2016年12月 8日 (木)

読んで読んで書いた1週間

読んで読んで、読んで読んで、書いた1週間。
第一弾ではあるが、とりあえず昨晩と今日にかけて校了。少しだけ肩の荷が下りた。
しかしまったく、時間がなかった。たった1週間で(ほかの仕事や予定も並行させながら)、とても書ききれることではなかった。
職業的に書いている者にとっては、さして多い字数ではなかったけれど、内容からみて、まったく時間がなかった。
それでも、雑誌も書籍も、どんどん販売されていくのであって、書き終えなければならない。今回ようにたとえ商業誌でなくても、それでもスケジュールというものがあり、書き上げなければならない。
まったく納得いかないのだけれど、大切な人のことは、一生かけて、年月かけて、書き続ければよいのか……いや、書かせていただこう。
さて、第二弾に向けて、本日から取材開始。

2016年12月 2日 (金)

原稿あれこれ

書きたくない原稿を、書いて月末に送った。
書きたくないというと、依頼してくださった方にも、また私が書き描いた人物に対しても大変失礼である。でも、とても腰が重たかった。書けばまた、あちこちから陰口をたたかれることがわかっている。そんな余計なことを考えると、とても憂鬱な気分になった。
物書きなんて、世間でどう読まれようと、自分の考えを書くしかない。それができないんだったら、こんな職業辞めてしまえって思う。打たれ強くなったはずだけれど、こと身近な人が、陰でどういっているか知ってしまうと、なかなか辛い。
そもそも物書きに限ったことではない。陰口というのは、なぜ本人に言わないのだろう。
先日は、ある友人から、「俺のコト、そんな風に心配していたの?」と尋ねられた。親しい友人を心配することはあっても、ネガティブなことを陰で言ったりはしない。言うのだったら、本人に言う。それが友人だろう。この時は、本人が私に直接言ってくれたから、誤解は解けた(と思う)。こういうとき、友人の率直さ、誠実さに感謝する。

私は、なるべく他人が他人のことをどうこう言うのには左右されないようにしているし、そうしたい。なにかあれば、本人に確認すればいいのだ。

 

だから、先の原稿も、いつも私に率直な物言いをしてくれる人だったら、正直なことを書いても読んでくれるだろうと、心込めて書きあげた。周囲にどう思われるかは関係がなく、率直なことを書くのが、この場合の礼儀だと思ったからだ。
人生の大先輩が言ったな。「人は悪口では死なないよ」と。
さて、今日は最後の2本だ。いいかげん、脱稿をしなければならない。
「そもそも字数設定がよくない」と、編集者に八つ当たりしたくなる。「字数が多い」だの「字数が少ない」などは、職業ライターが言ってはいけないコトだと思うのだけれど。

2016年12月 1日 (木)

LOWAプレスミーティング+ゲルリンデ来日

駆け出しのころからずっとお世話になっているイワタニプリムスさんとの仕事で、ローバーのプレスミーティングをコーディネイト+司会。
24・25日の2日間にわたって、来日中だったローバー社CEOのHr. Werner Riethmann、アジアパシフィック担当のHr. Matthias Preussel、アンバサダーのFr. Gerlinde Kaltenbrunner(8000m峰14座無酸素登頂のオーストリアの登山家)とご一緒した。

来春、ヒマラヤから里山、旅行まで販売モデルを大きく広げるというので、楽しみだ。
また、靴の仕事に就いて半世紀というヴェルナーの話はとても勉強になったし、大学でアジア専攻、マンダリンも話すマティアスのもつアジア観は、ちょっと興味深かった。

さて、プレスミーティングの後半はゲルリンデのトークショー。生い立ちから、ヒマラヤ登山の数々、そして彼女が8000m峰14座の最後に登ったK2について話してくれた。北側のK2が、なんて美しくて圧巻なのか。ジャパニーズクーロワールが、とんでもない迫力だった。そしてそれ以上に心打たれたのは、彼女の真っすぐな心。K2のサミットプッシュでは、何度も「もう無理なのでは」ということが降りかかってくるけれど、ポジティブな姿勢が崩れない。これは日々瞑想することで心のトレーニングをしているとも話していた。それだけではない。ひとり、ふたりと山頂を諦め下山していくチームメイトたちに向ける視線も温かい。

最後に、ゲルリンデの大親友である竹内洋岳さんが登壇。「一緒に登ったのは5座だよ」とふたりとも事前に言っていたけれど、よくよく数えると山頂に至らなかったエクスペディションがさらに5回あり、ふたりは合計10回もヒマラヤ登山を共にしている。それはもう、家族とか親友とかすら超えた間柄。
「ゲルリンデにはいつも怒られていた」と竹内さんが話すと、エベレストの北面7000m地点で意識不明になって竹内さんを看病した時のことを、もう泣きそうな顔になって話すゲルリンデ。怒るのも泣くのも、ゲルリンデの友人への深い愛情なんだなあ。こんな風に喜びを分かち合い、苦しみだけでなく苦(にが)みも分け合うことができるのは、ほんとうに素敵。
“キャタピラー・シンデレラ”と“Mr.コマツ”(←二人のニックネーム)
の再会は、私も嬉しかった。
チームメイトたちが追いつくまで、K2の山頂で15分間、ゲルリンデはたった一人だった。その静寂な時間も、また山を通じて出会った友人たちとの深い絆も、ぜんぶ山からゲルリンデへの素晴らしいプレゼント。

スライドショーの端々からうかがえた、彼女の優しさや自然への慈しみは、著作『Mountains in My Heart』にも表れていて、私も新たな目標ができました!

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2016年11月28日 (月)

久しぶりに味わうカンヅメ

久しぶりに、カンヅメなるものを味わう。
こんなに詰めて、書き続けるのは久しぶりだ、ほんとうに。

20冊近い書籍を読み返し、新聞記事や雑誌記事はとても手におえない量なので、なんとか勘を働かせてこれぞというものを、手に入れる。
台湾では隙間時間で、ともかく聞き取り。

昨晩から少しずつデザインが上がってきた。
久しぶりにご一緒する、大大大ベテランの装丁家さんだ。手書きで引いたデザインが美しく、選ばれた字体が、まさに内容を代弁するような。
いよいよなんだなあと思う。
 
こういうとき、大大大先輩編集者は、強い。
有無を言わさない。誰だって無理だってわかるでしょうというときだって、冷酷にモノを言い渡し続ける。言い渡されているのは、書き手の私。
こういうのって、いまどきの、単にスケジュールが押して冷や冷やで進行させるのとは、まったく異質だ。
 
一緒に書いている彼女に、昨日電話したら、「普段は温和な表情なのに、いざっていうときはすごいんですね、編集のプロ魂をみせられました」と言っていた。
さらには、彼女の原稿が頓挫していることを見透かすかのように、時折、いろんな連絡を入れてくるのだとか。さりげなくプレッシャーをかけているんだな。
私も頓挫しまくりなんだけれど、こちらにはそういう連絡はない。それぞれの性質を見極めて、違う対応をしているのかもしれない。
 
編集者がもつべき能力や性質は色々あるけれど、こういう図太さ、しぶとさもその要素のひとつ。
とても、できませんわ。
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2016年11月24日 (木)

亜熱帯の国から冷え込んだ東京へ

台湾から、冷え込み雪が舞うという東京に戻ってきた。
自宅最寄駅行きのバスではなく、東京駅行きのバスに乗って、北海道から上京中の写真家さんと落ち合う。
ノルウェーを撮って、ノルウェーやクロスカントリースキーについて考えているという話を聞きながら、今後の仕事の相談。

「帰国後すぐに大変ですね、しかも大きな荷物をもったまま」とか周囲からは言われたけれど、打ち合わせ時間入れて合計2時間ほど遠回りしただけ。こういう風に時間を使った方が、人と会いやすいし、集中して話もできる。
とくに遠く離れたところに住む相手とは、ポイントのところで会って話しておけば、あとはメールや電話でのやり取りでもコミュニケーションがスムーズになる。反対に、これを怠ってしまうと、うまくコトが運ばないときもあったりする。


