2018年6月25日 (月)

夏至のころ

夏至のころ。

ドクターヘリに乗る知り合いの医師が、夏至がどういう日かについて書いていた。
「昼間の時間がいちばん長くなる日」であると。これは多くの人が理解していることだけれど、ドクターヘリに乗るまでは、「夏至=日の出がいちばん早く、日の入りがいちばん遅い」と勘違いしていたというのだ。
正確には、日の出がいちばん早いのは、夏至の1週間前、日の入りがいちばん遅いのは夏至の一週間後。

大きな山の山麓に住む友人は、夏至が来ると、あとは日が短くなっていくだけ、夏が始まる前に終わりを感じるような寂しさがある、冬への折り返しか、と話していた。
私もまったく同じことを、今年の夏至の日に感じていた。

どうしてそんなことを考えるのか。
大人になったので、夏が始まる前に、だいたい何が起こるのか予測でき、夏はあっという間に通り過ぎることも分かっているから、寂しい。単純に「夏が待ち遠しい」とは言えなくなってしまったのか。
冬に向かうというけれど、それよりも前に、先の冬に起きたいろんな出来事を消化しきれないままで、感情を冬に置き忘れてきてしまったから、やるせない気持ちになるのか。

友人は、山麓に住むようになって、夏至の寂しさ、複雑な思いを感じるようになったという。
山麓に住まない私には、その実感はないかもしれない。けれど、北欧やヨーロッパ、あるいは日本でも雪の降る土地で、夏至を迎えるのが、いちばん気持ちよい、と思うようになった。
今年は、ちょっと違ったけれど。

雪が降り、季節がはっきりとしている土地、夏は短いけれど、鮮やかにやってくる土地ではいっそう、夏至の日が輝くものとなるのかもしれない。ちょっぴり寂しい気持ちも加わりながら。

数年前、あるクライマーをインタビューしていて、緯度の高い土地に訪れる春が、どうしてそんなに素晴らしいのか、少しだけわかったことがあった。重く暗く閉ざされた長い冬を越え、待ちわびた季節の到来だから。もちろん、そんな心情もあるけれど、それだけではない。

クライマーの彼は、アラスカで登山を続けている人だった。
高緯度特有のぐいぐいと春がやってくる様子を、目を輝かせて語ってくれ、私も自分が旅した土地を思い出したし、山麓に住む友人達も、「ぐいぐい春がやってくるってよくわかる」と言っていた。

夏至もそんな季節の流れのなかにあり、鮮やかに移り変わっていく。
雪降る土地の夏至の空気感が懐かしくなり、いたたまれなくなった。早々に、山麓の友人達に会いに行くことにした。

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便り

もう少しでよいからうまく伝えたかったと思った、記事。
美しい文章でありたい、人を感動させたいとは考えないけれど、思いが伝わるように書きたいのに、うまく書けなかった思いが残った。
「もう1回でよいから、ゲラを出してもらいたかった」「そうすれば、もう少しうまく書けた」とか、言い訳はしたくない。
だから記事になるまでの過程を振り返って、あの時点でこうすれば、いい方向へいったのかもしれない。あの段階でもっと突っ込めば、もう一段階進めたのかもしれない、と考える。

原稿を書くのはライターだけれど、編集者や校閲者の作業が加わって、記事になる。
だから、自分の思い通りにだけ進めることもできない。
けれど、自分の思ったことを書きたいわけで、そのためにはどうしたらよいか。
毎日書き続けるために、振り返る。

おそるおそる開けた便りには、「よい内容だった」と書いてあり、少しだけホッとした。
いちばん読んでもらいたく、あるいはいちばん読んでもらうのが怖かった方から届いた便り。

少しだけ安心して、朝ご飯の準備。
味噌汁を作るとき、琺瑯の入れ物から味噌をすくい出す木べらは、北欧土産。これは、バターかチーズのナイフだよな、きっと。

さて、まったくどうしてよいかわからない、次の原稿に取り組もう。
前途多難。

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2018年6月23日 (土)

「雨の山を楽しむ」Vol.1 横尾山荘・山田直さん

ヤマケイオンライン連載「雨の山を楽しむ」Vol.1
横尾山荘・山田直さん


リードより。

「若き頃、登攀に憧れ穂高岳に通った青年は、やがて穂高山麓の山小屋の主人になった。人生のなかのいっときであれ、真剣に山と対峙した経験をもつ者は、いまや山小屋経営者として、まっこうから山に向き合う。そんな山田直さんにとって、登山のパートナーであり山に暮らす必需品でもあるGORE-TEXプロダクトとの出会いや思い出についてうかがった。」


webサイト、ぜひご覧ください。

ココ


以下の写真は私がパチパチ撮ったもの。サイトはカメラマンさんによるものです。連載の趣旨通り、雨の日のインタビューになりました。

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2018年6月18日 (月)

書評『バッグをザックに持ち替えて』

『バッグをザックに持ち替えて』(唯川恵著、光文社)の書評を、『山と溪谷』7月号に書いた。

「恋愛小説の騎手」と呼ばれる彼女が、登山について書いた3冊目の本であるエッセイ集。
ほかの2冊は、いずれも新聞小説を収録したもので、『一瞬でいい』と田部井淳子さんがモデルの『淳子のてっぺん』。

数年前にご縁をいただき(ということを編集部は知らずに、原稿依頼がきたのだけれど)、書き手としては雲の上の方。
私も、もう少しでよいから、上手に書きたかった。

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2018年6月15日 (金)

おにぎり五題

ひとつ。
真冬の朝、友人宅にて。
「今朝は、スミちゃんの好きそうな朝ご飯にしたよ」と。

愛知出身の彼ら夫婦のところに届いた知多半島赤味噌を使った味噌汁。
鰹と昆布出汁に、オホーツクの素干し海苔と三つ葉。
「味噌がいい仕事をしてくれただけだよ」なんて言うけれど、ものすごく美味しかった。
ふた口ほどいただいたあと、海苔が巻かれたおにぎりへ。
これがまた、ふっくらとして、びっくりするほど美味しくて、「すっごい美味しい」と言ったら、「手のひらに少しゴマ油を馴染ませたからかしら」と。
何気ない美味しさ。

ふたつ。
晩夏、友人の山小屋を手伝いにいき、ひとり下山する日。
入れ替わりに登ってくる小屋番の友人が「クマにあったよ」と連絡してきたので、気が進まなくなり、けれどそのアシで次の山に登りたかったから、いよいよタイムリミットで下りようと決めたとき。
「お昼食べていく? 時間ないよね。残り飯があるから、おにぎり握っていって」と。
下りたアシで登る次の山の行程も考え、思わず大きなおにぎりひとつ。
膝の上に載せてみたら、我ながらその大きさにびっくり。

甲斐の国自慢の武川米と、篠沢からくみ上げた美味しい水で炊いたご飯。
塩むすびは、美味しかった。

みっつ。
春の終わりのある夜。
同じ業界で働く同性の仲間とワイン食堂のカウンター。
フランスの塩をくださった。

中学でサッカー部に入る息子を持つ彼女は、毎日、昼ご飯と練習後に食べるおにぎりを握るそう。「ウチの塩の消費量は半端ないよ」と。そうか、米もだけれど、塩もか。朝練と放課後の練習で大汗かくだろうしな。
粒子の粗いこの塩でも、おにぎりを作ってみたくなった。

よっつ。
先日の日曜日。
小ぶりのおにぎりを3つもって山へ。
全部食べられるつもりだったけれど、お昼をとったところで、出汁巻き卵や夕べの残り物だという海老のおかずなど、周囲から差し出されるがままにあれこれいただいていると、お腹がいっぱいになった。

すると目の前のFさん、「柏さんは、どんなおにぎり作るの? ひとつ頂戴よ」と。
うっかり、どうぞと差し出してからちょっぴり慌てた。お料理上手の彼女に、こんなおにぎりでよかったのか。
玄米ご飯を、仕事仲間からもらった粗塩と、フレンチシェフの友達も使っていたから安心して「これは美味しいモノだ」と使い続けているゴマ油を手のひらにぬり、握って、それからいただきもののとろろ昆布をぐちゃって載せただけ。

