2017年12月15日 (金)

今年3度目のインタビュー

今年、3度目のインタビュー。これまで何度インタビューしてきたか、数えたことはない。

大学生の頃に名前を知り、その後なにかの折りにインタビューが続いてきた。
今回のインタビューで、「登山を始めて、20年近く」と言ったので、私が見せてもらってきたのも、15年近くになるのだろう。
 
人は成長し、変容していく。そのリズムやスピードは、もちろん一定ではなく、一歩進んで二歩下がるときもあれば、螺旋階段を上っているようなときもあったり。真っすぐな道ではなく、曲がりくねったり、分岐点がやってきたり。
そんななかで人は、鮮やかな変容を遂げるときがある。
 
春先、久しぶりにインタビューして、なんて潔いんだろうと、鮮やかな姿を見せてもらい、ハッとした。
こんな風に、他者の人生に触れあうことができ、なにかの瞬間に居合わせてもらえるのは、とても仕合せな仕事だと思う。
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2017年12月14日 (木)

冬晴れ、続く

昼過ぎになると、東山方面には青空がのぞいているけれど、北アルプスの山々は見えず。典型的な冬の空模様。風も出てきて、寒気が南下してくるもよう。
夕方になると、はらはらと雪が降り、明日はいいパウダーだと言ったり、除雪がたいへんだと話したり。

そんな雪国をあとに、東京に戻ってきた。
千葉に生まれ育ったため、冬の穏やかな青空は、やっぱり好きだ。これぞ正月の天気だと思う。
冷え込みも心配したほどでなく、青空が広がる下で、撮影とインタビューの仕事。
インタビュイーやカメラマンの家族も合流して、和気あいあい。終了後は、ござを広げてお弁当。穏やかな日だった。
 
そして今朝起きると、窓の向こうに青空が広がり、遠くに富士山が望めた。これを眺めて、大雪の新潟からやってきた仲間が「ああ、いい天気だ。青空はいいね」と。しかしそんなこと言いながらも、「除雪が待っているわ」と、そそくさとまた、雪国へ帰っていった。
 
私はひとり、朝イチの打ち合わせのため、横浜・大さん橋へ。風は強いけれど、心が明るくなる冬の青空が続く。
さてはて、そして、打ち合わせの場では。化繊綿の冬山用ジャケットにビーチサンダルの方も待っていた。まったく、寒いのか暑いのか、わからない、平和な光景。
 
さてと、また雪の国へ戻るか。
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2017年12月13日 (水)

スキー日記

夏に山で会ったとき、雪が降ったら一緒に滑りましょうと誘ってくれたことを、真に受けて、スキー場待ち合わせ。

テレマークスキー、上手ではないけれど、それなりの年月を愛情込めてやってきたからか、自分ができることとできないことは、大概わかり、どこに欠点があるかもわかる。

先日、1日だけアルペンの板を履いた時に、気づいた欠点が、クロカンにも通じていたので、テレマークも同じではないかと考えてみた。みんな一緒。

それを色んな方向から突っついてくれ、確認させてくれ、そしていい滑りを見せてくれた貴重な機会。こういう日が、シーズンの初めにあることは、とてもありがたい。

ほんとうは、もっと体力や集中力があれば、夕方まで滑れただろうけれど、14時上がり。朝イチから滑っていたのだし、これが現状なので、受け入れて無理せず。

聞くに、テレマークスキーを誰かに教わったわけではないようだ。教わったことはほとんどない。コンバインドの選手だったから、すぐに自分のものにしただろうというのは、それはある意味においてはその通りだろうけれど、それを深め延ばしていくには、自分自身で相当の努力をしたはず。
教わる人がいなかったというのも事実だろうし。

「澄子さんはできています、できるんです。けれどできなくなる時があります。それは、滑りを自分のものにしていないからです」と。もっと滑れ、というのが第一にあり、そしてそれ以上もある奥の深い言葉だわ。自分で努力してきた人の言葉だなあと。

2017年12月12日 (火)

最後の紅葉

日曜日、所属するFRCCという山岳会の月例山歩きで、本厚木にある里山を登ってきた。
広葉樹の森が広がり、尾根道を歩いて、とっても山らしい山だった。
 
大方の葉が落葉し、陽だまりのある明るい森になっていた。登山道に落ちる枯れ葉を踏みしめながら歩くと、乾いた音がして気持ちがいい。ときどき、赤や黄色の葉が残るカエデの樹があった。
 
今年は、近年には珍しく秋のあいだずっと日本にいたので(いることになったので)、紅葉の山をじっくり楽しめるだろうと思っていたけれど、なかなかそうもいかなかった。それでも、冷たい雨に濡れた色づきの山、クライミングのアプローチで眺めたオータムカラーなど、心に残る秋の山がいくつかあった。
そして、これが、今年最後の紅葉の山かな。
 
あらためて、今年のFRCCの月例山行に何度参加できたか、数えてみたところ、13回中(8月は2回)8回だった。それと7月のアメリカ。来年はもう少し参加できるかな。
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2017年12月 9日 (土)

チャーミングなふたり

二夜連続。

【デナリカシンリッジ登攀+南西壁滑降 】
by 佐々木大輔×加藤直之 @エルク(甲府)
【STEEPでDEEPな話〜原点回帰編】
by 加藤直之  @パタゴニア 横浜・関内
 
デナリは、急きょ白馬に聞きに行ったので2度目だった。2度目だったけれど、当初から予定していた甲府にも。
大輔さんの人間の大きさにあらためて触れて、そして加藤さんの言葉のひとつひとつに(両日とも)、彼がフェアバンクスで学生生活を送ったときにアラスカの山々に登ったことが血肉になっているのだなあということが伺いしれ、とてもよい機会だった。
 
チャーミングなふたりの真剣な話。
あることを突き詰めている人、抜きんでた人というのは、みなチャーミングだなあと思う
 
合間に、エルクの土曜朝活にて、湯村山ハイキング+温泉朝ご飯も。
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2017年12月 7日 (木)

旅の宿

ずっと前。奥会津を取材して回った最後の日、地元に根付いた編集者が、「柏さんにどうしても食べてもらいたい料理があるんです」と言ってくれながらも、それは叶わなかった。南郷でスウェーデン料理の宿をやっているところがあるそうで、泊まる時間はないけれど、料理だけでもと、推してくれたのだ。
 
友人が、その宿をどこかで知ったようで、「一緒に行かない?」と誘いがあった。
忙しいだろう仕事をやりくりしてくれて、11月末、ふたりで泊まりに行った。
宿に入って、なんとも言えない感覚になった。異国に来たような。
スウェーデン料理を出す宿で、スウェーデンをはじめ、デンマークやノルウェーなど北欧の飾りつけや食器が多数並ぶけれど、だからといって、北欧そのものという雰囲気でもない。
部屋に通されて、なんとなく、ネパールに来たような気分にもなった。
一緒に行った友人とは、ネパールを旅したことがあったからだろうか。
 
