2018年7月21日 (土)

ポートレート

ご一緒するのは、二度目。
前回は、30代前半のクライマーのポートレートを撮って下さった。
9月終わり、暑さが残るボルダーでのインタビュー。
本人は、インタビュー中に「いつまでも20代の気分」と語っていた。
彼が学生の頃から面識があるけれど、たしかに初対面の頃と変わらないフレッシュさがある。
けれど、インタビューを終えた日の夜、写真家から送られてきたアタリを100枚近く見ると、そこには、確実に歳を重ねた33歳の素顔があり、ハッとさせられた。

今回は、25年来の親友をインタビューした。
インタビューの場は騒がしく、人通りも多く、さぞ撮りにくかっただろうと思ったけれど、編集者がDorpboxに入れてきた写真は、そんなことは、まったくなく、鮮やかな作品ばかりだった。
それどころか、次々と写真を見るにつれて、なぜだか、泣けてきた。
ほんとうに、泣けてきた。

インタビューの内容は、友人のモノづくりについて。最後の言葉が心に残った。
もはや、彼らが作るものは「老舗」のそれだろうが、老舗だとか、ロングセラーだからとか、考えて作っているわけではない。日々、ただただ、よりよいものにしていこうと作っているだけ。毎日のその積み重ねが、ロングセラーとなる。

知り合ったのは、友人が学校を卒業し、いまの会社に入社したとき。四半世紀以上前。
その間、毎日毎日積み重ねてきたのだということを、インタビューで知り、そしてすっかり「おじさん」になった彼の顔に、その積み重ねがあらわれていて、それをリアルに写してくれた写真ばかりが、並んでいた。
だから、泣けてきた。

親友が親友をインタビューし、普段知らない彼の仕事ぶりに触れ、岩場でも山でも酒場でも見せない顔を見せた。初対面の写真家は、見たことなかったであろう、彼が積み重ねてきたものを写しとる。
だから、泣けてくる。

いったい、どんな感性で私のつたないインタビューを聞き、インタビュイーの表情を見ていたのだろう。すごい写真家さんだなあ、と思った。
感謝。
下の写真は、撮影いただいたものをパソコンの画面に映したときのもの。
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2018年7月20日 (金)

平出和也「バックパックの容量は、ひとつの覚悟」@ドイター

ドイターの輸入代理店である、イワタニ・プリムスのwebサイトに平出和也さんインタビューを書きました。タイトルは、「バックパックの容量は、ひとつの覚悟」。

ドイターとの出会いなど、バックパックのことを中心にお話いただいています。


本音を言うと、日ごろ、ガイドや執筆の仕事で、装備について尋ねられ、飽きてしまうことがあります。適した道具を選ぶことは大切であり当然だけれど、道具で山を登るわけではなく、道具は道具、それ以上でも以下でもない。そんなことを常々思うのですが、同じようなことを、平出さんも語ってくれました。
さらには、道具に宿る魂や、道具開発と自分自身の登山の関わりあいについても。

ミュンヘン郊外にあるドイター本社と密なるコミュニケーションをし、道具をもって登山家をサポートし続けてきた加茂卓也さんも登場します。

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2018年7月19日 (木)

ヤマケイオンライン連載「雨の山を楽しむ」Vol.3

連載「雨の山を楽しむ」。第3回は、ザ・ノース・フェイス(TNF)の大坪岳人さんをインタビューし、TNFの主軸アイテムである「クライムライトジャケット」の開発についてお聞きしました。

2015年に日本で開発された、GORE-TEXのC-KNIT™。これを搭載したウエアは、TNFとmont-bellが先駆けで開発・販売しました。その記者会見でお会いしたのが初めてでしたが、昨夏は、雪倉岳が望める登山道でも行き交いました。

登山のウエア開発に関わり続け12年。テストを重ね、現場からのフィードバックを吸い上げ、試行錯誤を繰り返しながら作っていく、その過程、周囲の方々とのコミュニケーションの話が、興味深かったです。

インタビュー記事は、コチラからどうぞ。

*クライムライトジャケットは、マイクログリッドパッカー搭載です*

バックナンバー

Vol.2  GORE-TEXの歩みとフロントランナーとしての信頼性 → コチラ
Vol.1 横尾山荘:山田直さんインタビュー → コチラ


Vol.4は、約2週間後、どうぞお楽しみに。

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山と山のはざまで

白馬岳周辺でのガイド登山を終え、翌日の大菩薩でのロケに備えて。

北アルプス山麓で、一晩過ごす。
のんびりするわけにもいかず、ガイド仕事の後片付けと、翌日の仕事の準備をする合間に、焼きそばととれたての夏野菜という贅沢なご飯を作ってもらって、共に食べながら、互いの話を。

病床にあるそれぞれの母親のことなど。時間はどんどん流れ、いまは過去になっていく。
難しいこともたくさんあるけれど、迷っていても仕方がなく、次へ次へとステップを踏み出す。
そんな友人の姿をみて、清々しいなあと思ったり。

デッキに出て、夜風に当たっていると、空に三日月が浮かんでいた。
昨晩まで、テントサイトで参加者のみんなと仰いだ月。
ガイド中のあれこれを、思い起こした。

参加のある一人が、「私にとっては、誰(←ガイド)と登るのかが、重要なんです」と言うのを聞いて、ハッとした。

登山ガイドの仕事をしているなかで、いただいたよろこびのひとつは、顧客に恵まれ、彼らからたくさんのことを教わったり、いい思いをさせてもらったり、色んなことを分けてもらうことだ。
けれど、考えてみると、友達を作りたくて山に登るのではなく、山が好きで山に登りたく続けてきたなかで、仲間ができた、というのと同じように、ガイドの仕事をしたくガイドを続けるなかで、結果的に顧客に恵まれ、彼らといい関係を築けるようなった、ということなのかと思う。

「私にとって、どのガイドと登るのかが重要」、ハッとさせられた一言だった。
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2018年7月 4日 (水)

ヤマケイオンライン連載「雨の山を楽しむ」Vol2

ヤマケイオンライン連載「雨の山を楽しむ」Vol.2
GORE-TEXの歩みとフロントランナーとしての信頼

 
山に登る人であれば誰もが知っているGORE-TEX。防水・透湿・防風性を兼ね備えたメンブレンとして、パイオニアでありそしてフロントランナー。揺るぎない信頼を得てきた理由、そのひとつは厳格なテストやアスリートたちからの細かなフィードバックにある、という話です。どうぞ。
 
Vol.2 → コチラ
Vol.1 横尾山荘:山田直さんインタビュー → コチラ

Vol.3は、ふたたびインタビューを予定しています。
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2018年7月 2日 (月)

テレビに映ったゲラから

ツィッターのタイムラインに、セブンルールというテレビ番組に校正・校閲者が取り上げられるという情報があった。テレビを持っていないので、オンデマンドで観ると、牟田郁子さんという校正・校閲者の仕事ぶりが紹介されていた。

