2019年3月18日 (月)

本日の毎日新聞「わくわく山歩き」は、福島県の安達太良山です。
私が、初めて登った雪山。高校2年の1月末のことでした。
安達太良山には、幾つかの思い出があります。


初めて登った35年前の冬は、千葉県内の高校山岳部が集まった講習会でした。

このとき、たくさんの新鮮な経験をしましたが、一緒に参加した真里は、一生の大切な友人であり、安達太良山で出会った、隣の高校山岳部だった面々は、同い年ながら、何歩も先を行っていました。彼らが雪洞を掘ることに驚いたし、その後、藪漕ぎや沢登りって何ぞやとか、白神山地(いまの白神山地ではありません、35年前の原始的環境です)を教わったのも、彼らからでした。

大学山岳部に入ってきた、女子部員たちと登った冬もありました。

冬以外に初めて登ったのは数年前の秋、田部井政伸・淳子夫妻とでした。
その後、こんどは春先に登りました。2日目、雪面がフィルムクラストになったことを、とてもよく覚えています。
フィルムクラストについて思うたびに思い起こすのは、こちらの文章。紙面では詳細まで触れることができなかったので、ここにリンクを。


映像作家の関口雅樹さんの文章には、スキーを走らせると白波が押し寄せるようであったり、桜吹雪が舞うようであると書いてあり、三浦敬三さんの『黒いシュプール』についても触れています。
私が、フィルムクラストの雪を思い出すたびに、それがモノクロームの絵であることは、この文章の影響かなと思っています。


55783907_10216782723934124_17330092

2019年3月16日 (土)

フィッツロイ報告会へ

今井晋さん舟生大悟さんが、札幌で「Patagonia遠征報告」をやるというので、マイルもあったし、弾丸行ってきた。

昨年12月のFitz Roy Supercanaletaほか3本のクライミングについて、写真を交えたトーク。
脂がのっていてイケイケの33歳・大悟くんと、酸いも甘いも嚙み分けたベテラン47歳・晋さん。

この遠征がどうやって始まったか、それぞれから聞いていた話と、この日のふたりの話が符合し、とてもよかった。大の大人たちがこうやって自分をプッシュするから、カッコいいんだなあって思う。
ふたりのホームでの開催でもあり、会場は和気藹々としていて温かい雰囲気だった。

ほんとうに、 行ってよかった。


65aebd9716aa486fb89fd82a3b44fedb

2019年3月14日 (木)

4年前の今日-登山中の突然死について、そして登山に関するマスメディア報道について

昨日に続き、今日は4年前のfacebookより。


******

2015/3/14

労山の多摩西部地区の総会にお呼ばれし、話をしました。
3年目にして果たせた約束。

テーマは、山の突然死。書籍にしたのは2008年とちょいと昔。それ以前から、同テーマで雑誌には書いていたし、その後もデータ収集はしています。
突然死は、登山中であるとどんな点でリスクが大きくなるのかということと、いくつかの事例を話しました。事例のほとんどは、書籍やバックナンバーで読んでいただけますが、取材のなかで感じたこと、考えたことなども話しました。1件の事例を取」材するには最低でも1ヶ月以上かかるので、それぞれのストーリーがあります。
古い事例ですと10年近く前の取材になりますが、その多くを私は鮮明にそして印象強く覚えてます。つまり、どこでご遺族や死亡した方の山仲間とお会いし、どんな話をしたか、その時の彼らの表情まで。

取材裏の苦労話を、読者の皆さんに知っていただく必要はありませんが、どんな取材をしたか、どういった手順を踏んだか、取材の事細かなこと、文字にできなかった取材がどれほどあり、それはどういう理由か、それらについてごくわずかでも話すことで、突然死とういのが、また山岳遭難というのがどれほど悲惨で、遺されたものにとってつらいものなのか感じてもらえたかもしれません。


先だってのヤマケイの記事(雪崩遭難の捜索救助化とビーコン)も同様ですが、一般社会に生きる我々が、登山者として、あるいは私の場合は書き手としてやるべきことは多々あります。
そういった観点から、登山に関する報道について思うこと、またそれについて私が立ち向かいたいと思っていることについても、蛇足ながら話しました。


また今日の仕事は、個人的な思いではありますが、山と仕事の先輩のことを思いながらやりました。敷島悦朗さんは、私にたくさんのことを教えてくれただけでなく、当時私が主としていた出版社が傾いたときに、私と私の仕事を守ってくれたかけがえのない先輩です。登山を文化としてスポーツとして根付かせたいと思っている私にとっては、彼を喪ったことはほんとうに血肉を削られる思いであるし(むろん個人的にも)、またもっとこれから自分が頑張らなければならないとも思っています。


話を戻します。
今日会場で、「去年は来てくれると思って、書籍読んで待っていたよ」と言って下さった方もいました。講演中にも述べましたが、こと近年の登山に関するマスメディアの報道を苦々しく思っています。だからこそ、マスではない位置にいる私たちが、もっと頑張らねばならない時です。

辛抱強く私のことを待ってくださっていた皆さん、今日はほんとうにありがとうございました。

*****

11058619_10205251951232013_45425868

4年前のアバランチビーコンの記事

f acebookにある「思い出」という機能は、ときどきお節介でもあるけれど、ときどき、なにかを思い出させてくれる。

4年前、ヤマケイの4月号に、こんな記事を書いていたんだな、と。

いままで色んな記事を書いてきたけれど、自分自身でも記憶に残るもののひとつ。

雪山に入るときに携帯するアバランチビーコンという装備について、一般社会との関係性からも 、その役割を考えたもの。
つまり具体的にいうと、雪崩事故が起きたとき、公的救助隊が出動することになり得るが、それは社会のリソースを使うということであり、ビーコンを携帯する意味を一般社会との関係性という文脈において、改めて考えたいと問うたもの。

日本雪崩ネットワークに、データを提供していただき、書いた記事。時間が流れても色あせる内容ではないので、よかったら、どこかでご覧ください。

*****

2015/3/13のfacebookより

『山と溪谷』4月号、1色のページに「雪崩事故の捜索長期化とビーコンに関して」を書きました。
今回は、アバランチビーコンという装備について、一般社会との関係性からもその役割を考える点に主軸があります。

私がいちばん強く心に残ったことはふたつ。
ひとつは、ある山岳ガイドがプローブ捜索について肉体的疲労だけでなく、どうしようもできない徒労感があると語ったこと。
もうひとつは、山岳ガイドを職業としたアルパインクライマーに聞いた話。どれだけビーコンの重要性と携帯について考え、雪崩のリスクを考え、操作の練習をしているかということ(私は最初から、今回は彼の話を書く予定はありませんでしたが、それでも貴重な時間を使って真摯に話してくれました)。

そのクライマーの彼が、「積雪安定性について判断するよりもずっと短時間で、ビーコン操作は身に着く」と言いました。自戒を込めていえば、まさにその通りです。
登り続けるためには、学び続ける、考え続ける、トレーニングし続ける、経験を積み続ける。

*****

10428487_10205242490035489_68781811

2019年2月20日 (水)

