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2005年3月

2005年3月31日 (木)

coolなトークショー・近藤謙司さん

 『Packers』の原稿書き。

 その合間に、岳人6月号の装備ページの件で、何人かの方々に電話する。古い装備について調べているが、とても書物だけでは調べきれないこともでてきた。この業界に長い大先輩たちに電話してみると、本当に親切に教えてくださった。
 道具の歴史は、登山の歴史や登山を取り巻く社会(装備の製造や販売、山岳雑誌・書籍などのジャーナリズム)の歴史などにも深く関わっている。大先輩たちから、そういった登山を取り巻くいろんな話を教えていただけることは、本当に感謝すべきことだ。

 夜、山岳ガイドの近藤謙司さんのトークショーに行く。
 謙司さんは、世界各国の山々から日本の山までたくさんの登山者をガイドしていて、その内容は、ヨーロッパアルプスの鋭鋒をクライミングすることも、世界中のパウダーを滑ることも、6000~8000m峰のエクスペディションも、日本のいろんないろんな山も全部含まれている。
 昨年、日本で初めてのチョモランマ公募隊を作り、登頂へ導いた。
 
 今晩もたくさんのフィルムを見せてくれ、そのいずれもがとってもカッコよくて、クールで、山を心から楽しんでいて、とってもハッピーな顔をしていた。来場者には若い人たちも多かったが、みんなが憧れたと思う。
 でも、彼はこんなに明るくクールなことをしている裏側で、絶対に人の何十倍ものものすごい努力をしているはずだ。

 これは、一昨年の『山と溪谷』に掲載したインタビューに書いたことだから、ここにも書いてもよいと思うが――。
 2002年秋に、チョ・オユーのその年のファーストアッセントを手中にした謙司さんとファイナルキャンプで会った。アドベンチャー・ガイズ公募隊の顧客たちと一緒だ。私は翌日アタックする予定でファイナルキャンプに入ったばかりだった。
 しかし、謙司さんにはとても話しかけられなかった。ABCではお隣さんとして1ヶ月近くを過ごしていたが、いつもの明るくて穏やかな謙司さんではなかったからだ。いつもどおり顧客に笑いかけながらも、険しい表情をのぞかせていた。

 山岳ガイドという仕事がどれだけ過酷なものなのか、私はそのとき思い知った。普通の人が自分の命を守るのも精一杯な状況下で、顧客をガイドしているのだから。

 しかし、そんな裏の努力や苦労を話したら、当のガイドの方々には怒られちゃうかもしれない。だって、山岳ガイドの仕事は、顧客の安全を確保することとそれともうひとつ、顧客が山に登って大いに楽しめるような環境を作ることなんだから。
 でも、きっと顧客の方々は、一緒に山に登る過程で、登山にはときにはものすごく退屈になるほどの途方もない努力が必要だということも、あるいはときにはものすごいがんばりをみせなければならないってことも、おのずと知ってくるのではないか、と思った。
 そして、楽しさや喜びや充溢感を味わうのかもしれない。

 今日のトークショーで、改めて、近藤謙司さんは本当にプロフェッショナルな山岳ガイドなんだ、とその仕事の内容や築き上げてきたものを尊敬した。

2005年3月30日 (水)

地味な1日

 外は晴れていたらしい。
 夫は休日だが、仕事に追われている私は到底一緒に遊べるような状態ではない。最近、そんなとき夫はだいたいサーフィンに行く。クライミングと違ってサーフィンならばひとりでもできるからだ。
 今日の鵠沼の波はそこそこだけれど空いていてよかったようだ。何よりも暖かかったらしい。外に1回も出なかった私にはよくわからない。

 原稿書きの1日。
 途中、岳人6月号の企画のために、数件電話をして協力をお願いする。もう6月号の準備だ。今年1年間、岳人の装備ページを担当しているが、やっと折り返し地点に来た。毎月6ページをひねり出すのは結構大変だ。他の方々は偉大だなあと思っている。

 夜、前職の同僚マサコちゃんからFAXが届く。久しぶりに見る彼女の手書き文字にうれしくなった。明日電話してみよっと。

 サーフィンから戻った夫は、テレビの前に「埼玉スタジアムを作る」といって、ビールと買ってきた寿司を並べて、バーレン戦に釘付け。最近サッカーにさして夢中にならない私は、一緒に食事だけして仕事机に戻る。
 今日はもう少し仕事をしてから寝よう。

★掲示板にも書きましたが、このページをご覧の方々にお願いがあります。
ビバーク用品・通称「おばQ」についてご存知の方、ご一報いただけませんでしょうか。おばQの製造元を探しております。

2005年3月29日 (火)

もう歩いていても会えない

朝から自宅で原稿書き。

 昼前に外出して恵比寿駅前にあるモンベルクラブ恵比寿店へ。キーンが店頭に並んだというので見にいった。一昨年アメリカで大ブレイクしたアウトドア用の靴だ。サンダルというより靴に近いコンセプトだと思う。
 私が買ったのはナイロンと防水性のある皮革を使ったかかと付きのもの(Newport H2・写真)。川遊び+旅行で使う予定。かなりのフィット感。
 キーンの特徴は、つま先部分にしっかりとしたガードがあること。これならばフィールドでも安心して履ける。このメーカーの社長は、アウトドア用のサンダルを履いているときにつま先を大怪我したことがあり、それで前述のようなつま先のデザインになったのだ、と夫が商売トークしていた。

 その後、モンベル東京営業所のWさんのところへ。イベントの打ち合わせ。
 
 帰りがけ、携帯電話にチョモランマBCにいる友人のフォンフォンから電話が入った。彼は日中女子隊の通訳として働いている。チョモランマの仕事中も他の仕事の連絡に対応しなければならないから衛星電話を持っていったそうだが、気の毒でならない。山に行ったときぐらい、日常から解放されて、山に集中したほうがずっと幸せなのなのに。
 
 しかし、フォンフォンのおかげもあって、同じBCにいる知り合いのシェルパとも話すことができた。ありがたや~。ヌルブは私と同い年だが、今年はサーダーを務めているという。「くれぐれも、気をつけて登ってね」と言った。本当に、仕事で登る彼らにはそれしか言えない。

 私が初めてネパールに行ったのは1991年。その頃なんて、日本からの連絡手段はエアメールだけだった。それも届くんだか届かないんだか、よくわからない。
 その後、ナムチェにも電話が通じるようになり、今ではe-mailアドレスをもっているシェルパも多い。ヌルブもチョモランマ出発前に、メールをくれたばかりだった。
 そう、この現実には通信手段が発達したということと、識字率が向上したというふたつのことが含まれている。
 まさに隔世の感。
 
 しかし、メールはもちろんのこと電話連絡もできなかった当時でも、不思議と友人・知人のシェルパと連絡は取れたものだ。
 まだ大学生だった私が、メラ・ピーク登山を終えてルクラに戻った翌朝、テントの外から私の名前を呼ぶ声が聞こえた。テントを開けてみると、ルクラから2日間かけて歩く先にあるクンデに住むシェルパが立っていた。私たちは登山のあと、彼の家にお世話になる約束だったのだ。彼は、私たちの登山の進捗状況をどこからか聞きつけ、それにあわせてルクラまで迎えに来てくれたのだった。