書く仕事をしているため、校正・校閲の仕事は日常にあり、それほど珍しいものではない。
書き手にとってはなくてはならない存在であり、会う機会こそほとんどないけれど、ゲラに書き込まれた赤字に、校正・校閲者の顔が見えてくることすらある、身近な存在だ。

番組のなかで牟田さんが、大沢敏郎さんの『いきなおす、言葉』を手に取った。校正・校閲作業のなかで、参考となる書籍は片っ端から読むだろうから、なにが出てきてもおかしくはない。けれど、よりによって、大沢さんの本だ。
いったい彼女はいま、どんなゲラを校正・校閲しているのだろう、と画面に映し出されるゲラに目をやった。
すると、「寿識字学校」とか「長岡長一」という単語を見てとることができた。
これはいよいよ、このゲラが書籍になったときには、読まなければならない、と思った。

運のよいことに、牟田さんの連絡先を知ることができ、尋ねた。すると丁寧に教えてくださった。それが、『猫はしっぽでしゃべる』だった。
熊本にある橙書店の店主である方の書籍だと聞き、いったいどんな本なのだろう、と思った。須賀敦子の『コルシカ書店の仲間たち』のような本なのか、大沢さんのことは、どんな風に書いてあるのか、手に取り、ページをめくり、読み進め、たどり着くまでドキドキした。

故・大沢敏郎さんは、横浜の石川町駅近くにある大きなドヤ街真ん中で、寿識字学校というのをやっていた。
私はいまの仕事をする前、ユネスコの仕事をしており、識字教育の関係で大沢さんと知り合うようになった。私のいた職場の識字教育は、インドやネパール、バングラデシュ、タイ、カンボジア、アフリカなど識字率が低い国の教育支援であったが、日本国内にも存在する識字問題に触れる機会があったのだ。

寿識字学校に通ってきていた、長岡長一さんや梅沢小一さんの文章は、いまでもよく覚えている。圧倒されるものだった。ほかの人達の文章にも、いつも圧倒されていた。
彼らは、教育の機会を逸し、文字の読み書きに不便している大人たちだ。その彼らが書くつたない文章には、ものすごい力があった。
その力がどこから来るかは、ものすごく端的に言ってしまうと、書きたくても、書けなかった時間にためこんだ力であり、ほんとうに人に伝えたい気持ちなのだと思う。それは、並大抵の力ではなく、ほんとうに彼らの文章は、息をのむものだった。

そんな人たちの文章と、大沢さんはいつも丁寧に、そして真向から付き合っていた。
私のような者が、ときどき寿識字学校へ行き、彼らと一緒になって、作文をし、それこそくだらない、中味がなく薄っぺらい文章を書いても、それについても真剣に付き合ってくれた。

文章を書く動機付けとか、その根底に流れるものについて考えるとき、私は、寿識字学校のみんなと大沢さんのことを思い出す。
そして、彼らが書く文章を越えることは、一生できないのではないか、と思う。
書く仕事につまずいたとき、寿識字学校の文集『いきるちから』や、大沢さんの本を読み直そうと、いつも思っている。
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2018年7月 1日 (日)

山麓で迎える夏の始まり

毎年、ああ、夏になった。空気が入れ替わって、まさに今日から夏だ、と感じる日がある。
それをいつどこで感じたか、だいたい覚えているものだ。

あちこち出かけることが多いので、定点観測にはならず、だからその土地に住む人にとっては、「いいえ違う、この日よりも前に、季節が変わったんだ」「確実に空気が入れ替わったのは、その数日後」などあるかもしれない。
けれど、感覚は自分自身にしかなく、自分にとって、今年の夏が始まるのが、このとき、ということだ。

去年は、7月下旬、安曇野で過ごした日の明け方に、「いよいよ夏だ」と思った。
一昨年は、夏至のシャモニーの夜に思ったけれど、その数日後、イタリアに向けて移動する朝、「今日こそ」と思い直した。
その前の年は、小暑の朝の通勤路で「ああ、夏だ」と思った。

夜、夕食後に庭先に出ると、白馬三山は雲のなかだったけれど、満月から少しかけた月の周りに彩雲があり、日中よりもほんの少しだけ空気が乾き、「ああ、夏がやってくる」と思った。
短い山歩きだったけれど、久しぶりに北アルプスの尾根を登り、雪渓を渡りあがってくる風に、夏山の匂いがあった。
夕暮れ時、デッキのベンチに座り、山を眺めると、山にはまだ雪が残っていて、けれど緑も潤っていて、1年ぶりに夏の山に帰ってきたことが、とっても嬉しくなった。
田んぼからカエルの鳴き声が続き、涼しい風が部屋を通り、夏掛けの布団で眠る心地よさ。
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2018年6月28日 (木)

テントむし山旅@硫黄岳(6/23-24)

6/23-24は、テントむし@硫黄岳でした。
スタッフは、ハリーさん+柏。参加者は13人。
ばっちこと樺澤秀近さんがオブザーバー参加。

夕方からは冷え込み、調理中のガスボンベに霜がついたり、翌日稜線に出ると霜が降りていましたが、見事な晴れ、最高の展望。雪解けも花期も早いけれど、ダケカンバの芽がまだ柔らかかったり、ナナカマドの白い花が始まったばかりだったり、春の気配も残っていました。

テントむしがチカラを入れている山のご飯、夕食はポーリンのリクエストで(本人はアドベンチャーレース参戦中で不参加)、参鶏湯風ポトフ。

これは、私がテキトーに考えたレシピですが、あくまで参鶏湯「風」。
鶏肉、じゃが芋、人参などの野菜、もち米が入って、にんにく、ナツメ、クコの実、松の実も入れたお鍋。それぞれの出汁や風味に加えて、塩コショウ、鶏ガラスープで味付け。

朝食は、ハリーズベーカリーとドライフール本舗ハリーによる、ベーグルと手作りドライフルーツ。なかでもメロンは、感激の味だった。

かばっちは、Adventure Divasのトレランを担当していて、世界各地の砂漠や秘境と呼ばれる地域のトレランやアドベンチャーレースを巡っているひと。

忘年会の頃から、テントむしなどほかの種目のイベントにも参加したいと意思表示していたことを実現してくれて感謝。そして、大した話はできなかったけれど、彼の感想を読むなかで、色んな気づきや今後のことを考える機会を貰いました。異文化交流、いいね。

山登りにはたいへんなコト、慣れてもらうコトも多いけれど、テントむしでは、登る楽しさや歓びも共有していけたら、いいなと思います。

今回もまた、講習会場など、赤岳鉱泉にたいへんお世話になりました。大賑わいの週末に、ご丁寧に対応いただいて、ありがとうございます。

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『Family』(FUJITUSファミリ会)インタビュー連載

FUJITSUファミリ会の機関誌『Family』のインタビュー連載、1月から始まりこれにて終了。
富士通製情報通信システムのユーザー団体に配布されるもので、富士通の情報通信システムを使っている会社経営者が主な読者だそう。
「HUMAN HUMAN」という、人生が豊かに彩られるような趣味や文化、芸術、スポーツについて紹介するコーナーで、登山について。
 