毎日新聞「わくわく山歩き」-房総・烏場山

2月18日の毎日新聞朝刊「わくわく山歩き」は、房総の烏場山について書きました。照葉樹林が広がる山で、とくにマテバシイの純林が美しいです。
以前、日経新聞に連載したときも、房総の山をひとつ入れました。里見八犬伝が残る富山。生まれ育った県の身近な山です。

同県に生まれ育った同世代に、世界的に名を残したクライマーがいます。
彼のことも数行書きました。
親しくなるのは30半ばからですが、千葉市のど真ん中にある石垣や橋脚の跡を泰史さんも登っていた話は聞いていました。私たち千葉女子高山岳部も、その隣の親しい友人達がいた千葉高山岳部も登っていましたね。
けれど、石垣をトラバースするのが私たちだったら、泰史さんはどんどん傾斜を増しながら上へ上へと登っていたというから、まったく……。
こんなのは彼の高校時代の逸話のほんのひとつだけれど。

私が烏場山に通ったのは、15年以上前のこと。明け方の御宿で波乗りをして、2ラウンド目に入らない日は、和田浦まで南下して烏場山を走っていました。トレイルランニングという言葉はいまほど馴染みはなかったかもしれないけれど。
トレイルランニング、ファストパッキング、色んな言葉が使われるけれど、安直な言葉先行はおもしろくないですね。同じようなこと、日本でも昔からやっていました。カモシカ山行とか。
海外の文化も興味深いですが、それが日本に入ってきたときに、日本の自然や風土、歴史、精神性と相まって、より豊かなものになっていけばいいな、と思います。

ところで。
このところ1週間余り、白馬・小谷・富山で過ごしていました。毎日登って滑って。早朝、朝ご飯をほおばりながら、日本海を眺めて車を走らせ、山やスキー場へ。雪の遊びを終えると、ふたたび日本海。朝の色、夜の色、春っぽい柔らかい色、冬のどんよりした色。海を眺める日々がいとおしいです。
生まれ育った房総は、親潮という寒流と暖流の黒潮が合わさるところで、海の幸が豊富です。こと外房は外洋の力強さと、広がりがある、大好きな海です。
そんな育ちをしたけれど、こうやって日本海に接する時間を多くもてるようになった、最近も、大好きです。

島国ゆえ、海が望める山は、あちこちに。そんな山を、これからも歩いたり、攀じ登ったり、滑ったり、したいですね。

52051033_10216588955530035_86881626

2019年1月29日 (火)

嘉門次小屋・上條久枝さんインタビュー@『ランドネ』

ただいま発売中の『ランドネ』3月号に、上高地・明神にある嘉門次小屋女将・上條久枝さんのインタビュー記事を書きました。松本市・あがたの森で、久枝さんのポートレートを撮ってくれたのは、写真家の杉村航さん です。

山に登る年数が長くなれば、通うことも度あ重なる。少なく見積もっても50往復以上はしただろう、上高地から横尾へ至る道。緊張で心が重たいときや楽しさワクワクの往路と、充溢感や悔しさ情けなさ、色んな感情の復路。いずれも早足であることが多かったけれど、10年近く前のある取材から、右岸も歩くようになった、遅まきながら。

嘉門次小屋でお見かけする、背筋がしゃんと伸び、凛とした表情のこの方が女将さんなんだろうとは思っていたが、この度初めてお話し、俳人であることも知った。自著『ウォルター・ウェストンと上條嘉門次』も、拝読。
そして、インタビュー中には、かねてから気がかりだったことも尋ねてみた。「嘉門次は、なぜ神様の目の前に猟師小屋を建てたのですか?」

下記の写真、一枚目は、夏の葉が眩しい嘉門次小屋。
二枚目は、札幌のモンベル赤レンガテラス店に並べてあったもの
を撮らせてもらった。ちょうど、層雲峡から札幌に移動してきた翌日、登ったり滑ったりが続くので、1日オフと決め、秀岳荘をはじめとした札幌市内の登山道具店を巡り、ご挨拶していたときのもの。

冬のあいだ、北海道に2週間近く滞在するのは、ときどきあること。クロカン一辺倒の年もあるけれど、今年は、アイスクライミング、クロスカントリースキー、テレマークスキーと3種類の道具を持ってきたので、天候や自然条件に
合わせて、行き先や道具を変え、山を楽しみ味わいたいと、考えている。そんな日々が、ほんの少しずつでも自分を強くしてくれることも、めざして。
久枝さんが、若かりし頃、熊本から夜行列車で上高地に通ったように。

50628499_10216414613131584_37572606

50568717_10216414612491568_67786602




2019年1月27日 (日)

月イチ連載「わくわく山歩き」@毎日新聞

少し前のことになりますが、毎日新聞の月イチ連載「わくわく山歩き」が始まりました。
初回は東京奥多摩の御岳山です。

御岳山に初めて登ったのは15年ぐらい前の初冬。カモシカの笹原さんと同窓隣の部(WV)のエリさんという山の大先輩ふたりに誘われ、馬頭刈尾根から繋ぎました。地形図を広げるとよくわかるのですが、御岳山は四方八方に稜線が延びており、あちこちから縦走することもできるのです。


途中でおでん食べたりノンビリ歩いていたら、御岳山、日の出山と越えて、つるつる温泉に下山する頃には夕方に。
下の写真は、朝陽を浴びた武蔵御嶽神社の境内から東京を望んだものです。宿坊に1泊して、翌朝参拝するのは、好きなスタイル。御嶽神社の面(つら)が、朝陽に輝くさまは、なんとも言えません。

この記事が掲載された1月21日朝、ちょうど羽田空港から旭川空港へフライトしました。
それから3日間、層雲峡でアイスクライミングをするために。
去年の同じころも、層雲峡でアイスクライミングをしていましたが、そのときよりは温かく、それでも風が強い日は、マルチピッチで登っていると、滝の上部へ向かうほど、風があたり、寒さが厳しかったです。時折青空が広がるけれど、ほとんどがどんよりした空模様。
前日は、景信山で恒例の餅つきをしてたので、太平洋側に広がる冬晴れとは対照的。
日本は広いなあ、自然は豊かで多様性に富んでいるなあと思います。

そんな日本の山歩きの世界を、少しずつ紹介していきたいと思います。

50491137_10216387352890095_78740107

50257616_10216387354490135_89896708


2019年1月19日 (土)

昔の絵葉書、家でじっくり

2年前の正月は、少しの事情もあって、じっくりと自宅にいる時間が長かった。

仕事柄もあり、また山登りや旅が好きなこともあり、アチコチ出かける機会が多いが、たとえ短い時間でも、自宅にいるときに、静かにじっくりと過ごしたいと思うものだ。
facebookの「思い出」機能によると、2年前の今日、部屋で手紙の整理をしていたようだ。

