2018年2月18日 (日)

山書

ガイドに来てくださっているMさんが、facebookに、山口耀久さんの『北八ッ彷徨』を紹介していた。ある山小屋の方から勧められて、手に取ったと。
「私も、この本が好きです」とコメントすると、澄子さんはなんでも知っている、山の本をなんでも読んでいるようだ、というような返信をいただき、恥ずかしくなった。
 
私は知らないことだらけだし、山の本もちっとも読んでいない。ほんとうに読んでいる人たちを大勢知っている。それにじつは、積読も好きだったりする。
 
けれど、私の世代の少し上の先輩たちは、山口耀久さんをクライマーとして憧れただろうし、私自身も先輩たちの影響で、そんな文章も読んだ。そして、文芸的な面でもたいへんな恩恵をいただき、彼のおかげで、私たちは山の良書、よい文章をたくさん読む機会を得たのだ。『アルプ』しかり。
ちょっとだけ長く山をやっているだけで、そういうことがほんのちょっとだけあるだけ、たったそれだけのことだ。
 
今回、Mさんのfacebookの写真を見て、平凡社の定本のボックスに掲げられた文字は、深い緑色の活版で刷られたものであり、その緑色が北八ヶ岳のコメツガの色そのものであることを、あらためて知った。書名と著者名のあいだに、コメツガの針葉と松ぼっくりの絵も添えられている。
著者も素晴らしいが、これは装丁家の仕事も素晴らしいと思った。
そして、本棚から山口耀久さんの著書を取り出してみようと思い立った。
 
そんなきっかけを作ってくれたMさんに、感謝するのは私の方であり、良書は時を越えて、登山者たちの手に渡るのだろうなあと思った。
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2018年2月16日 (金)

山のガイド

先日、友人でもある山岳ガイドと、クライミングに行く機会があった。
仕事上、ガイドと山に登ることもある。しかしその目的の大半は、安全管理であり、そのなかで私たちが取材をしたり、撮影をしたりするというもの。
山岳ガイドの友人、仕事仲間と山に行くことも少なくない。が、それはガイドとクライアントではなく、仲間同士の登山、クライミング。
しかし、今回はちがった。
 
クライアントとしてガイドと一緒に登ったのは、初めての経験。そのガイドが、彼でほんとうによかった。ひょいっと降ってきたような機会だったけれど、貴重な時間となった。
 
色んなことを考え、感じることができた。
たとえば、リスクマネジメントについてどのように考えているのか。わざわざ語るわけではないが、一緒になったパーティとの接し方や装備の扱い方、アンカーの取り方、そのほかすべての言動から、それは知ることができる。
それらは、私が山に登る者として、具体的な学びがあるだけでなく、考え方も含めて今後の指針となる。
 
あるいは、山への取り組み方。
これまで仕事でもプライベートでも色んな場面をご一緒させてもらってきて、十分わかっていただろう、その姿勢を、登る場面でまざまざと感じることができるのは、幸せな機会なのだと思う。
クライミングだけでなく、アプローチもあわせた登山全体のなかでの、彼自身の動きを見て、言葉を聞くと、これまで辿ってきた道がうかがい知れるようであり、そしてまた、どんな山を、クライミングを志向してきたかが、強くわかる。
私も大好きな、共感できるセンス、憧れる志向性。
 
以前、山岳ガイド達をインタビューする連載をしたことがあった。
あるガイドをインタビューしたとき、たまたま彼のクライアントのなかに友人がいたので、「いったい、どんなガイディングをするの? どこが魅力なの?」と尋ねたことがあった。ガイドの彼も親しい友人であるが、友人がガイドをする姿を見たことがなかったので、いったいどんな顔をしているのか、知りたかったからだ。
クライアントに尋ねたことを、本人に言わないのもフェアじゃないと思い、報告もした。
そのとき、「アルピニストと一緒に登ることができる、幸せ」というような表現を、クライアントの彼女が使って話してくれた。「アルピニストと登る? そんな感覚になるの? どういう意味かなあ」と再び尋ねると、「ほんとうに山が好きなんだと、感じることができる」ともう一度説明してくれた。
 
その人が、「ほんとうに」山が好きで、そして自分のスタイル、志向をもっていて、それを感じ取ることができる、そんなガイドと登れたら、それは極上の経験となるだろうと、私も今回、実感できた。
 
私自身は、無雪期を中心にハイキングのガイドをするが、はたして、自分がもっている山の世界観を、お越しいただく方々に、感じとってもらうことができているのか、人に感じてもらえるほどのスタイルや志向を持っているのか、ということも考えた。そういうものがあるのが、いいガイドなのではないか、と。
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2018年2月11日 (日)

音楽、文学、友人

稜線が轟々と烈風吹きすさび、樹林帯に入ってくると、ほっと生き返ったような。
そんな山から逃げ帰り、ひとりでドライブしながら、音楽を聴く。
アルバムを選びながら、最近、ある友人と好む音楽が重なっているねと、ふたりで互いにそんな話をしたことを、思い出した。
女性歌手でいえば、ジョニー・ミッチェル、リッキー・リー・ジョーンズ、矢野顕子。私はそれに加えて、キャロル・キングにローラ・フィジィ、アナリス・モリセット、浜田真理子かな。
 