仕事であちこち出かけることは多いが、最近は旅心を味わっていなかった。
今回それがよみがえってきたような。
どうしてこんなにこの宿は、居心地がよくて、旅にきた気分になり、これまでの旅の思い出がよみがえってきて、そしてまた、旅に出たいなって思わせてくれるのか。
すると友人が一言。「旅好きがつくった宿だからじゃない?」
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「15年目、4度目の夏」シスパーレ北東壁初登攀-平出和也+中島健郎

『ROCK&SNOW』078号に「15年目、4度目の夏」と題し、平出和也さんと中島健郎さんのシスパーレ北東壁初登攀について書きました。
 
この夏、日本人クライマー達が残したカラコルムでの一連の登攀についてまとめた企画のなかにあり、ベアトリス東壁やK7西峰南西稜初登について、当人たちが書いた力強い文章を読むと、自分の力不足を感じます。
15年前に、平出さんがたたみ一畳分の手作り地図を携えてカラコルムを旅したときから、このストーリーは始まっており、この歳月にあった出来事を織り込みながら書きました。
 
なお、写真クレジットについて「中島健郎」とありますが、ふたりが撮影したもので「シスパーレ登山隊2017」になります。お詫びして訂正いたします。
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2017年12月 3日 (日)

チョコレート三粒

いただきもののアドベントカレンダー。
今朝、「3」を開いてみたら、アーモンドチョコレートが三粒、ぽろりんと。
昨日と一昨日は、トリュフがひとつずつ入っていたのに。
一気に三倍で、なんだかオトク。

こんな嬉しいさも、日々のたのしみ。
 
「このアドベントカレンダーにも制作予算があり、一日あたり幾らと決められているなかで、お高いトリュフを一粒入れたり、価格抑えたチョコ粒を三つ入れたりしているのかなあ」など、つまらん考えが浮かぼうものなら、それらは払しょくして。
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2017年11月24日 (金)

レトロ喫茶

編集者と打ち合わせるとき、喫茶店を使うことも多い。
 
先日彼女が、「前に待ち合わせた、あそこにしましょう」と言った。
2年前の秋先、このビルにある病院に頻繁に通っていた私は、1階にある喫茶店で打ち合わせようと提案したのだ。時間がなかったこともあるけれど、雰囲気がよいようにうかがわれたからだ。
 
ビル1階にはハイカラなタイルが施してある。これをみて、「プリンみたい」と思い、以来「プリンビル」と呼んでいる。カラメル色があるのもプリンらしさをいっそう際立てている。
そして今回、タイルの壁を見上げて初めて気づいたのだが、なんと天井近くにはストロベリー色のタイルもある。ストロベリー味のプリンもあるのかな。
 
なんでも、ビルオーナーが石材屋さんなのだとか。私たちが好んで訪れる喫茶店は、いっとき閉店の危機もあったようだけれど、ビルのシンボルでもあり再開したようだ。スタバができても、このビルのその名も「ストーン」という喫茶店はなくならない。喫茶店の床に敷き詰められたタイルと、壁の石材が、ストーンの味を出している。
 
彼女と打ち合わせるときは、次回もココかな。
編集者との間にそんな喫茶店があるのは、なんだかいい感じ。
少し前にお世話になった、年上の女性編集者とよく待ち合わせた神保町の紅茶の美味しい喫茶店以来、ふたつめだな。
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2017年11月22日 (水)

そして、みたび

こんな短期間に3回も通うとは思ってもいなかったが、タイミングが合った。
そう際立って、アンセル・アダムスのファンというわけではないのだが。
色んな方々から教えてもらったことを心のなかで繰り返しながら、見入ったり。
極僅かだけれど、ヨセミテ・バレーやトォルミ・メドウに身を置いたときの、その場と時を想起したり。

写真展は通うものなのだと、つくづく思った。
わざわざ訪ねるだけでなく、なにかの折にふらっと立ち寄って、繰り返し見つめ入るもの。
美術館も映画館も、ほんとうはそんな存在なんだろうな。
 
オーケストラの友人が、「カーネギーホールで、マーラー6番の開演直前に「Obstructed Viewのチケットくれ」と言ったら10ドルだったけれど、サントリーホールで母校大学オケが演奏するマーラー5番は10ドル以下、お得だね」と言っていたが、きっと音楽も同じ。日常にあるもの、日常にありたいもの。

 

2017年11月21日 (火)

写真展は通うもの

土曜日、長野から東京にやってきていた仕事仲間の写真家さんと待ち合わせ、写真展「二十世紀の巨匠 美と崇高の風景写真家 アンセル・アダムス」へ行った。
高校の写真部のときの話などを聞きながら、どの作品が好きか、あれこれ会話しながら観て回るのは面白かった。
 
「写真として好きなのは”ハーフドーム吹雪”だけれど、部屋に飾りたいのは”アスペンス”」「”アスペンス”はふたつともいいね、ひかりが好き。”網戸の向こうの女性”や”グレッシャーポイントからの月の出”もいいな」とか。
アンセル・アダムスが自分の影を写した写真を前にして、彼が手に掲げているのは「露出計?」と聞くと、「フィルムホルダーでしょう」と教えてくれた。昔の露出計はこんなに大きくないそうだ。だいたいのモノが小型化していくのが世の流れだと思うが、露出計は時代とともに機能が増えて、大きくなったのだと。へええ。
ピントがうしろに来ていることや、影がぼやんとしていることに、あーでもない、こーでもないと。
 
これまで写真展というと、そのほとんどは一人で行った。
けれどこうやって、人と話をしながら回るのも楽しいものだと、知った。
 
そして1日置いて月曜日、また同じくアンセル・アダムスの写真展へ行ってきた。
 
以前、一緒に連載をした写真家さんが、写真展の出口にあったアンセル・アダムスとツーショットが撮れるパネルの前で写真を撮ってあげるよ、と声をかけてくれた。
そんな大の写真家さんにシャッターを押してもらうなんて、とんでもない、と思ったが、私のコンデジを使って、「上手く撮れるかなあ」と言いながら撮ってくれたそれは、どれも面白い写真だった。知らぬまにたくさん撮ってくれていた。
まったく、素人の私とは違う。
(↓撮っていただいた写真を加工したのは、私自身)
 
アンセル・アダムスの写真の数々は学校のテキストにもよく使われていたといい、その内容をひとつひとつ教えてくれた。
 
撮影年は表記されているが、現像された年はどこにも載っていない。けれど、焼き上がりの様子を見ながら、おそらくこれぐらいの年代だろうと教えてくれた。
ポラロイドの仕上がりについても教えてもらうと、その浜辺の砂がより味わい深く見えてくる。
 