いつつ。
週末にかけてアドベンチャーレースが行われる村にて。
友人が「花おにぎり」というエディブルフラワーをつかったおにぎりを、3回にわけて180個作らなければならないと。むろん、私が出る幕はない。
冬に赤味噌の味噌汁と一緒に私に出してくれた、あの絶品おにぎりの彼女。それはきっと、みんな大喜びだよ。

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2018年6月12日 (火)

DIRTBAGな人生

先々月のこと、USのクライマー、フレッド・ベッキーを描いた映画『DIRTBAG』を観に行った。
いつかインタビューしてみたい、その時、もし通訳を頼めるのだったら、彼しかいないと、日本のあるクライマーのことまで勝手に考えていたけれど、昨年亡くなった。
94歳まで、自由闊達に、気持ちの赴くまま登って登って、登った人生だから、本望であり、幸せな人生だったのではないかと、思っていた。
会ったこともなく、憧れだけが募る相手が、いったい映画のなかでどう描かれているのか、自分のなかで美化しているのはまちがいないし、だから映画を観るのが少し怖かった。

映画を観て、人間、いびつだって歪んでいたっていいんだ、と思った。
けれど、フレッドみたいに素直でありたいね、と思い、前半は泣けてきた。
後半部分では、彼が死ぬまで登り続ける姿に泣いた。

画面には、いきなり親友が出てきて、フレッドについて語っていてびっくりした。「知らなかった、教えてよ」って心のなかで呟いたし、彼もこの映画を観たら、笑ってそして、泣きたくなるだろうなあと想像した。

帰路、友人と夕食を食べるなか、私が、「彼は、愛すべき人物、愛したい人だなあ」と言うと、彼女は「ええ? 近くにいたら、やたら迷惑だよ」と。笑っていたけれど、けっこうホンキで言っていて、なるほど……確かに、愛すべきではないかもな、でも愛したい人だなあと思いなおした。

数日後、マウイから日本に戻ってきている岡崎友子さんと話す機会があった。
フレッドの会場でも会い、映画の話は簡単にしたのだけれど、その続き。
「幸せな人生だと思う」と言うと、友子さんは、それはどうかなあ、というようなことを言っていた。彼ほど突き詰めていく人生は、生きにくく、辛く、ひょっとしたらいい加減に生きた方が幸せかもしれない、というような話をしていた。

それを聞いて、私のようにいい加減な者は、フレッドの人生を幸せとしか感じられなかったのかもしれない、と思った。
上映後、周囲から「友子さんもDIRTBAGですよね」と言われていた彼女、彼女ほど真剣に、ひとつのことを突き詰めてきた人間からすると、フレッドの生きにくさがよくわかるのかもしれない。

さて、DIRTBAGという言葉、なかなか日本人には馴染まない単語のように思っていた。だいいち、日本語には訳しにくい。
けれど先日、ある日本の写真家が、アメリカのスキー雑誌で「DIRTBAG」と紹介されていることを、読んだ。
春に旅先でお会いした方で、物腰柔らかく、礼儀正しいその様子とDIRTBAGという単語がどうにも結びつかなかった。
周囲の記事を読み進めていくうち、やっと根っこの部分を垣間見た。

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2018年6月 9日 (土)

お見送り

駆け出しの頃からお世話になったカメラマン、川﨑博さんのお見送りへ。

数日前訃報を受け取ったのは、信州から帰京する車中であったが、その日の下山のとき、なぜか私は、しきりに川﨑さんのことを思い出していた。

ある年の1月、南八ヶ岳の稜線の小屋で、川﨑さんは、ザックを開けて楽しそうに、カメラの収納について、私に話した。プラスチック製のごみ箱を改良して、カメラのプロテクターを作り、それがザックの中に納まっていたのだ。

思うに、手慣れたカメラマンほど撮影は早く、カメラの出し入れは素早く、持ち物はシンプルだ。川﨑さんも、厳冬期のバリエーションルートの撮影に、最小限の装備でカメラも保護していた。

もうひとつ思い出したのは、あるインタビューについてだ。
ボタンの掛け違えのようなことが起こり、インタビューした記事を掲載できなくなってしまったのだ。
川﨑さんは、私のインタビューに付き合い、ある日の晩、池袋まで来てインタビュイーの方を撮影してくださったというのに。
ファックスが届き、掲載ができなくなったその直後に、私は川﨑さんに電話をした。
インタビュイーに、なんて返信をしてよいか戸惑うなか、ともかく、これ以上カメラマンに作業の負担をかけるわけにもいかないと思ったからだ。
一連のことを、ありのまま話し、お詫びをすると、幾つかの言葉で、私を励ましてくれた。
救われた。電話口で泣きそうになった。

今晩は、山に関連する大きな祝賀会があり、大先輩たちはじめ、200人以上の方々が全国から集っているはずだ。私は、それをいわゆる「ドタキャン」して、お見送りに参列した。
そんな選択をしたのは、むろん私だけではない。生きている方のお祝いは、またの機会にできるけれど、見送りは今日だけだ。
編集者、ライター、イラストレーター、メーカーやショップ経営者など、仲間たちが集まった。
祝賀会の版元編集者がいたのにはちょっと驚き、「こちらにいらっしゃったんですね」と声をかけると、「あっちは、大勢いるでしょう。それに若い社員もいるから、人手も足りているんですよ」と。

そんな我われから供えた花輪は、「山仲間一同」。
仕事の仲間であり、山の仲間であった。
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梅雨の晴れ間の打ち合わせ

晴れた日こそ、山に登りたいのだけれど、うまく周期を合わせられず、気持ちよい天気の日に東京で仕事。
暑いけれど、朝夕は涼しい風が吹いたり、真夏よりは少しだけ空気が乾いていて、気持ちよい。

編集者と写真家さんにお会いした。
「山をテーマにした写真家で、好きな人は?」と聞かれ、即答したのは、展覧会があれば必ず足を運ぶようにしている方。「好き」とはとても言えないほど、惹かれる。

「どんな滑りの人が好きなの?」とも聞かれ、スキーについてまったく素人であることと、昨シーズン一緒に滑った人のなかで、という断りをつけて、でも即答したのは、半世紀も滑っているという方。
そういえば、先日、ある友人と話していたとき、彼も、「俺も好きだな」と言っていた。

好きに理由はなく、ただカッコいいと思ったり、惹かれたりするのだと思う。

でも、一見、「なんだろう? 不思議」と思うような滑りだったり、きっと上手な類には入らない滑りであっても、だんだんとよく見えてきたり、こっそり後をついていくと、気持ちよく滑れるときもあったりする。
そういう味わい方もあるのかもなあと、思ったり。

スキーや雪の写真にも詳しいおふたりと話すなかで、自然のなかで、山のなかで、色んな意味でその環境に見合った、調和した滑りをしている人は、やっぱりいいなあと思うのかもしれない。
23区にも、緑を通り抜けた風が吹く場所が、ときどきある。
そんなところで、夕方、少し涼しくなってきてからの、会話。
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2018年6月 8日 (金)

先輩の山小屋へ

久しぶりに、大学山岳部時代の先輩である山田直さんが経営する横尾山荘にお世話になった。
同じ山岳部の先輩といえども、直さんは、在学時代から社会人山岳会で登っていたし、私が入学した頃には、既に卒業していたので、多くの接点があったわけではない。

けれど、私が大学山岳部に入った頃には、既に登攀から軸足を山小屋生活に移しつつある頃で、山小屋の仕事もしていた。
年に数回は、この山小屋を通過したり、またテントを張らせてもらうこともあったので、お目にかかることは多かった。