 ほかに、こんなこともあった。
 あるとき、ドゥードゥコシ(川)沿いの道(エベレスト街道)を歩いていた。坂を上りきったところで顔を上げると、向こうからやってくるシェルパが笑顔で手を振っている。目を凝らすと知人のザンブーだった。「スミコのことは1時間前から見えていたよ」と言われた。目のよい彼らのことだから、あながち冗談ではないかもしれない。
 そういった再会が時々あった。
 それは、シェルパの住むクーンブ山域には車がなく、移動は徒歩だけの社会だからだと思う。何もかもが「歩く」というテンポで進んでいくのだ。それだけの世界だから、歩いていれば、また会える、そんな気がしている。

 しかし、今ではカトマンズに住むシェルパも多いし、最近の若いシェルパは常連顧客をスポンサーとして外国に住んでいる人も少なくない(これは、現代の若いシェルパにとってのサクセスストーリーかもしれない)。
 そうなると彼らの生活圏というのは、以前とは比較にならないほど拡大されたし、通信手段も増えた。もう、クーンブやロールワリンを歩いているだけでは、彼らに再会することはないのかもしれない。そう考えると、身勝手ながら少し寂しくなった。


 いよいよ睡眠を優先できなくなってきた。3月残りの3日間は必死で原稿を書き続けなければならない。

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2005年3月28日 (月)

現場主義

栃木県新高徳にある病院を訪ねた。上小牧先生をインタビューするためだ。ある書籍を作るために、これからしばらくいろんなお医者さんを訪ね歩くことになる。いずれも、登山をやっていらっしゃる方々だ。
 
 東武鉄道の特急「けごん」に乗って新高徳へ向かった。特急とは旅情をかきたてるもので、本当は駅弁食べながら読書をしたり車窓をぼーっと眺めたいところだけれど、最近は仕事に追われているため、車内でもずっと仕事をしていた。帰りもビールの1本ぐらい呑みたかったけれど、諦めた。
 しかし、電車のなかというような隔離された場所だと、仕事がはかどるからうれしい。いかに日ごろ、メールや電話などに振り回されているのか、実感できる。

 前回の船木先生同様、上小牧先生も現場主義の方で、また忙しく重責をおった仕事をお持ちながらも、本当によく山に登っていらっしゃる。それは、一目お会いしたときにすぐにわかった。顔は雪焼けしていらっしゃるし、トレーニングを欠かさない体格をしていらっしゃったからだ。こういう方々に話を聞けるのは、楽しい。

 仕事の話のあとは、上小牧先生が登ったムスターグ・アタや地元のアイスクライミングや山スキーのことも聞かせていただいた。私が先日会津で大雪に閉じ込められたが、彼は日曜日に那須の山を滑っていたそうだ。それが、正解。

*写真は、大雪の会津でであった除雪車。そのプロフェッショナルな腕前はすごかった。2度ほどすれ違ったが、感謝の意をこめて手を振ると、笑顔で応えてくれた。

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2005年3月27日 (日)

静かな日曜日

岳人5月号の初校ゲラチェックと『Pakcers』の原稿書きで一日が過ぎる。
 静かな日曜日だった。

 ずっと前に入手したままだったBRUTUSの付録でついてきたDVDを見る。「BUCE BROWN SURF MOVIE COLLECTION DIGEST」「STEP INTO LIQUID」が入っている。
 前者は、サーファーにとって永遠の憧れともいえる名作「Endress Summer」を作ったB.Brownが、Endress Summer以前の作品を紹介したもの。まだ素人的な作品や、内輪だけで撮ったものもある。それらを地元で本人による解説つきで上映していたそうだ。
 いま、日本でも滑り系のいろんなフィルムが出ている。私の友人・知人でも撮っている人たちがいるが、Brownのフィルムを見ていて、彼らのことを思い出した。
 撮りたい、滑りたい、乗りたい、表現したい、その一心で撮っている気持ちが伝わってきた。

*写真は、一昨日の会津駒ケ岳の登山口付近。スキーでひざ下ラッセルだった。季節はずれの雪がしんしんと降り、空はどんより。

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2005年3月26日 (土)

雪雪雪のなかで雪崩レスキュートレーニング

雪は一向にやまない。一晩での積雪は50センチ以上あったかもしれない。クルマを掘り出すだけで一苦労だった。
 山に向かうことは諦め、スキー場近くでビーコンとプローブとスコップを使った雪崩レスキューの練習。
 
 練習後、湯の花温泉に立ち寄る。湯煙で見えないが写真右上には温泉神社がある。積雪のため今回は遠くから参拝したのみ。
 浴室に入ると、地元のおばあちゃんが、ちょうど帰るところだった。浴槽が熱い状態になっていることを教えてくれた。
 湯の花の泉質はやわらかく、体が芯から温まる。

 湯の花温泉は、地元の方々のおかげでいつも清潔で使いやすい状態になっている。本来、地元の人たちのための温泉を、私たち外来者にも気持ちよく使わせてくれている。
 昨日お世話になった高畑スキー場も、地元や近郊のコアのあスキーヤーが集まるゲレンデだ。毎週通ってくる人もいるはずだ。私も毎週のように行っていた頃は、顔見知りもできていた。私たち登山者は、このように地元にお邪魔して、山を登らせてもらうことが多く、地元の方々からたくさんの好意を受け取ることが多い。

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2005年3月25日 (金)

大雪の会津・桧枝岐で雪穴掘り

久しぶりの桧枝岐へ。
 ある時期のシーズン中(冬)は、毎週のように通って、山を滑るか、天気が悪い場合は高畑スキー場で滑って、桧枝岐の蕎麦を食べて、金紋会津を呑んで、湯の花温泉につかる、というような週末を過ごしていた。

 今回は、母校大学山岳部の3人+現在部のコーチをつとめている夫と一緒に、雪洞山行を目的で行った。しかし、今回の冬型は予想以上に強かった。東北道を走っているうちにすでに小雪が舞い、西那須野塩原ICを降りるころには、春の湿った雪が降っていた。そのため、桧枝岐までのドライビングはかなり過酷なものだった。
 山王峠の手前からは運転を夫に変わってもらったのだが、ブリザード。視界1メートル足らずになることも何度もあり、本当に大変だった。

 今回、学生はビーコンを買って、初めて使うことになった。まずはスキー場のレストルームでビーコンの基礎について話す。
 その後、一応予定通り、会津駒ケ岳の登山口まで行き(ここまでのドライビングもこれまた過酷)、1時間ほど登る。彼らはスノーシュー。われわれはもちろんテレマークスキー。1泊2日の予定を使っても登頂は難しいし、雪洞を掘れるところまで登ることも難しいが、ラッセル経験や強い雪が降りつけるなかでの行動経験も少ないというので、少しでも行動してみるのはよいかもしれない。
 1時間ほど登ったところで、ピットを掘って、積雪の観察やコンプレッションテストの説明。その後、雪洞を掘ってみる。宿泊するに十分なものは掘れなかったが、学生たちにとっては、掘り方、手順を知ったので、少しはよい経験になっただろうか。

積雪の観察やコンプレッションテストからわかったことは、今回の新雪が30センチ以上あったこと。その下はしもざらめ雪だと思われるが、意外と結合力は高い。降り始めが雪ではなく雨だったのかもしれない。

 下山後は、お気に入りの木賊温泉や湯の花温泉までドライブする気にもなれず、小豆温泉に入る。


*写真は、雪洞を掘っているところ。掘り方は色々あるが、今回は、このような縦穴を二つ掘って、それをつなげて長屋のようにした。穴の中にもひとりいて、内部を拡大している。

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2005年3月24日 (木)