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2016年11月19日 (土)

アバランチナイト・スペシャルへ

昨晩(11月18日)は、日本雪崩ネットワーク(JAN)の「アバランチナイト(AN)・スペシャル大町」(JAN+長野県山岳総合センター共催、白馬村観光局後援)へ。長野県内の雪山シーズンの事故データ(雪崩に限らず)を紐解いたり、例年のアバランチナイト同様、昨シーズンの事故事例を紹介したり、の基礎知識をレクチャーしたり。
シーズンが始まる前の確認になった。

ANやミニANはこの後も、各地で開催。
明日は、早稲田大学で「第2回 雪崩リスクを考える学生の会」(参加申し込みは締め切り)。

*アバランチナイト(AN)
http://www.nadare.jp/news/an2017/
*ミニ・アバランチナイト
http://www.nadare.jp/news/minian2017/
*第2回 雪崩リスクを考える学生の会
http://www.nadare.jp/news/gakusei_risk/
*日本雪崩ネットワーク/トップページ ←雪の掲示板が始まった
http://www.nadare.jp/

登山時報インタビュー

『登山時報』12月号の「ひと」に、インタビューを載せてもらいました。

インタビュアーは、演劇から登山に転身して間もないという渡辺明さん。
とっても丁寧にインタビューしてくれ、いつもする側からされる側になり、勉強にもなりました。亡父との小さな思い出話を書いてくれたり、渡辺さんらしい細やかな記事に仕上げてくれて、感謝。
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2016年11月15日 (火)

『山と溪谷』12月号/映画『MERU/メルー』~人生をかけて山を登ること

本日発売の『山と溪谷』12月号の巻頭記事に映画『MERU/メルー』(12/31公開)の紹介ニュース、後半のモノクロページに映画を観る手引きとなるように「人生をかけて山を登ること」という文章を書いた。
大学に入って、映画好きの一卵双生児と付き合うようになり、映画館に通った。
それから30年経って、映画に過度な期待をしないようになった。なんとなくアンテナに引っかかる映画を観に行き、ほわんとなにかが心に残ったり、涙流したり、チンプンカンプンなんだかわからないまま映画館を出たり、後々になってふと思い起こしたり、色々。映画ってそういうものかなあと思うし、映画館でいい時間を過ごせれば、それがいいのではないかって思う。

この記事を書いていて面白かったこと、発見したことがいくつかある。

・登攀倶楽部求道心のメルー北東壁遭難記事(朝日新聞)の内容と、それに対して公開質問状を送った人がいること。その一人が、なんと大学の先輩だった。

・メルー北東壁初登攀のババノフは、江本悠滋さんのENSA同期であり、エピーソドを聞かせてもらった。

・「シャークスフィン」と誰が名付けたのかわからずにいたけれど、山野井泰史さんに電話してみたら、あっけなく答えが返ってきた。

・『Alpinist』にメルーの特集があることを教えてもらい読むと、「A FINE LINE」という興味深いリストがあったり、チャトウィンの一節が引用されたリードがあったり、いつもながら素晴らしい作りの雑誌だなあと感心。いったいいつか、なにかについて自分もこんな記事が作れるようになるのだろうか、と思った。

・シャークスフィンがなにゆえにクライマーの心をひきつけたのか、なんとなく感じた。おまけに、2006年12月の馬目さんらの報告会@原宿TNFに、ちゃんと行っていたことを、昔の自分のブログで思い出した。

上手に取材を進められず、不甲斐ないことが続き申し訳ありませんでした。ご協力いただいた皆さんに心から感謝します。
書き手が言うのもなんですが、私自身は取材相手からいただいたある言葉尻に小さなニュアンスが表れているようで、好きです。「やった、こんな言葉を聞かせてもらった!」と。相手が、インタビュアーの私に気持ちを向けてくれたっていう瞬間は、冥利に尽きる。

それにしても、コンラッド・アンカーはかっこよかった。どんな思い込みだろうと、かっこいいなあって思った!

facebook特設ページに、過分な褒め言葉をいただきました。

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2016年11月14日 (月)

『現代用語の基礎知識2017』【登山】執筆

『現代用語の基礎知識2017』が出版になりました。
表紙は小型版(白地)も大字版(赤地)も、くまモン。

【登山】という項目は2014年版に初めて設けられ、以来執筆に関わってきました。去年まではコラムを田部井淳子さんが、用語解説を私が担当しましたが、今年は両方とも私が執筆し、田部井さんは監修として参加してくださいました。
個人的にいえば、長年仕事をご一緒した亡き田部井さんと、最後に共にした仕事のひとつです。

『現代用語の基礎知識』は、私たちが日ごろニュース(新聞、テレビなど)に接する際に、そのモノゴトを正しく理解するための一助となることを目的としています。ゆえに、ニュースを読み解くために理解しておきたい用語が掲載されます。
【登山】でいえば、たとえば「山の日」「フリークライミング」「山岳保険」「山岳ガイド」「バックカントリースキー」など。

ただ、もしいくら正確に真っ当にニュースに取り上げられる用語、ニュースを理解する助けになる用語を解説できたとしても(それは簡単なことではありませんが)、報道の内容やマスメディアの姿勢が真っ当でなければ、あまり意味がないかもしれません。
登山というと、遭難事故に報道が偏っていることや、またその際に事実に即した報道がされているのかどうか私なりに疑問をもつこともあります。
そのあたりから、書き手としては考えるべきだと思いながらも、何ができるのか途方に暮れてしまうっていうのも、じつのところ正直な気持ちです。

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2016年11月13日 (日)

いつも訪ねるところ

何度も訪れる街であっても、知らないことばかり。
だから、カトマンズに住む人たち(ネパール人、日本人を含む外国人)と話をするのは、面白い。
今回の滞在中にどこに行っても話題になったのが、カトマンズでのキリスト教の広まり、現政権の堕落、物価の上昇だ。

最終日に、20年来お世話になっているH.トラチャンのお宅へ行った。
毎回というわけにはいかないのだけれど、時間が許す限り、カトマンズを訪れた際には、会いに行く。お世話になりっぱなしなので、「元気にやっています」という姿を見せにいくのが、私の気持ちなのだけれど、いつもなにがしかの知恵や知識、勇気を授けてくれる。
今回は、話の流れで、自分の身の上話をすることになったら、「あら、そんなプライベートをもっていたの、知らなかったわよ」と、笑いながら言われた。そういえば、20年お付き合いしていても、自分の私生活を語ったことはなかったかもしれない。
そんなことがあると、彼女の家族の話も話題にあがり、長女が帰国して、ネパールで仕事を始めたことを知ることができ、なんだか嬉しかった。

旅の最中にわからなかったことや、疑問に思ったこと、不思議に思ったことがあると、大概私は、H.トラチャンに話す。そうすると彼女は、それについて解説してくれる。
今回は、宗教の話がとても興味深かった。
なにかの専門家というわけではないけれど、ひとつのことにしっかりと根を張っている人は、そのフレームをもって、物事を語ることができるんだなあと思った。

そんな彼女の家からホテルに帰るタクシーのなかで、めずらしことがあった。
たまたまつかまえたタクシーが、こぎれいな車内と身なりが清潔な運転手さんで、これはラッキーと思ったところ、道中色んな話ができたのだ。夕方の渋滞もあり、ホテルまで30分ぐらいかかる中、ネパール人と日本人の味覚の違い、幸せとは何ぞや、ということなど。互いに母語ではない英語で話すので、そう深くは話せないのだけれど、とても面白く、あっという間だった。
こんな出来事もなんだか、H.トラチャンがプレゼントしてくれた時間のように思えたりする。

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2016年11月 7日 (月)