経営者のなかには、日ごろのストレスや都会生活とは真逆にある山のなかで寛ぎたい人や、USでは以前から流行のセブンサミッツをコレクトする登山など、なにかと話題のよう。
どうであれ、また経営者に限らず、それが趣味と言えるものではなくても、なんでも、人生のうちで山に接する機会があったら、それはいいコトだと思う。

難しい条件もあり迷った仕事だったけれど、富士通と聞いてお引き受けした。前職のとき、故山本卓眞会長に、とてもとてもお世話になったからだ。

年に数回お会するだけだったけれど、釣り好きの彼が語る渓流の話は、いつも面白かった。道志の山間の流れを釣り上げたときのことや、鮎宿の話……清々しい風が吹いているような、そんな印象が残っている。
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ヒマラヤキャンプ報告会(杉本龍郎)

それから、約1週間後、今度は、杉本龍郎さんによるヒマラヤキャンプ報告会へ。
参加者のひとりだ。

彼の人柄がでた誠実な内容だった。
また、会場や聴衆の雰囲気が、主宰の花谷さんのときと、また一味ちがったものになるのも、それぞれの個性なのかと思う。

印象的だったのは、BCを撤収しアプローチする氷河を変えたときのこと。
チーム内で話し合い、いくつかのアイディアから選択していくのだけれど、「(それぞれについて)単純な選択肢ではなかった」と話していた。
もうひとつは、バックキャラバンのときの心情を想像しながら、自分がどんな山登りにしたいのか考えたという話。
最後には、どんなことが自分にとって、チームにとって核心となったか、また今後自分自身はどんな山登りをしたいのか、誠実に話をしていた。
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2018年6月25日 (月)

「ライフスタイルとしての山登りのすすめ」(花谷泰広)

10日ほど前のこと。

patagoniaアンバサダーが順繰りに繰り広げるスピーカーシリーズ、花谷泰広さんの「ライフスタイルとしての山登りのすすめ」へ行ってきた。


ヒマラヤキャンプ、七丈小屋経営、これらをツールとして今後、どのような「山」を登っていきたいか、という話。ここ数年ずっとぶれることなく、彼が突き進んでいる道について。

ポジティブな性格ゆえ、いつも明るく、順風満帆に見えるかもしれないが、本人は必死なのだと思う。あるいは、死にもの狂いとでも、言うか。


ヒマラヤキャンプの写真に、冬虫夏草採りが通ったカルカに向かう道中のものがあった。潤う緑の向こうに白いヒマルチュリとピーク29が連なる景色。メンバー達がヒマラヤの氷雪嶺を眺めている後姿が、シルエットになって写っていた。

BCを撤収し、アプローチする氷河を変えて、ハイキャンプに向かう途中の写真だそう。


この日は、ヒマラヤキャンプの次なるステージとして、老若男女誰もに向けたものを示していたが、その話の通り、一番若い聴衆はみどりちゃんだった。友人のお子さんで、小学生。

春にネパールのトレイルを歩いたばかりだから、「ネパール、おもしろかった?」と聞いたら、シェルパ語で1から10まで数えてくれた。お父さんが「ネパール語じゃなくてシェルパ語覚えちゃったんだ」と笑っていたけれど、シェルパ語は彼女になにか響くものがあったのかなあ、と想像。


色んな人に色んなインスピ―レーションがわきおこり、色んなきっかけになるのかなあと、そんな夜。

めったに弱音ははかないし、言い訳は絶対にしない。行動者は、いつでも潔い。


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夏至のころ

夏至のころ。

ドクターヘリに乗る知り合いの医師が、夏至がどういう日かについて書いていた。
「昼間の時間がいちばん長くなる日」であると。これは多くの人が理解していることだけれど、ドクターヘリに乗るまでは、「夏至=日の出がいちばん早く、日の入りがいちばん遅い」と勘違いしていたというのだ。
正確には、日の出がいちばん早いのは、夏至の1週間前、日の入りがいちばん遅いのは夏至の一週間後。

大きな山の山麓に住む友人は、夏至が来ると、あとは日が短くなっていくだけ、夏が始まる前に終わりを感じるような寂しさがある、冬への折り返しか、と話していた。
私もまったく同じことを、今年の夏至の日に感じていた。

どうしてそんなことを考えるのか。
大人になったので、夏が始まる前に、だいたい何が起こるのか予測でき、夏はあっという間に通り過ぎることも分かっているから、寂しい。単純に「夏が待ち遠しい」とは言えなくなってしまったのか。
冬に向かうというけれど、それよりも前に、先の冬に起きたいろんな出来事を消化しきれないままで、感情を冬に置き忘れてきてしまったから、やるせない気持ちになるのか。

友人は、山麓に住むようになって、夏至の寂しさ、複雑な思いを感じるようになったという。
山麓に住まない私には、その実感はないかもしれない。けれど、北欧やヨーロッパ、あるいは日本でも雪の降る土地で、夏至を迎えるのが、いちばん気持ちよい、と思うようになった。
今年は、ちょっと違ったけれど。

雪が降り、季節がはっきりとしている土地、夏は短いけれど、鮮やかにやってくる土地ではいっそう、夏至の日が輝くものとなるのかもしれない。ちょっぴり寂しい気持ちも加わりながら。

数年前、あるクライマーをインタビューしていて、緯度の高い土地に訪れる春が、どうしてそんなに素晴らしいのか、少しだけわかったことがあった。重く暗く閉ざされた長い冬を越え、待ちわびた季節の到来だから。もちろん、そんな心情もあるけれど、それだけではない。

クライマーの彼は、アラスカで登山を続けている人だった。
高緯度特有のぐいぐいと春がやってくる様子を、目を輝かせて語ってくれ、私も自分が旅した土地を思い出したし、山麓に住む友人達も、「ぐいぐい春がやってくるってよくわかる」と言っていた。

夏至もそんな季節の流れのなかにあり、鮮やかに移り変わっていく。
雪降る土地の夏至の空気感が懐かしくなり、いたたまれなくなった。早々に、山麓の友人達に会いに行くことにした。

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便り

もう少しでよいからうまく伝えたかったと思った、記事。
美しい文章でありたい、人を感動させたいとは考えないけれど、思いが伝わるように書きたいのに、うまく書けなかった思いが残った。
「もう1回でよいから、ゲラを出してもらいたかった」「そうすれば、もう少しうまく書けた」とか、言い訳はしたくない。
だから記事になるまでの過程を振り返って、あの時点でこうすれば、いい方向へいったのかもしれない。あの段階でもっと突っ込めば、もう一段階進めたのかもしれない、と考える。

原稿を書くのはライターだけれど、編集者や校閲者の作業が加わって、記事になる。
だから、自分の思い通りにだけ進めることもできない。
けれど、自分の思ったことを書きたいわけで、そのためにはどうしたらよいか。
毎日書き続けるために、振り返る。

おそるおそる開けた便りには、「よい内容だった」と書いてあり、少しだけホッとした。
いちばん読んでもらいたく、あるいはいちばん読んでもらうのが怖かった方から届いた便り。

