2016年8月24日 (水)

テープの聞き返し

ほとんどのインタビューを録音してあり、ほとんどのインタビューをテープ起こししてあるが。
次にインタビューする方の、これまでのインタビュー録音を聞き返している。
テープ起こしの文章を読むよりも、その人の話ぶりや口調のようなものを、繰り返し聞いておこうと考えて。
大概、掃除や洗濯、料理などをしながら、「ながら聞き」しているが、ときに手が止まる。
にしても、インタビューとは、不思議な行為だ。それまでさして深く話したことがなかった人が相手でも、突然本題、本音の部分に入っていける。
聞き手の私の態度もまた、普段の会話と違う。

良質なインタビューというのは(この場合、インタビュアーである私がよくやったというよりも、インタビュイーが本物であったということ)、聞き返せば返すほど、味わい深い。とくに時間を経過し、その人物についてまたほかの面から知ったり、インタビューとは違う時間を共にしたことがあれば、なおさら、インタビューを聞き返すことによって、その人をより深く知ったり、「ああ、こういうことを言いたかったんだ」と理解が及んだりする。

Fb_dsc0007

2016年8月23日 (火)

インタビューのはざまに

限られた貴重な時間をいただいてインタビューするので、本題に直接には関係しないお喋りは、なかなかできない。
けれど今回はちょっと違った。何よりも、私が彼女ご本人に惹かれたからかもしれない。

私自身は、中国はごく限られた地域にしか行ったことがなく、回数にしても10回にも満たない。
それでも、なんとなく全体像は理解しているつもりだった。けれど、貴州省というのは、ほとんど抜け落ちていた。

彼女の住む貴州省について持ち合わせていた知識は、大まかな位置とトン族などの少数民族が暮らすこと、それと石灰岩の岩場があるということぐらいだった。
西蔵鉄道ができるまで、青海省が中国で最も貧困な省だとされていたが、鉄道のおかげで多少のお金が落ちるようになり、いまは貴州省だという。青海省には2度ほど行ったが、それほどにも感じなかった。果たして貴州省は、どんな暮らしぶりなのだろう。
州都貴陽市の産業、街並み、暮らしぶりなども教えてもらった。市内に住む日本人は10人に満たないようだ。
料理はとても辛く、四川料理のように花山椒は使わず、ただただ辛いと。想像するにブータンの料理に近いだろうか。とても日常には食べれない、口に合わないという。中国の生活が長い彼女がそう言うのだから、それはほんとうだろう、ましてや日常。
欧米の駐在者も、ほとんど1~2年で根をあげて帰国していくような住環境、食環境のようだ。

トン族の話も印象的だった。いつも笑って、歌って、農作業などをしているというのは、(文字を持ち合わせないから、歌に載せていろんなことを伝達、伝承していくという意味もあるが)、なんだかチベット人と同じだなあと思う。

彼女は、仕事に生きがいをもち、貴州省に暮らして6年になる。中国と関係を持ち始めて40年、中国に暮らして30年以上だろうか。
「姉の畑で採れたの」と、ミョウガと小さなかぼちゃをもってきてくださった。
朗らかでたくましい方だった。たくましいというのは、そこに知性と優しさがあるのだと、彼女に教えてもらったような気分になった。
帰国中の極限られた時間にお会いできてよかった。

2016年8月21日 (日)

もうひとつの歴史

中村計さんの『歓声から遠く離れて:悲運のアスリートたち』を初めて読んだのは、何年も前に登山家・栗秋正寿さんに原稿依頼をしたときだった。本著のなかに、栗秋さんについて書かれた章があったからだ。

今日お会いしたのも、そんな”歓声から遠く離れた”登山家についてだった。と言ったら、失礼だろうか。
オリンピックでいうところのゴールドメダルを逃してしまった物語。登山は競争ではないけれど、自分の力ではどうしようもない理由で、あと数日で一着を逃してしまった人について、話を聞いた。
では、二番手に物語はないのか、というとまったくそうではない。何番手だろうが、それぞれの生きざまがある。
話を聞きながら、幾度となく目じりに涙がにじんだのは、一着も二着も関係なく、互いの生き方に共感しながら、遠く離れた地に住むふたりが友情をはぐくんできたからだけではない。そこには、双方とも、ものすごい孤独があると感じたからだった。世界一になっても、世界二になっても、人生って残酷だ、ときにとても哀しいとすら思った。ふたりとも、一所懸命に人生を生き抜いたのだと。
 
今日お会いした方は、「ともかく、話を聞いてもらいたかったんです。それだけで嬉しいんです」とおっしゃっていたが、私は取り返しのつかないことをしてしまっている。
物語の主人公である登山家がご存命のうちに、取材を始めるべきだった。
しかしいまは、せめて関係する方々の話が聞けるうちに、インタビューを続けるしかない。
これまで何年も続けて取材をし、幾度となく書いてきた数々の物語を縦糸と横糸にして下地を編み、書いてみよう。

0107d4d31d24ec2cfea8e8c9f1f2e52904b

2016年8月15日 (月)

~明日からの心理

少しずつクライミングを再開しようかなあと考えていたが、そんな悠長なコトは言ってられないコトを、深く実感した。
10日ほど前のひどい出来栄えを再履するために、わざわざ混んでいるの承知で小川山へ向かった週末。結局は、暑くて、木陰ルートばかり選んだ。
以前はすいすいリードしていたところが、怖くてならないし、ロープワークも何もかも手際悪いし、ひどい。
これでは、「一緒に登ってください」とは、誰にも言えない。声かけてくれた人に図々しく着いていくか、どーにも遠慮せずに頼み込める相手を巻き込むしかない日々。

学生時代からの仲間のアライが、週に5~6回だかクライミングジムに通い続けて2年程。すっかり登れるようになったようだから、彼ほど身体能力が高くはなく、のみ込みも極めて遅いながらも、続けるか……と考えた次第。
やるべきコト、道筋は、これまでの経験やこれまで私にたくさんの人たちが教えてくれたコトから、だいたいのコトはわかる。けれど、それを仕事などとバランスとりながら限られた時間でやること、歳も歳なのだから身体いたわりながらやることは難しい。体力も習得能力も、あらゆる身体能力が年々落ちてきているのだし。

「もう少しマシになってから、誰かに声かけようなんて余計なコト考えない方がいいよ。それがいつやってくるかわからないし、それって、自分に猶予を与えているようなもんだ」と、週末を共にした友人より。
たしかに。「ダイエットは明日から」と同じ心理だな。
残された時間は多くないわけだし、できることとできないコトはある程度決まっているのかもしれない。それよりも、登ることが好きなのだから、もっとやればいい、好きなように。

友人もまた、ひっし再開中の模様だが、キツイ言葉残しながら、写真を撮ってくれたので、ブログのプロフィール写真を模様替えしてみました。
これまでのものは、旅の友、Shaohongが撮ってくれた四川の奥地を旅したときのものでした。遊牧民のテントが張られた草原に、菜の花が一面に咲いた壮大な風景でした。ありがとう、Shaohong!

Fbp8140031

2016年8月13日 (土)

親友宅へ

山から山へと渡り歩いているなか、学生時代の大親友に会うために10数時間だけ、東京に戻った。
猫を飼い始めて1ヶ月足らず。どちらかというと犬派であり、猫を飼うことなどまったく想像したことすらなかったというが、ひょんなきっかけがあったのだ。生後7ケ月の可愛い仔猫。

知り合って四半世紀以上たつが、私のことを名前だけで呼び、「ちゃん」付けなど1度もしたことがなかった彼女が、「ほおら、お友達のスミちゃんが来たよ」と仔猫に紹介してくれた。自分でもよくわかっているが、親ばかなのだと言い続けていたが、たしかにそうかもしれない。

遠くの土地からやってきた彼女(仔猫)が、窓からベランダの向こうを眺める横顔を見せると、いったい遠くを眺めて何を考えているのだろうと思う。が、猫は視力が弱いから、そう遠くは見えていないはずだと、友人が買ったばかりの本で仕入れた内容を教えてくれた。

玄関の扉は、外界への期待を抱かせてしまうから要注意だと考えるなかで、ハインラインの『夏への扉』を思い出したという。ポール・ギャリコも読んだ方がいいよ、まずは『猫語の教科書』と『ジェニー』だと、私が言う。

2016年8月12日 (金)

豊かな夏

毎年夏になると、涼しい高原で、あるひとつの母国を離れて日本に暮らすファミリーたちが参加するキャンプがある。主宰の方は旧知の先輩であり、徹底したフィールド学者。4日間のキャンプのなかに、トレッキングの日が1日あり、これのお手伝いをするというのが、参加のきっかけだった。

日中はトレッキングやお散歩、子どもたちは母国の言葉を勉強したり、歌や踊りをみんなでやったり、楽しく遊ぶ。毎回の食事も母国のものを作り、みんなで食べる。大人たちは故郷を同じくする者同士で母語で思いっきり話をする。日本の暮らしにまつわる悩みを相談し合ったり、かつての遠い思い出や自分の生い立ちを語りあったり。

