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2005年4月

2005年4月16日 (土)

北俣本谷

久しぶりに夜行列車に乗る。
 かつて学生時代に数え切れないほど乗った急行アルプスも、急行能登も急行津軽もいまは姿を消してしまった。
 今回乗ったのは急行アルプスの後継版とも言えるようなムーンライト信州号。すっごくすいていた。これじゃあ、廃線も免れない。
 
 早朝、信濃大町駅下車。伊那からやってきたクリにひろってもらう。
 大谷原までクルマで入り、西俣出合い付近で幕営。
 ちょっとした目的があって、北俣本谷を偵察に入った。
 西俣を分けて、いくつかの堰堤を越えていくと、だんだんと北俣本谷が見えてくる。ものすごい量のデブリだ。これらは冬の時期の雪崩のあとだろうけれど、谷のほとんどをデブリが埋め尽くしていて、歩きにくい。ものすごい大規模雪崩が、冬の間に頻繁に発生していたのだろう。今はリスクが低いといえども、気持ちのよいものでもない。

 デブリの量と規模もスゴイが、もうひとつスゴイのは、雪崩で雪渓が大きくえぐられた跡。深さ3メートル幅は30メートルぐらいにえぐれた大きな溝がうねりながら谷の中を走っている。こんなものを日本の山で見たのは初めてだ。

 だんだん気温が上昇し、雪が緩んできた。昼近くなると、枝沢でブロックが崩壊したり、落石がおき始めている。上部では中規模程度の雪崩も発生しているので、早々に退散した。これ以上偵察の意味もなかったし。

 クリとは大学山岳部のときからの付き合いで、おそらく山岳部内でいちばん多く一緒に山に登った相手のようにも思う。けれどふたりで山に行くのは本当に久しぶりだった。
 彼はしばらく山を離れていたが、この数年はまた登り始めているから、楽しみだ。部内イチ足が早くて、センスもよかったから、私はいつもおいていかれていたが、今日はなんだか私のほうが軽快だ。クリが山を休んでいる間に細々だけれど続けていたから、やっと追いつけたのかと思っていたところ、クリは歩きながらぼそりと、「ああ、運動不足だ。どうも調子が上がらない」と言った。なんだ、空喜びだったか。

 テントに戻ってお茶を飲むと、クリは早々に昼寝。私はアロマオイルタイムとヨーガもどきと水作りに励む。暇で仕方がない。一度テント近くででかい雪崩があり、サスガのクリも飛び起きたが、すぐさま昼寝に戻った。

 星が降る夜。早々にシュラフに入り込んだ。

2005年4月15日 (金)

岳人山道具ページ

昨日に引き続き、雑仕事の1日。
雑用はやってもやっても湧いて出てくる。原稿書きに集中しなければならないのに……と少々焦り気味。


★本日発売の岳人(東京新聞出版局)に下記の記事を執筆しました。
30-40リットル程度のザックを取り上げたもので、国内外の8メーカーからフラッグ商品を紹介しました。インプレッションレポートあり。

岳人の山道具ページは12月号まで連載が続きます。
やっと折り返し地点に来たところで、アップアップしております。
読者のみなさんのご感想やご要望などをお聞きしたいので、率直なご意見をBBSにお書き込みいただくか、編集部宛にお便りくだされば、うれしいです。

岳人の山道具百科
「メーカー別・中型ザックフラッグ商品紹介」   P129-134
050415

2005年4月13日 (水)

山道具屋はしご

 朝一番で、高田馬場にあるカモシカスポーツ山の店へ。簡単な撮影をしたあと、スタッフの方々と山の話をする。カモシカへ行ったのは久しぶり。最近の山の積雪量や雪のコンディションの話、クライミングジムの話など。
 副店長の大野敏男さんにお会いするのは、実は初めて。大野さんはずっと前に北穂高小屋で働いていた。私が北穂高小屋を取材していたのは200年~02年ごろ。大野さんとは接点がなかったが、キジ場ハングと呼ばれている北穂高小屋近くの岩場には、大野さんが拓いたルートが何本かあり、私も登らせてもらっていたので、お会いするのが楽しみだった。そのルートのうちのひとつは、間違いなく、日本で最も高いところにある11cではないだろうか。
 クライミングギア(岩・氷雪ともども)の品揃えのよさは圧巻。これもまた日本一かもしれない。
 
