学を卒業して5年ぐらいになる。今年度からコーチをやってもらっている。やっと次世代に引き継いでいけるかもしれない兆しが出てきたのだ。

 本当は学生と一緒に合宿の予定だったのだけれど、都合上中止になった。私たちはせっかく休みを取ったのだから、どこかにハイキングに行こうという話になったのだ。来週の用事に備えて、那須岳を下見したいという私に、塚ちゃんが付き合ってくれた。

 ロープウェイ駅についてびっくり。強風で休業。稜線は風速28mもあるのだそうだ。これじゃあ、まともに走れそうもない。

 峰ノ茶屋に登って、茶臼岳を一周して、それから登ったことがない南月山に登ってみた。

 記録魔の塚ちゃんは、いたるところで、小型手帳に何かを書き込んでいる。コースタイムだけではないはず。私のバカ話も書きこんでいるかもしれない(何しろ、帰りの車の中でもメモ書きしていたのだから)。

 鹿の湯はメチャ混みだったので、その下の温泉へ。ものすごくよいお湯で、撃沈しそうになった。

 帰りは、もちろん宇都宮餃子。久しぶりの「みんみん」へ。

 他の人たちの頼む数にいつものことながら圧倒された。合い席で座った若いカップルの言動を観察していて面白かったのが、餃子をつけるたれ(彼らはしょうゆ、お酢、ラー油だった)を彼が2人分調合して作っていること。

 宇都宮カップルはこういうこともできなければいけないのかもしれない。

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2009年6月 6日 (土)

頂上の旗

 都内で開催された「原真さんを語る会」に出席。

 錚々たる顔ぶれに恐縮し、原さんを語るにふさわしい歯に衣を着せぬそして最も大切な点を述べるスピーチの数々に聞き入った。

 何人もの大先輩から、原さんとの思い出を聞かせていただき、ありがたかった。著作では読み切れなかった、彼の心の底を少しだけ見せてもらったような感があり、親しみすら感じるようなエピソードもあった。

 最後に主催者の方のスピーチがあり、「ここに集まったのは、“原学校の生徒たち”である」、と話されていた。とても残念なことに、私は生徒と呼んでもらえるほど生前の彼と交流があったわけではなく、また仕事でご一緒したことはなかった。

 3月に亡くなって以来、あらためて著作の数々を読みなおし、いろんなことを突き付けられた。

 『頂上の旗』が出版されたのは1988年。私が大学山岳部2年生のときだった。もちろん、当時読んだ。そのころに受けた衝撃のいくつもが、毎日の生活のなかでなあなあになっていたけれど、なんとか原学校に入学できるよう、原イズムについてじっくり向き合えるようにしたい。

2009年6月 5日 (金)

脱稿、そして帰宅。

 疲れがでてきて、5時の目覚ましで起き上がれず。6時から仕事。そとは雨。波は小波。

  昼、自炊にも飽きたけれど、外食する時間もなく、徒歩30秒ぐらいの鮨屋のランチへ。

 

 3時、オープンしたばかりの温泉にざぶんと入る。左肩甲骨がジンジンと痛い。これって仕事のし過ぎというよりも、四十肩だろうか?

 昨日から、なぜ左肩ばかりが痛くなるのか、自分の姿勢を観察してみたところ、左肩に力が入ってほんの少し上に上がっていることがわかった。運転しているときも、確か、そう。

夕方5時、脱稿。これで帰れる。まだ日があるけれど、冷たい雨のなか海に入る気にはなれず、帰宅。

籠り仕事の鉄則は、仕事を持ち込みすぎないことだ。

今回は、夏出版予定の原稿書きが目的だったため、その資料、これまで書いた原稿、台割、デザイン見本などを持ち込んだ。

ほかに、ちょっと済ませたい事務仕事の資料も持ち込んだけれど、手つかず。

ホントは、別の編集中の書籍原稿も持ち込みたかったのだけれど、これは止めておいた。どっちつかずになるとペースが上がらないし、所詮できない仕事は持っていかない方がよいのだ。その代り、この仕事は来週からみっちりやる予定。

昨日は、天安門事件から20年だった。ニュースを見る余裕はなかったけれど、前日に出されたダライ・ラマの声明は、ネットで読んだ。

20年前、天安門で声を上げた学生たちは、私と同世代。

同世代の中国の友人は何人かいるけれど、彼らと付き合いながら考えてみたが、いったいこの20年が何だったのかわからない。

帰宅後、ネットのニュースヘッドラインを見て、驚いた。成都の路線バスが炎上して死者多数。最近、深刻な登山事故もあったし、四川は、呪われているようなことが続く。

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2009年6月 4日 (木)

今日もセルフタイマー

以前、あるカメラマンが、「その日はコモリだからダメだ」言った。私は、ああどこかにこもって仕事をするんだな、と解釈したのだけれど、彼が言ったのは「その日は、子守りをしなければいけないから予定がたたない」という意味だった。