大判カメラは後ろに焦点がいきやすいが、手前をどのように表現しているか、静物をどんなに表現しているか、ひかりがどこからあたっているか、全体のバランスを取りながらか明るいところをどこまで表現しているか。
 
ゾーンシステムや、ゾーンセブン、エルナンデスの月の出の作品についても。
 
二度目に見ると、そして色んなことを教えてもらいながら見ると、いっそう奥深く、広く見えてくるものがある。いままで見えていなかったものが、浮かび上がってくる。
それは理論的に写真を見るというよりも、理論やメカニズムを理解したうえで、その上に築かれた感覚や感情の世界を見るような。
 
2時間ちかくかけてひとつひとつ見て回った。
前日は、ある有名写真美術館のキューレーターが来て、写真解説をしていたというが、そんなことはちっとも羨ましいと思わないほど、私も濃密な話を聞きながら、贅沢な時間を過ごした。
そして、思った。彼はまたきっと後日、ここに来るだろうし、私もまた行こうと。
こんどは一人でも行ってみようと思うし、一緒にこの写真を見て回りたいなって思う人もいたり。
写真展は、通い続けて見るものなんだと、思った。
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2017年11月20日 (月)

人間の品格と知性、『ラモツォ亡命ノート』

毎夏キャンプでご一緒する在日チベット人たちは、日本の山を一緒に歩くと、「故郷の山を思い出す」と言ってくれる。それは、草原に弁当を持っていき食べて歌って踊る、あのチベット人が大好きな時間や、夏のピクニック、川で遊ぶこと……だけでなく、「ヒマラヤを越えた」あの日を思い出すと。そんなことを言ってくれる度に、私は返す言葉が見つからず、いつも黙り込んでしまう。
 
今日、私が向かった山は、雲はちょっと多かったけれど晴れた空で、樹木を抜けると冷たい風が強かった。しかし下の方は紅葉は見事で、穏やかだった。ちょっとだけ重たい荷物を背負いながら、そんな道のりをアプローチしているとき、毎夏を共有するチベット人たちのことを思い出していた。
それは、夜、映画『ラモツォの亡命ノート』を見に行こうと予定していたこともある。
 
映画が終わり、ラモツォと監督の小川真利枝さんがトークをした。ラモツォのアムド語を通訳してくれたのは、同郷のソナム・ツェリン。久しぶりに会えた。
そのラモツォの話すことを聞き、彼女がもつ品格や知性というものが、どこに由来するのか思い知った。
 
私はかねてから、いつも考えていることがふたつあった。
ひとつは、人間のもつ品格や知性についてだ。これまで多く接してきたチベット人やネパール人のなかには、境遇や経済的に恵まれず教育も受けられず、けっしていい環境とはいいがたいところに育ちながらも、気高い品格と、そして豊かな知性を持ち合わせている人たちと多く出会ってきたことだ。
そういったものは、生まれながらにしてもった性質だけでなく、後天的な環境にも影響を受けると思っていたが、いったい彼らはどうやってそういったものを養ってきたのか、と。
 
もうひとつは、チベット人たちの信じる心の強さだ。
9月に日本にやってきたインド人の知り合いから言われたある一言を、私は友人に話した。すると彼女は、「そのことを、柏さんが強く信じることができれば、それは現実となるんだろうね」と言った。そういえば、彼女は姿勢が美しく、強くものを信じることができる人だ。
チベット人の、ときとして涙が出そうになるほどの信じる心の強さは、いったいどこからやってくるのだろう、ということだ。
そして、そんなしなやかに強い心を持っているためか、逆境にあってもよく笑い、よく冗談を言う。そんな場面は、今回の映画にも出てきた。政治犯にされ投獄されるラモツォの夫が、笑い飛ばすように話す数々を、泣きながら笑った。
 
ラモツォは、1972年、アムドに生まれた。
このことを聞けば、彼女の半生がどんなであったか、想像する手助けになるだろうか。
 
知人でもある真利枝さんが撮った『ラモツォの亡命ノート』も素晴らしかったが、このことに関心があり、そしてもし都合がつくのであれば、彼女の肉声をぜったいに聞くべきだ。
映画上映後、来日中のラモツォが出演するアフタートークは、20日(月)20時が最後。東京・ポレポレ東中野にて。
 
そして、私の今晩の寝床の音楽は浜田真理子さんの「Hallelujah」
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2017年11月17日 (金)

「山に登る者の森林限界」@『森林レクリエーション』

『森林レクリエーション』11月号一社/全国森林レクリエーション協会)の「窓」に寄稿。購読先は、森林管理局や都道府県の林務担当部署、国有林をレクリエーションの場として活用する団体といった、森林の専門家たちです。そこに素人が巻頭言を書くというのは、どんなものなのか。
今年から、全国森林レクリエーション協会の仕事が続いており、ご縁あって執筆のご依頼をいただきました。
 
タイトルは、「山に登る者の森林限界」。登山者にとっての森林限界についてです。
いつもプロフィール写真のご提供をいただきます。ありがとうございます。
 
表紙は、鳥取県・大山(伯耆富士)山麓の里の風景。タイトル「行く秋」は晩秋の季語、松尾芭蕉の歌を添えた解説がありました。
特集は、長野県伊那市のカラマツ林にて、森林療法を取り入れている例についてです。
なかなか一般の方々が目にする機会の少ない冊子ですが、興味深い内容でした。
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2017年11月16日 (木)

歩く速度で自然を楽しむ/トレイル@明和地所

歩く速度で、自然を楽しむ。
明和地所様のホームページに、トレイルを歩く楽しみについて、書いています。
最後に3つのトレイルを紹介しました。少しの準備を整えれば、広く多くの方々が楽しめるコースです。
 
ブナとカエデの美しい三頭山(東京)は、いままさに、オータムカラーから冬枯れへと向かう最高の季節。新緑や真夏の青々とした時期も素敵ですが、ちょうどいま訪れていただきたいところです。
 
道東の旭岳(北海道)は、いまはしっかり根雪になり、スキーシーズンに向けてこのあとロープウェイが整備点検に入ります。冬の間はスキーコースを楽しむ以外は、雪山経験がある方の世界になります。そんなわけで、来シーズンまでお預けですが、夏と秋がぎゅっと詰まった美しい山です。
 
街と博多湾を見下ろす三日月山は、福岡に住む登山家・栗秋正寿さんにご案内いただいたことがあります。彼が高校生の頃から親しんでいた山だそうです。クスノキや照葉樹林が印象的でした。そしてお隣には立花城址跡が残る立花山があります。
 
ところで、この記事のトップに掲げた写真(下記)は、10月の会津駒ケ岳です。
リズム感のあるうねりをみせた木道ですが、これが朽ちてきてしまい、修繕が必要。
そのため、地元桧枝岐村では募金を始めたそうです。
詳細は、コチラ
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2017年11月15日 (水)

森嶋一也写真展 "moroccan FOLKLORE"

