2020年6月18日 (木)

竹内洋岳さんインタビュー@山歩みち

はじめて『山歩みち』に書きました。

竹内洋岳さんを、2月下旬にインタビュー。
プロ登山家が取り組む野外教育についてです。登山学校をやりたかったのではない、野外教育に取り組みたかった、その考えや実践している内容をお聞きしました。
インタビュー最後の「新型コロナウイルス」については、4月12日にお聞きしました。
その後、想定外に発行が延びに延びたけれど、竹内さんが述べていることは普遍であり、今のこの日に読んでも、読者の皆さん、それぞれが感じることがあると思います。

木村和也編集長からの「編集ウラ話」には、熱い思いが語られています。「日本のこれからの山登りは今置かれているこの状況がすべての出発点であり、それは奇跡的と思えるほどすばらしい状況で、その基盤作りには多くの人が関わり、不断の努力で紡ぎ上げてきた……」と。ちょっと引用が長すぎましたね、実際のこのペーパーを読んでいただきたいです。

そして、私からの「インタビューウラ話」は、インタビュー当日の木村さんの存在にとても助けられました。編集者らしい介入でインタビューに立ち会ってくれました。長年の仕事仲間だけれど、じつは一緒に仕事をする機会は、数えるほどしかなく。また、あの苦しい4月の時期に、竹内さんのことを書くことができたのは、私にとっても救いでした。

特集「親子で山さんぽ。」、JMGA監修の山登りの心得、三宅島クライミングガイドの紹介、カナダの山岳ガイド谷剛士さんの記事など、満載です。

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2020年5月16日 (土)

平成を登った女性たち/田部井淳子さん@山と溪谷6月号

現在発売中の『山と溪谷』6月号「平成を登った女性たち」(隔月連載)は、田部井淳子さんについて書きました。
(なお、この記事はアマゾンプライムでも読むことができます)平成元年、田部井さんは50歳です。
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田部井さんを喪ったあとの吉田三菜子さん(秘書役)の一言が、天晴れです。
私自身はまだそんな気持ちになれてないどうしようもなく中途半端な人間なんだなと思いました。
だから、いまでも田部井さんの取材をしたりインタビューをされると、涙が止まらなくなるときがある。
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ただ最近思うのは、田部井さんが育ててくださった世界中に散らばっている私たちが、めぐり逢い、有機的な結びつきを作っていることです。それを天から眺めて、喜んでくれたり、笑い転げたりしていることと、思います。

田部井さんのリーダーシップを語りたく、昭和女子大理事長・総長の坂東眞理子さんと山田淳さんにインタビューしました。
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もっとも大切な女性をひとり、インタビューできないまま記事を書きました。書籍にするときに、お願いすることになっています。
後半に、夫・政伸さんの言葉を長く紹介しました。

 

今日は、田部井淳子さんがエベレストに登頂した日です。

 

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2020年5月13日 (水)

山小屋の厨房、朝の「上を向いて歩こう」

facebookの思い出機能に、友人のライブに行った話と、彼が歌う「上を向いて歩こう」のことが出てきた。

一緒にライブをする友人に音合わせに送った「上を向いて歩こう」の音源ファイル。
それを、同じ山小屋で働くもうひとりの友人が、朝の山小屋の仕事を終え、ほっと一息ついた朝の、時間と時間の隙間に聞いるのだと。
山小屋の朝は早起きだ。登山者が出発する前に起きて、朝食の準備を始め、登山者を送り出してから自分たちの朝食をとり、厨房で皿洗いをする。
つぎの仕事はたいがい、山小屋の掃除だけれど、その前にちょっとした静かな時間が訪れる。「〇時から仕事を始めようか」という呼びかけがあったり、誰がどこを掃除するかあみだくじが引かれたり。
つぎの仕事までの時間は、ふっとおとずれた時間と時間の隙間にある、ときが止まった瞬間のような、ほかの時間とは隔絶された静けさがある。

「柏さんも聴いて。絶対泣いちゃうよ」と、そんな朝の隙間時間に聞かせてくれた。
聴いてみると、泣けてくる声だったけれど、朝から泣いているという彼女のことの方が気になった。
「清志郎の声みたい」ともいうので、山小屋の手伝いを終えて下山してから、YouTubeで清志郎の歌う「上を向いて歩こう」がないか探してみたら、清志郎と甲本ヒロトが歌うそれがあった。清志郎も甲本も好きだけれど、こればっかりは友人の歌う「上を向いて歩こう」がいいな、って思った。

そんな話を、彼らと今日も朝早くから。
ちょうど今日は、山小屋に会いに行く約束の日だった。
会いに行けないことは、こんなにも淋しいんだなあと、朝からまたみんなでしんみり。

山は、清々しい場所であってほしい。

2020年4月30日 (木)

小屋番さんの日記/七丈小屋

友人が説明なしで、LINEに送ってきたURL。
クリックすると、甲斐駒ヶ岳黒戸尾根にある七丈小屋の小屋番さんの日記。
ココ

温かい気持ちになる自然描写で始まるその文章は、小屋番さんの優しさがあふれていた。
withコロナの世界になり、みなが初めての体験をしていて、しかもその相手は目に見えない。
こんなときに心に沁みるのは、温かさや寛容性がある文章であり、写真であり、映像だ。
過多な情報でもなければ、滔々と説かれたメッセージでもなく、ましてや同調圧力でもない。

最近あったこと。
感染症の臨床を、しかもアフリカの設備のない病院でやってきた友人と話していたとき。
「人に会わなければうつらないから、大丈夫だよ」と言われ、「人に会えないことが、ものすごく辛いんだよ」って言ってしまった。
言ってから後悔した。医療従事者たちは、日々人に接している。陽性・陰性関係ない。
べつの医師が、呟いていた。薬物をやって混乱している人だろうが、自ら死のうとしている人だろうが、日々接しているというようなことを。彼は精神科の救急救命医だ。医師たちは、目の前の人がなんであれ、その命を救おうと尽くす。
私の友人たちは、めちゃメンタルが強いけれど、それだって、プレッシャーや恐怖心がないわけがないって思う。
そんななかで、日々人に接し診療を続けている人に対して、「人に会えないのが辛い」と言った自分が、ものすごくイヤになった。
けれど友人は、優しい一言を返してくれただけだった。

ある日は、友人のFacebookで、毎日新聞に山極寿一・京大学長が寄稿していることを知った。
3/31深夜に帰宅して入り、1度のどうしてもの外の仕事と、その帰りのスーパーマーケット以外、毎朝のランニングしか外出していない。
けれど、これはどうしても読みたくて、歩いて1分のコンビニへ走った。いわゆる自粛生活をスタートして1ヶ月。初めてのコンビニだ。
山極さんがフィールドワークしてきた、アフリカのゴリラやチンパンジーとエボラ出血熱の話。それを通じて、コロナ社会、ポストコロナについて論じていた。新しい国際社会、経済秩序、人々の暮らし方、新しいことへの変容が求められていると。人類はいかなるものなのか、改めて教えてくれもした。それはまるで、愛する人に会えないことを、辛いって言ってよいのだと、会いたいと言ってよいのだと、科学者の目線で優しく肯定してくれているようだった。

