2020年9月20日 (日)

アルピニズムを継ぐ人々-ラインホルト・メスナー@YAMAHACK

「アルピニズムを継ぐ人々」、第3回はラインホルト・メスナーです。
毎回、ハンコを使ったイラストを添えてくれるのは、あまのさくやさん。今回の原稿をどんな話で締めくくるか、彼女に話していなかったのですが、メスナーの首元には、チベット由来のメノウのネックレスを描いてくれました。写真などを集め、彼が好んで身に着けていることを知ったのだと思います。
原稿の最後に、後年のメスナーがチベットを旅している話を書くことは決めてあったので、あまのさんからハンコが出来上がったと連絡をもらったときは、嬉しかったです。
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四川省の西部を旅していると、たびたび、メスナーの話に出会いました。
リータンのゴンパではラマが、「メスナーがここに、これを見に来た」と雪男の毛皮(とされているもの)を奥から出してきて、話したことを憶えています。
峠を越えると一気に草原が広がり、リータンに入っていきます。標高4000m余りのとても美しい町。
ゴンパは、裏に山をかかえていて、まさにここにお寺を建てるでしょうというような納得いく場所でした。
ダライ・ラマ3世が建てたこのゴンパは、5世の代に大きくなります。またリータンは、7世や10世が生まれた土地。6世が「「私は遠くへは行かない、リタンを回って戻ってくるから」と言ったとされており、7世が誕生。
そんな神々しい土地でした。
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このリータンから、南下してダオチェンに入っていくと、6000m峰が多数あり、その山々を回るように峠越えをして歩くだけでも面白かったです(写真)。
このあたりには、幾つも、メスナーの足跡がありました。
最後に旅したのは、2003年。いまはどうなっているのかなあと、時々思います。
https://yamahack.com/book/m04_03
https://twitter.com/sakuhanjyo?s=20

Yahamack

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平出+中島ペア、ピオレドール受賞@ヤマケイと、ピオレドールイベントへ

同じく本日発売『山と溪谷』10月号トップニュース。
平出和也さんと中島健郎さんのピオレドール受賞について。
昨年夏ラカポシ南壁初登攀。登攀の内容は、中島さんがロクスノ85号に書いています。
今回は一人ずつの短いインタビューでしたが、それでもふたりに対して新鮮な発見が幾つもありました。
15年以上にもわたって、ふたりが変容していく様子を見せてもらい、繰り返し書かせてもらえることには、感謝しかありません。
まだまだ書かせてもらいたいこと、見せてもらいたいものがあります。
これまで築いてきた関係を大切に、書き手も精進します。
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さて、今回のピオレドール、チャムラン北西壁初登攀(マルク・ホレチュク+ズデニュク・ハーク)、テンギラギタウ西壁初登攀、リンクサール初登頂と、日本人と縁のある山が並びました。
チャムランは、今井健司さん、一村文隆さんの魂がある山。受賞のふたりは、平出+中島ペアもよく知るクライマーです。
テンギラギタウ西壁は、各国のクライマーが挑んだと思いますが、日本からも、花谷泰広さん+鈴木啓紀さん、そして高柳傑さんら。
リンクサールは1979年、なんと40年前に立正大学チームが初めて試登した山です。
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そして昨日、新しくオープンした石井スポーツ宇都宮駅前店のイベントへ行ってきました。
中島さんと、かつてカランカ北壁でピオレドールを受賞し、今回でピオレドールの審査員をつとめるのが2度目の天野和明さんのトークイベント。
ふたりそれぞれから、リアルな声を聞くことができ、とっても面白かったです。
ふたりとも、ふり幅のあるクライマーであり、山岳カメラマンであり、山岳ガイド。

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連載「平成を登った女性たち-山ガール」@ヤマケイ

9/15発売の『山と溪谷』10月号、隔月連載「平成を登った女性たち」は、山ガールです。
かなり苦手分野です。
山ガールブームがなんだったのか、どこにあったのか。
山ガールブームがどこからやってきて、登山の社会にどんなことをもたらしたのか。
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今回は、山ガールブームのアイコンと呼ばれる方々ではなく、裏方で活躍されていた方々ー編集者の小林百合子さん、佐藤泰那さん、LaLaさかいや店長を務めた山岸裕子さん、それから100名山ブームと山ガールブームをテレビから展開した佐藤耕至さんらに登場いただきました。
佐藤さんは、いぶし銀のヤマオトコ。田部井政伸・淳子夫妻を迎えて、安達太良山のロケをご一緒したとき、地下足袋でいらっしゃったことを憶えています。山ガールブームに関わりながら、そのギャップが鮮やかな編集者です。

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2020年9月14日 (月)

書評『剱岳ー線の記』@秋田魁新報

「秋田魁(さきがけ)新報」9/12の書評欄に、探検家・髙橋大輔さんの新著『剱岳—線の記』について書きました。
1907(明治40)年の測量隊が、「初登頂」と剱岳の頂きにたどり着いたとき、鉄剣と錫杖頭が発見されました。つまり、それ以前に剱岳の山頂に立った者がいたわけで、それはいったい、いつ誰が、どのようなルートでどうやって、なぜ剱岳山頂に納めたのか、髙橋さんは探ります。
その探る旅を描いたのが、本書です。
クライマーにとって、一生かかっても登りつくすことができないであろう、そして通い続けるであろう剱岳に、髙橋さんは別の視点で通い続けます。
書評の紙面は、webでは読むことができませんが、髙橋さんの著書を、是非どうぞ。

髙橋大輔さん
https://dt.exblog.jp/
https://www.facebook.com/tankenka
https://www.facebook.com/MILLET.jp/posts/3563298337034395

『剱岳-線の記』朝日新聞出版(1700円+税)
https://publications.asahi.com/ecs/detail/?item_id=22117

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2020年8月26日 (水)

兄貴/近藤謙司さん

コチラの方のことを、「兄貴」と呼ぶ人は多い。
けれど、私はとても呼べなかったなあ。
いまの仕事をする以前から、高校生の頃から、名前は知っていた。
お会いして、話をするようになったのは、18年前の今ごろ。
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以来、いいときもそうでないときも、たくさん書かせてもらってきた。
それでも昨日、初めて聞いた話があった。
カンチェンジュンガのこと、知らなかったよ。
そして、まだまだ書きたいことがある。
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書くだけでなく、ものすごくたくさんのめんどうもみてもらってきた。
下山後、土砂降りのなか傘もささずに、グルンドからグリンデルまで坂道を登り歩いたこと、覚えていないというけれど。
私が土のう袋に座って、毎日ご飯を食べていたことを、いつも笑い転げて話す。ちょっとデフォルメされていると思う、その記憶。
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生意気承知で言わせてもらえば、けっして順風満帆のときばかりではなかっただろうけれど、20歳あたりからこの業界に身を置き40年近く。
その間ずっと、こんなにも周囲が愛し、信頼するのは、謙司さんの人柄そのものなんだと、つくづく思う。
職業は「山岳ガイド」。けれど、登山者や顧客にとっても、そして同業の私達にとっても、「山岳ガイド」という言葉ではくくれない存在。
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写真は、真昼間のアドベンチャーガイズ事務所近くにて。

