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2005年1月

2005年1月31日 (月)

うれしい!御岳ボルダー

友人夫妻と御岳でボルダリング。
 待ち合わせの駐車場に着いたら、なんと雪が残っているじゃないの。オマケに日かげで寒い、寒い。こんなんでボルダリングできるの?
 「今日は、どこを登りたいかじゃなくて、ともかく日の当たっているところへ」というたーさんの一言で、まずは御岳小橋のたもとへ。日なたぼっこしている猫と遊ぶ。

 「すべり台岩」と「オーストラリア岩」で数本ずつやったあとに、「とけたソフトクリーム」へ。

 いや、うれしかった! 
 「とけたソフトクリーム」の5級(ルート名ナシ)。何度目のトライだったかわからないけれど、登れた。もう少し難しいグレードが登れたことも何度もあるのだけれど、なぜかこの1本はものすごくうれしかった! 
 のっぺりした右手をつかんだら、左手でマントル返しするのだけれど、その左手を持っていくために、力のない私は左足をちょいと引っかける。
 その次に、友人ふたりは左足を上げるのだが(それが、どう考えても理にかなっている)、私は、どうしてか右足になってしまう。ちょっとバランスが悪くなるのだけれど、なんとか右足をぐいぐいぐいっと上げて、マントリングで立ち上がる。
 ああ!できた!
 この抜けたときにこみ上げてくる「やったあ!」という感情が、ボルダリングの最高の魅力だ。

 その後は「鵜の瀬岩」と「命ください岩」へ。命ください中央(2級)は、一歩も上がれず……。

 それしても、なぜか今日のボルダリングはとってもハッピー。
 昨年は、彼らとよく登っていた。私には果てしなく遠いような目標があって、少し切羽詰っていた。その夢だったクライミングは達成できずに終わってしまったけれど、今日、彼らとまた一緒にクライミングを楽しむことができて幸せだった。
 
 やっぱり、好きなことは好きな仲間と一緒にやるのがいちばん楽しい。そして、そのことを(クライミングを)大好きな人とやるのがいちばん楽しい。

 日も翳ってきて、いよいよ寒くなってきたので、友人宅へ。最近引っ越した家に初めておじゃました。
 室井登喜男製作所のビデオを見るも、「命ください中央」は、あまりにもあっけなく登っていて……ヒントがみつからなかった。

 写真は、やっさんが登った「とけたソフトクリーム」の凹角(3級)。寒くてソフトクリームはとけません。

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2005年1月30日 (日)

旅の話

すーさん・さっちゃん夫妻と約1年ぶりの再会。彼らがモンゴル・チベットの旅から帰っていたのと入れ替えに私が中国に旅立ち、その後もタイミングが合わずにいた。
 旅のとっておきの話は、雑誌にも書いてもらいたいと思っているのでここでは内緒。
 いつもの通り、たくさんの写真と楽しい話を聞かせてもらった。私は、らくだの大きさにびっくりし、モンゴルのカタ(名前が違ったかもしれない。チベットのカタに相当する「Good Luck」を意味する布。チベットの場合白色)が青色だということを、初めて知った。
 すーさんとは、彼が2000年にセロ・トーレのフェラーリルートを完登したときに、ぜひその記録を『Rock&Snow』に書いてもらいたいとお願いしたときからのご縁だ。日本でも際立ったシリアス・クライマーだと思っている。
 近年、奥さまのさっちゃんと年に3ヶ月使って、旅を繰り返していて、その中には登山も川のや海をカヤックで旅することも含まれている。いつも、ふたりは自分たちの力で等身大の旅をしていることが、とっても気持ちよく、しかも楽しそう。 

 私の仕事が終わらないという勝手な理由で、連日の激務でお疲れ気味のふたりを朝早くから呼び出しておきながら、ついついランチも一緒に食べて、夕方帰宅。
 
 ちょっと遊んじゃったかな、とも思ったけれども、こうやって気持ちのよい再会をしたあとは、気分も切り替わり、仕事に集中できる。
 ちゃんと予定通り、『Rock&Snow』春号を入稿し、その他4月号の下準備を終えた。
 
 夕飯には友人のmasayoのブログにあったポトフを作った。根菜がたっぷり入ったモノ。写真に撮ると地味だけれども、野菜がホクホクとしていておいしい。留守の間、夫にはこれを食べてもらおう。

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2005年1月29日 (土)

静かな週末

今回は週末に仕事をして、平日に遊ぼうっていう魂胆。 
 静かな週末にじっくりと働いて、道も岩場もすいている平日に登ろいう計画だ。
 しかし、あまりにも静かで、監視の目がないためか、ついついのんびりしてしまう。夫もテレマークを教えるとかいう仕事で留守だし、出版社から電話がかかってくることもない。こんなにのびのびしてしまってよいのだろうか。
 と思いきや、某アウトドアメーカー広報に務める友人のユッコちゃんは、休日出勤だというではないか。オフィスから仕事メールが入った。大変そうだ。

 私の方は、夕方になって気づいた。このテンポで進めていては、終わりません。もう少し、テキパキやりましょう。

 27日付のThe Kathmandu Post(ネパールの新聞)の一面トップ記事は、実にショッキングな内容だった。一体、裏で何があり彼らは何をたくらんでいるのか……。いつだって翻弄されるのは民衆で、苦しむのは市井の人々なんだ。
 かの国に住む友人たちの険しい表情が、思い浮かんだ。

2005年1月28日 (金)

さて来月は?

週末に入る前に、各登山用装備メーカーの広報担当の方々と電話で打ち合わせ。
 今年の春夏の新商品について教えてもらった。

 まだ1月だけれども、すでに私の気分は2月。その理由は、今がちょうど月刊誌の仕事が端境期だからだと思う。
 2月の仕事量は、1月とちょうど同じぐらい。でも、2月って28日までしかないんだよなあ。これが結構、キビシイ。1月はハチャメチャな仕事ぶりだったけれど、果たして2月はどうなることやら。すでにお楽しみ計画もたくさん入れたし。

 クライミング&サーフィン仲間のハリーからのメール。「仕事が忙しすぎて迷惑しています」。これには大笑いした。アメリカの企業に雇われて、日本におけるマーケティングの仕事をしている彼は、自宅と都心にある輸入代理店オフィスを行ったりきたりして仕事をしている。家は海のそばだし、(波に)乗りたいときに乗れる環境でもあるのだが。
 うん、私もハリーをはじめとした遊び仲間を見習って、2月はちょっと大胆に遊んでみよう。昨年遊びすぎてあまり仕事をしなかったので、ここ数ヶ月は控えめにしていたのだが、このままではダメだ。
 この仕事のなかで、いかにして遊ぶか。いかにして、編集者の前から消えていくか。
 これが、2月の課題。もちろん、仕事もおろそかにしないで!

2005年1月27日 (木)

外の仕事

最初は、調子よく進んでいた。
 昼過ぎに、初校ゲラを戻しに岳人編集部へ。
 途中、ラボに寄って現像が上がるのを待った。
 その間、スタバで仕事。次号のアイディアを考えたりして過ごした。
 スタバにはいろんな人がいる。打ち合わせをしている人や英会話のレッスンをしている人たちをよく見かけるが、時々同業者かと思わせるような人にも出会う。大概、ため息をついたり、深刻そうな思いつめた顔つきで、何かを書いている。
 
 帰りに大先輩にあたるベテラン編集者の方と一杯飲んだ。彼女の長い編集者生活で培われた実力、とくに、登山だけに縛られず、その時代時代の世相と登山を照らし合わせるような視線には、感服する。果たして私が彼女の年齢になったときに、同じぐらいの仕事ができるのだろうか。

2005年1月26日 (水)

部屋こもりの1日

原稿を書き上げても、やるべき仕事はたくさんある。
 今日はゲラ読み、入稿した原稿を取材先にチェックしてもらう作業、その他連絡、取材費の清算など細々とした仕事に追われた。

 編集者から来たメールによると、彼が今の編集部に来て9年だとか。ちょうど私がフリーランスになった頃だなあ。その編集部も最近はおめでたラッシュで、私よりもずっと若い女性たちがお休み体勢に入る。
 昨日お茶した編集者は、私が商業誌で初めて仕事をしたときの担当だった。今は、雑誌から書籍の部署に異動している。
 