日本に生まれ日本に暮らす私は、自分の力が及ばないとても大きな力によって自分の人生が翻弄された経験がない。母国を追われた経験もない。そんな私が、彼らの運命を考えると、その人生を「幸せ」ということはできないけれど、しかし彼らはまちがいなく、豊かな人たちだ。
辛く苦い経験を、笑い飛ばしながら話すのを聞くと、なんて朗らかでたくましく、そして優しい人たちなんだろうと思し、彼らの思いやりや愛情をダイレクトに感じることが多い。ほんとうに、豊かだ。
こういう豊かな人たちと時間を共有すると、自分の心の底に押し込んである感情がまざまざと浮かび上がってきたり、人を愛するということについて教えられたりする。

「幸せと豊かさは違う。僕はそう考えている。一見近そうな言葉。幸せであることは豊かな世界で生きることのように思われるし、豊かであることは幸福であることのように思われる。しかし、この二つの言葉は、近しい言葉であるどころか、ある見方によってはまったく逆のことを意味する言葉であるかもしれない」と書いたのは下西風澄さんだ。
このことの意味を私は、なんとなく感覚で理解する。そして私自身も、自分が幸せであるか、また幸せになりたいとか考えたことが、ない。
「いま、幸せですか?」「その後、幸せにやっていますか?」なんて便りをもらった経験はあるにはあるけれど、そんなことを考えたことはない。他者にたいしては「幸せになってもらいたい」と思っても。
幸せであることは考えずとも、豊かな人生を求めているのかもしれない。

日本の山を歩き、それとは自然環境が大きく離れているであろう母国の山並みを思い出すと言い、決死の覚悟で山を越え亡命した日々を思い出すとも言う。
それほど、自然というのは人の心のなかに深く刻み込まれるものであり、また人の記憶や想像力は限りないものであるのかもしれない。

少なからずとも、自然にかかわる仕事ができること、自然にかかわって生活できる自分こそが、豊かな思いをさせてもらっているのかもしれない。

Fb_dsc0020

2016年8月 9日 (火)

覚えていてくれたこと

長年お世話になった方が退職されるということで、ご挨拶をいただいた。
これからはフリーで働くというので、またすぐにフィールドで会えるだろうけれど、社のかなめのような方だったので、退職はやっぱり寂しい。

お便りのなかに、ずっと前に私が書いた原稿について、厳しくモノを言ったことを後悔していると、お詫びの一文があった。
正確には覚えていないが、10年以上前のことである。
月刊の山岳雑誌は、5冊以上あるだろうし、増刊号や季刊、それから一般の雑誌と併せると、彼の会社の商品が掲載される雑誌は、毎月10冊近くは発売されるのではないかと想像する。
ほかにもメディア取材は多々あるだろうし、第一、メディア対応だけが広報部の仕事ではなく、社の顔として多くの人に接する、多忙きわまる職にあったはずだ。

そんな彼が、10年以上前のことを覚えていてくれたその誠実さに、ただただ感謝。また、指摘いただいたのは、もっともな内容であり、こちらこがありがたく思う経験だった。

原稿を書くなかで、ときどきインタビュイーなど関係の方々との間に齟齬が生じることがある。そのほとんどは、記事を作る過程のなかで解決できる内容であるが、私には2度、掲載を見合わせた経験がある。
(その手前で、取材を中断したものは、もっとたくさんあるが、これはマジメに仕事をしていれば、誰でもそうだろう。取材したもの、書いたものが全部形になるわけがない)

未掲載のひとつは非常に苦い経験であり、もうひとつはとてもたいへんな思いをした。
いずれもひょっとしたら、掲載になった記事よりもよく覚えているかもしれない。

とまれ、今回の退職の際にいただいたお便りは、ほんとうに心温まるもので、感謝し、またこれからもお付き合いいただけることに、とても嬉しくなった。私も彼のように、誠実でありたい。


Ffb_dsc0097


2016年8月 4日 (木)

黒猫の看板

白馬に行くと立ち寄る喫茶店がある。いいや、「喫茶店」とはちょっと違う感覚のお店。珈琲専門店だろうか。紅茶やジンジャーエール、石窯焼きのパンやケーキもあるけれど。

おそらく、4.5年前に初めて訪ねた。仕事の合間にひとり抜け出して、ホッと息をつく場所だったりもした。
オーナー夫妻がテレマークスキーヤーであり、山もお好きなことは知っていたけれど、とくに話をすることもないまま数年が過ぎた。

どんなきっかけだったか忘れてしまったが、ある時から話をするようになると、「以前からご来店いただいていることは、わかっていたのですが、息抜きにいらっしゃっているのかなあと思い、お声をかけないでいたんですよ」と。なんとまあ、思いやりある距離の取り方。

以来、いろんな話をするようになった。カウンター席が空いていれば、そちらに座っておしゃべりに興じることも多い。窓から見える白馬の山々が美しい。
個人的な相談をしたり、いろんなことを教えてもらったり、なんてことはないお喋りをしたり、美味しい珈琲とともに、心安らぐ時間だ。
白馬村に入らなくとも、あのあたりに行ったときには、むりくり帰宅ラインを捻じ曲げてでも、寄りたくなってしまう。

先週、この夏に初めて立ち寄った。クルマを停めて店に入ろうとして、ハタと気づいた。赤いポストの上に黒猫の看板が設置されているのだが、これがいつもと逆方向を向いているのだ。その前の週に、うっかり定休日に友人と待ち合わせてしまったときは、いつもの方向を向いていたのに。
はて、これはどういうことだろう?」と、一瞬のうちにアタマのなかでクルクルと考え事をした。向田邦子の『あ・うん』には、たしか、ある人が自分の宅を訪ねてきているときに、別の知人と鉢合わせになってはいけないと、玄関に白い旗を立てておくのではなかっただろうか。それを目印に、もう一人の人は、その時の訪問を控える。


今日の店内はどんなことになっているのかと、ちょっとドキドキしながら扉を開けると、まったくいつもの通りだった。当たり前か、ここは『あ・うん』の水田家ではなく、誰もが訪れ、心安らぎ美味しい珈琲を飲む店なのだから。
それでも尋ねずにいられなかった。さっそく、カウンター越しのミツさんに、「黒猫の向きが反対なのはどうして? 向田邦子ってコト?」と聞くと、反対向きだったことはまったく知らなかったと。慌てて、確認しにいき、「ほんとだ」と戻ってきた。そして、あの人のいたずらか、この人か、、、などミツさんは思いめぐらしているようだった。
けれど、焙煎スペースからカウンターに戻ってきた恵美さんが、「あ、それならば私がやったの」と一言。これで落着した。いくつか理由もあったようだ。


翌日も珈琲を飲みに行ったが、黒猫の向きはそのまま反対方向だった。
「1週間経つけれど、反対を向いているってクチにしたのは、澄子さんだけですよ」と。

みんなは、黒猫がいつもと逆の方向を向いていても、ドキドキしないのだろうか……?

Img_7657

花谷泰広写真展「ヒマラヤキャンプ2015~後輩たちと喜怒哀楽を共にした日々」@甲府・エルク

花谷泰広さんの写真展「ヒマラヤキャンプ2015~後輩たちと喜怒哀楽を共にした日々」が、甲府の登山道具店「エルク」にて、8月1日~31日まで開催されています。

まもなく40歳の誕生日を迎える花谷さんはなんと、子どもの頃、「カメラ小僧」だったそうです。個人的には、もっともっと悪ふざけをしたような規格外的写真も撮ってもらいたいと思っていますが、やっぱりカメラ小僧は、きっちりとしたいい写真を撮るなあとも思います。ある大御所の山岳写真家さんの脚もちのアルバイトをしていた経験も活きているのでしょうか。

今回の写真展には、雑誌などに載せていない初公開のものもあります! また、ランシャール登頂の際に撮影したドラムバオ氷河奥地の写真は、とても貴重ではないでしょうか。こんな標高に長大な氷河が続くこの地を、いつか旅したいなあとも思ったりします。

私は、それぞれの写真に長短いろいろ、文章を書かせてもらいました。
これまでにもいろんな方々の写真や映像に文章を添えさせていただいてきたけれど、いつもなかなか書き上げることができません。
写真や映像というのは、それだけで完結した、表現方法だと思いますので、そこに文章を添えても、余計なものでしかない……という悲しさを感じます。私にとっては、写真も映像も、美しく崇高な潔い、憧れの表現方法だからかもしれません。

今回については、どんな出来栄えだったか、自分ではよくわかりませんが、実はほとんど苦労せずに書いてしまいました。
写真を撮ったご本人からは、自分とは違う視点で書いてもらって、気に入っているという言葉をいただきました。撮った本人や写真を少し距離を置いて書くことができたのかもしれません。

ちなみに、写真展タイトルは、花谷さんご自身が考えたものです。

山梨県内の方はもちろん、県外の方も、山の行き帰りにぜひ、お立ち寄りください!