先週の山は、その彼女が運転する車で帰ってきた。
桑田佳祐が流れていて、私より少し若い友人が「若い頃は、この人の歌、ダメだったんだよね。最近、好きになった」と言う。サザンはいいけれど、桑田の歌は苦手だったと。
甘くも男っぽい桑田佳祐の声を聴きながら、「優しい歌なんじゃないかな」と、思わず言葉が出た。「そうか、優しいのか」と友人。「今まで、当たり前のわかりやすい優しさしか、気づかなかったよ」と。なんというタイトルのアルバムだったかわからなかったけれど、桑田の歌は、まぎれもなく優しかった。
 
寝る前に、ベッドの中で本を読む。『冷蔵庫の上の人生』。この本を勧めてくれた友人は、学生時代をバークレーで過ごした。英語の原作を読んだと。私は、迷うことなく日本語訳を手に取った。
なかなか、私にとっては辛い内容だけれど、そこにも優しさがあった。
 
気づかなかった優しさ。
ものすごく辛いときや悲しいときに、言葉をかけてくれた人たちのことを、人は忘れない。
その言葉ひとつひとつも、そのときのシーンも、声の色も、相手の表情も忘れない。
そんななかに、気づかなかった優しさがあったことに、ようやく気付いた。
 
「柏さんが、これ以上無駄な人生を送らないことに、乾杯」。
びっくりする言葉。え? 私の今までの人生は、無駄だったのか? ちょっと解せない言葉に、しばし考えこみ、その後も時あるごとに考えこんだ。
それが先日、あるひょんなことがきっかけで、「ああ、ひょっとしたら、ああいう意味だったのかもしれない」と思い至った。ま、今回の理解もあっているのかは、わからないし、何よりも言葉を発した当人はもう覚えていないことだろうけれど。
それでも、人の優しさは、いろんなところにある。
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2018年2月10日 (土)

胸の奥に沁みる味

白馬でスキーを終えたあと、小谷村へ行った。
まずは友人達と、あるレストランへ。ひょんな流れで、「今日の昼はここで食べよう」という話になったのだが、その思いがけない出会いに、びっくりした。
とても美味しい。そしてシェフが着ていた、シェフコートに山並みが刺繍されていたので、尋ねてみたところ、岳人たちとの交遊がたくさんあることを知った。シェフの話に登場する方々は、山と文学、山とツアースキー、山と写真、山と釣りなどの趣味をもっている方々で、私も旧知の方もいらっしゃれば、お名前だけ存じ上げている大先輩たちも。
 
世界各地で修行したあと、故郷小谷でレストランを営もうと戻ってきた、と。
そして、北アルプスの山麓で、料理を通じて、地元に貢献しようと努めていらっしゃった。
あっさりしたフレンチは普段使い、毎日でも食べたい味であり、美味しいというだけでなく、それ以上に胸の奥底に沁みた。
 
その後、友人達と別れ、さおちゃんの家に向かった。初めて訪ねる彼女の家は、とっても大きな古い日本家屋で、道路から玄関まで背丈以上の雪が積もり、ラッセルしないとたどり着けなかった。こんな大きな家に、ひとりで住んでいる女性を、私は知らない。
 
彼女を知る誰もが、「さおの料理が食べたい」「さおの料理は旨い」と口々に言う。
 
そんな彼女が、料理を作って待っていてくれた。
南瓜のスープと、マフィンを使ったピザ、そしてキャベツと人参のサラダだ。
どれも、ものすごく美味しい。ピザには胡桃が入っていた。サラダになんとなく「和風」の風味があると思い聞いてみると、塩麹を混ぜたという。
 
職業柄、予算内でスーパーで売っている食材を買い求め、大人数に向けて、手際よく作ることに慣れている。とはいえ、彼女の作るご飯は、なんでこんなに美味しく、胸の奥底まで沁みるのだろう……といつも、思う。
食べてくれる人が、その日にどんなことをしたか(身体をたくさん動かしたとか、机上でアタマを使ったとか)を考えながら作る、とも言っていた。
 
翌朝、友人宅にて。「スミちゃんが好きな朝ご飯だと思うよー」と出してくれたのは、味噌汁とお握りと漬け物だった。
 
味噌汁は、鰹と昆布で出汁をとり、シンプルな構造の味の赤味噌。三つ葉とオホーツク産だという素干しの海苔。なんと表現していよいか、その言葉を持ち合わせていないけれど、ものすごく美味しかった。
友人は「いただきものの赤味噌がいい仕事をしてくれただけ」と言うが、それだけではない。
 
そしてまた、塩味だけのお握りが、ふわっとしていて、なんとも美味しいのだ。
だいたい、お握りを軽やかに握る姿をみたときから、これは美味しいにちがいないって思っていた。
 
私が、あんまりに「美味しい、美味しい」を連呼するから、笑っていた。
笑われたけれど、それは本当で、美味しいだけでなく、この朝ご飯と、朝ご飯を作ってくれた彼女と、彼女と過ごしたいろんな時間に感謝したくなるような、胸の奥底まで染み入っていく味なのだ。
 
料理上手とか、ただ美味しいとかというのとは違う味が、彼らの料理にはある。
食べるとほんとうに、「ああ、美味しい」と思わず言葉がもれ、そしてしみじみと心が温かくなる、そんな料理。
さおちゃんがお土産にもたせてくれた蒸しパンは、その晩、みんなでワインを飲んだときに食べた。干し柿は、まだ残っているので来週の山に持っていこうと思う。
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2018年2月 2日 (金)