友人に誘われて、森嶋一也さんの写真展「moroccan FOLKLORE」に行ってきた。
編集者である友人がかつて、国内外の取材旅行を共にした仕事仲間だそう。
「クライマーのような、硬派な人物を、彼に撮らせらた面白いよ、きっと」と。
 
南青山にある花屋さんの二階。会ったこともない撮りて手が、この部屋のどこかに、姿はないけれど確かに存在するような、そんな錯覚におちいって作品を眺めていた。
写真を見入っているときは、その姿は出てこないけれど、写真を離れ部屋の中を歩いているときに、壁際にいるような。
そこに作品が存在すれば、その撮り手の存在が、押し付けではないけれど、確かに存在する。写真家ってすごいなって思った。
私の書いたものの脇に、私の存在がほのかにあるだろうか……というと、ないように思う。
 
言葉を尽くしても伝えられないこと、表現できないことはあるし、言葉を尽くせば尽くすほど、それは薄っぺらく感じてしまうこともある。これは自分が書く文章について。
けれど、写真はありのままを写す。ありのままだけれど、そこに撮り手のセンスが加わる。
 
森嶋さんが写す人物は、なんだかちょっとトボケた表情をしたり、明後日の方向を向いていたり、ぽろっと見せちゃった顔をしていたり、正面切っていない。正面ではない、その人のなにかを写している。
 
そんなことを考えながら、花屋さんを出て、街を歩いていると、向こうからそのご本人が歩いてきた。これはこれはと、ふたたび花屋さんに戻る。
なんともふにゃふにゃっとしたような方で、写真展の部屋でみていた幻とは違う。
でも、同じかもしれない。
 
森嶋さんのwebサイトに載っているプロフィールが面白い。
「1964年2月8日、京都市伏見区に生まれる」、そうか水瓶座かあ。
「12歳初めて女の子からチョコレートを貰う」、12歳なんだあ。
その後、写真家になる道のりが続くなか、途中で一文。
「いったいどれぐらいの数の、人や風景を撮らせてもらったのだろうか。」、この一文だけトーンがちがう。
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2017年11月13日 (月)

山岳医療パトロール納会/久しぶりの再会

最近、仕事の合間の早歩きハイキングやサクッとクライミングが続いていたので、朝からのんびり山を歩けたのは、嬉しかった。
 
そんな久しぶりの里山歩きのあとに向かったのは、今夏黒戸尾根で実施された日本登山医学会山岳医療パトロールの反省会と慰労会。
パトローラーの医師、看護師、学会内の関係者、パトロールのベースとなった七丈小屋管理人。とここまではこの事業の当事者・関係者たちだから当然のメンバーとして、ほかにパトロールの見学同行をしたWMAJのインストラクター2名と、取材同行した私まで、声をかけてもらい参加。
 
議論された内容は、ここでは触れないとしても、そういった外部の者たちも招き入れる、オープンな風向きは素晴らしいなと思った。ちょっと、いやかなり新鮮。そしてこの爽やかな風、最近あちこちで吹いていると、感じる。
アプローチや方法、行動展開、細部の目標は異なっても、大局的に目指すところが同じであり、それを理解できれば、組織や立ち位置を越えて、人は交流できる。
そういうことを、軽やかに実践できる人たちがいる。それは年齢や世代とは関係ないように思う。
 
初めてお会いした方々から私の仕事についてご意見いただいたり、久しぶりにお会いした先輩たちと話をできたこともとてもありがたく。また、この夏を共にした方々とのお喋りも楽しく、発展性のある話題に広がり、河岸をかえて夜更けまで続いた。
 
個人的に、とても嬉しかったことは、ご無沙汰していた先輩方にお会いできたこと。
そしてそのうちのおひとりの方とは、じっくり話もできた。
最近の私の仕事について、ご意見をいただいたり、以前ご一緒した仕事を振り返ったり、そんな話をするなかで、突然彼が言い出した。
「柏さんに、そんな文章は発表する意味がない、と釘を刺されたことがあったでしょう。あれは嬉しかったよ」と。
えええ?そんな生意気なことを、私は先輩に言ったのだろうか。
内容を聞くうちに、うっすらと当時のことを思い出し、自分が考えていたことも思い出した。
それは、彼がなりわいである医業から離れ、個人的な登山について書いたものだった。
随分と酷い物言いだ。少々表現は違ったようだけれど、それにしても目上の方に言うことだろうか。
 
「何度も、僕のところを訪ねてきてくれたでしょう」とも。そういえば、当時の仕事を進めるなかでは、何度も食らいついていった。遠かろうが、遠慮もなく訪ねていっては、自宅に泊めていただくこともあった。
そういう時間があったからこそ、いまでもこうやってお付き合いいただけるのかもしれない

2017年11月11日 (土)

70年目の『現代用語の基礎知識』

今年で70年を迎える『現代用語基礎知識』。2014年版(13年発売)に、初めて【登山】という項目が登場しました。今回で5年目。
14~16年版は、冒頭コラムを田部井淳子さん、用語解説を私が執筆しました。
昨年は、コラムも解説も私が執筆し、田部井さんにも原稿をお目通しいただきました。これが彼女と最後にご一緒した仕事でした。
 
今年の冒頭コラムは、竹内洋岳さんにインタビューして作りました。
人選は、編集部と私の意見が一致したところで、竹内さんのインタビューは個性豊かで刺激的でした。もっと言えば20年近く仕事をご一緒してきたけれど、いつも新鮮な風を吹き込んでくれるところが彼らしさです。
 
掲載用語の選択は大きな課題です。
今年は「田部井淳子」も取り上げました。彼女の人生を350字余りにまとめるのは難しかったですが、最後の3行がそのすべてだと思って書きました。
ほか新たに取り上げたのは「山岳医」と「冬山/春山」。後者は編集部の提案ですが、那須の雪崩事故の際に登山の季節についてニュースで語られることが多かったからと。
「フリークライミング」は以前からある項目ですが、ここには「ボルダリング」「スポーツクライミング」「エイドクライミング」(対となる言葉として)なども含めて解説しています。
眼に優しい大きめ文字の版と携帯しやすい版がありますので、ぜひご覧ください。
 
『現代用語の基礎知識』は、現在のニュースを読み解くヒントとなる解説をしたり、世相を表す言葉を取り上げたり、この本を読むだけでその分野の現在がわかるような内容にしたりと、お役目は多岐にわたります。
難しい仕事ですが、今後も続けていきたいと、私自身は思っています。
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2017年11月10日 (金)

セーラー服と機関銃

以来、ときどき聴くのが『セーラー服と機関銃』。
原稿を書くときは、音楽はなにも聴かないけれど、事務作業をしているときや運転のとき。
 
YouTubeを使っていると、色んな年代のものが聴けて、薬師丸ひろ子の歌声の透明感はずっと変わらない。けれどやっぱり少女の時の無垢と、歳を重ねた色味帯びた声や表現には、ちがいがある。
 