ポレンタ、その続き

今朝も、ポレンタ。
またクレープに巻いて食べてみた。
マークは相変わらず、はちみつをかけながらおかわりしている。
ベルリナーのヴィルマは、ポレンタの上にフルーツサラダ(パパイヤ、リンゴ、イチジク)を載せて、食べ始めた。
自由だなー、ポレンタ。

夕方になってやっと、厨房でコックのプロショタムに会えた。
いろんな料理のレシピを教えてもらったり、夕食の料理を見せてもらったり、楽しい時間を過ごしたあと、ポレンタについて質問してみた。
すると、ネパールでも山間部ではポピュラーな料理だという。
ネパール語の「チャンクラ」という言葉を聞いて、ああ!と思いついた。彼は「hillside」と表現していたけれど、2000m前後の山岳地帯を旅していたときは、たしかにときどき食べていた。
ネパール語のchyaの音をうまく発音できず、カタカナ表記が適当か自信はないが、チャンクラと言われれば、ああ、あの料理ね!と思い出す。そうか、チャンクラがポレンタだったのか。

同じ野菜や穀物、魚、肉が採れる地域では、それぞれの地域色のある料理もある一方で、遠く離れた土地にも同じような料理もあったりする。
だから、世界って面白いな。

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2016年11月 5日 (土)

ポレンタあちこち

朝食のメニューカードに、「POLENTA」とあった。
キター、ポレンタだ。

6月にイタリアの山に登ったとき、下の山小屋で同行の方が昼食にオーダーしていたのがポレンタ。聞いたことも食べたこともなかく、初めてみたけれど、あとあと知るに南ヨーロッパや東ヨーロッパではポピュラーな料理であり、ことイタリアの山岳地域では名物料理のようだった。

ポレンタを注文した彼は、かつて南米の山に通っていた時に、クライミングパートナーの友人がよく作ってくれて、それが美味しかったと話していた。しかし、出てきたそれは、どうも友人が作ってくれたものとは少々違うようでもあった。
そのパートナーというのは、私もかつて一度だけ原稿依頼をしたことがあり、また彼の死後、何度か取材を重ねたことがあった。その彼の得意料理ポレンタということで、どんな味なんだろうと、心の底では興味深々だった。
そんな下心がばれたのか、一口分けてくれた。
トウモロコシの粉をおかゆのようにして、(このお皿の場合)チーズをのせて焼いたもので、まんなかにローズマリーがちょこんと載っていた。とてもシンプルで味わい深かった。美味しいけれど、一皿食べるのはちょっと飽きそうだなあと、自分がリゾットを頼んだことは、やっぱり正解だったと、これまた心のなかで思った。

そんなポレンタと再会。はたして、ネパールのポレンタはどんな味なんだろう? と口にすると、メニューカードから想像できる通りの味だった。岩塩がほんの少しだけ効いているけれど、ほとんど味はしない。私は、一緒に出されていた(クレープのような)パンケーキ(とメニューカードに書いてあった)に載せて、クルクルと巻いて食べてみた。
隣のマークが微笑みながら蜂蜜の瓶を取ってくれた。これをかけろってコトかしら。たしかになにか味を付けたほうがよさそう。

そんな朝食が終わってから、ポレンタをおかわりして食べていたマークに尋ねてみた。彼は、昨日来たポーランド人。優しい微笑みを絶やさない人で、かけてくれる言葉のひとつひとつが親切心にみちていて、こんな人ならば、遠慮なく聞いても答えてくれそうだと思ったのだ。つたない英語でも。

はたしてマークが言うには、ポーランドではほとんど食べないけれど、南ヨーロッパではポピュラーだよと。そして、味付けはチーズだったり、塩コショウだったり、スパイスだったり、肉料理の付け合わせになりそのソースと一緒に食べたり、そのときどき、と。
マークのお好みのポレンタを聞くと、塩味でシンプルに作ったあとに型に入れて冷やす。その後にスライスして、なにがしかのチーズ(ブルーチーズがベストらしい)を載せて焼いたのが、美味しかったと。
写真がないので、もはやその冷やしてスライスしたポレンタというのは、私のアタマのなかでは栗の水ようかんのような形状だけれど、家に帰ったら、やってみよう。
旅先で覚えた料理、味わった料理って、心に残るものだ。

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2016年11月 2日 (水)

時間の約束

これぞヒマラヤの秋、というような素晴らしいマウンテンフライトで、カトマンズに入ったのが一昨日。あの山、この山と眺めながら、この秋に友人が登った山も、機窓からは小さくしか見えない山並みのどこかにあるんだろうな、と目をこらしてみた。

一日だけでも会えてよかったと、入れ違いで帰国する友人を見送ってから、もうひとりの友人と、「昼ご飯でも一緒に食べましょうか」と約束。
のんびりテンポのカトマンズだからこそ、ゆっくりと話ができるというもの。東京に帰ったら、忙殺の日々、なかなか会うこともできない。
「倉庫に入って、登山道具の整理をしてくるね」という友人と、「ホテルに戻って、チェックアウトしてくる」という私。
つい間違ったコトを言ってしまった。「何時ごろに、待ち合わせる?」と。
友人は、「カトマンズで時間を聞かれてもねえ」とうなった。

もっともだ。互いの用事を済ませて、ココに戻ってくればよいだけの話である。

 

1日にやるべきことは、ひとつだけ。1日に入れる約束もひとつだけ。これが、カトマンズでのマイルールだった。それ以上よくばっても、ぜったいうまくいかない。郷に入れば郷に従え。その土地のテンポに合わせるのだ。

けれど近年、カトマンズもちょいと忙しい街になり、私たち旅行者がふつうの持っているツールも変わり(Wi-Fiを拾えるスマホだったり、現地のシムが入った携帯電話だったり)、なんだか、慌ただしく過ごすようになってしまった。
それで、ついつい「何時にする?」とせかすようなセリフをはいてしまったのだ。野暮なことだ。

けっきょく、この場に戻ってきたのは、私がいちばん遅く、友人は何も言わずに待っていてくれた。

ティハールでほとんどの店が閉まっているので、ホテルのレストランへ。ここもスタッフが出払っているので、「注文しても、時間がかかる」と言われながら、結局はいつもと同じぐらいだけ待って、ダルバートを。
ちょっと忙しい街に変わったけれど、でもやっぱりカトマンズで話すことは、なんだかほのぼのしていて、いつもより冗談も多くなり、笑いもたくさん。
そしてじつはリアル。互いのそれぞれの核心をついていたりする。

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2016年11月 1日 (火)

里帰り

里帰り。
トリブバン空港でビザを取ろうとして、写真を忘れしまったと思ったけれど、申請書を入力して写真まで撮れちゃうマシーンが導入されていた。5台中2台は動いていたから、ヨシ。


下山してきた友人ふたりに会って、それぞれの山の話を。帰国してから聞くよりも、ずっとフレッシュで彼らもフラットで、いい時間だった。目がひっくり返りそうなほどの私の眠気にて、深夜解散。
タケさんの関西弁ギャクを聞いて大笑いし、O夫妻と「寂しくなったね」と偲ぶ。

今朝は、“カタを届ける旅”(ラジンパットの宿からスワヤンブナートへのジョギング)でスタート。1年前、下山してカトマンズに戻った日から始め、毎日笑ったり、大人とは思えないほど大泣きしながら走った道。1年たっても、ちっとも成長していない自分を確認。

ところで、いまネパールはティハールの真っ最中。最近は山のなかで迎えていて、カトマンズのティハールは20年ぶりか。街中が、ハロウィンかってほどの大騒ぎぶり。私の知っていたティハールは、蝋燭が灯る静かで美しいお祭りだったのだけれど。
今日はティハール最終日。「一緒に祝おう」と、Dr.Kが言ってくれたので、1日早いけれど出発。

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2016年10月23日 (日)

