2018年12月17日 (月)

平成の登山「女性の活躍」@『山と溪谷』1月号

『山と溪谷』1月号「テーマで見る平成日本登山史」に、「女性の活躍」について書きました。
たった2ページで、ほとんどのことを割愛したし、少々片寄っている点もいなめません。雑誌に名が出なくとも、面白い記録を残している女性もいますし、フリークライミングを取り上げられなかったのは、片手落ち。室井由美子さん、大岩あきこさんらが先達となり、いまでは世界的クライマーもいます。
信頼する編集者が担当だったので、粘って書かせてもらえたけれど、女性のクライマーについても山ガールブームについても、とても書ききれないので、別の機会を作りたいと考えています。

「女性の活躍」というタイトルが、男性目線だという意見をいただきました。編集部からもらったお題「女性の進出」から、私が変更したものです。言葉の使い方は難しいですが、いちばん大切なのは、書き手の視点、意識だと思います。

「女性初」「日本人女性初」というくくりに意味がないという方もいました。私も、その感覚はとてもよくわかります。
一方で、田部井さんのエベレスト女性初登頂のように、社会的意味を持つ場合もあると思います。
以前、日本山岳会の「山」の編集人になったとき、「女性初だ」と言われました。1905年から続く会の会報です。しかし、それを問題にすること自体、私自身は疑問もありました。けれど、ある女性の理事が「役職を頼まれたら、なるべく断らない。そうやって女性が出ていかないとならない」とおっしゃっていて、そうかそういう先達あっての私たちだったのだと、思いました。
つまるところ、そのようなくくりがないなかで、ものを見ることができたらよいな、と思います。だいいち、本人たちは、性差はあるけれど、女性だからって思って登っているのではないので。

今回の執筆を機に、平成を振り返る書物を数冊読みましたが、なかなか激動の時代だったのだなあと思いました。

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2018年12月 8日 (土)

田部井淳子と歩いた道@朝日新聞

今朝の朝日新聞「be」の「みちのものがたり」は、「田部井淳子と歩いた道」。担当記者の浜田奈美さんのfacebookによると、「世界的登山家が残した大きくて重い荷物を、かつてやんちゃ少年だった息子さんが必死に担いで歩く姿に、心打たれて企画した」と。
私は、そういったストーリーを新聞記者らしい観察眼、洞察力をもって取材する姿が、勉強になりました。

田部井さんのことは、この先も色んなかたが色んな側面を書いていくのだろうなあ、と思いながら。

ご一読を。

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2018年12月 7日 (金)

9月の鳳凰三山@テントむし

3ヶ月も前の、9月の3日間で縦走した鳳凰三山@テントむしについて。
今年で、7年間続けたテントむしに区切りをつけることにしたので、図らずも最後の回となった鳳凰三山も、簡単にでも、ブログに残しておこうと思う。
7年というのは、私にとってはまったく短くない。

鳳凰三山縦走は、雨の1日から始まった。
天気予報通りであり、この日は終日降られることがわかっていた。
けれど、樹林帯も多く、風雨の影響は最小限に収められるだろうし、翌日からは回復傾向だったので、出発。

なるべく濡れないように対処し、そしてテント内でなるべく乾かして、つぎの日に備えてもらおうという算段。
けれど、濡れないようにすること、濡れたものを順を追って乾かすことは、そう簡単ではない……ということを、私も参加の皆さんを見ながら、改めておもいしった。いや、それほど難しくもないと思うのだが、コツや根気がいるのか。あるいは、「乾かす」ということが、どれだけ重要か、認識することが、第一歩なのか。
いずれにしても、テント生活の技術というのは、時間をかけた積み重ねなのだと思う。
すべての衣類を取り換える人もいたが、たった2泊なのでそれもナントカなる。
けれどゆくゆく、濡れたものをテントのなかで乾かしていく技術も、身についていったらよいなと思った。

2日目は予想よりもよい天気になり、朝から晴れ。行程もゆっくりだったので、気持ちもゆったり。太陽が出るだけで、みんなが元気になった。
鳳凰小屋のテント場は激混みで、80年代の涸沢団地を彷彿させるようだった。

そして、最終日は青木鉱泉へ下山。この道が、意外にたいへん。
焦ってもらいたくなかったので、時間をかけてくだるよう、早朝発。
予定通り、10時過ぎには下山できた。

7年前の初回から参加してくれている方。最近は年に1、2度の参加だけれど、付き合いは長くなる。そんな彼も参加してくれた回であり、ゆっくり話もできた。
今年になって、ずっと来てくれている方。2度高山病で辛い思いをしたので、鳳凰三山は心配だった。けれど、ミウラベースに行き、トレーニングやアドバイスを受け、さらに自分自身も徹底した体調管理をして臨んでくれた。今回は絶好調。これには、私も驚き、ホッとしたが、何よりも本人の努力だったのだなあと思った。

今回は、主催側から定員オーバーになったという報告を受けたので、テールガイドをつけてもうよう依頼した。
所属する日本山岳ガイド協会が提示するガイドレシオは、それが適正というよりも、マックスと解釈した方がよい。
条件が悪かったり、チームの状態やガイド自身の実力を考えて、レシオ以下の配置にすることは、よくある。
それはルールを守るということ以上に、安全確保のために必要なこと。

テールに来てくれたのは若い女性だった。
フラップのついた雨具を着てきたので、気温も下がりつつある頃合いだったし、それなりの降雨量だったので選んだのかと思い尋ねると、「いえいえ、たまたまです」と、私の質問の意図を理解しながらも笑っていた。
危険個所での、ガイド同士の動き方とか、注意するポイントも、簡単な言葉の行き交いで互いの状況を理解し、動くことができる。
いつもはガイドが自分一人なので、ある程度同じベースをもち、話ができ、行動できる相手がいることは、心強い。

それともうひとつ、このときは、あるふたつのガイドツアーと一緒になった。いずれも友人がガイドを務めていたので、行動中に見えた雲の様子と天気図のことなど話ながら、情報や意見の交換もできた。
こうやって、ほかのガイドの方々と、フィールドで交流できることは、とてもありがたく勉強になる。

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2018年11月29日 (木)

「写真の記録性」@Stuben

いままで墨色だった題字がシルバーに。それって、そういう意味?
4冊目の『
Stuben』は、Photo Issue。
被写体であるスキーヤーは山木匡浩、撮り手は立本明広黒田誠廣田勇介中田寛也
ここに、「写真の記録性」という文章を添えました。

ほか、雪の世界にまつわる写真、写真に関する文章が綴られた一冊。
お手にとって、ゆっくりご覧ください。

11/30東京(小谷明×山田博之×渡辺洋一)、12/14札幌(山木匡浩×渡辺洋一)にて、刊行トークイベント開催です。

→ 東京

→ 札幌

webサイトの「Dealer」をクリックすると、取り扱い店舗のリストがあります。 

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渡邊愛理さんインタビュー@ランドネ1月号/発売中

いい出会いをいただきました。
渡邊愛理さんのインタビューを『ランドネ』1月号に掲載。

いまも昔と変わりなく、登山者としてこんな純粋で真っ当な育ち方をした若者がいるんだ!って感慨深かったです。

宮城県生まれ、栃木県在住。所属は、本田技研の職域山岳会。部署こそ違えど、かつての大先輩には渡辺斉さん、田部井政伸さんらも。
今年の春は、ヒマラヤキャンプでパンカールヒマールに登頂。