→花谷さんからのメッセージ
https://www.facebook.com/351841854864986/videos/1062835937098904/
→写真展を企画し、写真現像額装をしてくださったDr.さんのブログ
http://blog.goo.ne.jp/ya…/e/835cb559d725d37926f3a928d0936e51
13641071_10208880876912887_57447100

2016年8月 3日 (水)

土いじり、手作業

白馬に住む友人が作っている、藍の畑の刈り取りとこなしの手伝いをしたく、立ち寄った。
土いじりをしたり、植物や樹木をいじるのは大好きなので、作業量が多かろうと苦ではない。といっても、四季を通じて藍にかかわっている友人とは違って、私はこの2日間だけのことだけれど。

野良で作業をするときには、ふたつの時間の流れがあると思う。

ひとつは、集まってきた人たちとわいわい話をしながら、楽しくやる時間。
初日は、藍の持ち主の彼女たちカップルと3人で作業した。
彼らと過ごす時間は、いつも楽しい。彼の抜群にユーモアが効いた話は、ほんとうに愉快だし、カップルでいるときに見せる彼女の可愛らしい表情や仕草にほんわかする。
本人たちには何度も言ったが、こんな素敵なカップルは、そういないと私は思っている。
翌朝、いつも声をかけてくれながら、ちっとも立ち寄れずにいる近くの住人にメッセージを入れたところ、「仕事前にコーヒーをもっていく」と。炎天下の作業中に、熱い美味しいコーヒーをいただく贅沢さ。すっと身体が涼しくなった。
もうひとり、仕事前の1時間ほどの作業を手伝うとやってきた女性もいた。
こうやって、いろんな人たちが集まって、たわいない……いやそれだけではない、時々はピリリとするような会話をしながら、手を動かす。こんな場だからこそ、話題にのぼったり、話がしやすいのかもしれない。
それもまた、人が集まって手作業をする場を形成するひとつの要素のように思える。

一方で、黙々と作業をすることもある。
私はこんな単調な時間も好きだ。
白馬から少し離れた笹川にも、藍を育てている友人がいるなあ、彼女の畑もあとひと畝残っていると言っていたが、無事刈り取りは終わっただろうか。ひとり黙々とやっているだろうけれど、元気かな、と考えたり。
先日の仕事仲間との会話は、なんであんなにかみ合わなかったのだろうと思い起したり。年齢の差もあるのか、私が彼ぐらい若かったころはどうだったっけ? と思い出そうとして、思い出せなかったり。
そんな考え事もしなくなり、無心になるときもある。そんな瞬間も、一歩まえに歩を出し、生きていくには必要なのかもしれない。
またあるときは、前日にあった小さな嬉しい出来事を思い出して、ハッピーな気分になったりもした。それもまた、単純作業というシンプルな時間のなかにあるからこそ、ほんの短い時間の嬉しい出来事を、大切に思い出し味わえるのだろうと思うと、こういう時間がいとおしくなる。


ブログは、原稿書き前の準備体操だったり、仕事の合間の気分転換だったりする。
不定期気ままなこのページにも、多くの方々が訪問してくださる。
どんな方々が来てくださっているのか、わからないけれど、ブログに書くことに、嘘はない。
本心を書くことをためらったり、心の底のことまでは書けないこともあるけれど、それは仕方がないかな。本人に尋ねてくれれば、応えられるだろう。
タイミング悪く、へんな時間にアップすることもありますが、ご訪問、ありがとうございます。また、話を聞いてやってください。


Fb_dsc0013

2016年7月29日 (金)

感謝

長年支えてくれたふたりに、会いに行った。

変わらずにいつでも来ればいい、山の帰りに寄ればいい、寂しくなるから互いの関係性は何も変わらないでほしい、と言葉をもらった。

 

友達が、入れ替わり立ち代わり、泊まりに来てくれた。

 

大学のときの親友が、誕生日にある音楽を送ってくれた。近況などさして伝えていないのに、なんとまあ、心に染み入る曲なのだろう、なんで彼女はこんな曲を選ぶことができたのだろうと思う。

 

生まれ育った家の近くの幼馴染が、携帯メールをくれた。スマホは使わないし、パソコンはネットにつなげていないので、ガラケーでいくつかのサイトを見るぐらいしか、いわゆるネット上の情報収集の機会はないそうだ。たまに、このブログを見てくれることがあるようで、私らしいって、彼女は言う。「私らしい」って何だろう? 本人がいちばん自分のことをわかっていない。けれど、近しい人はどうやらわかってくれているようだ。

 

昨晩お会いした山岳部の先輩は、今年に入って書いたある記事を褒めてくれた。「カシワも、大人の文章を書けるようになったなあ」と。いままでどんなに幼稚だったか恥ずかしくなるが、10代終わりからお付き合いいただいているので、隠しようもない。さらに今でもさして大人になれていないと思うと、もっと恥ずかしくなる。
どうやって記事を作ったのか聞かれたので、コトの成り行きや取材相手と自分の関係性を話したところ、「それを聞いて、もっとよかったと思った。熱のこもった記事だったけれど、一定の距離感をもって書いているんだな」と。

 

誰にでも自分を支えてくれている人がいて、そして孤独でもある。

文章を書く仕事は、あちこち出かけたり取材をしたり、一見派手に見える部分もあるが、最後の書く作業はものすごく孤独だと思う。けれど、この孤独さとそして「締め切り」がなくなったら、私の人生は堕落していく。

 

自分を支えてくれている人や、力や勇気をくれる人というのは、すぐ近くにいたり、遠くにいたり、あるいはひょっとしたらあまり接点はなくとも、ある時ひょいと出会ったりするのかもしれない。果たして私は、誰かを元気にしたことがあるのだろうか。

Img_7637_2

2016年7月27日 (水)

インナーシーツ

日本の山小屋でも使ってみました。
使用する本人も次にお布団使う人も、山小屋の人も、みんなにとっていいコト。
登山者おのおのが携帯すればよいことなので、日本でももっと知れ渡っていくといいですね。
ほかにも、ヨーロッパの山小屋にはこんな設備や工夫があり、心地よかったです。

〇エントランスにある道具置き場
靴箱、ラック(アックス、ストック、ヘルメットなどを掛ける)、それとボックスがありました。ボックスの中には主にギア(アイゼン、ロープやガチャなど)を入れるのですが、要は部屋で使わないモノを中心に入れればよいのだと思います。例えばジャケットも。翌朝出発時に部屋を出て、エントランスで着用すればよいわけで、部屋でごちゃごちゃやると、まだ寝ている人は不快なだけ。
山小屋によって棚仕様だったり、一人当たりの大きさもそれぞれのようですが、なるべくシンプルな恰好で部屋に入ればヨシ。

〇選べる食事
今回泊まった小屋では、パスタorスープと、デザート(チョコレートプディング、チーズ、あとなにか)を好きなように選べました。主菜のお肉はみんな一緒。ちょっと嬉しい心遣い。

〇食卓のサイン
自分たちの名前がマジックで記されているホワイトの三角柱が目印。マジックの名前は拭いて消せるので、毎日再利用。写真を添えないとわかりにくい説明ですが、、、私の場合、「Sumiko×2」(数字は人数)と書いてある三角柱が置かれたテーブルを探せばよいのです。

〇朝はそれぞれで
シリアルやパンとスープやコーヒー、紅茶のところが多いようだけれど、自分で食べたいだけ取るスタイルが主流のよう。これも双方にとってやりやすいのでは。

Fb_dsc0021

2016年7月24日 (日)

旅のレッスン

先月のフランス、イタリアの旅。
登山に入る前に、パリに住む大学山岳部の先輩宅に遊びに行った。
同時期に在学することはなかった少し歳の離れた先輩であるけれど、時折いろんな面で助けてもらってきた方だ。


旅の最中にいろんなことを知ったり、学んだり、身に着けたり、発見することは多々ある。
というか、それを「旅」というのだろう。
今回の旅の本題である「登山」に関しては、ここでは触れずにおいておき。
それ以外のことで、私は、パリの先輩である玄さんにたくさんのことを教えてもらった。
パリでは、マルモッタン、ルーブル美術館、ヴェルサイユ宮殿、古本市や山岳書専門の古本屋、それにパリのあちこちの街角を、玄さんのおかげで、楽しい話を聞きながら見学できた。
美術館では、ジャーナリズムの原点が表れている絵画、時代によって子供がどう描かれているか、それぞれの作家の個性や素顔、教会と画家の関係、いずれもヨーロッパ史に結びつくストーリーがあり、興味深かった。

玄さんに導いてもらったおかげで、その後マルティニでピカソを観たときも、フランスやイタリアの山麓にある小さな教会を見て歩いたときも、少しだけ目の前のものをかみ砕いて見学できた。
それはまるで、私の旅のはじまりに、レッスンしてくれたみたいだった。
 
またあるシャモニーでの夜。
地ビールとムール貝がセット価格になったメニューを見つけ、ふたりでテラス席に入った。大好きなムール貝を目の前にして、意気揚々と食べ始めると、玄さんがすぐに一言。
「スミちゃん、だめだよ、それは。ムール貝はこーやって食べるの」と、見本を見せてくれた。
スプーン代わりに使うムール貝の選び方、貝身の取り出し方、山のように盛られたボールいっぱいのムール貝をどの順番で食べるか、ボールのなかのムール貝をどのように整理していくか。
フランスの各地方によってそれぞれ、ムール貝の調理法や味付けに違いがあることも、教えてくれた。

そして最後に、先輩はひとこと。
「今度は、ほかの友達と一緒にムール貝を食べて、ええ? 知らないんですか? ムール貝ってこうやって食べるんですよ、と言ってやれ」といたずら声で笑った。


13667824_10208718168725284_64096705

2016年7月19日 (火)

7-8月のテントむし山旅プロジェクト

Adventure Divasのこの夏は、テントむし企画がたくさんあります!