 次に、お隣の駅・目白にあるカラファテへ。こちらも簡単な撮影のため。カラファテにお邪魔すると、ついついいろんなことを話しこんでしまう。ジャックに海外のいい岩場やルートを教えてもらった。早速調べてみよう。いけるといいな。

 昼過ぎから岳人編集部へ。写真入稿の作業。
 帰宅後、雑仕事に追われる。

 明日からこのうっとおしい長雨も明け、気温が一気に上がって晴れた日が続くという。春の気候は変わりやすい。山の積雪のコンディションにも大きな影響を与えて雪崩にも注意が必要になってくる。週末のことが心配なので、しばらく気候変動を観察するつもり。
 ところで、外国人の友人が「女心は秋の空」という言葉を覚えた!と自慢してきたので(彼も苦労したに違いない)、あるとき調べたことがあった。
 ソースを忘れてしまったのだが、そのときの結果は、「女心は春の空」「男心は秋の空」だった。これってもし正しければトレビアに出せるかもしれない!? 
 人間の心は移ろいやすいものだけれど、夏のような陽気になったか思ったら、季節が逆戻りしたような花冷えになったり、かと思ったら春雷がとどろいたりするような春の気候が、女性にぴったりのだとか。女性の心情のほうが激しく変化する、ということらしい。なるほど。

2005年4月12日 (火)

金魚酒を飲む

 いくつかの仕事が重なって睡眠不足。あんまり眠れないまま朝を迎えた。
 そのまま仕事をして、夕方には岳人編集部へ。デザイナーさんと会って、6月号のデザイン依頼をした。
 6月号は5月15日発売。GWをはさむため、いつもより前倒しで進行している。
 
 月刊誌の仕事には、「お盆進行」「年末進行」というのがある。それぞれ印刷所、その他が長期休暇に入るために、進行が前倒しになる、というものだ。この時期はかなり辛いものになる。こんなネタは林真理子や椎名誠が『週刊文春』の連載に何度も書いているから、一般の人でも時々知っている人がいる。しかし、このふたつだけが悪夢だと思ったら大間違いだ(と、これから月刊誌の仕事をする人がいたら、お伝えしたい)。
 言葉にこそなっていないが、このほかに、「2月進行」と「GW進行」というのも絶対的に存在する。2月進行というのは、2月が28日か29日しかないために起こる現象。GWは言うまでもないこと……。
 そして、この4つの悪夢進行だけ耐えればよいというのも、これまた大間違い。この4つの時期の前後の号もしわ寄せをくらって、ちょっと油断する大変な騒ぎになるのだ。つまり、月刊誌って年中忙しいってことね。
 週刊や日刊にはまた別の忙しさが存在するけれど、これらは複数のチームでやっていることが多いしなあ。

 一応、6月号から手が離れたので(校了まで2回の校正は残っているけれど)、友人と呑みに行った。
 カズヘイが見つけた、御徒町の天ぷら屋「天正」。
ギターリストの高木さんと日本人形のように美しいケイコちゃん、それからかなっぷも来た。
 さすが、カズヘイ。よくやったぞ。天正はうまくて安い!
 「金魚」という名の酒もよかった。焼酎のお湯割りに赤金魚に見立てた唐辛子としその葉が入っている。酒を飲み干すと、金魚が干上がっているように見えてきてかわいそうになり、ついついまたたのんじゃうのだ。

050412

2005年4月11日 (月)

菜種梅雨

 しまった。今日は2ヵ月に1回やってくるマンションの共同ゾーンの掃除の日だった。仕事をするには最悪の日。廊下や階段などを清掃業者が一斉に掃除するのだ。我が家は1階で、しかも私の仕事部屋は共同ゾーン側に面している。そして、私の部屋のすぐ前で発電機が動き出して掃除が始まるのだ。その音たるや……スゴイ。仕事の能率が一気に落ちてしまう。
 掃除の日は掲示板に告知されるのだが、そんなものをめったに見ない私は、いざ「がぉおおおおおおお~」というけたたましい音と共に発電機が動き出し掃除が始まってから気づくのだ。こんな日は、本当は自宅仕事をはずしたいところだ。