女性も男性も、これまでランドネを手にとったことがない方も、ぜひご覧ください。


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The North Face SUMMIT SERIES~K2

The North FaceのハイエンドモデルSUMMIT SERIESの今期カタログは、K2がテーマです。

カタログの後半分を、執筆しました。

K2の歴史やプロフィール、重廣恒夫さんと小松由佳さんのインタビューなど。
巻頭には、森山伸也さんが執筆した石川直樹さんへのインタビューもあります。


カタログ制作をしているさなかのこと。

山野井泰史さんとの会話のなかで、「K2は、どのラインにもストーリーがあるよね」って何気ない一言があり、ズキンときました。

探検時代から始まり、南東稜からの初登頂。その後の幾つものアルパインスタイルのトライ。
プロフィーらの北西壁、泰史さんとクルティカが臨んだけれどほぼ手つかずの南東面、クルティカが繰り返しトライした西北西壁。ロシア隊の西壁ダイレクト。
第2登から北西稜ほか、日本隊にも縁の多い山。
そして今年のトピックは、アンジェイ・バルギエルが山頂からBCまでスキー滑降。さらには、厳冬期など課題がいまもある山。

たしかにそれぞれに、ストーリーがある。それもK2ゆえんのことか。

店頭で配布しています。ぜひどうぞ。


そして、シリーズ展開に合わせて、11月20日からSUMIIT SERIESのイベントも始まり、連夜、原宿へ通いました。
二晩目は、佐藤裕介さん×鳴海玄希さん×山本大貴さんによる、セロ・キシュトワールの報告スライドショー。
当人たちから生の声で話が聴けるのは、ほんとうに嬉しく思います。
自分たちのクライミングについて、正当に評価でき言語化できることもまた、素晴らしいと思いました。
けっして派手ではないありのままの短い映像と幾枚かの写真と共に聞いた話は、ずっしりとリアリティがありました。


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2018年11月28日 (水)

1985年2月号の『山と溪谷』

仕事場の本棚から、『山と溪谷』の84年85年の号を一冊ずつ手に取りページをめくった。
84年は6号、85年は11号ある。きっかけは、沖縄在住の登山家、雨宮節さんがfacebookにコメントをくれたことにある。

84年に雨宮さんは風間深志さんらと、トライアル・バイクでエベレスト街道をいき、その様子をヤマケイや本田技研の広報誌に載せたと。掲載号がわからないからということだったので、84年から手に取ってみた。85年2月号に載っていた。
トライアル・バイクの記事も興味深かったのだが、ほかの記事も読みごたえがある。
長谷川恒男さんのナンガパルバット、岡田昇さんの厳冬の穂高のグラビアなど。
第一特集は山スキーで、三浦敬三さんの誌上指導から始まる。
編集後記のページを開くと、編集長は伊藤文博さんだった。なるほど……!
特集だけでなく、1色ページにも読み応えのある記事が並んでいるのは、この時代が豊かだったからなのか。
地域研究は丹沢。筆は、渡辺千昭さんと寺田政晴さんだ。まちがいないふたり。
つぎの週末、丹沢へ行く予定があるので、読んでみた。

いまどき入手しやすい書籍や雑誌、ネットの情報では得られないものが書かれていて、この時代の雑誌は、こんなにも丁寧な作り方をしていたのかと思う。
その丁寧な仕事が、ライターを育て、カメラマンを育て、編集者を育て、ひいては登山者を育てていたのではないかと。
日曜日に丹沢を歩くときには、ここに書かれていたことを気にしてみようと思う。

2018年11月17日 (土)

インタビュイーになって

ふだんインタビューすることばかりだけれど、ごくたまに、インタビューされることがある。

新聞記者というのは、彼方此方たくさん歩き、たくさんの人の話を聞き、ほんとうに多くのことを見てきたのだと思う。
今回の取材に関して、これまで歩いてみてきた話を聞きながら、洞察力や観察力、分析力が素晴らしいなあと思った。色んなストーリーを掘り起こし、複数の人の話を聞き、そこからなにかをあぶり出す。

しかしそれにしてもよもや、インタビュー中に涙があふれるとは思わず、インタビュアーを驚かせてしまった。こんなにも気持ちの整理がついていない、ものごとを咀嚼できていないことに、どきどき気づかされる。
ときどき、「インタビューしてもらって、考えが整理されました」「気持ちの整理がつきました」と言われることがあるけれど、あれはおそらく本当なのだろう。
インタビューされて気づくことがある。

あの日、私がインタビュアーとなって、相手の足をさすりながらインタビューした日のことを思い出したが、私からのインタビューも取材もまだまだ続く。
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2018年11月16日 (金)

『現代用語の基礎知識』「登山」

『現代用語の基礎知識』の「登山」を担当して6年目になります。

昨年に引き続き、巻頭では竹内洋岳さんにご登場いただきました。
ことし新たに掲載した用語は、「山のグレーディング」と「登山のSNS」。11/8発売ですが、Amazonでは予約を受け付けています。

巻末の約60ページを使い「ことばでたどる平成」という記事があります。1989年1月8日に幕を開けた「平成」は、消費税導入、ベルリンの壁崩壊、天安門事件など、激動の年でした。振り返ると、年号の意味するところに反して激動は続いたように思います。

そんなスピード感と激しい動きのある時代にあって、登山を言葉でどうやって追っていけるのか。竹内さんは今回も、しなやかに時代を読んでくれました。

ぜひお手にとってご覧ください。


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2018年11月11日 (日)

針の穴に糸を通す

朝の散歩で、田んぼのあぜ道で摘んだ野の花を挿したら、夜になると元気がなくなってきた。

数日前、編集者は、「ここまでくると、皆のスケジュールを合わせていくのが、針の穴に糸を通すようなんです」と、電話口で言っていた。
皆とは、編集者である彼女、クライアントの担当者、誌面デザイナー、イラストレーター、それとライターの私だ。

編集者の仕事は多様に幾つもあるが、そのなかでも重要なのが進行管理。
発売日・発行日が決まっているわけで、それから逆算して、納品日、印刷所で下版する日、校了日……とどんどんさかのぼって、ライターである私に関係するひとつ目の日である原稿の締め切り日を割り出す。
たとえ、締め切り日に原稿を入れても、その後のデザインや校正、多方面との調整をしていくと、その先が進行表通りに進むとは限らない。
あらかじめ余裕を持っているとしても、最後の最後にはやはりギリギリになってくる。

こういった流れのなかで、その都度、細かく多方面に気を配り、日程を調整しながら、それぞれの仕事が円滑に進むようマネジメントするのが、編集者だ。
ほんとうに、たいへん。
しかし、針の穴に糸を通した彼女の仕事ぶりは、鮮やかだった。
私には、入稿後も、「この日とこの日は、なるべく電話連絡が取れるようにしてもらえますか」など、指示がきめ細かい。
野の花を摘んできた日、ようやく校了。
幾つもの目で見ても、ミスというのは防げないときもあるわけで、まだまだドキドキだけれど。
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2018年11月 8日 (木)