7/30-31 爺ヶ岳(北アルプス) 1泊2日・25,000円
柏原新道から往復。種池というテントサイトを使います。
標高差はありますが、険しい道のりではないので、北アルプスデビューやこの夏の足慣らしにぜひ。晴れたら、稜線からの展望は抜群です!
...
http://www.adventure-divas.com/…/テントむし山旅/7-30-31-tm北アルプス爺ヶ岳/

9/3-6 白峰三山(南アルプス)3泊4日・38,000円
北岳、間ノ岳、農鳥岳と3000m級の山々をつなぐ縦走路。経験者向きですが、時間にはゆとりをつくりました。絶景とアルプス的な山容を満喫できます。毎日稜線に泊まるので、日の出日の入りも。

http://www.adventure-divas.com/tours-e…/…/9-3-6-tm南アルプス白峰三山/

それぞれ、テントサイト到着後、時間に十分に余裕がありますので、"アルプス登山ミニ講座”(日本アルプスの登り方)をやろうと思います! 高山病、低体温症についてなど。しっかり学んでお土産もってかえっていただきます!

詳細はwebサイトへ。ご不明な点や心配事などあれば、ご遠慮なくいつでもなんでもお問合せください。

ほかのテントむしについても、以下のサイトで予定をご覧ください。
http://www.adventure-divas.com/

*写真提供は、新井牧子さん、清水准一さん


13669329_10208746612796368_19811445

13731992_10208746615356432_81661692

13700990_10208746600956072_52313718

13738115_10208746601636089_83424155

2016年7月13日 (水)

旅立ちの見送り

旅先で友人を見送るのは、難しい。
タイミングをつかむことも、その人の気持ちにそった見送りをするのも、また自分の気持ちに整理をつけるのも。

いつも思い出すのは、ある本に書かれていたシーン。
12月に入り寒くなると、ラサにいる旅行者のあいだで話題にのぼるのは、クリスマスをどこで過ごすかということ。それぞれが、暖かい土地へ移動していくのだという。「あなたはいつ、ラサを去るの?」とエレンが尋ねると、「キミがラサを去ったあとだ」とマコトが応える。手を振って見送るのが、礼儀だと思ったからだ。

大勢に見送られて次の土地へ向かうタイミングの者もいれば、ひとりひっそり出ていく場合もある。
「何時ごろ出発ですか?」と尋ねても、「お気遣いなく」と返答があれば、見送るのを控えなければと考えてしまう。手を振って見送るのが、感謝の意を示せるそのときの最大限の行為だと思っても、人にはそれぞれ出発の流儀があるだろうし、ほかの人に見送られたいかもしれない。
旅立ちって、それほど大事にしたいことだと、私は思う。

昨秋、ヒマラヤ登山のあと、メンバーが次々と別の土地や帰国の途へついた。私の帰国日が、予定より早まることになり、フライトをブッキングし直すことになったとき考えたのは、最後にネパールにいるメンバー、カマちゃんのことだった。
エレンとマコトのやり取りを思い出したのだ。
見送ってくれる人がいないのは寂しい、見送られるのは元気づけられるって私は思っているし、この旅では、私が見送るものなんだって思ったからだ。
数日後、カマちゃんはネパールの国内旅行から戻ってきて、一晩をカトマンズで過ごしたのち、帰国することになった。
空港へのクルマに乗車するところで見送るつもりが、ひょんなことがあり、一緒に空港まで行った。そして、互いに言葉を交わし、ゲートに入っていくカマちゃんに手を振って見送ることができた。
彼はどう思ったか知らないが、よかったなあと思った。

さて、先月シャモニーで投宿した先には、韓国人が大勢滞在していた。韓国人と日本人のカップルが営んでいる宿だからだ。
にぎやかで、エネルギッシュで、自炊のキッチンで毎晩のように焼肉を作り、キムチと併せて食べている人たちのなかで、ひとりだけ物静かな女性がいた。一人旅をしているそうだ。

ある日、ブレヴァンに岩登りに行ったとき、私たちと同じロープウェイに乗車し、ハイキングに出かけていく彼女の後姿を見かけた。
以来、宿で小さな会話を重ねるようになった。
またある日は、テラスで一緒に夕ご飯を食べた。それぞれが作ったものを手にして、乾いた気持ちいい風に吹かれながら、お喋りをしてご飯を食べた。

とても好感のもてる女性で、歳相応の大人らしさと美しさを備えていた。
そして、ちょっと茶目っ気があって、観察魔の彼女の話を聞くのが、私は楽しかった。

いよいよ彼女が帰国の途につくときがやってきた。
「4時にバスが迎えに来るの」と教えてくれたとき、腕時計の針は30分前を指していた。帰国してからどんな予定なのか、この先どんなことをするのか、互いの話をしたり、連絡先を交換してときを過ごした。
けれど、4時になってもバスはやってこない。どうやら遅れているようだ。
「いいの、気にしないで。部屋に戻って」と繰り返す彼女に、とうとう私も部屋に戻り、翌日からのパッキングを始めた。
そして、バスがやってくる音がしたとき、部屋の天井近くにある横細長い窓から顔を出し、手を振った。
彼女に見えたかどうかわからないけれど、元気でね、と手を振った。

012cfd1753a4ce1684e3ca2bb74d82c431e
0189ed4e554410fb377e3addca2124488c2

2016年7月11日 (月)

夏の空気

夏生まれは、夏が好きだといのが私の持論。だから、私は夏が大好きだ。
「暑いのは苦手、好きじゃないんだよね」という方は、大概冬生まれのように思う。

夏のど真ん中も好きだけれど、「いよいよ夏がやってきた」「今日から夏だ!」と感じられるような、夏の気配が色濃い朝も大好きだ。

6月の2週間ちょっとをシャモニーで過ごすなかで、何度か空気が入れ替わった。
13日にシャモニーに入った日は、肌寒かった。翌日、エギーユ・デュ・ミディに上がって登山者たちのいでたちを観察するに、私は登山靴の選択を間違ったのではないかと心配になった。私が持ってきたものよりも2ランクぐらい上のものを履いている人が多かったからだ。

その後、何度か空気が入れ替わり、夏が近づくのを感じた。
いよいよ夏かなって思って、山登りをして、確かに強い日差しがあったけれど、でもそれはまだ夏のほんの入り口に過ぎないような日が続いた。

夏至の日は、日中は雨が降った。
この日の私たちはあちこち移動したけれど、メンバーのなかの二人だけがバスを使った。
そのとき、バスの運転手さんに「夏至の夜、フランス中で音楽を楽しむんだよ。だから、今晩はシャモニーの街もあちこちで生演奏が繰り広げられるね」って教えられたそうだ。
部屋の窓越しにメンバーたちと話をしているときに、そんな土産話をしてくれて、「じゃ、今晩、音楽を聴きに行こう!」と話はまとまった。
かつてパリのオーケストラでフルートを吹いていた後輩も、夏至の夜の話をしてくれたことを思い出したりもした。

しかしそれでも、私の肌感覚では、「夏がやってきた!」とはならなかった。
夏に向かって、確実に季節が進んでいる感はあったけれど。

「いよいよ夏がやってきた!」と感じたのは、イタリアへ出かける朝だった。
私はシャモニー滞在中、毎朝、ちょっとだけ早起きをして、ジョギングをしたり、猫に会いに散歩をしに出かけていた。道端には野花が咲いているし、ちょっといけば森のトレイルやハイキングコースがたくさんあるので、行先には事欠かなかった。

この日もいつものように、5時過ぎに部屋を出て、宿の扉を開けると、しっかりと空気が入れ替わり、夏がそこにあった。空には半月が残っていて、少しだけ雲があったけれど、今日から夏なんだって確かに思えた。
この感覚は、なんとも言葉にするのが難しいのだけれど、毎年毎年、ある日の朝、どこかで感じることだ。
色んなことがあるなかで、ほんとうに次の季節が巡ってきてくれるのか、思い描けないでいる日々だったけれど、今年は、ほかならぬイタリアの山に登りに行く朝に、夏の到来を知ることができた。
これは、山に登れるのと同じぐらい嬉しいことだった。
01e4cb87d7bbd429635f7c6ea65542315cc

2016年7月 5日 (火)

MJリンク・台湾最高峰玉山へのお誘い!