 月日が流れるのは早いものだなあ。

  昨日、六本木の青山ブックセンターに立ち寄ったときに、『波』というタイトルの横長の写真集を見た。ただただ波を撮ったものばかりだが、心が引かれた。理由はわからない。ふと思ったのは、ひょっとしたら日本人でないと、この感覚はわかりにくいかもしれない、ということだけだった。歌川広重が描いた東海道五十三次の浮世絵を連想したのは、私だけだろうか。
 写真はハウジングしたデジカメをもってパドリング中に撮影したもの。
 写真集『波』を見たあとだから、こんなものもアリだろうか……と思ったがまったく違う

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2005年1月25日 (火)

気分爽快

懸案だった各誌の3月号原稿は全部入ったし、岳人別冊『春山』も入れた。
 今週末には『Rock&Snow』春号を入れなければいけないし、各誌の4月号も始めなければいけない。
 それでも、目の前のものが一段落ついたというのは(入稿し終わったというのは)、気分爽快。晴れ晴れとする。

 昼前にひとつ目の編集部へ。
 午後からもうひとつ別の編集部へ。ここは電話では頻繁に話すけれど、行くのは今年に入って初めて。いろんな編集者と少しずつ仕事以外の話もしてきた。
 4月号の打ち合わせをいくつかした。打ち合わせは、大概、いつでも楽しい。
 まだ白紙の状態の誌面について、編集者の考えを聞き、私なりのアイディアを話す。そして、少しずつ作っていくのだ。
 
 その後、書籍の編集者とカフェへ。
 仕事の話のあと、少しだけ、別の話を。別の話といっても、仕事の周辺の話なのだが。編集そのものの話、山の書籍の話など。フリーランスだと、日常的にそういう話ができる相手と机を並べているわけではないので、こういったときに、ほんの少しでも同業者と仕事の周辺の話ができるのはうれしい。

 帰宅後、仕事。
 最近はずっと夕飯のあとも仕事を続けていたが、今日はせっかくの日だから止めておこう。明日からまたがんばればいいや。
 夫となべを囲んでワインを飲んで、バク睡!

2005年1月24日 (月)

平日の多々戸サーフィン

友人親子とウチの夫婦で南伊豆の多々戸でサーフィン。
 昨日とは打って変わってのポカポカ陽気。アルも砂浜で大喜びだ。

 かなっぷは、ここ数年、クライミングよりもテレマークよりも何よりもサーフィンのモチが高く、かなりうまくなったらしい。モーちゃん・ピーさん夫妻も大の海好きだ。浜辺でアルの子守を交代でやるために、モーちゃんはわずか2時間足らずしか海に入れなかったけれど、「妊娠中よりずっといいわよ」と言っていた。なるほど。
 
 私も子どもができて、身動きがとりにくくなったときに、なるべく近くに自然があって、なるべく日常的に自然の中に入っていける環境でありたいなあ。そうでないと、私自身が参ってしまいそう。

 ところで私のサーフィ熱は、最近いまひとつ上がらない。2年前の元旦に始めて、まだほんのちょっとしかやっていないのだけれど。当時は、長い登山から帰ってきたばかりで、山以外のところに身をおきたかった。結構やる気満々だったし、海に行くことで心も癒された。最近はなぜか……。きれいな海で穏やかに浮かんでいるだけでいいのだ(つまり波待ちがずっと続くってこと)。
 それってサーフィンじゃないじゃん!

 しかし、仕事の内容が登山に関係しているので、それとまったく違う自然環境に身をおくことは、アタマも心も仕事から完全に切り離すことができるので、リフレッシュされて、ほっとする。

 編集部から携帯電話に伝言が入った。波の音に気をつけながらコールバック。
 帰宅後、明日の入稿のために最後の仕事。

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2005年1月23日 (日)

大遅刻と不思議な家

050123 今日は所属する山岳会の、新年会と称した湯河原幕岩ミーティングの日。たまにはみんなで岩登りして、そのあとにいろんな話し合いもしましょう、という会。私は一応名ばかりの副代表なわけで、みんなの日程調整をしたり、昨晩の最終のピンポイント天気予報を見て、「ゴー」メールを出したりしたわけだ。
 しか~し! 仕事が終わらない。昨晩からほとんど寝ずにやり続けたが、とうとう終わらなかった。やむを得ずクライミングをあきらめて、夕方からのミーティングにだけ参加することにした。仕事で遊びの約束をドタキャンすることほど、極悪なことはない。
 なんとか昼に終えて列車に飛び乗ったが、湯河原は予報よりも早くに雪が降り出し、みんなはとうにクライミングを止めて、ミーティングに入っていた。大遅刻の私をの到着を待って解散となった。大変大変心苦しい。大反省。

 残ったメンバーで四方山話。アウトドア業界で働く人が多いため、今週から始まるORのことや、最近の装備や雑誌の話が多かった。私以外のみんながすごいのは、よく遊びよく働いている点だ。めちゃくちゃ遊びまくっていながら、ちゃんと仕事もプロ意識をもってやっている。しかも、きちっとした成果もあげている。
 その次の話題は、サーフィン。たしかクライミング・クラブのはずだったが、サーフィン熱が高いのも、ちょっとおもしろい。

 そして、その夜は、メンバー夫妻の別荘に泊めてもらった。彼らの娘のアルちゃんは来週誕生日で、お母さんはチョコレートケーキを焼いてきた。そこに小さなビーンズを彼女が一粒一粒のせていく。世界で唯一のステキなケーキ! 
 
 ところでこの家は、不思議な魅力をもった家だった。白塗りの立方体のような形をしていて、光の使い方がおもしろい。光を際立たせるために、個性的な闇が存在していた。

 写真は4月から幼稚園に通うアルの後姿。かわい過ぎるので背中しか見せません。

2005年1月22日 (土)

脱稿その1

やっと、『山と溪谷』3月号の原稿を脱稿する。しかし、問題点を明確にすることがいまひとつできずに、心残りもある。書き手である私側にある原因はいくつかわかっている。こういうことを、ひとつひとつ考えて、努力し修復していけば、少しはましな書き手になれるのだろうか。
 その後、別の山岳雑誌の編集作業をする。

 深夜、外国の友人からメッセージが入る。
 トレーニング中にケガをして重症のようだ。診断が終わっていないので詳細はわからないが、さぞかし悔しいことだろう。
 私にも何度かケガの経験があるが、最近では、昨夏の中国クライミング出発2ヶ月前に重度の肉離れを起こして松葉杖になったのはつらかった。
 私の医師は「オーバーワーク」と言ったが、ケガをして振り返って、やっとわかった。完全に気持ちが焦っていて、きちんとしたレストが取れていなかったのだ。自己管理もできないようでは、クライマー失格だ。ケガはそれまでの努力をゼロどころかマイナスにしてしまう。

 友人も春に大きな山を控えているから、彼のはやる気持ちもよくわかる。

 「絶対に、やけになるな」。私がケガしたときに、あるクライマーがこう言ってくれた。情けない気持ちでいっぱいながらも、はやる気持ちをどうにか抑えてギリギリのところで調整していたときに、こう言ってもらえて、泣けてきた。
 友人にも、同じ言葉を言ったばかり。

2005年1月21日 (金)

率直な答え

待ちに待ったV.ソンダースからの返信メールが届いて、歓喜の声を上げた。
数々の輝かしい記録を残している、UKクライマーだ。ミック・ファウラーのパートナーでもあり、ふたりとも自分らしいスタイルを貫き通している偉大なるクライマーだ。
 なかなか返事が来なくて、少し不安になっていた。私のメールインタビューの申し出には快諾してくれたものの、質問の内容が気に障ったのだろうか? と考え込んでいた。ところが、実に率直な答えが返ってきた。

 昨日のtouching the voidのふたりもUKクライマーだが、彼らの受け答えも驚くほど率直だった。
 イギリス人の気質のようにも思えないし……。私なりに考えるところ、みな、クライミングを中心にものを据えて考え応えているのではないか。それ以上でもそれ以下でもなく、ほかに振り回されたり取り繕う必要もなく、ただただ、クライミングのことを考えているのだ。
 