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ガストン・レビュファ@YAMAHACK


連載「アルピニズムを継ぐ人々」、第2回は畏れ多くも、ガストン・レビュファです。「山を攀じ登り表現したアルピニスト」。
次回は、ぐぐっと時代がも少しコッチに来ます。

ガストン・レビュファ

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2020年8月21日 (金)

柳沢太貴さんインタビュー@山歩みち

現在配布中のフリーペーパー『山歩みち』035に、掲載。
柳沢太貴さんのインタビュー記事は、これにて一区切りです。

7/20に山歩みちwebに発表した記事(https://3pomichi.com/6435 )を構成しなおし、短くしたものですが、記事の前後に私の感じたことも載せています。
PEAKS webの前編・後編 もいれて、4回にわたって書かせてもらいました。
withコロナの山小屋運営にとどまらず、経営者、リーダーとしての話、チームビルディング、生き方……私自身学ぶことが大きかったです(多かったではなく、大きかった)。
太貴さんの言動は、状況に応じて柔軟に変動していきますが、筋が一本通った誠実さがあるから、周囲は信頼するのだと思います。

じつは先日、二人で話をするなかで、将来についてものすごい一言を聞かせてもらいました。それ……インタビューの時に聞きたかったと内心思いながらも、太貴さんを一層信頼するようになりました。
引き出せなかったのは私の実力であり、また書くタイミングでなかったのかもしれないと思っています。
またいつか、書かせてもらいたいです。
その日まで、こちら書き手も精進しないとなりません。

なお、今号の「山歩のひと」は、佐藤泰那さん。ライターの谷山宏典さんが、さすがっ!というインタビューをしています。
内容は、ランドネ編集長としての10年と、先だってKUKKAを起業したこと、この先のKUKKAのことです。

『山歩みち』035のサブタイトルは「おかえり。八ヶ岳」。愛情たっぷりのこのキャッチ、いいですね。
全国の下記店舗にあります。
https://3pomichi.com/shoplist

 

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今後の山登りに、明るい未来を@ヤマケイ9月号

『山と溪谷』9月号に、心強い仲間の山田淳さんが、team KOIの成り立ちと、これからの山登りに思うことを書いています。
私のとても好きな文章です。とくに好きなのが、「その中心にいる登山者」という言葉と、「今後の山登りに、~」の後半部分。ぜひ、多くの方々に読んでいただきたいです。

なお同じ号に、佐伯克美さん(富山県魚津市)の「鉄砲水の記憶」があります。人生と山の大先輩の、幾重にも幾重にも味わいのある文章でした。

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2020年8月17日 (月)

柳沢太貴さんインタビュー@PEAKS web

赤岳鉱泉・行者小屋の当主、柳沢太貴さんのインタビューを、PEAKS webに前編・後編に分けて書きました。
山歩みちwebに続き、2本目です。

 

7月、何度か太貴さんに会いましたが、会うたびに表情が引き締まっていくのを間近でみました。
また、記事に書きましたが、下旬には再開に向けた最終調整で、太貴さんと一緒に入山する機会に恵まれました。
時間にすれば短い道のりですが、山小屋の当主と、その方が経営する山小屋に入山するというのは、なんとも贅沢なんだと、学びや気づきがたくさんありました。

 

今回の記事には、支配人の佐藤至さんのことも書きました。
これには、きっかけがあります。
会社経営する仕事仲間が、「起業したとき、一人目の社員をこと大切に考えた」と話したことに由来します。最初のその人と、どれだけ向き合い大切にできるかは、その後の経営に関わってくるというような話でしたが、太貴さんにとっては、佐藤さんだったわけです。

 

8月からの宿泊営業再開は、結果的には再開を後押しするタイミングではありませんでした。けれど、この先何度も押し寄せるだろう波に、柔軟に慎重に、一本の筋をもって向かっていくのだろうなあと、太貴さんの姿勢は信頼できるものでした。それは、チーム「赤岳鉱泉・行者小屋」の皆さんも同じです。

 

写真は、赤岳鉱泉・行者小屋の従業員、中野淳平さんです。
2本の記事、よかったら読んでください。

 

[前編] https://funq.jp/peaks/article/616712/ [後編] https://funq.jp/peaks/article/616736/

 

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2020年7月21日 (火)

柳沢太貴さんインタビュー@山歩みちweb

トップアスリートが記者会見で、伏し目がちにまばたきひとつせず応えるさまを、ときどきみる。まさにそんな感じのインタビューだった。集中し思慮深く応える。
心が揺さぶられたときに、知らず知らずのうちにつつつっと涙が流れ出て、いつの間にかそれが乾く。まるで最初から乾いた涙だったのではないか、と錯覚するような涙のあとが残る。
そんな経験をした、私自身も心に残る貴重なインタビューだった。

8月の宿泊営業再開を決めた赤岳鉱泉4代目主人・柳沢太貴さん。
私にとっては大切なチームメイトであり、4月半ばからは毎日のように連絡を取っていて、果たしてフラットな視線で書けるのか、書いてよいのか悩んだけれど、ふたつの編集部から依頼いただき、インタビューを続けている。
私の心配は、まさに太貴さんには失礼なことだったことは、インタビューを始めてすぐにわかった。人間関係はもちろん、物事にけじめをつける人。
そして、コロナの話を聞きにいったはずが、まったくそれを超えた話を聞かせてもらった。

このあと、記事は3本続きます。

赤岳鉱泉・行者小屋の営業状況については、webサイト、Facebookをご確認ください。状況に応じて臨機応変に対応していくとのこと。

https://3pomichi.com/6435

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2020年7月18日 (土)

山小屋で働く女性たち@『山と溪谷』8月号

『山と溪谷』8月号「平成を登った女性たち」(隔月連載)は、山小屋で働く女性たちです。
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メインに清水ゆかりさん(朝日小屋)、(掲載順に)早川恵美さん(元北穂高小屋)、丸山泰子さん(蓮華温泉ロッジ)、小南徳美さん(熊の平小屋)、大和景子さん(薬師沢小屋)、五枚橋純子さん(元天狗山荘)、吉玉サキさん、今田恵さん(穂高岳山荘)、中村圭子さん・中村梢さん(蝶ヶ岳ヒュッテ)、星美知子さん(両俣小屋)、松澤寿子さん・中村しのぶさん(元船窪小屋)にご登場いただきました。
文中で、二か所に佐々木泉さん(阿曽原温泉小屋)が出てきますが、ご存知ない方のために念のため、泉さんは男性です。