少しだけ安心して、朝ご飯の準備。
味噌汁を作るとき、琺瑯の入れ物から味噌をすくい出す木べらは、北欧土産。これは、バターかチーズのナイフだよな、きっと。

さて、まったくどうしてよいかわからない、次の原稿に取り組もう。
前途多難。

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2018年6月23日 (土)

「雨の山を楽しむ」Vol.1 横尾山荘・山田直さん

ヤマケイオンライン連載「雨の山を楽しむ」Vol.1
横尾山荘・山田直さん


リードより。

「若き頃、登攀に憧れ穂高岳に通った青年は、やがて穂高山麓の山小屋の主人になった。人生のなかのいっときであれ、真剣に山と対峙した経験をもつ者は、いまや山小屋経営者として、まっこうから山に向き合う。そんな山田直さんにとって、登山のパートナーであり山に暮らす必需品でもあるGORE-TEXプロダクトとの出会いや思い出についてうかがった。」


webサイト、ぜひご覧ください。

ココ


以下の写真は私がパチパチ撮ったもの。サイトはカメラマンさんによるものです。連載の趣旨通り、雨の日のインタビューになりました。

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2018年6月18日 (月)

書評『バッグをザックに持ち替えて』

『バッグをザックに持ち替えて』(唯川恵著、光文社)の書評を、『山と溪谷』7月号に書いた。

「恋愛小説の騎手」と呼ばれる彼女が、登山について書いた3冊目の本であるエッセイ集。
ほかの2冊は、いずれも新聞小説を収録したもので、『一瞬でいい』と田部井淳子さんがモデルの『淳子のてっぺん』。

数年前にご縁をいただき(ということを編集部は知らずに、原稿依頼がきたのだけれど)、書き手としては雲の上の方。
私も、もう少しでよいから、上手に書きたかった。

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2018年6月15日 (金)

おにぎり五題

ひとつ。
真冬の朝、友人宅にて。
「今朝は、スミちゃんの好きそうな朝ご飯にしたよ」と。

愛知出身の彼ら夫婦のところに届いた知多半島赤味噌を使った味噌汁。
鰹と昆布出汁に、オホーツクの素干し海苔と三つ葉。
「味噌がいい仕事をしてくれただけだよ」なんて言うけれど、ものすごく美味しかった。
ふた口ほどいただいたあと、海苔が巻かれたおにぎりへ。
これがまた、ふっくらとして、びっくりするほど美味しくて、「すっごい美味しい」と言ったら、「手のひらに少しゴマ油を馴染ませたからかしら」と。
何気ない美味しさ。

ふたつ。
晩夏、友人の山小屋を手伝いにいき、ひとり下山する日。
入れ替わりに登ってくる小屋番の友人が「クマにあったよ」と連絡してきたので、気が進まなくなり、けれどそのアシで次の山に登りたかったから、いよいよタイムリミットで下りようと決めたとき。
「お昼食べていく? 時間ないよね。残り飯があるから、おにぎり握っていって」と。
下りたアシで登る次の山の行程も考え、思わず大きなおにぎりひとつ。
膝の上に載せてみたら、我ながらその大きさにびっくり。

甲斐の国自慢の武川米と、篠沢からくみ上げた美味しい水で炊いたご飯。
塩むすびは、美味しかった。

みっつ。
春の終わりのある夜。
同じ業界で働く同性の仲間とワイン食堂のカウンター。
フランスの塩をくださった。

中学でサッカー部に入る息子を持つ彼女は、毎日、昼ご飯と練習後に食べるおにぎりを握るそう。「ウチの塩の消費量は半端ないよ」と。そうか、米もだけれど、塩もか。朝練と放課後の練習で大汗かくだろうしな。
粒子の粗いこの塩でも、おにぎりを作ってみたくなった。

よっつ。
先日の日曜日。
小ぶりのおにぎりを3つもって山へ。
全部食べられるつもりだったけれど、お昼をとったところで、出汁巻き卵や夕べの残り物だという海老のおかずなど、周囲から差し出されるがままにあれこれいただいていると、お腹がいっぱいになった。

すると目の前のFさん、「柏さんは、どんなおにぎり作るの? ひとつ頂戴よ」と。
うっかり、どうぞと差し出してからちょっぴり慌てた。お料理上手の彼女に、こんなおにぎりでよかったのか。
玄米ご飯を、仕事仲間からもらった粗塩と、フレンチシェフの友達も使っていたから安心して「これは美味しいモノだ」と使い続けているゴマ油を手のひらにぬり、握って、それからいただきもののとろろ昆布をぐちゃって載せただけ。

いつつ。
週末にかけてアドベンチャーレースが行われる村にて。
友人が「花おにぎり」というエディブルフラワーをつかったおにぎりを、3回にわけて180個作らなければならないと。むろん、私が出る幕はない。
冬に赤味噌の味噌汁と一緒に私に出してくれた、あの絶品おにぎりの彼女。それはきっと、みんな大喜びだよ。

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2018年6月12日 (火)

DIRTBAGな人生

先々月のこと、USのクライマー、フレッド・ベッキーを描いた映画『DIRTBAG』を観に行った。
いつかインタビューしてみたい、その時、もし通訳を頼めるのだったら、彼しかいないと、日本のあるクライマーのことまで勝手に考えていたけれど、昨年亡くなった。
94歳まで、自由闊達に、気持ちの赴くまま登って登って、登った人生だから、本望であり、幸せな人生だったのではないかと、思っていた。
会ったこともなく、憧れだけが募る相手が、いったい映画のなかでどう描かれているのか、自分のなかで美化しているのはまちがいないし、だから映画を観るのが少し怖かった。

映画を観て、人間、いびつだって歪んでいたっていいんだ、と思った。
けれど、フレッドみたいに素直でありたいね、と思い、前半は泣けてきた。
後半部分では、彼が死ぬまで登り続ける姿に泣いた。

画面には、いきなり親友が出てきて、フレッドについて語っていてびっくりした。「知らなかった、教えてよ」って心のなかで呟いたし、彼もこの映画を観たら、笑ってそして、泣きたくなるだろうなあと想像した。

帰路、友人と夕食を食べるなか、私が、「彼は、愛すべき人物、愛したい人だなあ」と言うと、彼女は「ええ? 近くにいたら、やたら迷惑だよ」と。笑っていたけれど、けっこうホンキで言っていて、なるほど……確かに、愛すべきではないかもな、でも愛したい人だなあと思いなおした。

数日後、マウイから日本に戻ってきている岡崎友子さんと話す機会があった。
フレッドの会場でも会い、映画の話は簡単にしたのだけれど、その続き。
「幸せな人生だと思う」と言うと、友子さんは、それはどうかなあ、というようなことを言っていた。彼ほど突き詰めていく人生は、生きにくく、辛く、ひょっとしたらいい加減に生きた方が幸せかもしれない、というような話をしていた。

それを聞いて、私のようにいい加減な者は、フレッドの人生を幸せとしか感じられなかったのかもしれない、と思った。
上映後、周囲から「友子さんもDIRTBAGですよね」と言われていた彼女、彼女ほど真剣に、ひとつのことを突き詰めてきた人間からすると、フレッドの生きにくさがよくわかるのかもしれない。