原稿書き3日目、早くも集中力切れる

残念ながら昨日のように原稿書きがはかどらない。
 入稿した画像データが印刷所で開かなかったから再送しなければならないとか、その他いろんな細かい仕事に追われていた。

 ところでイラン戦を控えた日本のサッカーチームの練習風景がテレビに映るが、後ろに見える4000メートル級とおぼしき山々は、ヒンドゥークシュの端っこのほうだろうか。その筋の方々が見れば、一発で山名がわかるのだろう。

 登山の話題ついでにもうひとつ。日ごろ山でみんなが何を食べているのか気になるところ。よく一緒に行く仲間たちは、私とさして変わらないが、他の方々はどうしているのだろう。他人のテントをのぞきにいきたくなる。
 私の場合は、夕食はマジックライスなどのα米と家から持っていった惣菜(大概夕食の残り)、もしくはレトルトもの。食器を汚さずに済ますところがポイントだ。朝食はスープとカレーパン。このカレーパンがなかなかよい。腹持ちがいいのだ。
 学生の頃と違って、仕事を持ちながら週末に山に行くとなると、準備にもあまり時間がかけられない。登攀具がある場合もあるので、なるべく手軽で重量が軽いものになってしまう。
 明日からの山には、夕食の残りの「鶏肉と根菜の四川風炒め」(写真)を持っていくことにしようっと。

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2005年3月23日 (水)

冴え返る

今日も冷たい雨が降る。
 家の前の桜の枝は、明らかに”気”のようなものを充たし始めていて力強くなってきた。この雨があけると冬型だというが、その先春の高気圧がやってくれば、桜も開花するだろうか。

 今日も早起き。1日中かけて原稿を2本書いた。

 ひとつは、『山と溪谷』5月号に掲載する岩崎元郎さんのインタビュー。書き上げて早速FAX。岩崎さんは、おそらく日本一多忙な登山家。今日しか彼本人をツカマエルことはできない。合間をぬって原稿をチェックしてくださった。
 いつも思うのは、忙しい人ほど、仕事をたくさんこなしている人ほど、仕事やレスポンスが早いということだ。見習いたい。

 もうひとつの原稿は、日経新聞の4月2日土曜日版朝刊に載る。30年近く前に登った故郷の山の思い出を書いた。遠い遠い昔のことを、はっきりと覚えているというのに、あんまりうまく書けなかった。
 この記事掲載のことは、久しぶりに、母に報告しよう。普段はどこにどんな原稿を書こうとめったに報告しないのだけれど、今回ばかりは。何しろ、この思い出の山に連れて行ってくれたのは、母の友人である、今は亡き竹内玉さんだったのだから。

 原稿書きの合間に雑用や細かい仕事も片付けたので、私としては上出来。
 明日もこの調子で原稿を書こう!

*写真は硫黄岳山頂から見た赤岳(中央)。大同心や阿弥陀岳も見える。3月21日撮影。

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2005年3月22日 (火)

雨模様

大阪日帰り出張という夫を駅まで送るために、5時起き。帰宅後、そのまま朝食をとって仕事にかかった。早起きはいいなあ。早寝早起きのパターンを維持したいところだ。

 登山道具の片づけをしなければいけないのだが、雨でシュラフやクライミングギアなどを外に干すことができない。ウエア類は昨晩洗濯して家中に干してあるので、とりあえず装備類も床に並べる。

 今日はマル一日、家で仕事。『山と溪谷』5月号のデザイン出しをしたり、ヤマケイやその他の原稿を書く。今週いっぱいはひたすら原稿書きの日々だ。

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2005年3月21日 (月)

八ヶ岳西面晴れ、風少々強し

明るくなり始めた頃にテントを出発。大同心稜を登って、小同心クラックの取り付きへ。先行パーティが3つ。風がビュンビュンと吹き付けるなか、順番待ち。実際に取り付いたのは8時半だった。
 いやはや、大変だった。マサオちゃんは以前にも登ったことがあるけれど、「こんなに難しかったけえ?」と言っていた。
 核心は3ピッチで短いし、スタンスもホールドもしっかりとあるのだが、壁がたっている……。ひぃい~。
 ビレイ地点にはペツルが2本ずつ打ってあった。数年前に山岳ガイドの方々が西面ルートのアンカー整備をしたというから、それだろう。マサオちゃんの大活躍で核心をリードしてもらった。私だったら泣いていたかもしれない。
 11時半、横岳山頂着。ゆっくりまどろんで、硫黄岳経由でゆっくり下山。テントをたたんで、通いなれた道をぺちゃくちゃおしゃべりしながら下山。オンナ同士の山登りは、このおしゃべりも楽しいのかもしれない。
 
 茅野駅に到着後、近所のそば屋へ。駅に戻ると、昨日のkさんチームと再会。天狗尾根を登ってきたという。

 帰宅すると、岳人の誌面デザインがFAXされていた。デザイナーさんには私なりに考えた3パータンのラフスケッチを送ってあったのだが、彼はあることを理由にそのひとつを選んでデザインしてくださった。なるほど、プロフェッショナルな仕事に深くうなづいた。深夜なので電話できずにFAXでお礼。

 写真は大同心沢出会い付近から見た大同心(左)と小同心。
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2005年3月20日 (日)

寝貯めの日

 朝7時のあずさに乗るべく、新宿駅へ。途中、ヤマケイの書籍編集者のKさんにばったり会う。彼らはヤツの東面に入るという。私はマサオちゃんと西面へ。
 赤岳鉱泉までの道のりをのんびり歩く。天気は晴れ。陽射しのやわらかさや風の匂い、川の流れや雪解けの様子などに春を感じる。
 赤岳鉱泉に作られている人工のアイスタワーを登っている山岳ガイドの棚橋清さん
にばったりお会いする。明日は中山尾根だそうだ。

 連休だけあってテンバは大賑わい。なかなか張るところが見つけられず、山小屋の前に張ることにした。
 行きなれた相手とのテント生活は快適。お互いが座る位置や寝る位置、荷物の位置も自然と決まっていて、いつもどおりそれぞれが好きなお茶や飲み物を作って一息おく。私は大好物の黒芝麻糊を食べる。中国のお菓子だ。ゴマがたっぷり入った粉末にお湯を入れてとく。昨夏の四川クライミングのときにスーパーで見つけた。私たちは「ごまツァンパ」と呼んでいたのだが、ビバーク中は、これ2袋がメンバー3人の朝食だった。
 夕方、外で「カシワさぁん」と叫ぶ声がした。登山家であり、ある大きな会社の営業部長というバリバリのサラリーマンでもある松田宏也さんだ。ふたりで、松田さんの部屋に遊びに行く。
 会社の同僚やその友だちなど8人のパーティ。昨日は黒百合ヒュッテに泊まり、今日は天狗岳を越えてきたという。冬山初めての人たちもいるのだが、みなさん元気でとっても楽しそう。さすが、松田さんのお友だち。人生を楽しむことにかけては天下一品なのだろう。昨日は、ヒュッテの近くで歩行などの雪上技術を練習して、今日が本番だったのだ。おいしいワインに八海山に、チーズをいただく。
 山小屋の夕食の時間が来たので、名残惜しいけれど、暖かい山小屋から寒々としたテントへ戻る。マッチ売りの少女の気分だ。
 