「平成」「女性」が切り口の隔月連載ですが、一度も時代性と女性性を打ち出した原稿が書けたためしがないまま来ています。

とても印象的だったのは、ひとりをインタビューすると「次は彼女の話を」とタスキをつなげてくれたことです。それによって会いたかった人に会え、再会したかった彼女に再会できました。
もちろん、日本中の山小屋で働く女性たちはたくさんたくさんいます。私の友人を考えただけでも、あと10人以上います。そんな彼女たちにも、単行本化のときにはインタビューしようと思います。
いつか、彼女たちが一堂に会するような合宿をやってみたら、面白いのではないかと思っています。
皆さん、しなやかで一途な人たち。気持ちがいいです。

このあと、Instagram(@mt.sumiko)を使って、12人女性たちの横顔を紹介していきたいと思います。
なお、下記の誌面にある写真は、写真家の菊池哲男さんの撮影です。
朝日小屋を前にして、朝日小屋を支える人たち。看板の左が清水ゆかりさん、右に酒井秀光さん。ゆかりさんの右腕です。
誌面ではもう一枚載せさせていただいています。蓮華温泉ロッジの丸山泰子さんの写真です。


Yamakei

2020年7月12日 (日)

「アルピニズムを継ぐ人々」@YAMAHACK

連載が始まりました。
初回は導入、次回からアルピニストをひとりひとり取り上げ、彼らの生き様を通じて、「アルピニズム」を紡いでいきます。
身の程知らずなテーマにいどむ書き手は、気づけば数か月前から、彼方こちらのクライマーに会うたびに、弱音を吐き、教えをこうてきました。突撃電話もしました。
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先日取材から下山後にはとうとう、シリアスクライマーであり国際山岳ガイドの友人宅に押し掛けました。
「山はフィジカルでも、ましてやギアでもない。モチベーションだ」と、改めて教えられました。
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ポートレートは、主題にふさわしく(?)夏のシャモニーのビアバーです。黒田誠さんの撮影。
いつもお写真、ありがとうございます。
イラストは、はんこ作家のあまのさくやさんです。

 

叱咤受ける覚悟ですが、励ましもないと、とても越えられない山です。
記事はコチラからどうぞ。

 

*後日談
叱咤を受ける覚悟といった手前……ではありませんが、掲載開始と同時に、何人かのクライマーや山岳ガイドの方々から連絡をもらいました。
送り主を見るたびに、メールやMessengerやLINEを開けるのが怖いほどでしたが、それはとてもありがたいことでした。
ご指摘もいただいたし、激励もたくさんいただきました。
さっそく2回目の原稿にとん挫していますが、この週末で必ず仕上げます。

 

聖岳@毎日新聞

一か月近く前のコトになりますが。
6/14の「わくわく山歩き」@毎日新聞朝刊は、南アルプスの聖岳について書きました。
晩秋や厳冬期に登ったことのあった聖岳に、昨年夏、久しぶりに登りました。
私のとっては、遥かなる山。
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この夏、南アルプスでは開業する山小屋はごくわずかです。
南部については、すべて休業となります。
山小屋に関わる方々にとっては忸怩たる思いだと思いますし、私もとても寂しく、心がえぐられるような感情をもっています。
そんなことも、最後に少しだけ書かせていただきました。
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お会いしたことはありませんが、ひょんなことから時々お話するようになった、トレイルランナーの望月将悟さんにも、このたび聖岳のことを教えてもらいました。
彼にとっては、「庭」のようなところですね。
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webでも読むことができます(有料)。
よかったら、ぜひどうぞ


*後日談
記事に登場する藤井弘司さんはじめ、team GOOD JOBのメンバー(写真の方々)に掲載紙を送ったところ、喜んでくださった。
なかでも藤井さんの奥様がいちばん喜んでくださったようで、なによりだった。

 

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2020年6月18日 (木)

竹内洋岳さんインタビュー@山歩みち

はじめて『山歩みち』に書きました。

竹内洋岳さんを、2月下旬にインタビュー。
プロ登山家が取り組む野外教育についてです。登山学校をやりたかったのではない、野外教育に取り組みたかった、その考えや実践している内容をお聞きしました。
インタビュー最後の「新型コロナウイルス」については、4月12日にお聞きしました。
その後、想定外に発行が延びに延びたけれど、竹内さんが述べていることは普遍であり、今のこの日に読んでも、読者の皆さん、それぞれが感じることがあると思います。

木村和也編集長からの「編集ウラ話」には、熱い思いが語られています。「日本のこれからの山登りは今置かれているこの状況がすべての出発点であり、それは奇跡的と思えるほどすばらしい状況で、その基盤作りには多くの人が関わり、不断の努力で紡ぎ上げてきた……」と。ちょっと引用が長すぎましたね、実際のこのペーパーを読んでいただきたいです。

そして、私からの「インタビューウラ話」は、インタビュー当日の木村さんの存在にとても助けられました。編集者らしい介入でインタビューに立ち会ってくれました。長年の仕事仲間だけれど、じつは一緒に仕事をする機会は、数えるほどしかなく。また、あの苦しい4月の時期に、竹内さんのことを書くことができたのは、私にとっても救いでした。

特集「親子で山さんぽ。」、JMGA監修の山登りの心得、三宅島クライミングガイドの紹介、カナダの山岳ガイド谷剛士さんの記事など、満載です。

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2020年5月16日 (土)

平成を登った女性たち/田部井淳子さん@山と溪谷6月号

現在発売中の『山と溪谷』6月号「平成を登った女性たち」(隔月連載)は、田部井淳子さんについて書きました。
(なお、この記事はアマゾンプライムでも読むことができます)平成元年、田部井さんは50歳です。
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田部井さんを喪ったあとの吉田三菜子さん(秘書役)の一言が、天晴れです。
私自身はまだそんな気持ちになれてないどうしようもなく中途半端な人間なんだなと思いました。
だから、いまでも田部井さんの取材をしたりインタビューをされると、涙が止まらなくなるときがある。
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ただ最近思うのは、田部井さんが育ててくださった世界中に散らばっている私たちが、めぐり逢い、有機的な結びつきを作っていることです。それを天から眺めて、喜んでくれたり、笑い転げたりしていることと、思います。

田部井さんのリーダーシップを語りたく、昭和女子大理事長・総長の坂東眞理子さんと山田淳さんにインタビューしました。
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もっとも大切な女性をひとり、インタビューできないまま記事を書きました。書籍にするときに、お願いすることになっています。
後半に、夫・政伸さんの言葉を長く紹介しました。

 

今日は、田部井淳子さんがエベレストに登頂した日です。

 