 騒音のなか、『Packers』(写真)のゲラを見る。友人・知人3人が書いてくれた原稿だ。
 その後、原稿書き。

 明日の締め切りに追われているので夕飯は簡単に済ませようと思っていたところ、米を焚き忘れた。カッペリーニという名前の極細パスタがあることを思い出した。0.9ミリ、茹でる時間2分。激安で売っていたのだ。よし、これをそうめん代わりにしよう。早速、つけ汁を作り薬味を刻んでいると、食べ物に関しては保守的な夫が「信じられない、パスタには卵が入っているんだ。そうめんとは大違い」と言い出した。無論そんな発言は無視して作り続ける。いざ食べてみると、違和感ナシ。夫も「下手なそうめんよりずっとおいしい」とぱくついていた。ほらね!

 私も大満足して、再び仕事場に戻ったところ。
 昨日までの陽気とはうって変わって、菜種梅雨。この天気はしばらく続きそうだ。

050411 

2005年4月10日 (日)

再び仕事に戻る

 朝帰り。

 家に戻ってシャワーを浴びると、昨日の沈んでいた気分がばかばかしくなってきた。私は私なりにこれからも好きに山登りをさせてもらおう! 誰がなんと言おうと私自身の人生なんだから。私が健全でなければ、いい学生指導もできるわけがない。指導の方法や組織のあり方については、外野はいろんなことを言う。行動しない人ほど口を出したがる。騒音を聞いていては何もできやしない。人生短いのだから、自分が大切に思うことをやっていこう。

 原稿書きに戻る。

2005年4月 9日 (土)

暗い気分の1日。。。

 気持ちよく晴れ上がった春の日。こういう週末は、高い山を滑ったり、雪稜を登るのにぴったりだというのに……と毎年毎年思う。大学山岳部OB会の総会があるからだ。年に数回しか訪れないこのタイミングを山で過ごせないのは、本当に残念だ。

 午前中はコーチ会。GWの雪上合宿に向けて装備チェックなどを行なう。
 午後から総会。健全な組織というのは難しいのだろうか?

 総会後の親睦会のあと、新しい役員たち(同世代ばかり)と2軒目へ。GWには学生の合宿があるので留守本部体制を確認した。その後、もうひとりの同世代も加わった。「今日のカシワは暗い」といわれ続ける。確かに、気分は真っ暗。

 4月から始まった監督業を思うと、どうも明るくなれない。
 山を登るには絶対的にリスクが存在するのだ。それは消しきれないものであり、各々がtake a riskして登る、というのが山の世界の基本だ。しかし、大学山岳部という教育の場で行なわれる登山は、絶対に事故を起こしてはならない。「監督」というオソロシイ名前をもった人間が、学生の登山を、まさに監督するのだ。本来的なことを言うと、登山を監督することなんてできるわけがない。この矛盾というか、厳しい要求に、監督がこたえなければならないと考えると、生半可なコミットメントではすまなくなってくる。
 世の大学山岳部監督の方々には、つくづく頭が下がる。

 それともうひとつ。私個人の考えは、登山は至極個人的なものであり極論を言えば組織は不要だと思っている。これは、登山の仲間の存在を否定しているのではなく、組織作りよりもなによりも、「登ることありき」なのだ。信頼できるパートナーとの間には、何よりも先に、「登ること」が優先される。大学山岳部はチーム登山であり、組織作りにも重点が置かれる。私自身大学山岳部で育ったわけで、そのことは今の私のある部分を支えていると思う。
 私個人のなかに、いろんなしがらみや葛藤があり、なかなか監督業は難しい。
 コーチである夫は、「深く考えすぎ」と言う。

 大学を卒業して15年。幸いにもその後、いろんな人といろんな形やスタイルで山を登る機会に恵まれてきた。大学山岳部のよいところも、どうしよもなく救いがたい弊害も私になりにわかっているつもりだ。山の世界はもっともっと広くて自由なものだということも知ることができた。
 今の学生たちが卒業後山を続けるかどうかは本人次第だが、もし山を続けていったときに、もっと大きく自由に羽ばたいて欲しいと思っている。その手助けができれば、それでいいや。