平出和也さん SUUNTOインタビュー

登山家・映像カメラマンの平出和也さんをインタビューし、スウェーデンの時計メーカーSUUNTOのwebサイトに掲載していただいた。

平出さんは、SUUNTOという時計との出会い、山のなかで、旅先で時計とどんな付き合いをしているか。そしてこの夏のトライについても語ってくれた

彼と知り合って15年以上経つけれど、昨年は平出さんを3回インタビューする機会に恵まれた。
昨年2月、冬の八ヶ岳で久しぶりに会って一緒に登ったとき、なんて潔い人なんだろうと思った。成長、変容、成熟していく姿を、時を経て書かせてもらえることは、まったくライター冥利に尽きる。
 

記事内の写真は、平出さんのクライミングパートナーでもある 中島 健郎 さんが撮影。
以下は取材の一コマ、私が撮った写真。

SUUNTOのインタビューは
ひとつ前のインタビュー「15年目、4度目の夏、シスパーレ北東壁初登攀」については、

もうひとつ前のインタビュー「人はなぜ山に登るのか、山と対峙する試み」は、

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野外救急法×国内法

先日、早川修弁護士を迎えた勉強会「「WMA(ウィルダネス メディカル アソシエーツ)医療プロトコル」の法的な懸念についての見解」に参加してきた。
これまで、野外救急法と国内法の勉強会には早川弁護士ふくめ何度か参加していたが、今日は現段階での総仕上げとなるような内容だった。むろん、この先社会も変わるし、何がしかの判例が出てくるかもしれない。それに応じてコトは変化していくが、軸となるものは出来上がりつつある。

先般、ウィルダネス メディカル アソシエーツ ジャパンが早川弁護士の監修を受けて「「WMA医療プロトコル」についての法的な懸念についての見解」を発表したが、その裏付けとなった法的根拠、解釈の詳細、今後の展望などについて、話された。
また、法的見地からみても、医療的アドバイザーが野外救急法の団体にとって重要であることや、早川弁護士から、「今度はあなたたちです」と、我々に課せられたことなど、どれも貴重な話だった。
参加者はガイド、アウトドア愛好者、医療従事者、消防、警察、自衛隊、山岳救助隊、多国籍軍従軍者、メディアなど。北海道から屋久島まで、全国から30人が集まった。
今回は、MWAJ受講履歴のある方々が対象となったが、今後こういったトピックが、もっと広く話し合われ、検証されるようになっていくのだと思う。

2018年2月 1日 (木)

MJリンク新春ハイク+初詣

先月の21日、MJリンクの企画で新春ハイク+初詣へと、奥多摩の御岳へ出かけた。
ルートは、古里駅から歩き大塚山経由で御岳へ。
私にとっては、2010年にMJ呼びかけ人の田部井さんと故新井和也カメと取材で登った思い出のコースだった。
 
この時のことを『田部井淳子のはじめる!山ガール』に掲載した。
ある新聞記者の調査によると、「山ガール」という言葉が書籍タイトルに初めて使われたのがこの本のようで、それ以前は新聞や雑誌本文のみという。
なんで彼がそんなことをと調べたかというと、その年、「流行語大賞」にノミネートされたからだ。
結局、「山ガール」という言葉はノミネートに終わり、大賞を受賞することはなかったけれど、もし受賞していたら、表彰台に立ったのは、そのブームを牽引した人のように周囲が見ていてた田部井さんだったのか、それともこのタイトルに決めたNHK出版の編集長だったのか。
 
その年配の編集長とは、前述の山ガールの本を含め2冊を一緒に作ったが、昔気質の山ヤさんだった。そんな彼と、取材の山々をご一緒するのが、私はとっても楽しかった。そして彼が女性の登山ブームに関心を持つようになるまであちこちご一緒できたことが、いま振り返っても嬉しい。
「山ガール」というブームのトピックを取り上げながら、落ち着いた本に仕上げることができたのは、彼のような「錨」となってくれる方がいたからだと、とても感謝している。

さて、MJリンクのハイキング後は御岳神社本殿にて安全登山の祈祷をしていただいた。田部井さん不在に少し慣れてきたつもりだけれど、とても清々しい空気のなか、お榊をお供えするときは緊張した。
MJリンクの登山は、今回のハイキングで51回目。0回や4回の海外や番外編や10回のサロンなどあって、かれこれ70回近く開催してきたんだなあと振り返りました。今年は、去年以上に機会を増やしたい。
 
詳しい様子は、以下に。
・サポーターの直原郁子さんがMJリンクブログにUP
・サポーターの大久保由美子さんのfacebook
・ゲスト参加の田部井進也さんのfacebook

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2018年1月30日 (火)

言葉のアクセント

久しぶりに白馬・長野駅間のバスに乗った。新幹線を使って、東京の仕事へ向かうため。

往路、最終便1本前の便に乗ったバスでは、日本人は私を含めてふたり。もうひとりは、スキーブーツを片方だけかかえていた……なにがあったのだろう。ほかはほとんど中国人。
普通語を話す人ばかりだったけれど、おそらく北京あたりの方々か。西南や西北のアクセントに耳慣れた者にとっては、北京のアクセントを聞いても、なんだか別物のようで、彼の地での色んな時間がよみがえってくることはなく。
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2018年1月23日 (火)

ストーブの上のおでん

冬のあいだの簡単な夕ご飯は、おでん。
昼ごはんの洗い物を終えたときに、鍋に昆布を入れておく。
夕方に練り物と大根を買いに行き、鍋にいれる。
仕事机の横にあるストーブの上のやかんを、おでんの鍋に替えて、コトコト。
じわじわ時間をかければ、美味しくなる。