***

現在お申込みいただいた方々の登山申請が、無事完了しました。今後お申込みいただく方々については、即時受け付けはできませんが(新たに申請するため)、まだまだご参加いただける可能性があります。お問合せください。

***

20~40代の自然に親しみたい女性たちのネットワーク「MJリンク」(呼びかけ人:田部井淳子さん)では、11月20日~11月23日に、台湾の最高峰・玉山の登山を計画しています。

外国人枠の登山申請をしなければならないため、参加申し込みを7月19日(火)で締め切ることになりました。
残席がありますので、お考え中の方、ぜひお早めにお申し込みください! 検討中の方など、ご不明な点はいつでもご相談ください。

同行は、田部井淳子さん(一部)と、MJリンクサポーターであり登山ガイドの菅野由起子さんと柏澄子です。
山と温泉、台湾グルメを楽しみに、ご一緒しましょう!

登山内容などに関するお問い合わせ MJリンク mjlink103@gmail.com
旅行部分に関するお問い合わせ 西遊旅行 mjlink-tabi@saiyu.co.jp

募集要項など詳細は、下記のMJリンクブログをご参照ください!
http://mjlink.blog.so-net.ne.jp/2016-05-18

2016年7月 4日 (月)

山岳ガイドの死

シャモニー周辺に2週間ほど滞在しているなかで、ジャン・フランソワというENSA(フランスの国立スキー登山学校)の教官をしている山岳ガイドの方が、ロシュフォールという山で亡くなる事故があった。
私自身は、彼と面識もなかったのだけれど、一緒にガイドの研修中だったメンバーたちがとてもお世話になった方だというご縁もあり、ある金曜日のセレモニーに参列した。
セレモニーは、ENSAのなかにあるホールで行われたもので、ジャン・フランソワのご家族とガイドや山の仲間たち、それからENSAの関連の方々が集まった。写真家でもあった彼の作品が、スライドで流れ、仲間たちが、そしてご家族がポツリポツリと彼の思い出話をしていた。
すべてフランス語であり、まったく理解できなかったことが、とても悔やまれるのだけれど、ときどき、小さな笑いもこぼれ、彼が皆に愛されていたのだろうことが、うかがわれた。

シャモニーというアルピニズムの本場に、私は登山をしながら、また登山について書くことを生業としながら、今回初めて訪れた。
これだけ、登れる山、登りたい山、登りたいと思わせる山々に囲まれた土地がほかにあるだろうか、というようなところであり、若いころに訪れ、少しずつでも登るべきだった、ヨーロッパの山を知るべきだった、ヨーロッパの登山に触れるべきだったと、取り返しのつかない後悔をした。

登山は、元来危険なものであり、こんな恵まれた山岳環境にあれば、当然シャモニーでも死亡事故は時々起こる。山岳ガイドの死もある。
だからこそ、プロフェッショナルであり経験豊富であり、シャモニーの山をよく知っていたであろう方の死は、自分に対して、真剣に山登りを学び、考え、実践せよという、強い戒めになった。
それと同時に、じつはセレモニーのとき、まったく別のことも考えていた。

シャモニー滞在中に、あるカップルから秋の結婚パーティのお誘いメールをもらった。なんて返信しようかと考え、こんなこと言う資格もない私ではあるが、「結婚とは、相手の骨を拾うこと、拾うと決意することだと思っている」というような節を書いた。若い彼女からの返信には、「私も、結婚やパートナーというのは、死んだときに身体を拭く人だと思う」とあった。
「あなたの人生、幕を閉じました。本当にお疲れさまでした、ありがとうね」と、相手の身体を拭いてあげたい、こう思えるのが、人生のパートナーなのだと、私も思う。

セレモニーでとうとつと父について夫について語る家族たちをみて、やっぱり家族というのはいいなあと思ったし、人生のパートナーをもつことは素晴らしいことだと思った。
Fap6240268

2016年6月16日 (木)

栗秋正寿さんインタビュー@『山と溪谷』

『山と溪谷』7月号(6月15日発売)に、栗秋正寿さんのインタビューを載せました。

誤解がないようにすると、困難性の高い登山をしている人たちを否定しているわけではもちろんなく、いかにそれを克服するか試みる彼らの足取りを知ることは、とても興味深いです。しかし、クライミングのグレードや“〇〇のいちばん”とかいうような数字やタイトルにとらわれ過ぎると、登山の本質を見失うことになりかねないでしょうか。

記事に書いた通り、栗秋さんの登山は、自分で選び自分の手で作り上げた時間のなかにあり、しかもそこには誰も経験していない世界へと自分自身を推し進めていく勇敢な姿もあります。肝心なことは、第三者の視線ではなく自分自身が求めているものに向かっているということであり、だからこそ栗秋さんは、とっても豊かな人なんだなあと思うのです。きっと、登山が大好きな人なんです。

今回は、アラスカの親友から手渡され携帯していたSPOTを使い、救助要請をしたことなどについて触れています。
遠藤甲太さんによる渡辺斉さんのインタビュー記事から、心揺さぶる言葉を引用させていただきました。

またこの記事は、一昨年の黒田誠さん、増本亮さんと栗秋さんの座談会(『山と溪谷』に4号に渡って掲載)があってこそのものでした。
関係した皆さんに、お礼申し上げます。

そして、GW明けに福岡の栗秋邸におじゃまし、6時間以上話した内容は、またいつかどこかに書きたいと思うし、話が尽きないままフライトの時間がギリギリに迫り、帰り際「じゃ、また来ますんで」と自然と口にした自分に、あとで気づきました。

Fb055

SPOTとレスキューヘリにピックアップされたときに着ていた高所服ととりあえず持ち帰ったシンプルなザック

Fb027_4

毎回持っていく日記帳。字詰行詰ビチビチで書かれてあり、本人も読解困難

Fb044

デナリ国立公園を訪問する子どもたち向けのパンフレット。日の丸を自分の名にちなんで栗にした旗が、タルキートナのレンジャーステーションにあり、ここに彼の登山の記録が書き込まれている。

2016年6月13日 (月)

ランタン谷に

ランタンプラン代表の貞兼綾子さんから、お便りと写真が届きました。

昨秋、ヒマラヤキャンプが終わりみんなと別れたあと、ランタンに入る計画をしていました。ことの発端は、昨年4月25日のネパール大地震のあとの、和田城志さんのインタビューにあります。和田さんたちは当時、ランタン谷のどん詰まりにあるランタンリという山を登山中でした。地震後の28日に、ヘリコプターでBCを脱出したとき、谷を低空飛行した機窓から和田さんはランタンの様子を動画撮影しています。おそらく世界中のどの報道機関よりも早くに撮影したものであると思われます。和田さん宅にインタビューに行ったとき、この動画をみせてもらい、絶望的な光景に言葉を失い震えました。

ランタンプランは、氷河・水文・気象・地形・生物調査関わっていた研究者たちが中心となり、1986年に発足しました。地域の自然と住民たちの生活を考え、代替エネルギー導入などに取り組んできました。私は、代表の貞兼綾子さんに古くからお世話になっていることもあり、これまでもランタンプランの活動について伺ってきました。

そのランタンプランが、和田さん達の映像と、さらには宇宙開発機構の協力を得て、被災前後のランタン谷の航空衛生写真を使い、そのうえで自身達の専門性を集結させ、地震後のランタンの復興支援を始めました。これまでのランタン谷との長年の付き合いや信頼関係を基盤にし、ランタン村の再建に乗り出したのです。あれほど根こそぎ崩された土地であっても、やっぱり村民たちは戻りたいのです。誰が止めることができるのだろう……と思いました。

貞兼さんは、昨年5月末には現地入りし、その後も2回にわたり、長期的にネパールに滞在し、ランタンの村民たちと話し合いながら、どのように村を再建するのか、できるのか探る彼らの手伝いをしています。

私のランタン行きは、ランタンの様子を取材し、ランタンプランに少しでも協力することも目的としていました。ヒマラヤ登山のキャラバンの最中、そんな事後の予定を思い描きながら、メンバー達がもってきていたソーラー充電式のLEDランタン「ソーラーパフ」を、数個でも現地に持っていこうかと考えました。すると、隣にいた花谷泰広さんが、「だったら、協力するよ」と。最初は自分の小遣いの範囲で持っていくつもりでした。彼らがほんとうにこの灯りを必要としているかわからなかったし、自分が持てる量も限られているからです。