正直に言うと、恐れ多くて話をすることもできない雰囲気があった。
怖い先輩というのとは、少し違ったが、クライマーの厳格な雰囲気があり、おいそれと話しかけられなかったし、叱られたこともあった。
そんな彼と、色んな話ができるようになったのは、卒業して数年経ってからであり、この仕事を始めた頃からだろうか。

人生のなかのいっときであれ、クライマーとして真剣に濃密に山と対峙したことがある人が、山小屋を営むと、こういう風になるのだなあと、いつも考えさせられることがある。
山への向き合い方、取り組み方、接し方は、登山者それぞれであるが、山は人を分け隔てしないし、だからこそ、魅力があり、厳しい。

こと幅広い登山者を迎える、この地にあって、先輩はやっぱり変わらず、自分自身が厳しく山に対峙されているのだなあと、今回もまた、色んなことを学び、気づかされた。
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2018年6月 4日 (月)

ヌタプカウシペ、最初の出会い

旭岳山麓のヌタプカウシペへ。
春菜さんにお別れし、真理子さんと話をしてきた。

最初の出会いというのは、とても大切だ。
私の場合、旭岳における最初の出会いは、ヌタプカウシペの春菜夫妻だった。
初めて東川町を訪れ、冬の旭岳に登ったのは、15年以上近く前のことだ。
なぜ、ヌタプを訪ねたのかは忘れてしまった。
モンベルの昔のカタログにあったロッジの写真が印象的だったのか、あるいは偶然だったのか。

けれどじつは、数年間は春菜夫妻とは大した話もせず、ただ泊まらせてもらっていた。
毎朝、春菜さんがクロカンコースの整備に出るのは知っていたが、それがどういうことかもわかっていなかった。
だんだんと話をするようになり、どうやって彼らがこの土地にやってきたか、どんな暮らしぶりであるのか、ちょこっとだけ知った。
それから何年も経って、クロカンをやるようになり、春菜さんってすっごい人だったのだと、やっとわかった。
手作りで始めた旭岳のクロカンコースは、いまやクロカン選手は誰もがお世話になる土地だ。
けれどわかったことは、クロカンに関わる者としてもだけでなく、登山や自然に関わる者としても、生活者としても、すっごい人だということだった。

初めての出会いが春菜夫妻だったことは、私が途切れることなく旭岳に通っている大きな要因だと思う。
つきることのない旭岳や東川町の自然の魅力を感じられるのは、知らず知らずのうちに、夫妻の目を通した景色を、私も見せてもらっていたからだと思う。

東川町のある祝賀会に招待いただいたときのことだった。
この時何が嬉しかったかって、席順が春菜さんの隣だったことだ。
春菜さんの席を訪ねてきたある男性が「”神々が遊ぶ庭”という言葉は、彼が最初に言ったんだよ」と教えてくれた。

大雪山を指すアイヌ語のカムイミンタラは、直訳すると”神の庭”。それを神々が遊ぶと表現した春菜さんは、やっぱりロマンチストだと思った。
旭岳連峰、大雪山をちょっと離れたところから望むと、ほんとうに神様が舞い降りてきて、遊んでいるように見えることがあるから、不思議だ。

この祝賀会の晩は、ヌタプに泊めてもらった。客は私しかいなく、春菜さんと遅くまで話をした思い出がある。

たくさん話さなくても、訪れるたびに心に残る小さな会話を積み重ねていける。
いっぺんに相手(人とか自然とか、山とか)と親しくなったり、いちどきにたくさん知らなくてもいいんだと思う。少しずつ相手のことを知っていく、近づいていく。

けれど、そういうことにも限りがある。

空港に迎えに来てくださったのは、長年東川町に住み、新聞記者退職後は町の歴史書の編纂などをしていらっしゃる西原さんだった。
車中、色んな話をするなか、この世に永遠はなく、生きる者も死にゆく者も留まることなく、流れゆく、というような話になった。

ヌタプに着くと、春菜さんは、私がいつも転寝をする日当たりのよい位置で、眠っていた。
お疲れであろう真理子さんが、春菜さんの最期を話してくださり、春の若葉とエゾヤマザクラの開花をみて、ヌタプで逝ったんだと知った。

帰路は、若者ふたりが空港に見送ってくれた。若者といっても、もう中堅どころか。
春菜さんの亡きあと、本格的にクロカンコースの整備を担当する方でもある。
やがて彼らの家族も空港に来てくれた。
みなに見送られ搭乗した、夜7時過ぎの機窓からは、薄花桜色に染まる空に、カムイミンタラが見渡せた。
もう、春菜さんは、あそこで遊んでいるのかもしれない。
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2018年6月 1日 (金)

山麓

ふとやっぱり、山間の土地に住みたくなるときがある。
いい風が吹いたとき、山が見えたとき、

今日は寒気の通過で、大気が安定せず。けれど、私が到着した頃には、五竜も白馬三山も見えた。残雪の山は躍動感があっていい。

友人達が集まるところへ行くと、雷の話で持ち切りだった。
あっという間に山が見えなくなり、雷が轟き始めたからだ。
標高700mほどあるこの村は、下界といえども、いわゆる都市とは違う。
北アルプスから吹き降ろす風の通り道は、ものすごい突風が吹くときがある。
雷も、電線や電柱に落ちるときもあり、家のなかに「熱」が入り、家電が壊れることも。

そんな話をしながら、薄手のウールのカーディガンがちょうどよい気温を、心地よく思う。

2018年5月29日 (火)

森林インストラクター養成講習スタート

今年も、(一社)森林レクリエーション協会の仕事が始まった。
秋までかけて、森林インストラクターを志している方々に向けて、「山の安全」という内容で講習などを行なう。

高校山岳部顧問を務めている男性が、休憩時間に質問があると声をかけてきた。質問には答えたが、高校生を山に引率するというのが、どれだけ大変な任務かと考えると、自分自身も高校山岳部で先生に彼方此方連れて行ってもらった身としては、応援せずにはいられない気持ちになった。

かつてガイドに来てくださった方も受講していた。勉強をしていらっしゃるのだと。

今年は、私のコマのあとに、橋谷晃さんの「企画の立て方」という講習があり、久しぶりにお会いできた。
かつて一緒に本を書いたり、何度かインタビューさせてもらったけれど、ここ数年はご無沙汰していた。

「田部井さんのお別れ会のとき、見かけたけれど、あの日はたいへんだったものね。話しかけずに帰ってきたよ」とおっしゃっていた。
ひとしきり、田部井さんの話をしたあと、「実は僕、会ったことがなかったんだよ」と。
NHK教育テレビの登山関連の番組では、田部井さんが講師のときも、橋谷さんになっても、テキストは私が書いていたが、まるでバトンを受け取るかのように橋谷さんに引き継がれていったので、てっきり面識があるのだと思っていた。
ついで、ほかの方の話もしながら、「こんな狭い業界だから、いつか会えると思っていると会いそこねちゃうね。柏さんはちゃんと会いたい人には、会いに行った方がいいよ」と助言くださった。

会いたいとか、ここに書いた記事は、じつは心の底ではこの方に読んでもらいたかったんだ、だから手紙を書いてみようとか、そんなことを考えながら実行していないことは幾つかある。

2018年5月27日 (日)

下調べ

次のインタビューの下調べ中。
エベレストの探検時代やアルプスにアルピニズムが芽生えた頃の写真や映像をあらう。
そのなかで出会った、一葉の写真。ずっと前に手伝った書籍の表紙に使ったものだった。
奥付をみると、ちょうど20年前であることに、驚き。
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よん連荘の記憶

23日
同じ業界で働く数少ない同性の仲間と。
かれこれ、仕事をご一緒するようになって7.8年経つけれど、ふたりだけで会うのは初めて。テーマは「刻(とき)」。美大時代の課題がいかに面白くなかったか、その理由を聞いて、大学生の年齢でそんなことを考えているとは、なんて早熟なんだろうと、感服。