 それから、ふたりの恒例のアロマタイム(それぞれが好きなアロマオイルで、足などをマッサージして疲れを翌日に残さないようにする)を経て、就寝。私は連日締め切りで超睡眠不足の日々が続いていたし、宵っ張りのマサオちゃんも寝不足らしい。「山に来てうれしいのは、たくさん寝れること」というのが口癖の私たちは、寝貯めのために、早々にシュラフに入った。
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2005年3月19日 (土)

春の青空

マサオちゃんと夫と3人で5時半に家を出て成田空港へ。日・中友好チョモランマ女子合同医学登山隊2005が、今日北京経由で成都に入る。明日はラサに飛んで、なつかしのチベット人女性登山家たちと再会だ。
 表現するのが難しく誤解されやすいことだが、私は自分自身の理由でこの隊への参加を取りやめた。リーダーのしぃさんには2002年のチョ・オユーのときにものすごくお世話になった。彼女にリーダーシップというものを勉強させてもらったと思っている。しぃさんの親友である文江さんとは、GWに一緒に剣を登って本当に楽しかったので、また一緒に登りたいと思っている。チョ・オユーの頂上を共にしたチベットメンバーの面々とも、また会えたら本当に楽しかっただろう。
 でも、山登りはとても個人的なもので、個々には、それぞれのスタイルや、その時々にやりたいことがある。ものすごくわがままな決断だったかもしれないが、私は少しずつでも自分の信じているスタイルを作っていきたいと思ったのだ。

 今日の東京は青空が広がっていた。どこまでもどこまでも晴れ渡っているようで気持ちがよかった。チョモランマへ向かう4人の出発を祝っているようだ。私自身も、彼女たちを見送ることができて、とても清清しい気分だった。

 ところで、彼女たちのチョモランマ登山の様子をブログで見ることができる。大好きな山仲間たちには、心から楽しい登山をしてきて欲しいと思っているので、私も日々チェックするつもり。

 午後からは、凍傷と低体温症について船木上総先生にインタビュー。
 とかく話が難しくなりがちなテーマについて、とてもわかりやすく、かつ登山者にとって実際的なことを話してくださっておもしろかった。猛省していることだが低体温症になったことのある私は、そのときの様子を話すと、それは「中程度」のものだったという。
 夜もまた仕事。今日も明け方まで仕事をしなければいけない。今月こそ、どんなに仕事量が増えようとも運動と睡眠の時間だけは確保するつもりだったのに、とうとう崩れ始めた。

*写真は成田空港出発ロビーにて

050319

2005年3月18日 (金)

ものを創ることと壊すこと

早起きして、近所の公園へ。ここは丘があったり、土にトレイルがあって、ジョギングには最適。さらには、遊具を使ってエイドクライミングのいろんなシステム(荷揚げとか)や、アブミの架けかえまでできちゃう。ふたつほど、本物の花崗岩を持ってきて作った遊具がある。2メートル程度の高さで、岩の部分はなかなか登れないように(はしごとすべり台がついていて、それで遊ぶ)、スタンスはつるつるに削ってあるのだが、マジトライのときは、クライミングシューズを持っていくとよいのだ。
 今日は、ここで岳人5月号用のザックテスト。先日湯河原幕岩でも行なったのだが、その続き。
 早起きして外でからだを動かすのは気持ちがよいなあ。
 
 その後、夕方まで自宅で仕事。

 夜は南青山にある広東料理の"棲雲記"で、作家の森田靖郎さんと友人のマサオちゃんと3人で食事。森田さんには、今月1日発売の別冊岳人『春山』に東北の源流釣りの話を書いていただいた。私はその縁で知り合うことができたのだ。マサオちゃんが森田さんと出会ったのは、10年以上前の地平線会議。森田さんは地平線会議の創立メンバーのひとりなのだ。

 森田さんは、70年代から中国のことをずっと書き続けている。中国国内のことや、NYや日本の中国社会のことだ。最近は、それらを題材とした小説も書いていて、ご自身的には小説に夢中のようだ。
 私から見ると、フィクションとノンフィクションを自在に行き来している方だ。

 たくさんの話のなかで一番印象に残ったのは、どんな仕事でも常に、何かを壊して新しいモノを作り出そうという試みをしている、ということだ。
 1本の原稿依頼がきて、書き出す。従来の方法で書くことは簡単だ。そのときに何かを破壊する。壊しっぱなしではない。壊すことによって、以前のことから解放されて、新しいモノを生み出すのだ。
 この努力こそが、現在の森田さんの作品を作り上げているのだろう。

 おいしい広東料理のあとは、さらにおいしいコーヒーをいただいて、お別れ。
 
 マサオちゃんは明日に備えて、我が家に泊まりに来た。明朝は5時起きだというのに、マサオちゃんの来訪に興奮気味の夫は、テレマーク談義を始めて、しまいにはすーさんの「ゆきむし」最新作(これ、最高!)のDVDまで見せてしまった。なんとか、テレマークへ引っ張り込もうという魂胆だろう。

 私は仕事。夜中仕事をしていると成都に住む好朋友のジユエからメッセンジャーへのお誘いがあり、ひとしきり話をする。ジユエは私のよき理解者であり、本当に彼に励まされることが多い。

*写真は、ザックテスト中の模様。ザックはシンプルが一番。自重が軽いし、どんなシーン(クライミング、テレマークスキー、縦走登山、旅など)にも応用できる汎用性があるから、と思っている私だが、このポケットがふたつついたロウアルパインのザックは、気に入ってしまった。普段だったら選ばないような選択なのだが、絶対旅行に便利! とテストしながら次なる旅のシーンまで思い描いていた。従来、アルパイン系のザックを作ることを専門としていたロウアルパインが、そのノウハウや質を維持しながら旅にも便利なザックを作ってくれたから、ワタシ的には、うれしくなったのかも(旅以外にも、縦走登山やトレッキングにも便利)。
ヴェガ45…女性用や小柄な方向けにに開発されたもの。

050318

2005年3月17日 (木)

よくないパターン上半身脱出

引き続き、原稿書きと編集の作業。締め切りが近づいているので、少しずつ的を絞って進めていく。
 途中、新しい仕事の電話が入り、ますます身動きが取れない状態に陥り始めた。

 2機種ほどザックのテストをしたいのだが、雨空なので明日に見送り。

 夕方予約してあった美容院をキャンセルしようかとも思ったものの、3ヶ月近く切っていない髪はボサボサ。このままではますますよくないパターンにはまると思い、代官山へ出かける。雨は上がっていた。南風が吹き始め生暖かい。もう春だなあ。こういう風のことを「凱風」というのだと、先日本で読んだ。「凱」は和らぐという意味で、南から吹き寄せる暖かく快い風のことだそうだ。

 髪もすっきりして、やっと「よくないパターン」から少しずつ脱出できたよう。
 帰宅する頃には、南風はますます強くなっていた。陸地でこれだけ吹いていれば、波はグチャグチャかな。

2005年3月16日 (水)

よくないパターン

今日と明日は伊豆半島あたりでSurf&Climbしようと思っていたのに、仕事がうまく運ばず、それどころではなくなってきた。明日もクライミングジムすらいけそうにない。よくないパターンにはまりだした。いくら仕事に追われているといえども、からだを動かさない日が続くのは、ダメ。ハッピーな気持ちでクライミングやサーフィンや旅行ができないなんて、絶対ダメ。

 今日は、一日中机に向かって、原稿書きと編集の作業。『Packers』の私の原稿に高山植物の写真を友人が提供してくれることになった。彼がひとつひとつの花の名前を調べてくれたが、なかなかわからないものもあって難しい。