 結局、深夜まで呑んでいて、終電を逃す。近くに住むひとつ上の先輩宅に転がり込む。「今日のカシワは本当に暗い」といわれ続けて、3時就寝。
 せっかく励ましてもらったのに、明るくなれなくて、ゴメンなさい……。

 桜満開の母校キャンパス。日記の内容が暗いので、せめて写真だけでも明るく!
 Photo=ARAI Yoichi
050409

2005年4月 8日 (金)

花見*上野→家の前

 朝から家でデスクワーク。
 昨日からの続きで、岳人6月号の装備ページとヤマケイ単行本の原稿執筆。

 昼過ぎに、先月の日記にもご登場いただいた偉大なる登山家にして偉大なる営業マンであるマーさんからケータイに連絡が入り、「上野のいい位置が取れたぞ」とのこと。
 今宵は、会社の仲間が20数人集まって花見となるらしい。上野公園の花見なんてなかなかできないのだけれど、どうしても仕事を抜け出せない。かなり心惹かれたが、やっぱり行くわけには行かなかった。くぅ~~~。

 夜、夫が帰宅。せめて、近所の公園で桜を愛でながら夕食を食べようかとも考えたが、彼は風邪気味だというので、それも断念。家の窓を開けると丁度街路樹になっている桜の木が1本だけ観賞できる。これを見ながら夕飯を食べることにした。
 夕食中の話題は、互いの仕事のこと。職種は違うがいわば同じ業界なので、どうも山の話が中心になることが多い。
 最近私が古い装備について調べていて、カナモノ類(登攀具とかコッフェルなどの類)のことがよくわからず困っていることを話すと、「酒井さんだったら専門だったのに」と夫が言った。
 酒井さんは数年前の今頃、富士山から滑落して亡くなった私たちの先輩だ。私にとって酒井さんは、優しくてでっかい山と人生の先輩だったが、夫にとっては加えて仕事上の先輩でもあった。会社こそ違え、酒井さんも山道具のメーカーに勤めていたからだ。
 なるほどって思った。当時の私にとっては、酒井さんに仕事の話をする機会はあまりなかったが、もし、酒井さんが生きていれば、私は今頃彼に電話して、あれこれ仕事の相談をしていただろう。さらには、山の話もしただろうし、いろんな悩み事も泣きついていたかもしれない。
 ふと、その人の存在が決してこの世にないこと、二度と会えないことを思い出すときがある。人間って死んでしまったら、いろんなことが終わっちゃうんだなと寂しくなった。
 誤解されやすい言い方になってしまうが、山に長年関わっていると、死がぐっと身近にある。でも、やっぱり生き続けなければいけない、もっと生き続けたいと思った。

 ところで岡崎友子さんのブログを頻繁に読んでいる。風の島、マウイ在住。ウィンドサーフィン・カイトサーフィンなどの海のスポーツをやる人で、スノーボードでバックカントリーを滑るのも大好きなようだ。色々な文章も書いている。
 私自身はサーフィンは多少やるものの、ド素人。彼女の日記にはテクニカルタームやカイトやウインドの専門的なことも出てきて、難しい内容のこともあるのだが、それでも私が毎日のように楽しみにして読んでいるのはなぜだろうって我ながら思う。
 きっと岡崎さんのような自由でハッピーな生き方に共感するし、尊敬するからだと思う。

 さて、4月7日付けの岡崎さんの日記。ウインドサーフィンのプロ佐藤素子さんとの交流について書いてあった。佐藤素子さんの活躍は、The PWA Hawaii Proの優勝やホオキバでのALOHA CLASSICの優勝を見て、メチャクチャかっこいいって思っていた。
 岡崎さんの日記に書かれている、ちょっと緊張感のあるオンナの友情のようなものになんだかホロリときた。

 この日の日記には、女性のウィンドサーファーたちの集まりサクラキャンプ誕生の経緯についても書いてあり、興味をもって読んだ。

 丁度昨日、SnowDivaTelemark(女性テレマークスキーヤーの集まり)の立役者であるあずちゃんから久しぶりに連絡が入ったところだった。山形でカヤック中とのこと。ひえぇ、水が冷たそうだなあと思っていた。
 SnowDivaTelemarkは今年もその先もずっと続いていったらいいなって、私は私の立場から思っている。
 サクラキャンプのように、サーフィンやスノーボードにはレディスキャンプのようなものがあるけれど、テレマークには今までなかったのだ。 
 早速あずちゃんに連絡してみよっと。