悲しみと喪失感

天からの采配としか思えなかった、と友人が言った。
こんな夜、もっとも一緒に過ごしたい友人と、たまたま夕食を共にする約束を、前々からしていた。
私は山から下りて、友人が山で知り合ったという女性がカウンターに立つワインバーへ向かった。初台の洒落た店ながら、店主も山ヤというのであれば、許されるだろう恰好。

おかげで、ひとりで落ち込んだり、足元が揺らいだりすることなく夜を送ることができた。

日が明けて、自分が想像していた以上の、悲しみと喪失感のなかに自分がいることをうっすらと理解しながらも、人間というのは、ひとりでは悲しめないのだということを知った。
もっとも甘えられる相手から、電話が入ったとき、初めて涙があふれ、泣きじゃくった。
泣きじゃくれる相手がいないと、人間って、泣くこともできないんだって、知った。
 
だったら、私よりもはるかに深い悲しみと喪失感を味わい、孤独の淵にあるだろう彼女のところに、いてあげたいなあと思い、思い切って電話をしてみた。

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2016年10月21日 (金)

ひとの気配

まさかのことだったが、旅先で寝込んだ。
北アルプスから、立山、富山の仕事へ、そして再び信州に戻ってきたときのことだった。

なんの前触れもなく(本人は自覚できないまま)、朝起きたら、絶不調。
友人と波乗りに行く約束だったけれど、吊るしが見つけられず、キャンセルした矢先だった。予定していた糸魚川のスポットにスープがないことに愕然としていたが、それよりも何よりも、富山中のサーフショップにかけあっても、吊るしの在庫がなく、ウェットの買い替えができなかった。スープよりも吊るしがないことが問題。
それで、すこしだけ寝坊して起きたら、絶不調。

「おはよう」と友人に言われて、「ものすごく調子が悪い」と、正直に言わざるを得なかった。
朝ご飯も食べられず、そのまま布団に戻った。
「ごめんね、なんだか今日はあわただしい日で」と、友人。その日はイベントがあり、準備で大忙しだったのだ。「こんななか寝ていたら、落ち着かないでしょう」と言われたけれど、友人の声と、そして集まってきたほかの友人たちの声がだんだんと耳遠くなっていった。窓の向こうに秋晴れの白馬三山が見渡せて、いつまでも眺めていたい気持ちだったけれど、気怠さと眠気にはかなわなかった。
すこし経ち目を覚まし、もうひとりの友人カップル宅に引っ越し。
そこでも、延々と眠り続けた。昼過ぎ、カップルのうちの彼の方が帰ってきて、「大丈夫? 何か食べたい?」と聞いてくれたが、布団からガバっと起き上がり、「ありがとう、何も食べられない」と一言言い残して、また眠り続けた。友人が自分の昼ご飯を作っている気配を感じる横で。

旅先なので早くに治した方がよいと考え、夕方には病院へ行った。まさかの点滴になり、ふらふらしながら友人宅に戻ると、
枕元にテルモスに入ったお湯やスープやお茶やはちみつなどがセットされた小さなテーブルがあった。
今日は忙しい日だったはずなのに、隙間時間に準備しておいてくれたんだなあって思うと、とてもありがたかった。

「ばたばたしていて、ゆっくり寝られないでしょう」と言うけれど、人の気配がするところで、安心して深く寝入ることができるのが、どんなにありがたいことか。
「慰安旅行になったね」と笑う友人には、こんなに迷惑かけておいて、自分から「慰安旅行」とは言えないけれど、思いやりのある温かい一言だった。

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武蔵野市山岳連盟創立60周年記念

10/15は、武蔵野市山岳連盟創立60周年記念にご招待いただき、講演をしました。
タイトルは「山から山へつなぐ愉しみ」。やっと秋空がやってきました!あちこちの山を眺めては、次はあの山並みを繋いでみたいと思ったり、地形図を見て興味をもったり、山名に惹かれたり、人に誘われたり、登るきっかけは色々。
私の仕事も同じ。「シェルパ」は私の仕事のなかでも大切な存在です。書く仕事を始めるきっかけになった出来事、その後じわじわと続けていたこと、一昨年昨年のいろんな出会いなども話しました。
いつもギリギリのところで仕事をしてきたけれど、振り返ると細々ながら1本の線でつながっている……、いや途切れ途切れの破線か。
 
と、私の話などよりも、当日は驚いたコトが多々ありました!
 
登壇して話し始めると。なんと客席のど真ん中に、金邦夫さん(元東京都山岳救助隊隊長)が。いつものお顔で口を一の字に結び、目だけ笑っていた。
話を進めながら、客席のあちこちに目をやると、山岳写真家の三宅修さん、そして栗栖茜さんが。
栗栖さんは医師であり翻訳家。彼が訳した『低体温症と凍傷』は、1989年の出版。山岳部の誰かが買ってきたのを読んだのを覚えている。
三宅さんとも講演後に話す機会があった。日本山岳写真家集団を立ち上げたときの思い、アルプでの出来事の数々、串田孫一さんとの交流、信念のある仕事を貫いている方の話に、陳腐な言葉だけれど心が動かされた。三宅さんにはどうしてももうひとつお聞きしたいことがあったのだけれど、時間切れ。
 
ほかにも、山の大々先輩たち(山岳ガイド、登山家の方々など)が多数来場。みな、武蔵野市山岳連盟の講師や応援団とのこと。市民登山教室が盛んであり、その教室を終えた受講生同士で山岳会を作ってきた歴史があること、登山の大先輩たちが関わっていることを、この度知った。
祖母の家があり、小さいころからよく遊びに行っていた武蔵境、いまでも親戚ふた家族が住んでいて、大切に思っている土地が、こんなに登山が盛んだったとは、知らず。
写真は、ある女性が「あの写真よかったね、ウチの子 も山の写真を撮っているのよ」と話しかけてくれたもの。
テンカンポチェの肩に三日月。
山を撮る写真家なんてそう多くはないはずなので、お名前を伺ったところ、なんと、私の好きな写真家さんだった。以前は登山家のポートレートを撮っていたけれど、しばらく写真を見ないなあと思っていたら、最近はヨセミテの作品をよく見る。20年近く前から作品を見ているので同世代かと思っていたら、40歳と。
「ウチの子とあなた、考えていることが似ているわよ」と言われ、それはおそれ多いと思ったところ、「地味だもん、ふたりとも」と。いつか、会えるのかもしれない。

とても、貴重な機会をいただきました。

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東日本女性登山交流集会@立山

10月9日、日本勤労者山岳連盟の「東日本女性登山交流集会」@立山、に呼んでいただき、講演をしてきた。

講演の準備をするなかで、2007年(すでに9年も前のことになる)の『岳人』10月号の第1特集「心とカラダと山登り 女性よもっと山へ」を作ったときのことを思い出し、ページをめくり、講演でもこの記事の紹介をした。
編集者がつけてくれたものだけれど、随分時代がかったタイトルだったなあと思い、そのことをFacebookに書いたところ、「時代が必要としていたということではないでしょうか」とコメントをいただいた。たしかに、そうなのかもしれない。
当時、企画から編集部に持ち込んだものであったけれど、それにはふたつのきっかけがあった。
ひとつは、プロのウィンドサーファーである佐藤素子さん が、風の島マウイのホキーパで開催されたハワイプロとアロハクラシックで優勝したことを、TV「情熱大陸」でやっていた感動したことがきっかけだ。日本人の彼女がホキーパの女王になったことに感動しただけでなく(現地の新聞記事の見出しは、「御前崎ガールがホキーパクイーンになった」だったそう)、歳を重ねても、妊娠や出産、子育てを経験しながらも、好きなことをやり続ける勇気に、心が動かされたのだった。
それよりも前に、海のオールラウンダーであり、海に関することを書き、「海と雪山の友達は世界一多い」って言われる岡崎友子さん と知り合っていたことも、こんな番組に目をやるきっかけになっていたのではないかと、思っている。