第一印象

インタビューしようと思ったきっかけは、第一印象にあった。
大勢がいるなかで、各人がみなの前でマイクをもち、ほんの短い挨拶をしただけ。
その挨拶を聞いた以外、ほとんど話もしなかったけれど、インタビューするのだったら、彼女だって思った。

それら半年以上経った日、鮮やかな靴を履いて、やってきてくれた。

よくよく話を聞くと、数年前、私がテールガイドをした雪山登山に参加していたそうで、あの日の彼女は初対面だったわけではなかった。だから厳密にいうと、第一印象というのは、「あまり覚えていない」……ということになる。

そういう細かなことは置いておいたとして、第一印象通りの人だった。

おまけに、親近感がわく。
いまどき、山の世界でこんな風に育ってきた人って珍しいのではないかと思ったが、それがかえって近しく思う。
二回り近く若い方だから、時代が巡ってきたということだろうか。

ずっと彼女の顔を見ながらインタビューしていたが、心の揺れとか感情の表し方とか、なんだか自分を見ているかのように思えた節もあった。
同席した編集者もインタビュイーの彼女も、私と似ているのではないかと言い出した。

似ているというのは、おそれおおいことだが、第一印象とか直感というのは、信じてよいのかもしれない。

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2018年11月 7日 (水)

水辺の夕陽

ふだん、山で沈む夕陽や日の出を見ることが多い。
刻が大きく動くその瞬間が、好きだ。

ブルーモーメントは、夕焼け後や日が出る直前のわずかな時間にやってくる。空が青い光で照らされる。雲がなく澄んだ空模様のときが、綺麗だ。
グリーンフラッシュは、もっと一瞬の出来事。陽が沈んだ直後、日が出る直前に、緑色の光で空が瞬く。
シルバーモーメントというのは、日本では言わないのだろうか。
ヒマラヤでは、よく使う言葉だ。日没後か日出前、漆黒の世界になる直前、あるいは漆黒の世界から抜け出た直後、ほんの少しだけ空に白み、山々が硬質な色で浮かび上がってくる。
この瞬間が、私はいちばん好きだ。

日の入りも日の出も、太陽のある空も美しいが、太陽が照らした山肌は、ことさら美しい。

久しぶりに、水辺の夕陽を見た。
水面がとろんとした色になり、とても美しかった。
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2018年11月 3日 (土)

「トレイルランレース救護最前線」@『RUN+TRAIL』

『RUN+TRAIL』Vol.33の信越五岳トレイルランニングレースの特集のなかに、「トレイルランレース救護最前線」という記事があり、信越五岳の救護体制のトップを務める、北里大学救急救命・災害医療センター勤務の救急救命医である稲垣泰斗さんのインタビューが載っている。

トレイルランニングのレースの表舞台だけではなく、こういった運営にかかわる部分についても、丁寧な記事があるのは、とてもいいことだなあと思った。

救護体制の現状や今後の課題について触れるなかで、実際にどのような体制を作っているのか、具体的に紹介されている。
これは、他の大会を運営する方々にも参考になるだろうし、選手たちも知っていてよいことだ。

余談になるが、ちょっと前、トレイルランニングに関する短い原稿を書いた。
門外漢である上に、レースにも出たことがないため、的外れなことを書いていないか、心配になり、前出の泰斗さんに相談してみた。
仕事柄、トレイルランニングに関係する人たちはほかにも大勢知っている。選手もイベント主催者も。けれど、泰斗さんのことが最初に浮かんだ。
彼に相談したことは、その回答が帰ってきたときに、間違っていなかったと思った。
トレイルランニングについて、多角的にフラットに理解が深く、また深い愛情を持っているのだなあと感じたし、それゆえに、的確なアドバイスをくれた。

それがなければ、このような活動を健全に継続的に行なうことはできないだろうし、それがあるからこそ、いい救護体制が作れるのだと、思う。
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2018年10月25日 (木)

友人の著書と手紙

ある方に、お礼の手紙を書きたく、数週間前から友人の著書を幾度となく読み返していた。
べつの用事で、昨日から著者であるクライマーの友人に電話をしていたが、今晩になってやっと繋がり、久しぶりにたくさん話をした。
次に、遊びに行く約束もしながら。

一見するだけでは、誤解されそうなこのコラムのなかに、好きな一節が幾つかある。
「世間体を気にせず見栄も張らず」というのは、そのひとつ。
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2018年10月23日 (火)

菊根性

「読んだことない」と言うと、ある山岳漫画を全巻、貸してくれた方がいた。
届いたのは、夏のさなか。
18巻あり、数巻ずつクルマに積んで持ち歩いた。
山から山への仕事が続くなか、その合間に下界にいるときに読んでみようと。

しかし、最初はちっとも読み進まなかった。
なぜ作者は、人が山で死ぬことばかり描き続けるのだろうと、読むのがつらかった。
いやがおうでも、人は山で死んでいく。山は危険なところであり、登山には危険な部分もある。人が山で死んでいく、その現実だけで、私はいっぱいいっぱいだ。

けれど、それから少しずつ読み進め、秋に読み終わった。
色んなことを、少しずつ考えた。漫画のことではないけれど、山のこと。

「菊根性」の菊とは、桜と比べたところにあるという。
ぱっと咲いて、潔く花吹雪となり散っていく桜に比べて、菊は少しずつしおれていく。
なかなか散りもせず、枯れてもなお、花が残っていることもある。
そのため、未練がましいことを「菊根性」という場合もあるけれど、もっと前向きな意味で使うこともあるのではないだろうか、この言葉。
しぶとく、登り続ける。

心底山が好きで、本気で山を登り続けてきた人の死は、ことさら辛い。

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2018年10月19日 (金)

【味噌汁日記200】

土佐の青さに萩の玉葱、朝日町の茗荷。
出汁は土佐の宗田節、味噌は尾白味噌。
山のなかで作った味噌が、青さによって、一気に磯っぽくなった。

青さと宗田節は、サーフトリップのお土産。青さは「天婦羅にせよ」と、送り主から今日メッセージが入ったので、つい控えめの量にしてしまった。
宗田節は、「猫まんまがいちばん」というアドバイスに従っていたが、今日の昼から満を持してお味噌汁の出汁に。

玉葱は、萩の泉ちゃんがお土産に持たせてくれたもの。真っ白で大きな真ん丸玉葱。ステーキにしても、なににしてもヨシと言われ、コチラも満を持しての味噌汁デビュー。とっても甘い。

茗荷はさとちゃんちの隣の畑で採れたもの。秋茗荷も、これにて最後か。

味噌は、いつもの尾白味噌。

こうやってみると、ほとんどが頂きものであり、送り主たちの顔が浮かび、味噌もおばちゃんの顔が浮かぶ。
まだ長モノが3本もあり、書いても書いても終わらない日々。
近くの遠くの、友人達の顔を浮かべながら、みなに支えられなんとか過ごしているんだなあ、と感謝。
ときどき、「味噌汁日記、読んでいます」「参考になる」と、声かけてもらっていますが、かれこれ1年以上続きました。日々のなんてコトない食卓と時間。

*Instagramと写真を替えました。せっかくの200回だったのに、どちらも、いまひとつの写真でした*
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2018年10月18日 (木)

プロフィール、そしてキャプションやタイトル、リードは?