先の小屋番さんの日記。
読んでいて、優しい心をもった彼が、遥かなる眺めを前にした清々しいだろう空気の山のなかで仕事をしながらも、虚しく息苦しく思っているという、その気持ちを想像すると、辛くなった。
URLを送ってくれた友人に、「涙が出てきたよ」と返信すると、「そうでしょ」とひとこと。

いろんなことがあるけれど、人々の優しさが心に沁みる毎日。

 

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2020年4月21日 (火)

4月21日

これは、日本中にある山小屋のほんの一例です。
いいえ、山小屋に限らず、いろんな商いの、ほんの一例です。
ほんの一例だけれど、とても近しく思っている山小屋のことなので、書きます。

 

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4月21日
今日の上高地、雲は多いけれど、穏やかな朝だろうか。

 

写真は、昨夏久しぶりに登った水晶岳手前から撮ったもの。
槍ヶ岳の奥に滝谷を従えた穂高連峰。この方角から眺めるのが久しぶりだった。
全日の豪雨があがり、朝日をあびた岩肌が美しく輝いていた。
何度も振り返りながら、登った。

 

しばらく登山はお預けで、山は静かだけれど、山小屋や登山道を維持するために働いている方々は、今日もいる。
穂高連峰の山小屋の方々も、同様。
今日は、北穂高小屋も小屋開け作業のために入山する日だ。
毎年この日、上高地のヘリポートを飛び立つ。奥穂前穂と越えて、滝谷を見下ろしながら、北穂山頂でホバリング。
山頂で大きく手を広げて誘導してくれるのは、大概ナベさん。涸沢からひとり、上がってくるのだ。まっさらな雪の斜面を。
雪がべっとりとついた山頂に降りるとき、緊張する。

 

けれどその緊張はまったくの始まりであり、これから1週間強かけて、10人ほどで山小屋を掘り起こす。
屋根の片隅が出ていればよいほうで、前穂北尾根と槍ヶ岳の角度から、掘り始める位置を決め、玄関にたどり着き、最初のひとりが入ることができるまで数時間。
ともかくその日は、全員が小屋に入ることが目標だ。
思い起こしても、山頂直下の切れ立った雪の斜面での、その作業は、毎日が本気であり、緊張の糸はピンと張ったままだった。

 

ほかの穂高連峰の山小屋も、またほかの地域の山小屋も同様だろうけれど、今年は営業の見通しが立っていないため、わずかな人数で入山し、作業をしている。
先日、北穂の主人である小山義秀さんと話をするなかで、いくらGWの営業がないとはいえ、その人数で掘り起こすのかと、電話中にスマホを落としそうになった。

 

どうかどうか、安全に、無事で。

 

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2020年4月16日 (木)

渡邊直子さん14座目指してインタビュー@『山と溪谷』5月号

『山と溪谷』5月号(4/15発売)のヘッドラインで渡邊直子さんをインタビュー。
これまで8000m峰7座に登頂。来年一気に残りの7座を目指すという。
いずれも、現地エージェントの商業登山隊に参加。

昨年のニムス・ダイの6ヶ月14座といい、おのおのの価値観やタクティクスには、驚くこと多々。
山の楽しみ方、歓びは、まったく人それぞれ。

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2020年4月 1日 (水)

中央道の電話

諸々の仕事に区切りをつけて、昨日夕方、中央道を走って帰ってきた。
帰る前、村を出る時に、偶然にも友人がデッキに出て洗濯を干しているのを見かけた。
会いたかったけれど、会わずに帰ろうと思っていた矢先。
距離があったけれど、思わず名前を叫んで、手を振ったら、気づいてくれた。

中央道を走りながら、沿道に住む友人たちのことを思い出し、SAにクルマを停めて電話をした。
LINEでは話していたけれど、声を聞きたいと思って、電話をした。
互いの近況を話し、東京に帰ることを報告し、電話を切り、運転を続ける、を繰り返す。

自分自身の行動に軽率な点もあったと省みるけれど、いまからでも正せると思い、一晩かけて考え、帰宅してやるべきことを整理し、戻ることにした。
2週間余り前に読んだ、American Alpine clubのInstagramがどうしてもアタマから離れなかったから。
コチラ
そして今日は、そのことを所属団体で意見してみた。

リスキーでストレスフルな土地に帰るな、ここに泊まれ、留まれという友人たちばかりだったし、最後には「コメを持っていけ」ともたせようとした人がいたりして、泣けてきた。

けれど、そんないきさつを経て、相手の声を聞くっていいな、と思い、今日の自宅での仕事は、何軒か電話をかけた。
来週訪問予定だったところへの断り電話をした先は、留守電になっていたので、メッセージを入れてみた。
いつもだったら、黙って切って、メールを入れておくところだけれど。
それに、声を聞きたいのはこちらであって、相手が私の声を聞きたいかどうかなんて、わからないけれど。

暖冬、少雪といわれたこの冬だったけれど、自宅裏の桜は、去年の今ごろと同じように満開。

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2020年3月24日 (火)

わたしの旅の相棒@ランドネ5月号

先日発売になった、ランドネ5月号。
「わたしの旅の相棒」に4人がエッセイを寄稿しています。
旅に心強い、自分のお気に入りの持ち物について、旅のエピソードと絡めながら紹介するもの。

 

私は、カンチェンジュンガの眺めが素晴らしいダージリンに通った日々のこと、ふたつの川の流れがティスタ川というひとつの流れになるのを見下ろす高台、そしてベンガル平原へとぐいぐいと標高を下げていく、そんな旅の途次にストールと出会ったことを書きました。
それはまさに、ヒマラヤの氷雪嶺に端をはっした川の流れが、大地をかけ流れ、ベンガル平原を肥沃な土地へとしていくのを眺めたどる、ダイナミックな道のりです。行きはこの道をのぼり、帰りはくだる、そんなダージリンやシッキム通いが続いた時代たありました。
だから、遠くから眺めたことしかないカンチェンジュンガが好きなのかもしれません。

 

ランドネでは、エッセイや少し落ち着いたインタビューを書かせてもらう機会が多いです。
以前、携えたい本を3冊紹介するエッセイを書いた時も同様でしたが、ランドネの主たる読者層だけでなく、そこから外れた10代の女性や50代の男性にも読んでいただけたら嬉しい、そんな気持ちになります、いつも。
それは、10代の女性はいずれ、ランドネ読者のボリュームゾーンの年齢になるだろうし、また50代まで歳を重ねた男性にも、20代、30代の女性のことを、理解してもらいたいと思うからかもしれません。