 事実を把握したい、クライミングにおける”生と死の分岐点”がどこにあるのか知りたいという私の気持ちが、爆発デタラメ英語インタビューながら伝わったのだろうか。
 もしそうだとしたら、うれしい。

 うまく言葉にできないが、ソンダースらの言動に清清しさを感じ、私の心は晴れ晴れとしている。

徹夜後のデザイン入れ

結局ほとんど眠れないまま原稿を書き続けて、朝になった。
 朝一番で岳人編集部近くのプロラボへ。昨日星野さんに撮っていただいたフィルムを現像に出す。超特急便でお願いする。
 その合間に、編集部へ行き、引き続きデザイン入れの作業をする。
 正午、デザイナーの方にお渡しした。

 午後から、大学山岳部の大先輩であるIさんと編集部で打ち合わせ。彼は私たちが学生のときの監督であり、私たち夫婦の仲人でもある方だ。Iさんが現在執筆中の書籍を、私が編集することになった。私にとってはうれしい仕事である。

 丁度帰るころ、やっぱり同じ大学で隣の部(ワンゲル)の大先輩Tさんがやってきた。せっかくだから、3人でお茶をした。
 仕事上でちょっとつらいことがあったばかりなので、古巣の先輩方にお会いできたのは、なんだかほっとして、とっても心が救われた。
 友人の結婚式に参列するためにインドを訪れていたというTさんの手のひらには、インドの伝統的な模様がペインティングされていた。どんな染料で描かれているのか聞きそこなったが、いくら洗っても落ちないそうだ。

 色々雑用をしてから、帰宅。ほとんど寝ずに2晩が過ぎたので、心底疲れきってしまった。SnowDivaTelemarkで仲良くなった山形のツルちゃんが送ってきてくれた山形産の赤ワインがある。簡単な食事を作って、夫とワインを呑むことにした。
 今晩ぐらい仕事をしなくても許されるだろう。すぐに眠気が襲ってきて、寝てしまった。

*下は、旭岳温泉で滞在したロッジ・ヌタプカウシペの温泉。窓から川の流れと雪を載せたもみの木が眺められて、最高だった。

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2005年1月20日 (木)

touching the void

日本の登山業界における来秋冬モノ展示会シーズンが始まった。発注をする小売店のほか、雑誌編集者、ライター、あるいはガイドなどの仕事につく人たちが展示会場を訪れる。
 正直、私自身、個人的には登山装備への頓着がない方だと思う。しかし、今年1年間『岳人』で装備ページを書くことになったために、そうは言っていられない。
 
 今日は、モンベルの展示会に、かなりの気合を入れてはせ参じた。
 広報担当の女性が、実に3時間に渡って説明をしてくださった。彼女も疲れたことだろう。モンベルには友人や遊び仲間も多く、会場を歩いているといろんな人に会って、ついつい立ち話をしてしまう。
 久しぶりにお会いした企画担当の方からは、アンダーウエアに使っている編み機の話を聞き、うなってしまった。ひとつのものを作り上げるのに、大変な努力をしているんだなあ。

 その後六本木で「運命を分けたザイル」という映画の試写を見た。
 UKの登山家ジョー・シンプソンが実体験を書いた『touching the void』―邦題『死のクレバス』を元にした映画だ。シンプソンと、同じくUKの登山家であるサイモン・イェーツが、1985年にペルー・アンデスのシウラ・グランデを未踏の西壁から登頂し、その下山途中に起こった惨劇により、命からがら奇跡の生還を果たす話。片足を骨折したシンプソンが絶壁で宙吊りになり、やむをえなく、イェーツはふたりをつなぐクライミング・ロープをナイフで切り、シンプソンは深遠なクレバスに滑落していく。そのあと、ふたりそれぞれの壮絶な生還劇が始まるのだ。
 
 これまでの山岳映画にありがちな誇張な表現はなく、実にリアルだった。同じ山を登るものとして、息を呑みながら、スクリーンのなかで次々と起こるアクシデントに対してどのように判断し行動しようか、頭を働かせた。無論、私にはこの深刻な問題を解決する能力はないのだけれど、それほどリアルだったということだ。
 
 登山家は常に山の中で、どうやって生き延びるかを考えている。どうやってこの壁を登りきり頂上へ達するか、そしてどうやって生きて還るか。いやもっと正確に言うと、登頂し生還するために何をやるべきか頭を働かし、その最低限のことをやるのだ。余計なことなどやっている余裕はない。少しでも余計なことをやると命がどんどんとなくなっていくことだってある。

 数年前に友人夫妻は、チベットにあるギャチュンカンからそれこそ奇跡的な生還をとげた。昨年彼らと一緒に登り、クライミングを教わる中で、私はいつも言われていた。「無駄なことをするな」。ひとつひとつの動作に少しでも無駄なことが入ると、それに要する時間、体力が積もり積もって、やがて生命を脅かすときがやってくるからだ。彼らが生きて還ってこれたのは、最後の集中力で無駄なことを一切しなかったからだ。生き延びるために何をすべきか、それを判断する力と実践する力のあるクライマーだったからだ。 

 ロープを切り一時は周囲から非難を浴びていたイェーツも、また悲劇の当事者であるシンプソンも、映画のなかで長いインタビューに応えている。彼らの言葉のひとつひとつに重みがある。
 私も時々、事故の話を書くことがある。生き延びた者、死んでしまった者、その遺族、いろんな立場の人たちから話を聞くのは容易なことではない。こちらの誠実な姿勢が問われる。こういった仕事の困難性をほんの少しであるが、私も実感してきた。
 よくぞ、このふたりにここまでの話をさせたものだ、と作り手の力量に恐れ入った。

 『死のクレバス』に訳した中村輝子氏は私の好きな翻訳家であるが、彼女が映画パンフレットに寄せている文章を読み、中村氏の『touching the void』への深い愛情、さらには登山に対するゆるぎない愛情を感じた。
 私はまだ、イェーツの著作『Against The Wall』を読んだことがない。シンプソン同様偉大な登山家である彼の作品も、近いうちに読みたいと思う。
 
 『運命を分けたザイル』は、2月11日からテアトルタイムズスクエアなどで上映。その後順次全国ロードショー。地元ロンドンでは、登山愛好者だけでなく広く人々の反響を呼んだ――とロンドナーの友人が言っていました。

 帰宅すると、北海道の雪深い天塩山地にひとり向かった友人からメールが入っていた。日本国内でもっとも寒く気象が厳しいといわれてる地だ。あまりの天候の悪さに目的は達成できずに戻ってきたようだ。
 こういう時彼はいつも、「自分の弱さをまたひとつ知った」というようなことを言う。彼をもってして登れなかったのだったら、どんなに過酷な状況なのだろう……と私などは思ってしまうのだが、決して「人間の限界を超えた自然の猛威」とは言わない。ほかの人だったら簡単にそう言っちゃう(書いちゃう)だろう。だってそう言えば簡単だもの。

2005年1月19日 (水)

今日も部屋のなか

今日も一日中仕事部屋にこもって机に向かっている。
 ああ、運動不足。
 原稿に集中したいので、メッセンジャーはもちろんのこと、メールソフトもインターネットもオフにして、パソコンキーをたたく。
 それだというのに、次から次へと雑仕事が降ってくる。
 早く、脱稿してすっきりしたい。

 『ROCK&SNOW』というクライミング雑誌でクライミングレポートを掲載するコーナーの編集を担当している。このレポートは、読者から投稿があったり、いろんな方面に目を光らせてオモシロイ記録が出たとき、創造的なあるいはエキサイティングなクライミングが行なわれたときに、執筆依頼をするのだ。
 先日は、ある一般登山者から正月の屏風岩で会ったというパーティの写真が送られてきた。偶然にも面識のある人だった。ものすごくいい笑顔をしていた。彼女らの山行の結果も聞かないうちに、編集者に「これ、これお願いしましょ!」と言った。ものすごく生き生きとした表情をしていたからだ。
 その彼女から昨晩、日記が送られてきた。
 今日、繰り返し読んだ。
 原稿を書き上げてもらうのがとても楽しみだ。掲載は春号(3月1日発売)の予定。