 写真は近所にある桜のトンネル。ソメイヨシノはあっという間に満開になった。
050408

2005年4月 7日 (木)

古い話を聞く

 当分、岳人6月号の準備とヤマケイ単行本の原稿執筆を平行して行なう日々が続く。
 
 古い装備のことを調べていて、いろんなメーカーや古くから登っている登山家・山岳ガイド、それからこの業界にずっといる方々などに教えてもらう。
 あるメーカーでは社長自らが、話を聞かせてくださった。ハーケンなどのガチャ類、いわゆるカナモノの話だ。そこには、登山装備と登山の歴史だけではなく、さまざまな世の移り変わり(経済や人々の生活様式など)も含まれていた。
 また他のメーカーでは、若い社員が古い装備のことを一生懸命調べてくださった。とてもありがたい話である。登れて荷揚げできる優れものザックだ。彼と話すのは初めてなのだが、私の匂い探知機によると、絶対にクライマーに違いない。なんだかそう感じる。
 いつも思うのは、忙しい方(忙しいという言葉自体好きにはなれないのだが)やいい仕事をたくさんしている人ほど、レスポンスが早くてきっちりとしているということ。わが身を省みる。改めなければ。

 国東半島に住む私の尊敬する写真家、船尾修さんにゲラを送らなければならずコンビにへ。
 到着が日曜日だという。それでは間に合わないのでぎょっとしたが、よくよく考えれば、それは自然なことかもしれない。「時間がない、時間がない」とギリギリのスケジュールで仕事を進めている自分たち(出版社・編集者)が悪いのだと思った。便利になりすぎた世の中を過信していたのかもしれないとも。
 帰宅後、船尾さんに電話。彼の話によると、国東から東京に荷物を送る場合、空港の受取所に夜9時ごろまでにもっていけば翌日着だという。スゴイ世の中だなあ、と関心して電話を切った。
 私のゲラも間に合わせたいところなので、今度は運送会社に電話。するとドライバーが回収するシステムを使えば土曜日午前に届くいう。早速お願いすると、10分後にはドライバーがやってきて集荷してくれた。スゴイなあ。便利すぎてコワイ。

 夜は登山医学に関する委員会に出席。
 委員会後、メンバーの方々と夕食を共にして、深夜帰宅。
 雑仕事をしていたら、床に就くのが遅くなってしまった。

 ICI石井スポーツ新宿西口店勤務の登山家・竹内洋岳さんから、毎年恒例の「HAMレポート」(メール新聞)が届き始めた。竹内さんによると、HAMはHigh Altitude Marathonの略だという。彼のヒマラヤ登山の様子を現地から報告してくれるのだ。まるでお茶の間劇場を見ているかのような抱腹絶倒な話の展開でオモシロイのだけれど、登山の内容はかなりのもの。ちょっとやそっとでは実現できないような創造的なクライミングであるし、難易度も高く、リスクのある冒険でもある。日本人離れした、あるいは日本人にはなかなか見られないような(これらの表現もあまり好きではないが)クライミングに、ただただ驚き感動する。
 竹内さんのレポートはご本人曰く、一人でも多くの人に読んで欲しいということなので、もしまだ読んでいなくてご興味にある方は私にご一報ください。転送します。
 竹内さんのクールすぎるインタビューがMount Everest Netに載った。

2005年4月 6日 (水)

東京春爛漫

 午前中は自宅で仕事。
 昼過ぎに新橋へ。山岳ガイドの堤信夫さんをインタビュー。現場主義のお話を聞けて、楽しかった。予定していた内容以外にも、古い登山装備のことを色々と教えていただく。

 夕方帰宅。岳人6月号の準備。イラストレーターさんに連絡を入れ、イラスト・図解の制作を依頼。

 今回の場合、今はない昔の山道具をイラストに描いてもらうので、少々大変。実物の写真はない。私自身も言葉で説明されただけで、見たことがない。おそらくこういうものだろう、という想像はついているが、それをイラストレーターさんに伝えるのは難しい。伝言ゲームはえてして、ヤバイ結果を迎えてしまうのだ。気をつけなければ。