 仕事の合間に、『山と溪谷』と『岳人』の4月号を読む。
 『山と溪谷』は、中央大学山岳部の方が書いた記事にひかれた。大学生という若さで強い意志とはっきりとした意識をもって登っていることが、スゴイ。こういう若くて意識の高いクライマーをもっともっと取り上げていくことが、私たちの役目なのだと、つくづく思う。
 『岳人』は、もちろん、30の質問。これは、今年の目玉。私なんて、最初に読むのはもちろんのこと、何度も何度も読み直す、コアな愛読者だ。今月号は坂下直枝さん。

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2005年3月15日 (火)

Life is short, Adventure is for lifetime

朝、夫が仕事に出かけたあと、タケサコとおしゃべり。10時過ぎには彼も埼玉県である用事のために出かけてった。「おじゃましました。ありがとうございます」「また来てね」。このシーンも今まで数え切れないぐらい繰り返されている。

 当たり前すぎてなんとも思っていなかったけれど、タケサコが帰ったあと、なんと感謝すべき時間だったのかと思った。お互いに好きな人生を送って、時々ケガや病気もして心配もかけてしまう。今回のタケサコの手術は大きなものだったけれど、私はなぜだか、絶対に成功すると思っていたし、まだリハビリ途上の彼であるけれど、この先必ず元気になってまた一緒に山に登れることを、なんの疑いもなく思っている(もちろん、ものすごく大変なことだってことも、私なりにわかっている)。
 理由や根拠はないけれど、それが仲間に対する信頼というものなのだと思う。
 
 しかし、誰の人生にも限りがあるわけだ。時間は二度と戻ってこない。私の好朋友であるフォンフォンの口癖は、「Life is short. Adventure for lifetime」。いつの日か私の人生が終わるとき、タケサコら山の仲間たちと過ごした時間が、本当に輝かしく大切なときだったことをつくづく実感し、感謝の気持ちで振り返るのだろう。


 夜まで、自宅で仕事。5月に創刊予定の『Packers』と『岳人』5月号の原稿書きだ。
 
 夫は同僚と呑んでくるというので、私は、昼も夜も昨日の残りのカレー。1日おいたカレーっておいしいんだよなあ。その上、無類のカレー好きの私は3食カレーでも飽きない。極上の幸せ。


★★お知らせ★★
本日発売の下記の雑誌に記事が掲載されます。ぜひ、ご一読を。偶然にも女性に関する記事ばかりになったけれど、男性が読んでも楽しめるように作ったつもりです。

*『山と溪谷』4月号
本邦初の女性による女性のためのテレマークキャンプ SnowDivaTelemark誕生(News P9)
「女性クライマーはこうしています」 (Q&A P129-131)
女性のための山岳ガイド・登山スクール、山岳会 (Date&Guide P136-137)
「オンナの登山人生」楽しいことばかり (座談会 P138-141)

*『岳人』4月号
岳人の山道具百科-女性が使いやすい装備・女性が使いたい装備(P123-128)

写真は、ヤマケイに掲載したSnowDivaTelemarkの面々。「Divaとは、でかく出たねえ」とはわが悪友カズヘイの言葉。いいだろっ!

050315

2005年3月14日 (月)

遠方より朋来る

夕方まで仕事をしたあと、帯広からやってくる友人を迎えに行く。

 タケサコが我が家にやってくるのは、昨年の5月以来だ。彼がK2へ行く前に、GWの休みを使って富士山でトレーニングをするために上京したのだ。富士山へ行く前日、ウチに泊まっていった。私は剣に行き、山頂では完全にホワイトアウトし、予定通り続行できずに悪天の早月尾根を下降したが、そのころタケサコたちは、富士山頂から強風・突風吹きすさぶなか、這いつくばるようにしてダブルアックスでクライムダウンしてきたという。話を聞いて、ゾッとした。

 10年ぐらい前、タケサコが私の卒業した大学山岳部に入ってきたころ、部員がほとんどいなかったために、私は頻繁にタケサコと一緒に登っていた。ウチにもしょっちゅう泊まりに来ていた。我が家の酒を一番多く呑んだのは、ヤツに違いない。

 昨夏、K2の頂を踏んで帰国。私はその頃、中国四川省のある谷で山を登っていた。悪天と実力不足で登れずに、自分に対する情けなさのあまり毎日、本当に涙が出そうだった。偶然村まで降りた日にタケサコの登頂を知り、心の底から励まされた。ものすごくうれしい出来事だった。
 
 彼はその後、大きな手術も経験して、今は少しだけおとなしくしている。電話では頻繁に、k2の話も最近の話もしていたが、会えば話も尽きない。もちろん将来の話も、盛り上がる。
 10年前から何もかも、ちっとも変わっていない。私が夕食を作り、酒を飲みながら夜遅くまで話をした。かなっぷが先に寝ちゃうのも、いつもの通り。そして、タケサコが皿洗いも風呂掃除もしてくれる(今回は近所の銭湯に行ったため風呂掃除がなくて、寂しかったかもしれない)。

 遠方より朋来るあり。亦楽しからずや。
 友人の来訪は、本当にありがたい。

050314

2005年3月13日 (日)

雪崩のためのセイフティー・キャンプ

フィールド講習は、栂池高原スキー場のゲレンデトップから少しだけハイクアップしたひよどり峰の西側で行なわれた。
 最初は、ピットを掘って、雪の層の観察。それからコンプレッションテストなど。
 その後、パウダーを滑って!場所移動。フィールドでのビーコン、プローブ、シャベルを使った捜索の練習。
 
 雪崩のリスクを軽減するというのは、雪の状態、積雪状況、地形、気象などを観察し、ひとつひとつの情報を積み重ねていくことなんだ。

 そして、いつも感じることは、滑ることから雪山に入っていく人たち(スキーヤー・スノーボーダー)たちの、雪崩への意識の高さだ。フィールドに出る限り、「絶対に雪崩に遭わない」なんていうことは、あり得ない。
 岩壁の登る限り落石のリスクがあり、氷河のある高峰を登る限り、クレバスのリスクがあるのと同じように、雪山に入る限り雪崩のリスクを消すことはできない。
 雪山を滑るということは、雪崩というリスクと積極的に関わっていかなければならない。
 だから真剣だ。

050313

2005年3月12日 (土)

白馬の宿

2月に参加した、日本雪崩ネットワークのセイフティキャンプ(水上)。高熱にぶっ倒れて、土曜日の講習を受けただけで、沈没した。日曜日のカリキュラムは実際にフィールドに出て行なうものだったので、ぜひとも参加したかった。
 無理を言って、再履修を機会を与えていただき、日曜日だけ参加できることになり、白馬へ向かった。

 ひとつ用事を済ませたあとに、土曜日から参加している友人と合流して、温泉と夕飯へ。
 そのあと、ヒロスケ邸へ向かった。ヒロスケが冬の間白馬の麓に家を借りて、友人と一緒に住み始めたのは、多分4年ぐらい前。スノーボードやスキーに乗ってガイドをしながら、後立山周辺を滑っている。
 このヒロスケたちの家には、いつも滑りヤの人たちが集まっている。
 この週末も、ヒロスケと私たち以外に、5人のソウルフルなスノーボーダー&スキーヤーがいた。純粋に滑ることが好きな、気持ちのよい人たちだった。
 