昔から、それこそ小学生の頃から、「晴」という文字が名前に着く人には、深い縁ができることが多い。

黒川晴介さんは、お兄ちゃんのような存在の大好きな山の仲間だった。
その、晴ちゃんのことを、ブログに書き、そしてfacebookにも書いていた。

こんな風に、静かに自宅で過ごす時間をもちたいなあ、と半分憧れのように思う。

***2年の前のfacebookより***

天国にいっちゃった晴ちゃんからのエアメールが出てきたのは先日のこと。

今日は、とんでもない絵葉書の大きな束が出てきた。みんな、ここぞとばかりにお喋りと近況報告と情報を詰め込んでくるから、文字が小さい。よくこんな小さな字を書けたね。老後に読み返して楽しもうと思っていたけれど、現時点ですでにツライ。


いちばん小さな文字は、まぎれもなくアライだよ。世界一周旅行に行くんだとか言いだして、あちこち周っていたときの便りを覚えているか。
「○○子の住所が手元にないからこの葉書を投函しておいてくれ」「来週は◇◇の誕生日だから、俺からだって言って電話しておいてくれ」「帰国日を決めたいから、ついては都合を教えてくれ。成田への迎えを頼む、一泊は泊めてくれ」など依頼事項も多い。


今年は、久しぶりに旅の空から葉書を書こうかと思った、これだけみんなからの便りを読むと。そして、大きめの文字で書くことにします。

******
12615713_10207391213552234_78969653

2019年1月10日 (木)

お供え

長年続けたツアーの仕事を辞めたためか、最近、これまでに参加してくださった方々が、代わる代わる、遊びに来てくれる。
昨晩、単身でやってきた彼女は、普段は料理をしないという。
私の仕事が長引いたこともあり、彼女が来宅してから夕ご飯を作り始めるというしまつ。さらに、急な電話が続き、台所から離れることに。
「人参、どうやって切ったらよいか、教えてください」というので、少量だけ切って見せると、電話が終わった頃には、とてもきれいな千切りが出来上がっていた。ほんとうに、普段料理をしないのだろうか? というような出来栄え。
ある先輩ガイドが、ガイドの言うことを忠実に聞けて、その通りに実行できる人はポテンシャルが高いという話をしていた。彼女のことである。
たしかに、と思い当たる節は、私にもある。こちらが言ったことを、なんの迷いもなく忠実に行動に移せる人というのは、すごい。登山中のそれに比べたら、人参の千切りなんて、簡単なのかもしれない。やったことがなくても。

急な電話が続いたのは、山岳部の後輩の訃報だった。
あれは社会人2年目のGWだったか。赤石岳から滑落したという連絡が入って、北アルプスに向けていたパッキングをやり直し、南アルプス山麓へと向かった。タイミングよくヘリが飛んでくれて、彼とは病院で面会することになる。登山口近くのヘリポートからヘリが飛び立った時のことを、よく覚えている。

ちょうどこの夏、赤石岳周辺を歩く予定を作っていたのは、偶然だったのか、なんであったのか。当時の滑落現場に行って、お参りしてこよう、と考えた。
彼女が千切りにしてくれた人参は、竹輪と一緒にきんぴらに。ふたりで沢山食べたあとになるけれど、お供え。
49704198_400946127113742_4903403835

2019年1月 6日 (日)

中島健郎さん@ドイター・REAL VOICE

昨年のことになりますが、ドイターアンバサダー・中島健郎さん(クライマーであり山岳カメラマン)をインタビューしました。
REAL VOICEシリーズ、タイトルは「父と登った山が原点」。

インタビュー当日、いつものように自転車に乗って、さっそうとやってきました。「健郎、どうしたの?そのアタマ。寝ぐせ?」と言ったら、そそくさと洗面所にかけこみなおしていました。失敗した……そのまま撮影に入ればよかった。
そんないつも気取らないところ、誰といつどこにいても変わらないところが、彼らしいです。

インタビューには、健郎さんの大学山岳部後輩であり、イワタニプリムス勤務の山本大貴さん(写真右)も同席してくれました。
健郎さんは、先日、アンデスに向けて旅立っていきました。三浦雄一郎さんのアコンカグア登山+スキー滑降の撮影の仕事だそうです。今回のインタビューでは、ご自身の登山、撮影などの山の仕事について語ってもらいました。
なにかを強く主張することは少なく、自己顕示欲のない方ですが、ご自身の考えは揺るがずしっかりしており、インタビューでの回答も明快でした。

このブログの写真は私が撮ったものですが、web掲載のインタビュー写真は、かねだこうじさん。ほか、健郎さんの幼いころからの写真もあります。
ぜひ、ご覧ください。

http://www.iwatani-primus.co.jp/realvoice/3.html

48387426_10216201525804534_90006845

48971500_10216201538204844_89786206

2018年12月17日 (月)

平成の登山「女性の活躍」@『山と溪谷』1月号

『山と溪谷』1月号「テーマで見る平成日本登山史」に、「女性の活躍」について書きました。
たった2ページで、ほとんどのことを割愛したし、少々片寄っている点もいなめません。雑誌に名が出なくとも、面白い記録を残している女性もいますし、フリークライミングを取り上げられなかったのは、片手落ち。室井由美子さん、大岩あきこさんらが先達となり、いまでは世界的クライマーもいます。
信頼する編集者が担当だったので、粘って書かせてもらえたけれど、女性のクライマーについても山ガールブームについても、とても書ききれないので、別の機会を作りたいと考えています。

「女性の活躍」というタイトルが、男性目線だという意見をいただきました。編集部からもらったお題「女性の進出」から、私が変更したものです。言葉の使い方は難しいですが、いちばん大切なのは、書き手の視点、意識だと思います。

「女性初」「日本人女性初」というくくりに意味がないという方もいました。私も、その感覚はとてもよくわかります。
一方で、田部井さんのエベレスト女性初登頂のように、社会的意味を持つ場合もあると思います。
以前、日本山岳会の「山」の編集人になったとき、「女性初だ」と言われました。1905年から続く会の会報です。しかし、それを問題にすること自体、私自身は疑問もありました。けれど、ある女性の理事が「役職を頼まれたら、なるべく断らない。そうやって女性が出ていかないとならない」とおっしゃっていて、そうかそういう先達あっての私たちだったのだと、思いました。
つまるところ、そのようなくくりがないなかで、ものを見ることができたらよいな、と思います。だいいち、本人たちは、性差はあるけれど、女性だからって思って登っているのではないので。

今回の執筆を機に、平成を振り返る書物を数冊読みましたが、なかなか激動の時代だったのだなあと思いました。

48356281_10216138074018279_69857961

2018年12月 8日 (土)

田部井淳子と歩いた道@朝日新聞

今朝の朝日新聞「be」の「みちのものがたり」は、「田部井淳子と歩いた道」。担当記者の浜田奈美さんのfacebookによると、「世界的登山家が残した大きくて重い荷物を、かつてやんちゃ少年だった息子さんが必死に担いで歩く姿に、心打たれて企画した」と。
私は、そういったストーリーを新聞記者らしい観察眼、洞察力をもって取材する姿が、勉強になりました。

田部井さんのことは、この先も色んなかたが色んな側面を書いていくのだろうなあ、と思いながら。

ご一読を。

48238166_10216072966230625_49949014

2018年12月 7日 (金)