調べていくと、登山よりもクライミングよりもはるかにマイナーであろうウィンドサーフィンでは、日本人女性の層がとても厚いように見えた。素子さんや友子さんらトップの人たちだけでなく、趣味でウィンドをやっている人たちも。
サクラキャンプというガールズキャンプもあった。当時、クライミングのガールズキャンプなんてなかったし、その少し後に、上原あずささんがSNOW DIVAというテレマークスキーのガールズキャンプを開催したことが、私には衝撃的だったのだけれど。
また、妊娠出産、出産後の女性の体調変化を支える、看護師や助産師もいることも知った。
もうひとつのきっかけは、平山越子さんら、周囲に、子どもを産んでもクライミングを続けて行く女性が少しずつ増えてきたことだ。いや、えっちゃん達よりも上の世代にもそういうお母さんクライマー、お父さんクライマーは何人もいたのだけれど。

女性は(女性も男性も)身体的変化、メンタル、いろんなことを人生それぞれのステージで迎える。身体の変化については、女性の方がダイナミックかもしれない。
それぞれのステージで、好きなことを続けていける、いこうと思える社会であればいいなあ、というのがこの雑誌を作る思いだった。
医師、看護師には身体的変化に関するアドバイスを書いてもらい、いくつかの家族に登場してもらったり、ミック・ファウラーに家族と仕事と山のバランスについて原稿を書いてもらったり、お父さんクライマーたちの座談会をしたりした。
つまるところ、女性だけの問題ではなく、男性にも大いに関係のあること。
女性がひとりで解決しようとしても、そこには無理があって、パートナーや家族、友人たちとの関係があってこそのこと。
 
話は講演会から大きくそれたが、女性の登山についても、「女性」というキーワードだけで語るのではなく、また女性だけが集まって何かを論じ合うのではなく、女性も男性も隔てることなく、互いのことを語り合えるようになってはじめて、いろんなことが健全に動き出すんだろうなあと思った。
 
そして、友子さんから嬉しい報せが届いた。
素子さんが、あの時以来、久しぶりに単身マウイに渡り(毎年、家族でマウイに通っていたが、ふたりの子供も少し大きくなったためか)、ハワイプロに参戦するのだという。2004年の優勝から、じつに12年ぶり。たゆまずずっとウィンドを続けてきた素子さんらしいのだなあと、感慨深く思った。
 
『岳人』2007年10月号は、古本屋やwebではまだ入手できるかもしれません。
よかったら、ぜひご覧ください。
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2016年10月 2日 (日)

テープ起こしは自分の手で

インタビューが重なっていくと、自分だけでテープ起こしをしていくのが間に合わなり、知人に依頼することがある。もちろん、とても信頼している知人だ。
今月5人分のインタビューがあり、少々あえいでいた。1人あたり2~3時間。合計15時間近いわけだ。
どうにも身動きが取れなくなり、いつもの仕事仲間に依頼したテープがある。
けれど、最低でも2本だけは自分の手で起こすことにした。

今日、ある同業者のFacebookを読んでいた、ハッとした。ハッとしたというか、やっぱりテープ起こしは自分でやるのが一番よいと再認識した。
その彼も、インタビューをしてから執筆まで、テープを何度も聞きなおしたと書いていたのだ。

ときにはインタビューは聞きなおすものであり、それで理解が深まる。
テープ起こしをして、タイピングされた文章を読み返してもよいのだが、インタビュイーの声で、語り口で聞きなおすと、ぐっと距離感が縮まるように思う。生の声を聞くのだから、そこに感情の機微を読み取ったり、心情や精神性を感じるコトもアリ、生身の人間である相手を理解するようになる、と思う。

手元に、同じ山について語ったテープが3本。
ぐいぐい話す人もいれば、いつもの語り口で嬉しそうに照れながら話す人もいる。思いのほか、話が弾んでいるかもしれない、と淡い思いになる。
かといえば、いったいこんな間の抜けたテンポで、よくぞ辛抱強く最後まで付き合ってくれたと……ただただ首を垂れるしかない録音もある。しかし、そんな録音でも、インタビュイーの話す言葉が本物であれば、聞きごたえがあり、するめをしゃぶるかの如く(このたとえは余計か)、繰り返し聞けば聞くほど味わい深くなっていく。また一段階、相手を理解するようになっていく。
そして、自分のアタマのなかで、話が広がり、もっと調べなければと本棚に目をやるのだった。

そんな自分の作業を振り返ると、テープ起こしを依頼した分についても、仕上がってきたら、一度自分の耳でテープを聞きなおそうと思った。

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2016年9月29日 (木)

トレイルランナー/サンゲ・シェルパのトークライブ開催!

9/27に「さかいやスポーツ」にて、UTMF総合9位のトレイルランナー、サンゲ・シェルパをお招きしてトークライブを開催し、私はインタビュアーを務めさせてもらった。
サンゲはその名の通りシェルパ族。東ネパールのタプレジュンという村から(ここまではバスが通じる)4-6時間山道を歩いた先にある山村トゥキマで生まれ育った。いまは、パリから電車で2時間の街に住んでいる。


トークライブでは、今年のレースの様子、サンゲがどのようにしてトレイルランニングと出会い、いまのようなトップ選手になっていったか、そして故郷ネパールでの生活やフランスに渡るまでのことを話してもらった。


村では、小学校は片道
5キロ、中学校は10キロかけて通っていた。モンスーンになると川が増水し危険で、通えない日もあった。こんな道のりを歩いたことや、学校から帰ったあとに家の手伝いをしていたこと(ゾプキョの放牧や沢への水汲みなど)が、トレイルランナーとしての身体を作る基盤となったのかもしれない、と話していた。

フランスに渡った現在、どんな食生活やトレーニングをしているのか、という会場からの質問には、「週に3回はネパール料理を自分で作って食べる。日常のトレーニングはしないが、年間のレーススケジュールを立てて、その年の目標のレースに向けて、いくつか練習となるようなレースを組んでいく」と。

ネパール料理とは、ダルバートやモモなど。サンゲは「なるべく米を主食としている」と強調していた。パンやパスタ(小麦粉)ではない、ということだろう。

生まれ育った時の食事が、やっぱり一番合っているのかもしれない。


ところでサンゲは、姉妹
5人と男の子ひとりだったため、早くから家を継ぐことを言われ、お見合いでお嫁さんをもらわなければならなかった。けれど、一生山村で暮らすことはできない、もっと世界をみたいと、カトマンズへ飛び出ていく。

そして、トレッキングポーターの仕事をしながら、お客様からフランス語を学ぶ。

先のFacebookで紹介したように音楽が得意だったり、またタンカ(仏画)を描いたりするが、タンカは小さなときからゴンパ(チベット仏教の寺)で観ていて興味があり、カトマンズに出た時に工房を見つけて、手法を習ったそうだ。いまではサンゲの描くタンカは、売り物にもなっている。

フランス語は、やがて学校にも通うようになり、そこで奨学金を得て、フランスへ渡る。

サンゲは、「僕が学校に通えたのは親のおかげ。ネパールでは教育を受けられない人も多く、それは親の考え方や経済状態次第」という。けれど、その恵まれた環境を活かして、一所懸命学んだのはサンゲ自身でもある。


「若いころに故郷を出て、いまはフランスで暮らしている(フランスで結婚し、子ども2人の4人家族)。失業率も高い異国で仕事を得て暮らしていくのは大変なこともたくさんある。けれどいまだからこそ、故郷に恩返しができる」と、「カンチェンジュンガ協会」を立ち」上げた。

カンチェンジュンガとは、サンゲの村からもよく見える8586mの秀峰だ。

協会では、村の小学校に文具やコンピューターを送ったり、壊れたトイレを直したりした。昨年の地震で校舎の修繕も必要となったので、この先はそれも行っていきたいと話していた。「自然条件の厳しい山村で生活していくには、互いに助け合うのが当たり前だった。だからいまは遠くフランスで暮らしているけれど、生まれ育った村のために尽力するのは当然」と話していた。