おでんをつまみながら、飲み屋のカウンターでの会話を
、思い出してみた。
 
「考えが浅いよね、もう少し色んなことを省みろ、と言いたい」
「男はそういう生き物なんだよ」
「アホさ加減が目について、白けるときがあるんだよね」
「しょうがないよ、アホなんだから」
そうか……異性の友人のアドバイスは、同性にはない視点がある。
一方で。
「それ、甘いね。女はもっと別のことを考えているよ」
「えっ?そうなの?」
こちらから教えられることもある、かも。
 
先日、性別による違いがテーマの根幹にある原稿を書いた。
最後まで整理できず、回りくどいことや当たり前のことしか書けなかった。
普段から、あまり性別について考えたことがなかったからかもしれない。
登山のシーンで考えると、生理学的違いは明らかにある。体力もちがう。けれどそれ以外の違いがあるのだろうか……私にはわからない。
周囲に聞いて回ると、思考や行動パターン、感情の起伏に違いがあることを指摘する人も少なくなかった。
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2018年1月22日 (月)

Missing the special sounds

「トレッキングのガイドブックある?」「いや、中野融さんの本は貸しちゃったから、いまはないなあ。地図ならあるよ」と、地図を広げ、国境付近の山並みを指さしながら。
「用事も仕事も入れちゃったから、行けないなあ」と。
 
そんな会話のあと、友人を送り出し、ネパールレストランへ。
ひとりだけ早く到着し、みんなを待つあいだ、レストランのアマとお喋り。
キッチンのなかからネパール人同士のお喋りも聞こえてきて。
大して話せるわけではないけれど、ちょっと聞き始めれば、どんどん単語が記憶の壺のなかから蘇ってくる。
ああ、こいしいなあ。
 
理由はなく、そんな風にこいしくなる土地が、地球上に幾つかある。
ネパール語を聞いて、そんなにこいしくなるのは、そこでの経験やネパールに関係したり、ネパールがきっかけになったりした大切なものが目にうつる形のあるもの、ないもの、沢山あるからなのか。いやちょっと考えてみたら、形のないものばかりだな。
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2018年1月18日 (木)

光を撮る

インタビューの原稿を書くために、テープ起こしをした文章を読んでいると、光の話が出てきた。
映像作家が語る、光の取入れ方。太陽の光、その後の月の光。
彼の言葉をそのまま書くだけでなく、私が書く地の文章も組み込んでいく。
 
太陽の光、月の光が照らしだすこの世がいかに美しく、心を打たれて、カメラを回しているのか。
彼が作った映像を見れば、そこには言葉は要らないけれど、いま書いている原稿は言葉を紡ぐ。
 
言葉の限界と、言葉だから表せられるものがどこにあるのか。
そんなことを探りながら書いていたら、ある写真家のブログが目に留まった。
お会いしたことはないけれど、その写真は何度も雑誌で拝見している。
光を追い求めて雪の山に登った彼が、月の光について、見事な文章表現をしていた。

2018年1月17日 (水)

【味噌汁日記100】

薩摩芋、えのきだけ、長葱、芹の葉。
煎りこ出汁に尾白ミソ、すりおろし生姜極々少量をぽとん。
 
孝子さんに、「100回目はなにか考えると眠れない」と言われ(笑)、(100回目を)軽くスルーするつもりが、どうしたものかと一瞬考えた。
けれど、いつも通り思いつきとあるもので。
 
そう、具材は昨晩とまったく一緒。出汁と味噌を変えてみた。日常の細(ささ)やかな彩り。
反省は、今日も生姜。甘い味に少しのパンチを効かせたい。味はヨシなのだけれど、すりおろした生姜がほんの少しだけ舌触りにひびく。これは、おろし汁を入れた方がよいということか。日常の極小さな一歩。
 
失われて初めて気づく、日常の大切さ。なんてことのない毎日を繰り返すことが、どれだけ難しいか。取り戻せない時間と何気ない日々。いつでも、だれにとっても、「いま」。
 
23年前の今日を思い起こし、そんな気持ちに。
 
以上、Instagram(mt.sumiko)で続けている【味噌汁日記】より。
 
 
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2018年1月14日 (日)

クマのタマ

12月アタマだったか、夜10時を過ぎて、渋谷駅のプラットホームを歩いていると、携帯が鳴った。叔父からだ。こんな時間になにがあったのかと心配になり、雑踏のなかであったが出てみた。
すると、いつもの間延びしたような声で(いろんな叔父がいるが、彼はちょっとトボケたユーモアの持ち主)、「澄子ちゃん、明日はまだ暖かいようだね。けれど明後日から冬がやってくるようだよ。寒くなると、叔父ちゃんも外に出るのがたいへんだからね、明日お母さん(私の母)のお見舞いに行こうと思うよ」と。
 
言葉に窮した。
80を過ぎて、自分の体調管理だって大変だろう叔父が、電車に乗って母の見舞いに来てくれる。叔父の家と最寄り駅まで10分、電車が小一時間、こちらは電車を降りた後にバスと歩きが待っている。けっして近くない。
しかもそのために、気候を見計らってくれていたのだ。昨日今日考えたことでもなく、ずっと叔父は母のことを気にしてくれていた。
叔父の家の隣には、彼の兄、つまり母の兄家族も住んでいる。こちらは90歳近い。
それでも、時折、電車に乗って母に会いに来てくれる。
兄、母、弟と3人きょうだい。ひとりの女きょうだいの身を、心底心配してくれているよう。
以前、足元悪いところ来てくれることを申し訳なく思っているというようなことを、兄である叔父に話したところ、「妹のことなんだから、当然だ」と言っていた。
 