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2020年5月13日 (水)

山小屋の厨房、朝の「上を向いて歩こう」

facebookの思い出機能に、友人のライブに行った話と、彼が歌う「上を向いて歩こう」のことが出てきた。

一緒にライブをする友人に音合わせに送った「上を向いて歩こう」の音源ファイル。
それを、同じ山小屋で働くもうひとりの友人が、朝の山小屋の仕事を終え、ほっと一息ついた朝の、時間と時間の隙間に聞いるのだと。
山小屋の朝は早起きだ。登山者が出発する前に起きて、朝食の準備を始め、登山者を送り出してから自分たちの朝食をとり、厨房で皿洗いをする。
つぎの仕事はたいがい、山小屋の掃除だけれど、その前にちょっとした静かな時間が訪れる。「〇時から仕事を始めようか」という呼びかけがあったり、誰がどこを掃除するかあみだくじが引かれたり。
つぎの仕事までの時間は、ふっとおとずれた時間と時間の隙間にある、ときが止まった瞬間のような、ほかの時間とは隔絶された静けさがある。

「柏さんも聴いて。絶対泣いちゃうよ」と、そんな朝の隙間時間に聞かせてくれた。
聴いてみると、泣けてくる声だったけれど、朝から泣いているという彼女のことの方が気になった。
「清志郎の声みたい」ともいうので、山小屋の手伝いを終えて下山してから、YouTubeで清志郎の歌う「上を向いて歩こう」がないか探してみたら、清志郎と甲本ヒロトが歌うそれがあった。清志郎も甲本も好きだけれど、こればっかりは友人の歌う「上を向いて歩こう」がいいな、って思った。

そんな話を、彼らと今日も朝早くから。
ちょうど今日は、山小屋に会いに行く約束の日だった。
会いに行けないことは、こんなにも淋しいんだなあと、朝からまたみんなでしんみり。

山は、清々しい場所であってほしい。

2020年4月30日 (木)

小屋番さんの日記/七丈小屋

友人が説明なしで、LINEに送ってきたURL。
クリックすると、甲斐駒ヶ岳黒戸尾根にある七丈小屋の小屋番さんの日記。
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温かい気持ちになる自然描写で始まるその文章は、小屋番さんの優しさがあふれていた。
withコロナの世界になり、みなが初めての体験をしていて、しかもその相手は目に見えない。
こんなときに心に沁みるのは、温かさや寛容性がある文章であり、写真であり、映像だ。
過多な情報でもなければ、滔々と説かれたメッセージでもなく、ましてや同調圧力でもない。

最近あったこと。
感染症の臨床を、しかもアフリカの設備のない病院でやってきた友人と話していたとき。
「人に会わなければうつらないから、大丈夫だよ」と言われ、「人に会えないことが、ものすごく辛いんだよ」って言ってしまった。
言ってから後悔した。医療従事者たちは、日々人に接している。陽性・陰性関係ない。
べつの医師が、呟いていた。薬物をやって混乱している人だろうが、自ら死のうとしている人だろうが、日々接しているというようなことを。彼は精神科の救急救命医だ。医師たちは、目の前の人がなんであれ、その命を救おうと尽くす。
私の友人たちは、めちゃメンタルが強いけれど、それだって、プレッシャーや恐怖心がないわけがないって思う。
そんななかで、日々人に接し診療を続けている人に対して、「人に会えないのが辛い」と言った自分が、ものすごくイヤになった。
けれど友人は、優しい一言を返してくれただけだった。

ある日は、友人のFacebookで、毎日新聞に山極寿一・京大学長が寄稿していることを知った。
3/31深夜に帰宅して入り、1度のどうしてもの外の仕事と、その帰りのスーパーマーケット以外、毎朝のランニングしか外出していない。
けれど、これはどうしても読みたくて、歩いて1分のコンビニへ走った。いわゆる自粛生活をスタートして1ヶ月。初めてのコンビニだ。
山極さんがフィールドワークしてきた、アフリカのゴリラやチンパンジーとエボラ出血熱の話。それを通じて、コロナ社会、ポストコロナについて論じていた。新しい国際社会、経済秩序、人々の暮らし方、新しいことへの変容が求められていると。人類はいかなるものなのか、改めて教えてくれもした。それはまるで、愛する人に会えないことを、辛いって言ってよいのだと、会いたいと言ってよいのだと、科学者の目線で優しく肯定してくれているようだった。

先の小屋番さんの日記。
読んでいて、優しい心をもった彼が、遥かなる眺めを前にした清々しいだろう空気の山のなかで仕事をしながらも、虚しく息苦しく思っているという、その気持ちを想像すると、辛くなった。
URLを送ってくれた友人に、「涙が出てきたよ」と返信すると、「そうでしょ」とひとこと。

いろんなことがあるけれど、人々の優しさが心に沁みる毎日。

 

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2020年4月21日 (火)

4月21日

これは、日本中にある山小屋のほんの一例です。
いいえ、山小屋に限らず、いろんな商いの、ほんの一例です。
ほんの一例だけれど、とても近しく思っている山小屋のことなので、書きます。

 

**********
4月21日
今日の上高地、雲は多いけれど、穏やかな朝だろうか。

 

写真は、昨夏久しぶりに登った水晶岳手前から撮ったもの。
槍ヶ岳の奥に滝谷を従えた穂高連峰。この方角から眺めるのが久しぶりだった。
全日の豪雨があがり、朝日をあびた岩肌が美しく輝いていた。
何度も振り返りながら、登った。

 

しばらく登山はお預けで、山は静かだけれど、山小屋や登山道を維持するために働いている方々は、今日もいる。
穂高連峰の山小屋の方々も、同様。
今日は、北穂高小屋も小屋開け作業のために入山する日だ。
毎年この日、上高地のヘリポートを飛び立つ。奥穂前穂と越えて、滝谷を見下ろしながら、北穂山頂でホバリング。
山頂で大きく手を広げて誘導してくれるのは、大概ナベさん。涸沢からひとり、上がってくるのだ。まっさらな雪の斜面を。
雪がべっとりとついた山頂に降りるとき、緊張する。

 

けれどその緊張はまったくの始まりであり、これから1週間強かけて、10人ほどで山小屋を掘り起こす。
屋根の片隅が出ていればよいほうで、前穂北尾根と槍ヶ岳の角度から、掘り始める位置を決め、玄関にたどり着き、最初のひとりが入ることができるまで数時間。
ともかくその日は、全員が小屋に入ることが目標だ。
思い起こしても、山頂直下の切れ立った雪の斜面での、その作業は、毎日が本気であり、緊張の糸はピンと張ったままだった。

 