 

ちょっと離れたページに釣り師+写真家である仕事仲間の杉本航さんが、登山道整備について書いていています。
「理想の登山道」について。こちらも、ぜひどうぞ。

 

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2020年3月23日 (月)

三日月山(福岡)@毎日新聞、そして竹内洋岳さんによる日下田實さん追悼

今朝のわくわく山歩き@毎日新聞朝刊は、福岡市の郊外にある三日月山です。
webはコチラ https://mainichi.jp/articles/20200323/ddm/014/070/052000c(有料)
タイトルは、「里山でアラスカ思う」。

敬愛する登山家・栗秋正寿さんと、黒田誠さん(国際山岳ガイド・写真家)、増本亮さん(クライマー)らと登ったときのこと。栗秋さんが単身通い続ける厳冬のアラスカ、そして黒田さんや増本さんが経験してきた国内外の各地の厳しい登攀、それらが、日常の里山と結びつく瞬間。
先日インタビューした、あるクライマーの話にも共通します。自然のなかで激しいまでの経験をした人が、穏やかな自然も知っており、そのふり幅が、そのままその人の人柄だったり人生に表れるように思います。こんな風にふり幅が大きな人は、生涯を通じて、山を楽しむことができるのです。


三日月山は、栗秋さんのお宅からもよく見えます。台所にある窓から毎朝三日月山を見るのが習慣。そんなエピソードは、『山と溪谷』1月号の「100人で選ぶ名山100」に、ご本人が寄せていました。

さて。
同紙の「悼む」に、日下田實さんがあります。日本隊がマナスル初登頂したときのサミッター。書き手は、プロ登山家の竹内洋岳さん。竹内さんは、生前の彼との交流のなかから幾つかの思い出を書いています。おふたりが座談会をしたとき、書き手として同席しましたが、あのとき一番心に残った日下田さんの言葉を、竹内さんも紙面に紹介しています。
ぜひ、キオスクかコンビニへ走り、毎日新聞を。

 

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2020年3月15日 (日)

山野井妙子さんインタビュー@『山と溪谷』4月号

発売中の『山と溪谷』4月号から、隔月連載「平成を登った女性たち」を始めます。
昨年1月号で平成期の日本人女性の登山について書いたのがきっかけであり、それ以前の歴史は大先輩の板倉登喜子さんと梅野淑子さんが『日本人女性登山史』にまとめているからです。
担当編集者のかねてからの思いで始まりましたが、いったい平成がどんな時代だったのか、いま女性を取り上げる意味をどこに求めるのか考えながら連載することになりそうです。

 

平成元年(1989年)、ブッシュ大統領就任、手塚治虫、美空ひばりが死去、週休二日制、土井たか子社会党が第一党、ベルリンの壁崩壊、ヒットはプリプリのDiamonds、魔女の宅急便、ばななのTSUGUMI、Hanako創刊。

 

初回は、そんな時代性と全く無縁の山野井妙子さんです。彼女が登攀対象をヨーロッパからヒマラヤへと移行し始めたころ。
たった4ページで、妙子さんの平成期のクライミングを語ることはできません。超駆け足ですが、この先もっとじっくり書いていきますので、お許しください。ひとつ先とそのまたひとつ先を見据えて、今回はさわりのように記事を書きました。

ふたつ先までたどり着くには時間を要しますが、どうかまずは、今回の記事を読んでいただきたいと思います。
また、もし読者の方々から感想をいただける機会があれば、とても嬉しいです。
タイトルは「世界レベルに達したアルパインクライマー。心の赴くままに登り続けた。」
少しでも、妙子さんのクライミングや人となりを感じてもらいたいです。

 

ほとんど記録を残してこなかったどころか、記憶にも留めない彼女を、横で支えインタビューに応えてくれたのは泰史さん。
それと彼女の山の仲間たち。
録音は10時間近く回していますが、「うーん、思い出せない」が続くので、正味7時間ぐらいか。

 

写真のギアは、よくご覧いただくとどんな細工がされているかわかると思います。一時期、ウチのカムにも同じ細工が……(笑)。
ボルダリングの写真は「ひよこ岩」。福岡銘菓のひよこに似ているから、私が名付けました。場所は四川省ダオチェン。リータンよりもさらに奥のあたりです。ボルダリングマットは、旅の途次に買ったチベタン布団。ギャチュンカンからの生還の翌年。

 

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2020年3月14日 (土)

出版社の未払い、昨日は敷島さんの命日、登山に関するマスの報道

昨日、牟田郁子さんという校正者のツィッターで忠地七緒さんという方のnoteが紹介されていた。
コチラ 
フォトグラファーでありライターの忠地さんは、『nice things.』という雑誌に関わっていて、たくさんのページを担当していた。けれど突然、版元の倒産と雑誌の廃刊が決まり、原稿料が回収できないのではないか、というピンチに陥っているのだと。
弁護士に相談したけれど、回収は難しく、そのダメージは決して生易しいものではないから、「仕事が欲しい」と書いている。
そう書くには勇気が要ったけれど、仕事が欲しいと。

 

ずっと前、当時私の収入源の主たる版元の大きく経営が傾いたとき。
あるムック本が完成間近にして発売停止になった。
原因は、版元の資金繰り。私が抱えていたのは30ページぐらいだったか。
先輩の編集者である故敷島悦朗さんが丸ごと1冊請け負っていたもの。
すべて納品したあとに発売停止になったわけで、すべての仕事は終えたけれど、形にできなかったから一銭も払えません、という状況。
すべての仕事を終え、持ち出しだけがある状況で、一円たりともペイされないのは、かなりキツイ。死活問題でさえある。

 

版元と話し合ったけれど、どうにもならず、それに見切りをつけた敷島さんは、早々に行動を始めた。
同じ社の他の雑誌、それだけでなくまったく違う出版社にもかけあい、全部とはいわなくても、ムック本のうちのおよそ70%ぐらいは売れたのではないかと思う。
そのおかげで、私も仕事したうちの半分以上のものが形になり、原稿料を手にすることができた。

 

そんなことを思い出していたら、facebookの「思い出」機能が、昨日は敷島さんの命日が昨日だったことを、思い出させてくれた。
熱血漢で正義感強く、選挙の投票日は絶対に山に行かない人だった(当時は不在者投票が今ほどの制度ではなかったので)。
ともかく山が好きな人だった。

 

訃報を受け取った直後にした講演会について、facebookに記録していた。
登山に関する近年のマスメディアの報道を苦々しく思っていること、マスではない自分はそれに立ち向かいたいことなど、講演で話したようだ……敷島さんの仕事を思い返しながら、敷島さんが乗り移ったかのように話したこと、思い出した。
自分自身が忘れないように、ブログに再掲しておく。

 

 