そこで、貞兼さんを通じて、ランタンコミュニティの代表であるテンバに相談すると、「この先もながらく電気には不自由するし、このようにシンプルで軽量コンパクトなものは役立つに違いない」という回答が返ってきました。それは当時、カトマンズのイエローゴンパに避難していた村民たちが、徐々に村再建のために山に戻り始めていた頃でもありました。

早速、甲府にある登山道具店エルクの柳澤仁・孝子夫妻に相談の電話をすると(Wi-Fi使用料金だけ払えば、あとはメッセンジャーやLINEの無料電話が使えるので、とても便利な時代です)、必要個数を仕入れてくださるとのこと。さらには、店頭に「ランタン谷にランタンを灯そう」というキャッチフレーズの募金箱も置いてくださいました。来店者たちが募金してくださったり、山梨県山岳連盟など県内の山岳関係団体からの寄付もありました。思いがけず話が広がり、私が下山してカトマンズに戻ったときには、40個のソーラーパフがカトマンズに届いていました。

結局、ネパールの新憲法制定に関連した燃料不足などが関連し、私のランタン行きはかないませんでしたが、カトマンズでテンバに会い、40個を手渡すことができました。ちょうどバンダ(ゼネスト)の日で、外国人の私が動くのは難しいだろうと、リングロードの外側に住んでいるテンバがバイクを使って、通常の3倍近い時間をかけて私のホテルまで来てくれました。

ソーラーパフは、テンバと貞兼さんのアドバイス通り、ゴタルーという山を移動しながら牧畜に従事している人たちに渡すことになりました。ランタンの産業、社会を作り上げている根幹にある人たちだからです。
様々な事情が重なって、結局40個の灯りがゴタルーに行き渡ったのは、今年5月のことです。

以下、貞兼さんからのお便りと写真です。

***
柏澄子さま

このメールが送信されるのは、大分先のことになると思います。

5月23日、ゴタルー( gothalo 牧畜専従者)たちは冬の放牧地からようやく夏の放牧地へと一斉に村周辺まで移動してきました。その翌日、村の会議場=草地でゴタルーたちとの会合を持ちました。今回のミッションの後半「ランタン酪農組合」始動のための事前の説明会です。全員が集まってくれました。その最後に、遅くなりましたが、かわいいソーラーランプを配布しました。写真を添付します。嬉しいプレゼントだったことがわかります。
彼らはすでにソーラーをフルに利用していてモバイルのチャージなどもしているようです。この彼らの表情からすると、何か別種のものに出会ったような感じですね。小さくて軽くて移動に便利です。
家畜群はあと3週間ほど村周辺で放牧後、一気に高度をあげて3800〜4000メートルの放牧地へと移動します。

写真、最後の一枚は、昨年の大地震で一番ダメッジを受けた放牧地から撮ったランタンリルン峰です。
彼らからの感謝の気持ちを写真に込めます。

2016年5月27日 ランタン谷にて
貞兼綾子
***

ランタン村の再建に向け、ほとんどの村民が2月にはランタン谷に戻ったそうです。
ランタンプランは、当初からのミッションにのっとり、今後もランタンの人たちが自分たちの手で村を作り、生活を再建していけるよう協力していくとのことです。
今後は、ランタンの重要な産業のひとつチーズ作りを復活させるために、吉田牧場の吉田全作さんも現地入りするそうです。
ランタンプランの詳しい活動は、以下のサイトでご覧いただくことができます。
ランタンプランFB

https://www.facebook.com/langtangplan/
ランタンプランHP
http://www.wrc.kyoto-u.ac.jp/kohs…/langtang-plan/LTplan.html

お力添えくださったのは、甲府の登山道具店エルクの皆さま、ご来店しご協力くださった皆さま、山梨県山岳連盟をはじめとした山梨県内の山岳関係団体の皆さま、花谷泰広さん、我妻一洋さんです。ありがとうございました。

私自身は、今後もランタンプランを通じてランタンに関わり合いを持っていきたいと考え、またこれまでたくさんのことを与えてくれたネ
パールに思い寄せて、震災後の復興のために自分の立場から尽力したいと思います。

Lump1


Lump2


Lump3


Photo

2016年6月 3日 (金)

お題-ポータレッジ

7.8年前になるだろうか。偶然見つけた、近くのカイロプラクティック・ドクター。
水泳選手だった方が、自身がアスリートしてのその道を極めることをあきらめ、ケアする側に回ったという方。
彼のところに通うようになって、初めて、アメリカにはメディカル・ドクターと、カイロプラクティック・ドクター、ホメオパシー・ドクターがいて、いずれも根幹には医学があり、これらドクターになるためには皆が、医学を学び国家資格を取るということを知った。私の通うカイロプラクティック・ドクター自身が、アメリカで勉強し資格を取った方だったから知りえたことだ。

膝の怪我や故障が多く、誰にも膝なんて触られたくないと思っていた私が、このドクターに出会って、最初の最初からなんとも心をオープンにして、信頼し、痛い膝を差し出すことができたのには、我ながら驚いた。彼には、他者に心を開かせるチカラがあるのだ。そのチカラがどんなものか、言葉にするのは難しい。

膝痛が治まってからは定期的に通うことはなくなったが、怪我をしたり、なにか問題が生じたときには、いまでも駆け込む先となっている。

治療内容、腕の良さ、回復の速さは言うまでもないが、それ以外にもココに通う面白さが、ひとつある。
それは、1時間にわたる施術中のドクターとの会話だ。
最初は、登山やスキーというスポーツに関する質問が多かった。どういった動きの運動を、どの程度の強度でやるのか、ドクターとしても知る必要があり、質問攻めだった。
何年も通ったので、およそのことは理解いただいたし、山岳雑誌にも登場いただいたりもしているので、もうそういった質問は減ってきた。

それでも依然として、登山やスキーにまつわる、ありとあらゆる質問は事欠かない。
動植物やクライマーという人種、歴史、天気、雪崩、地理、地形などなど。また職業がら、ウィルダネス・ファーストエイドや登山医学についても興味津々で、質問が多い。おそらくなにごとにも、好奇心が旺盛な方なんだと思う。

毎回いただく質問‐お題に、端的に適切に答えられるよう、こちらも頑張る。それには、なかなか反射神経も要する。
わからないことやあやふやにしか答えられないことは、次への宿題としている。
しかし、私は登山を生業としているわけで、答えられないなんてことは、本来はあってはならないのかもしれない。

今回のお題も、なかなか面白かった。
「岩壁を登っている人が、ベッドのようなものをつりさげていますが、あれはなんですか?」から始まった。ポータレッジを、どこで見てきたのだろう。
名称から使い方を説明すると、「ポータレッジができる以前は、どうしていたんですか?」ときた。なるほど……。
それには、登山の歴史を紐解きながら話さなければならない。
たとえば、ヨセミテの話だけをしているのでは完結しなくなってきて、あちこちの土地の登山の歴史を話し始めた。

自分の知識を確認する場、知らないこと、自分の弱点を確認する場にもなっているし、また知っていることをわかりやすく簡潔に説明するトレーニングにもなり、アタマをフル回転させる貴重な機会だ。

さて、来週のお題はなんだろう。

Img_6962_2


マルティン・チャンビ


ちょっと前のこと、ペルー大使館で開催されていたペルー人の写真家、マルティン・チャンビの展覧会を見てきた。
東京に住んでいる利点をあまり見いだせずにいるけれど、こうやって写真展や美術展、映画や音楽など文化的なものに、多く気軽に触れられるのは大きな利点だと思う。その割に、その利点を活かしきれていないけれど。

チャンビの写真は、インクジェットでよみがえらせた作品もあったけれど、やがて彼のアシスタントになる二女がガラス乾板からプリントしたものもあった。
「光の詩人」が描く1920年頃から30年ほどのペルーの世界が、まさに時空を超えてやってきた感。
9年も前の『風の旅人』(2007年12月)で初めて知った写真家。なんとなく印象だけが残っていたのだ。

閉館まで2時間近く長居をしたら、この展覧会の主催のおひとりだというHさんという方がいらっしゃって、写真の解説をしてくださった。企画者である白根全さんと一緒に、10年以上前からチャンビの写真を日本で!とあちこちに働きかけていたという。...
チャンビの写真展のなかでは規模最大級の(おそらく展示数はMoMAよりも多い?)リオの展覧会の図録が、会場入り口にあるが、そのなかには、当時パリに住んでいた藤田嗣治夫妻がインカにあるチャンビの写真館を訪れ、記念撮影に収まっている写真が載っている。これも、Hさんに教えていただいた。

展示されているものは、優しく柔らかな写真が多いけれど、よくよく見つめていくと、歴史や民俗など深く読み取れるもので、あらためて写真表現の可能性に打ちのめされる。チャンビ自身、フォトグラフィックがもっとも説得力があるというのだから。
もっとも彼には、激しいほどの自分たち民族の誇りもあったのだろう。