2005年1月18日 (火)

仕事部屋の1日

昨日デザイン入れしたビーコン記事のなかに、いくつか後送にしておいたものがあり、それらを整理してデザイナーさんにメールで送る。それから、半分以上ご好意で記事全体をチェックしてくださっている方にも原稿をメールし、内容を確認していただいた。

 ほか各方面への連絡や打ち合わせの電話をするとあっという間に夕方。
 あと1本残っている原稿を、腰をすえて書きたいのだがなかなか落ち着かない。
 
 もう深夜零時を回った。さすがに編集者からの連絡も途絶える時間帯になる。これから静かな仕事部屋で最後のあがきをしよう。

2005年1月17日 (月)

原稿書きとデザイン入れ

昨晩は夜遅くに帰宅。途中からだったがTBSの「情熱大陸」にチャンネルを合わせる。世界のボルダラー小山田大さんだった。

 その後原稿書き。朝起きてまたまた原稿書き。
 
 夕方には岳人編集部へデザイン入れに行った。
 デザイン入れというのは、誌面を作る素材全て―テキスト原稿(文章)、イラスト、写真、図や表などを用意して、それらをどんなデザイン、構成で誌面を作っていくかなどについてラフデザインを書き、それらを全てデザイナーさんにお渡しする作業だ。
 いつも感じることだが、自分がもっている完成誌面のイメージを他者(デザイナーや編集者など)に伝えることは難しい。私の場合、いつも相手に助けられながらコミュニケーションしている、というところだ。

 疲れがたまってきたが、もうひとがんばりしないとならない。羊蹄山(写真下)を思い出してがんばろう。。。

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2005年1月16日 (日)

Snow Diva ニセコに舞う!

あっという間に最終日だ。今日の目指すところはフォーメーション。
 早速グループに分かれてその練習に入った。ユッコちゃんとツルちゃん、それに私は小回りと中回りを組み合わせたもの。私はあずちゃんの後をシンクロでついていく。ともかくあずちゃんの滑りだけを見て、タイミングを遅れないように滑るのだ。すると不思議不思議、なんだか自分もうまくなった気分(あくまでも気分だけ、大いなる勘違いなのだが)。やっぱりイメージを描くって大切だよなあ。
 そのあとを、テレマークは数回目だというカヨさんと今回初挑戦のひーちゃんが大回りを描いてくるのだ。すごいなあ。
 なんだか、とっても楽しかった。

 最後に、みんなそれぞれの感想や心のうちを話し合った。ひとりひとりみんなの言葉が印象に残った。
 私について言うと、このイベントを知ったときから必ず参加しようと思っていたし、参加して取材して記事に書くことこそが、私の立場からこのイベントに賛同し、一緒に活動していく方法だと考えていた。だから掲載先が決まらなかろうが、取材費が出なかろうが何にも関係ない。
 世代が違う3人がテレマークが大好きだという思いが一致して力を合わせて、このイベントを立ち上げたことはすばらしいことだ。お系さんと奈生ちゃんが一緒に滑ったのはつい先日のことだという。しかし何の違和感もない。それは、私にもとてもよくわかる。ものすごく大切なこと(この場合テレマーク)をする場合、根幹の部分で共感できればあとは何も要らない。それで十分なのだ。それだけで絆を作ることができる。登山でも同じことだから、私にもその人間関係はよくわかった。
 さらにこのイベントを続けて成長させていきたいと、私自身も私自身の立場から思う。
 私個人の滑りについていうと、さらに悩みは増え、うまくなりたいという気持ちが強くなった。とくにスポーツに関して私は、いつも自分自身で殻を作ってしまうところがある。その殻を破るのはちょっと大変なことだけれど、破ることができれば、もっともっとハッピーになれると思う。もっと愉快な滑りができるにちがいない。うまくなりたい。
 今回のイベントでユニークだったのは、おそらくまったく違うタイプの滑りをする3人からそれぞれレッスンを受けることができた点。私は、3人からもらった具体的なひとつひとつのパズルのピースを、今はきょとんとしたまま手の中に持っているだけ。今後これらを、ひとつひとつじっくり眺め、練習して考え、組み合わせて私自身の滑りを作っていくのだ。

 来シーズンの再会を約束してみんなとは別れた。
 
 写真は、私たちの大切な3日間を取り続けてくださった、フカッチョ大将と雅彦さん。私たちのフォーメーションを撮り終えたあと、なんでお顔が引きつっていたのかしら? 心からありがとうございました。

 ところでこのSnow Diva Telemarkについては、来秋のスキー雑誌数冊に掲載予定。ほか、山岳雑誌にニュース記事として掲載される予定もある。

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2005年1月15日 (土)

ニセコ・アンヌプリ登頂

 今日は来期モデル板が乗り放題だ。K2ジャパンからはシーズピステ、ドーンパトロール、ジョイスティンクス、アンチピステを、ロストアローからはブラックダイヤモンドのミスティックの試乗用板が届いていた。
 普段は型破りなことばかりして変わり者の私であるが、意外な点で保守的なところもある。あれこれ板を乗り換えることに尻込みしてしまい、結局ミスティックしか試せなかった。ミスティックは乗りやすかった。違和感がなく安定して滑れた。山にもって行きたい板だ。ジョイスティンクスのデザインはかわいかったし、いずれドーンパトロールも乗ってみたい。
奈生ちゃんからは、いろんな板に乗るおもしろさや可能性、意味を教わった。

ゴールドウインからは、試着用ソフトシェルが届いていた。私が試したのは、APEX2 JACKET。フリース代わりにインナーに着てもよし、暖かい日はアウターとしてもよし。シンプルな作りが気に入った。

 朝イチで最終リフトを降りたところからハイクアップしてニセコアンヌプリへ。頂上は風が強かったが、晴れ渡り、羊蹄山のほか、日本海や洞爺湖、昭和新山方面もよく見えた。北壁はまだテレマークを始めて間もない頃に滑った思い出の斜面だ。今だったらもう少しマシに滑れるだろうか。なつかしの五色温泉も見えた。奈生ちゃんから東尾根とジャクソン(ニセコのジャクソン、”ハクション”だというウワサあり)も教えてもらった。

 その後また3班に分かれてレッスン。私はあずちゃんのグループ。ヒザの向きが悪いこと(くせがある)など指摘してもらった。今日一緒にレッスンしたツルちゃんはウマイ! あずちゃんとツルちゃんがガンガンかっ飛んでいくのをがんばってついていったが、最後、私の大腿四頭筋は、ちぎれそうだった。

 おなかいっぱい滑って宿に戻る。
 私たちの宿LOGLOGは、手作りのログハウス。オーナーの山本敬二さんが約2年間かけて作ったという。ベッドや棚なども手作り木製の温かみある宿だ。お料理もおいしいし、オーナー一家のみなさんのおもてなしに、私たちは大満足だった。

 部屋に入るとちょうどひーちゃんがいたので、聞いてみた。「ねえ、本当に今日も登る? 私も登りたいんだ」って。ひーちゃんは目を輝かせていた! 昨晩久しぶりにクライミングしたという彼女は、すっかりはまってしまい、その熱中ぶりにみんなに、「明日はパーティよりクライミングでしょ」と言われていた。かくいう私も、昨晩は簡単なルートを3本登っただけで、ハングしたルートが気になっていた。せっかくだから登りたいと思っていたのだ。
 露天風呂で早速缶ビールを開けている仲間たちを尻目に、何とか我慢して、パーティの前にクライミングウォールへ行った。ハングルートとボルダーで遊んだ。

 その後は、NACの2階にあるJoJo'sCafe&Barでパーティ! 
 ボリュームたっぷりのお料理にビールにワインで大盛り上がりだった。店内にあるものすごく大きなスクリーンを使って、フカッチョ大将が撮影してくださったビデオも見る。現実から目をそらさずにしかと見た……。
 最後は、今回のイベントを支えてくださったK2japanゴールドウイン(ザ・ノース・フェイス)ロストアローwjr(Video『UNPARALLELED』から提供された賞品をくじ引きやじゃんけんでゲット。私個人は、迷彩柄のザ・ノース・フェイスのザック、UNPARALLELEDのTシャツ、それから参加賞で全員が手に入れたk2の指輪がうれしかった。指輪は真っ赤なプラスチックでできたキュートなもの。