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2015年3月14日

 

労山の多摩西部地区の総会にお呼ばれし、話をしました。
3年目にして果たせた約束。

 

テーマは、山の突然死。書籍にしたのは2008年とちょいと昔。
それ以前から、同テーマで雑誌には書いていたし、その後もデータ収集はしています。
突然死は、登山中であるとどんな点でリスクが大きくなるのかということと、いくつかの事例を話しました。
事例のほとんどは、書籍やバックナンバーで読んでいただけますが、取材のなかで感じたこと、考えたことなども話しました。
1件の事例を取材するには最低でも1ヶ月以上かかるので、それぞれのストーリーがあります。

 

古い事例ですと10年近く前の取材になりますが、その多くを私は鮮明にそして印象強く覚えてます。
つまり、どこでご遺族や死亡した方の山仲間とお会いし、どんな話をしたか、その時の彼らの表情まで。
取材裏の苦労話を、読者の皆さんに知っていただく必要はありませんが、どんな取材をしたか、どういった手順を踏んだか、取材の事細かなこと、文字にできなかった取材がどれほどあり、それはどういう理由か、それらについてごくわずかでも話すことで、突然死とういのが、また山岳遭難というのがどれほど悲惨で、遺されたものにとってつらいものなのか感じてもらえたかもしれません。

 

先だってのヤマケイの記事(雪崩遭難の捜索救助化とビーコン)も同様ですが、一般社会に生きる我々が、登山者として、あるいは私の場合は書き手としてやるべきことは多々あります。
そういった観点から、登山に関する報道について思うこと、またそれについて私が立ち向かいたいと思っていることについても、蛇足ながら話しました。

 

また今日の仕事は、個人的な思いではありますが、山と仕事の先輩のことを思いながらやりました。敷島悦朗さんは、私にたくさんのことを教えてくれただけでなく、当時私が主としていた出版社が傾いたときに、私と私の仕事を守ってくれたかけがえのない先輩です。登山を文化としてスポーツとして根付かせたいと思っている私にとっては、彼を喪ったことはほんとうに血肉を削られる思いであるし(むろん個人的にも)、またもっとこれから自分が頑張らなければならないとも思っています。

 

話を戻します。
今日会場で、「去年は来てくれると思って、書籍読んで待っていたよ」と言って下さった方もいました。
講演中にも述べましたが、こと近年の登山に関するマスメディアの報道を苦々しく思っています。
だからこそ、マスではない位置にいる私たちが、もっと頑張らねばならない時です。
辛抱強く私のことを待ってくださっていた皆さん、今日はほんとうにありがとうございました。

2020年3月13日 (金)

国際山岳ガイド・佐々木大輔さんインタビュー@イワタニプリムス

国際山岳ガイド・佐々木大輔さんをインタビューしました。
ご自身の原点、ガイディング、そして日本の登山社会を見渡して。

 

初めてお会いしたのは、彼が20そこそこのころ。ビッグマウンテンスキーヤーとして世界を転戦していたとき。首が太い人だなあと思ったのを覚えています。その理由は、すぐに理解するのですが。
30代、軸足をガイドに移し、国際山岳ガイドにもなります。この間も仕事のこと、なまら癖-Xの登山やスキーの旅、デナリ南西壁大滑降など、何度かインタビューする機会に恵まれました。
42歳になり、何を見据えているのかという問いに、予想と違う答えが返ってきました。

 

ところで。ご自身を「ラッキーボーイ」と言い、挫折知らずだと。挫折しそうなぐらい困難なことがあっても、それを静かに乗り越える能力と精神力を備えているのだと私は思いますが、ひとつだけ痛恨の出来事がある、というので聞かせてもらいました。
それは笑っちゃうぐらいのことで、「それ、大輔さんがダメだね」って笑い返しました。札幌市内でのこと。一緒だった国際山岳ガイドの皆さんは、思い当たる節があるのでは。

 

そんな話をするのも大輔さんのチャーミングなところ。
持論ですが、トップアスリートは、強い信念(自分の才能を信じる力)、飛びぬけた集中力、抜群のバランス能力などと合わせて、繊細でチャーミングな面も持ち合わせています。
もちろん、佐々木大輔さんも。

 

1月下旬の雷電海岸の写真は、二木亜矢子さん。ポートレートは中垣美沙さん。女性3人で、お届けする記事です。
https://www.iwatani-primus.co.jp/realvoice/5.html
*ブログの写真は、私がパチリと撮ったものです*

 

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2020年2月29日 (土)

校了、責了

下旬に4本締め切りが重なり、2月はずっと苦しかった。

1本は週末に下版。久しぶりに記事を読んでくれた者が、「いいんじゃない」といつもの返事。

もう1本は、昨日校了。

2年に1度ぐらい褒めてくれる編集者が、原稿を読むなり「もっと書きましょう」と言い出した。

ありがたい。次の単行本のその先を考えよう。

長年親しくしてきた友人であるクライマーの物語。親しいけれど、人間誰だって色んな顔があるわけで、私の知らない素顔もたくさんあるはず。

唯一無二のクライミングのパートナーに読んでもらい、少しは、書けたのかなあと自惚れた。次はもっと書こう。

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次の1本は、日中のガイディングを終えた身で、ついさきほど夜遅くまで最後の仕上げに付き合ってもらい、なんとか責了に持ち込めそう。チャーミングで器がどデカいクライマーの胸を借りて書かせてもらった。

最後の1本、初めて、カンチェンジュンガのことを書いた。編集者に預けた、あとはどーにでも料理してください。

.

こう考えると、全部周囲の人たちに書かせてもらっている。

3月も書き続けます。

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2020年2月24日 (月)

旭岳@わくわく山歩き/毎日新聞

今朝の「わくわく山歩き」@毎日新聞は北海道の旭岳です。
webでも読むことができますが、「世界のどこかで乾杯」など他の記事もおもしろいので、ぜひキオスクかコンビニへどうぞ!