私より2週間ほど早くチャンビの写真を観に行った方が、いつかインカの写真館でチャンビの写真を観たいとおっしゃっていた。なるほど、それは最高なことではないだろうか。

Hさん曰く、いつか日本でもMoMAやリオの展覧会規模で、チャンビの写真を見せたいと。20,000点以上残されているというので、いつの日かもまた、楽しみだ。

P5170005

居場所

自分が暮らす場所を、自分ひとりの考えや気持ちで決められる人は、おそらくそういないわけで、いろんな事情と折り合いをつけながら、どこかに着地させる。いっときの着地かもしれないし、長くなることかもしれないし。

果たして、ここが自分の居場所となりえるのか、実感がもてないまま、暮らし始める。暮らしながら、なにがしかの調整をつけながら、自分の居場所を、ここにあるいはほかに作っていくのかなあと思いながらの日々。
Fb_dsc0003_2

2016年5月23日 (月)

父との散歩

昨日、千葉市立美術館で開催されていた「生誕140年 吉田博展」に行ってきた。
その帰り道、ちょっと近くを散歩してきた。
行く前から、気持ちはもやもやとしていた。
書き上げた原稿を編集者に送っておいたのだけれど、珍しくすぐに返事が返ってこなかった。彼はいつも、すぐに返事をくれる。
「これから会議だから、今すぐは読めないけれど、夕方には連絡します」というとりあえずの返事の場合もあるが、読んでくれた場合は、良きにつけ悪しきにつけ、コメントがある。
良かった場合は、ずばり褒めてくれる。なんとも爽快な褒め方で、誰に褒められるよりもうれしくなってしまう。まあ、そこまで爽快に言ってくれたことは、記憶のなかでも数回しかないけれど。
改善点を求められる場合も、ある。それは執拗なまでの箇条書きにされていることもあり、なかなか手厳しい。手厳しいけれど、とてもありがたい。
ここまで熱心に読んでくれる人は、ほかにいない。
つくづく、書き手は、編集者なしでは生きていけないと思う。
今回はしばらくして、「おたふく風邪で伏せっている」と返信があった。私からの、「どうもキリリっとしない原稿になってしまった」という泣き言に対しては、「体調不良につき今すぐに精査できないので、インタビュイーに先に原稿を見てもらっておいてください」と、進行上を考えると至極真っ当な返信があった。

とりあえず、原稿を持ったまま美術館へ行った。
吉田博は表現者としても行動者としてもパイオニアであることを知り、作り上げた作品も素晴らしければ、「何をやろうとしたか」その姿勢もまた偉大であることも知った。
これはまるで、いま私が書いている登山家のようではないか、とも思った。

そんなことを考えながら美術館を後にし、大和橋まで歩いて行った。
小さいころ、よく亡父は、「澄子は、大和橋のたもとで拾ってきた」と言った。自分の娘を橋のたもとで拾ってきたという父親がいるのかわからないが、父はちょっと変わったことを言う人であることは、幼心ながらわかっていたので、なにも気にしていなかった。けれど、大和橋に来れば、必ず父のその言葉は思い出す。
ここへ来たのは10年ぶりぐらいだろうか。

そして、ハタと気づいた。「拾ってきた」と記憶していたけれど、「澄子は、大和橋のたもとで産まれた」と言っていたのではないだろうか、と思い至った。
母が私を出産したのは、大和橋から仰ぎ見ることのできる猪鼻山にある病院なので、当たらずとも遠からず。いや、「大和橋のたもと」と言ったのには、意味があったのではないかと、考えた。
父は、とうの昔に亡くなっているので確かめるすべはなく(いいや、生きていたって、そんな会話はしない父娘であり)、気づいたというよりも、そう想像したって方が当たっているのだが。

私が30代半ばのころ、比較的短い入院期間を経て亡くなり、自営だった父の仕事の後片付けは、従業員たちと相続者である私と一緒にやり、てんてこ舞いだった。けれど、片づけをしながら、従業員や取引先の人たちと顔を突き合わせながら、父の職業が社会的にどのような役割をするものだったのか、また彼の仕事ぶりがどんなだったか、知った。
それらと重ね合わせて考えると、ひょっとしたら「大和橋のたもとで産まれた」と言ったのかもしれない。

そんなことに、いまさらながら思った。
大和橋は、父にとっても私にとっても、とても縁の深い場所であるけれど、もうなかなか来ることもなくなってしまった。

ブログは、仕事(原稿書き)を始める前の準備体操だったりする。
今朝も、準備体操をしていたら、体調不良ながら入稿のためだけに編集部に這ってきた(這ってきたは、私の想像域)の編集者からメールが来た。
「全体的に、まどろっこしいです」。
その通りなんです。体操を終えたので、本業へ。

Fbp5220011

旅する飲み物

クライマーや山岳ガイド、スキーヤーなど山に関連する人が多く住む地域というのが、あちこちにある。いいフィールドが近いところだ。
なかでも、先日訪れた北杜市は、私が好きなところのひとつ。その理由は、甲斐駒ケ岳などかっこいい山がよく見える、いい岩や山がすぐ近くにある。そして、住んでいる人たちが、気持ちよく、また快適な距離感を思いやりをもっているからだ。
そんな話を、先日泊めてもらったクライマーファミリーの住人達にすると、「この独特の距離感や気の使い方が、好きなんですよ」と言っていた。
なかなかあることではなく、心地よい。

その日夜、近所のクライマーたちが集まってきて、にぎやかな鍋大会になった。
ワインはシラーズやソーヴィニヨン・ブランがとりわけ好きというのは、私の好みだが、そんな好みは、旅先で覚えたなあと思いながら飲んでいると、ある人が言った。「僕がクライミングで通うところは、みな美味しいワインがあるなあ。パタゴニアに西海岸、フランス」と。なるほど、確かに。

翌朝、目が覚め、台所へ行くと、すでに朝ごはんを作り始めてくれていた。
珈琲豆をひいてくれたので、「淹れましょうか?」というと、「いいですよ、僕がやります」と。お湯を注ぐと、豆がふっくらして、美味しそうな匂いが立ち上がってきた。
珈琲もまた、クライミングトリップには欠かせない飲み物だろう。
 
飲み物だけではない。食べ物も、音楽も織物も、みんな旅先で覚えた。
Fb015

2016年5月19日 (木)

テープ起こし

昨日はとうとう観念して、テープ起こしをした。
インタビューを録音するには、いくつかの目的がある。
今回のインタビューは6時間ほどにおよび、原稿を書く際にすべてを起こす必要はないと考えていた。けれど、いざ書き始めると、構成が定まらず行ったり来たりを繰り返す。これでは先に進まないと、とうとう締め切り日を目前にして、やっとテープを起こし始めたのだ。

6時間と言えども、最初はインタビュイーの方が昼食を作ってくれながらで、そのあとふたりで食べたり、最後にはおやつに焼いてくれたお菓子も食べながらなので、みっちりという風ではない。そのためか、ざっくりしたものではあるが、8時間もかからずに起こせた。ちょっと気合入れたけれど。

インタビューでは、なるべく相手の言葉をそのまま、相手の心情や考えをありのまま受け取ることを心がけている(つもりだ)。だから、あまり言葉は挟まない。
インタビューをする相手は、大きな感情の揺さぶりがある場合や、なにかに直面しているときもある。当然、心のうちは整理されていない。言葉にならない思いもある。
けれどそれであっても、私はなるべく言葉を発さずにいる。

時々インタビューを受ける側になるときがあるが、「この記者は、もう自分でオチを決めてきたでしょう。記事の筋書きが出来上がっているでしょう」と感じることがあり、あれは最悪だと思っている。誘導尋問みたいなものだ。

しかし今回は、違った。わかっていたことだが、テープを聞いて、私は結構話をしているなあと再確認した。でも、誘導尋問のつもりはなく、聞かれたことに対して、自分の考えを述べているまでだ。

インタビュアーは、カウンセラーでもなければ、友達の相談に乗っているわけでもない。けれど、インタビュー中にこれほどまで自分の考えを述べたことはなかったなと、思った。

それにしても、6時間ものあいだ終始笑いの絶えないインタビューだった。テープには、私が大笑いする声が、何度も録音されている。
シリアスな場面に直面し、忸怩たる思いで山を去った。どこにも向けることのできない、着地できない心を抱えて、帰ってきた。

それであっても、話の端々には、いつもユーモアがある。そして、私はそれを聞いて、ぷって笑ってしまう。
なんでしょう、このしなやかな強さは。

Fb017

2016年5月16日 (月)

雑誌の切り抜き

自分が好きな雑誌の記事を切り抜いて、クリアファイルに入れ、机の正面にある大きな引き出しにしまってある。分野は関係ない。それらがどんな記事なのか一言でいえば、「好きな記事」「好きな文章」ということになる。