9月の鳳凰三山@テントむし

3ヶ月も前の、9月の3日間で縦走した鳳凰三山@テントむしについて。
今年で、7年間続けたテントむしに区切りをつけることにしたので、図らずも最後の回となった鳳凰三山も、簡単にでも、ブログに残しておこうと思う。
7年というのは、私にとってはまったく短くない。

鳳凰三山縦走は、雨の1日から始まった。
天気予報通りであり、この日は終日降られることがわかっていた。
けれど、樹林帯も多く、風雨の影響は最小限に収められるだろうし、翌日からは回復傾向だったので、出発。

なるべく濡れないように対処し、そしてテント内でなるべく乾かして、つぎの日に備えてもらおうという算段。
けれど、濡れないようにすること、濡れたものを順を追って乾かすことは、そう簡単ではない……ということを、私も参加の皆さんを見ながら、改めておもいしった。いや、それほど難しくもないと思うのだが、コツや根気がいるのか。あるいは、「乾かす」ということが、どれだけ重要か、認識することが、第一歩なのか。
いずれにしても、テント生活の技術というのは、時間をかけた積み重ねなのだと思う。
すべての衣類を取り換える人もいたが、たった2泊なのでそれもナントカなる。
けれどゆくゆく、濡れたものをテントのなかで乾かしていく技術も、身についていったらよいなと思った。

2日目は予想よりもよい天気になり、朝から晴れ。行程もゆっくりだったので、気持ちもゆったり。太陽が出るだけで、みんなが元気になった。
鳳凰小屋のテント場は激混みで、80年代の涸沢団地を彷彿させるようだった。

そして、最終日は青木鉱泉へ下山。この道が、意外にたいへん。
焦ってもらいたくなかったので、時間をかけてくだるよう、早朝発。
予定通り、10時過ぎには下山できた。

7年前の初回から参加してくれている方。最近は年に1、2度の参加だけれど、付き合いは長くなる。そんな彼も参加してくれた回であり、ゆっくり話もできた。
今年になって、ずっと来てくれている方。2度高山病で辛い思いをしたので、鳳凰三山は心配だった。けれど、ミウラベースに行き、トレーニングやアドバイスを受け、さらに自分自身も徹底した体調管理をして臨んでくれた。今回は絶好調。これには、私も驚き、ホッとしたが、何よりも本人の努力だったのだなあと思った。

今回は、主催側から定員オーバーになったという報告を受けたので、テールガイドをつけてもうよう依頼した。
所属する日本山岳ガイド協会が提示するガイドレシオは、それが適正というよりも、マックスと解釈した方がよい。
条件が悪かったり、チームの状態やガイド自身の実力を考えて、レシオ以下の配置にすることは、よくある。
それはルールを守るということ以上に、安全確保のために必要なこと。

テールに来てくれたのは若い女性だった。
フラップのついた雨具を着てきたので、気温も下がりつつある頃合いだったし、それなりの降雨量だったので選んだのかと思い尋ねると、「いえいえ、たまたまです」と、私の質問の意図を理解しながらも笑っていた。
危険個所での、ガイド同士の動き方とか、注意するポイントも、簡単な言葉の行き交いで互いの状況を理解し、動くことができる。
いつもはガイドが自分一人なので、ある程度同じベースをもち、話ができ、行動できる相手がいることは、心強い。

それともうひとつ、このときは、あるふたつのガイドツアーと一緒になった。いずれも友人がガイドを務めていたので、行動中に見えた雲の様子と天気図のことなど話ながら、情報や意見の交換もできた。
こうやって、ほかのガイドの方々と、フィールドで交流できることは、とてもありがたく勉強になる。

41859324_10215481195596729_69749194

2018年11月29日 (木)

「写真の記録性」@Stuben

いままで墨色だった題字がシルバーに。それって、そういう意味?
4冊目の『
Stuben』は、Photo Issue。
被写体であるスキーヤーは山木匡浩、撮り手は立本明広黒田誠廣田勇介中田寛也
ここに、「写真の記録性」という文章を添えました。

ほか、雪の世界にまつわる写真、写真に関する文章が綴られた一冊。
お手にとって、ゆっくりご覧ください。

11/30東京(小谷明×山田博之×渡辺洋一)、12/14札幌(山木匡浩×渡辺洋一)にて、刊行トークイベント開催です。

→ 東京

→ 札幌

webサイトの「Dealer」をクリックすると、取り扱い店舗のリストがあります。 

47134103_10215990116239427_61600290

渡邊愛理さんインタビュー@ランドネ1月号/発売中

いい出会いをいただきました。
渡邊愛理さんのインタビューを『ランドネ』1月号に掲載。

いまも昔と変わりなく、登山者としてこんな純粋で真っ当な育ち方をした若者がいるんだ!って感慨深かったです。

宮城県生まれ、栃木県在住。所属は、本田技研の職域山岳会。部署こそ違えど、かつての大先輩には渡辺斉さん、田部井政伸さんらも。
今年の春は、ヒマラヤキャンプでパンカールヒマールに登頂。

女性も男性も、これまでランドネを手にとったことがない方も、ぜひご覧ください。


46667957_10215976326734698_11838226

The North Face SUMMIT SERIES~K2

The North FaceのハイエンドモデルSUMMIT SERIESの今期カタログは、K2がテーマです。

カタログの後半分を、執筆しました。

K2の歴史やプロフィール、重廣恒夫さんと小松由佳さんのインタビューなど。
巻頭には、森山伸也さんが執筆した石川直樹さんへのインタビューもあります。


カタログ制作をしているさなかのこと。

山野井泰史さんとの会話のなかで、「K2は、どのラインにもストーリーがあるよね」って何気ない一言があり、ズキンときました。

探検時代から始まり、南東稜からの初登頂。その後の幾つものアルパインスタイルのトライ。
プロフィーらの北西壁、泰史さんとクルティカが臨んだけれどほぼ手つかずの南東面、クルティカが繰り返しトライした西北西壁。ロシア隊の西壁ダイレクト。
第2登から北西稜ほか、日本隊にも縁の多い山。
そして今年のトピックは、アンジェイ・バルギエルが山頂からBCまでスキー滑降。さらには、厳冬期など課題がいまもある山。

たしかにそれぞれに、ストーリーがある。それもK2ゆえんのことか。

店頭で配布しています。ぜひどうぞ。


そして、シリーズ展開に合わせて、11月20日からSUMIIT SERIESのイベントも始まり、連夜、原宿へ通いました。
二晩目は、佐藤裕介さん×鳴海玄希さん×山本大貴さんによる、セロ・キシュトワールの報告スライドショー。
当人たちから生の声で話が聴けるのは、ほんとうに嬉しく思います。
自分たちのクライミングについて、正当に評価でき言語化できることもまた、素晴らしいと思いました。
けっして派手ではないありのままの短い映像と幾枚かの写真と共に聞いた話は、ずっしりとリアリティがありました。


46666561_10215949751150325_38798846

2018年11月28日 (水)