「下世話な言い方だけれど、セーラー服と機関銃みたいな人生だった」というのは、随分と説明を端折った言い方だったから、ちっとも理解してもらえなかっただろう。それは、映画のことではなく、来生えつこが書いた歌詞のこと。
ドキっとするような歌詞もあるけれど、そうではなくて、もっとピュアな意味で。
 
そんな歌詞を原稿の片隅にそっと散らしても、それはあんまりわからないかなあ。
そんな言葉遊びのような軽々しい行為を、してはいけないのかなあ。
など考えながら、推敲中。

2017年11月 9日 (木)

医療従事者が学ぶ野外救急法-WALS

Dr's Meetingの翌日から5日間、清里でWilderness Advanced Life Support(WALS) (主催:WMAJ)が開催された。
医師や看護師、救急救命士など医療従事者が学ぶ野外救急法のクラスだ。
 
去年は、取材を兼ねたオブザーバーとして5日間みっちり参加させてもらった。
医師たちと同じレベルでスピード感もって、野外医療や野外救急法についてトレーニングしていくのは、予習に予習を重ねてもたいへんなことで、本人としては食らいついていった感じ。
けれど一緒に受講した医師たちが口々に、「ちっとも違和感ないよ、一緒にトレーニングしているじゃん」と言ったのには、少し救われたし、そこに野外救急法、野外医療のカギがあるとも思っている。
 
今年は最後の2日間、参加させてもらった。
 
登山者が野外救急法を学ぶのは、登山に必要な技術のひとつと理解するが、医師が学ぶ意味や意義はさらに深く広がりをもつ。
日本の野外救急法が次のステージにのぼりはじめていると感じるひとつは、医師、看護師、救急救命士といった医療従事者達のコミットメントが濃密になってきたこと。日々命を繋ぐ仕事、生命に接する仕事をしている彼らが、それぞれのモチベーションをもって野外救急法を学ぶ姿は、ホント頼もしい。
 
さらに今回は3名が医療アドバイザーが加わり、とても心強く充実した講習だったと感じた。
それぞれ、救命救急、精神科救急、災害現場、山岳事故現場などでの経験が豊富であり、そして野外医療、野外救急法に熱心な方々。こういった方々がこれから、野外救急法のクラスに深くかかわってくれるのは、心強く、この先が楽しみだ。
 
また、大規模シミュレーションのために16人の傷病者役ボランティアが集まってきたのも素晴らしいなあと思う。医師、看護師、歴史的に最悪な現場を経験した救急救命士、山岳ガイドをはじめとしたこれまた多彩な顔ぶれ。
 
WALSは、講師のDJ医師とWMAJスタッフ達、医療アドバイザーの3人、そして受講生たちが互いに意見を交わし合いながら体当たりで野外救急法について考え、学ぶ5日間。
救急法のお作法を学ぶのではなく(それはどのクラスも同じ)、野外で傷病者が発生した場合に、どのように状況を把握し、観察し、評価し、対処していくのか。
その際にリスクとベネフィットを天秤にかけ、どこに行動を落とし込んでいくのか。それを考える場。それは、登山の行動そのものに通じる考え方でもあったりする。
 
貴重な機会をいただき、心から感謝。これからも、頑張ります。
 
主催のWAMJについて 
WALSについて 
昨年の様子 
「医療アドバイザー」の3人 
WAMJからの報告 →① →②
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2017年11月 7日 (火)

日常の眺め

白く雪のついた北アルプスの絶景。
山梨県の仕事仲間の家を出るときには、槍穂高連峰を望むことができ、どんどんドライブしていくと、常念岳が現れ、やがて後立山連峰が始まる。
こんな眺めのいい日は、山の上にいるのがいちばんだけれど、中央道から長野道など山の眺めのよいドライブもまた、気持ちがいい。

山麓の村で、友人が登ったヒマラヤの小さな仲間内の報告会。
モモ200個を作るミッションなど厨房のお手伝いに行ってきた。
ずっと厨房にいたので、報告は聞けずに残念だったけれど、それはまた今度本人から。
頻繁に訪れる村だけれど、この村のガイドや登山愛好者たちはこんなコミュニティを形作っているのかと、初めて接する色合いも。
村に住むガイドや登山が好きな人たちが大勢集まり、日付が変わるころまで。

会場を出ると、立待月に星空。
雪のついた白馬連山が闇夜にくっきりと浮かび上がいた。
朝昼晩、春夏秋冬眺めた山並みであるが、夜に浮かび上がる姿がいちばん好き。
今日、観光客に「毎日こんな展望が眺められるなんて、いいですね」と友人は言われ、「毎日ではないんだけれどなあ」って心のなかで思ったそう。
ちょうど私も同じようなことを考えていた。今年、ラッキーなことに闇夜に浮かぶこの山並みを私は何度か眺めることができたけれど、ここに住んでいたって、それはそう数多くないこと。
天気の悪い日は、まったく眺めもないものだ。

今朝は紅色に焼け、私ももう少しこの眺めを味わうつもり。

2017年11月 3日 (金)

今日はいい日だった

今日はいい日だった。
 
朝起きてメールボックスを開けると、大好きな人からメールが届いていた。
先だっての会で、顔を合わさず声も聞けなかったので、どうしているかなあと気になっていたが、元気そうな便りをもらえて嬉しかった。
 
友人が、久しぶりに大好きな人から電話がきたと喜んでいた。
しばらく音沙汰がないことを、ずっと気にしていた。お元気であることや、書き続けていることを知って、ほんとうによかったと言っていた。
 
便りがこないこないと嘆くよりも、日々起こる出来事に目を向けた方が、心は穏やかだ。
えてして、待ち人はなかなか来ないもの。その時間は長く感じられる。
 
2011年の暮れに書いた手帳が出てきた。
いまになって振り返ると、どん底だった年だというのに、この1年であった「よかったこと」を、私は30も書き連ねていた。
「母の老化が進んだけれど、とりあえず大病しなかった」、これが30個目だ。
色んなコトがあっても、その中に小さな喜びや幸せを見つけている自分を、エライって思った。
 
次のページをめくると、2012年にやりたいことを100個も挙げている。内容からして、とても1年で出来るものではないこともたくさん。
「旅先でヨガをする」「スキー板を走らせる」「国東半島へ行く」「春の明るい雪稜を登る」「ちゃんと手紙を書く」「西チベットを旅する」「庭の筍を有効利用する」「雛人形の救出」「スキーで国境を越える」「スキーの源をたどる旅をする」「クラックをもっと登る」「オケにのる」「渡辺斉さんみたいな文章を書く」あんまりに多岐にわたっていて、笑える。
最後は「品格を失わない」であるが、そのひとつ前に書いてあるのが「ネコと仲良くなる」。果たして、私は当時、ネコとなにかあったのだろうか。忘れてしまった。
 