 宿に戻ってからもビデオ鑑賞と更なるワイン、ワインで盛り上がり、ベッドに入ったのは夜中の一時すぎ。みんな滑るわ登るわ、飲むわ食べるわ、タフだなあ。

 写真は羊蹄山をバックにしたメンバーたち。ニセコ・グランヒラフスキー場にて(撮影は14日)。
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2005年1月14日 (金)

Snow Diva誕生

午前中はユッコちゃんと足慣らし。のつもりが滑りすぎてSnow Divaが始まる前から足はガクガク。このニセコひらふスキー場は思いのほか高度差、滑走距離があり、知らず知らずのうちに滑りまくってしまう。
 
 午後1時、いよいよSnow Divaが誕生した。
 本邦初の女性による女性のためのテレマークスキーイベントだ。
 う~ん! この瞬間に立ち会えたことの幸せを実感。

 よく男性に(ごくまれには女性にも)、「なんでオンナだけなの?」って聞かれる。別に大げさな理由はないんだけれど……と小さくなってしまう。
 私自身、ちょっと前までは山もテレマークもクライミングもみんな、ほとんど男友達がパートナーだった。これも大した理由ナシ。単に女性の人口のほうが少ないからだろう。
 しかし、4年ぐらい前に出会った10歳も年下の女の子、ユッコチ(今は立派なフィルマー)に「私、オンナの人と登りたいんです」と誘われて一緒に夏の北鎌を登った。「なんて楽しいんだろう!」って何のこだわりもなく素直に思えた。
 その少しあと、チベット人女性と日本人女性の合同隊でチベットにあるチョ・オユーという山に登る機会があった。
 そういえば昨夏もオンナ3人で四川の未踏峰を登っていた。
 特に理由もなく楽しいんです!

 話がそれてしまったが、Snow Divaに集まったのは、主催者の3人と参加者が5人の合計8人だ。今日初めてテレマークをやるっていう人から、いつもはスノーボーダーたちと一緒にパウダーをかっ飛ばしているという人など、顔ぶれは多彩。しかも、みんなひとりずつの参加だ。元気だなあ。

 最初にこのイベントを立ち上げたあずちゃんから話があった。そのなかには、今月17日に阪神淡路大震災から10年目を迎えること、昨年の中越地震やスマトラ沖地震で被災した人たちのことがあり、「こうやって大好きなスキーをできる生活に感謝したい」というような内容もあった。こういうことを素直に言える人はステキだと思う。

 Diva以外にもダンディな男性がふたり+もうひとりのDivaがこのイベントを支えてくれている。フカッチョ大将は3日間ずっとビデオをまわしてくれるとのこと。写真家の雅彦さんとシゲちゃんもたくさんの写真を撮ってくれる。みな、このイベントを成功させるために手弁当で集まってくださった。本当に感謝したい。

 早速3班に分かれてレッスン。私はお系さんに教わることになった。私の目下の最大の悩みである「同時操作」についても、矯正レッスンをしてくれた。ああ、うまくなりたい!!!

 ちょうどレッスンが終わった頃、雪化粧した羊蹄山がピンク色に染まった。ほんの1時間の間に色を変え、やがて静かな蒼い色へと落ち着いていった。
 地元の人に聞いてもなかなか見られない光景だという。ラッキー。Snow Divaも幸先がいいなあ。

 夜は、NACのクライミングウォールでクライミングに挑戦。初めての人もいたが、みんな元気にトライしていた。写真はビレイシステムの練習をしている様子。

050114

2005年1月13日 (木)

雪のニセコ入り

羽田発7時のフライトで千歳へ。明日から始まるSnow Diva Telemarkを取材するためだ。機内では、連日の超睡眠不足がたたり、ぐったりとしてしまう。ANAの機内誌『翼の王国』は好きな雑誌だが、とても読む気になれない。いつの間にか夢の中。
 気づくと千歳空港だった。大雪。バス出発までの待ち時間30分も惜しんでノートパソコンで原稿書き。日曜日の帰京早々に入稿しなければならない2本は、どちらも仕上がっていない状態だからだ。
 ニセコへ向かうバスのなかはまたまたバク睡。2時間ほどで雪やまぬニセコに着いた。
 バックパッカーズ「きらく」に投宿。またまた原稿書き。一段落ついたところで、NAC(ニセコ・アドベンチャー・センター)へ行き、2時間ほどひとりでボルダリング。やっとからだを動かすことができた。

 夜は主催者3人組のあずちゃん、お系さん、奈生ちゃんと、あずちゃんのダンナさんしげるさん、それに今回のイベントを協賛してくれているゴールドウインのユッコちゃんと一緒に和食レストランへ。
 話題はもちろんテレマークのこと。お系さんが、「昨日の八海山は、きっと年に2回しかないパウダーだったはず」と断言。このせりふにはうなってしまった。お系さんによると、湿雪の八海山にも、年に2回ぐらいは極上パウダーの日があるという。

 女性が主催する女性のためのスポーツイベントは、スノーボードやサーフィンなどでは多数あるが、テレマークでは日本初めてのこと。むろんこれまでもやりたいと思いついた人はたくさんいたはずだ。
 日本のテレマーク界の元祖女王、レーサーとしてもバックカントリースキーヤーとしても最初からずっとトップにい続けるお系さんの話のよると、10年以上前から言われていたことだと。しかし、「あずちゃんぐらいうまい人が現れないと、実行には移せなかったのよ」と。この言葉にも深く納得した。あずちゃんのスキーのうまさだけではない。テレマークが大好きだという強い思い入れあってのこと。お系さんの気持ちもそういうことだと、私なりに解釈した。
 一方あずちゃんは、「お系さんは、本当にいろんな雪をたくさん滑ってきた人なんだって思った。すばらしいテレマーカー」と尊敬。この言葉にも深く深く納得する。

 宿に戻ってから、あずちゃんと夜遅くまで話し込んだ。明日からの打ち合わせもあったのだが、私としては、このイベントを立ち上げた張本人であるあずちゃんの心のうちを聞いておきたかった。詳しいことは雑誌に書きたいと思うが、この3人は世代こそ違え、それぞれがテレマークレースで日本チャンピオンになったり、トップクラスにいる人たちだ。いちばん若い奈生ちゃんは、現在、北海道チャンピオンだという。
 お系さんと、奈生ちゃん、それぞれと友だちだったあずちゃんが二人を引き合わせてこのイベントにこぎつけた。
 よくわかる。好きなもの同士が好きなことをやるために集まったのだ。話ははやかったはずだ。また、4年前に心臓の大手術をしたあずちゃんにとっては、レーサーとしての道を断ったあと、滑り続けて、ようやく機が熟したわけでもある。
 明日からの3日間がとっても楽しみだ。

*写真は主催者3人組

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2005年1月12日 (水)

取材は続く……

ここ数日探していたUKクライマーの本人から、早朝にメールが入った。私が知っていたのは本名だったが、現在彼は違う名で呼ばれている。そう、昨晩ちょうど、編集のMさんと「同じ苗字の超有名クライマーならばいるけれど、ファーストネームが違う」って話していたところ。それが当の本人だったのだ。驚いた! 