 昨日からの私は、「籠って」仕事。今日も海を目の前にして、波に乗れなかった。ここまで仕上げたら、気分転換、肩コリ解消のためにも波乗りをしようと予定を立てたのだけれど、それが終わったのは暗くなる頃だったからだ。

 昼ごろ、編集者さんの依頼により、顎関節をマッサージしている写真を撮ってメール送信。かなりのバカ面で、こんなのをセルフタイマーで撮っている自分に吹き出しそう。これを基に、イラストレーターさんにイラストを描いてもらうのだ。

 編集者さんからは、「ネコにゃんにゃんの真似をしているようだ」と。あくまでも顎関節マッサージをしているのだけれど、なるほど、その通りだった。もっと局部的に撮ればよかった。失敗。

 夜、もうひとりの編集者さんに電話(贅沢にもふたりの編集者さんがついています!)。メールが届かないことが要件だったのだけれど、いろいろおしゃべり。あと4本書かなければならないエッセイについて、大きなヒントをいただく。

 こういうとき、編集者さんって偉大だと思う。とても私にはできない仕事だ。

 「執筆が大変だろうけれど、おからだは大丈夫」と言われてしまい、恐縮。こちらは全くをもって元気ですが、皆さんには重労働を強いております。

 昨日から話をした人は数えるほど。店のレジスターの人との簡単なやり取りと、温泉の番台にいるおじさんだけだった。こうやって、人と話すのもよいものだ。

 籠り仕事が、あやうく「引き籠り」になるところだった。

 食糧難になり、さすがにおなかがすいてきたので、日があるうちに御宿の台所オオタヤで、カブと隣町の勝浦であがったトビウオを買ってきた。それと岩の井の四合瓶。駅前のケーキ屋でパンもゲット。これで明朝まではもつだろう。

 海に入っていないので海の写真がない。これは一昨日の剣ヶ峰。シュプールが見えますね。

 下山途中、松本のプロショップ経営者Bさんと会って話をしたけれど、彼のお仲間の方のものと思われる。その後その彼とも行きあって話をした。65歳だと言っていたけれど、ブーツはスカルパの山岳レース用だった。「頂上まで来なかったでしょ」と言われた。はい、9合目に友人を残したので、剣ヶ峰まではいきませんでした。

 彼は、剣ヶ峰から火口に滑り込んで、登り返して、また滑り込んで、そして富士宮口方面に再び登り返して、降りてきたそうだ。すごい体力!

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2009年6月 3日 (水)

今日は千葉野菜

 今日は茂原・グルメ街道で御宿入りしたので、あんぽんたんのパン数種、むつざわで買った野菜があった。けれど朝と昼に食べたために、夜になって残っていたのは、パンが少々とプチトマトが5つ、ズッキーニが1本、水菜が3束だけだった。

 今日は海に入らなったので(運動をしなかったので)、この程度でよいか。冷蔵庫をのぞいてもビールしか入っていない。

 原稿書きの1日。

 左肩甲骨から痛みが始まり、やがて背中の上部全体に広がる。温泉に2回入っても治まらなかった。パドリングをすれば治ると思うんだけれど。

 写真は昨日撮影した富士山火口。まだ凍っています。

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2009年6月 2日 (火)

板納め

 どうしても富士山頂に行かなければならない用事があったのだけれど、それにしても結構いいスキー登山だった。

 友人からの情報によると、吉田側は7合目以上に雪が降ったようだけれど、富士宮側はどうかな。8合あたりから雪面がきれいな色をしていたので、新雪が載っていたのかもしれない。

 残雪量は結構多く、頂上の鳥居はご覧の通りだった。

 ターンしながら今シーズンのことを考えて、いくつかナチュラルな感じのいいターンができた。

 テレマークスキーを始めたシーズンの(というか、ほぼ”スキー”を始めたシーズンの)板納めに富士山を滑って以来、数年通ったけれど、最近はご無沙汰していた。さすがの私もちょっとは上達しているようで、以前よりもずっと楽に気持ちよく滑れるようになったのだ。

 最後は火山岩の小さな粒がゴリゴリ載った雪の上だったらか、滑走面がガリガリだな。

 これで、板納め。

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2009年6月 1日 (月)

原稿書きの1日

 昨日、思うように原稿書きがはかどらず、今朝はからフルパワー。

 最近は体力が落ちたのか集中力が落ちたのか、長時間書き続けることができなくなってきた。心身はともに影響し合うのだから、双方が落ちているのだろう……ということで、原稿書きの合間は、腹筋やカイロドクターさんに教わった(というか、やるよう言いつけられている)筋トレ。

 夕方までにもう1本仕上げたい。

 そしてパッキングして、出発。さあ、板納めなるか?

 ヒロスケに「雪はどれぐらい降ったの?」と聞いたところ、「山が見えないからわからない」と。そりゃそうか。

 写真は2週間前に、ヒロスケ邸を訪ねたときに歩いた、吉田の浅間神社。本当に気持ちのよいところだった。

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