 現存するいろんな装備の画像をメールで送り、「××の装備の○○の点が似ている」「△△装備のように、□□である」などと説明する。

 あるいは、「こういう状況で使うものだ」ということを、これまたその状況を表したような画像をいろんなところから探し出して送り、説明する。山の上の話、岩壁のなかのクライミング中の状況を第三者に伝えるのは大変だ。
 見当違いな内容のイラストになったら困る。これは編集者の責任として、理解してもらえるまで、説明を繰り返す。

 下記の画像は、なつかしのフィーレ。これも、今回のイラスト説明で必要だったのでデジカメで撮影し、イラストレーターさんに送った。山道具を収納してある部屋中をひっくり返して、やっと発見。
 そういえば、亡き晴介兄貴は、フィーレが大好きでいつまでもフィーレをはいていたなあ。
 4月はちょっぴり悲しくて寂しい月。私が心から大好きだった山の先輩、酒井さん、それに晴介さんの命日が近づいてきた。何年経っても、あの日のことを鮮明に思い出す。
050406

2005年4月 5日 (火)

脱稿しても、気が晴れず

 長引かせてしまった『Packers』(写真)の原稿をようやく脱稿。それでも気が晴れないのは、次の悩ましい原稿締め切りが迫っているからだろうか。自分自身の心の問題とはいえ、脱稿したときの開放感を味わえないのは、ひどすぎる……。

 午後から岳人6月号の準備。

 夜は大学山岳部の若手OBで集まる。わがOB会は今年度から役員が一新され若返るために、その組織作りの話。
 本来、登山は至極個人的なもので、極論を言えば組織など不要だと私個人は思っている。しかし、部活動のOB会となると事情が少し異なってくる。私自身も大学生のとき先輩やOBの方々に助けられて大きくなったわけだ。そういうつながりがあり、OB会に対する思いは個々それぞれだが、その最大公約数的なところで、OB会を運営していけばよいのではないかと思っている。
 カタイ話のあとに、飲み屋へ。ついつい深酒。
050405

2005年4月 4日 (月)

花冷え

肌寒い一日。

 朝早くおきて原稿書き。
 午後から印刷所へ行って出張校正。
 帰ってきて、また原稿書き。
 原稿を書くことが私の仕事だけれど、ちょっとへばってきた。
050404

2005年4月 3日 (日)

北京→上海→横浜

上海在住の張さんが出張で日本にやってきた。ことしは毎月のように日本出張があるという。
 朝、横浜で待ち合わせる。張さんは今回、私の原稿料を持ってきてくれているのだ。
 昨年、2回ほど中国の山岳雑誌に執筆したが、その原稿料(1回分だけ)を編集部から預かってきてくれた。それまでも外国人が書いたことはあっただろうに、海外送金ができないと編集部が言い出したからだ。編集部は北京にあるのだが、今年初めて上海でISPOが開催され、それにやってきた編集部員が上海在住の張さんに預けた、というわけだ。
 中国元で届いたが、現在、日本国内で中国元を両替できるのは成田空港のみ。成田まで行っていたら往復の高速代もかさむので、このまま元でもっておこう。今年もまた行くだろうし。

 朝食を共にしながら話しこむ。いつもながら、張さんの豊富な人生経験に裏付けられた、寛大であり冷静である視線には頭が下がる。
 張さんにはひとつやりたいことがあって、それは実は私も実現させたいプロジェクトである。お互いに協力してやりたいね、と話は盛り上がった。といっても、実現にはかなり難しい問題が山積み。「これは未踏峰を登るようなものだね」と私が言うと、張さんはぷっっと吹き出して、「まだBC適地も見つけられずにアプローチ中」と。

 午後から原稿書き。桜の笑むころおい、そろそろ脱出したいなあ。

2005年4月 2日 (土)

原稿書きは続く……

『Packers』とヤマケイの単行本の原稿書き。それに岳人6月号の準備を平行して行なう。複数の仕事を平行するのは決して得意ではないのだが、最近はこういうことが多い。締め切りが近づいてくると、平行状態を解除して、優先順位を決めて絞り込んでいくという方法を取っている。