私は、
UTMFから東京へと約3日間をサンゲと一緒に過ごした。思いやりがありチャーミングな人柄で、私の心までが温かくなった。

昨日サンゲが、シャルルドゴールの空港に着き電車の待ち時間に「もうすでに、みんなのことが恋しいよ、日本が恋しいよ」とメッセージをくれたが、私も振り返ると、あの3日間が、ほわんとしたとっても優しい時間だったと思い出される。それはやっぱりサンゲの人としての魅力によるもの。


こういった品格や知性というのは、いったいどうやって人は身に着けるのだろう。学校に通うことはできた、といえどもネパールはいまでも最貧国のひとつである。けっして十分な教育を受けたとはいいがたい。育った環境もとても厳しいものだった。けれど、そんなことは人を形作るのに関係がないのだと思う。

サンゲと友情を深め、今年はAdventure Divasの招待選手としたポーリン+ハリー夫妻には、ほんとうに感謝したい。

トークライブ中の写真が手元にないので、サンゲを囲んだスタッフの写真を載せます。

ご来場いただいた皆さん、ありがとうございました。

*サンゲの奏でる笛は、ココココで聴くことができます。

 
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2016年9月26日 (月)

湿っぽい朝

遠方日帰り仕事のため、5時半ごろ家を出て、駅に向かって歩き始めた。
昨日のからっとした空気がうそのように、湿気に帯び、ぬる温かい朝だった。
乾いた秋がやってくるかと思ったけれど、今朝は気温も上がっていて、季節が逆戻りしたような、秋が戸惑いをみせてまだやってきてくれないような、そんな感じ。

大通りを歩きながら、旅先の街のことを思い出した。
旅先について思い出すのは、たいがい、その季節に旅したことがあるからだ。
そういえば、こんな季節のときに、こんな肌触りの風が吹くときに、こんな空模様のときに、気温のときに、旅に出発したようなあ、と。

しかし今日は違った。私の住む東京の端っこにある街が、中国四川省の省都である成都に似ているなあと思ったのだ。湿潤といえば聞こえはいいが、一年を通してじめっとしていて、あの肌にまとわりつくような空気が、今朝の大通りにはあった。世界規模で気候変動があるのだから、そんなことがあってもおかしくはないが。

そんなことを考えながら駅に到着。
そして新幹線に乗っところで、近所に住むクライマーさんからお便りがひとつ。
「今朝は、川面から濃い霧があがっていて幻想的でした」と。そうか、この空気感は川面からやってきたものだったのか。であれば、川に囲まれた成都と似ているのも合点。

私の住む街は、大きな2本の川が海に注がれるところにある。
成都に海はないけれど、川に囲まれた土地という点では、共通するものがあったんだな。
初めて四川へ旅して13年も経って、ようやく気付いた。

 

追記*
そんな風に四川を思い出した日にかぎって、成都に住む親しい友人からWeChatが入った。中国の友人はLINEでもMessengerでもなく、WeChat。
私も知り合いの日本のクライマーふたりが、チベットの未踏峰を登り終えたあと、成都に戻ってきたと、彼らの写真入りで、「みんな元気だよ」と。
まるでもわっとした空気が伝わってきそうな、写真だった。
写真は不思議だな。平面的な画像なのだけれど、その場の熱気(自然環境も、そこに写っている人が持っている熱量も)まで伝わってくる。しかしそれも、ひょっとしたら写真を見る個人が持っている過去の体験がベースにあり、そこから湧き上がってくる感覚なのかもしれない。


そういえば、9月の成都はまだまだ蒸し暑くて、だから友人兄弟は毎晩のように、「今晩はカエル鍋だ」「今晩もカエルを食べに行こう」と、私を誘い出していた。
辛いだけでなく味わい深く痺れもある四川風の真っ赤な鍋に、カエルがにょきにょきと浮いている。たしかに美味しいのだけれど、毎晩食べるのは、ちょっとくたびれた。

2016年9月25日 (日)

サンゲ・シェルパに会ってきました@UTMF

Adventure Divasの招待選手であるサンゲ・シェルパに会いに、ウルトラトレイル・マウントフジの会場へ。ところがサンゲが出走したUTMFが荒天により、約165キロのコースが49キロに短縮され、私が会場に到着する前に(とっくに)ゴール。しかし、UTMF参加者が希望すれば、STY(71キロ)の出走もできるということになり、サンゲも「ふたつもレースに出られるなんて、幸せだよ!」と今日昼過ぎ、笑顔でふたつめのレースに旅立っていった。

 バケツをひっくり返したような雨と雷のなかのスタートを応援にいき、その後、AVIDの方々にお世話になって、A7山中湖きららのエイドステーションに入った。結局、STYも荒天が理由で中止になり、トップ選手をはじめサンゲも、A7で足を留められることに。思いがけなく、サンゲのゴールを迎えることができた。

 

短い時間だったけれど、エイドステーションの豚汁をすすりながら、雨で冷え切ったからだをストーブで温めながら、クルマで宿に戻るなか、サンゲと話をした。

 東ネパールに生まれ育ったこと、フランスへ渡ったこと、なぜトレイルランニングに惹きこまれたか、その原体験、故郷への思いなど。

サンゲはある日本の登山家が好きなのだそう。だから、日本に来るとその登山家のことを思い出すと。その話ぶりに、彼の優しさがにじみ出ていた。

 

927日のサンゲのトークライブでは、ネパールこと、フランスのこと、サンゲがライフワークとしている「カンチェンジュンガ基金」(故郷の小学校に教材を送るプロジェクト)のことなどなど、語ってもらいます。もちろん、トレイルランニングや山、自然への思いも。

 

皆がいうように、ほんとうに気持ちいい人でした。朗らかで、前向き。周囲の人たちへの思いやりにあふれていて、いつも笑っている。

 今回の度重なるレース変更についても、「スタッフたちは重大な決断をするのに、ものすごくたいへんな思いをしたはず。人員配置も予算も何もかも変更しながら、僕たちランナーを走らせるために、がんばってくれた。とってもありがたい」と話していた。

 ポジティブで生命力あふれていて、力強いサンゲはものすごく優しい心の持ち主でした。ぜひ、サンゲの話を聞きにきてください!

 


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27日火曜日  20:00 受付 (20:15 開場) ~ 22:00 終了 

 神田神保町・さかいやスポーツ シューズ館  http://www.sakaiya.com/wp/shopinfo

 参加費: 1,000円 (税込)

インタビュアー: 柏澄子

サンゲ・シェルパ

  https://www.facebook.com/Sange-Sherpa-456633117866822/

 http://www.adventure-divas.com/tours-events/avid/サンゲのページ/

 https://www.youtube.com/watch?v=S_CuxYe-4z

 

トークライブの詳細

 http://www.adventure-divas.com 

 ↑こちらのトップページから「TOURS&EVENT」→「テント泊講習会」→「9/27都内講習会(番外編)へと進んでください。

 

AVID

http://www.avid-adventures.com

 

写真は、A7に入ってきたばかりのサンゲ。

このあと宿に戻る途中、雨があがりやっと富士山が山頂までうっすらと見えてきました。頂きに雪が載っていて、サンゲはクルマのなかから思わず声をあげて喜んでいました!