ほかの穂高連峰の山小屋も、またほかの地域の山小屋も同様だろうけれど、今年は営業の見通しが立っていないため、わずかな人数で入山し、作業をしている。
先日、北穂の主人である小山義秀さんと話をするなかで、いくらGWの営業がないとはいえ、その人数で掘り起こすのかと、電話中にスマホを落としそうになった。

 

どうかどうか、安全に、無事で。

 

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2020年4月16日 (木)

渡邊直子さん14座目指してインタビュー@『山と溪谷』5月号

『山と溪谷』5月号(4/15発売)のヘッドラインで渡邊直子さんをインタビュー。
これまで8000m峰7座に登頂。来年一気に残りの7座を目指すという。
いずれも、現地エージェントの商業登山隊に参加。

昨年のニムス・ダイの6ヶ月14座といい、おのおのの価値観やタクティクスには、驚くこと多々。
山の楽しみ方、歓びは、まったく人それぞれ。

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2020年4月 1日 (水)

中央道の電話

諸々の仕事に区切りをつけて、昨日夕方、中央道を走って帰ってきた。
帰る前、村を出る時に、偶然にも友人がデッキに出て洗濯を干しているのを見かけた。
会いたかったけれど、会わずに帰ろうと思っていた矢先。
距離があったけれど、思わず名前を叫んで、手を振ったら、気づいてくれた。

中央道を走りながら、沿道に住む友人たちのことを思い出し、SAにクルマを停めて電話をした。
LINEでは話していたけれど、声を聞きたいと思って、電話をした。
互いの近況を話し、東京に帰ることを報告し、電話を切り、運転を続ける、を繰り返す。

自分自身の行動に軽率な点もあったと省みるけれど、いまからでも正せると思い、一晩かけて考え、帰宅してやるべきことを整理し、戻ることにした。
2週間余り前に読んだ、American Alpine clubのInstagramがどうしてもアタマから離れなかったから。
コチラ
そして今日は、そのことを所属団体で意見してみた。

リスキーでストレスフルな土地に帰るな、ここに泊まれ、留まれという友人たちばかりだったし、最後には「コメを持っていけ」ともたせようとした人がいたりして、泣けてきた。

けれど、そんないきさつを経て、相手の声を聞くっていいな、と思い、今日の自宅での仕事は、何軒か電話をかけた。
来週訪問予定だったところへの断り電話をした先は、留守電になっていたので、メッセージを入れてみた。
いつもだったら、黙って切って、メールを入れておくところだけれど。
それに、声を聞きたいのはこちらであって、相手が私の声を聞きたいかどうかなんて、わからないけれど。

暖冬、少雪といわれたこの冬だったけれど、自宅裏の桜は、去年の今ごろと同じように満開。

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2020年3月24日 (火)

わたしの旅の相棒@ランドネ5月号

先日発売になった、ランドネ5月号。
「わたしの旅の相棒」に4人がエッセイを寄稿しています。
旅に心強い、自分のお気に入りの持ち物について、旅のエピソードと絡めながら紹介するもの。

 

私は、カンチェンジュンガの眺めが素晴らしいダージリンに通った日々のこと、ふたつの川の流れがティスタ川というひとつの流れになるのを見下ろす高台、そしてベンガル平原へとぐいぐいと標高を下げていく、そんな旅の途次にストールと出会ったことを書きました。
それはまさに、ヒマラヤの氷雪嶺に端をはっした川の流れが、大地をかけ流れ、ベンガル平原を肥沃な土地へとしていくのを眺めたどる、ダイナミックな道のりです。行きはこの道をのぼり、帰りはくだる、そんなダージリンやシッキム通いが続いた時代たありました。
だから、遠くから眺めたことしかないカンチェンジュンガが好きなのかもしれません。

 

ランドネでは、エッセイや少し落ち着いたインタビューを書かせてもらう機会が多いです。
以前、携えたい本を3冊紹介するエッセイを書いた時も同様でしたが、ランドネの主たる読者層だけでなく、そこから外れた10代の女性や50代の男性にも読んでいただけたら嬉しい、そんな気持ちになります、いつも。
それは、10代の女性はいずれ、ランドネ読者のボリュームゾーンの年齢になるだろうし、また50代まで歳を重ねた男性にも、20代、30代の女性のことを、理解してもらいたいと思うからかもしれません。

 

ちょっと離れたページに釣り師+写真家である仕事仲間の杉本航さんが、登山道整備について書いていています。
「理想の登山道」について。こちらも、ぜひどうぞ。

 

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2020年3月23日 (月)

三日月山(福岡)@毎日新聞、そして竹内洋岳さんによる日下田實さん追悼

今朝のわくわく山歩き@毎日新聞朝刊は、福岡市の郊外にある三日月山です。
webはコチラ https://mainichi.jp/articles/20200323/ddm/014/070/052000c(有料)
タイトルは、「里山でアラスカ思う」。

敬愛する登山家・栗秋正寿さんと、黒田誠さん(国際山岳ガイド・写真家)、増本亮さん(クライマー)らと登ったときのこと。栗秋さんが単身通い続ける厳冬のアラスカ、そして黒田さんや増本さんが経験してきた国内外の各地の厳しい登攀、それらが、日常の里山と結びつく瞬間。
先日インタビューした、あるクライマーの話にも共通します。自然のなかで激しいまでの経験をした人が、穏やかな自然も知っており、そのふり幅が、そのままその人の人柄だったり人生に表れるように思います。こんな風にふり幅が大きな人は、生涯を通じて、山を楽しむことができるのです。


三日月山は、栗秋さんのお宅からもよく見えます。台所にある窓から毎朝三日月山を見るのが習慣。そんなエピソードは、『山と溪谷』1月号の「100人で選ぶ名山100」に、ご本人が寄せていました。

さて。
同紙の「悼む」に、日下田實さんがあります。日本隊がマナスル初登頂したときのサミッター。書き手は、プロ登山家の竹内洋岳さん。竹内さんは、生前の彼との交流のなかから幾つかの思い出を書いています。おふたりが座談会をしたとき、書き手として同席しましたが、あのとき一番心に残った日下田さんの言葉を、竹内さんも紙面に紹介しています。
ぜひ、キオスクかコンビニへ走り、毎日新聞を。

 

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2020年3月15日 (日)

山野井妙子さんインタビュー@『山と溪谷』4月号

発売中の『山と溪谷』4月号から、隔月連載「平成を登った女性たち」を始めます。
昨年1月号で平成期の日本人女性の登山について書いたのがきっかけであり、それ以前の歴史は大先輩の板倉登喜子さんと梅野淑子さんが『日本人女性登山史』にまとめているからです。
担当編集者のかねてからの思いで始まりましたが、いったい平成がどんな時代だったのか、いま女性を取り上げる意味をどこに求めるのか考えながら連載することになりそうです。

 