 駐車場にクルマを泊めたあと、雪深いところを降りていくと家がある。ヒロスケが先導してくれて、玄関前で、「ここがヒラリー・ステップですので気をつけてください」と。う~ん、滑って転びそうなところだ。今春のチョモランマ行きを取りやめたというのに、こんなところでヒラリー・ステップにお目にかかるとは……。滑ってなるものか。
 家に入ると、コタツにみんなが足を突っ込んでスキーの話をしている。
 ヒロスケは、”施設の説明”と言って、トイレの位置や台所の使い方などを教えてくれた。「外国のユースホステルの汚い版だと思ってくれればいいですから」。なるほど。それならば簡単。私たちだって、手馴れたもんだ(”汚い版”は余計だけれど)。

 ヒロスケから時折聞いてた、快心の滑り、エキサイティングな滑りが、さらにはユッコチの映像作品が、この家の、この空間から生まれたのだと思うと、ちょっと感動した。

*写真は、夕食を食べたレストランにあった1985年製バートンのスノーボード。エッジがなくサーフィンのよう。ここのオーナーは時々、深雪で乗っているそうだ。

050312

2005年3月11日 (金)

自宅仕事

今日はうって変わって、一日中自宅で仕事。
 今月も切羽詰った状態で仕事を進めている。
 但し、先月と違う点は、しっかり寝て、しっかり運動することを心がけていることだ。先月のようなひどい風邪や先週のような湿疹には、もう悩まされたくない。

 こういう日は、ちょっとでも外に出る用事があると、気が晴れる。
 近所の写真屋と酒屋に行った。写真屋には友人に渡すために焼き増しを。酒屋には、明日泊めてもらう友人宅への差し入れビールを買いに行った。

 我が家の周りには桜並木が多いのだが、桜が咲く少し前になると、並木を遠くから見ると、木全体がほんのりピンク色に染まりだす。まるで、枝の先っちょまで血が通いだしたかのようだ。こんなことを感じるのは私だけだろうか。
 例年であればもう少しあとに、やってくるこの現象なのだが、今日観察したところ、すでにその気配アリ。昨日一昨日の陽気のためだろうか。今日の雨も心なしか温かい。
 明日からまた寒気がやってくるという。白馬はどうなることやら。

*写真は一昨日に撮った湯河原幕岩の梅。

050311

2005年3月10日 (木)

きらきら春の海

昨日に引き続き初夏のような陽気。
 海の水はまだ冷たいかもしれないとブーツも履いて出て行ったが、すぐに海水もぬるんできた。今日の多々戸はひざもも。私のとってはありがたい環境だ。最近サーフィンへのモチベーションが下がっていたが、今日は俄然やる気がでてきて、がんばっちゃった。何度か波をうまくキャッチできてうれしい。立っている時間がものすごく短い(回数がものすごく少ない)のが、悲しいのだが。

 夫にとっては”しょぼい波”だったが、それでも波に乗ることは楽しいらしく、いろんな波をキャッチしようとパドリングしている。とっても楽しそうだ。なんて幸せなヤツなんだろう、と思う。
 そう、気持ちよく波に乗れればそれでいいのだ。1枚のサーフボードに乗って海へと漕ぎ出し、波に乗る、それが幸せなんだ。サーフィンってそういうものなんだと思う。ものすごくシンプルなこと。
 スキーは滑ることだけを考える。クライミングは登ることが一番大切。そういうシンプルな行為なのだ。その周りにくっついてくる余計なことは極力取り除いていきたい。

 波待ちをしながら沖を眺めていると、水面がキラキラと輝き、陳腐な表現だけれど、どんな宝石よりもずっときれいだった。岸のほうに目をやると、深い青緑色をした海面がゆらゆらとゆれていた。
 私は、春の海が本当に大好きだ。

050310

*写真=海から上がったら半袖! なんて開放的で気持ちがよいのだろう!

2005年3月 9日 (水)

フィールドテストとクライミング

岳人5月号のフィールドテストのために湯河原幕山へ。
 都心の渋滞を避けようと、鎌倉や鵠沼を通って伊豆半島へ向かう。今日は西風が吹いてうねりが入っているため波が立っている。七里ガ浜も鵠沼もたくさんのサーファーが海に出ていた。
 途中、パタゴニア日本支社のモリケンさんから仕事の電話が入る。これから昼休みなので1本乗りにいくそうだ。なんてステキな日常なのでしょう!
 鵠沼や茅ヶ崎を通過しているときも、友人たちの顔思い浮かべて、今日彼らはなんとか仕事をやりくりして海にでているんじゃないかなあと想像した(その一番手だと思っていたハリーから、翌日連絡が入り、福岡出張中だったそうだ……)。

 幕山は梅が満開。駐車場は満杯だし、出店がたくさん出ていて観光客で大賑わいだった。
 今日のテストでは、7台のザックを背負って幕山を歩き、背負い心地や使い勝手をチェックする。それぞれによい点や特徴があるが、どうしてもテスターである私の主観が強く出てしまう。その上、私の場合ちょっと偏った主観かもしれない。読者に幅広く役に立つように、少し考えてから記事を書かなくては。
 ザックに対する私の主観というのは、シンプルであればあるほどよい、ということ。それは、重量に神経質にならなければならないクライマーやヒマラヤニストだけでなく、トレッカーにとってもシンプルなザックが最終的には一番よい、というものだ。しかし、この考えは、現在の市場とは大きくかけ離れているだろうなあ。

 テスト後、せっかくなので、てんとう虫ロックで2本登る。久々の外岩で体がガチガチ。もっと日常的に、登れて滑れて乗れるような生活を確立させたい!

 夕方伊東温泉へ。この1週間原因不明の湿疹が全身に出ていて、最悪だった。医者はストレスかもしれないと言っていたが、東京を離れたとたんに見事湿疹が消えた。伊東の熱い湯に入ってもかゆみはない。オソロシイ、本当にストレスだったのだろうか。
 その後、下田へ向かって、でっかいエビとアナゴがのった天丼を食べて就寝。

 写真は赤と白とピンクの梅に染まる幕山。

050309

2005年3月 8日 (火)

春の陽気

朝からデスクワーク。雑用やら原稿の準備やら、いろんな方々との連絡やら。
 昼過ぎに、近くのコンビニへコピーをしに行く。家の周りには桜並木がたくさんあるのだが、心なしか例年よりもつぼみが大きい気がする。確実に膨らんできている。

 夕方からモンベルクラブ渋谷店へ、仕事の打ち合わせ。
 渋谷という街は、どうにも好きになれない。行き帰りとも寄り道せずに、一刻も早く、渋谷の街を脱出しようと早足で歩いた。

 帰宅後に、友人から借用中の写真を整理。貴重な高山植物が写っているものだ。
 明日から取材を兼ねて出かけなければならないので、今日は夜遅くまで仕事。

2005年3月 7日 (月)

思いがけない再会

夕方まで自宅で、雑誌誌面を編集する仕事。
 いただいた、大切な原稿と写真を並べて、誌面を描いていく。なんとも楽しい作業だ。

 夜から、新宿で行なわれた、日・中友好チョモランマ女子合同医学登山隊2005の壮行会へ。盛大な会だった。隊員のみなさんたちは、昨日までのパッキングでお疲れのはずだが、そんな様子も見せずに元気。
 日ごろお世話になっていながらご無沙汰していた方々にごあいさつ。
 一番うれしかった再会は、桐生山岳会の会長である樋口さんにお会いできたこと。
 