今朝、インタビュイーであるスキーヤーさんから、「柏さんがいままで私をみてきて、思ったように好きなようにプロフィールを書いてください」とメールが来た。
最近の情報(たとえば、彼が被写体の写真展があるか、とか、ツアーやレッスンのお報せがあるか、とか)で、(雑誌に掲載する)プロフィールに載せたいものがないかどうか、問い合わせたメールの返信。
これには嬉しくなり、がぜんやる気が出た。

そして、ずっと前にブログに書いた「プロフィール」というタイトルの文章を探し出し、ツィッターに載せてみた(文末に引用)。プロフィールは本人が書くものではなく、編集者、インタビュアーが書くべきものだという話。
それを同業の仕事仲間がリツィートし、こんなコメントを残した。
「同意。プロフィール文を本人が書くっておかしいよ。なぜおかしいか説明しようとしたら字数が足りなくなってしまったので説明はしないけれど、そこを理解できない人とはあまり仕事したくない。そこはわりと致命的な姿勢が表れているようにも思うから」と。

まちがいない。
プロフィールは、その人となりを読者に知ってもらうのが目的であるが、その人選をしたのは編集者や筆者だからだ。


ところで。キャプションはどうだろう。写真に添える文章だ。
プロフィールの件とは、似て非なる話ではあるが。
ある編集部の女性編集者は以前、ずっとキャプションを自分で書いていた。
なるほど、誌面はライターと編集者の共同作業で作られるものであり、全体を見渡したときに、キャプションやリード、タイトルを編集者がつけるということも、アリだと思った。
タイトルを提案してくる編集者は時々いるし、リードを自分で書いてくる人も、まれにいる。
私自身は、タイトルやリード、キャプションを積極的に書いてくる編集者を歓迎する。ライターが書いたものにどうこう言う人は多いが、そうではなく、自分で書き始める編集者。人が出したものに、なにかを言うのは簡単だ。そうではなく、もう一歩踏み込んだコミットメント。

誌面は編集者とライターが共に作り上げるものなのだから。
結果、どのタイトル、リード、キャプションを掲載するかは、その後の話であり、これらを編集者も共に考える、という姿勢。

もちろんそこに、写真家、イラストレーター、デザイナーも関わってくるわけで、それらの人々を束ねるのが、編集者。その束ねる行為、コーディネート部分をまで、ライターに頼ってくる編集者は、ちょっと違うなって思う。
色んな編集者がいるけれど、編集者の仕事の領域というのは、実に曖昧で、へたするとすべてが編集者の仕事のようにもなる。

だけれども、ライターとして、私がやる仕事はひとつ、どんな編集者が相手であっても、本来的には変わらないはず。

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「プロフィール」 2015年10月4日
    
いつから、著者や筆者(あるいは写真家もかもしれない)のプロフィールを、本人に書かせるようになったのだろう。これは、編集者の怠慢だと思うし、悪しき習慣だとも思う。

書籍に載せる著者のプロフィールは編集者が、雑誌記事に載せる筆者のプロフィールも編集者が、インタビュー記事の場合、インタビュイーのプロフィールはインタビュアーが書くのが、常識ではないだろうか。
というか、それぐらい書かないでどうする。他人(ましてや本人)の手に渡していいのか? とすら思う。

プロフィールは、編集者やインタビュアーから著者や筆者、インタビュイーへの手紙のようなものだ。履歴を並び連ねる場合であっても、そこには取捨選択があるし、言葉遣いもある。だからときには、熱烈ラブレターにもなる。

書くときは、大概、既出のプロフィールを一通り読むだろう。けれど、既出の切り貼りはもってのほか。

随分前になるが、小さな新聞に載せたインタビュー記事のプロフィールについて、悩んだことがあった。「○○の活動に関わる、携わる、○○の活動をリードする」などの表記はすでにあったが、そうではない、と思っていたのだ。そのインタビュイーは、その活動に携わるというようなレベルではなかったのだ。
考えに考えて、「挺身」という言葉を思いついた。「○○の活動に挺身する」だ。

挺身は、類語辞典で引くと、「身を投げ出して一所懸命努力すること」。例文は「社会活動に挺身する」とあった。まさに身を挺して、活動に関わり続けていた彼には合致する言葉だと思った。

こんな風にプロフィールを考える、作文するというのは、作り手の特権、醍醐味のはず。こんな作業をやすやす本人に渡してはならない。

だから、自分の執筆記事に対して「プロフィール、書いてくださいね」と言われると、けっこうがっかりくるし、インタビュイーの方から「プロフィール、書きましょうか」なんて言われてしまうと、それは親切心だろうけれど、ちょっぴり悲しくなったりする。
もちろん、インタビュイーに言われた場合は、丁重にお断りし、自分の手に戻すのだが。

プロフィールを書く時間は、相手に思いを馳せる。これも、大切な時間なのではないかと思う。
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2018年10月 7日 (日)

テントむし、6年ぶりの唐松岳

夏のガイド山行を振り返って。

山の日に八方尾根から唐松岳かあ……。
激混み間違いないし、どうなることやら、と思っていたが、天候がいまひとつだったためか、思いのほか、空いていた。
それでも、尾根上のすれ違いは多く、神経を使う上り下りだった。
山荘直下のトラバース道が崩壊しており、稜線上のラインを辿ったが、しっかり整備されており、安心して歩けた。小屋に着いたとき、常駐隊に知った顔の方々がいたので聞いてみたところ、整備の様子を教えてくれた。

テントむし、6年ぶりの唐松岳。
二日目の朝、山頂へ向かおうと、早朝に集合したが、空模様がいまひとつ。テント場から山荘まで上がって、白馬側の空を見ても、全然ダメだったので、いちど解散し、1時間後に再集合。
ちょっとだけ明るみの出てきた空の下を歩き、山頂へ。
おかげで、お盆の時期だというのに、山頂は私たちだけ。
展望はなかったけれど、小さくけれど絶妙に積み上げられたケルンをみて、「ジェンカができそう」と笑いながら、みんなでひとつひとつ積み足した。
こんな空模様でも、笑顔で、そしてやがて次の登山者が来たら、「そろそろ、この
静かな山頂を、つぎの方に譲りましょう」と言えるみんなは、温かいなあ思った。

テント場近くなると、「再集合するまでにテントに入ったら、雨が降ってきたでしょう。テントのなかだと、雨音はあんな風に聞こえるんですね。楽しかった」と、ある女性。
環境の変化に柔軟に対応し、その場を楽しめるポジティブさは、ホント登山向き。