 

山のコースガイドや紹介ではなく、個人的な思い入れも交えながら綴るエッセイ連載です。
厳冬の旭岳は近づくことすら難しいこともあるし、新聞という媒体の性質を考えると、夏に書くのがよいかなと思っていました。
ロープウェイがあり遊歩道もあり、広く多くの方々に楽しんでもらえる季節になるから。
けれど改めて考えたら、私は雪の旭岳しか知りませんでした。

 

雪のない季節は、義父母を連れて、文中にもある春菜夫妻の宿「ヌタプカウシペ」に1泊したのが最初。
初夏の躍動的な旭岳を目の前にしたのは、皮肉にも2年前の6月のことです。
白馬に向けてクルマを走らせている最中、電話が入りとんぼ返り。羽田から旭川空港にとび、春菜さんのお別れに行ったときでした。
この2回だけ、山麓から旭岳を仰ぎました。

 

旭岳との最初の出会いからずっと私の中にいる春菜夫妻のことは、これまでも少しだけ書いたことがありましたが、新聞に書くのは初めてです。
今回の文章は、故・春菜秀則さんに捧げます。
そして、東川町の皆さん、ありがとうございます。

 

web(有料)→ コチラ

 

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2020年2月23日 (日)

「登山中の事故、傷病のその後」@『山と溪谷』3月号

現在発売中の『山と溪谷』3月号の「登山中の事故、傷病のその後」を執筆しました。
ライター3人で担当している不定期連載です。
事故のこと、傷病者へのファーストコンタクト、プレホスピタルで何が起きて、どう対処されたか。
医療機関での治療やその後のリハビリ、社会復帰へのことを述べています。
事故を検証する記事は多いけれど、どんな道のりを経るのか、登山者の皆さんと共有したいと意図し、続けている連載です。

今回は主に、現場での処置を報告しています。
シャモニー谷にあるパピヨンというロッククライミングのルートを登っている最中の滑落事故です。
ジャンダルム(フランスの山岳警備隊)が来て、どんな手当をしたか。その多くは、医療に従事しない者であっても一定のトレーニングを経れば身に着けられることです。
救助隊員の処置と、一般向けの野外救急法を対比させながら、紹介しました。
野外救急法の重要性を、読み取っていただければさいわいです。

ご協力いただいたのは、事故者とコンタクトのあった医師たち(診察や相談)のほか、救急救命医の稲垣泰斗さんです。
野外救急法、野外医療に挺身し、ウィルダネス メディカルアソシエイツ ジャパンのメディカルアドバイザーであり、複数のトレイルランニングレースでの救急体制の構築や現場での指揮にもあたっている方です。
記事中の助言のほか、事故者のカルテやCTを読み解いていただきました。
ご一読ください。

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本誌を手に取って、写真家の中村成勝さんがお亡くなりになったことを知りました。
とても悲しいです。
駆け出しのころ、夏の山も雪の山もご一緒させていただきました。お住まいが隣の駅なので、打ち合わせやポジの受け渡しは、近所の喫茶店待ち合わせでした。
こんな大切なことを、雑誌で知るしかなかったことも無念です。
P180の坂戸山の案内記事が最後。六日町の城山、成勝さんらしいです。青い若葉と魚野川の向こうに雪の残る谷川連峰、明るくのびのびとした写真です。
クレジットから察するに、打田鍈一さんのお力添えで、最後に記事になったのでしょうか。
ご冥福をお祈り申し上げます。

2020年2月16日 (日)

レッカー車のお兄さん、最後の雪、パプリカのぬか漬け

先日、運転中のクルマにトラブルがあった。

リコール対象だったトランスミッションの検査を終えたばかりだったけれど、夜9時の北陸道トンネル内で突然止まった。
ホントに止まって、1mmも動かなくなった。
不幸中の幸いだったのは、カーブではなく直線だったことと左車線を走っていたこと、だと思う。
ハザードを出しながら、こんなとき、どうしたらいいんだろう、保険会社へ電話か?と思いながらも、高速のトンネル内にかなりのキケンを感じて……電話した先は、もう泣きつける先はここしかないってところ。「110番でしょ」ってあっさり言われて、110番。
クルマから降りたけれど、歩道域が細いので、壁側に四角くくり抜いたスペースがあり、そこによじ登って身を寄せた。

パトカーに乗った警察官ふたりと道路公団の方ふたりがやってきたのは20分後ぐらいだったか。
発煙筒やパイロンで後部を保護しながら、交通整理を始めてくれたけれど、それでも危ないので600m先の避難帯にクルマを動かしたいと。
エンジンはかかったので、ニュートラルポジションにし、警察官たちにクルマを押してもらい、ハンドルを握った。
けれどそれも、100mぐらいで終わった。完全に前輪がロックしまったく動かなくなった。
みなが、息を切らしながらクルマを押してくれていたことがわかり、なんだか申し訳なかった。
パイロンも発煙筒も、彼らの人件費も全部税金なのかと思うと、ありがたかった。

仕方なくそのままクルマを放置し、再び四角いスペースによじ登り。
今後のことを考え、クルマのなかに散らばっている荷物をパッキングをしたく、四角いスペースに荷物を運びパッキングもした。
待ち合わせていた友人に電話したら、「ピックアップにいくよ」と言ってくれたけれど、レッカー車の目途が立ってないので、先に共通の友人宅に向かって、寝て待っててもらうことにした。

結局レッカー車が来たのは4時間後。降雪でどのレッカー会社も出払っていて、黒部から来てくれた。
仕事といえども、申し訳ないし、ありがたい。
レッカー車のお兄さんと話しながら移動し、この先のことをあれこれ教えてもらった。
親不知のカーブなど、対向のトラックは容赦ないし、さぞ緊張したことと思う。
しばらく沈黙が続いたあと、お兄さんが「もうこの雪が、今年は最後だろう」ってぽつりと言った。
慣れ親しんだ富山弁と見慣れた日本海の夜の黒い海原のおかげで、心細くなることはなかったけれど、そうだな、この後雪が降ることがあっても、積雪が増えることはないだろうなあ……と、寂しく思った。

タクシーに乗り継ぎ、友人宅に着いたのは3時半。炬燵の脇に敷いておいてくれた布団に潜り込んだ。
翌日は事後処理があったので、山は諦めて、留守番することにした。

山を取りやめたことや、連絡をくれている最中だった友人など、必要最小限の人達に事情説明の連絡をしたら、みんな、ケガや事故にならなかったことが、本当によかったと言ってくれた。キケンな状態だったことは自覚していたので、心配かけたなって思った。
けれどその数日後、親しい友人に話したら、最終的には他人事だって言われて、はっとした。ものすごく悲しくなって涙があふれたけれど、自分のことは自分でやるしかないのだから、その通り。電話だったので、涙も気づかれずに済んだ。

自宅に戻ったあと、ラリーをやっていたクルマに詳しい友人に相談した。
何度も私のクルマも運転してくれているし、様子もわかっている。
トランスミッションの構造や最近の評判、今後の見通しなど、幾つか説明してくれた。
自分の乗っているクルマのことを、なんにもわかっていなかったんだな、とも思った。

出発前にぬか床に入れておいたパプリカ、今日まで忘れていた。
パプリカのぬか漬け、思いつきだったけれど、美味しかった。

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2020年2月15日 (土)