1985年2月号の『山と溪谷』

仕事場の本棚から、『山と溪谷』の84年85年の号を一冊ずつ手に取りページをめくった。
84年は6号、85年は11号ある。きっかけは、沖縄在住の登山家、雨宮節さんがfacebookにコメントをくれたことにある。

84年に雨宮さんは風間深志さんらと、トライアル・バイクでエベレスト街道をいき、その様子をヤマケイや本田技研の広報誌に載せたと。掲載号がわからないからということだったので、84年から手に取ってみた。85年2月号に載っていた。
トライアル・バイクの記事も興味深かったのだが、ほかの記事も読みごたえがある。
長谷川恒男さんのナンガパルバット、岡田昇さんの厳冬の穂高のグラビアなど。
第一特集は山スキーで、三浦敬三さんの誌上指導から始まる。
編集後記のページを開くと、編集長は伊藤文博さんだった。なるほど……!
特集だけでなく、1色ページにも読み応えのある記事が並んでいるのは、この時代が豊かだったからなのか。
地域研究は丹沢。筆は、渡辺千昭さんと寺田政晴さんだ。まちがいないふたり。
つぎの週末、丹沢へ行く予定があるので、読んでみた。

いまどき入手しやすい書籍や雑誌、ネットの情報では得られないものが書かれていて、この時代の雑誌は、こんなにも丁寧な作り方をしていたのかと思う。
その丁寧な仕事が、ライターを育て、カメラマンを育て、編集者を育て、ひいては登山者を育てていたのではないかと。
日曜日に丹沢を歩くときには、ここに書かれていたことを気にしてみようと思う。

2018年11月17日 (土)

インタビュイーになって

ふだんインタビューすることばかりだけれど、ごくたまに、インタビューされることがある。

新聞記者というのは、彼方此方たくさん歩き、たくさんの人の話を聞き、ほんとうに多くのことを見てきたのだと思う。
今回の取材に関して、これまで歩いてみてきた話を聞きながら、洞察力や観察力、分析力が素晴らしいなあと思った。色んなストーリーを掘り起こし、複数の人の話を聞き、そこからなにかをあぶり出す。

しかしそれにしてもよもや、インタビュー中に涙があふれるとは思わず、インタビュアーを驚かせてしまった。こんなにも気持ちの整理がついていない、ものごとを咀嚼できていないことに、どきどき気づかされる。
ときどき、「インタビューしてもらって、考えが整理されました」「気持ちの整理がつきました」と言われることがあるけれど、あれはおそらく本当なのだろう。
インタビューされて気づくことがある。

あの日、私がインタビュアーとなって、相手の足をさすりながらインタビューした日のことを思い出したが、私からのインタビューも取材もまだまだ続く。
12038818_10206734096284713_31904398

2018年11月16日 (金)

『現代用語の基礎知識』「登山」

『現代用語の基礎知識』の「登山」を担当して6年目になります。

昨年に引き続き、巻頭では竹内洋岳さんにご登場いただきました。
ことし新たに掲載した用語は、「山のグレーディング」と「登山のSNS」。11/8発売ですが、Amazonでは予約を受け付けています。

巻末の約60ページを使い「ことばでたどる平成」という記事があります。1989年1月8日に幕を開けた「平成」は、消費税導入、ベルリンの壁崩壊、天安門事件など、激動の年でした。振り返ると、年号の意味するところに反して激動は続いたように思います。

そんなスピード感と激しい動きのある時代にあって、登山を言葉でどうやって追っていけるのか。竹内さんは今回も、しなやかに時代を読んでくれました。

ぜひお手にとってご覧ください。


45206672_10215829937595061_57281674

2018年11月11日 (日)

針の穴に糸を通す

朝の散歩で、田んぼのあぜ道で摘んだ野の花を挿したら、夜になると元気がなくなってきた。

数日前、編集者は、「ここまでくると、皆のスケジュールを合わせていくのが、針の穴に糸を通すようなんです」と、電話口で言っていた。
皆とは、編集者である彼女、クライアントの担当者、誌面デザイナー、イラストレーター、それとライターの私だ。

編集者の仕事は多様に幾つもあるが、そのなかでも重要なのが進行管理。
発売日・発行日が決まっているわけで、それから逆算して、納品日、印刷所で下版する日、校了日……とどんどんさかのぼって、ライターである私に関係するひとつ目の日である原稿の締め切り日を割り出す。
たとえ、締め切り日に原稿を入れても、その後のデザインや校正、多方面との調整をしていくと、その先が進行表通りに進むとは限らない。
あらかじめ余裕を持っているとしても、最後の最後にはやはりギリギリになってくる。

こういった流れのなかで、その都度、細かく多方面に気を配り、日程を調整しながら、それぞれの仕事が円滑に進むようマネジメントするのが、編集者だ。
ほんとうに、たいへん。
しかし、針の穴に糸を通した彼女の仕事ぶりは、鮮やかだった。
私には、入稿後も、「この日とこの日は、なるべく電話連絡が取れるようにしてもらえますか」など、指示がきめ細かい。
野の花を摘んできた日、ようやく校了。
幾つもの目で見ても、ミスというのは防げないときもあるわけで、まだまだドキドキだけれど。
Fb_dsc0277

2018年11月 8日 (木)

第一印象

インタビューしようと思ったきっかけは、第一印象にあった。
大勢がいるなかで、各人がみなの前でマイクをもち、ほんの短い挨拶をしただけ。
その挨拶を聞いた以外、ほとんど話もしなかったけれど、インタビューするのだったら、彼女だって思った。

それら半年以上経った日、鮮やかな靴を履いて、やってきてくれた。

よくよく話を聞くと、数年前、私がテールガイドをした雪山登山に参加していたそうで、あの日の彼女は初対面だったわけではなかった。だから厳密にいうと、第一印象というのは、「あまり覚えていない」……ということになる。

そういう細かなことは置いておいたとして、第一印象通りの人だった。

おまけに、親近感がわく。
いまどき、山の世界でこんな風に育ってきた人って珍しいのではないかと思ったが、それがかえって近しく思う。
二回り近く若い方だから、時代が巡ってきたということだろうか。

ずっと彼女の顔を見ながらインタビューしていたが、心の揺れとか感情の表し方とか、なんだか自分を見ているかのように思えた節もあった。
同席した編集者もインタビュイーの彼女も、私と似ているのではないかと言い出した。

似ているというのは、おそれおおいことだが、第一印象とか直感というのは、信じてよいのかもしれない。

Fbpb030331

2018年11月 7日 (水)

水辺の夕陽

ふだん、山で沈む夕陽や日の出を見ることが多い。
刻が大きく動くその瞬間が、好きだ。

ブルーモーメントは、夕焼け後や日が出る直前のわずかな時間にやってくる。空が青い光で照らされる。雲がなく澄んだ空模様のときが、綺麗だ。
グリーンフラッシュは、もっと一瞬の出来事。陽が沈んだ直後、日が出る直前に、緑色の光で空が瞬く。
シルバーモーメントというのは、日本では言わないのだろうか。
ヒマラヤでは、よく使う言葉だ。日没後か日出前、漆黒の世界になる直前、あるいは漆黒の世界から抜け出た直後、ほんの少しだけ空に白み、山々が硬質な色で浮かび上がってくる。
この瞬間が、私はいちばん好きだ。