今回もまた、参加の皆さんといい山登りをさせてもらった。


本題から話はそれるが。
初日の夕ご飯前、みんなで集まっておしゃべりしていると、背後から、「カシワ―」と呼ぶ声が。最近、こんな風に呼ぶ人は少ないので、いったい誰?と振り返ると、大学山岳部時代のひとつ上の先輩である、孝弘さんだった。
唐松から白馬への稜線を歩いたことがなかったというので、ひとりでやってきたと。
「え?そうだっけ?」そういえば、あの夏、孝弘さんはいなかったなあ。ケガして手術していたんだったかな。
夕食前、ハリーさんが「先輩を呼んできたら」と言ってくれ、テントへ行くと、喜んでやってきた。
就寝前、またテント場ですれ違った。夕暮れ時、黒部側の山肌がのぞいてきたときだった。
「山が見えてきたね」「そうですね」
なんてことない一言を交わして、それぞれのテントへ。
かつて、こんな言葉を、数えきれないぐらい交わしたなあと、思いながら。


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2018年10月 6日 (土)

Team Good Jobの仙塩尾根

夏のガイド山行を振り返って。
7月末から4日間かけて、仙塩尾根を歩いてきた。
北沢峠から入山し、仙丈ケ岳を越えて塩見岳まで繋ぐ予定だった。
けれど、台風の影響を受け、1日出発を遅らせたこともあり、両俣小屋がスタートとなった。
そもそも、この計画のスタートは、長年、ガイドに来てくださっているZさんが、南アルプスの主稜線のなかで、仙丈ケ岳から両俣乗越をトレースしていないということと、一昨年、Team Good Job(命名は、農取小屋のご主人)が白峰三山を縦走したときに、西に見える仙塩尾根を話題にしたことにあった。

Zさんのことを思うと、仙丈ケ岳を踏んでスタートしたかったけれど、天候ばかりはどうにもならない。それでも、芦安の先輩ガイドや山小屋の方々から早々に情報をもらい、林道に台風の被害がないことがわかり、安心して出発できたことは、幸運だった。
それに、出発数日前に、Mさんも予定調整ができ、Team Good Job全員そろっての縦走となったことは、、ことさら嬉しいことだった。

仙丈ケ岳と塩見岳を結ぶから仙塩尾根。長大な稜線だけれど、「尾根」という名前がついていることが、高校生の頃から、不思議に思っていた。だから、大学生になって、いち早く歩いてみた。以来、何度かトレースしたけれど、今回は、ほんとうに久しぶりだった。

緑が濃く、静かで、ボリュームのあるこういう山歩きが、私は大好きだ。
けっして派手ではない、このルートに、Team Good Jobの3人と歩けたことも、嬉しかった。
毎日、私たちしかいないテント場で、ご飯を食べて、お喋りしたり、音楽を聴いたり。
この夏は暑かったから、日の出前から歩き始め、日中は黙々と歩いて。
あっちの山やこっちの山を眺めて、互いにちょっと会話を交わし。
3日目の稜線は、台風の影響を受け、倒木も多く、皆さん少したいへんそうだったけれど、歩き通した。
この顔ぶれで歩くと、必ず起こることが、今回も起こって、大笑いして。

登山ガイドの仕事は、山がとっても好きなことはもちろんだけれど、人との関係にも大きなウェートがあると思う。参加してくださった方が喜ぶ顔を見るのが嬉しかったり、悔しい思いをするときは、こちらも心が縮こまるように痛くなったり。いろんな場面を共有させてもらえることは、感謝してもしきれない。

また、参加者から学ぶこともたくさんある。
Zさんの山歴は、私のそれよりはるかに長い。彼が、テント場に着くと、翌日の行動に備えて早々にどんなことをするか、いつも感心して拝見している。
彼は、写真を撮らない人だけれど、20年程前、子どもと歩いたという今回の稜線について、事細かく覚えていることは、まったく恐れ入る。それもこれも、いつも細かく手帖に記録を録るからだろうか。

晩秋にケガをしたMさんは、「歳とってからの骨折はツライですよ」と話し、どんな冬を過ごしたか、教えてくれた。それが、こうやって長距離の縦走も歩けるようになって、話題にはしないけれど、ものすごく努力されたのではないかと、想像する。
そんな彼が、冬のあいだに読んだという漫画本をたくさん、貸してくださった。ちょうど夕べ、やっと読み終わった。

Nさんは、このチームの看板娘的存在だ。
山行の二日目に、彼女の誕生日がやってきたのでお祝いしようとしたところ、「せっかくだから、みんな一緒にお祝いしましょう」と言ってくれた。6月初めまでさかのぼれば、あとはみんな7月生まれ。夏生まれが揃ったということで、マロンクリームと桃を挟んだパンケーキを作った。

思い返すと、随分たくさんの時間を彼らと過ごしてきたことは、じつはキセキのようなことなのではないかと、ふと思ったりする。

心に残る夏を、いただきました。

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2018年10月 5日 (金)

ピオレドール受賞決定@『山と溪谷』10月号

『山と溪谷』10月号(9/15発売)に、1ページの小さなニュース記事を書きました。
平出和也さんと中島健郎さんが、シスパーレ北東壁初登攀をもって、ピオレドール受賞が決定した話です。

この号の特集は、「山岳写真家と歩く北アルプス紅葉~~~」。
巻頭の三宅岳さんの文章を、真っ先に読みました。写真家の文章を読むのって、好きなので。
岳さんのページには、美しい北アルプスの紅葉の写真も添えられています。
これをみて、「いったいこれは北アルプスのどこの山だろう?」と、一瞬首を傾けました。長年山登りをしていれば、北アルプスの名だたる山は、だいたいすぐにわかるはずなのに。

キャプションにある山名をみつけ、これまた「で……北アルプスのどこにある山だっけ?」と、もう一瞬首を傾けました。

そのあとすぐに、「ああ!」と思い出しましたが、ほんとうに一瞬わかりませんでした。このあたりは、緑が綺麗な時期に一度だけ縦走したことがありました。以来訪れておらず、そうか、ここはこんな美しく色づくのか、と思いました。
筆者の岳さんが、「写真はともかく、(選んだのが)意外な山でしょう」と言いましたが、これだけ山を歩き、たくさんの景色を眺めてきたかたこその、選択だったのだと、深くうなづきました。
山岳雑誌にさんざん特集されている、人だかりの紅葉の山々とはある意味、対局にある山。きっとこの秋も、ここは静かなんだろうなあ、と思いました。

そして、黒部の写真を載せている星野秀樹さんが、後半ページに、佐伯邦夫さんの追悼を書いていました。

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2018年9月27日 (木)

篠突く雨

先日、篠突く雨のなか、下山した。
4日間におよぶ、友人達が小屋番をする山小屋の手伝いを終えた日のこと。

入れ替わりに、ヅメさんが歩荷しながら上がってくることは、知っていたので、遠くに彼が見えたとき、「ヅメさーん」と叫んで手を振った。「おお」という感じで、顔を挙げて手を振り返してくれた。

重たい荷物を背負っているのだから、足を止めさせたくないし、ペースを乱すようなことを、こちらがしてはならぬ、と思いながらも、やっぱりすれ違うときは、足を止めて、ひと話。