今朝は、秋空にくっきりと富士山が見渡せるはず。レース中は嵐、嵐だったけれど、この風景を見て、きっと喜んでいると思います。

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2016年9月19日 (月)

ネットと宅配便

ネットと宅配便の環境さえ整えば、どこでも仕事ができると言われて久しいが、ほんとうだ。時間や場所を越えたスピード感が生まれる。

フェイスブックで友人が「このジムにいるから登りにおいでよ」と。「ウチから遠いから、今日は無理だよ」と返すと、別の友人が同じクライミングジムへちょうど登りに行き、面識のなかったふたりがあっという間に知り合う。まあ、これは仕事とは関係ないが、スピード感はある。
 
先日ご一緒した小説家さんの作品を、失礼ながら読んだことがなかったので、ある大型サイトで注文してみた。直木賞作家となれば、いくらでも在庫は画面に並ぶ。パーティの席が隣になり、色々お話したところ、興味深かいことが多々あったので、ぜひともと何冊か選んだ。古本で申し訳ないけれど。

たしかに注文したのは本日午前のはずなのに、すでに2冊がポストに届いた。
こんなスピード感には、置いてきぼりをくらうこともある。
これではもう、原稿を切り上げて、夕ご飯でも食べながら読み始めなければならない。
ひょっとしたら、今日は湯船に入りながらも読んで、ベッドにも持ち込んで、夜更かしになるかもしれない。そんなことを考えると、もう仕事も手に着かなくなる。

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2016年9月18日 (日)

夏のテントむし山旅プロジェクト

Adventure Divasのテントむし山旅プロジェクト、夏の企画が一通り終わりました。
秋は、ロングトレイルなどが中心になります。

夏の企画のなかで、私が担当(+出席)した分について、以下にレポートしました。
よかったら、ご覧ください。

▲登山編▲

 
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9/3-6 白峰三山
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▲街の机上編▲
7/5 テントむし山旅講習会@神田・さかいや
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秋のテントむしも、また来年の春以降のテントむしも、どうぞよろしくお願いいたします!
詳細・最新情報は、
コチラ

台所飲み

先日、マッキーと真理さんちに泊まりに行った。
行く前からマッキーは、「真理さんちは、台所の脇で飲む感じで、なんだか落ち着く雰囲気なんだよ」と繰り返し、言っていた。
NZの旅を共にした仲なので、ちょうどウチにあったNZワインをもっていこうと、「ソーヴェニオンブラウンとピノノワール、どっちがいい?」とメッセンジャーを入れると、「ピノかな」「ピノだね」とふたりから返信が。夏が終わって、秋になった。
マッキーが言うように、台所のすぐ脇に置かれたダイニングのテーブルを囲んで、3人で話をしながら飲んだり食べたりするのは、とてもリラックスできる時間だった。

クールな女性たちというのは、「台所飲み」なのだろうか。香代ちゃんのところは、自宅に行っても、アトリエに行っても、食べたり飲んだりするのは、台所に置かれたテーブルで、だ。食事をしながら、互いに交代で料理して、次の皿を作り……これも落ち着く時間だ。

松本での仕事の最後に、ともこさんちに寄った。家族みんなと猫2匹の顔をみにいくために。「子どもたちの食事が終わったから、残り物だけれど、ワンプレート作ったよ」と、ありがたい連絡が入った。
ダイニングのテーブルの前に座って、息子たちのお絵かきや宿題を眺めて、ふと台所に目をやると、流しの前に立つともこさんの後姿が。やっぱり、台所とテーブルが近いっていいな。

私の住む部屋は、先日友人の大工が大きくリノベしてくれたけれど、台所やダイニング回りは、いわゆるマンションによくあるパターンで、狭い台所にテーブルなど持ち込めない。というか、廊下のような台所にはそんなスペースはまったくない。
台所にテーブルを置けるって、昭和の住宅かな。「サザエさん」のお家のような。私の実家もそんなつくりだった。

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2016年9月16日 (金)

中秋の名月

夜空の下で、星もよいが月を眺めるのには、格別な気持ちがおこる。
星は、見上げる土地によって見えるものが違うけれど、月は地球上のどこにいても同じように、満ち欠けていく。
だから、月を見上げるといつも、遠く離れたところにいる友人や親しい人たちを思い出す。
同じ夜に、同じ月、眺めているかなあと。
 
中国にも、月を愛でるいろんな習わしがあるそうだが、なかでも中秋の名月は、家族や恋人など近しい人達と月を鑑賞する日だという。15年近く前のことであるが、9~10月にチベット人女性たちと一緒にチベットの山に登っていた時があった。中秋の名月の日、中国人のスタッフが、「家族と離れてずっと山の中で登山をしているから、こういうときぐらい家族のことを思い出そう。寂しい気持ちもあるでしょう」と月餅をふるまってくれた。
 
昨晩、いつもいつもお世話になっている方の喜寿を祝う会に出席したあと、数人の友達と、近くのバルに入った。なんだかここのところ、毎晩飲み歩いているなあと思いながらも、スペインのワインを酌み交わし、話も尽きないまま、日付が変わった頃にようやくあきらめて店を出た。
雨がちだった空は、すっきりと漆黒に澄みわたっていて、満ち満ちた月が、この地を照らしていた。その慈愛に満ちた光が、まったく彼女の思いやりのようだった。
 
帰宅すると、幼馴染からメールが入っていた。私の実家の庭のススキを5本ほどもらったと。お月見のために活けたススキの写真も送ってくれたが、まだ少し青かった。彼女の話だと、ほかにもウチの庭のススキを刈り取っていった人がいるようで、そんな形跡があったと。
実家のあたりは、朧月夜だったというが、みなが月を眺めることができたのなら、よかったなあと思う。
私も月を仰ぎながら、距離は離れてしまっても心は近くにある人たちのことを思い出した。

2016年9月 7日 (水)

泊り客

「よく彼女は、泊まりに来てくれたものなあ」「きっと私のことが心配でならなかったんだと思う」と、亡くなった友人について話した女性がいた。
その彼女のウチに先日泊まりに行った帰り際、「友達が遊びに来てくれるからこそ、ウチがあるのだから、また来てね」と言った。来月も泊まりに行く約束になっているし、居心地よい彼女の家には、また再訪したいと、きっと私だけでなく、多くの人が思っているはずだ。

夕べ、久しぶりの友人が我が家に泊まりに来た。いつものように、「東京で仕事があるんだけれど、泊めてくれる?」とLINEが入った。
そういえば、年が明けてから冬のあいだは、頻繁に泊まりに来ていた。東京で仕事があるんだというけれど、大概の場合、宿は用意してもらえるはずだから、それこそ私のことを気にかけてくれていたんだと思っている。
先日会ったとき、「もう疲れちゃったよ」と愚痴ったから、今回もまた同じか。

そうは言っても、来たら来たで、自分のことを延々と夜中まで話続けるのには変わりもなく。けれど、それがまた、こちらを元気にしてくれたり。
もちつもたれつ。

今回は下山し1週間ぶりに自宅に戻った日で、食材も何もなく、大したコトもできなかったので、また帰ってきたら、泊まりに来てもらおう。
こうやって、いろんな友人が訪ねてきてくれるのは、嬉しく、やっぱり私を元気にしてくれて、ありがたい。

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2016年9月 6日 (火)

ネパール人トレイルランナー、サンゲ・シェルパ来日+トークライブ

ネパールにある秀峰カンチェンジュンガの麓タプレジュン出身のトレイルランナー、サンゲ・シェルパ(現在はフランス在住)が、UTMF(ULTRA-TRAIL Mt. FUJI)出走のために今年も来日します!

アドベンチャーディバズでは、彼をお招きして下記のとおりトークライブ開催。
9月27日火曜日20:00受付、~22:00終了
東京・神保町 さかいやスポーツ シューズ館 にて
参加費1,000円、インタビュアー:柏澄子

タプレジュン辺りは、ちょっとだけ旅をしたことがあります。それよりもじつは、カンチェンジュンガ山群を挟んで反対側にあるダージリンによく訪れていました。かつての英国植民地、現在インド領のここもまた、シェルパの里です。ここからもカンチェンジュンガが、ほんとうに美しく望めます。
サンゲには、トレイルランニングのことやフランスでの生活、UTMFなどのレースについてお聞きするほか、母国ネパールについて、タプレジュンでの生活、シェルパという民族について、また彼がライフワークとしている「カンチェンジュンガ協会」の活動についても話してもらいたいと考えています。
私は大役果たせるか心配でなりませんが、サンゲに惚れこんで、今年もサンゲにUTMFを走ってもらいたい、日本のトレイルランナーや登山が好きな人たち、ネパールに興味のある皆さんと交流してもらいたいと強く思い、サンゲを招聘した北村ポーリン(
Pauline Kitamura)+小原ハリー(小原 久典 (Hisanori Harry Ohara))夫妻が、この日を盛り上げてくれます。
トレイルランニング、ネパール、カンチェンジュンガ、タプレジュン、シェルパ、これらのキーワドどれでも心に引っかかる方は、ぜひお越しください!
 