平成元年(1989年)、ブッシュ大統領就任、手塚治虫、美空ひばりが死去、週休二日制、土井たか子社会党が第一党、ベルリンの壁崩壊、ヒットはプリプリのDiamonds、魔女の宅急便、ばななのTSUGUMI、Hanako創刊。

 

初回は、そんな時代性と全く無縁の山野井妙子さんです。彼女が登攀対象をヨーロッパからヒマラヤへと移行し始めたころ。
たった4ページで、妙子さんの平成期のクライミングを語ることはできません。超駆け足ですが、この先もっとじっくり書いていきますので、お許しください。ひとつ先とそのまたひとつ先を見据えて、今回はさわりのように記事を書きました。

ふたつ先までたどり着くには時間を要しますが、どうかまずは、今回の記事を読んでいただきたいと思います。
また、もし読者の方々から感想をいただける機会があれば、とても嬉しいです。
タイトルは「世界レベルに達したアルパインクライマー。心の赴くままに登り続けた。」
少しでも、妙子さんのクライミングや人となりを感じてもらいたいです。

 

ほとんど記録を残してこなかったどころか、記憶にも留めない彼女を、横で支えインタビューに応えてくれたのは泰史さん。
それと彼女の山の仲間たち。
録音は10時間近く回していますが、「うーん、思い出せない」が続くので、正味7時間ぐらいか。

 

写真のギアは、よくご覧いただくとどんな細工がされているかわかると思います。一時期、ウチのカムにも同じ細工が……(笑)。
ボルダリングの写真は「ひよこ岩」。福岡銘菓のひよこに似ているから、私が名付けました。場所は四川省ダオチェン。リータンよりもさらに奥のあたりです。ボルダリングマットは、旅の途次に買ったチベタン布団。ギャチュンカンからの生還の翌年。

 

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2020年3月14日 (土)

出版社の未払い、昨日は敷島さんの命日、登山に関するマスの報道

昨日、牟田郁子さんという校正者のツィッターで忠地七緒さんという方のnoteが紹介されていた。
コチラ 
フォトグラファーでありライターの忠地さんは、『nice things.』という雑誌に関わっていて、たくさんのページを担当していた。けれど突然、版元の倒産と雑誌の廃刊が決まり、原稿料が回収できないのではないか、というピンチに陥っているのだと。
弁護士に相談したけれど、回収は難しく、そのダメージは決して生易しいものではないから、「仕事が欲しい」と書いている。
そう書くには勇気が要ったけれど、仕事が欲しいと。

 

ずっと前、当時私の収入源の主たる版元の大きく経営が傾いたとき。
あるムック本が完成間近にして発売停止になった。
原因は、版元の資金繰り。私が抱えていたのは30ページぐらいだったか。
先輩の編集者である故敷島悦朗さんが丸ごと1冊請け負っていたもの。
すべて納品したあとに発売停止になったわけで、すべての仕事は終えたけれど、形にできなかったから一銭も払えません、という状況。
すべての仕事を終え、持ち出しだけがある状況で、一円たりともペイされないのは、かなりキツイ。死活問題でさえある。

 

版元と話し合ったけれど、どうにもならず、それに見切りをつけた敷島さんは、早々に行動を始めた。
同じ社の他の雑誌、それだけでなくまったく違う出版社にもかけあい、全部とはいわなくても、ムック本のうちのおよそ70%ぐらいは売れたのではないかと思う。
そのおかげで、私も仕事したうちの半分以上のものが形になり、原稿料を手にすることができた。

 

そんなことを思い出していたら、facebookの「思い出」機能が、昨日は敷島さんの命日が昨日だったことを、思い出させてくれた。
熱血漢で正義感強く、選挙の投票日は絶対に山に行かない人だった(当時は不在者投票が今ほどの制度ではなかったので)。
ともかく山が好きな人だった。

 

訃報を受け取った直後にした講演会について、facebookに記録していた。
登山に関する近年のマスメディアの報道を苦々しく思っていること、マスではない自分はそれに立ち向かいたいことなど、講演で話したようだ……敷島さんの仕事を思い返しながら、敷島さんが乗り移ったかのように話したこと、思い出した。
自分自身が忘れないように、ブログに再掲しておく。

 

 

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2015年3月14日

 

労山の多摩西部地区の総会にお呼ばれし、話をしました。
3年目にして果たせた約束。

 

テーマは、山の突然死。書籍にしたのは2008年とちょいと昔。
それ以前から、同テーマで雑誌には書いていたし、その後もデータ収集はしています。
突然死は、登山中であるとどんな点でリスクが大きくなるのかということと、いくつかの事例を話しました。
事例のほとんどは、書籍やバックナンバーで読んでいただけますが、取材のなかで感じたこと、考えたことなども話しました。
1件の事例を取材するには最低でも1ヶ月以上かかるので、それぞれのストーリーがあります。

 

古い事例ですと10年近く前の取材になりますが、その多くを私は鮮明にそして印象強く覚えてます。
つまり、どこでご遺族や死亡した方の山仲間とお会いし、どんな話をしたか、その時の彼らの表情まで。
取材裏の苦労話を、読者の皆さんに知っていただく必要はありませんが、どんな取材をしたか、どういった手順を踏んだか、取材の事細かなこと、文字にできなかった取材がどれほどあり、それはどういう理由か、それらについてごくわずかでも話すことで、突然死とういのが、また山岳遭難というのがどれほど悲惨で、遺されたものにとってつらいものなのか感じてもらえたかもしれません。

 

先だってのヤマケイの記事(雪崩遭難の捜索救助化とビーコン)も同様ですが、一般社会に生きる我々が、登山者として、あるいは私の場合は書き手としてやるべきことは多々あります。
そういった観点から、登山に関する報道について思うこと、またそれについて私が立ち向かいたいと思っていることについても、蛇足ながら話しました。

 

また今日の仕事は、個人的な思いではありますが、山と仕事の先輩のことを思いながらやりました。敷島悦朗さんは、私にたくさんのことを教えてくれただけでなく、当時私が主としていた出版社が傾いたときに、私と私の仕事を守ってくれたかけがえのない先輩です。登山を文化としてスポーツとして根付かせたいと思っている私にとっては、彼を喪ったことはほんとうに血肉を削られる思いであるし(むろん個人的にも)、またもっとこれから自分が頑張らなければならないとも思っています。

 

話を戻します。
今日会場で、「去年は来てくれると思って、書籍読んで待っていたよ」と言って下さった方もいました。
講演中にも述べましたが、こと近年の登山に関するマスメディアの報道を苦々しく思っています。
だからこそ、マスではない位置にいる私たちが、もっと頑張らねばならない時です。
辛抱強く私のことを待ってくださっていた皆さん、今日はほんとうにありがとうございました。

2020年3月13日 (金)