「これは、まあホントにいい天気だよねー」とヅメさん。
「ホントだね、音もする天気だよ」と私。

つぎに出た彼の一言が、ちょっと心にひっかかった。
うつむき加減で話をするので、長いまつ毛に雨がしたたって、切なくなった。

けれどすぐに顔をあげて、「こんな天気だから、スミ姉、もう1泊してくれるかと思ったよ」と。
「遊びに行っているのだったらいざ知らず、仕事ないのにい続けるのはよくないからさあ」と返すと、彼もうなづいた。長年山小屋の仕事をしてきた者は、仕事が終わればさっさと下山することの、大切さをよく知っている。だらだらいては、いけない。

「つぎ、10月の三連休なんだよね」というと、「うん、でもその時も、こんな感じで入れ違いでしょう。でもまあ、それは仕方ないこと。それがそれぞれのポジションだからさあ」と。
こんどは、下界でゆっくり会おうと約束して、別れた。

後ろ姿を見送りながら、この人は、いろんなことを飲み込んできたんだなあと、勝手な想像かもしれないが、思った。
どれだけのものを飲み込むか、それが大人なのかもしれないし、そんな人は、他者に優しく、温かい。
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2018年9月 3日 (月)

日ごろ、自然

早めに仕事を終えて読書をしていると、いつもお世話になっている山岳ガイドさんから電話。
「面白い人たちが集まっているから、出てきてくださいよ」と。

スノースポーツのオリンピアンや山岳ガイド達が大勢暮らすこの土地で、そんな集まりに行くと、私以外全員が、スキーやスノーボードの選手、元選手、山岳ガイドなんてことは、よくある話。昨晩もそんな顔ぶれだった。

店に着くなり、「今日は釣りの話は禁止だから」と言われた。
おそらく、釣りだけでなく、山菜もキノコの話も禁止であろう、その理由には、思わず笑ってしまう。釣りの話をし始めると、みなが自分の釣りについて語ることに熱血して、収拾がつかなくなるからだ。
そういえば、数日前の夜、わざわざアオリイカを釣ってから、夕食の場に来てくれた方がいて、それは皆の口に入ると、小さな一切れだったけれど、とっても嬉しく美味しかったことを思い出した。けれどそんなほのぼのした話も、厳禁。

初めてお会いしたその方は、かつてモーグル選手として華々しい活動をしたと聞いている。「結局、俺たちみたいに釣りが好きで、キノコや山菜を採りに山に入るヤツが、その後もスキーを続けているんだよね」と。エリートスキーヤー達を多く輩出しているこの村で、小さい頃からスキー板を履いていて、その中からさらに能力の高い人は地元の高校スキー部に入る。その後、大学でもスキー部に入り、選手活動を続ける。
けれど、選手を引退したあと、スキーを続ける人は少ないそうだ。
選手にならなかった人たちで、スキーに親しむ人も少ないという。

山を滑ろうが、ゲレンデで競技をしようが、天から降る雪と積もり積もった雪からのメッセージを受け取り滑っている。自然にどれほど自分自身が露出されるか、その度合いはそれぞれであるけれど。
そうなれば、彼が言うように、釣りやキノコや山菜採りが好きだというのと、自然とふれあって滑ることが好きなのには共通点があり、そんな人たちこそ、長くスキーが続けたいと思うのかもしれない。

「スキーは生活のすべてではなくて、生活の一部だから」とも言っていた。
長く続けたからこそ、人生のすべてがスキーなのではなく、人生を形作ってきたワンピースがスキーと実感するのかもしれない。

店を出て、夜道を歩いているとうすら寒く、薄手のフリースを着込んだ。
そろそろ山にはキノコも出てくる。次の飲み会では、キノコの話は禁止となり、そしてキノコの話をするんだろうなあ。

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2018年8月18日 (土)

ヤマケイオンライン連載「雨の山を楽しむ」最終回~お手入れについて

連載「GORE-TEX 雨の山を楽しむ」最終回は、GORE-TEXのレインウエアや登山靴のメンテナンスについて、です。

コチラからどうぞ。

7月はカラカラで、晴天続きの山だったけれど、ここにきて台風や上空の寒気やらに悩まされ、雨の日も。あのままの雨量だったら、農作物も困っただろうし、恵みの雨。しかし登山については、予定を変えなければならないことも続いています。
ルートや日程を変更しても、行先は変わっても、ゴールは変わっても(ピークを踏めなくても)、山のなかで過ごす時間は素晴らしいなあ、と思います。
そんなこんなで、最近はレインウエアを洗う回数も増えてきました。
お手入れの前に、ぜひご一読いただき、洗濯方法などを確認ください。
ページ下までスクロールしてもらうと、バックナンバーへのリンクもあります。
第1回 横尾山荘:山田直さんインタビュー 

第2回 GORE-TEXの歩みとフロントランナーとしての信頼 
第3回 ザ・ノース・フェイス:大坪岳人さん~クライムライトジャケット開発ストーリー 
第4回 モンベル:真崎文明さん+三枝弘士さん~ストームクルーザー開発ストーリー 

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2018年8月16日 (木)

鉄道の旅

「移動が多くて、たいへんでしょう」「どこでもドアが欲しくならない?」とは、よく言われること。
たしかに「移動」が疲れないと言えば嘘になる。歳とともに疲れやすくもなっている。けれど、どこでもドアが欲しいと思ったことはない。それじゃあ、「移動」にならない。旅をすることは、好きだ。

北海道には、飛行機で行く。羽田や成田から、千歳、旭川、女満別などに飛ぶ。
けれど、先日は違った。
2泊3日の予定で、ニセコを訪れた。打ち合わせやインタビューのためだ。
台風の動きは気になっていたけれど、2日目の昼のブレイクのときには、まだ情報は入っていなかった。夕方、仕事に一区切りがつき、メールボックスを開くと、翌日搭乗予定のフライトがキャンセルになっていた。今回使う航空会社については、今日も明日も全便キャンセル。
これはちょっと厄介だな、と思い、帰京する手立てを取り直すことにした。

ほかのおふたりは、「集中して、チケット取りしたほうがいいよ」「大手のフライトの早い便から順にブッキングしたほうがいい」など、実に旅慣れた人らしい発言を残し、夕ご飯用のワインを買いに出た。

調べてみると、その時点では、ANAもJALも(つまり、大手)、弱気な発言をしていた。LCCは全滅。台風の歩みは遅くなる傾向にあった。たとえ、夕刻にフライトが復活しても、「機体がまわらない」など言いだしそうだ。
比して、JR北海道はもちろん、東日本も通常運転を予定しているという案内。ちなみに、高速バスには断りの案内があった。

どうしても翌日には帰宅しなければならなかったので、すぐにノートパソコンをオフにして、20分後には、倶知安の駅から在来線に乗った。これに乗車さえすれば、その日のうちに本州に渡れるので、あとはどうにでもなると考えた。ワインを買いに行ってくれたふたりには、電話を入れて。

倶知安駅から長万部駅まで、函館本線を往く。
あっという間に日が暮れて、外は漆黒の森であったが、尻別川が流れている様子が分かり、峠からぐいぐい標高を下げていった。

長万部駅での待ち時間は20分強。ココで夕食を済ませないと、食いっぱぐれるな、と思ったけれど、駅前は閑散。唯一開いていたのがホルモン焼きの店。この暖簾の向こうには、どんな店が広がっているのだろうと好奇心もあったけれど、20分では食べられないと諦めた。