詳細・お申込みは、以下へ。
http://www.adventure-divas.com/tours-events/%E3%83%86%E3%83%B3%E3%83%88%E6%B3%8A%E8%AC%9B%E7%BF%92%E4%BC%9A/9-27-%E9%83%BD%E5%86%85%E8%AC%9B%E7%BF%92-%E7%95%AA%E5%A4%96%E7%B7%A8/

2016年9月 1日 (木)

映画『MERU』、内覧試写へ

メルーという山が、インドのガンゴトリ山群にある。
メルー氷河の源頭に位置し、その名はサンスクリット語の「スメール」に由来すると言われている。日本語に訳せば「須弥山」。
 
春先だっただろうか。あるクライマーを描く映画を構想中だという二人組が、訪ねてきた。
そのクライマーについて知っていることを教えてほしいと。多くの人を紹介したりもした。
話の後半に、「アメリカで公開された
『MERU』という映画をご存知ですか? 買いつけてきたんですけれど」と、その女性は言った。
観たことはなくとも、もちろん知っていた。山岳映画とは玉石激しく、これまで観た山岳映画でよいと思ったのは、邦題でいうところの『死のクレバス』ぐらいだった。原題は『Touching the Void』。
しかし、ほかならぬ馬目弘仁さん12年かけて4回も通い続けたメルー主峰シャークスフィンの登攀を描いた映画であり、そして、3回目のきっかけを作った(と私は思っている)黒田誠さんが、「いい映画だった」と話していたのを覚えていたので、とても興味をもった。
一方で、コンラッド・アンカー、ジミー・チン、レナン・オズタークの3人がチームを組んで作った映画であるということも、知っていた。だからこそ本音を言えば、この3人が作った映画だからこそ、観るのが怖いとも思っていた。万が一、心に響かない作品になっていたらどうしようと。それほど、山岳映画というのは、難しいと思う。
けれど、信頼する馬目さんと黒田さんが関わるのであれば、ここは期待しようと思った。

とても興味があるので、なんでも協力するということになった。
東京での内覧試写を見逃し、馬目さんの住む松本でやることになった第2回の試写へ行ってきた。
これにもエピソードはある。馬目さんのインタビューを終えて、いよいよ黒田さんらほかのサミッターにもインタビューしたいから、もう一度頼んでくれと、配給元の彼女から連絡があった。当初から快諾してくれていたので、私から再度頼まなくても大丈夫だと思いながらも、一応メールを入れておいた。そしたら、すぐに彼女から折り返しの連絡があった。
「松本で試写できる会場を抑えました」と。かねてから、馬目さんが住み、ほかにもクライマーが集まりやすい松本では試写会をやりたいと話してはいたが、ほかのサミッターへのインタビューよりも先に、試写会場を抑えてしまうとは。
つくづく、映画を、『MERU』を愛しているだなあと思わされた。
 
急な日程だったので、連絡を受けた北岳山頂から、私も関係者に連絡を続けた結果、運よく馬目さんはもちろん、馬目さんと一緒に登った黒田さんと花谷泰広さんが来てくれることになった。
ほかにも、メディアやクライマーなどが集まった。
 
会場で彼ら3人のコメントを聞き、そして試写後に3人と長い時間を使って話す機会を得て、メルーという山は、それぞれの人生を形作るワンピースなのだと思った。
公開前の映画の内容はそう多くは書くまい。
けれど、2度にわたってシャークスフィンに臨むコンラッド・アンカー、ジミー・チン、レナン・オズタークは、それぞれかっこよかった。かっこいいというのは、陳腐な言葉だけれど、ものすごくかっこよかった。彼らにとって、クライミングは人生そのものであり、そして人生をかけて貫き通す価値のある行為であることを、教えてくれた。
また感謝すべきことに、クライミングの本質、エッセンスが、まっとうに随所に描かれていた。
 
今後、この映画について、どんどん書いていきたいと思います。
日本語の字幕を載せた『MERU』は、いよいよ大晦日に日本全国で公開!
今朝いただいた連絡では、邦題は『MERU/メルー』に決まったそうです。

 
facebookにもエントリー記事を書きました。


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©2015 Meru Films LLC All Rights Reserved.

2016年8月24日 (水)

テープの聞き返し

ほとんどのインタビューを録音してあり、ほとんどのインタビューをテープ起こししてあるが。
次にインタビューする方の、これまでのインタビュー録音を聞き返している。
テープ起こしの文章を読むよりも、その人の話ぶりや口調のようなものを、繰り返し聞いておこうと考えて。
大概、掃除や洗濯、料理などをしながら、「ながら聞き」しているが、ときに手が止まる。
にしても、インタビューとは、不思議な行為だ。それまでさして深く話したことがなかった人が相手でも、突然本題、本音の部分に入っていける。
聞き手の私の態度もまた、普段の会話と違う。

良質なインタビューというのは(この場合、インタビュアーである私がよくやったというよりも、インタビュイーが本物であったということ)、聞き返せば返すほど、味わい深い。とくに時間を経過し、その人物についてまたほかの面から知ったり、インタビューとは違う時間を共にしたことがあれば、なおさら、インタビューを聞き返すことによって、その人をより深く知ったり、「ああ、こういうことを言いたかったんだ」と理解が及んだりする。

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2016年8月23日 (火)

インタビューのはざまに

限られた貴重な時間をいただいてインタビューするので、本題に直接には関係しないお喋りは、なかなかできない。
けれど今回はちょっと違った。何よりも、私が彼女ご本人に惹かれたからかもしれない。

私自身は、中国はごく限られた地域にしか行ったことがなく、回数にしても10回にも満たない。
それでも、なんとなく全体像は理解しているつもりだった。けれど、貴州省というのは、ほとんど抜け落ちていた。

彼女の住む貴州省について持ち合わせていた知識は、大まかな位置とトン族などの少数民族が暮らすこと、それと石灰岩の岩場があるということぐらいだった。
西蔵鉄道ができるまで、青海省が中国で最も貧困な省だとされていたが、鉄道のおかげで多少のお金が落ちるようになり、いまは貴州省だという。青海省には2度ほど行ったが、それほどにも感じなかった。果たして貴州省は、どんな暮らしぶりなのだろう。
州都貴陽市の産業、街並み、暮らしぶりなども教えてもらった。市内に住む日本人は10人に満たないようだ。
料理はとても辛く、四川料理のように花山椒は使わず、ただただ辛いと。想像するにブータンの料理に近いだろうか。とても日常には食べれない、口に合わないという。中国の生活が長い彼女がそう言うのだから、それはほんとうだろう、ましてや日常。
欧米の駐在者も、ほとんど1~2年で根をあげて帰国していくような住環境、食環境のようだ。

トン族の話も印象的だった。いつも笑って、歌って、農作業などをしているというのは、(文字を持ち合わせないから、歌に載せていろんなことを伝達、伝承していくという意味もあるが)、なんだかチベット人と同じだなあと思う。

彼女は、仕事に生きがいをもち、貴州省に暮らして6年になる。中国と関係を持ち始めて40年、中国に暮らして30年以上だろうか。
「姉の畑で採れたの」と、ミョウガと小さなかぼちゃをもってきてくださった。
朗らかでたくましい方だった。たくましいというのは、そこに知性と優しさがあるのだと、彼女に教えてもらったような気分になった。
帰国中の極限られた時間にお会いできてよかった。

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