夜になってようやく、「スマホ、水没させた。代替えで何とか復旧」って連絡が来て、ひとしきり電話で話も出来た。夕方からずっと音信不通になり、どうしたものかと思っていたが、これでこちらもまずは安心。
 
今日はいい日だったし、最後までいい日であってほしい。
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WMAJ Dr's Meeting

先日、WMAJ(ウィルダネス メディカル アソシエーツ ジャパン)主催のドクターズ・ミーティングがあった。WMAJのコースを受講した経験のある医師たちが集まり、来日中のディビット・ジョンソン医師(DJ)と共に、情報交換、意見交換をする場。
今年初めての試みであるが、平日の昼間にも関わらず全国から16人が集まった。
もちろん、参加したくても仕事などの都合上できなかった方々も大勢いる。
 
日本で野外救急法のコースが開催されるようになって10年程。
いまではプロバイダの数が増えたり、またそれぞれのプロバイダ間や、登山医学会などの団体との人的交流も始まってきた。
WMAJのコースには、いくつかの医学会所属の医師や消防士、県警所属の山岳救助隊、アウトドア各種のガイドたちなども訪れる。
なかでも医師たちの活動も盛んである。
 
今回は、WMAの歴史や世界各国の野外救急法事情、国内における法的解釈、DJからの新しいトピックやエビデンスなどについて、時間オーバーしながら3時間近く、みっちりと意見交換をした。
夕食後の交流会でも、所属の垣根を越えて、盛んに意見交換がされ、日本の野外救急法のシーンも次のステージにのぼりはじめているのではないかなと感じた。
 
交流会のとき、ちょっと遅れてきたDJが隣の席に座ってくれたおかげで沢山話ができたことも、嬉しかった。
彼の学生の頃の話、他国の事情、これまでのDJの仕事ぶりなど。
他国の事情は、アイスランドの特異な例について詳細を聞いたり、また個人的に関心をもったチベットでの取り組み。中国領については、香港、マカオとラサの3カ所でしかWMAJの活動はされていないのだ。北京ではなく、ラサ。その事情などを聞いて、納得した。
 
去年からインタビューを続けているDJについては、学ぶことばかりだ。
それは野外救急法の知識や技術だけでなく、ものの考え方、人との接し方、人生の歩み方。
野外救急法というフレームを通して、世界各地を歩き見てきた方の言葉は、重い。
そして、医師が野外救急法を学ぶ意義や意味は広く深く、また野外救急法における医師の存在がどれだけ重要であるか痛感した。
よりしっかりと医師や医療従事者たちと手を組んで(これまでも手を組んできたし、医療従事者がリードインストラクターであるけれど)、野外救急法の問題を進めていかなければならないと感じる。
 
それにしてもこの日の八ヶ岳山麓は、抜けるような青空。黄金色のカラマツの葉が吹雪のように舞う美しい日だった。
先に東京に戻り別の仕事をしている私は、ドクターズ・ミーティング後に始まったWALS(医療従事者向けの野外救急法コース)の様子が気になって仕方がない。そんな話を現場の友達にしたら、「禁断症状だね」「早く戻っておいで」などと、笑われた。
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2017年11月 2日 (木)

Fred Beckeyの死

アメリカのクライマー、Fred Beckeyが亡くなった。
クライミングメディア一斉に配信し、著名なクライマー達がfacebookに追悼の意を書いた。
けれどほかの仕事に没頭していて、私はそれにはまったく気づかなかった。
 
31日の深夜、成都の友人からの連絡で知った。
彼は、Fredの写真や動画を、いま整理しているところだと言っていた。
写真の多くは、私も見せてもらっていたから、新しいものはなかったけれど、送ってくれた動画は初めて見るものがほとんどだった。
フレッド・ベッキーのことを知ったのは、成都の親しい友人兄弟から教えてもらったのが最初。
高齢になっても、毎年のように四川の山に登りにきており、そのたびに、友人兄弟の旅行会社を使っていたので、色んなエピソードも聞かせてもらった。
四川の山に傾倒しているクライマーかと思いきや、帰国後調べてみたら、まさにアメリカの登攀史の生き字引、彼こそが歴史そのものというような経歴の人だった。
 
いつかフレッドに会ってみたい。それは、彼の生きてきた道のりを聞くだけでなく、生涯登り続けるその姿を見てみたかったのもある。
成都ではいつも入れ違いで会えなかった。
でも、会うのは成都でなくてもよいのかもしれない、と思い始めた。
彼の真骨頂はやはり、北米大陸にあるのだし。
シアトルなど彼の自宅近くでインタビューすることはできないのだろうかと色いろ考えていた矢先、ある知りあいのクライマーが、「じゃ、僕が通訳しますよ」とかって出てくれた。
 
けれど、いつでも会えると思うのは大きな間違いであり、会いたい人にはそう思ったときに会いに行くべきなのだと、あらためて思った。
 
生き字引という言葉は、なんかしっくりこない。
歴史そのもの、彼を知るということは、アメリカの登山史を知ることなのではないかと思う。
 
生涯クライマーであり続けたフレッドを偲んで、読むのはやっぱり『100 Favorite Norht Ameriacn Climbs』。
このなかから、私もいつか目指せるルートが出てくるかな。
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「彼女の文章が好きなんだよ」

晴れ渡る八ヶ岳山麓、もう少し居残ろうかと思ったが、お世話になった山岳写真家である高橋良行さんの訃報を聞き、朝ごはん後、東京に向けてクルマを走らせた。
 
同じく山岳写真家の渡辺幸雄さんが、通夜に参列するために北穂高岳から下りてくるという。
そうであれば、私も通夜へ行こうと予定したのだが、どうにも疲れがたまってダウンしてしまった。せっかく間に合う時間に、東京に戻ったのに。
通夜後、ナベさんが連絡をくれ、良行さんと一緒に進めていた仕事の話や、彼が残した宿題について話してくれた。まったく気持ちの整理もつかない、別れもさんざん、ぐちゃぐちゃだったというようなことを言っていた。
ベッドから起き上がるのも辛かったけれど、そんなだったら体に鞭打ってでも通夜に参列すべきだったと悔いた。
かつて、磯貝さんが滑落死したとき、磯貝さんへのお別れだけでなく、周囲にいる足立さんやナベさんを支えたいと思って、通夜に駆け付けたことを思い出した。葬儀って、生き残った人たちのためでもある。
 
良行さんと仕事を一緒にしたことはなかった。けれど、山岳写真家集団の展覧会に行くと、いつも会場にいらっしゃったので、自然と話をするようになった。
ここ数年はお会いする機会を逸していたが、あるとき、「キミは柏さんの旦那さんなんでしょう。僕は彼女の文章が大好きなんだ」と、当時夫が話しかけられたと、帰宅し報告してくれた。そんな会話は、翌年もまたその翌年も続いた。
 