今回の叔父の電話には、返す言葉が見つからないあまり思わず、「叔父ちゃん、私はね、仕事柄でもあるけれど、毎日天気図や天気予報を何度も見ているんだよ。その通りだよ。明日はまだ暖かいけれど、明後日から寒くなるよ。だから、お大事にしてね」と素っ頓狂なことを返してしまった。
 
年が明けて、母の部屋から、弟である叔父に電話をした。
年末の母の誕生日に着信があったけれど、私が出られなかったからだ。
異国に住む従妹が帰国していて、彼女の明るい声が電話口に響いた。
叔父に代わってもらうと、こんどは、母の病気によいだろう療法をテレビでやっていたと話し始めた。それについて書かれている本もあるから、探してみてと。
 
先日、正月休みを終えて帰国した従妹から、今度はLINEが。
父親が頓珍漢なコトを言ったかもしれないけれど、気にしないでね。父が誰かを心配して電話するなんて、初めて見たよと。
 
いろんなことへの理解が難しくなってきた母であるけれど、兄弟の声を聞くと嬉しそう。そんな彼女の顔を見ていると、「肉親」という言葉が浮かんでくる。まさに「血肉を共にした者同士」。肉親は、やっぱり肉親なのだと。
年老いて、それぞれがたいへんであっても、こうやって思ってもらえるのはありがたいことだと、しみじみし。そして、兄弟姉妹の愛情というのは、そんなにも強いものなのかと、兄弟姉妹を知らない私は、羨ましくも思ったり。
 
母の部屋を出る前に、枕元のタマを手にとり、「相変わらず、首が座っていないというか首がちぎれそうだわ。タマはクマなのに、なんでタマと名付けたんだろう、私は」と思っていると。
「タマをもっていかないでよ」と。幼少の頃、ずっと私が抱いていたぬいぐるみは、いまは母の枕元に。
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2018年1月12日 (金)

読了、本を読むスピード

打ち合わせと打ち合わせのあいだの時間つぶしの喫茶店にて、読了。
昨年末から読み始めたから、随分時間がかかった。
愉しい本で、早く読み進めたい気持ちがはやるなか、もったいなくて、中断してはほかの本に浮気していた。
どんどん読みたくて、湯船にも枕元にも持っていき読み続ける本もあれば、ちょっと置いておく本もある。

自宅での読書は、居間か湯船か枕元。湯船に持ち込む本は、くしゃくしゃになってもいいなって思う文庫本がほとんど。繰り返し読んだものを、もう一度だけ読んで廃棄する前とか。
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湯たんぽ

暮れに、湯たんぽを買った。
 
雪国や同じ東京都でもちょっと寒い地域(奥多摩)の友人宅に泊まることが、少なくない。
そのうちのひとりの友人が、外国の友人に「家のなかは寒い(大きな日本家屋だし、隙間風もあるし)。ダウンを着ている」と言ったら、「灯油を買うお金もないのか」と心配されたというが、そういうわけでもない。
 
家のなかでダウンを着ている友人、友人宅って、私の周りでは案外多い。
そんな家に、冬に泊まったとき。
友人の家にある湯たんぽのうち、いい方を私に貸してくれたり、いつまでも私が寝る部屋のストーブを焚いてくれたりするけれど。
湯たんぽを借りるのも悪いし、そんなに暖房費をかけるのも忍びない。
ということで、買ってみた。
つまり、泊まり先によっては、これを持参するのである。
この冬、東京の自宅のエアコンは入れないことに決めているので、自宅でも役立っている。
ストーブはまだ一度も使っていない。
 
陶器でできていて、寝る少し前に熱湯を入れて、インドで使っていた薄手の毛布に包んで、お布団のなかに入れておく。
ポカポカだ。
朝起きてから、湯たんぽのお湯を洗面器に注いで、顔を洗う。ネパールの山の中では毎日やっていること。湯たんぽがナルゲンボトルで、お布団ではなくシュラフのことも多いけれど。
なかなか快適で、この生活も気に入っている。
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2018年1月10日 (水)

開き直りとも、諦めとも違う

年齢より若く見られることの方が多い。
先日も仲間内でそんな話になって、実際の年齢に驚かれた。

以前はそれがやけにイヤだった。自分が子どもっぽい証拠なのではないかと思い、若く見られることが苦痛だった。とくに40代になってからの10年間。
しかし、ここにきたらもう、それはありがたく受け取ることにした。幼稚な開き直りでもなければ、成長できない諦めとも違う、なにか。
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トレイルランニングレースの救護体制についてスピーチ

先日、日本トレイルランナーズ協会主催の「トレイルランニングフォーラム2018」へ、午後だけ参加した。
会場で会う人会う人に、「どうしたの~?」「なんの取材~?」と言われたけれど、私自身に垣根はない、おなじフィールドを楽しむ者同士。
 
2本のシンポジウムの合間にあった、稲垣泰斗さん(救急救命医)によるショートスピーチ「トレイルランニングレースの救護体制について知っておきたいこと」が、とても印象的だった。
・そもそもトレイルランニングは安全ではない
・レースの救護体制は脆弱
・参加ランナーもレースの安全を確立する役を担っている
・傷病者発生の際には、最低限の正しい評価と情報伝達ができるようであってほしい
ことを、前提として話していた。
そして、レースを作る時点から「救護の視点」を組み込むことが重要であるとも。
 
ある意味、当然の内容にも感じるけれど、これまでの経験から痛感していることだと思うし、またレース現場でどのような体制を組んでいるか具体的な紹介もあり、興味深かった。
トレイルランナーや登山者が自分たちで山に行くときに使える手法もたくさんあった。
 