ワインバーのカウンターで、ロゼスパークリングとソーヴェニオンブラン。
サラダに、豚肩ロース、山椒と雑魚のリゾット。


24日
山に登り、ちょうど渓谷が望めるいい位置にあるベンチに座り、おにぎり食べていたら、LINE。「今日、何しているの?」、と友人から。
下山後、かいじに乗って帰京したアシで、かいじに乗って自宅に帰る前の友人と落ち合う。
オイスターバー、立ち食い寿司屋、珈琲屋のハシゴ。
生ガキは、あっさりしすぎず、濃厚過ぎない石川産がいちばん美味しかったという結論。
ヒマラヤの話を聞き、昨今のあれこれの意見を聞く。

振り返ると、40代はものすごくたくさん仕事をした。今では考えられないようなスケジュールをこなした。そのペースをずっと続けようとは思わたなかったけれど、あの猛スピードで駆け抜けた40代があってこそ、50代が始まるのかも、と年若い友人をみて思う。


25日
前職の女友だち4人と。
キーワードは「turn the page」。
かつてのこの職場は、ゼロから自分で作り上げていかなかなければならない場面が多く、ワイルドだった。同世代も多く、賑やかであり、熱い職場だった。
あるとき誰かが、「この職場は、クラスイチ勝気な女子と、学年にひとりいるすっげえ変わった男子の集まりだね」と言ったことを、ミョーによく覚えている。

ひとりが、あるリゾートへ行こうと誘う。そこはオールインクルージングで、なにも考えなくてよい、脳みそをコインロッカーに預けて3.4日を過ごそうと。毎日が判断の連続で、それにものすごく疲れ果てた私たちにはちょうど良いはずだ、というのが彼女のアイディア。
その彼女は、50代になって、ものすごく楽になった。
いまがいちばん楽しい、とも。

職場のあった恵比寿の和食屋にて、ワインと煮物や焼き魚。


26日
すーちゃんと、幼馴染のハマチョの寿司屋へ。
3歳で幼稚園に入ったとき、園庭ですーちゃんは私に、「同じスミコだから、仲良くしよう」と言った。一番古い友達。
浜寿司のカウンタークィーンは私だったはずだけれど、あっという間に地元に住むすーちゃんに持っていかれた。

夏仕様の暖簾をくぐって、「はい、1日遅れ~」って誕生日ケーキを手渡そうとしたその直前に、ハマチョの誕生日を1ヶ月勘違いしてたことに気づいたw 
「俺たち、誕生日が一ヵ月違いだろ。来月だよ。いいよフライングでもらっておくから」と言われ……時期外れのケーキを手渡す。
寿司屋の大将にケーキはどうかと思ったが、酒は飲まないし、甘いものが好きなので。
「終電は気にするな、送っていくから」と言われながら……、いちばん古い友人と話をすると、自分の源のようなものを認識する。
また、来月行かねば、ホントの誕生日に。

さすがに、よん連荘となると、このあとは大人しくしようと思う。
月末の真打までは。
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2018年5月26日 (土)

ビギナーズラック

所用を済ませ、そのまま帰宅する予定だったけれど、どうせ家に帰ってもざわざわと落ち着かいないとわかっていたこの日、最寄り駅近くの喫茶店に初めて入った。

こういう昔ながらの喫茶店でたのむものといったら、ソーダフロート。

締め切りまであと数日の書評の構成をまとめようと、もういちど本に目を通す。
原稿依頼のとき、編集者から送られてきた記事見本は、同じコーナーに友人が書いた書評だった。数号前のものを選んだだけで、執筆者が友人だったことに、とくに意味はないだろうけれど、思わず読んだ。そうしたら、ちょっと驚くようないい原稿だった。

執筆を職業としているわけではない。文章を書ける人であることはよく知っているが、いつもはいうなれば、優等生のような文章だ。
それが今回は違った。力強い文章だった。

びっくりして、思わずカトマンズに住む共通の友人に記事見本のpdfファイルを送った。ちょうど彼とのあいだに、メールが行き交っていたタイミングだということもあるが、カトマンズの友人は無類の本好きで、いつも日本語の本に飢えているからだ。
それが巡り巡って書評を書いた本人の耳に入った。当の本人は「オレ、なに書いたっけ?」だった。
どんなによかったか話しながら、だんだん褒めすぎな気もしてきた。
すると、「初めて書いた書評だからかなあ」と。なるほど、ビギナーズラックか。

コチラの原稿はいくら絞ってみても、ビギナーズラックである友人の原稿を越えることが出来そうになく、うなだれた。

いわば私も若い頃に初めて書いた本を越えることができない点は、いくつもあることに、先日また、気づかされたばかりだった。

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2018年5月25日 (金)

佐々木大輔×平出和也対談、デナリ+シスパーレ ブルーレイ本日発売

デナリ(完全版)とシスパーレ(ディレクターズカット版、未公開映像あり)のブルーレイが、平出くんの誕生日でもある本日、同時発売になった。

これを記念し、佐々木大輔×平出和也ふたりの対談を、NHKのwebサイトに書きました。

大学山岳部からひたすら山を登り続けてきた平出和也さん。

近年は山岳カメラマンとして、エベレストなどのヒマラヤやヨーロッパアルプス、国内の山々を舞台に、登る人たち、その人の横顔や人生を撮影しています。

「なまら癖-X」という名前で仲間たちとワイワイあちこちに出かけ、山を登っては滑ってきた佐々木大輔さん。

20代の頃はエキストリームスキーヤーとして世界を転戦。30代になり、山岳ガイドに軸足を移し、今日にいたる。

山岳スキーヤー、ビッグマウンテンスキーヤー、エキストリームスキーヤーなどと呼ばれてきたけれど、彼の根っこにあるのは「山登り」、だと私は思っています。

そんなふたりの対談は、デナリでの撮影のあれこれ、そして平出くんにとってはそれがシスパーレへとつながっていった話、その姿にエールを送る大輔さんに、触れています。


撮影のとき、「ちょっと離れていない? 距離感がヘン。もっと近づいたら」と言ったら、以来、「この距離感はどお?」とシャッターの度に気にしていたふたりです。
その様子、手元のiPhoneで写してみました。


同じ山に対峙しながらも、バックグラウンドがまったく違い、被写体と撮影者という立ち位置でもあったふたりの「距離感」、対談記事から伝わるでしょうか。ぜひ、ご一読ください。

大輔さんと平出さんからのプレゼントキャンペーンも実施中です。


対談 
ブルーレイ購入 

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2018年5月23日 (水)

リアル世代の楽しみ方@大人の山登り入門

5/21発売『大人の山登り入門』(枻出版)、もうひとつのご紹介は「リアル世代の楽しみ方を知りたい!」と「私の山の楽しみ方」。
大人になってから登山を始めた方々に登場いただきました。


ご夫婦で登る新妻和重さんビクセンという天体望遠鏡など総合光学機器メーカー社長ですが、ご自身が御嶽山・五ノ池小屋で撮影した星空の写真が2点掲載されています。

私自身は新妻さんと一緒に、初秋の八瀬森山荘で星空を仰ぎ、秋真っただ中の入笠山で月を眺め続けた夜が、思い出深いです。


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ウィメンズ マウンテン アカデミーで仲間を得て「ヤマデミー」というグループを作った芝生かおりさんは、ヤマデミーのみんなと登場。私は講師・ガイド役5年程務めましたが、芝生さん達が初回の参加者。
記事を読んで、彼女たちの豊かな感性や知性にあらためて触れ、こちらがいただいたものの方がはるかに大きいと(これは新妻さん達含めすべて)、感謝しかありません。


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「楽しみ方」には、アドベンチャーガイズ勤務の宮川由佳さん。50歳を機にマッターホルンに登った話など。
いわば彼女は職種こそ違え、同業で働く同志のような存在ですが、つくづく惚れ惚れする登りっぷりです。