 このマニアックな発見を驚き喜んでくれたのは、私のほかには、この世のでふたり。一人は担当編集者。彼はこの超有名クライマーが初登したスパンティーク・ゴールデンピラーの記録を心の底から憧れているという。もうひとりは、当時ラトックⅣ峰のクレバス事故の際に、このクライマーに救助されたチームのリーダー、大宮求さん。とても懐かしがり、喜んでくれた。

 やっぱり、情報って英語を中心に出回っているのね、と実感。クライミングの世界も例外ではない。だって、この事実を知っている日本人って少ないんじゃないだろうか。日本のクライミング事情についても、もっと英語でも発信していけるようになるといいなあ。

 彼は、私のインタビューに応えてくれるという。半信半疑ながら、質問事項を書いて返信したが、果たして返事は来るだろうか……。


 それにしてもありがたい。今回の人探しで私は、UKのいろんな山岳会、クライミング雑誌編集部、ジャーナリストにメールを出したが、ほとんどの人が即時に返信をくれた。有益な情報はなかなかつかめなかったが、「Good Luck!」とか書いてあるとうれしくなる。
 私も、反対の立場に立ったときには親切にしたいなあ。
 

 このクレバス事故の記事、取材は終えたつもりでいたけれど、まだまだ色々調べるべきことが出てくる。なかなか腰をすえて原稿書きに移れない。
 ついつい調子に乗って調べすぎて横道にそれそうになると、編集者から静かな、しかし確かなる声で呼び戻される。取材は、きりがないといえばきりがない。どこかで打ち切らなければいけないのは現実なのだが。
 締め切り間際、ここにきて、あれもこれも、と始まってしまった。
 その欲張りな私に対して、優秀な編集者はあっという間に過去の資料にもあたり、統計を取ってくれた。早業だ。

 実は、もう一本別の記事も抱えている。
 どちらかを先に上げちゃいたいのだけれど、どちらもじわじわと最後の追い込み取材・調査が進む。
 今晩中にひとつ決着をつけよう。
 
 気づいたら今日は一回も外の空気を吸っていなかった。
 御宿に波乗りに行った夫が、「雪が降ったぞ」と言いながら夜に帰宅。外に出てみると、東京も体の芯から冷えるような寒さ。西高東低が強まり、日本海側や山沿いは雪がガンガン降っているようだ。 
 私も明日からニセコ! 粉雪の状態はどうなることだろうか!

2005年1月11日 (火)

編集者たちのチカラ

原稿書き4日目。
 合間に雑用が入りまくる。
 
 夕方、岳人編集部へ。
 明日から取材に出るというH編集者に日本雪崩ネットワークが作った「Field Note」を渡しにいく。実際に雪山で使ってもらうためにだ。これは、フィールドで積雪状況や気象を観察して、記録するためのノート。この記録をとることによって、雪について深く理解できるようになり、ひいては雪崩を予報するのにも役立つというもの。フィールドで記録をとるというのは、かなりのモチベーションがないとできないこと。私なんて、登山中のタイムを記録することと写真を撮ることで精一杯。
 しかし、雪を知るためには必要なこの作業、私もやってみようと思う。

 その後、Y編集者と4月号の話をする。ひとつが終わると、いや、終わる前に次がやってきて、永遠に終わりはやってこない。
 Yさんと話しているうちに、両隣の女性編集者ふたりも加わってくれた。私が考え付かない視点、切り口もあり、ありがたい。人それぞれ、考え方もセンスも違うからおもしろい。次から次へと話が広がる。

 刷り上ったばかりという2月号をいただく。
 帰宅中の電車の中で読む。巻頭にある岩崎元郎さんへのインタビューに感動。私も岩崎さんのことは何度かインタビューしたり、彼の原稿を編集したこともあるが、ここまでのことを聞き出せたことはなかった。インタビュアーの力だ。

 帰宅後、机に向かう。

 別の編集部のMさんとは電話で打ち合わせ。
 原稿の進捗状況を正直に報告し、いろんな相談もする。取材がうまく進まない点など問題点や疑問点など。的確なアドバイスをいただき、感謝。彼なんて、私以上にたくさんの記事を抱えているだろうに(彼が担当している執筆者は私だけでなく、ほかに何人もいるだろうに)、よくぞ、アタマの中を整理しながら、微に入り細にわたり助言してくれるものだ! 尊敬だ。
 
 いや、感心している場合ではない、早く書け!

2005年1月10日 (月)

田のとんかつ

原稿書き3日目突入。
 やっと1本脱稿。予定より1日半遅れ。あと2本。
 
 夕食を作る気になれず、近所のトンカツ屋「田」へ。ここがメチャクチャおいしい。ついでに同系列の「串揚げ田」とカジュアルなフレンチ「エクセン・プロバン」もうまい。
 おいしさに満足した上に、職人芸を見せてもらったようで清清しい気分になって帰宅。

 『岳人』2月号の記事作りのために、各メーカーから借用していた登山用アンダーウエア(上下10セット)のサンプルを返却する準備。洗濯は終えたのできれいにたたんでパッキング。明日、運送会社に集荷に来てもらおう。
 来月号用のビーコンも部屋に何台もあって、私の仕事部屋は少々混乱状態。

2005年1月 9日 (日)

弟たちよ! それは真実です。

一日中机に向かっている。

 合間に、山岳雑誌のフリーランスライターとしては大先輩であるハネヤンの「極私的鳩間日記」を読む。「同業者の日常って興味あるんだよね」というのは、私の日記の存在を知った彼の言葉だが、それは私も同じ。
 羽根田さんの日記は、自己顕示の匂いがゼロで肩に力が入っていなくて、いいなあと思う。さらには、彼の呑みっぷりにミョーにシンパシーを感じてしまうのだ。
 その日記に、「やるべきことが山積みでパニックになりそう」と。かなりの筆力をおもちの羽根田さんであっても、パニックかぁ……。それじゃあ、私がパニくって仕事が進まなくても致し方ない、と開き直る。
 
 そう、フリーランスの資質として、この開き直りと、明日のことがわからなくても平気な図太さ、これは必要だと思う。

 必要だけれど、原稿は進めなければ……。後頭部がボーっとしてきた。

 ここ数日、あるスコットランド人クライマー1人とイギリス人クライマー2人の連絡先を探している。今日はwebを使って、当地の山岳会などに問い合わせた。さらにwebで探していくと、アウトドアアクテビティ(登山、クライミング、ハイキング、カヤック、サーフィンなど)に関する表現者(ジャーナリスト、写真家、画家、編集者など)たちの組合がUKにあることを発見。さすがだ。
 

 ところで、母校大学山岳部の1学年若い世代に、弟のような付き合いのふたりがいる。
 
 そのうちのひとり、ライは「ところでこの日記、本当に毎日続けるの? こっちは近況がすぐにわかっていいけれどさ」とメール。ふ~む、なるほど。
 もうひとりのクリは、トップにある写真について辛らつな一言を寄せてきた。
 キミたちは、正しいよ! まったく。

 深夜、カメラマンの川﨑博さんから正月の写真が届く。白馬のパウダーをかっ飛ばしているナベくんの図。みんな、フィールドに出ているときはいい顔しているなあ。

Photo by KAWASAKI Hiroshi
Telemarker WATANABE Kenji

050109

2005年1月 8日 (土)

原稿書きと目玉親父

朝、白馬山麓やニセコに住む友人に聞きたいことがあり方々へ電話するが、誰もつかまらない! それも当然か。西高東低の冬型も続いているし、パフパフのパウダーだろう。こんな日の朝に電話に出られたら、こっちが心配しちゃうか。

 一方こちらは原稿書き。これから最低3日間は机にかじりつく日々が続くと思うと少し憂鬱。3月号の原稿は3本あるので、今日のうちに1本は脱稿しちゃいたい。

 夕方、北京に住む中国山岳雑誌編集者である雨林とメッセンジャーで話す。四川省甘孔のアイスクライミングの取材から戻ったという。彼女は上機嫌だった。

 近年、四川省の山は、花崗岩のビッグウォール、いやらしい雪のついた6000m級の未踏峰などが欧米クライマーの注目を浴びているけれど、どうやらアイスクライミングもなかなからしい。


 ところでこのメッセンジャーという代物。どうも好きになれない。私が勝手に”目玉親父”と呼んでいる球形のマイク付きカメラを使えば、動画や音声を使ったチャットもでき、海外に住む友人や仕事相手との連絡に使っている。通信費がかからないのはありがたいのだが……。
 いざ「オンライン」に入ると、自分の仕事部屋がいきなり公にさらされるようで抵抗がある。自分の存在を知らせたくないときもある。小技があって特定の相手にのみオンライン状態を公開することもできるが、そんな七面倒くさいことはしたくない。
 