記録、登攀記録

同業者がfacebookに、記録について書いていた。
村の会合にて。議事録を細かく残す必要があるのか誰かが問うたそうだ。面倒だし、こんなの誰が読むんだと。
同業の彼が思ったのは、記録は本人たちではなく他者が読むもの、その本質を忘れがちだということ。
これには、目からうろこだった。
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「写真の記録性」という難しい原稿を書いたことがあった。
樹木希林が「PHOTO IS......」というテレビCMで語ったように、明日のことはわからない、だからいまを撮る。
その写真の記録性の意味について書いた。
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ひるがえって、いま執筆中のクライマー。ほとんど記録を残していない。ネットにはもちろんない。当人、あまり覚えていない。
周囲に尋ねるしかない。なぜ記録しないのか、記憶にとどめないのか、その本質が興味深い。
自分の手で記録を残そうとしなかったクライマーの記録を、私が残すことになる。大きな山です。

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2020年2月 7日 (金)

水平の取れていない写真

水平がまったく取れてないダメダメ写真。
北海道の雷電海岸で撮影とインタビューをしていた。
インタビュイーたちがドライのルートを登り始め、その撮影に入った中盤。
落石が多くなってきた。フォロアーがふたり同時に登っていてクライマーたちの位置も違うため、フォールラインも一定ではない。あちこちに降ってくる。
これは危ないなと思い、唯一よけられるだろうくぼんだところに身を寄せた。
岩壁を見上げることは諦め、しばし心がからっぽになり、海を眺めていた。
海がある風景、海がある土地が好き。海には広がりがあって、清々しい気持ちになる。

 

翌日東京に帰ったら、会う約束をしている友人がいた。
焼肉が食べたいと言い出し、雪に覆われた高峰で撮影の仕事をしているとき、テントのなかで、焼肉屋をリサーチしまくったという。
ぜったいに美味しい店を見つけたから、そこにしようと。
しんどい話をしなければならず、気が重たかったけれど、お腹がすくのは心がすさむので、焼肉屋に行くことにした。
けれど、海を眺めていたら、なにもかも、どーでもよくなった。
相手が自分の見えていない側で何を考え、作為していようと、それはどうでもよい。
いまはいまでしかない。目の前の人を信じる、目の前の出来事や自分を信じる。
けれど、いましか見ていないわけじゃない。ずっと先もみつめているんだから、だから目の前のこと以外はどーでもよくなった。

 

その視座は、人と人との関係だけでなく、仕事も同じ。
自分だけでなく社会全体のその先を見据えて進めるけれど、それはいまの積み重ねでもあるから、いまを大切にする。
案外、長い髪をかき上げながら荒川の河川敷で歌っていた人の歌と、同じかもしれない。

 

そんなに強く心を持ち続けられるかわからないけれど、海に救われることは多い。

 

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2020年1月27日 (月)

摩耶山@わくわく山歩き/毎日新聞

本日の「わくわく山歩き」@毎日新聞は、神戸の摩耶山です。
webはこちら  (有料)

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摩耶山の市民登山、六甲山地へと視点を広げ、日本の近代登山発祥の地など奥深い顔をもつ山ですが、今回は、たった2回登ったその時のことと、山頂からの眺めについて書きました。
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初めては、神戸育ちの友人、花谷泰広くんと。2度目は、山がきっかけで知り合った新妻和重・美樹夫婦と。
阪神・淡路大震災についても、触れました。そのことを話すと、「勇気あるね」と言われました。大震災を経験したわけでもなく、たしかにそうかもしれません。
けれど、摩耶山のてっぺんから神戸の街を見渡したとき、最初に思ったのは阪神・淡路大震災のことでした。
それは、神戸の街を眺めたからだけでなく、摩耶山が神戸の方々にとって「おらが山」だからだと思います。
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書くことは、いつでも勇気のいることかもしれません。勇気という言葉があっているのか、わからないけれど。
書くだけでなく、人に自分の考えや心のうちを述べるには、いつだって相応の気持ちが伴っているのだと思います。
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最後の写真にある本棚は、山頂のカフェの奥にあるもの。
ワタシ的にドストライクだった『恋ソマ』の隣に『雪の下の炎』、後世に残したい名著中野融さんのネパールトレッキングガイドの隣に『やまはじ』、オーストリアのグラーツから六甲山麓を経て運ばれた『極限への挑戦者』。新聞では紹介できませんでしたが、古今東西、硬軟ふり幅でっかい本棚。

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2020年1月25日 (土)

鈴木ともこさんインタビュー@ランドネ3月号

『ランドネ』3月号(1/20発売)にて、マンガ家・エッセイストの鈴木ともこさんをインタビューしました。「街を歩き、人と出会うほど 好きが深まる」、2011年5月に、ともこさん一家が東京から松本へ移住したストーリーです。
写真は矢島慎一さん、編集は佐藤泰那編集長。取材は、昨年のクリスマスイブ。

記事の後半で、ともこさんの長い会話を引用しています。ぜひ、こちらをお読みください。松本で作った、隣の人たちとのつながり。

取材の最中、堂々たるモデルぶりを発揮したのは、飼い猫のミミー。猫との生活なんて夢にもみたことなかった鈴木家の、壁から出てきたミミー。2015年夏のことだった。ここにあげた2枚はその直後のミミー。
ミミー、こんなに小さかったんだね。

ともこさんの松本生活、書きたいことはたくさんあり、とてもおさまらなかったけれど、どんなきっかけで移住し、どうやって松本と出会っていくのか、そのひとかけらでも読んでいただければ嬉しいです。

今月号の特集は「暮らしたいまちを探す旅へ」。暮らしたいまちトップ10も載っています。私が移住したい候補のふたつのうちのひとつも、載っていました!

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2020年1月 6日 (月)

避難小屋で語る人間性

避難小屋にて。外のビュービュー吹き荒れるさまが、どんどんひどくなるなか。
言動や業績ではなく、その人となり、つまるところ人間性に惹かれるのだ、という話に。
私が、「じゃ、その人間性って、なんだろう?」とつぶやくと、先輩は、長い企業人経験を踏まえて、気を配りながら仕事をしている内容を幾つか聞かせてくれた。具体的な話も。まったく同意することだった。

それは、公明正大な姿勢、誠実さにも通づるもの。道徳心のある者であれば、当然のことかもしれないが、それを仕事に限らず日々のなかで保ち続けるのは、じつは難しい。
けれど、それを貫く先に、人から信頼される人間性が形成されるのだなあと、話を聞きながら思った。

先輩は、人間性というのは、後天的であり、技術的なことでもあるとも。それにも、同意する。
でも、私たち、どこでそんなことを習ったんだっけ?とも思った。
教育だけから学ぶものでもない。
識字率の低い国、教育水準の低い国にも、品格ある人間性をもつ人物はたくさんいる。
その人間性を支えるのは、知性や品性のように思う。では、それはどうやって培われるのか。
次の、吹雪の夜に、また先輩に尋ねてみようかな。

写真は、富士山頂を踏んだあとの下山の一風景。
先輩が好きな場所だってことで、ゆったり休憩した。
半月からふっくら膨らんだ月が出ていた。

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2020年1月 2日 (木)