取材・ライティングは相馬由子さん。
うまく彼ら、彼女らの魅力を紹介できないので、ぜひ本誌をご覧ください。


ウィメンズ~の初回は、編集者の若菜晃子さんも講師でした。若菜さんには、「山を楽しむための書籍案内」に書いていただきました。
コチラのコーナーでは、星野秀樹さん(写真家)、渡辺佐智さん(登山ガイド)、黒田誠さん(国際山岳ガイド)、高桑信一さん(文筆家)、三好まき子さん(元古書店「みよし堂」店主)の文章も読めます。
若菜さんと三好さんにお願いしたのは私ですが、ほかの方々は、本誌編集担当の佐藤泰那さんの人選。


森山憲一さんのコラム「進化する山道具」の始まりは、「30年前と比してテント泊装備の重量は半分」。ゲラで読んだときから、同い年として思わず笑いました。

ハウツーは初級者向けですが、読み物コーナーは、多くの方々に楽しんでいただけると思います。
ぜひ、どうぞ。

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2018年5月22日 (火)

夫婦二人の初めてハイキング@『大人の山登り入門』

『大人の山登り入門』(枻出版)、昨日発売。
全体の監修とライティングを担当しました。
ライターは複数参加していますが、主だったページは、50歳トリオ(山本晃市森山憲一、柏澄子)が執筆。
アラフィフが山登りを始めるという内容なので、年齢的にはぴったりな。仕事の進め方も内容も三者三様なのは、言うまでもなく。

内容は多岐にわたりますが、2つのコーナーを紹介したいと思います。


ひとつ目は、「夫婦二人の初めてハイキングに密着!」

50代半ばのご夫婦に登場いただき、丹沢の端っこにある高取山・仏果山を縦走しました。
サーフィンと海釣りが大好きで年間100日は海に通う黒沢英喜さんと、読書に手芸とインドア派であり、山は小学校の富士山以来という黒沢英里さん。
おふたりが、山を味わっていく様子が、とても瑞々しく。
歳を重ねた方が新たなことを経験するとき、こんな風に智恵があって、だからこそ純粋なれるんだなあと、とても素敵な大人の趣味を見せてもらいました。
黒沢夫妻のコメントも載せています。


そんなお二人をガイドしてくれたのは、澤田実さん

取材に向かうクルマのなかで、英喜さんの海の話を聞き、「海、やってみたいんですよね。だって地球の70%が海でしょう」と。
帰路のクルマのなかでは、大学時代からの趣味である洞窟の話をずっとしていました。
山のなかでは、専門の鉱物や火山の話も。
澤田さんはいつも楽しそうに山に登っていて、穏やかで豊かで、今回のガイド役を澤田さんにお願いして、ほんとうによかったです。


ちなみに、20年以上前のコトでしょうか。ギター背負って小川山レイバック初登の顛末も、根掘り葉掘り聞いちゃいました。

ルートの途中で(あの比較的しっかりしたスタンスかな)歌ったのは、尾崎豊だったはず、と。


大人になってから、山登りを始めたいという方がお近くにいたら、ぜひ、お勧めください。

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2018年5月16日 (水)

短い時間のおしゃべり

シャモニーを発つとき、クルマで中央駅まで送ってくれた方がいた。
宿から中央駅に行くには、バス停まで歩き、バスに乗り、そしてまたバス停から歩かなければならない。大した距離ではないが、荷物が重くて大変だろうからと。
この先、何度も乗り換えを繰り返して、グリンデルまで行くのだし、大丈夫だと重ねたのだが、「大丈夫、大丈夫」と、あちらが大丈夫、と。
実際のところ、これにはほんとうに助けられた。

車中、短い時間だったけれど、いろんな話をした。
それぞれの近況とか。家族のこととか。
頻繁に会う間柄なわけではなく、一昨年夏に初めてお会いして以来、2度目だけれど、この間の夏も、今回も、ちょっとした時に、プライベートなことを話すようになった。
こういうのは、会った回数とか、一緒に過ごした時間の長さにだけ比例するのではない。相性とかタイミングとかだろうか。
また、プライベートなことを話さないからといって、近しく思っていないわけでもない。

互いに似たような年齢で、「若く見られるのがイヤだ」というのも、同じだった。
たんに顔の作りが幼いだけかもしれない。私の母がそうだった。
それにヨーロッパでは、ことアジア人は幼く見える。

「だからもう、諦めた」、と笑っていた。私も最近になってようやく、「お若いですね」と言われると、「ありがとうございます」とすぐに言えるようになった。若く見られることが苦痛でならなかたのは、この10年ぐらいだろうか。

大人になるには、たくさんのことを飲み込まないといけないという。幼稚に開き直るのでもなければ、成長できないと諦め、放棄するのでもないなにかで、相手の言葉を素直に受け取り、お礼を言えるようになる。

車中のお喋りも、それぞれが飲み込んできた、色んなことに触れるような、そんな心に残る時間だった。


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【味噌汁日記143】

独活、蕪の茎、蕪の葉っぱ。鰹出汁に尾白味噌。

贅沢なはなしだけれど、春の山菜、だんだん持て余してきた。
とくに独活。きんぴらも天婦羅ももういいや。
最後は、水にさらしてあく抜きしたあとに、味噌汁に入れた。
アタマの部分は小麦粉をはたいて、お魚と一緒にソテー。付け合わせに。

「永遠なんて、ないほうがいい」と言い放ったのは、親しい友人。
春の山菜にも、サヨナラ。次の季節にいこう。

そんなことを考えていた日、20代の頃からの別の友人が、facebookに息子とのやりとりについて書いていた。

幼稚園生の息子が、「ちきゅうもしんじゃうの?」と、友人である父に尋ねたそうだ。
友人は、約50億年後には、太陽が膨張して地球は呑み込まれて死滅するという学説があることを説明したと。
幼稚園生を相手に、すごいわと思い、読み進めると。
息子が好きな風船のなかにあるヘリウムにも触れながら、太陽の核融合の機序から解き始め、なぜ死滅するかという説明をしたそうだ。

翻訳家であり、臨床心理士の彼が、そんな宇宙の話を、理路整然としかもおそらく平易な言葉を使って、子どもに説明できるなんて、すごい。私には到底できそうにないけれど、子をもつ親は、そういうことにも必要迫られ、できるようになるのだろうか。

けれど、そういう説明をしたところ、息子は、死んでしまう地球に思いをはせ、涙を流して泣いたそうだ。
「これ、どないしましょ」というのが、友人のfacebookのメッセージ。

いかなる生命にも、いかなるものごとにも限りがあるということを、幼い心で理解するときがくるのだろうか、と思いながらコメントすると、幼子には、万能感のあるベタな夢も大切で素敵だと思うので、折り合いが難しい、と友人。
友人がいうところの「ベタな夢」というのはキラキラしていて、それを描けるのは、人生のなかでもきわめて限られた時間だろうし、だからこそ、親としては子どもにそういう夢も抱いてほしいと思うのだろうな、とそんなことも考えた。

「永遠なんて、ないほうがいい」、そう思えるのは大人であり、大人であっても思えなかったり。
毎日の味噌汁を作って記録するたわいもない行為のなかで、実にグダグダうだうだと、色んなことを考える。
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2018年5月10日 (木)

下調べ

インタビューに備えて、メインテーマではなく、その周りにあるものを読んでみようと、本棚をあさった。アラスカに関してもっている書籍は、これだけだった。植村直己さんが1冊もない。読んだことはあるけれど、所持していない。ちょっと偏っていただろうか。

クライミングのガイドブックは、いただいたもの。
訪れたことのない土地の概念やスケールをつかむには、こういったトポの前半にある山域概要を読むのもよい。今回の舞台になるあたりの、概念図も書いてみた。
手書きの概念図、いまでもときどきやる。数年前に初めてシャモニー谷を訪れたとき、この春いこうとしていたオートルートなど。訪れたことのないエリアの登山についてインタビューするときも、書いてみては「机上登山」をする。
アタマが悪いのか、本に載っている概念図を見ただけでなく、自分の手で書いてみて、初めて気づくことがある。