 1日1ページの分厚い1年間分のダイアリーが机の上にあって、それに毎日やるべきことをリストアップしては消しこんでいく。しかし予定通りに運ばないことも多く、翌日に持ち越されることはしょっちゅうだ。
 このほかに掲載誌や出版社別の表があって、ここにやるべき仕事を書き出しておく。そして机脇のカレンダーには、締め切り日を赤字で記入!
 これによって、やらねばならないことを忘れないようにするのだ。こうでもしなければ、物忘れの激しい私は、仕事をすっぽかしてしまいそう。

 ところで、普段は日経朝刊しか我が家にはないが、今日は私が記事を書いたことによって夕刊も手元にある。一通り読んでみたが、夕刊もオモシロイ。1面に載っていた後藤正治のエッセイがよかった(「よかった」などという分際ではないのだが、ここは読者としてナンとでも言わせてもらおう)。
 私の大好きな作家カズオ・イシグロの著作『日の名残』について書いてあった。この本のテーマ”品格”についてだ。

 後藤正治は”品格”などというものは、昨今の日本に失われているのではないかと嘆くようなことを書いていたが、私自身も最近、ある大学生と話をしていて、本当に情けないやら寂しい気持ちになった。
 しかしまあ、そんなことばかりでもない。反対に、心が洗われるような出会いもある。なかでもその出会いが若い人との場合も多く、本当に清清しい気分にさせてもらい、私ももっとしっかりしよう、という気持ちになるのだ。
 誠実であること、他者への思いやりを忘れないこと、人としてとても大切なことを、私自身も見失わないようにしたいと思った。

 そう、清清しい気分といえば、今日はひとつ心が晴れ晴れとすることがあった。前職のときに机を並べて仕事をしていたマサコちゃんから小包が届いたのだ。
 彼女が私と一緒に働いていた当時買ったザックとザックカバー、それにシュラフカバーを、「当分使う機会がないから」と送ってきてくれたのだ。モノを大切にしない人って世の中にいっぱいいる。でも、マサコちゃんは丁寧に装備を使って、自分が使わないのならば、私の後輩たちが使うのではないかとの心遣いをしてくれたのだ。このことで数日前に連絡があったときから、なんだか私は清清しい気持ちだった。マサコちゃんの装備は、新入部員が入ったら部室に持っていくつもりだが、いまどきの学生たちにもマサコちゃんの心遣いが伝わるように、願っている。

 ところで、彼女とは(社)日本ユネスコ協会連盟で一緒だった。ふたりで機関誌を作っていた。ちょっとだけ(?)私のほうが歳をくっていて先輩面をしていたが、彼女の文章に対するセンスにはいつも学ばせてもらっていた。とくに、私には自分でも気づいている悪い癖があって、それを彼女はいつもこっそりとなおしてくれていた。そのことは今も自覚していて、この悪い癖が出るたびに、私は自分で訂正しては、マサコちゃんの顔や声や彼女の筆跡を思い出すのだ。

*写真は昨秋訪れたジョシュア・ツリー国立公園(US)のクライミングエリア。いま外国の山旅の原稿を書いていて、ついつい思い出した地。近いうちに再訪したい。

050402

2005年4月 1日 (金)

原稿書きと校正

引き続き原稿書き。
 それと、岳人6月号の準備に校正が2本。
 これが今日の仕事だ。
 校正は、『山と溪谷』5月号が2ページ分のほか、明日の日経新聞夕刊の記事だ。
 新聞に記事を書くのは久しぶりだが、今回は執筆者のところに来た校正だけで3回。
 ゲラには、校正者の職人的仕事のあとがあり、勉強になった。校正という仕事は、つくづく、職人的仕事だと思う。

 夜は、母校大学山岳部のことで外出。前任の監督に会う。



★お知らせ★

4月2日日経新聞夕刊「ふるさと山紀行」に、
故郷房総にある富山(とみさん)という山にまつわる思い出を書きました。
よかったら、ご覧ください。

ふもとの里に咲く水仙や菜の花は、今シーズンは極端に開花が早く昨年末から咲き始めてしまったそうです(例年であれば1~3月)。
残念ながら花の楽しみは終わりましたが、海の展望や里見八犬伝の言い伝えがある籠穴を見学する楽しみがあります。

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