 リアルなようでリアルでない、近いようで遠い、この感覚がなじまないのだ。勘違いするようなことには、なりたくない。私の心のどこかにウェッブ上でのコミュニケーションに対して懐疑的なところがあるのだろう。

 常に誰かとつながっているという環境も、私の好みではない。とくに原稿を書くときは、メールソフトもオフにしてしまうのだから。もっともメッセンジャーは必要最小限の使い方しかしないつもりだが。
 
 私には関係ないことだが、このツールを使って恋愛している人なんて大変だろう!と要らぬ心配までしてしまう。うまくいっているときはいいだろうけれど、ケンカ中や片思い時期なんて、どうなることか、いろんないざこざが簡単に予測できる。
 最新バージョンでは「ウィンク」という機能もある。いろんなイラストの動画があり、これを相手に送信することができるのだ。
 一方が、でかいくちびるがビヨンビヨンとゆれる投げキスを送ると、もう一方は、水風船を投げ返してバンと割るのだろうか……。ケンカもバーチャルになるのかもしれない。なんだか笑ってしまう。
 今度、誰かに体験談を聞いてみよっと。

2005年1月 7日 (金)

インタビューの仕事

ちょうど各山岳雑誌3月号の入稿前で、取材や原稿書きが続く毎日だ。
 
 今日のインタビューは、山岳ガイドの江本悠滋さん。1976年生まれという若さながら、アルピニズム発祥の地であり山岳ガイドの先進国であるフランスの国家資格山岳ガイド、スキーインストラクターをもっている、日本の山岳ガイドのホープだ、と私は思う。
 
 まだ彼がシャモニに渡ったばかりの頃、今から9年ぐらい前だろうか、電話で話したことがある。ちょうど私が、もの書きとして独立したころだ。あれから、江本さんはフランスの国立スキー登山学校に入り、勉強とトレーニング、経験を重ねて前述の資格を取得したのだ。それに比べて、私の成長ののろいこと……。

 インタビューのテーマはクレバスについて。日本の山は氷河をもたないために、私たち日本の登山者は、どうも氷河技術やクレバスに弱い。シャモニで登山を知り覚え、学んだ江本さんにとってクレバス対処技術というのは、登山を始めたそのときからあったのだと想像する。
 
 インタビューの仕事のおもしろさは、その時々のテーマに対する相手の答えだけでなく、背後にその人の人間性や実力が見え隠れするときだと思う。江本さんがいかにプロ意識をもって山岳ガイドの仕事に取り組んでいるのか、その覚悟のようなものを感じることができ、私は幸せだった。この思いを読者に伝えるが私の任務なのだが。

 そしてもうひとつ、今日のインタビューで心に残った話は、登山の遭難事故、生死をわけた出来事、これらについてどういったことを読みたいのか、江本さんが登山家の視点で語ってくれたことだ。これは今日私が聞こうと思っていたことではないが、クレバス事故に関する今回の記事を書くにあたって大いなるヒントとなった。

 つまり、私たちが知りたいのは、ピット・シューベルトの本のタイトルの通り、『生と死の分岐点』、これがどこにあるのか、ということなんだと思う。 

 同じ取材で、あるイギリス人クライマーを探しているのだがなかなか見つからない。そんなときに、中国で登山エージェントを経営する友人が助け舟を出してくれた。そうだ、彼ならば見つけてくれるかもしれない。顧客にあたってくれるという。ありがとうよぉ~。

 さて、取材も一段落した(といっても、実は大きな課題をふたつも残しているのだが)。明日からの三連休は、机に向かって調べ物と原稿執筆となろう。覚悟しなければ。

 が、一方で外に出たい、登りたいっていう気持ちもはやる。早くも運動不足状態になってきた……。岩に行きたいよお~。

050107

2005年1月 6日 (木)

雪崩のリスクマネジメント

冷たい雨が降りしきるなか、上野で五月女行徳さんと待ち合わせ。
 ニュージーランドのALPINE GUIDES社Methven Heliskiで、ヘリスキーのガイドをしている方だ。今回は雪崩事故に備えたギアについて話を伺うことが目的であったが、当然内容は、雪崩、捜索、バックカントリースキー、その全般にわたる。
 
 バックカントリーを滑る限り、雪山に登る限り、雪崩のリスクは決して払拭はできない。いかに雪崩を回避するか、万が一遭遇してしまった際はいかに脱出するか、パートナーが埋まったらどうやって捜索するか、これが大切なわけだが、そんなことはアタマのなかでわかっていても、ビーコンやプローブの使い方を理解したつもりになっていても、私の知識や力なんて弱弱しい。生の現場を経験している人の話は説得力がある。
 
 自分がいるその雪の斜面に、まだ命のある人間が埋まっているのだ。雪の中に埋まった場合15分以内に救出できれば約90%助かるが、それ以降生存率は急激に低下する。まさに一刻を争いながらの捜索、救出活動となるわけだ。
 五月女さんが経験した捜索、救出の現場からの話は、本当に息を呑むようなものであった。詳細は、『岳人』3月号(2月15日発売)に書きたい。
 私自身、雪山を登り滑るものとして、雪崩への理解を深めること、ビーコン操作を含めた捜索、救出活動のトレーニングを積み重ねることの責任を強く感じた。

 連日、内容の濃いインタビューが続いている。明日も若手の山岳ガイドの方にお会いする。
 インタビュー中は、夢中で話を聞くが、家に帰る道すがら話を振り返り、インタビューをしたものとしての責任を感じ始める。そして、文章にしていくことや誌面を作っていくことの難しさに直面する。夜、仕事机に向かい、ここから、ひとりだけの作業が始まるのだ。

 写真は、クライミング&サーフィン仲間のミウラ~から送られてきた筑波山から眺めた初日の出。前日の雪が残り、いつもと違った筑波山はきれいだったそうだ。
(photo by MIURA Tsutomu)

050106

2005年1月 5日 (水)

活版の魅力

午後から有楽町にある銀杏堂さんへ名刺を注文しに行った。いつもお願いする活版印刷のことろだ。今回は初の試みで裏面の英語バージョンのみ、インターネットで見つけた名刺屋さんにお願いした。万年筆と山のようなイメージのイラストが入ったキュートなものだ。
 一方、日本語バージョンは活版印刷と決めている。いまどきそんなところは少ないだろうが、銀杏堂さんは5年ぐらい前に偶然見つけた。以来、多くても年に1度しか行かないが、必ず私のことを覚えていてくれるのがうれしい。

 文字に関わる仕事をしているせいか、私は活字が好きだ。活字にお目にかかれることなんて少ないけれど、活字の生き生きとした表情が好きだ。写真は銀杏堂の店内。彼の後ろにあるのが、活字。ここから一字一字をひろってくれるのだ。
 いつだったか、前職のときのボス(その彼も今はモノ書き)に活版印刷の名刺を見せると、指先ですっとさわり、そのでこぼこを確かめてから、「いいですね」と言っていた。そう、その感じ。
 イラストレーターや写真家の方の名刺の多くには、それぞれの作品があり味がある。文章を書くことを生業としている私は、生き生きとした文字である活字を使った名刺にしているのだ。
 銀杏堂のおじさんには、いつまでもいつまでもお元気でいていただきたいし、本当に感謝している。

 その後、公私ともどもお世話になっている登山用品・アウトドア用品のメーカーであるモンベル、その渋谷店店長である半田久さんをインタビュー。
 半田さんが20年以上前に参加したラトックⅣ峰登山のことだ。ここでクレバスへ墜落する事故がおき、残った半田さんたちは懸命な救出をしたのだ。当時の古い日記帳を持ってきてくださった。

 夜は仕事と私用で恵比寿へ。私にとってはなじみにある街だ。ちょうど夫の仕事も終わったので、「新年のあいさつもしなければ」と、あすか亭へ。軽く〆たばかりだという関サバは、脂がのっていておいしかった。浦霞によく合う。

 帰宅後、半田さんからお借りした貴重な日記を仕事机の上に出す。黄ばんだページをめくりながら、当時のさまざなことを想像した。

050105

2005年1月 4日 (火)