泰斗さんは、ウィルダネス メディカル アソシエーツ ジャパン(WMAJ)の医療アドバイザーを務めるなど、野外医療に詳しく、関心も強い方。改めてプロフィールを拝見したが、医療アドバイザー、救護班として関わったトレイルランニングのレースの数は、とても数えきれなかった。
 
スピーチ後、複数の方々が彼のところに集まり質問しているなかで、「自分たちが企画しているレースにも救護班として来てくれないか」という話が何度かあった。そのたびに、泰斗さんは、「まずは地域の病院や消防にかけあって、トレイルランニングや山が好きな医師を探してみては」、と答えていた。なるほど、彼らが日本全国のこと全部はできないし、こういった動きを広げていくという意味でも、それはいい答えだなあと思って、横で聞いていました。
 
写真は、奥山賢治さんからいただきました。
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2018年1月 9日 (火)

シスパーレ北東壁初登攀 映像公開

『ROCK&SNOW』078号に書いた、「15年目、4度目の夏」~平出和也さんと中島建郎さんによるシスパーレ北東壁初登攀について、ご本人たちが撮影した映像がYouTubeにあがっています。
今回インタビューしてわかったことは、スチール写真をほとんど撮ってきておらず、その代わり二人とも映像カメラマンであることを活かして、それぞれがカメラを持ち、映像についてはふんだんに撮影してきていました。
この先も、これらの映像がまた違った形で、多くの人の目に留まるように発表されていくのが楽しみですが、まずはこの映像を。
 
1/11付け
テレビ放映についても、予告がありましたね。
2月3日(土)19時~ NHKBS1 100分スペシャル
「過去3度の失敗、1度は諦めた夢の山 平出和也 
人生をかけて挑んだ シスパーレ7611m」
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2018年1月 6日 (土)

チェアリフト

2本目の長いチェアリフトに乗り換えたとき、隣で友人が、「で、なにがあったの?」と。
確かに、支柱は24本。ちっとも高速ではない。時間はある。しかしこんなところで、こんなこみいった話をすることになるとは。
けれど、大人だったらみな、仕事があって、子育てや介護や家庭の事情があって、時間なんてそうない。今日も、いろんな用事を片付けて、昼まで一緒に滑ろうっていう約束だ。
そうなれば、親しい友人とどこでどんな話をしようと、アリ。
涙でゴーグルが曇っても、1本滑ればまた、乾く。

投宿先からゴンパまでのランニング。1週間毎朝、行きは走ったけれど、帰りは泣きべそかきながら色んな話。
八方のチェアリフトとカトマンズの早朝の道、これは忘れられない道のりだわ。
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宮本輝二題

友人宅にて、宮本輝の話。あの小説がいいね、あの作品がきっかけだったなど。

宮本輝は、父親に「哀しい別れというものを味わったたことのない人間とは、おつきあいしたくない」と言われたと、彼が編んだアンソロジー『別れの船』に書いていた。しかも、中学生の頃に言われるというのだから、どんな父親だったのか。
恩師には、「50を越えた人間の情熱しか信じない」と言われたと書いていた。
宮本輝の周囲には、とんでもない大人ばかりいたのか。そういう時代だったのか。
いずれの言葉も、歳を重ねるごとに突き刺さるね、と同い年のその友人と話した。
 
そんななか、若い友人から届いた連絡は、生まれたばかりの赤子を父親が抱いている写真数枚と、元気な声。
年月重ね、古びて熟していく命もあれば、生まれたての命もあり。
 
この猫とは、どこで遊んだんだったっけかなあと、ちょっと考え込んだが、年末にもうひとりの友人のところだったと、思い出した。
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2018年1月 4日 (木)

「ファーストエイド」@ランドネ2月号

12/22発売『ランドネ』2月号(枻出版)に、野外救急法について書きました。付録がエマージェンシーシートの号であり、「山登りの基本キーワード20」という特集のなかです。
なぜ、山登りに野外における救急法の知識が必要なのか、その入り口を紹介しています。入り口といっても、6ページにわたり、内容も本格的に。
 
監修はウィルダネス メディカル アソシエーツ ジャパン(WMAJ)。医師や看護師、救急救命士など医療従事者、野外医療、野外救急の専門家たちから構成される、野外救急法の講習を行なっている団体です。
なお、『ランドネ』では、2月に読者向けの野外救急法講習を、WMAJのインストラクターを招いてい開催。詳細は、後日ランドネブログにて。
 
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・『ランドネ』記事について 
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2018年1月 1日 (月)

眼鏡をかけたり、外したり

年が明けて、メールボックスを開いたら、昨年インタビューした方から1通のメールが届いていた。
長年にわたって、何度もインタビューしてきた方であり、昨年は3回インタビューする機会に恵まれた(まだ原稿を書いていないものもあるが)。
 
インタビューへの感謝の言葉が書いてあったが、本人は上手く書けなかったと思っている記事もある。
先日、友人宅で仕事をしているとき、脇で友人がたまった新聞記事の整理をしていた。その中からひとつ小さな記事を差し出して、「こんなのあったよ」と。私が3回インタビューしたクライマーの記事であり、書き手もよく知る記者だった。
一読して、私とは違う言葉で表現している一節を見つけた。とても重要なシーンであり、私は自分が使った言葉がしっくりこないでいたので、彼の言葉にうなずいた。もうひとつ見つけたのは、私には聞き出せなかったインタビュイーの言葉である。その言葉で、記事は締めくくられていた。
こんな記事も書けるんだと、自分の至らなさを知った。
 