小説家の角田光代さんが『ホテル・ニューハンプシャー』について書いたもの、書評ではなく、見開き2ページのエッセイ。
翻訳家の小澤瑞穂さんが、ローラ・フィジィのアルバム『ビウィッチド』を紹介したもの。これを読んで、もちろん、ローラ・フィジィのCDを買って、夜な夜な聴き続けた。
作家の遠藤甲太さんが、登山家・渡辺斉さんについて書いたもの。これは、『岳人』1997年6月号。『岳人』が東京新聞出版局にあったころ、編集部でほかの記事を探すために合本を読み漁っていたときに見つけたものだ。

ほかにも数点あるが、このファイルの中味は、なかなか増えない。いい記事、感銘を受けた記事は多々あるはずなのだけれど、心底「好きだ」って思えて、繰り返し読みたくて、ふとしたときに文章の一節が心の中によみがえる記事というのは、そう多いわけではない、ということなのかもしれない。
ましてや、私の記事を切り抜いて、大切にとっておいてくれてる人なんて、いないだろうなあと、うなだれた。
そんななか、このたび、昨年夏、あやうく見落とすところだったある記事を加えた。
この書評は、「情熱とはなんたるか」が書いてあるのだと思う。遠藤甲太さんが斉さんをインタビューした記事に続いて、山岳雑誌からふたつめ。

 

2016年5月 8日 (日)

山岳ガイドたちの生き方

書く仕事において、インタビューはつねに行われている行為ですが、その内容をダイレクトに記事にする場合(インタビュー記事)と、間接的に活かさせてもらう場合があります。
いずれにしても、人と話すこと、人の話を聞くことは、私の仕事において、とても重要な行為です。 そして私はやっぱり、山に関連することを書きながらも、そこに人の生き様を感じるわけで、インタビューが好きですし、人も描きたいと思っています。

さて、拙ブログに、山岳ガイドやクライマーなどの名前を検索して訪問いただく方も多いですが、GORE-TEX®のサイトに掲載させていただいているインタビューなど、リンク切れのものがありました。たいへん失礼しました。
なかでも、2012年から1年ちょっとかけて山岳ガイドの方々をインタビューした記事については、ここに整理しました。
また過去のエントリーについても、各々リンクを貼りなおしましたので、ご覧いただければ幸いです。

インタビュー時からずいぶん時が経ちましたので、その後のガイドの皆さんにも変化、変容があるはずです。
ますますご自身の個性を表現し、ぶれない実のある生き方をしている方、仕事で会うことは少ないけれど、遊びの場で会うと、ほんとうにいつもユニークで自由で楽しそうな方、ガイド業以外にも、職業上の2軸を作り、登山社会全体に関わっていこうとしている方、国際山岳ガイドになり仕事場を海外へ広げていっている方、山岳ガイドの社会全体をけん引する存在になっている方など。
どなたも、力強い生き方をされていて、手前味噌ながら、ほんとうに素晴らしい方々にお会いできたと思っています。
そして、山岳ガイドという仕事は、とても難しくたいへんな職業ではありますが、登山と深く関わっていくじつに魅力的で奥行きのある仕事だと、あらためて感じました。


*山岳ガイドたちの生き方*

黒田誠さん     
「徹底した職人の根底にあるのは山への憧憬」

廣田勇介さん    
「山を学び続ける、その志にある大きな勇気」

佐々木大輔さん   
「多くの人と楽しみを共有したい。日本のガイド社会を成長させていきたい」

江本 悠滋さん  
「職業としての山岳ガイドはなにか、考える」

加藤美樹さん  
「努力の塊はしなやかに、たゆまず道を歩む」

花谷泰広さん  
「”分厚い登山経験”の中から人間性を高める」

角谷道弘さん  
「もしも、人生最高の瞬間を共有できたら」

松原慎一郎さん  
「ものづくりの自由とスキーの自由 ふたつを融合させるガイディングを」

菊池泰子さん  
「山と対峙する覚悟。生涯、山岳ガイドであり続けたい」

林智加子さん  
「自分を活かせる仕事が、登山ガイドだった」

加藤直之さん  
「本質を見つめ続け、人間同士が交わえるガイドをしたい」

なお、フェイスブックのページ
には、初出の『山と溪谷』やGORE-TEX®のサイトには掲載していない、インタビュー時の笑顔の皆さんの写真も載せてあります。

2016年5月 3日 (火)

ひと区切り

テレビなし生活になって、4ヶ月。
ひと区切りの今日は、風が薫る日だった。

原稿を書き、何度かゲラを読み、校了あるいは責了すると、そこで自分の手から離れ、ものすごい開放感を味わう。そして、次のことを考え始める。

そのため掲載誌が届いても、自分の記事を読み直すことはまずない。よっぽど心配な”責了”をしたとき、以外は。
それよりも、何年も経ってから、ふとしたきっかけで手に取ったときに読むことの方が多い。

今日のお片付けで見つけたのは、中国西南航空の機内誌。中国の登山雑誌を何冊か処分しようと選っていたとき、なんとなく勘が働いて開いた一冊。
中国の登山雑誌や機内誌には3~4回は記事を書いたので、勘が働かずに処分してしまったものも、あるかもしれない。

運がよいのかはわからないが、勘が働いた一冊には、ちょっと大きな山に登ったときのことを書いていた。
つい最近雑誌に書いたのと、真逆のことを書いていた。
条件が少々違う内容ではあるけれど、なぜそんなことを書いたのか、自分の記事を読みながら、思い出した。

そうだ、あのとき、来日中のダグ・スコットの講演会に行き、彼の言葉が心に引っかかったのだった。

たまには、自分の記事を読み返すのも、よいのかもしれない。
思考の移り変わりを認識できたり、昔の方がいい文章、素直な文章を書いていることがあったり、「今はこんな風には書けないなあ」といろんな意味で感じたりする。

Fb003





2016年5月 1日 (日)

「自然とスキーと暮らしがすぐそばにある国 ノルウェーを旅して」@『WILDERNESS』

『WILDERNESS』(4/26発売・枻出版)、最後のご紹介は、黒田誠さん(写真家・国際山岳ガイド)がノルウェーを撮ったグラビアです。
タイトルは、「自然とスキーと暮らしがすぐそばにある国 ノルウェーを旅して」。
昨年5月末から2週間、スキーや探検に関する博物館をいくつかとソンドレ・ノルハイムの生家、さらにはスキーを履いた古代人が彫られている岩絵(石器時代)を見て回りました。

写真や映像に文章を添えることを、これまでにも何度かやったことがあります。 しかし、端正な作品には、文章は邪魔なだけであり、なんでこんな文章しか書けなかったのだろうといつも思います。
そんなことを考えていたら、ふと思い出した本がありました。
以前読んだ、後藤正治の『清冽 詩人茨木のり子の肖像』。
この本の冒頭に、「詩は文芸の領域で最上位に位置する」と書かれていたことが、心に残っていたのです。
私には、詩は書けそうもないけれど、写真に文章を添えるとしたら、詩がいちばんお似合いなのかもしれない、そう思いました。

何枚もある写真のなかで、私は、黒田さんがフィルムで撮ってくれた淡い絵の一枚がいちばん好きです。ページをめくって、どれであるか想像してみてください。

なお今号の表紙も、黒田さん
の撮影だそうです。重厚なアルプスの岩壁。
ほか特集シャモニーの記事でも、多数の写真を見ることができます。

*以下は、私が撮ったものです。

Fbp5300073

Fb_dsc0128


Ffb_dsc0734


Ffb_dsc0356

Ffb_dsc0591





2016年4月30日 (土)

「変わらないもの、変わりゆくもの シェルパたちの営み」@『WILDERNESS』

2本目のご紹介は、「変わらないもの、変わりゆくもの シェルパたちの営み」。『WILDERNESS』 (4/26発売・枻出版)に掲載してあります。

ネパールのクーンブ山域にある小さな集落、ティンポーという4200mの地で、春から秋のあいだ、バッティを営み、ヤクを放牧しているシェルパの家族についてです。
一昨年に出会い、昨年も会いに行きました。

私が書く仕事に就く決心をしたのには、ふたつのきっかけがあります。そのうちのひとつのキーワードが「シェルパ」です。
いままでシェルパについて書くことを封じてきたので、ライターになって20年の今回が初めてです。

昨年10月に私が彼らの家を去るとき、お母さんのミンマ・ディキが「ペーリー ベトンラ!」と繰り返していました。目に涙ためながら笑顔で。 「また会いましょう!」という意味です。
会えるかわからなくても、会いたい気持ちがあれば、「また会いましょう」と言いたくなります。
Fb_dsc0613


Fb_dsc0853



«「孤軍奮闘、未来をみつめ「ヒマラヤキャンプ」を作る人 花谷泰広」@『WILDERNESS』

2016年8月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

Information

  • ✾登山ガイドについて✾
    現在、MJリンクのサポーターやテントむし山旅プロジェクトbyAdventureDivasのガイドなどで活動しておりますが、このほかに個人ガイドをご希望の方は、下記「メール送信」をクリックの上、お問い合わせください。内容など、ご相談の上、実施したいと思います。

Magazines