仕事始め

一応今日から仕事開始。
 仕事柄、ときには1ヶ月以上休んで山へ行っちゃうこともあるけれど、今回のような1週間程度の休み、これがいちばん仕事に戻るのが難しいように感じる。
 なんだか、今日はテンポがつかめないというか、やる気が起こらないというか、要は正月ボケ。

 午後から、北海道大学低温科学研究所の白岩孝行助教授に電話でインタビュー。クレバスの成り立ちや構造について話を聞いた。今、クレバス事故について山岳雑誌向けに書いている最中。氷河やクレバスを専門とした学者さんに話を聞きたいと思い、ウェッブなどで調べた。専門家はたくさんいるけれど、現在も頻繁にフィールドに出ている人がいいなあと個人的に考えたところ、若手の学者である白岩さんが目に留まったのだ。
 連絡を取ってみて驚いたのは、偶然にも学生時代にクライミングに入れ込んでいた方だったということ。詳しくはご自分のことを語らなかったけれど、おそらく、かなり登りこんでいたのだと想像できた。
 今回の取材については、専門家が持っている知識を一般登山者たちに還元できるのであれば、とご快諾してくださった。
 
 なんであれ、専門性をもった人の話を聞くのはおもしろい。本題も興味深かったが、専門用語のひとつひとつや会話のつなぎ目で話してくださった氷河の調査の話などはとてもおもしろかった。

 正月気分が抜けないので、今日は早めに仕事を切り上げてしまおうかなあ。いや、これがあとでつらいことになるというのもわかっているのだが……と、現在逡巡中。

 夜、マサオちゃんから小豆島の写真が届いた。これは、toprockかな?
 (Photo by Ms.Masao)
050104

2005年1月 3日 (月)

我が家の正月

クライミングツアー中、ほとんどニュースを見ていなかった。自宅に戻り、改めてスマトラ沖地震の被害がどれだけ悲惨なものか、さらに広がっていく可能性を知った。新潟県中越地震で被災した方々が雪の寒い正月を迎えた映像も見た。

 天災も戦争も人を苦しめるばかり。平安な世の中が訪れますように。
 
 今日は我が家にやっと正月がやってきた。年末年始、私は友人とクライミングツアーに出かけていたが、夫は仕事と留守番だった。これはさすがに寂しいと思い、遅まきながらおせち料理を作ることにした。いまさらヘンとも思ったけれど、スーパーで買出し。
 
 ツアーの帰途で買った虎の巻『伝統のおせち』には、12月中旬に始める乾物類の買出しから書いてある。やっぱり、3日につくるなんてヘンだよなあ。
 これらの準備を日ごろの家事と並行して行なうこと、通常の料理の合間に空いている火を利用して煮物を始めることなども書いてある。「これって、雑誌作りの”年末進行”と一緒じゃん」と思ってしまった。
 
 慌ててつくり始めたために、やっぱりうまくいかないことだらけだ。まずは、伊達巻き作りに必要な鬼すがない。巻すで代用することにしたため、あの伊達巻き特有の形にならない。お正月らしさを演出するために野菜を松竹梅や扇の形にしようと思ったものの、抜き型も我が家にはひとつもない。近所のスーパーを見たけれど、象やアヒルの形など子どもの弁当向けのものしかなかった。結局、いつもの煮物と変わらなくなってしまった。
 
 出来上がったのは、芋きんとん(栗の皮をむくのが面倒だった)、黒豆、ぶりの照り焼き、アナゴ焼き(小豆島で仕入れた)、筑前煮、海老の殻つき焼き、高野豆腐の含め煮、こんにゃくのピリ辛煮、芽慈姑の含め煮、変わった形の伊達巻き、熨斗鶏を肉団子にしちゃったもの、サーモンマリネ、以上。

 一夜漬けで原稿を書くのと同様、料理も切羽詰って作ってもそれなりのものしかできないことがよくわかった。今年こそ、余裕もって入稿できるように、計画的に仕事をしたいところだが……。

050103

2005年1月 2日 (日)

歴史的なルートを登ってお別れ

午後には小豆島を発たなければならない。
 午前中にマサオちゃんとふたりで一本ずつ登ることにした。偶然にも登りたいルートはふたりとも同じだった。
 オリーブロックの左端にある「火祭り」。織田先生率いるODAが15年以上前にグランドアップで拓いたハーケンとリングボルトの作品だ。これが近年ハンガーボルトに打ちかえられたという。吉田の岩場に来たら、絶対に登るべきルートでしょ。

 下から眺めたところ、トポで見たときよりも一層印象がよくて、これは楽しめそうだと思った。
 しかし……またしても、辛かった。最後は泣きが入って、ヌンチャクをつかんでしまった。ああぁぁ。。。きれいに登れればどんなに気持ちよかっただろうか。
 好ルートで、グランドアップで拓いた心意気がすばらしいと思ったし、おこがましいいながらも、当時の気持ちを想像した。

 福田港から船に乗る前に、木原食堂へ。クライマーたちは帰りにみんな寄るというおでん屋さんだ。醤油の甘くて濃いたれが特徴的だった。牛筋や煮卵、こんにゃくがおいしい。そして、昼間のビールは気持ちいい。
 「今日は、帰省中の人たちがなべ持って買いに来るから、大忙しよ」とおばさんは笑っていた。

 帰りは、あずき丸。船に乗り込むと、ぐっすり寝入った。不思議なことに私は、飛行機であれ船であれ、どうも乗り物が動き出す瞬間、深い睡魔におそわれる。
 
 姫路港が近づいてきて目を覚まし甲板へ出た。隣を船がすれ違い、ふたつの小さな波が立っているの眺めながら、宮本輝が編んだアンソロジー『わかれの船』、この本のあとがきである「船がつくる波」を思い出した。
 
 ~みずから選択したかに見える「別れ」も、生木を裂かれるような「別れ」も、憎しみの果ての「別れ」も、計算された小意気な「別れ」も、流されるままに別れるしかなかった「別れ」も、人間という謎めいた船が暗い水面に残す波に似ていることに気づく。
 船が通って行ったあとの、あの静かな二つの別れて離れていく波である。船と波とは別々のもののように見えるが、波は船から生じたのだ。謎めいた、人間というものから生じたことになる。

 この世は「別れ」に満ちている、ということだ。

 写真は、5日間眺め続けた部屋からの吉田湾。

050102

2005年1月 1日 (土)

登り始め、これからのこと

やった! 晴れた!
 といっても、島風は冷たい。朝ごはんのあと、得意の二度寝をして、温かくなってから岩場へ。

 最初に海鳴ロックへ。名前がいい!一通り登ったあとに、再びきもちんよかロックへ戻ってきた。
 やっぱり上まで抜けていないというのは気持ちよくない。でも、なんだか上部はとても10台には見えない。ランナウトしているし……。上まで抜けたい、抜けるべきだろうという一心で、きもちんよかから隣のSケイプにつなぐことにした。しかしそれでもビビッてしまった。カムが決まっているような、いないような。。。
 雪が舞ってきたころにやっと気持ちが前を向き、何とか登った。やっぱり、気合一発ね。
 マサオちゃんがトライした内海スピリッツ(5.11b)は、アトラクティブなルート。やってみたいなあ。
 
 写真は、きもちんよかの隣にある「ランナウエイ」。これも、5.10aには……カラ~イ! らしい。

 夜は、またふたりでおしゃべり。
 あんなことをやりたい、こんなことをやりたいという話を。自分たちにとっては大きな冒険、人様からみたら小さな話だけれど、ささやかな冒険をいくつも考える。
 何年も前に、登山家でありパタゴニアの創始者であるイヴォン・シュイナードにインタビューしたとき、「冒険はいつも個人個人のなかにある。余計なものを排除していき、よりシンプルなスタイルへと昇華させていくことは、いつだって冒険的なことだよ」と言っていたのをよく覚えいている。
 ちょうど今日、クライミングの帰りに立ち寄った吉田温泉で手に入れた冊子にイヴォンへのインタビュー記事があり、そこでも彼は同じようなことを話していた。
 そうだ、その通りだ。よりシンプルで身軽なスタイルこそ、冒険的で創造的なものなんだ。私に何ができるだろうか。ワクワクしてくる。2005年が始まった。楽しみだ。

050101

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