日の入りも日の出も、太陽のある空も美しいが、太陽が照らした山肌は、ことさら美しい。

久しぶりに、水辺の夕陽を見た。
水面がとろんとした色になり、とても美しかった。
Fbpb040127

2018年11月 3日 (土)

「トレイルランレース救護最前線」@『RUN+TRAIL』

『RUN+TRAIL』Vol.33の信越五岳トレイルランニングレースの特集のなかに、「トレイルランレース救護最前線」という記事があり、信越五岳の救護体制のトップを務める、北里大学救急救命・災害医療センター勤務の救急救命医である稲垣泰斗さんのインタビューが載っている。

トレイルランニングのレースの表舞台だけではなく、こういった運営にかかわる部分についても、丁寧な記事があるのは、とてもいいことだなあと思った。

救護体制の現状や今後の課題について触れるなかで、実際にどのような体制を作っているのか、具体的に紹介されている。
これは、他の大会を運営する方々にも参考になるだろうし、選手たちも知っていてよいことだ。

余談になるが、ちょっと前、トレイルランニングに関する短い原稿を書いた。
門外漢である上に、レースにも出たことがないため、的外れなことを書いていないか、心配になり、前出の泰斗さんに相談してみた。
仕事柄、トレイルランニングに関係する人たちはほかにも大勢知っている。選手もイベント主催者も。けれど、泰斗さんのことが最初に浮かんだ。
彼に相談したことは、その回答が帰ってきたときに、間違っていなかったと思った。
トレイルランニングについて、多角的にフラットに理解が深く、また深い愛情を持っているのだなあと感じたし、それゆえに、的確なアドバイスをくれた。

それがなければ、このような活動を健全に継続的に行なうことはできないだろうし、それがあるからこそ、いい救護体制が作れるのだと、思う。
45269017_10215822144440237_48717037
45228755_10215822144600241_87291145

2018年10月25日 (木)

友人の著書と手紙

ある方に、お礼の手紙を書きたく、数週間前から友人の著書を幾度となく読み返していた。
べつの用事で、昨日から著者であるクライマーの友人に電話をしていたが、今晩になってやっと繋がり、久しぶりにたくさん話をした。
次に、遊びに行く約束もしながら。

一見するだけでは、誤解されそうなこのコラムのなかに、好きな一節が幾つかある。
「世間体を気にせず見栄も張らず」というのは、そのひとつ。
Fbpa250302

2018年10月23日 (火)

菊根性

「読んだことない」と言うと、ある山岳漫画を全巻、貸してくれた方がいた。
届いたのは、夏のさなか。
18巻あり、数巻ずつクルマに積んで持ち歩いた。
山から山への仕事が続くなか、その合間に下界にいるときに読んでみようと。

しかし、最初はちっとも読み進まなかった。
なぜ作者は、人が山で死ぬことばかり描き続けるのだろうと、読むのがつらかった。
いやがおうでも、人は山で死んでいく。山は危険なところであり、登山には危険な部分もある。人が山で死んでいく、その現実だけで、私はいっぱいいっぱいだ。

けれど、それから少しずつ読み進め、秋に読み終わった。
色んなことを、少しずつ考えた。漫画のことではないけれど、山のこと。

「菊根性」の菊とは、桜と比べたところにあるという。
ぱっと咲いて、潔く花吹雪となり散っていく桜に比べて、菊は少しずつしおれていく。
なかなか散りもせず、枯れてもなお、花が残っていることもある。
そのため、未練がましいことを「菊根性」という場合もあるけれど、もっと前向きな意味で使うこともあるのではないだろうか、この言葉。
しぶとく、登り続ける。

心底山が好きで、本気で山を登り続けてきた人の死は、ことさら辛い。

Fb_dsc0276

2018年10月19日 (金)

【味噌汁日記200】

土佐の青さに萩の玉葱、朝日町の茗荷。
出汁は土佐の宗田節、味噌は尾白味噌。
山のなかで作った味噌が、青さによって、一気に磯っぽくなった。

青さと宗田節は、サーフトリップのお土産。青さは「天婦羅にせよ」と、送り主から今日メッセージが入ったので、つい控えめの量にしてしまった。
宗田節は、「猫まんまがいちばん」というアドバイスに従っていたが、今日の昼から満を持してお味噌汁の出汁に。

玉葱は、萩の泉ちゃんがお土産に持たせてくれたもの。真っ白で大きな真ん丸玉葱。ステーキにしても、なににしてもヨシと言われ、コチラも満を持しての味噌汁デビュー。とっても甘い。

茗荷はさとちゃんちの隣の畑で採れたもの。秋茗荷も、これにて最後か。

味噌は、いつもの尾白味噌。

こうやってみると、ほとんどが頂きものであり、送り主たちの顔が浮かび、味噌もおばちゃんの顔が浮かぶ。
まだ長モノが3本もあり、書いても書いても終わらない日々。
近くの遠くの、友人達の顔を浮かべながら、みなに支えられなんとか過ごしているんだなあ、と感謝。
ときどき、「味噌汁日記、読んでいます」「参考になる」と、声かけてもらっていますが、かれこれ1年以上続きました。日々のなんてコトない食卓と時間。

*Instagramと写真を替えました。せっかくの200回だったのに、どちらも、いまひとつの写真でした*
Fb_dsc0168

2018年10月18日 (木)

プロフィール、そしてキャプションやタイトル、リードは?

今朝、インタビュイーであるスキーヤーさんから、「柏さんがいままで私をみてきて、思ったように好きなようにプロフィールを書いてください」とメールが来た。
最近の情報(たとえば、彼が被写体の写真展があるか、とか、ツアーやレッスンのお報せがあるか、とか)で、(雑誌に掲載する)プロフィールに載せたいものがないかどうか、問い合わせたメールの返信。
これには嬉しくなり、がぜんやる気が出た。

そして、ずっと前にブログに書いた「プロフィール」というタイトルの文章を探し出し、ツィッターに載せてみた(文末に引用)。プロフィールは本人が書くものではなく、編集者、インタビュアーが書くべきものだという話。
それを同業の仕事仲間がリツィートし、こんなコメントを残した。
「同意。プロフィール文を本人が書くっておかしいよ。なぜおかしいか説明しようとしたら字数が足りなくなってしまったので説明はしないけれど、そこを理解できない人とはあまり仕事したくない。そこはわりと致命的な姿勢が表れているようにも思うから」と。

まちがいない。
プロフィールは、その人となりを読者に知ってもらうのが目的であるが、その人選をしたのは編集者や筆者だからだ。


ところで。キャプションはどうだろう。写真に添える文章だ。
プロフィールの件とは、似て非なる話ではあるが。
ある編集部の女性編集者は以前、ずっとキャプションを自分で書いていた。
なるほど、誌面はライターと編集者の共同作業で作られるものであり、全体を見渡したときに、キャプションやリード、タイトルを編集者がつけるということも、アリだと思った。
タイトルを提案してくる編集者は時々いるし、リードを自分で書いてくる人も、まれにいる。
私自身は、タイトルやリード、キャプションを積極的に書いてくる編集者を歓迎する。ライターが書いたものにどうこう言う人は多いが、そうではなく、自分で書き始める編集者。人が出したものに、なにかを言うのは簡単だ。そうではなく、もう一歩踏み込んだコミットメント。