インタビュー前の下調べ。
インタビュイーに関する色んなものを読む。「色んなもの」だ。他者のブログやSNSに書かれたこと以外の、色んなもの。

けれどときどき、ふと思う。知り過ぎるのもどうなのかなあ……と。
まったく別のことになるが、ある友人が、好きで好きでたまらない人(料理家だったり写真家だったり)のことは、その人やその人の作品に会う機会がやってくるまで、なにも読まないようにしている、と話していた。どこかでその人のことを知ったのだろうから、まったく読まなかったということではないだろうが、好きになった瞬間から、読まない、ということか。
初めて直に会うときを、大切にとっておきたいというフレッシュな心情か。

そういえば私だって、映画を観る前に、前評判やプログラムや映画解説は、ほとんど読まない。
なにかをきっかけに観たいと思い、それだけの気持ちで映画館へ向かう。
そういうまっすっぐさがあった方がいいのかな。

今回の方は、これまでもインタビューを繰り返してきたので、「初めて」ということはないが、それでも、その人のなにかを、違うところから見聞きするのではなく、その人からもらえたら、「初めて」はその本人から受けるのが、それがいちばんなのかもしれない。

「相当楽しみです」と、届いたメール。こういう言葉は、嬉しく、そして軽くプレッシャーかかってくる。
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2018年5月 8日 (火)

読む、待つ。

ここ数日は、一冊分の本を、ゲラの段階で何度も読み繰り返す仕事だ。
自分の原稿を書きながら、ほかの人が書いた文章を読み込む。

以前、泊りがけで自著を校了したことがあった。
校了紙を、編集者と一緒に読み込んでいく。
ひとつのテーブルに向かい合って座り、同時にそれぞれが読み進めていく。
気づいたことがあれば、声を掛け合うのだが、読むスピードも、読み込む質も、ベテラン編集者の彼と、私ではまったく違った。
編集者がもつべき資質のひとつ、読む力に圧倒された。
 
私の場合、初稿を読んでいるときは、あれこれ彼方此方に考えが飛ぶ。
それはそれで、よいのではないかと思っている。
最初は、目を大きく見開いて、アタマも空っぽにし、相手の文章を受け入れる。
その次からは、違う作業をする段階に入っていけばよいのだから。
 
「この人は、こんな文章も書くのか」と、ちょっとした驚きとともに嬉しさがこみあげ、同世代であり、仕事仲間でもある写真家の文章を読み入った。そして、その彼の著作を、思わず本棚から取り出す。いやいや、そんなことをしていては先に進まない、とゲラに戻る。
 
今日は、連絡待ちの日。なかなか時間が流れなかったから、こんな風に、文章を読み込む仕事の日で、よかったのかもしれない。
いい知らせが続いているので、このあとも、持ち分に戻ろう。じっと読み続け、そっと嬉しさを抱え込み。
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2018年5月 6日 (日)

「山への情熱 音楽への愛」

「山への情熱 音楽への愛」は、花岡ユリ子さんが毎日のように綴っているブログのタイトル。
まさに文字通り、山への情熱を持ち続け、音楽を愛し続けているこの方と、お会いする機会があった。
花岡さんとは、ずっと前に、ある山岳ガイドさんのパーティでご挨拶した程度で、話をしたことがなかった。
 
しかし、とっても大切な接点があることも、なんとなくわかっていた。
山の仲間に音楽好きはいる。ジャンル問わず、いろんな音楽好きの友人がいる。
 音楽の仲間に、山が好きな人も、少しはいる。昔のオケの仲間が、私のキナバルツアーに参加してくれたこともあった。スキー好きもいるし、オケの夏合宿ではいつも、遠い山並みを眺めては、山の話をしたりもした。
 
けれど、花岡さんほど、山と音楽の趣味が合致する方は、そうそういらっしゃらない。
北穂高小屋のよっちゃん以来の出会いだ。
 
登山は、若い頃に始めたのを、50歳を機に再開。山岳ガイドの方々についていらっしゃるが、その出会いがまた素晴らしく、そして山岳ガイドとの付き合い方、ガイドと登る楽しみや醍醐味のようなものを教えていただいた。
 
音楽については、私がむかし在籍したアマオケは、花岡さんとも深いご縁があったのだ。
ある習志野の中学校オケがムジークフェラインザールで演奏する機会を得たときのことを、私は話でしか知らない。当時のウィーンフィルのフルート主席奏者は、トリップさんだった。トリップさんがバス停で、私たちのオケのフルート奏者の先輩の三つ編みを、ちょこんと引っ張ったことは、忘れられないストーリーとして、語り継がれていた。
 
そのとき、花岡さんはお腹に赤ちゃんがいて、ウィーン遠征には行けなかったのだという。
数年前、初めてウィーンへ行き、音楽の名所を各地観光したことや、なによりもムジークフェラインザールでウィーンフィルの演奏を聴いたこと、お仲間の方々が演奏した話は、興奮するような内容だった。
若い頃、行くことができなくても、何年もの歳月を経て、チャンスは巡ってくるのだなあと思った。
 
私が、当時のメンバーからの室内楽の誘いに、なかなか重い腰が上がらない話をすると、笑っていた。
アマチュアなんだから、もっと気を楽にして楽しめばよいのだけれど。
アマオケにいた当時は、ものすごい練習量だった。私は必死についていった記憶があった。演奏レベルを維持するには、人の何倍も練習しなければならなかった。
仲間のなかには、その後プロになった者も多い。そういった彼らと演奏するのに、気軽には向かえないのだ。
けれど、よくよく考えたら、必死に練習していたのは、私だけではないのかもしれない。自分だけが下手くそで、必死だったように思い込んでいるのかもしれない、と、花岡さんの笑顔を見て、思った。
 
「私も、ヨーロッパツアーは、聴く係よ。みんなは演奏しに行くんだけれどね」とも言って、また笑っていた。
私も、仲間の演奏を聴くのは、ものすごく好きなので、花岡さんのお気持ちもわかる。
 
ポジティブで明るくて、オープンマインド。
そんな方は、息長く、山も音楽も楽しめるのだなあ。
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旅のレッスン2

数年前の夏、パリとシャモニーで旅のレッスンをしてくれた山岳部の先輩、玄さん。
シャモニーの街の登山道具店を一通り案内してくれたのち、その隣にあるナイフ屋さんが目に入り、お店へ。
日本でもアウトドアナイフが人気のメーカーの、カトラリーが並んでいたので、「こういうの、いつか揃えられたらいいな」と言うと、玄さんは小声で、「コレもいいけれどね、スミちゃん、コッチだよ」と言って、もうひとつのメーカーのカトラリーを指した。
そして、そのメーカーがある小さな村や、創業のことなどを話してくれた。
 
玄さんは、美術館などをガイドするフランスの国家資格を有しており、その年、美術館や教会や街角や本屋さん、レストランと、あちこちに連れて行ってくれた。そして、私はほんとうにたくさんのことを教えてもらった。その話はいずれも、ヨーロッパの歴史や思想、風土に由来するものだった。
それはまるで、この先、私がヨーロッパの山を登り、街を歩き、旅をする道筋をつけてくれたようだった。
 
玄さんが教えてくれたカトラリーは、私が最初に目をつけたものよりも、お値段お高めだった。
「この価格のナイフ、6本も買えないなあ」と言うと、「1本ずつ売ってくれるんだよ。2本でもいいじゃん。あるいは、少しずつ揃えれば」と。さらには、「研いで、大切に使えば、一生ものだよ」とも教えてくれた。
 
料理に使う包丁は、よく切れた方がよい。
簡易的な研ぎ石だけれど、研いで使う。
けれど、カトラリーにそこまで気を配ったことは、なかったな。
食事を食べるのに、そのとき使うナイフもまた、よく切れた方が、切り口がよい方が美味しいに決まっている。
 