「君の文章が好きだ」。そういうことを面と向かって言ってもらえたら、それだけでライター冥利に尽きる。そんな経験は少ないが、でも数の多さではないかもしれない。たとえひとりであろうと、言ってもらえただけで、幸せであり、心の支えとなる。
 
小春日和、心の支えであったひとりの先輩とお別れ。

 
追記*
こんなことを書いた矢先、ある雑誌の文章を読んで、「柏さんの文章、好きです」というメッセージが先ほど届いた。私もこれから、本人に向かって、「あなたの写真が好きです」「あなたの文章が好きです」ってちゃんと言おうと思った。
  
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2017年11月 1日 (水)

渋谷の雑踏にて二題

打ち合わせに向かおうと、地下鉄の渋谷駅から地上にあがる階段を上がっていると、友人のクライマーの姿を見つけた。私は上って、彼は下っているところ。声をかけると、「あれー、すっごい偶然」と。今日彼が渋谷で仕事をすることは知っていたけれど、駅だけで幾つもあり、ものすごい人込み。まさか会うことなんて考えもしていなかった。
でも、大都市である東京で、こういう偶然ってときどきある。
「ちょうど連絡しようと思っていたんですよ」、と次の仕事の打ち合わせを、軽く立ち話。
 
数年前のことになるが、棺を前にして、「彼女、俺のコトなんて言っていた?」と聞かれ、「そうだねえ、ゴミ出しの日にゴミを出さないと言っていたよ」と、なんと身も蓋もないことが思い浮かんで、そう言ってしまった。ほんとうはもっとあったのに、まったく気がきかない自分が嫌になった。
 
 
そんなことを、彼に会う度に思い出す。
 
その後、今日の打ち合わせの相手であるもうひとりのクライマーと待ち合わせているカフェへ向かった。
ひとしきり、仕事の話が終わった頃、彼の妻が2月に生まれた娘を連れて現れた。
夫婦ともども友人。そうなると、話はもっとフランクになる。「柏さん、いったい元気だったの」とダイレクトに聞かれたり。
 
さすがカメラマン、私が彼らの娘を抱く姿を、たとえiPhoneであっても上手く撮ってくれる。
昨晩、写真をLINEで送ってくれ、たまげた。ホント、上手い。
さっそく友達に見せたが、どうみても、おばさんが甥や姪を抱くというよりも、もはや孫を抱く姿に、我ながら見えてきた。
そういえば、友人のカメラマンも、「スミコおばちゃんに抱っこしてもらいな~」と言っていたし、それを私もフツーに聞いていた。もうちょっと若ければ、「お姉さんでしょ」とツッコむかもしれないけれど。
そんな歳なんだと思ったり。でも、孫には早いな。孫と姪のあいだ。

2017年10月31日 (火)

野外医療先駆者、デヴィット・ジョンソン医師を囲む勉強会

10月27日、北里大学病院救命救急・災害医療センターにて、Wildeness Medical Asociate 代表のデヴィット・ジョンソン医師こと、DJを囲む勉強会。


今回は、野外医療、野外救急法がUSでどのように始まり、そして世界に広まっていったかという歴史の話から始まり、いくつかの事例を出しながら、野外医療、野外救急法について理解を深める内容だった。
”超プレホスピタル”からホスピタルにつなぐ話も。

一年ぶりに会うDJは、印象も言うこともまったく変わらず極めてシンプル。そして、泰斗さんが言う通り、どんな環境でも自分の頭脳を使うことと、垣根なく新しいものを取り入れるフレキシビリティ。じつは、これはDJと泰斗さんの共通点なのでは。

こんな素晴らしい会を2年にわたって開催してくださった稲垣泰斗医師をはじめ、北里大学救命救急・災害医療センターに大いなる感謝を。

昨年の様子はコチラ

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2017年10月28日 (土)

クライミングジムの雰囲気

グータッチとかハイタッチとか苦手だし、週末に行くとトラックの渋滞にあって駐車場に入るのも難しい。このあいだなんて、後ろのトラックの兄ちゃんがわざわざ下りてきて、あーせい、こーせい、あーやってこの渋滞を抜け出せなど教えてくれたけれど。
けれど、ルートの設定が面白くて、やっぱりまた、行っちゃう。
 
昨晩行ったジムは、今月二度目だけど、それは多分10年ぶりぐらいのところ。レトロな雰囲気がちょっと安心して、そして常連のお兄さんが、5手目からどうにも壁から剥がれていく私に、優しくアドバイス。
 
自宅近くのジムは昼と夜では雰囲気がちがって、やっぱり昼間の方が行きやすい。
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2017年10月25日 (水)

神楽坂の夜のあとに

インドの登山から帰ってきた友人と会った。
登山の話以外にも、ダラムサラでの、まさに「仕合せ」のような出来事なども聞いた。
メンツィンカンで買い求めてくれたというプジャ用のお香を手渡された。
帰り際、「今度、お母さんのお見舞いに行くよ」と言ってくれたことには、ちょっとびっくりした。びっくりしたというと好意に対して失礼であるのだが、なかなか言えることではないと思ったのだ。
 
最近思い出すことがふたつある。
 
ひとつは父の死に際。15年以上前のこと。
その日、母と私は口喧嘩していた。そうひどいものではないが、母がちょっとクダラナイことを言ったので、そんなことはいまはどうでもよい、と私が反論したのだ。さすがに父の枕元でそんな会話をするのは忍びなく、ベッドの足元の方で。
その間、夫は父の口に水を含ませたり、看病してくれていた。
そして、言い合いをしている私たちに向かって、「呼吸が止まった」と言った。
枕元に歩み寄ると、まったく息をしていなかった。念のために首に3本の指をあてて、総頚動脈のあたりを探ったが、なにも触れなかった。
漫画のような出来事であるが、振り返るに、これはけっこうしあわせなことだったのではないかと思う。もともと少ない家族が、全員そろっていたのだから。
 
もうひとつは、物書きの師匠が、母親の病床に通っていたときのことを書いた文章。いまはもう手元にない文章であるが、忘れられない。
死に際にあってもなお、親はその姿をもって、生き様とか人生というものを教えてくれるというようなことが書いてあったと記憶している。
 
先日、知人である装丁家の方が紹介していたある文章を読んでみた。
老人ホームで死期を迎えた男性が残した手紙だ。
この文章にあるように、老いというは残酷であり、ときに外側だけを見ると、人間の尊厳さえ失わせてしまうようなこともある。
けれど、物書きの師匠が書いていたように、まさに親というのはそんな残酷な姿をみせながらも、人の一生とか、人生がどんなものであるのかということを、教えてくれるのだなあと、やっと親の尊厳がわかり、感謝できるようになった。
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取材ノート