誌面は編集者とライターが共に作り上げるものなのだから。
結果、どのタイトル、リード、キャプションを掲載するかは、その後の話であり、これらを編集者も共に考える、という姿勢。

もちろんそこに、写真家、イラストレーター、デザイナーも関わってくるわけで、それらの人々を束ねるのが、編集者。その束ねる行為、コーディネート部分をまで、ライターに頼ってくる編集者は、ちょっと違うなって思う。
色んな編集者がいるけれど、編集者の仕事の領域というのは、実に曖昧で、へたするとすべてが編集者の仕事のようにもなる。

だけれども、ライターとして、私がやる仕事はひとつ、どんな編集者が相手であっても、本来的には変わらないはず。

****
「プロフィール」 2015年10月4日
    
いつから、著者や筆者(あるいは写真家もかもしれない)のプロフィールを、本人に書かせるようになったのだろう。これは、編集者の怠慢だと思うし、悪しき習慣だとも思う。

書籍に載せる著者のプロフィールは編集者が、雑誌記事に載せる筆者のプロフィールも編集者が、インタビュー記事の場合、インタビュイーのプロフィールはインタビュアーが書くのが、常識ではないだろうか。
というか、それぐらい書かないでどうする。他人(ましてや本人)の手に渡していいのか? とすら思う。

プロフィールは、編集者やインタビュアーから著者や筆者、インタビュイーへの手紙のようなものだ。履歴を並び連ねる場合であっても、そこには取捨選択があるし、言葉遣いもある。だからときには、熱烈ラブレターにもなる。

書くときは、大概、既出のプロフィールを一通り読むだろう。けれど、既出の切り貼りはもってのほか。

随分前になるが、小さな新聞に載せたインタビュー記事のプロフィールについて、悩んだことがあった。「○○の活動に関わる、携わる、○○の活動をリードする」などの表記はすでにあったが、そうではない、と思っていたのだ。そのインタビュイーは、その活動に携わるというようなレベルではなかったのだ。
考えに考えて、「挺身」という言葉を思いついた。「○○の活動に挺身する」だ。

挺身は、類語辞典で引くと、「身を投げ出して一所懸命努力すること」。例文は「社会活動に挺身する」とあった。まさに身を挺して、活動に関わり続けていた彼には合致する言葉だと思った。

こんな風にプロフィールを考える、作文するというのは、作り手の特権、醍醐味のはず。こんな作業をやすやす本人に渡してはならない。

だから、自分の執筆記事に対して「プロフィール、書いてくださいね」と言われると、けっこうがっかりくるし、インタビュイーの方から「プロフィール、書きましょうか」なんて言われてしまうと、それは親切心だろうけれど、ちょっぴり悲しくなったりする。
もちろん、インタビュイーに言われた場合は、丁重にお断りし、自分の手に戻すのだが。

プロフィールを書く時間は、相手に思いを馳せる。これも、大切な時間なのではないかと思う。
***


Fb_dsc0302

2018年10月 7日 (日)

テントむし、6年ぶりの唐松岳

夏のガイド山行を振り返って。

山の日に八方尾根から唐松岳かあ……。
激混み間違いないし、どうなることやら、と思っていたが、天候がいまひとつだったためか、思いのほか、空いていた。
それでも、尾根上のすれ違いは多く、神経を使う上り下りだった。
山荘直下のトラバース道が崩壊しており、稜線上のラインを辿ったが、しっかり整備されており、安心して歩けた。小屋に着いたとき、常駐隊に知った顔の方々がいたので聞いてみたところ、整備の様子を教えてくれた。

テントむし、6年ぶりの唐松岳。
二日目の朝、山頂へ向かおうと、早朝に集合したが、空模様がいまひとつ。テント場から山荘まで上がって、白馬側の空を見ても、全然ダメだったので、いちど解散し、1時間後に再集合。
ちょっとだけ明るみの出てきた空の下を歩き、山頂へ。
おかげで、お盆の時期だというのに、山頂は私たちだけ。
展望はなかったけれど、小さくけれど絶妙に積み上げられたケルンをみて、「ジェンカができそう」と笑いながら、みんなでひとつひとつ積み足した。
こんな空模様でも、笑顔で、そしてやがて次の登山者が来たら、「そろそろ、この
静かな山頂を、つぎの方に譲りましょう」と言えるみんなは、温かいなあ思った。

テント場近くなると、「再集合するまでにテントに入ったら、雨が降ってきたでしょう。テントのなかだと、雨音はあんな風に聞こえるんですね。楽しかった」と、ある女性。
環境の変化に柔軟に対応し、その場を楽しめるポジティブさは、ホント登山向き。

今回もまた、参加の皆さんといい山登りをさせてもらった。


本題から話はそれるが。
初日の夕ご飯前、みんなで集まっておしゃべりしていると、背後から、「カシワ―」と呼ぶ声が。最近、こんな風に呼ぶ人は少ないので、いったい誰?と振り返ると、大学山岳部時代のひとつ上の先輩である、孝弘さんだった。
唐松から白馬への稜線を歩いたことがなかったというので、ひとりでやってきたと。
「え?そうだっけ?」そういえば、あの夏、孝弘さんはいなかったなあ。ケガして手術していたんだったかな。
夕食前、ハリーさんが「先輩を呼んできたら」と言ってくれ、テントへ行くと、喜んでやってきた。
就寝前、またテント場ですれ違った。夕暮れ時、黒部側の山肌がのぞいてきたときだった。
「山が見えてきたね」「そうですね」
なんてことない一言を交わして、それぞれのテントへ。
かつて、こんな言葉を、数えきれないぐらい交わしたなあと、思いながら。


39040858_10215224710264756_48272241
39001828_10215224712504812_52039672
38996219_10215224710584764_33653935

2018年10月 6日 (土)

Team Good Jobの仙塩尾根

夏のガイド山行を振り返って。
7月末から4日間かけて、仙塩尾根を歩いてきた。
北沢峠から入山し、仙丈ケ岳を越えて塩見岳まで繋ぐ予定だった。
けれど、台風の影響を受け、1日出発を遅らせたこともあり、両俣小屋がスタートとなった。
そもそも、この計画のスタートは、長年、ガイドに来てくださっているZさんが、南アルプスの主稜線のなかで、仙丈ケ岳から両俣乗越をトレースしていないということと、一昨年、Team Good Job(命名は、農取小屋のご主人)が白峰三山を縦走したときに、西に見える仙塩尾根を話題にしたことにあった。