友人達に、「5月4日は、ソーヴィニオンブランの日だって」と伝えると、私と同じようにNZのワインが好きな関西の友人が、「ソーヴィニオンブランは、NZがいちばんだね」と話し始めた。富山の友人もまた、話に加わってきた。
住んでいるところがバラバラだから、集まって一緒に飲むことはできない。「自習しよう」と私は言ってみた。
 
ウチには、近所の友人が、初夏の気候にあったソーヴィニオンブランをもって遊びに来てくれた。この時期の晴れた東京は、空気がカラって乾いて気持ちい。そこで、チキンを買ってきて焼いてみた。
友人が来るときに、カトラリーナイフを使うような料理を作ることは、めったにないけれど、「そうだそうだ、玄さんが教えてくれたナイフを使ってみよう」と思い出した。
 
旅先で教えてもらう色んなことが、友人達が教えてくれる色んなことが、日常を彩ってくれた。
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2018年5月 4日 (金)

泣き虫ぶり健在、萩原智子さんゲスト山カフェ明日まで

先月28日にNHKラジオ第一で放送された「石丸謙二郎の山カフェ」は、元競泳選手であり、現在は解説などで活躍している萩原智子さんがゲストだった。
今日やっと、らじる☆らじるの「聞き逃し配信」で聴くことができた。
明朝8時までの配信のよう。
 
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故郷山梨から登った富士山の話、それから自分自身が競泳選手として転機であった迷い苦しんだだろう頃に登った山々の話、そこで巡り合った自然や人々について語っていた。
 
白馬三山の杓子岳での出会いを話すころには、涙目になったようで、そういえば、あのとき、現場でも泣いていた。
自身、かなり涙もろいと思っているけれど、自分よりも涙もろい人を初めて見たよ! と思ったものだ。
感激屋なだけではない。心がいつも開かれていて、そしてポジティブな人。それは、とっても綺麗な人なんだ。
 
智子さんがすすめている「水ケーション」が、かつて北穂高岳に登ったとき、北穂高小屋で話したことに由来していたとは! ひとつひとつの経験を大切にする聡明な方でもあると、あらためて敬愛した。
 
終始、智子さんの瑞々しさが伝わってくるような、とってもいい番組だった。
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三浦雄一郎×東秀訓@THE EARTH

昨年に続き、『THE EART』(ici石井スポーツカタログ)の巻頭記事を書かせてもらった。
今年からiciのアドバイザーに就いた三浦雄一郎さんと石井スポーツ登山学校の東秀訓さんの対談。
おふたりは以前、クラーク記念国際高等学校の校長と国語教諭だったそう。

私自身はインタビュー翌々日からシャモニーに出かけたこともあり、三浦さんの若い頃の活躍は、目の前の氷河の山を眺めながら思いをはせた。

父・敬三さんは101歳までバレブランシュを滑っていたという。実際にエギュードミディからバレブランシュ、メールドグラスを滑り終えたとき、101歳で滑ったことも、90歳のときは滑走後1日レストをいれ、翌々日にはブレバンを滑っていたというのも、ほんとうにすごいと実感した。
三浦さんの古い書籍から、チェルビニアでキロメータランセという、スキー滑降のスピードを競うレースに出た話を読み、こんな氷河でいったいどんな狂気かと思ったりもした。
自分なりに、三浦さんのとんでもない偉業を感じた。

 

数知れずインタビューを受け、沢山の関連記事のある三浦さんであるが、ひとつでも新しいことを、ひとつでも彼のこれまでの業績のなかから新鮮なことを書ければと努めた。
はたしてそんな記事になったかはわからないけれど、子供時分の冒険遊び、キロメータランセ出場前の綿密な準備、そして次世代に残したい思いなど綴りました。

 

写真は、札幌在住の写真家・佐藤雅彦さん。スキー、カヤック、古墳などの作品がある方。春浅い札幌の街で取材、撮影しました。
表紙はマッターホルン・ヘルンリ稜を正面からとらえた写真です。ici店頭にありますので、ぜひご覧ください。

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2018年5月 3日 (木)

カウンター

迷うことなく、カウンターに座る店が、3軒ある。
 
ひとつは、幼馴染が握る寿司屋。カウンターは5席ぐらいか。
そこがいっぱいになるようなタイミングでは行かないので、まちがなく座れる。
寿司を食べに行くというよりも、幼馴染が握る寿司を食べに行くのであって、だからカウンターに座らないと、話にならない。そして、もちろん美味しい。
 
友人の珈琲とクラフトビールを出すという、店もそうだ。
「なんで、珈琲とクラフトビールなの?」と尋ねると、「両方も好きだからさ」と。
 
もうひとつは、観光地でもある山の麓の村で友人夫妻が営む、珈琲専門店。
ひとりで寄ることが多いが、静かにコーヒーを味わうにも、窓の向こうの山並みをぼっと眺めるにも、友人夫妻とお喋りするにも、心が鎮まる。
時には、偶然に友人に会えたり、私のクルマが停まっているのを見つけて「今から寄るよ」とメッセージ入れてくれる友人もいたりする。
 
こちらも、なるべく混んでいるときは行かないようにするが、行楽日和であっても、休日の谷間とか、休日最終日の夕方などは静まってくる。
朝、カウンターに座った。次の行先を知っている友人は、「時間、あるでしょ。ゆっくりしていってよ」と。
友人の思いやりに甘え、コーヒーを飲みながら、次のインタビューについてじっくり考えてみた。
ほかにもお客様が数組いたし、夫婦たちは時おり話しかけてくるし、けっして静かというわけでもない。けれど、落ち着く。インタビュー当日までに、すべきこと、読みたい資料、観ておきたい映像をリストアップし、インタビューの方向性を探った。
こんな風に思考を巡らせることができる落ち着いた空気は、やっぱり店主たちが作りだしているのだろう。
 
カウンターというのは、店主との距離感も面白いが、臨席の方との距離感も独特だ。
 
先月入った、立ち飲みのカウンターでもそうだった。
ときどき通る四つ角に、品ぞろえのよい酒屋があることは知っていた。その酒屋が経営する酒場が一階と二階にある。二階は、友人と入ったことがあるが、一階の立ち飲みはいまだなく。
 
仕事を終えて、帰宅する前に、一杯飲んで、夕ご飯も済ませちゃおうと思い立ち、ひとりで入った。
読みたい文庫本があり、それを片手に、ハッピーアワーのワインとぬか漬けからスタート。
隣にやってきた年かさが少し上の男性は、ハッピーアワーのワインにモズクから始まった。
なんとなく、並びの人たちが頼むものが耳に入り、彼らの会話も耳に入り、なんとなく距離が縮まる。というよりも、縮まった気になる。
けれど、私はとくに話しかけたり、話しかけられたりもせず、文庫本を読みながら、飲んで、食べて。
横に目をやったりもしない。
でも、隣の人たちの飲みっぷりあっての、空間。
そんな客同士の距離感も
、カウンターの面白さかもしれない。
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2018年5月 1日 (火)

台割

書籍や雑誌を作るにあたって、「台割」というのがある。
「台割を決める」とか「台割を作る」というが、一冊の内容とその展開をすべて決めることであり、ここは重労働になる。
 
台割は、一冊分の全ページが表になっている。
横軸は、1ページにつき1行ずつのマス目がある。
たとえば、128ページある本であれば、128行ある(実際には表1、表2などがあるので+アルファ)。
それに対し、縦軸は左から、「折りの数」「ページ数」「タイトル(記事や章ごとの見出し)」の項目がある。
続いて、担当者の項目が幾つか。編集、執筆、デザインなど各担当者の名前がある。
その次に、スケジュールを書き込む欄がある。「レイアウト」「写真」「イラスト」」「地図」「原稿」「DTP」「色校」「校了」など、大まかなスケジュールを書き込んでいく欄だ。
エクセルなどで作られているが、はたして、エクセルがない時代、台割はどうやって作っていたんだっけ。
 