国際山岳ガイド・佐々木大輔さんインタビュー@イワタニプリムス

国際山岳ガイド・佐々木大輔さんをインタビューしました。
ご自身の原点、ガイディング、そして日本の登山社会を見渡して。

 

初めてお会いしたのは、彼が20そこそこのころ。ビッグマウンテンスキーヤーとして世界を転戦していたとき。首が太い人だなあと思ったのを覚えています。その理由は、すぐに理解するのですが。
30代、軸足をガイドに移し、国際山岳ガイドにもなります。この間も仕事のこと、なまら癖-Xの登山やスキーの旅、デナリ南西壁大滑降など、何度かインタビューする機会に恵まれました。
42歳になり、何を見据えているのかという問いに、予想と違う答えが返ってきました。

 

ところで。ご自身を「ラッキーボーイ」と言い、挫折知らずだと。挫折しそうなぐらい困難なことがあっても、それを静かに乗り越える能力と精神力を備えているのだと私は思いますが、ひとつだけ痛恨の出来事がある、というので聞かせてもらいました。
それは笑っちゃうぐらいのことで、「それ、大輔さんがダメだね」って笑い返しました。札幌市内でのこと。一緒だった国際山岳ガイドの皆さんは、思い当たる節があるのでは。

 

そんな話をするのも大輔さんのチャーミングなところ。
持論ですが、トップアスリートは、強い信念(自分の才能を信じる力)、飛びぬけた集中力、抜群のバランス能力などと合わせて、繊細でチャーミングな面も持ち合わせています。
もちろん、佐々木大輔さんも。

 

1月下旬の雷電海岸の写真は、二木亜矢子さん。ポートレートは中垣美沙さん。女性3人で、お届けする記事です。
https://www.iwatani-primus.co.jp/realvoice/5.html
*ブログの写真は、私がパチリと撮ったものです*

 

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2020年2月29日 (土)

校了、責了

下旬に4本締め切りが重なり、2月はずっと苦しかった。

1本は週末に下版。久しぶりに記事を読んでくれた者が、「いいんじゃない」といつもの返事。

もう1本は、昨日校了。

2年に1度ぐらい褒めてくれる編集者が、原稿を読むなり「もっと書きましょう」と言い出した。

ありがたい。次の単行本のその先を考えよう。

長年親しくしてきた友人であるクライマーの物語。親しいけれど、人間誰だって色んな顔があるわけで、私の知らない素顔もたくさんあるはず。

唯一無二のクライミングのパートナーに読んでもらい、少しは、書けたのかなあと自惚れた。次はもっと書こう。

.

次の1本は、日中のガイディングを終えた身で、ついさきほど夜遅くまで最後の仕上げに付き合ってもらい、なんとか責了に持ち込めそう。チャーミングで器がどデカいクライマーの胸を借りて書かせてもらった。

最後の1本、初めて、カンチェンジュンガのことを書いた。編集者に預けた、あとはどーにでも料理してください。

.

こう考えると、全部周囲の人たちに書かせてもらっている。

3月も書き続けます。

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2020年2月24日 (月)

旭岳@わくわく山歩き/毎日新聞

今朝の「わくわく山歩き」@毎日新聞は北海道の旭岳です。
webでも読むことができますが、「世界のどこかで乾杯」など他の記事もおもしろいので、ぜひキオスクかコンビニへどうぞ!

 

山のコースガイドや紹介ではなく、個人的な思い入れも交えながら綴るエッセイ連載です。
厳冬の旭岳は近づくことすら難しいこともあるし、新聞という媒体の性質を考えると、夏に書くのがよいかなと思っていました。
ロープウェイがあり遊歩道もあり、広く多くの方々に楽しんでもらえる季節になるから。
けれど改めて考えたら、私は雪の旭岳しか知りませんでした。

 

雪のない季節は、義父母を連れて、文中にもある春菜夫妻の宿「ヌタプカウシペ」に1泊したのが最初。
初夏の躍動的な旭岳を目の前にしたのは、皮肉にも2年前の6月のことです。
白馬に向けてクルマを走らせている最中、電話が入りとんぼ返り。羽田から旭川空港にとび、春菜さんのお別れに行ったときでした。
この2回だけ、山麓から旭岳を仰ぎました。

 

旭岳との最初の出会いからずっと私の中にいる春菜夫妻のことは、これまでも少しだけ書いたことがありましたが、新聞に書くのは初めてです。
今回の文章は、故・春菜秀則さんに捧げます。
そして、東川町の皆さん、ありがとうございます。

 

web(有料)→ コチラ

 

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2020年2月23日 (日)

「登山中の事故、傷病のその後」@『山と溪谷』3月号

現在発売中の『山と溪谷』3月号の「登山中の事故、傷病のその後」を執筆しました。
ライター3人で担当している不定期連載です。
事故のこと、傷病者へのファーストコンタクト、プレホスピタルで何が起きて、どう対処されたか。
医療機関での治療やその後のリハビリ、社会復帰へのことを述べています。
事故を検証する記事は多いけれど、どんな道のりを経るのか、登山者の皆さんと共有したいと意図し、続けている連載です。

今回は主に、現場での処置を報告しています。
シャモニー谷にあるパピヨンというロッククライミングのルートを登っている最中の滑落事故です。
ジャンダルム(フランスの山岳警備隊)が来て、どんな手当をしたか。その多くは、医療に従事しない者であっても一定のトレーニングを経れば身に着けられることです。
救助隊員の処置と、一般向けの野外救急法を対比させながら、紹介しました。
野外救急法の重要性を、読み取っていただければさいわいです。

ご協力いただいたのは、事故者とコンタクトのあった医師たち(診察や相談)のほか、救急救命医の稲垣泰斗さんです。
野外救急法、野外医療に挺身し、ウィルダネス メディカルアソシエイツ ジャパンのメディカルアドバイザーであり、複数のトレイルランニングレースでの救急体制の構築や現場での指揮にもあたっている方です。
記事中の助言のほか、事故者のカルテやCTを読み解いていただきました。
ご一読ください。

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***
本誌を手に取って、写真家の中村成勝さんがお亡くなりになったことを知りました。
とても悲しいです。
駆け出しのころ、夏の山も雪の山もご一緒させていただきました。お住まいが隣の駅なので、打ち合わせやポジの受け渡しは、近所の喫茶店待ち合わせでした。
こんな大切なことを、雑誌で知るしかなかったことも無念です。
P180の坂戸山の案内記事が最後。六日町の城山、成勝さんらしいです。青い若葉と魚野川の向こうに雪の残る谷川連峰、明るくのびのびとした写真です。
クレジットから察するに、打田鍈一さんのお力添えで、最後に記事になったのでしょうか。
ご冥福をお祈り申し上げます。