 桐生山岳会は、今回のチョモランマチームで登攀隊長をつとめる文江さんの所属する会だ。昨年のGWに私は、この桐生山岳会の方々+しぃさん(チョモランマチーム隊長)+まさおちゃんの総勢7人で、剣を巡る本当に気持ちのよい登山をしたのだった。
 そのとき、お見えになったのが樋口さん。若い頃から数え切れないほど剣に通いこんでいて、現在は60歳を過ぎるお年。
 白萩川→小窓→小窓雪渓→三の窓雪渓→八ツ峰Ⅴ・Ⅵのコル→長次郎雪渓→源治郎尾根Ⅱ峰・本峰のコル→平蔵谷→平蔵のコル→武蔵のコル→東大谷→中尾根→早月尾根を予定していた。それが、悪天にあい、源治郎尾根から剣岳本峰に上がった。ホワイトアウトした山頂をあとにして早々に、早月尾根を下った。
 このなんとも渋いコースは、リーダーである秀樹さんが、山岳会に入った新人に剣の概念を知ってほしいと考えたものだった。
 剣は、日本で一番かっこよくて、一番でっかい山だと思っている私にとっても、実に実にうれしいコースで、悪天のために途中ルート変更があったものの、よい経験をさせてもらった。
 そのときの新人さんは、この夏、秀樹さんらと共にナンガパルバットへ向かうという。こうやって、社会人山岳会は代々若い人たちを育てているのかと、頭が下がる思いだった。
 樋口さんもしかり。雪上での一歩一歩の足取りや、余裕をもった行動のひとつひとつ、メンバーへの深い思いやりに、長く山を続けていらっしゃる強さを感じた。
 そんな樋口さんに再会できたことが、とってもうれしかった。

 写真は90余人も集まったパーティの様子。

050307

2005年3月 6日 (日)

チョモランマに向けてパッキング

3年前のチョ・オユーのときとってもお世話になったしぃさんたちが、今春チョモランマへ出発する。あのときの流れで、日中合同女性隊だ。

 今日は、梱包のお手伝い。大きな山、大きな隊になると、それなりに荷物も多い。といっても、最近は随分少なくなってきたが。
 昼過ぎにうかがうと、大勢の方々が集まっていた。総勢20名近いだろうか? みんな隊員の山仲間たちだ。
 プラパール(白いスチールの箱)に装備をいれ、箱に番号をマジックで書き、リストを作る。ガムテープとピーピーバンドと呼ばれる紐で封をして、最後に重さを計る(写真)。
 EMSで輸送するために、ひと箱あたり30キロまでだ。箱の重さを均一にしておくには、ほかにも理由がある。後々山のなかに入ってから、ヤク(高所牛)の背中に載せたり、ポーターたちに荷物を運んでもらう場合に、決まった重さでないと厄介なことになる。ヤクの背の左右の荷物の重さが違うと、ヤクも嫌がるし、ポーターに持ってもらう場合も、何キロまでとか、何キロにつきいくら、といったような取り決めがあるからだ。
 全てのパッキングを終えて、私たち助っ人が帰ったあと、隊員たちは通関のためのインボイスやパッキングリストを作ったり、まだまだ大変。

 帰り、まさおちゃんと一緒に東京オペラシティアートギャラリーで、「森山新宿荒木展」を観る。森山大道と荒木経惟が撮った新宿の街だ。
 森山大道ファンである私は、どうしても目が森山の作品にばかりいってしまう。それは、すごい迫力だった。圧倒的な存在感があって、写真の向こうに森山が眼光鋭く立っているような気がしたほどだ。
 会場を2周するころになると、アラーキーの写真も目に入ってくる。これもかなりのエネルギーを感じる。一体、アラーキーは新宿の世相を撮りながら、何を表現したかったのか、もう少しで私にもわかるような、まだわからないような、手が届きそうで届かない彼方にある写真だった。

050306

2005年3月 5日 (土)

約束事

昨日とうって変わって、東京には青空が広がった。
 今日も一日家で仕事。合間に電話インタビューが入る。
 
 途中、友人のハル姉から電話。昨日まで高熱が続いていたそうだ。日曜日のツアーガイドの仕事を手伝ってもらえないかという話。ものすごく困ってしまった。
 手伝いたいのは山々。彼女も私のフリーランスで仕事をしていると、自分のからだだけが頼りだ。その彼女が困っているのだから。先月私は高熱でも原稿を書き続けたけれど、それは机仕事だからできたこと。病み上がりでのガイディングはさぞかし辛いだろう。私が行けば、ラッセルとか荷物持ちとか多少は役に立つ。
 
 ところが、私には週末に仕上げなければならない仕事が山積みであることと、明日は先約がある。どっちが重要かと言われると(誰にも言われていないけれど)、とっても困ってしまう。どちらにもそれぞれの事情がある話しだし。
 結局、先に約束したほうを優先することにした。約束って難しい。
 その後、ハル姉の助っ人が見つかったので、半ばほっとしたのだが。

 夕刻、夫が、ボルダラー伸くんたちの結婚式から帰宅。なんとビンゴでDVDプレイヤーを当てて帰ってきた。でかしたぞ。DVDはいままでPCで観ていたが、これからお茶の間でも見ることができる。早速テレビにつないで、「Spleter」を観た。カラコルムやパタゴニアなどのアルパインクライミングを撮影したアメリカの作品だ。
 ウチのテレビは、夫が大学に入学するときに実家で使っていたものを持っていたまま。16インチの古臭いテレビにはもったいなすぎる、DVDプレイヤーだが、まあ、テレビもまだまだ見ることができるので(時々、突然消えたり、突然ついたりするのがコワイけれど)、よしとしよう。

 写真は、昨日撮ったもの。近所の公園では子どもたちが雪遊びをしていた。まだまだ外気温は低く、空は薄ら寒く曇っているが、子どもは元気だ。

050305

2005年3月 4日 (金)

雪の東京

朝起きると、東京も雪景色。なんだか子どもみたいにうれしくなる。
うれしくなっている横で、「電車が遅れているだろう」などと心配しながら早めに出勤する夫を見て、つくづく、これから会社に行く人は大変だなあと思った。いやいや、都心に向かう夫なんて、大して大変ではない(都会のもろい交通網がマヒすること以外は)。今日、高尾ビジターセンターのみんなはどうやって通勤しているのかしら……と思ってしまう。

 こういう風に、春の雪が東京に降ると決まって思い出すことがある。初めて高尾山に登ったときのことだ。高校生だった3月のこと。今思うに、昨日今日と同じような天気図だったのだろう。南岸低気圧が関東地方に大雪をもたらした翌日。ラッセルしながら登った。楽しかったなあ。

 理由はわからないが、雪の日とというのは、透徹したような静けさがある。まるで雪があらゆる猥雑な音を吸い込んでしまったかのよう。今日は終日仕事部屋にこもって、編集の仕事をしていたが、外は静まり返っていた。時折、ドサッという音がして、屋根から雪が落ちるぐらいだ。こういう静けさが、好きだ。

 昼過ぎ、雪がやむと、外の様子は一転する。子どもたちが外に繰り出して大騒ぎだ。私の家の前では雪合戦が始まった模様。さっきまでの静寂はなくなり、子どもたちの笑い声が聞こえる。そんな声を聞きながら仕事をするのも、これまた楽しい。