いずれにしても、一冊に関わる全員が、この台割を共有し、作業を進めていく。
編集者、ライター、デザイナー、印刷業者さんなどが、これを手元に置いて、作業をするのだ。
 
今回、主たるライターとして関わっているものが3人いる。偶然にも私たちは、同い年だった。
編集者から、ライターの顔ぶれが決まったと連絡をもらったそのあとの打ち合わせの時、彼女に、「3人、同い年なんですよ」と言うと、「ええ、ほかのおふたりも、そう言っていました」と。
しかも、3人そろって、老眼の話題を口にするのだとか。
 
まったく……なんだか、恥ずかしい。以前は、こんなこともあった。
 
あるメーカーのテスト品のフィードバックレポートを提出した際、今回のおふたりのうちのひとりと、私のレポートがほとんど同じ内容だったそうで(テスト品は複数あったのに)、「ふたり、相談でもした?」とメーカー広報担当者に言われた。相談なんて、するわけがない。
しかし、オールドスクールというのは、そういうことになるのか……と、ちょっとうなだれた。
 
台割の「原稿」の欄を、入稿した順に蛍光マーカーで塗りつぶしていく。
今日もいくつかのページを塗りつぶしたが、ちょっと先は長い。
 
山で筍が採れたから、筍御飯を作った。山椒もたくさんあったので筍御飯に載せたり、炊きあがった白米にパンパン叩いた山椒をまぶし、山椒御飯や山椒おむすびも作った。
それらがたくさん、冷凍庫にあるというのに、カレーが作りたくなった。
だいたい、仕事が立て込んでいるときこそ、こういうややこしいことを、やりたくなる。
 
友達が作った、杏子のソースとすりおろし林檎にブーケガルニを入れて煮込み、スパイスを入れてからはサッと仕上げたら、見た目よりずっと美味しく出来上がった。
 
しかし、問題は残った。筍御飯や山椒御飯を差し置いて、玄米ご飯をさらに炊いてしまったし、カレーが寸胴鍋いっぱいだ。
まるで合宿飯のよう。
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2018年4月30日 (月)

山を下りてから

春はとくに、山を下りてからが忙しい。
雪の山を滑っても、里山をハイキングしても、下山後帰宅してから、もうひと仕事ある。
スキーブーツを脱いで、春の陽光のもとでサンダルになって、ふわあと開放的になるけれど、台所での作業を考えると、あんまりゆっくりもできない、ときもある。

わらび、たけのこ、山椒、こごみ、うど、ふきのとう、ふき……大好きなこしあぶらの収穫が、全体のなかで少な目なのが、残念。それは行き先に理由があるのだけれど、豚肉に挟んでとんかつにしたとか、さっと湯がいた、ナムルにした、新じゃがに和えた、など私がやったことのないレシピを聞かされると、興味がわいてくる。こしあぶらは、てんぷらか炒めるか、炒飯の具にするかぐらいしか、レパートリーがなかった。試してみたいけれど、手元にない。

行者にんにくは、去年、優秀なクライマーから醤油漬けを大量にいただいたことがあった。
使い勝手がよく長持ちする。醤油も調味料として活用し甲斐がある。
やっぱり、これがいちばんだよな。
今年も醤油漬けに。

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2018年4月28日 (土)

手紙

旅の終わりに、グリンデルに立ち寄ったのは、13年前のひと夏下宿させてもらったネビカー夫妻と、その娘のマルガリータや孫にあたるサラ達に会うためだった。

ある日、グリンデルの目抜き通りにあるカフェで、マルガリータとサラとコーヒーを飲んでいるとき、サラが、「facebookは情報が多すぎて、やっていない。それよりも、手紙を書くようにしている。相手のことを考えながらカードを選んで、切手を選んで、ポストに投函するのも楽しい」と言った。
 
facebookのある種の鬱陶しさは、誰もが感じたことがあるのではないかと思う。
名前の通り、顔を突き合わせるような、友人にちょっと顔を見せるためのツールだったらよかったけれど、「友達」がだんだんと増えてくると、気を遣うことも増えてくる。
設定によっては、親しい限った友人にだけ向けてやれることもできるが、その「親しい友人」とやらいう設定から、誰であれ、いきなり外されたときは、やっぱり心が傷つく。
ようは、そういうところも、面倒だ。
 
サラも、弟のラファエロも、小さなときからよく手紙を書いていた。
あの夏、山から下りてきて、下宿先に帰ると、ベッドの枕元に、サラとラファエロからの手紙が置いてあった。当時はふたりともまだ、英語を話さない小さな子だったので、彼らとの会話はもっぱらドイツ語だった。短い手紙も、ドイツ語。「昨晩の美味しいご飯、ありがとう。また遊びに来るね」、そんな内容だったと思う。絵も描いてあって、ほんとうに嬉しかった。
 
週末、お世話になった友人家族がある。
彼らの新しい引っ越し先を訪ねたのだが、美味しいものをたくさん食べさせてもらい、最後には手土産もたくさんもたされて、帰ってきた。
帰宅後に、もう一度お礼の言葉を伝えようとしたとき、ハタと気づいた。
知っているのは、引っ越す前の電話番号だけ。メールアドレス、どこかにあるだろうけれど、どこだったか。facebook、知らない。住所ならば、わかる。
 
それならば、家にあるカードから、彼らに向けたいものを探し出し、切手を貼って、投函。
さて、次は、サラが夫と暮らしているという新しい家に、手紙を書こう。
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2018年4月26日 (木)

写真機

ある晩、グリンデルにいる日本人達が集まった。
私が、13年ぶりにグリンデルヴァルドを訪ねたということで、長年グリンデルに住む上西さんが、色んな方々に声をかけてくれた。かつてご一緒した方もいれば、初対面の方も。
 
13年前のひと夏、私が暮らしたのは、グリンデルのひとつ下の村のグルンドだった。
ひと夏滞在したけれど、毎日山に登るか、山を歩くか、それ以外の日は下宿先のお父さんのチーズ小屋へ通っていたし、私が生涯唯一、「主婦業」らしきことをしていたときでもあり、めったにグリンデルの街にあがっていくことはなかった。
街へ行くとしたら、当時モンベルの店長をしていた由美を訪ねるか、コープに買い物に行くときだけ。日々の買い物はグルンドの小さなスーパーで充分だった。
だから、グリンデル住む日本人の方々とは、ほとんど交流がなかった。
 
それであっても、「たまにはグリンデルに遊びにおいでよ」「いつでも帰っておいでよ」と言ってくれる方々が、集まってくれた。
そのうえ、グリンデルに取材に来ているというスキー雑誌の編集者や写真家もご一緒できた。
 
「どんなカメラを使っているの?」と聞かれ、2台見せたけれど、そのうちのひとつは、ちっとも面白いと思えず、好きになれず、けれど山を歩きながらも、どんな天候でも手軽に撮れるから使い続けていた。
以前もそんな話を、ある写真家さんにしたところ、「これは、いいカメラですよ」と言うものだから、そんなに魅力があるのかなあ、と思い探りながら、また使い続けた。
 
「面白いと思えないカメラは、面白くないよね」と、グリンデルの写真家さん。
そのうえ手にとって、のぞき込むと、「随分、レンズがやられているんじゃない」と。
日本からやってきた、もうひとりの写真家さんが手にとり、のぞき込んでくれた。
そして、無言でパンツのポケットから布を出し、レンズを丁寧に拭いてくれた。
「これで、随分よくなったと思いますよ」と。
 
あんまりに恥ずかしかった。
取材後、夜半、コチラの飲み会に顔を出してくれ、カメラを持ってきた様子もないのに、ポケットにはレンズを拭く布切れが。
一方でハンカチの1枚もポケットに入っていない私。
 
もう少し使ってみるかなあと、その面白くなれないカメラで何枚か、テーブルの上のグラスを撮ってみた。
それでもあんまり好きになれずにいたら、こんなカメラはどお、と幾つか教えてくれた。
楽しいと思えるカメラで、やっぱり撮ってみたい。
一眼レフについているレンズが、大好きなように。
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