2020年2月16日 (日)

レッカー車のお兄さん、最後の雪、パプリカのぬか漬け

先日、運転中のクルマにトラブルがあった。

リコール対象だったトランスミッションの検査を終えたばかりだったけれど、夜9時の北陸道トンネル内で突然止まった。
ホントに止まって、1mmも動かなくなった。
不幸中の幸いだったのは、カーブではなく直線だったことと左車線を走っていたこと、だと思う。
ハザードを出しながら、こんなとき、どうしたらいいんだろう、保険会社へ電話か?と思いながらも、高速のトンネル内にかなりのキケンを感じて……電話した先は、もう泣きつける先はここしかないってところ。「110番でしょ」ってあっさり言われて、110番。
クルマから降りたけれど、歩道域が細いので、壁側に四角くくり抜いたスペースがあり、そこによじ登って身を寄せた。

パトカーに乗った警察官ふたりと道路公団の方ふたりがやってきたのは20分後ぐらいだったか。
発煙筒やパイロンで後部を保護しながら、交通整理を始めてくれたけれど、それでも危ないので600m先の避難帯にクルマを動かしたいと。
エンジンはかかったので、ニュートラルポジションにし、警察官たちにクルマを押してもらい、ハンドルを握った。
けれどそれも、100mぐらいで終わった。完全に前輪がロックしまったく動かなくなった。
みなが、息を切らしながらクルマを押してくれていたことがわかり、なんだか申し訳なかった。
パイロンも発煙筒も、彼らの人件費も全部税金なのかと思うと、ありがたかった。

仕方なくそのままクルマを放置し、再び四角いスペースによじ登り。
今後のことを考え、クルマのなかに散らばっている荷物をパッキングをしたく、四角いスペースに荷物を運びパッキングもした。
待ち合わせていた友人に電話したら、「ピックアップにいくよ」と言ってくれたけれど、レッカー車の目途が立ってないので、先に共通の友人宅に向かって、寝て待っててもらうことにした。

結局レッカー車が来たのは4時間後。降雪でどのレッカー会社も出払っていて、黒部から来てくれた。
仕事といえども、申し訳ないし、ありがたい。
レッカー車のお兄さんと話しながら移動し、この先のことをあれこれ教えてもらった。
親不知のカーブなど、対向のトラックは容赦ないし、さぞ緊張したことと思う。
しばらく沈黙が続いたあと、お兄さんが「もうこの雪が、今年は最後だろう」ってぽつりと言った。
慣れ親しんだ富山弁と見慣れた日本海の夜の黒い海原のおかげで、心細くなることはなかったけれど、そうだな、この後雪が降ることがあっても、積雪が増えることはないだろうなあ……と、寂しく思った。

タクシーに乗り継ぎ、友人宅に着いたのは3時半。炬燵の脇に敷いておいてくれた布団に潜り込んだ。
翌日は事後処理があったので、山は諦めて、留守番することにした。

山を取りやめたことや、連絡をくれている最中だった友人など、必要最小限の人達に事情説明の連絡をしたら、みんな、ケガや事故にならなかったことが、本当によかったと言ってくれた。キケンな状態だったことは自覚していたので、心配かけたなって思った。
けれどその数日後、親しい友人に話したら、最終的には他人事だって言われて、はっとした。ものすごく悲しくなって涙があふれたけれど、自分のことは自分でやるしかないのだから、その通り。電話だったので、涙も気づかれずに済んだ。

自宅に戻ったあと、ラリーをやっていたクルマに詳しい友人に相談した。
何度も私のクルマも運転してくれているし、様子もわかっている。
トランスミッションの構造や最近の評判、今後の見通しなど、幾つか説明してくれた。
自分の乗っているクルマのことを、なんにもわかっていなかったんだな、とも思った。

出発前にぬか床に入れておいたパプリカ、今日まで忘れていた。
パプリカのぬか漬け、思いつきだったけれど、美味しかった。

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2020年2月15日 (土)

記録、登攀記録

同業者がfacebookに、記録について書いていた。
村の会合にて。議事録を細かく残す必要があるのか誰かが問うたそうだ。面倒だし、こんなの誰が読むんだと。
同業の彼が思ったのは、記録は本人たちではなく他者が読むもの、その本質を忘れがちだということ。
これには、目からうろこだった。
.
「写真の記録性」という難しい原稿を書いたことがあった。
樹木希林が「PHOTO IS......」というテレビCMで語ったように、明日のことはわからない、だからいまを撮る。
その写真の記録性の意味について書いた。
.
ひるがえって、いま執筆中のクライマー。ほとんど記録を残していない。ネットにはもちろんない。当人、あまり覚えていない。
周囲に尋ねるしかない。なぜ記録しないのか、記憶にとどめないのか、その本質が興味深い。
自分の手で記録を残そうとしなかったクライマーの記録を、私が残すことになる。大きな山です。

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2020年2月 7日 (金)

水平の取れていない写真

水平がまったく取れてないダメダメ写真。
北海道の雷電海岸で撮影とインタビューをしていた。
インタビュイーたちがドライのルートを登り始め、その撮影に入った中盤。
落石が多くなってきた。フォロアーがふたり同時に登っていてクライマーたちの位置も違うため、フォールラインも一定ではない。あちこちに降ってくる。
これは危ないなと思い、唯一よけられるだろうくぼんだところに身を寄せた。
岩壁を見上げることは諦め、しばし心がからっぽになり、海を眺めていた。
海がある風景、海がある土地が好き。海には広がりがあって、清々しい気持ちになる。

 

翌日東京に帰ったら、会う約束をしている友人がいた。
焼肉が食べたいと言い出し、雪に覆われた高峰で撮影の仕事をしているとき、テントのなかで、焼肉屋をリサーチしまくったという。
ぜったいに美味しい店を見つけたから、そこにしようと。
しんどい話をしなければならず、気が重たかったけれど、お腹がすくのは心がすさむので、焼肉屋に行くことにした。
けれど、海を眺めていたら、なにもかも、どーでもよくなった。
相手が自分の見えていない側で何を考え、作為していようと、それはどうでもよい。
いまはいまでしかない。目の前の人を信じる、目の前の出来事や自分を信じる。
けれど、いましか見ていないわけじゃない。ずっと先もみつめているんだから、だから目の前のこと以外はどーでもよくなった。

 

その視座は、人と人との関係だけでなく、仕事も同じ。
自分だけでなく社会全体のその先を見据えて進めるけれど、それはいまの積み重ねでもあるから、いまを大切にする。
案外、長い髪をかき上げながら荒川の河川敷で歌っていた人の歌と、同じかもしれない。

 

そんなに強く心を持ち続けられるかわからないけれど、海に救われることは多い。

 

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«摩耶山@わくわく山歩き/毎日新聞

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