Zさんのことを思うと、仙丈ケ岳を踏んでスタートしたかったけれど、天候ばかりはどうにもならない。それでも、芦安の先輩ガイドや山小屋の方々から早々に情報をもらい、林道に台風の被害がないことがわかり、安心して出発できたことは、幸運だった。
それに、出発数日前に、Mさんも予定調整ができ、Team Good Job全員そろっての縦走となったことは、、ことさら嬉しいことだった。

仙丈ケ岳と塩見岳を結ぶから仙塩尾根。長大な稜線だけれど、「尾根」という名前がついていることが、高校生の頃から、不思議に思っていた。だから、大学生になって、いち早く歩いてみた。以来、何度かトレースしたけれど、今回は、ほんとうに久しぶりだった。

緑が濃く、静かで、ボリュームのあるこういう山歩きが、私は大好きだ。
けっして派手ではない、このルートに、Team Good Jobの3人と歩けたことも、嬉しかった。
毎日、私たちしかいないテント場で、ご飯を食べて、お喋りしたり、音楽を聴いたり。
この夏は暑かったから、日の出前から歩き始め、日中は黙々と歩いて。
あっちの山やこっちの山を眺めて、互いにちょっと会話を交わし。
3日目の稜線は、台風の影響を受け、倒木も多く、皆さん少したいへんそうだったけれど、歩き通した。
この顔ぶれで歩くと、必ず起こることが、今回も起こって、大笑いして。

登山ガイドの仕事は、山がとっても好きなことはもちろんだけれど、人との関係にも大きなウェートがあると思う。参加してくださった方が喜ぶ顔を見るのが嬉しかったり、悔しい思いをするときは、こちらも心が縮こまるように痛くなったり。いろんな場面を共有させてもらえることは、感謝してもしきれない。

また、参加者から学ぶこともたくさんある。
Zさんの山歴は、私のそれよりはるかに長い。彼が、テント場に着くと、翌日の行動に備えて早々にどんなことをするか、いつも感心して拝見している。
彼は、写真を撮らない人だけれど、20年程前、子どもと歩いたという今回の稜線について、事細かく覚えていることは、まったく恐れ入る。それもこれも、いつも細かく手帖に記録を録るからだろうか。

晩秋にケガをしたMさんは、「歳とってからの骨折はツライですよ」と話し、どんな冬を過ごしたか、教えてくれた。それが、こうやって長距離の縦走も歩けるようになって、話題にはしないけれど、ものすごく努力されたのではないかと、想像する。
そんな彼が、冬のあいだに読んだという漫画本をたくさん、貸してくださった。ちょうど夕べ、やっと読み終わった。

Nさんは、このチームの看板娘的存在だ。
山行の二日目に、彼女の誕生日がやってきたのでお祝いしようとしたところ、「せっかくだから、みんな一緒にお祝いしましょう」と言ってくれた。6月初めまでさかのぼれば、あとはみんな7月生まれ。夏生まれが揃ったということで、マロンクリームと桃を挟んだパンケーキを作った。

思い返すと、随分たくさんの時間を彼らと過ごしてきたことは、じつはキセキのようなことなのではないかと、ふと思ったりする。

心に残る夏を、いただきました。

38754422_10215175884244136_77623094

38504323_10215175885924178_11135455
 
38640763_10215175886924203_47274408
38512041_10215175869043756_506231_2

2018年10月 5日 (金)

ピオレドール受賞決定@『山と溪谷』10月号

『山と溪谷』10月号(9/15発売)に、1ページの小さなニュース記事を書きました。
平出和也さんと中島健郎さんが、シスパーレ北東壁初登攀をもって、ピオレドール受賞が決定した話です。

この号の特集は、「山岳写真家と歩く北アルプス紅葉~~~」。
巻頭の三宅岳さんの文章を、真っ先に読みました。写真家の文章を読むのって、好きなので。
岳さんのページには、美しい北アルプスの紅葉の写真も添えられています。
これをみて、「いったいこれは北アルプスのどこの山だろう?」と、一瞬首を傾けました。長年山登りをしていれば、北アルプスの名だたる山は、だいたいすぐにわかるはずなのに。

キャプションにある山名をみつけ、これまた「で……北アルプスのどこにある山だっけ?」と、もう一瞬首を傾けました。

そのあとすぐに、「ああ!」と思い出しましたが、ほんとうに一瞬わかりませんでした。このあたりは、緑が綺麗な時期に一度だけ縦走したことがありました。以来訪れておらず、そうか、ここはこんな美しく色づくのか、と思いました。
筆者の岳さんが、「写真はともかく、(選んだのが)意外な山でしょう」と言いましたが、これだけ山を歩き、たくさんの景色を眺めてきたかたこその、選択だったのだと、深くうなづきました。
山岳雑誌にさんざん特集されている、人だかりの紅葉の山々とはある意味、対局にある山。きっとこの秋も、ここは静かなんだろうなあ、と思いました。

そして、黒部の写真を載せている星野秀樹さんが、後半ページに、佐伯邦夫さんの追悼を書いていました。

41694407_10215458901639394_84786362

2018年9月27日 (木)

篠突く雨

先日、篠突く雨のなか、下山した。
4日間におよぶ、友人達が小屋番をする山小屋の手伝いを終えた日のこと。

入れ替わりに、ヅメさんが歩荷しながら上がってくることは、知っていたので、遠くに彼が見えたとき、「ヅメさーん」と叫んで手を振った。「おお」という感じで、顔を挙げて手を振り返してくれた。

重たい荷物を背負っているのだから、足を止めさせたくないし、ペースを乱すようなことを、こちらがしてはならぬ、と思いながらも、やっぱりすれ違うときは、足を止めて、ひと話。

「これは、まあホントにいい天気だよねー」とヅメさん。
「ホントだね、音もする天気だよ」と私。

つぎに出た彼の一言が、ちょっと心にひっかかった。
うつむき加減で話をするので、長いまつ毛に雨がしたたって、切なくなった。

けれどすぐに顔をあげて、「こんな天気だから、スミ姉、もう1泊してくれるかと思ったよ」と。
「遊びに行っているのだったらいざ知らず、仕事ないのにい続けるのはよくないからさあ」と返すと、彼もうなづいた。長年山小屋の仕事をしてきた者は、仕事が終わればさっさと下山することの、大切さをよく知っている。だらだらいては、いけない。

「つぎ、10月の三連休なんだよね」というと、「うん、でもその時も、こんな感じで入れ違いでしょう。でもまあ、それは仕方ないこと。それがそれぞれのポジションだからさあ」と。
こんどは、下界でゆっくり会おうと約束して、別れた。

後ろ姿を見送りながら、この人は、いろんなことを飲み込んできたんだなあと、勝手な想像かもしれないが、思った。
どれだけのものを飲み込むか、それが大人なのかもしれないし、そんな人は、他者に優しく、温かい。
42604042_10215546098779268_61324655

«日ごろ、自然

2019年3月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30
31            

Information

  • ✾登山ガイドについて✾
    現在、MJリンクのサポーターやテントむし山旅プロジェクトbyAdventureDivasのガイドなどで活動しておりますが、このほかに個人ガイドをご希望の方は、下記「メール送信」をクリックの上、お問い合わせください。内容など、ご相談の上、実施したいと思います。

Magazines