メールには、私が長年節目節目でインタビューしてくれることを支えにしているということと、私がフラットな視線で見てくれることに感謝していると書いてあった。
フラットな視線を保つのは、難しいことであるから、果たして実際にそうであるのか、自信はない。
 
物書きの師匠は、まずは眼鏡をはずして物事を見ろ、と言った。眼鏡というのは、悪い言い方をすれば「色眼鏡」にもなってしまう、その人の視点、視線だ。
けれど、モノを書くということは、必ずその人の視線が入るので、最後はもう一度眼鏡をかけて見てみろ、と。
つまるところ、フラットな視線と、自分の物差しをもった視線と両方で物事を見極め、書けということだったと解釈している。
 
ありがたい教えは、一時も忘れたことがない。
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2017年12月31日 (日)

豆を煮る

黒豆を煮ないで、ダルバートを作ってしまった。
気づいたら、お正月のあれこれは、友人達がみんな分けてくれた。
古代米で作ったお餅、村で親しい人たちが集まってついたホカホカのお餅、黒部の蒲鉾、林檎や蜜柑、洋梨などなど。
自分で購入したのは、お榊と松のお飾りと、鯖と福来喜、3品で800円。
今年もまた、周囲の人たちに助けられて一年を終えて、年を越す。
がんばれないことも多いけれど、今年のうちにぜったいに連絡したい人、手紙を書きたい人達に、一筆。これはぜったいに。
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2017年12月30日 (土)

稜線の風と破断面

一昨日夜のこと。
「明日、アーリーモーニングやるね」と、夕食の鍋を囲みながら、スマホで情報キャッチ。
八方のスキー場が、朝6時40分からリフトを動かすというのだ。
それならば早く寝なければ、とそそくさと寝床へ。

明けた早朝はまだ寒くて、白馬三山がピンク色に染まるのを眺めながら、クルマを名木山の駐車場へ走らせた。

今日午後、村外からクルマで戻ってくると、山は見渡せたが、稜線の風が強そうだった。雪煙が上がっているところもあったし、上空の雲の流れも速い。
天気図が示していることではあるが、こうやって実際にみると、その程度がわかる。

いつもの窓から山々を眺めると、大きな破断面があることに気づいた。麓から稜線近くの破断面が確認できるのだから、範囲が大きいだけでなく、高さもあるのだろう。大きな山に大規模な雪崩のあと。
「いつ雪崩たのかなあ?」とつぶやくと、横で「朝からあったよ」と。
写真の1枚でも撮っておくべきだったとは、あとで気づいたこと。

こんな風に麓に暮らして、山の天気の移り変わりを五感で知ることができるのは、ほんとうにいいな。

東京の自宅に戻ると、とたんと山と距離ができてしまう。

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2017年12月28日 (木)

凍てついた窓

山小屋で、同業の同性の数少ない先輩が、「12月は辛いね。去年も一昨年も辛かったね」と言った。そうだった、たしかにそうだった。私自身も辛くて、やっと年を越した思いだった。
そして彼女は、もう一言、8年前の12月の話も始めた。
ある方が、河口湖の夜景の写真をfacebookに載せていたので、思い出したと。

山で喪った友人のことは、なにかの折に思い出すことはあるけれど、だんだんとその悲しみは、悲しいかな薄れていく。いまでもどこかで生きているような気さえしてくるときもある。
それが常なのに、昨日はなんだかものすごく悲しくなった。

8年前の12月に仕事仲間が、河口湖の夜景は見えなかっただろう吹雪の日に、富士山で死亡した。
その彼とは、八ヶ岳で年越しをしたこともあった。こんな風に山小屋の窓ガラスが凍てついた日で、なぜか私は窓ガラスにコツンと顔をぶつけて、眼鏡のフレームを折ってしまった。稜線は厳しい風が吹ていたなあとか、雪と岩の冷たい壁を登ったなあとか、思い出した。
帰路のあずさが電気系統の故障で何時間も止まり、車内に閉じ込められたなあというようなことも、思い出した。私たちは、行動食のあまりも、ちょっと湿った防寒着も持っていたから、平気だったけれど、ほか乗客たちは空腹と寒さに苦情を訴えていた。

GWの穂高の稜線ではケンカもしたなあ。
いまごろ、どこで何をしているのか。

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2017年12月25日 (月)

Xmasの手紙

朝、いつもより遅く起きて、メールボックスを開いたら届いていた、学生時代の親友からの手紙。
電子メールの時代になったけれど、彼女からのそれは「手紙」。
窓の向こうの薄暗い空からは、非情の雨。雪に変わらない雨の朝。

ひとりのときに読んでよかったな。

明日からまた、山へスキーへ早起きしよう。

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2017年12月15日 (金)

今年3度目のインタビュー

今年、3度目のインタビュー。これまで何度インタビューしてきたか、数えたことはない。

大学生の頃に名前を知り、その後なにかの折りにインタビューが続いてきた。
今回のインタビューで、「登山を始めて、20年近く」と言ったので、私が見せてもらってきたのも、15年近くになるのだろう。
 
人は成長し、変容していく。そのリズムやスピードは、もちろん一定ではなく、一歩進んで二歩下がるときもあれば、螺旋階段を上っているようなときもあったり。真っすぐな道ではなく、曲がりくねったり、分岐点がやってきたり。
そんななかで人は、鮮やかな変容を遂げるときがある。
 