山など野外で取材する場合は、コクヨの測量野帳を使う。登山者で利用している人も多いと思うが、表紙がしっかりしているので、立ったママでもどこでもメモできる点も便利。SKECTCH BOOKという方眼のものが、いかようにメモしても方眼がジャマにならないので好き。
 
街での取材や打ち合わせで使うノートは、とくに決めていないけれど、一冊にしている。複数の仕事が並行して進んでいるが、どんな内容の取材も打ち合わせも、すべて同じ一冊に書く。アタマから順にメモしていく。だから、Aの取材の次にページにBの打ち合わせが入り、その次にまたAの取材に戻ったりもする。
けれど、ページのアタマに、メモする内容を書くのであまり混乱しない。たとえば、「ヤマケイ/船窪小屋」とか色ペンを使って大きくタイトルのように書く。ときには付箋もつけてインディックスのようにするので、複数の内容が一冊に収まっていても、なにがどこにあるかは、だいたいわかる。
一冊にしておいた方が、整理しやすい点もあるし、どんな時もその一冊をもっていけばよいという点も簡単でよい。
 
長い取材や、ひとつの取材について大人数の方にインタビューする場合は、専用の一冊を作ることもある。それ以外にも、ちょっと気が向いたときや、とくに理由がなくとも、専用を作ることもある。
 
去年使っていた”須弥山”取材の一冊。レナン・オズタークのイラストを表紙に貼ってみた。もちろん、レナンたちが登ったメルーが描かれているもの。
ちょうど半分ぐらい使用したまま、机のいちばん上の引き出しに眠っていたが、今月からまったく別の山の取材に使っている。
Mr. Meruと私が呼んでいたクライマーは、12
年目4度目の登山で登頂する。
いま取材中のべつのクライマーに2月の雪山で会ったとき、今回の計画を聞き、「彼は12年目4度目だったけれど、10年目の4度目になりそうだね」って話したら、笑っていた。
裏表紙に、もうひとつの山の写真でも貼ろうかな、この取材手帳。
 
思いがけず時間ができて、もう少しじっくり取材したり、読んだり、書いたりできることは、ほんとうによかった。
けれど、今週は1度ぐらい山に行きたい。晴れの日をつかめるか。平日休みの人をつかめれば秋のクライミング、いなければちょっと雪の載った高い山へ。
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2017年10月24日 (火)

野菜や肉を切る

先月下旬、友人達と夕ご飯を食べていたとき、味噌汁の話になった。
以来、【味噌汁日記】なるものをつけている。ごく少数の友人達を中心に閲覧してくれているもので、大っぴらではなく、友人達はときどきコメントくれたり、メールや電話をくれて、私も楽しんでいる。
 
今朝、ベッドから起き上がるときに、「さて、今朝の味噌汁はなににしよう」と考えた。冷蔵庫にある舞茸はそろそろ食べきらなければならない。やまじゅうさんからもらった青梗菜も使いたい。けれど、舞茸と青梗菜って顔ぶれ、いったいどうなの? と思ったとき、切り方次第かもしれないと思いついた。
青梗菜を繊維に沿って切ってみよう。あんまりやったコトないけれど。トモさんが山から採ってきてくれた茗荷も繊維に沿って切ろう。そうすれば舞茸にも合う気がする。
はたして、舞茸の味がしっかりでた味噌汁に、繊維に沿って切った青梗菜は新鮮な食感だった。まずまず。
 
白馬でお惣菜屋さんをやっているゴマちゃんは、この間、私が普段はしないような切り方で法蓮草を処理し、タッパーに保存していた。あれには意味があったはずだ。尋ねそこねたので、次回聞いてみようと思った。
その彼女の作る味噌汁に入っていた大根葉、大きめに切られているのだけれど、食べやすい(写真)。これにもヒミツがありそうだ。
 
今朝の日経によると、ピーマンは繊維に沿って切った方が栄養が保たれ、大蒜や玉葱は微塵切りの方が栄養価がUPするという。その理由も書いてあった。
 
先日友人と、肉を切るナイフの話をした。卓上で使うカトラリー。口に運ぶ直前に使うものが、どんな切れ味であるのか、それによって肉の味も大きく変わるよねって話。
彼女が目につけたナイフのことを聞き、シャモニーの店に並んでいたカトラリーを思い出した。私が、日本人もよく買うナイフのメーカーのカトラリーをみていると、パリ在住30年近い先輩が隣で、「スミちゃん、買うならばコッチだよ」と別のメーカーをさした。いかに違うか、教えてくれた。小さな村で作っている話や、このカトラリーの歴史などを話してくれ、「一生使えるものだからね」とも。惹かれたけれど、その時の私には高価に思ったし、たとえペアにしても、いったい誰と使うの?って思いとどまった。いつかのシャモニーで、買うようなタイミングがくれば。
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2017年10月23日 (月)

なまら癖Xデナリ報告会@白馬

全国キャラバン中の「なまら癖Xデナリ報告会」。もともと、山梨の回しか行ける日付がなく予約してあったのだけれど、急きょ、先の土曜日の白馬の回にも行ってきた。
 
先日、スキーの仲間、友人達とNHKのテレビを観たばかりであったが、じつは本当のことを言うと、私はそのテレビ番組について、さほど心が動かなかった。facebookとかツィッターとかインスタグラムで、みんなこぞって「感動した」と言っていたので、なかなか言いにくかったけれど。
その自分の思考回路も、自分ではわかっているつもり。
やっぱり、これは本人たちの報告会に限るって思っていた。
 
大のオトナが、本気を出してトライする自分たちのための楽しみ。
それに、撮影隊(ガイドやカメラマン)たちが同行するのだから、その「巻き込む」チカラに感服する。
佐々木大輔さん、新井場隆雄、狩野恭一さんメンバー3人が勢揃いした回に行けてよかった。それぞれが語るデナリが聞けて、なまらの信頼関係の強さと、そしてそれぞれのメンタリティをつよく感じる時間だった。
加えて、ガイドとして参加していた地元在住の黒田誠さんのトークも。初めてスライド見せられて話をさせられる無茶ぶりだってコトだけれど、彼に限らずココ参加したガイド、カメラマンは優秀だから、ちっとも無茶ぶりではないと思う。
 
人が語ることは、その人の経験(この場合、登山の経験が中心ではあるけれど、それだけではなく人生経験すべて)、個性、人柄、その人の考え、その人がいかにそれ(登山)にコミットしているかがにじみ出てくるわけで、聞く側は4人分の色を味わう。
 
登山は結局のところ、個人的な行為だと思うし、しかしその個人的であるところに意味があり、時にそれが他者の心を動かしたり、また内容によっては歴史に残るものともなる。
だから、周囲が語るのではなく(私は書き手であるので、周囲からクライマーのことを語ることが多いのだが)、こうやって当人たちの声を聞くことは、やっぱり貴重な機会。
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