特急スーパー北斗に乗り、新函館北斗駅へ。ここから北海道新幹線「はやて」で青函トンネルを渡って、本州へ。
ここまでは、まったく初めて乗車する路線だった。

新青森駅近くにはホテルはないので、青森駅まで戻って、投宿。
ここに来るまでの間に電話予約したのだが、当日夜に女性一人宿泊というのは、嫌がられるようで、10軒目でやっと予約が取れた。
コンビニで腹の足しになるものを買って、宿についたときには、12時を回っており、受付のいまどき珍しいほど場末感たっぷりな様相に、我ながら、笑った。

翌朝5時半前には宿を出て、再び新青森駅へ。そこからは勝手知ったる路線。午前中のうちに、東京の自宅に帰宅。
翌日からの仕事の準備をすることができた。

倶知安駅を出たのが夕方の6時過ぎ、自宅到着が翌日10時過ぎ。途中宿泊したことを含めて、16時間の旅。
年に何度かは訪れる北海道というのは、それぐらいの遠さだったのかと、旅の疲れと共に実感した。

初めて乗る列車は楽しく、車窓の風景は真っ暗でも、ワクワクした。
初めて降りる長万部の町は、夜でなにも観られなかったけれど、それでも新鮮で楽しかった。
やっぱり、鉄道の旅は楽しい。そしてやっぱり、どこでもドアが欲しいとは、ちっとも思わない。

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NHKラジオ「山カフェ」夏山スペシャル

7月17日に、NHKのアナウンサーである井田寛子さんと登った大菩薩嶺の様子が、NHKラジオ「山カフェ」でオンエアになりました。
ラジオの収録を山で? 山のラジオ番組? と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、山とラジオ、馴染むなあと思いました。
美しい山の映像が流れるのだけが、山の番組ではない。

実際に、この日の登山は、いつも以上に「音」に敏感になり、耳を傾ける1日でした。

そのせいかわかりませんが、いつもはたくさん写真を撮る私も、この日はたった1枚の写真しかありませんでした。それも、下山後、登山口に戻ってきたときに、空を仰いだものだけ。その分、「視ること」だけでなく「耳を傾けること」に注いでいたのでしょうか。

登山中は、鳥のさえずり、セミの声、川のせせらぎ、森を抜ける風の音、私たちの足音に、キュウリやモモやプラムをかじる音、いろんな音が、山にありました。

森の葉が風で揺れる音を、「乾いた音がする」と私が言ったら、井田さんが、「乾いた音ですか?」と、ちょっと不思議そうな顔をされました。


暑い暑い今年の夏、湿度もあり、真昼になると山に登るのもしんどい日もありましたが、不思議とこの日は、それほど暑さがひどくなく、湿り気も抜けてきたのか、そのときは、真夏とは思えない、乾いた音を感じたのです。

カエデやブナやミズナラ、ダケカンバ。色んな形の葉が重なって、風に揺れながら音を出していました。

そんな自然のなかの美しい音に比べると、私のヒョロヒョロとした変な声が聞き苦しくもあるのですが、今朝、ある方からメッセージをもらい、ちょっと救われました。
怪我をし、しばらくや山に登れないと。手術後の痛みで眠れない長い夜、山もお預けだし、聴くのも辛いかなと思ったけれど、オンデマンドを聴いてくださり、心が落ち着いたと。
そんなことを言ってくださる方が一人でもいれば、出演してよかったなあと思いました。

私の出演は、9時台の「ひろこの基礎登山」ですが、同じ9時台の空想登山も聞きごたえあるし、また小説家の唯川恵さんの出演、そしてオープニングには国際山岳ガイドの近藤謙司さんがツェルマットの街から出演しており、それぞれ楽しめます。
9/1まで、「聞き逃し配信」で聴くことができます。ぜひ、コチラからどうぞ。


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2018年8月 7日 (火)

ヤマケイオンライン連載「雨の山を楽しむ」Vol.4~mont-bell・ストームクルーザー

連載「GORE-TEX 雨の山を楽しむ」第4回は、モンベルの看板商品ストームクルーザーについて。
初代Mr.ストクルと二代目Mr.ストクル(と呼ばせてもらいました)である、真崎文明顧問と三枝弘士企画部課長にインタビューをしました。

なかでも、三枝さんの最後の言葉が印象的でした。
それは、平松葉子が「老舗」について書いていたことを思い起こすような言葉でした。老舗というのは、結果。私たちが老舗に抱く信頼感は、今日までたゆまず怠らず努力し続けてきた過程に対して抱く感情。
三枝さんに、今後のストクルについて尋ねると、驚くほどあっさりした答えが返ってきました。ただただ、目の前にあることをやるだけ、小さかろうが一歩ずつ前に進むだけ
それが、ストクルを形づくっているのだと思いました。

真崎顧問が、ストクル誕生をかけてアメリカのゴア社に通ったエピソードもご覧ください。

にしても、真崎顧問も三枝さんも、よく笑う笑う。満面の笑みの写真ばかり。その中にも、これまで真剣に仕事をし、キャリアを重ねてきた方の表情がうかがわれました。
そんな素敵なポートレートを撮ってくださったのは、杉木よしみさんです。
記事はコチラ

バックナンバー
Vol3    TNF大坪岳人さんに聞く クライムライトジャケット開発にかけた思い → コチラ 
Vol.2  GORE-TEXの歩みとフロントランナーとしての信頼性 → コチラ
Vol.1  横尾山荘:山田直さんインタビュー → コチラ
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2018年7月28日 (土)

平出和也「第二の登山人生に向けて、まっさらな状態に立ちかえる」@ドイター

ドイター・アンバサダーの平出和也さん インタビュー後編
「第二の登山人生に向けて、まっさらな状態に立ちかえる」


「まっさらな状態に立ちかえる」というのは、とても勇気のいることだと思います。これまで平出さんは、ことあるごとに、自分をリセットしてきたのだということがうかがい知れました。シスパーレはもちろん、たとえば、アマダブラムの救助のあと。
今夏、K2西壁の偵察に行ってきましたが、インタビューは出発前。偵察やその後のことについて話してくれました。
そして、冬の引きこもりの話もお聞きしました(笑)!