春先、久しぶりにインタビューして、なんて潔いんだろうと、鮮やかな姿を見せてもらい、ハッとした。
こんな風に、他者の人生に触れあうことができ、なにかの瞬間に居合わせてもらえるのは、とても仕合せな仕事だと思う。
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2017年12月14日 (木)

冬晴れ、続く

昼過ぎになると、東山方面には青空がのぞいているけれど、北アルプスの山々は見えず。典型的な冬の空模様。風も出てきて、寒気が南下してくるもよう。
夕方になると、はらはらと雪が降り、明日はいいパウダーだと言ったり、除雪がたいへんだと話したり。

そんな雪国をあとに、東京に戻ってきた。
千葉に生まれ育ったため、冬の穏やかな青空は、やっぱり好きだ。これぞ正月の天気だと思う。
冷え込みも心配したほどでなく、青空が広がる下で、撮影とインタビューの仕事。
インタビュイーやカメラマンの家族も合流して、和気あいあい。終了後は、ござを広げてお弁当。穏やかな日だった。
 
そして今朝起きると、窓の向こうに青空が広がり、遠くに富士山が望めた。これを眺めて、大雪の新潟からやってきた仲間が「ああ、いい天気だ。青空はいいね」と。しかしそんなこと言いながらも、「除雪が待っているわ」と、そそくさとまた、雪国へ帰っていった。
 
私はひとり、朝イチの打ち合わせのため、横浜・大さん橋へ。風は強いけれど、心が明るくなる冬の青空が続く。
さてはて、そして、打ち合わせの場では。化繊綿の冬山用ジャケットにビーチサンダルの方も待っていた。まったく、寒いのか暑いのか、わからない、平和な光景。
 
さてと、また雪の国へ戻るか。
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2017年12月13日 (水)

スキー日記

夏に山で会ったとき、雪が降ったら一緒に滑りましょうと誘ってくれたことを、真に受けて、スキー場待ち合わせ。

テレマークスキー、上手ではないけれど、それなりの年月を愛情込めてやってきたからか、自分ができることとできないことは、大概わかり、どこに欠点があるかもわかる。

先日、1日だけアルペンの板を履いた時に、気づいた欠点が、クロカンにも通じていたので、テレマークも同じではないかと考えてみた。みんな一緒。

それを色んな方向から突っついてくれ、確認させてくれ、そしていい滑りを見せてくれた貴重な機会。こういう日が、シーズンの初めにあることは、とてもありがたい。

ほんとうは、もっと体力や集中力があれば、夕方まで滑れただろうけれど、14時上がり。朝イチから滑っていたのだし、これが現状なので、受け入れて無理せず。

聞くに、テレマークスキーを誰かに教わったわけではないようだ。教わったことはほとんどない。コンバインドの選手だったから、すぐに自分のものにしただろうというのは、それはある意味においてはその通りだろうけれど、それを深め延ばしていくには、自分自身で相当の努力をしたはず。
教わる人がいなかったというのも事実だろうし。

「澄子さんはできています、できるんです。けれどできなくなる時があります。それは、滑りを自分のものにしていないからです」と。もっと滑れ、というのが第一にあり、そしてそれ以上もある奥の深い言葉だわ。自分で努力してきた人の言葉だなあと。

2017年12月12日 (火)

最後の紅葉

日曜日、所属するFRCCという山岳会の月例山歩きで、本厚木にある里山を登ってきた。
広葉樹の森が広がり、尾根道を歩いて、とっても山らしい山だった。
 
大方の葉が落葉し、陽だまりのある明るい森になっていた。登山道に落ちる枯れ葉を踏みしめながら歩くと、乾いた音がして気持ちがいい。ときどき、赤や黄色の葉が残るカエデの樹があった。
 
今年は、近年には珍しく秋のあいだずっと日本にいたので(いることになったので)、紅葉の山をじっくり楽しめるだろうと思っていたけれど、なかなかそうもいかなかった。それでも、冷たい雨に濡れた色づきの山、クライミングのアプローチで眺めたオータムカラーなど、心に残る秋の山がいくつかあった。
そして、これが、今年最後の紅葉の山かな。
 
あらためて、今年のFRCCの月例山行に何度参加できたか、数えてみたところ、13回中(8月は2回)8回だった。それと7月のアメリカ。来年はもう少し参加できるかな。
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2017年12月 9日 (土)

チャーミングなふたり

二夜連続。

【デナリカシンリッジ登攀+南西壁滑降 】
by 佐々木大輔×加藤直之 @エルク(甲府)
【STEEPでDEEPな話〜原点回帰編】
by 加藤直之  @パタゴニア 横浜・関内
 
デナリは、急きょ白馬に聞きに行ったので2度目だった。2度目だったけれど、当初から予定していた甲府にも。
大輔さんの人間の大きさにあらためて触れて、そして加藤さんの言葉のひとつひとつに(両日とも)、彼がフェアバンクスで学生生活を送ったときにアラスカの山々に登ったことが血肉になっているのだなあということが伺いしれ、とてもよい機会だった。
 
チャーミングなふたりの真剣な話。
あることを突き詰めている人、抜きんでた人というのは、みなチャーミングだなあと思う
 
合間に、エルクの土曜朝活にて、湯村山ハイキング+温泉朝ご飯も。
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    現在、MJリンクのサポーターやテントむし山旅プロジェクトbyAdventureDivasのガイドなどで活動しておりますが、このほかに個人ガイドをご希望の方は、下記「メール送信」をクリックの上、お問い合わせください。内容など、ご相談の上、実施したいと思います。

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