さて、DIRTBAGという言葉、なかなか日本人には馴染まない単語のように思っていた。だいいち、日本語には訳しにくい。
けれど先日、ある日本の写真家が、アメリカのスキー雑誌で「DIRTBAG」と紹介されていることを、読んだ。
春に旅先でお会いした方で、物腰柔らかく、礼儀正しいその様子とDIRTBAGという単語がどうにも結びつかなかった。
周囲の記事を読み進めていくうち、やっと根っこの部分を垣間見た。

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2018年6月 9日 (土)

お見送り

駆け出しの頃からお世話になったカメラマン、川﨑博さんのお見送りへ。

数日前訃報を受け取ったのは、信州から帰京する車中であったが、その日の下山のとき、なぜか私は、しきりに川﨑さんのことを思い出していた。

ある年の1月、南八ヶ岳の稜線の小屋で、川﨑さんは、ザックを開けて楽しそうに、カメラの収納について、私に話した。プラスチック製のごみ箱を改良して、カメラのプロテクターを作り、それがザックの中に納まっていたのだ。

思うに、手慣れたカメラマンほど撮影は早く、カメラの出し入れは素早く、持ち物はシンプルだ。川﨑さんも、厳冬期のバリエーションルートの撮影に、最小限の装備でカメラも保護していた。

もうひとつ思い出したのは、あるインタビューについてだ。
ボタンの掛け違えのようなことが起こり、インタビューした記事を掲載できなくなってしまったのだ。
川﨑さんは、私のインタビューに付き合い、ある日の晩、池袋まで来てインタビュイーの方を撮影してくださったというのに。
ファックスが届き、掲載ができなくなったその直後に、私は川﨑さんに電話をした。
インタビュイーに、なんて返信をしてよいか戸惑うなか、ともかく、これ以上カメラマンに作業の負担をかけるわけにもいかないと思ったからだ。
一連のことを、ありのまま話し、お詫びをすると、幾つかの言葉で、私を励ましてくれた。
救われた。電話口で泣きそうになった。

今晩は、山に関連する大きな祝賀会があり、大先輩たちはじめ、200人以上の方々が全国から集っているはずだ。私は、それをいわゆる「ドタキャン」して、お見送りに参列した。
そんな選択をしたのは、むろん私だけではない。生きている方のお祝いは、またの機会にできるけれど、見送りは今日だけだ。
編集者、ライター、イラストレーター、メーカーやショップ経営者など、仲間たちが集まった。
祝賀会の版元編集者がいたのにはちょっと驚き、「こちらにいらっしゃったんですね」と声をかけると、「あっちは、大勢いるでしょう。それに若い社員もいるから、人手も足りているんですよ」と。

そんな我われから供えた花輪は、「山仲間一同」。
仕事の仲間であり、山の仲間であった。
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梅雨の晴れ間の打ち合わせ

晴れた日こそ、山に登りたいのだけれど、うまく周期を合わせられず、気持ちよい天気の日に東京で仕事。
暑いけれど、朝夕は涼しい風が吹いたり、真夏よりは少しだけ空気が乾いていて、気持ちよい。

編集者と写真家さんにお会いした。
「山をテーマにした写真家で、好きな人は?」と聞かれ、即答したのは、展覧会があれば必ず足を運ぶようにしている方。「好き」とはとても言えないほど、惹かれる。

「どんな滑りの人が好きなの?」とも聞かれ、スキーについてまったく素人であることと、昨シーズン一緒に滑った人のなかで、という断りをつけて、でも即答したのは、半世紀も滑っているという方。
そういえば、先日、ある友人と話していたとき、彼も、「俺も好きだな」と言っていた。

好きに理由はなく、ただカッコいいと思ったり、惹かれたりするのだと思う。

でも、一見、「なんだろう? 不思議」と思うような滑りだったり、きっと上手な類には入らない滑りであっても、だんだんとよく見えてきたり、こっそり後をついていくと、気持ちよく滑れるときもあったりする。
そういう味わい方もあるのかもなあと、思ったり。

スキーや雪の写真にも詳しいおふたりと話すなかで、自然のなかで、山のなかで、色んな意味でその環境に見合った、調和した滑りをしている人は、やっぱりいいなあと思うのかもしれない。
23区にも、緑を通り抜けた風が吹く場所が、ときどきある。
そんなところで、夕方、少し涼しくなってきてからの、会話。
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2018年6月 8日 (金)

先輩の山小屋へ

久しぶりに、大学山岳部時代の先輩である山田直さんが経営する横尾山荘にお世話になった。
同じ山岳部の先輩といえども、直さんは、在学時代から社会人山岳会で登っていたし、私が入学した頃には、既に卒業していたので、多くの接点があったわけではない。

けれど、私が大学山岳部に入った頃には、既に登攀から軸足を山小屋生活に移しつつある頃で、山小屋の仕事もしていた。
年に数回は、この山小屋を通過したり、またテントを張らせてもらうこともあったので、お目にかかることは多かった。

正直に言うと、恐れ多くて話をすることもできない雰囲気があった。
怖い先輩というのとは、少し違ったが、クライマーの厳格な雰囲気があり、おいそれと話しかけられなかったし、叱られたこともあった。
そんな彼と、色んな話ができるようになったのは、卒業して数年経ってからであり、この仕事を始めた頃からだろうか。

人生のなかのいっときであれ、クライマーとして真剣に濃密に山と対峙したことがある人が、山小屋を営むと、こういう風になるのだなあと、いつも考えさせられることがある。
山への向き合い方、取り組み方、接し方は、登山者それぞれであるが、山は人を分け隔てしないし、だからこそ、魅力があり、厳しい。

こと幅広い登山者を迎える、この地にあって、先輩はやっぱり変わらず、自分自身が厳しく山に対峙されているのだなあと、今回もまた、色んなことを学び、気づかされた。
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2018年6月 4日 (月)

ヌタプカウシペ、最初の出会い

旭岳山麓のヌタプカウシペへ。
春菜さんにお別れし、真理子さんと話をしてきた。

最初の出会いというのは、とても大切だ。
私の場合、旭岳における最初の出会いは、ヌタプカウシペの春菜夫妻だった。
初めて東川町を訪れ、冬の旭岳に登ったのは、15年以上近く前のことだ。
なぜ、ヌタプを訪ねたのかは忘れてしまった。
モンベルの昔のカタログにあったロッジの写真が印象的だったのか、あるいは偶然だったのか。

けれどじつは、数年間は春菜夫妻とは大した話もせず、ただ泊まらせてもらっていた。
毎朝、春菜さんがクロカンコースの整備に出るのは知っていたが、それがどういうことかもわかっていなかった。
だんだんと話をするようになり、どうやって彼らがこの土地にやってきたか、どんな暮らしぶりであるのか、ちょこっとだけ知った。
それから何年も経って、クロカンをやるようになり、春菜さんってすっごい人だったのだと、やっとわかった。
手作りで始めた旭岳のクロカンコースは、いまやクロカン選手は誰もがお世話になる土地だ。
けれどわかったことは、クロカンに関わる者としてもだけでなく、登山や自然に関わる者としても、生活者としても、すっごい人だということだった。