年の瀬に

年末に予定していた山を、すさまじい強風におののいて、諦めて帰ってきた日。
仕事の仲間と、1日早い年越し蕎麦を食べた。年の湊の夜のこと。
互いの仕事、それぞれのフィールド、最近の作品。作っているものは違うけれど、同じ山や自然、それに取り組む人々をテーマにしているという広義においては、同業者。

 

帰り道、ひとりになってあらためて、昨年の仕事について振り返った。
一本でも、これぞと思う原稿が書けたら、ヨシとしているのだが、年末になって最後の最後で大きな間違いをしてしまい、反省の最中でもある。

 

毎日新聞の連載は、月1回だから、12座の山を書くのかと思いきや、振り返り数えてみたら13座だった。
一年目から真打を出しちゃって、来年はどうするつもりなんだと自分で自分を笑う。
しかし、20年近く付き合い続けてきた北穂高岳と北穂高小屋について、書けたことは、素直に嬉しい。

 

存在が近すぎて、書けないのではないかと思っていたけれど、いざ書いてみると、ずいぶんと力のこもった文章を書いたのだなあと、他人のことのように思った。
今回は、「定点観測」と「山小屋を作った者」をキーワードにしてみた。
後者は、二代目主人の小山義秀さんが答えを述べた、その言葉を引用している。20年近く前に聞いた言葉だけれど、普遍だ。
それは、私が北穂で過ごした膨大な時間と、その後も彼方此方の山から北穂を眺めては思いを馳せていた時と共に、ずっと私の心のなかに変わらずにあったもの。
ぜひ、義秀さんの言葉を、多くの方々に読んでいただきたい。 コチラ→

 

いまは、長い年月をかけて思い続け、思いやりをいただきながら作った関係のその先にあるものに、ただただ感謝している。
自分の軸となるものがあり、おごりや迷いをなくし、初心に帰るきっかけをもらう場所。

 

今年は、もっといい仕事ができるよう、腰を据えて、あとはないものの覚悟でがんばろう。

 

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小屋番の定点観測

定点観測の面白さを教えてくれたのは、北穂だった。
北穂高小屋に2年間通い続けるなかで、常念山脈から日が出る位置が北から南へと動いていくこととか、ひと雨ひと雨ごとに紅葉が進むさまを実感した。
写真家の渡辺幸雄さんが入山時に、毎回ある位置から北穂高岳を同じ画角で撮影していたのを真似てみたりもした。
いっぺんにたくさんのことを知ろうとは思わない。その季節季節で出会うものがあり、回を重ねるごとに、少しずつ相手(自然と人間)を知るようになる。 それが、関係と作るということでもあった。

 

先月、七丈小屋に2回行く機会があった。
2年前から、ごくたまに手伝うだけだったけれど、これまでにどれぐらい滞在したのか、この機に数えてみた。その日数は一ヶ月をゆうに越えていた。大した日数ではないけれど、いつの間にか積もり積もっていた。
けれど、小屋にも山にも、私には「定点」が見いだせずにいた。それに出会ったのは、今夏。

 

あるクライマーが、黒戸尾根で一番好きだったという場所を教えてもらってから、そこが私の「定点」になった。
いろんなストーリーや見どころのある尾根だけれど、こんな穏やかな場所が一番好きだったのか……と、亡くなった彼とはもう話せないけれど、しっくりきた。

 

この2回の滞在で、小屋のスタッフの方々と一緒に過ごし、ゆっくり話をすることもできた。
彼らが「定点観測」している話が、アチコチにあった。
長い方でもたった3年といえばそれまでだけれど、それでも、心持ちひとつで、会うべく人に会い、出会うべく自然を見て、深く広い経験をしてきたのだなあと、心の底から敬服した。
と話すと、「それが、小屋番の醍醐味でしょ」と。
まったくだ。

 

「年越ししていきなよ。手伝ってよ」という言葉はありがたかったけれど、一刻も早く山を下りたかった。
もうこの先当分来ることはないだろうと、最後の黒戸尾根を味わいながらゆっくり下山。
クライマーの彼が好きだった「定点」には、変わらずに穏やかな日差しがあった。
ときに、モノゴトはぐちゃぐちゃになる。自分の予期せぬところで起きたことであっても、心は痛み、何よりも自分が情けなくなる。
けれど、穏やかな日差しをみて、山は変わらず素晴らしい、尾根は清々しいと、心が洗われた。

 

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カトラリーとマグカップ持参で山小屋へ泊りにいらっしゃった方々

年末に、友人たちが小屋番をする七丈小屋(甲斐駒ヶ岳・黒戸尾根)を手伝っていたときのこと。
夕ご飯後に、お皿を下げにいくと、ニコニコしながら、未使用の紙コップと紙のカトラリーを返された。
旭立太ガイドご一行様のテーブルでのことだった。

 

冬になり沢から水が取れなくなると七丈小屋では、それまでに貯めた水と雪を解かしたものを使うようになる。
天水が取れない山小屋というと、北穂高小屋での長い経験のある私としては、それほど違和感はないのだけれど、山小屋側の苦労は並々ならぬものだ。貯めた水にも限りがあるし、雪を解かすにも燃料が要る。これも限られた量だ。
そのため、宿泊客の食事は紙の皿やカトラリーを使うようになる。

 

それを知って持ってきてくれたのかな?と思いながら、「あれー、お使いにならなかったんですか?」と尋ねると、「ホームページを読んできました~」と、ご自分たちのカップを持ちながら、またニコニコして応えてくれた。
ホームページには、水が限られるようになってからは、マイカップやマイ箸をご持参いただきたい旨が書いてあったのだ。
嬉しくなり、「ありがとうございます」とお礼を言ってから、小屋番さん達に報告した。

 

ごくたまに友人ということだけで手伝いに行っている山小屋であり、私が言うことでもないかもしれない。
しかし、カトラリーとコップを戻してくれる時の、皆さんのニコニコした笑顔がとっても素敵で、とっても嬉しくなった。
嬉しそうにご飯を食べてくださり、楽しそうに山に登り、ニコニコと私たちと会話してくれたのが、とっても心に残っている。

 

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わくわく山歩き@毎日新聞「玄岳」

年末に掲載したわくわく山歩き@毎日新聞は、伊豆半島の付け根にある玄岳(くろたけ)でした。
webでも読むことができます。コチラ→

 

ちょうど新聞掲載される日の前日までの三日間、玄岳の麓に住む方と、冬枯れから寒空のしぐれる山でご一緒しました。
たくさんの山を知っている彼も、「いい山ですよね」と。

 

相模灘と駿河湾を両手に。さらには、富士山から南アルプスなど。心が伸びやかになる展望の山。お正月にぴったりと思い、選びました。
そして、熱海や函南の方々にとっては、「おらが山」です。
よかったら、冬晴れのこの季節に、ぜひ登ってみてください。

 