前編と合わせて、どうぞ。
・後編 → こちら
・前編 → こちら


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photo by Shispare Exp. 2017

2018年7月27日 (金)

祝いの便り

誕生日になると、必ず便りをくれる人がいる。
そのなかのひとりは、外国の友人。

もう10数年前のことだが、私はその年の誕生日を、長江の源流で迎えた。
友人と、その仲間たちでラフトを使って、川を下り、キャンプをしながら1週間ほどを過ごしていた。そこはチベット文化圏。とてもではないけれど、川を旅しなければ立ち寄れないだろう小さな集落やゴンパもあり、とても心に残る旅だった。
誕生日の夜は、なにがあったわけではないけれど、小さなたき火をして、心穏やかに過ごしたことを覚えている。

旅から成都に戻ったとき、一緒に旅した友人の弟であり、私の親友が出迎えてくれ、「スミコの誕生日は、どうやって過ごしたんだ?」と私たちに言った。私は、自分の誕生日のことをとくに言ってはおらず、友人も気づかなかったし、他の誰も知りもしなかったので、とくに何もなかった。
友人は、弟の言葉を聞いてハッとした顔をし、ものすごくすまなそうに、私に何度も謝った。
謝ることはないし、自分でも言わなかったのだし、だいいち、そんなコトだったら弟が教えておいてあげればいいじゃん、ぐらいのことを言って笑い飛ばした。

しかし、友人はそのことをずっと気にしていた。
せっかく、いい旅を一緒にしたのに、その時に祝えなかったことが、ほんとうに申し訳なかったと。
以来、必ず毎年欠かさず、便りをくれる。
親友であるはずの弟の方からは梨の礫だろうが。夏は彼らはとくに仕事が忙しく、旅に出ることも多いが、電波の届かない山奥へ出かける場合は、前もって、「この先、留守になるから、早いけれどメッセージを送るよ」と、律義に。

それは、電話だったり、メールだったり、最近はfacebookのウォールへの書き込みだったり。今年は、WeChatで届いた。
いまのようにfacebookやGoogleが誕生日を知らせてくれるもっと前の頃からのことで、こちらが恐縮するぐらい、それは欠かさない。
それを、素直に受けとることが友情であり、そしてなによりも嬉しく思う。

彼からメッセージを貰うたびに、私はあの夏の旅を思い出すし、友人の優しさに触れる。

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2018年7月26日 (木)

テントむし2年目の白馬岳

7/14~15は、テントむし山旅プロジェクト(Adventure Divas)で、白馬大池に2泊して白馬岳へ。入山は栂池から、3日目に蓮華温泉に下山して、温泉を楽しむというプラン。

昨夏も、同じ内容のもので実施したけれど、肝心の2日目の天候がすぐれず、三国境で引き返し。
ある程度の心づもりをして出発するわけだけれど、いざ、「ここまで。引き返します」と言ったとき、参加のみんなは何て言うかなあ、と思った。けれど、「無理する必要なし」「次が楽しみ」と言ってくれた。次が楽しみ、というのは嬉しかった。山は逃げないというのはウソで、山は逃げると思うけれど、でも無事帰れば、次はある。
無理ない範囲での、雨の稜線歩きは、ぜったいに濡らしてはならないものを守ることなど、いい経験にもなったようだ。

今年は、昨年参加の方々が早々に申し込んでくれ、キャンセル待ちになっていたし、これで晴れなったらどうしようと、思い悩む日々……いや、悩んでもどうにもならないことは、悩まない。
結果的には、これ以上ないというほどの快晴に恵まれ、夕立や雷もなく、3日間が終わった。
無事、元気に白馬岳に登れたし、展望も抜群。剱岳はカッコよく、笠ヶ岳は美しかった。鹿島槍を眺めては、ああ、雪がついたらさぞカッコいい姿になるのだなあと思ったり。昨冬滑った、山々をの眺めたり。

参加の皆さんも、それぞれの思いが山頂にあったようだ。
かつて縦走した山並みをずっと眺めていた方や、私よりもはるかに登山歴の長い方に、これまでの白馬岳について伺ったり。

3日間を終えた後、大池のテント場で仰ぎ見ていた上弦の月を、山麓から眺めた。ちょっと遠くに白馬三山も見えて、お月さまは、変わりなかった。
たった3日間の山の旅で、その後はそれぞれの日常に戻り、参加のみんなは、今晩、月夜を見上げるときはあったのかなあと思ったり、あんがい、登れなかった山登りも心に残るものだと、昨年を振り返ったり。


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2018年7月21日 (土)

ポートレート

ご一緒するのは、二度目。
前回は、30代前半のクライマーのポートレートを撮って下さった。
9月終わり、暑さが残るボルダーでのインタビュー。
本人は、インタビュー中に「いつまでも20代の気分」と語っていた。
彼が学生の頃から面識があるけれど、たしかに初対面の頃と変わらないフレッシュさがある。
けれど、インタビューを終えた日の夜、写真家から送られてきたアタリを100枚近く見ると、そこには、確実に歳を重ねた33歳の素顔があり、ハッとさせられた。

今回は、25年来の親友をインタビューした。
インタビューの場は騒がしく、人通りも多く、さぞ撮りにくかっただろうと思ったけれど、編集者がDorpboxに入れてきた写真は、そんなことは、まったくなく、鮮やかな作品ばかりだった。
それどころか、次々と写真を見るにつれて、なぜだか、泣けてきた。
ほんとうに、泣けてきた。

インタビューの内容は、友人のモノづくりについて。最後の言葉が心に残った。
もはや、彼らが作るものは「老舗」のそれだろうが、老舗だとか、ロングセラーだからとか、考えて作っているわけではない。日々、ただただ、よりよいものにしていこうと作っているだけ。毎日のその積み重ねが、ロングセラーとなる。

知り合ったのは、友人が学校を卒業し、いまの会社に入社したとき。四半世紀以上前。
その間、毎日毎日積み重ねてきたのだということを、インタビューで知り、そしてすっかり「おじさん」になった彼の顔に、その積み重ねがあらわれていて、それをリアルに写してくれた写真ばかりが、並んでいた。
だから、泣けてきた。

親友が親友をインタビューし、普段知らない彼の仕事ぶりに触れ、岩場でも山でも酒場でも見せない顔を見せた。初対面の写真家は、見たことなかったであろう、彼が積み重ねてきたものを写しとる。
だから、泣けてくる。

いったい、どんな感性で私のつたないインタビューを聞き、インタビュイーの表情を見ていたのだろう。すごい写真家さんだなあ、と思った。
感謝。
下の写真は、撮影いただいたものをパソコンの画面に映したときのもの。
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2018年7月20日 (金)

平出和也「バックパックの容量は、ひとつの覚悟」@ドイター

ドイターの輸入代理店である、イワタニ・プリムスのwebサイトに平出和也さんインタビューを書きました。タイトルは、「バックパックの容量は、ひとつの覚悟」。

ドイターとの出会いなど、バックパックのことを中心にお話いただいています。


本音を言うと、日ごろ、ガイドや執筆の仕事で、装備について尋ねられ、飽きてしまうことがあります。適した道具を選ぶことは大切であり当然だけれど、道具で山を登るわけではなく、道具は道具、それ以上でも以下でもない。そんなことを常々思うのですが、同じようなことを、平出さんも語ってくれました。
さらには、道具に宿る魂や、道具開発と自分自身の登山の関わりあいについても。

ミュンヘン郊外にあるドイター本社と密なるコミュニケーションをし、道具をもって登山家をサポートし続けてきた加茂卓也さんも登場します。

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«ヤマケイオンライン連載「雨の山を楽しむ」Vol.3

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Information

  • ✾登山ガイドについて✾
    現在、MJリンクのサポーターやテントむし山旅プロジェクトbyAdventureDivasのガイドなどで活動しておりますが、このほかに個人ガイドをご希望の方は、下記「メール送信」をクリックの上、お問い合わせください。内容など、ご相談の上、実施したいと思います。

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