 近くのスーパーに買出しに行く途中、公園に立ち寄ると、子どもたちはそりの真似事をして遊んでいた。楽しそうだ。

 夕食は、1日遅れの桃の節句メニュー(のつもり)。とりあえず、ちらし寿司とはまぐりのお吸い物を作った。桜餅と各種生ハム、白ワインは夫が仕事帰りに買ってきた。それに、友人のmasayoのブログで知った、新じゃがとそら豆のクリームチーズサラダを作った(写真)。
 
 masayoのブログにはいつもおいしそうな料理や裁縫の話が載っていて、ぜひほかの友人にも教えたいのだが、本人の了解を取っていないので、リンクはやめるとして――。彼女のブログへ行くヒントは、まずは、私のサイトのBBSにあるケンちゃんのブログへ行ってみてください。そこからmasayoのブログへ飛べます。

050304

2005年3月 3日 (木)

コーチ会

朝から夕方まで家で仕事。
 
 夕方から恵比寿へ。
モンベルクラブ恵比寿店で待ち合わせをしていると、友人のヒロスケに偶然会う。来週、白馬のヒロスケ邸に泊めてもらいたいので、そのお願いをする。ヒロスケは、冬の間は白馬に友人と家を借りて、スノーボードに乗ってガイドをしている。ほかに、スチール写真を撮ったり、文章を書くこともしていて、そちらの活動も、私としては興味深い。
 ボロボロになったモンベルのシェルを持ってきていて、修理して欲しいと依頼していた。モノを大切にする人は、いいなあ。

 来週私が白馬に行くころ、ヒロスケの同居人であるユッコチとてっちゃんにも会えるかと聞くと、某所へ”遠征中”だという。「え?」っと聞き返してしまった。スゴイ、すごすぎる。この季節にかああ。きっといいライディングができて、いい映像が撮れているに違いない。

待ち合わせたのは母校大学山岳部の学生ふたりと、OB3人。コーチ会だ。
 大学山岳部には、大概、「監督」「コーチ」というお役目がある。部活動は大学の監督下のものにあるのだけれど(堅苦しく言うと)、登山という専門的なことになると大学側はお手上げ。そこで、OB会に山岳部の監督を依頼し、OB会は監督とコーチを山岳部に派遣するわけだ。
 文章にすると堅苦しくなるけれども、要は、学生の相談に乗りながら、学生の活動ひとつひとつを一緒に見ていき、ときには一緒に山に登りながら、とくに安全性に気を配り、学生の技術が向上して、経験が広がっていくための手助けをする。

 卒業後すぐに数年間コーチをやっていた。その後も学生と登る機会は多かったが、とくに役職にはつかずにいた。どちらかと言うと、自分の山登りばかりしてきた。
 本音を言えば、これからも自分のことを一番最初に考えて、自分の登山を一番大切にしたいのだけれど。世代交代もあり、私が4月から監督をやることになった。

 何度か一緒に山に行ったことのある学生たちだけれど、山岳部のこと、登山のことをゆっくり話すのは初めて。堅苦しい話のあとに、一緒に焼酎を飲みながらゴーヤチャンプルを食べて、深夜に別れた。

 雨が雪に変わり始めたころ。
 南岸低気圧の影響で、東京も夜半から雪模様になるだろう。
 先日仕事で訪問した、高尾ビジターセンターは高尾山の頂上にある。職員たちはケーブルカーを降りてから40分ぐらい歩いて通勤している。明日の通勤は雪道で大変だろうなあ、と彼らのことを思い出した。

 写真は、その高尾山から6号路を使って下山したときの写真。ふもとのお地蔵さんたち。今ごろ、雪をかぶってブルブルふるえていることだろう。

050303

2005年3月 2日 (水)

stick to my faith.......

午前中は、ロストアローの展示会へ。来秋冬のクライミングギア、ブーツ、スキー関連のギア、ザック、ウエアなどを見てきた。
 ロストアローの社員は全員がものすごいクライマーなんではないかっていつも思う。ガタイがよくて締まった体つきでいかにも登れそうな方々に出迎えられた。
 3時間弱かけて見て周ったが、全部を理解するには到底足りない時間。
 
 途中、社長の坂下直枝さんと話をする。
 話はやがて、登山社会、登山文化のようなものにまで触れてきて、少々難しくなってきた。
登山の社会には、趣味で登山を楽しんでいる登山愛好者(むろん私個人の登山もこの域)からトップクライマーまでいて、さらには、それらを取り囲むように、ジャーナリズムの人たち(私も関わっているのだが)、山岳ガイド、ギアを開発している人たち、ギアを売っている人たちなどいろんな人たちが関わっている。
 そういった、登山の社会の話、その社会が作り出す文化の話を少しだけした。

 坂下さんが覚えていらっしゃるかわからないが、以前私は、ある山から帰ってきたときにものすごくむなしい気持ちになっていた。それは自分の力で登った山ではなかったこと、さらには私が信じているスタイルから外れていたことなどが理由だったと思う。そのことを正直に話すと、彼は、「そのように感じられた(むなしさを覚えることができた)あなたは、幸せものですよ」と言った。温かい言葉だった。

 坂下さんの経営方針を直接は聞いたことがないが、例えば、平山ユージさんが若くて無名だったころからずっと彼を支えていることや(ほかにも彼に支えられているクライマーはたくさんいるはず)、海外の優れたギアや書籍を輸入販売して日本のクライマーたちに紹介していることなどをみると(これらは、坂下さんがやってきたことのほんの氷山の一角だが)、日本の登山社会全体のことを考えて、ビジネスをしているように思う。
 彼のように、ビジネスにおいても、また自身の登山においても、一貫した信念とスタイルをもっている人は、本当にすばらしい。
 
 彼から見たら私はヒヨコのようなものだけれど、それでも、自分が信じていることを少しずつでも積み重ねていけば、いずれ、私は私のスタイルを作り上げることができるのだろうか。

 午後から、印刷所へ岳人4月号の出張校正へ。
 夕方帰宅。夜遅くまで雑仕事をする。

*写真は、先月訪れた旭岳。麓から撮ったもの。樹林の向こうに薄く雲をかぶった頂上が見える。

050302

2005年3月 1日 (火)

電話打ち合わせと校正

最近の私の仕事は、月刊誌ペースで動いている。月刊誌以外の仕事もあるし、これから数ヶ月はその比重も高くなる。しかし、どうしても、全体のペースは月刊誌が中心となる。
 今週のような月刊誌にとっての端境期をいかに有効的に使うかが、次号が円滑に進むかどうかのカギになる。第一の関門だ。

 今日は、『山と溪谷』4月号の校了が始まっているため、いくつかのゲラを見た。
 
 ほかは、『岳人』5月号(次号)の装備ページの準備。
 カタログ的な切り抜きページにはしたくないから、”開発者へのインタビュー”とか、”エディターによるインプレッション・レポート”などを入れながら、多角的な記事にして、読者に楽しんでもらえるようにする。そのためには、相応の誌面スペースが必要となるので、おのずと取り上げられる商品数が限られてくる。

 一方で、商業誌であるために、ある程度の数のメーカーを取り上げる必要もある。広告関連からみれば、数多くの商品が載っているほうがありがたいのだ。
 この一見矛盾したような逆行したような、二つの要素を織り込むのは、結構大変。
 
 今日は、編集長、担当編集者、広告担当者と話し合って、掲載商品を決めた。
 それから私の仕事が始まる。各メーカーの広報担当者に電話し、最近の傾向や新商品について尋ねる。こちらの考えも伝えながら、誌面づくりに協力してもらいたい旨を話す。

 校正という精密さを要求される作業と、次号準備の打合せという異質なふたつの仕事が組み合わさると、アタマの切り替えに少々苦労する。 

050301

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