初めての出会いが春菜夫妻だったことは、私が途切れることなく旭岳に通っている大きな要因だと思う。
つきることのない旭岳や東川町の自然の魅力を感じられるのは、知らず知らずのうちに、夫妻の目を通した景色を、私も見せてもらっていたからだと思う。

東川町のある祝賀会に招待いただいたときのことだった。
この時何が嬉しかったかって、席順が春菜さんの隣だったことだ。
春菜さんの席を訪ねてきたある男性が「”神々が遊ぶ庭”という言葉は、彼が最初に言ったんだよ」と教えてくれた。

大雪山を指すアイヌ語のカムイミンタラは、直訳すると”神の庭”。それを神々が遊ぶと表現した春菜さんは、やっぱりロマンチストだと思った。
旭岳連峰、大雪山をちょっと離れたところから望むと、ほんとうに神様が舞い降りてきて、遊んでいるように見えることがあるから、不思議だ。

この祝賀会の晩は、ヌタプに泊めてもらった。客は私しかいなく、春菜さんと遅くまで話をした思い出がある。

たくさん話さなくても、訪れるたびに心に残る小さな会話を積み重ねていける。
いっぺんに相手(人とか自然とか、山とか)と親しくなったり、いちどきにたくさん知らなくてもいいんだと思う。少しずつ相手のことを知っていく、近づいていく。

けれど、そういうことにも限りがある。

空港に迎えに来てくださったのは、長年東川町に住み、新聞記者退職後は町の歴史書の編纂などをしていらっしゃる西原さんだった。
車中、色んな話をするなか、この世に永遠はなく、生きる者も死にゆく者も留まることなく、流れゆく、というような話になった。

ヌタプに着くと、春菜さんは、私がいつも転寝をする日当たりのよい位置で、眠っていた。
お疲れであろう真理子さんが、春菜さんの最期を話してくださり、春の若葉とエゾヤマザクラの開花をみて、ヌタプで逝ったんだと知った。

帰路は、若者ふたりが空港に見送ってくれた。若者といっても、もう中堅どころか。
春菜さんの亡きあと、本格的にクロカンコースの整備を担当する方でもある。
やがて彼らの家族も空港に来てくれた。
みなに見送られ搭乗した、夜7時過ぎの機窓からは、薄花桜色に染まる空に、カムイミンタラが見渡せた。
もう、春菜さんは、あそこで遊んでいるのかもしれない。
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2018年6月 1日 (金)

山麓

ふとやっぱり、山間の土地に住みたくなるときがある。
いい風が吹いたとき、山が見えたとき、

今日は寒気の通過で、大気が安定せず。けれど、私が到着した頃には、五竜も白馬三山も見えた。残雪の山は躍動感があっていい。

友人達が集まるところへ行くと、雷の話で持ち切りだった。
あっという間に山が見えなくなり、雷が轟き始めたからだ。
標高700mほどあるこの村は、下界といえども、いわゆる都市とは違う。
北アルプスから吹き降ろす風の通り道は、ものすごい突風が吹くときがある。
雷も、電線や電柱に落ちるときもあり、家のなかに「熱」が入り、家電が壊れることも。

そんな話をしながら、薄手のウールのカーディガンがちょうどよい気温を、心地よく思う。

2018年5月29日 (火)

森林インストラクター養成講習スタート

今年も、(一社)森林レクリエーション協会の仕事が始まった。
秋までかけて、森林インストラクターを志している方々に向けて、「山の安全」という内容で講習などを行なう。

高校山岳部顧問を務めている男性が、休憩時間に質問があると声をかけてきた。質問には答えたが、高校生を山に引率するというのが、どれだけ大変な任務かと考えると、自分自身も高校山岳部で先生に彼方此方連れて行ってもらった身としては、応援せずにはいられない気持ちになった。

かつてガイドに来てくださった方も受講していた。勉強をしていらっしゃるのだと。

今年は、私のコマのあとに、橋谷晃さんの「企画の立て方」という講習があり、久しぶりにお会いできた。
かつて一緒に本を書いたり、何度かインタビューさせてもらったけれど、ここ数年はご無沙汰していた。

「田部井さんのお別れ会のとき、見かけたけれど、あの日はたいへんだったものね。話しかけずに帰ってきたよ」とおっしゃっていた。
ひとしきり、田部井さんの話をしたあと、「実は僕、会ったことがなかったんだよ」と。
NHK教育テレビの登山関連の番組では、田部井さんが講師のときも、橋谷さんになっても、テキストは私が書いていたが、まるでバトンを受け取るかのように橋谷さんに引き継がれていったので、てっきり面識があるのだと思っていた。
ついで、ほかの方の話もしながら、「こんな狭い業界だから、いつか会えると思っていると会いそこねちゃうね。柏さんはちゃんと会いたい人には、会いに行った方がいいよ」と助言くださった。

会いたいとか、ここに書いた記事は、じつは心の底ではこの方に読んでもらいたかったんだ、だから手紙を書いてみようとか、そんなことを考えながら実行していないことは幾つかある。

2018年5月27日 (日)

下調べ

次のインタビューの下調べ中。
エベレストの探検時代やアルプスにアルピニズムが芽生えた頃の写真や映像をあらう。
そのなかで出会った、一葉の写真。ずっと前に手伝った書籍の表紙に使ったものだった。
奥付をみると、ちょうど20年前であることに、驚き。
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よん連荘の記憶

23日
同じ業界で働く数少ない同性の仲間と。
かれこれ、仕事をご一緒するようになって7.8年経つけれど、ふたりだけで会うのは初めて。テーマは「刻(とき)」。美大時代の課題がいかに面白くなかったか、その理由を聞いて、大学生の年齢でそんなことを考えているとは、なんて早熟なんだろうと、感服。

ワインバーのカウンターで、ロゼスパークリングとソーヴェニオンブラン。
サラダに、豚肩ロース、山椒と雑魚のリゾット。


24日
山に登り、ちょうど渓谷が望めるいい位置にあるベンチに座り、おにぎり食べていたら、LINE。「今日、何しているの?」、と友人から。
下山後、かいじに乗って帰京したアシで、かいじに乗って自宅に帰る前の友人と落ち合う。
オイスターバー、立ち食い寿司屋、珈琲屋のハシゴ。
生ガキは、あっさりしすぎず、濃厚過ぎない石川産がいちばん美味しかったという結論。
ヒマラヤの話を聞き、昨今のあれこれの意見を聞く。

振り返ると、40代はものすごくたくさん仕事をした。今では考えられないようなスケジュールをこなした。そのペースをずっと続けようとは思わたなかったけれど、あの猛スピードで駆け抜けた40代があってこそ、50代が始まるのかも、と年若い友人をみて思う。