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2019年11月26日 (火)

言葉

文筆業の身で、記憶を言葉や文章でとどめることが多いことに、ある時気付いた。
山を歩きながら、その時の眺めや思いや感覚を、言葉や文章に置き換える瞬間がある。
これは職業病なのかもしれない、と少し残念に思った。
映像作家の友人は、画で記憶すると。写真家の友人は、言葉に懐疑的だ。
彼らのほうが、色眼鏡なくありのまま記憶するように思えて、羨ましい。

 

大菩薩嶺から小金沢連嶺を縦走するいちばんの楽しみは、富士山と南アルプスの眺望。
白峰三山や赤石・聖といった南部の山々から東に延びる尾根については、文章で表すことができた。
けれど、手前に見える甲斐駒ヶ岳については、ひとつの言葉で形容するしかない。
甲斐駒や剱のような山を見て、「カッコいい」というのは簡単なことだった。自分でもあきれるほど繰り返し、心からそう思ってつぶやくのだが、あんまりにも浅はかに思えてきた。
甲斐駒ヶ岳を形容する言葉について、今月の毎日新聞の連載に書かねばとつらつら考え、あずさのD席車窓から甲斐駒ヶ岳を眺めていた。
思いつき、書き記した言葉は、宇野浩二が「山の団十郎」と表現したことがヒントだったのかもしれない。

 

言葉に懐疑的な写真家の友人を思い出しながらも、手元にあった最果タヒの近著に救われた。
「一つの言葉が多くの人の心をつなげ、一つにするなんて、そんなホラーはないだろう。言葉は通じないものだ……でもそれが、人を、ひとりきりのままでも息ができるように、無数の人が行きかうこの場所で、息ができるようにしているのかもしれない」

 

多くの心をつなげるどころか、最も親しい人との間で交わされる言葉とて、通じないことが大半なのではないかって思う。他者を本当に知ることなんてできないし、それこそホラー。
けれど、人の孤独になにかを投げかけることはできるのかもしれないと思うと、文筆業も救われる。

 

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亡父

毎月末の毎日新聞に、連載をしている。
ひとつの山を取り上げ、その山にまつわる自身の経験や思いも加えながら書く読み物であり、極私的な内容になることも。
昨日掲載の、大菩薩嶺。父のことを書かざるを得ない山。

 

親不孝者であった娘は、父が亡くなってから、自営だった彼の仕事の残務処理を慣れないなか半年かけて必死にやるなかで、父の足取りをたどり、彼の仕事ぶりを知った。
社会というものを、少しだけ知った機会でもあり、親はそうやって生き様を子に見せるのか、とも考えた。
取り返しのつかない時間に対して、それが自分の中にあるものであればあるほど、自分でも驚くほどドライに捉えられるときもある。

 

最近取材する父と娘たちを微笑ましく思い出したり、友人と話すなかで、たとえ親は目の前からいなくなっても、それが死別だろうが生木を割くような別れであっても、親は親なんだなと思う、昨日と今日。

 

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大菩薩嶺@「わくわく山歩き」毎日新聞

本日の「わくわく山歩き」@毎日新聞は、大菩薩嶺です。
webはこちら 

 

この連載は、筆者とその山の関わり合いや経験も含んだ軽い読みもので、今回は亡父との思い出をほんの数行書きました。父にとって娘がどんな存在なのかは、永遠にわからないけれど、娘にとって父がどんな存在なのかは、わかるようになってきました。

 

大菩薩は、この季節に歩くのがいちばん好きで、とくに小金沢連嶺へと縦走するときの、富士山と南アルプスの眺望がたまりません。
南アルプスは甲斐駒ヶ岳が手前に見え、南部まで見渡せます。いちばん手前の甲斐駒のことを、これまで「カッコいい」と言ってきたことが、あんまりに軽薄な気がして、甲斐駒に似合う形容詞を考えてみました。
掲載写真は、その眺めです。

 

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2019年11月21日 (木)

竹内洋岳さん、アンカーとスポンサー契約記者会見

昨日は、プロ登山家竹内洋岳さんが、アンカージャパンの記者会見に登壇。スポンサー契約を締結。
今後、ヒマラヤという過酷な条件下でのアンカー製品使用のフィードバック、新製品開発へのアドバイスを担うなどの話がありました。
そして、「プロ登山家」として今後も歩んでいく所存を、私たちに示してくれた機会でもありました。

 

写真の最後の1枚は、同日夜、御徒町で行われた花谷泰広さん企画の会に竹内さんが登壇したもの。20年近く毎年途切れることなくインタビューし続けた先にある、慣れ親しんだ声。何度聞いても、彼の話は心にすっと入ってきて、そして心地よいのです。
そんな竹内さんの魅力については、近いうちに幾つか書かせてもらう予定です。

 

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2019年11月10日 (日)

三頭山@毎日新聞「わくわく山歩き」

10月28日の「わくわく山歩き」@毎日新聞は、東京都と山梨県の境に位置する三頭山でした。
web版はコチラ 
東京でまとまったブナが見られるのは、三頭山と日原川流域。
くわえて三頭山は、カエデの種類も豊富です。
写真は、数年前の11月6日。これから、紅葉・黄葉が綺麗な山です。

 

ブナのことを書こうと思っていたのに、まったく違う話になってしまいました。
いずれまた、旅するブナの山を。

 

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「東北の高校生の富士登山」報告書

夏に、MJリンクで応援参加した「東北の高校生の富士登山」の報告と高校生の感想文集を、応援ツアー参加者宛てにいただいた。
登る前と登り終わってすぐの一言、感想文、俳句や川柳、参加OB/OGのいまの様子も収められていて、読み応えがあった。

 

今年はMJリンクで応援ツアーを作り、8回目にしてやっと、「現場」で応援、参加でき、たいへんたいへん遅まきながら、やってよかったと思っている。感想文や報告書の中味は、とても簡単には紹介できないけれど、こちらが背中を押されるような内容があり、それは現場でも感じていたこと。

 

応援ツアーに参加してくれた美樹さんがfacebookに、「迷っている高校生もったいないぞ、ノボロ―」って書いていたけれど、ホントその通りだ。
東北の高校生、来夏も富士山で会いましょう。
私たちも応援ツアーやります。ぜひ、こちらにもご参加ください!

 

今後に向けて、募金もお願いしています。
・田部井淳子基金 http://junko-tabei.jp/
・東北の高校生の富士登山 http://junko-tabei.jp/fuji

 

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«ボランティアという名の見学

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Information

  • ✾登山ガイドについて✾
    現在、MJリンクのサポーターなどで活動しておりますが、このほかに個人ガイドをご希望の方は、下記「メール送信」をクリックの上、お問い合わせください。2019年6~11月のガイドカレンダーをお送りします。ほか、オーダーメイドも承っておりますので行き先や内容など、ご相談ください。

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