25日
前職の女友だち4人と。
キーワードは「turn the page」。
かつてのこの職場は、ゼロから自分で作り上げていかなかなければならない場面が多く、ワイルドだった。同世代も多く、賑やかであり、熱い職場だった。
あるとき誰かが、「この職場は、クラスイチ勝気な女子と、学年にひとりいるすっげえ変わった男子の集まりだね」と言ったことを、ミョーによく覚えている。

ひとりが、あるリゾートへ行こうと誘う。そこはオールインクルージングで、なにも考えなくてよい、脳みそをコインロッカーに預けて3.4日を過ごそうと。毎日が判断の連続で、それにものすごく疲れ果てた私たちにはちょうど良いはずだ、というのが彼女のアイディア。
その彼女は、50代になって、ものすごく楽になった。
いまがいちばん楽しい、とも。

職場のあった恵比寿の和食屋にて、ワインと煮物や焼き魚。


26日
すーちゃんと、幼馴染のハマチョの寿司屋へ。
3歳で幼稚園に入ったとき、園庭ですーちゃんは私に、「同じスミコだから、仲良くしよう」と言った。一番古い友達。
浜寿司のカウンタークィーンは私だったはずだけれど、あっという間に地元に住むすーちゃんに持っていかれた。

夏仕様の暖簾をくぐって、「はい、1日遅れ~」って誕生日ケーキを手渡そうとしたその直前に、ハマチョの誕生日を1ヶ月勘違いしてたことに気づいたw 
「俺たち、誕生日が一ヵ月違いだろ。来月だよ。いいよフライングでもらっておくから」と言われ……時期外れのケーキを手渡す。
寿司屋の大将にケーキはどうかと思ったが、酒は飲まないし、甘いものが好きなので。
「終電は気にするな、送っていくから」と言われながら……、いちばん古い友人と話をすると、自分の源のようなものを認識する。
また、来月行かねば、ホントの誕生日に。

さすがに、よん連荘となると、このあとは大人しくしようと思う。
月末の真打までは。
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2018年5月26日 (土)

ビギナーズラック

所用を済ませ、そのまま帰宅する予定だったけれど、どうせ家に帰ってもざわざわと落ち着かいないとわかっていたこの日、最寄り駅近くの喫茶店に初めて入った。

こういう昔ながらの喫茶店でたのむものといったら、ソーダフロート。

締め切りまであと数日の書評の構成をまとめようと、もういちど本に目を通す。
原稿依頼のとき、編集者から送られてきた記事見本は、同じコーナーに友人が書いた書評だった。数号前のものを選んだだけで、執筆者が友人だったことに、とくに意味はないだろうけれど、思わず読んだ。そうしたら、ちょっと驚くようないい原稿だった。

執筆を職業としているわけではない。文章を書ける人であることはよく知っているが、いつもはいうなれば、優等生のような文章だ。
それが今回は違った。力強い文章だった。

びっくりして、思わずカトマンズに住む共通の友人に記事見本のpdfファイルを送った。ちょうど彼とのあいだに、メールが行き交っていたタイミングだということもあるが、カトマンズの友人は無類の本好きで、いつも日本語の本に飢えているからだ。
それが巡り巡って書評を書いた本人の耳に入った。当の本人は「オレ、なに書いたっけ?」だった。
どんなによかったか話しながら、だんだん褒めすぎな気もしてきた。
すると、「初めて書いた書評だからかなあ」と。なるほど、ビギナーズラックか。

コチラの原稿はいくら絞ってみても、ビギナーズラックである友人の原稿を越えることが出来そうになく、うなだれた。

いわば私も若い頃に初めて書いた本を越えることができない点は、いくつもあることに、先日また、気づかされたばかりだった。

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2018年5月25日 (金)

佐々木大輔×平出和也対談、デナリ+シスパーレ ブルーレイ本日発売

デナリ(完全版)とシスパーレ(ディレクターズカット版、未公開映像あり)のブルーレイが、平出くんの誕生日でもある本日、同時発売になった。

これを記念し、佐々木大輔×平出和也ふたりの対談を、NHKのwebサイトに書きました。

大学山岳部からひたすら山を登り続けてきた平出和也さん。

近年は山岳カメラマンとして、エベレストなどのヒマラヤやヨーロッパアルプス、国内の山々を舞台に、登る人たち、その人の横顔や人生を撮影しています。

「なまら癖-X」という名前で仲間たちとワイワイあちこちに出かけ、山を登っては滑ってきた佐々木大輔さん。

20代の頃はエキストリームスキーヤーとして世界を転戦。30代になり、山岳ガイドに軸足を移し、今日にいたる。

山岳スキーヤー、ビッグマウンテンスキーヤー、エキストリームスキーヤーなどと呼ばれてきたけれど、彼の根っこにあるのは「山登り」、だと私は思っています。

そんなふたりの対談は、デナリでの撮影のあれこれ、そして平出くんにとってはそれがシスパーレへとつながっていった話、その姿にエールを送る大輔さんに、触れています。


撮影のとき、「ちょっと離れていない? 距離感がヘン。もっと近づいたら」と言ったら、以来、「この距離感はどお?」とシャッターの度に気にしていたふたりです。
その様子、手元のiPhoneで写してみました。


同じ山に対峙しながらも、バックグラウンドがまったく違い、被写体と撮影者という立ち位置でもあったふたりの「距離感」、対談記事から伝わるでしょうか。ぜひ、ご一読ください。

大輔さんと平出さんからのプレゼントキャンペーンも実施中です。


対談 
ブルーレイ購入 

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2018年5月23日 (水)

リアル世代の楽しみ方@大人の山登り入門

5/21発売『大人の山登り入門』(枻出版)、もうひとつのご紹介は「リアル世代の楽しみ方を知りたい!」と「私の山の楽しみ方」。
大人になってから登山を始めた方々に登場いただきました。


ご夫婦で登る新妻和重さんビクセンという天体望遠鏡など総合光学機器メーカー社長ですが、ご自身が御嶽山・五ノ池小屋で撮影した星空の写真が2点掲載されています。

私自身は新妻さんと一緒に、初秋の八瀬森山荘で星空を仰ぎ、秋真っただ中の入笠山で月を眺め続けた夜が、思い出深いです。


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ウィメンズ マウンテン アカデミーで仲間を得て「ヤマデミー」というグループを作った芝生かおりさんは、ヤマデミーのみんなと登場。私は講師・ガイド役5年程務めましたが、芝生さん達が初回の参加者。
記事を読んで、彼女たちの豊かな感性や知性にあらためて触れ、こちらがいただいたものの方がはるかに大きいと(これは新妻さん達含めすべて)、感謝しかありません。


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「楽しみ方」には、アドベンチャーガイズ勤務の宮川由佳さん。50歳を機にマッターホルンに登った話など。
いわば彼女は職種こそ違え、同業で働く同志のような存在ですが、つくづく惚れ惚れする登りっぷりです。

取材・ライティングは相馬由子さん。
うまく彼ら、彼女らの魅力を紹介できないので、ぜひ本誌をご覧ください。


ウィメンズ~の初回は、編集者の若菜晃子さんも講師でした。若菜さんには、「山を楽しむための書籍案内」に書いていただきました。
コチラのコーナーでは、星野秀樹さん(写真家)、渡辺佐智さん(登山ガイド)、黒田誠さん(国際山岳ガイド)、高桑信一さん(文筆家)、三好まき子さん(元古書店「みよし堂」店主)の文章も読めます。
若菜さんと三好さんにお願いしたのは私ですが、ほかの方々は、本誌編集担当の佐藤泰那さんの人選。


森山憲一さんのコラム「進化する山道具」の始まりは、「30年前と比してテント泊装備の重量は半分」。ゲラで読んだときから、同い年として思わず笑いました。

ハウツーは初級者向けですが、読み物コーナーは、多くの方々に楽しんでいただけると思います。
ぜひ、どうぞ。

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2018年5月22日 (火)

夫婦二人の初めてハイキング@『大人の山登り入門』

『大人の山登り入門』(枻出版)、昨日発売。
全体の監修とライティングを担当しました。
ライターは複数参加していますが、主だったページは、50歳トリオ(山本晃市森山憲一、柏澄子)が執筆。
アラフィフが山登りを始めるという内容なので、年齢的にはぴったりな。仕事の進め方も内容も三者三様なのは、言うまでもなく。

内容は多岐にわたりますが、2つのコーナーを紹介したいと思います。


ひとつ目は、「夫婦二人の初めてハイキングに密着!」

50代半ばのご夫婦に登場いただき、丹沢の端っこにある高取山・仏果山を縦走しました。
サーフィンと海釣りが大好きで年間100日は海に通う黒沢英喜さんと、読書に手芸とインドア派であり、山は小学校の富士山以来という黒沢英里さん。
おふたりが、山を味わっていく様子が、とても瑞々しく。
歳を重ねた方が新たなことを経験するとき、こんな風に智恵があって、だからこそ純粋なれるんだなあと、とても素敵な大人の趣味を見せてもらいました。
黒沢夫妻のコメントも載せています。


そんなお二人をガイドしてくれたのは、澤田実さん

取材に向かうクルマのなかで、英喜さんの海の話を聞き、「海、やってみたいんですよね。だって地球の70%が海でしょう」と。
帰路のクルマのなかでは、大学時代からの趣味である洞窟の話をずっとしていました。
山のなかでは、専門の鉱物や火山の話も。
澤田さんはいつも楽しそうに山に登っていて、穏やかで豊かで、今回のガイド役を澤田さんにお願いして、ほんとうによかったです。


ちなみに、20年以上前のコトでしょうか。ギター背負って小川山レイバック初登の顛末も、根掘り葉掘り聞いちゃいました。

ルートの途中で(あの比較的しっかりしたスタンスかな)歌ったのは、尾崎豊だったはず、と。


大人になってから、山登りを始めたいという方がお近くにいたら、ぜひ、お勧めください。

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2018年5月16日 (水)

短い時間のおしゃべり

シャモニーを発つとき、クルマで中央駅まで送ってくれた方がいた。
宿から中央駅に行くには、バス停まで歩き、バスに乗り、そしてまたバス停から歩かなければならない。大した距離ではないが、荷物が重くて大変だろうからと。
この先、何度も乗り換えを繰り返して、グリンデルまで行くのだし、大丈夫だと重ねたのだが、「大丈夫、大丈夫」と、あちらが大丈夫、と。
実際のところ、これにはほんとうに助けられた。

車中、短い時間だったけれど、いろんな話をした。
それぞれの近況とか。家族のこととか。
頻繁に会う間柄なわけではなく、一昨年夏に初めてお会いして以来、2度目だけれど、この間の夏も、今回も、ちょっとした時に、プライベートなことを話すようになった。
こういうのは、会った回数とか、一緒に過ごした時間の長さにだけ比例するのではない。相性とかタイミングとかだろうか。
また、プライベートなことを話さないからといって、近しく思っていないわけでもない。

互いに似たような年齢で、「若く見られるのがイヤだ」というのも、同じだった。
たんに顔の作りが幼いだけかもしれない。私の母がそうだった。
それにヨーロッパでは、ことアジア人は幼く見える。

「だからもう、諦めた」、と笑っていた。私も最近になってようやく、「お若いですね」と言われると、「ありがとうございます」とすぐに言えるようになった。若く見られることが苦痛でならなかたのは、この10年ぐらいだろうか。

大人になるには、たくさんのことを飲み込まないといけないという。幼稚に開き直るのでもなければ、成長できないと諦め、放棄するのでもないなにかで、相手の言葉を素直に受け取り、お礼を言えるようになる。

車中のお喋りも、それぞれが飲み込んできた、色んなことに触れるような、そんな心に残る時間だった。


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【味噌汁日記143】

独活、蕪の茎、蕪の葉っぱ。鰹出汁に尾白味噌。

贅沢なはなしだけれど、春の山菜、だんだん持て余してきた。
とくに独活。きんぴらも天婦羅ももういいや。
最後は、水にさらしてあく抜きしたあとに、味噌汁に入れた。
アタマの部分は小麦粉をはたいて、お魚と一緒にソテー。付け合わせに。

「永遠なんて、ないほうがいい」と言い放ったのは、親しい友人。
春の山菜にも、サヨナラ。次の季節にいこう。

そんなことを考えていた日、20代の頃からの別の友人が、facebookに息子とのやりとりについて書いていた。

幼稚園生の息子が、「ちきゅうもしんじゃうの?」と、友人である父に尋ねたそうだ。
友人は、約50億年後には、太陽が膨張して地球は呑み込まれて死滅するという学説があることを説明したと。
幼稚園生を相手に、すごいわと思い、読み進めると。
息子が好きな風船のなかにあるヘリウムにも触れながら、太陽の核融合の機序から解き始め、なぜ死滅するかという説明をしたそうだ。

翻訳家であり、臨床心理士の彼が、そんな宇宙の話を、理路整然としかもおそらく平易な言葉を使って、子どもに説明できるなんて、すごい。私には到底できそうにないけれど、子をもつ親は、そういうことにも必要迫られ、できるようになるのだろうか。

けれど、そういう説明をしたところ、息子は、死んでしまう地球に思いをはせ、涙を流して泣いたそうだ。
「これ、どないしましょ」というのが、友人のfacebookのメッセージ。

いかなる生命にも、いかなるものごとにも限りがあるということを、幼い心で理解するときがくるのだろうか、と思いながらコメントすると、幼子には、万能感のあるベタな夢も大切で素敵だと思うので、折り合いが難しい、と友人。
友人がいうところの「ベタな夢」というのはキラキラしていて、それを描けるのは、人生のなかでもきわめて限られた時間だろうし、だからこそ、親としては子どもにそういう夢も抱いてほしいと思うのだろうな、とそんなことも考えた。

「永遠なんて、ないほうがいい」、そう思えるのは大人であり、大人であっても思えなかったり。
毎日の味噌汁を作って記録するたわいもない行為のなかで、実にグダグダうだうだと、色んなことを考える。
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