2017年3月24日 (金)

永日を期して

次の山の約束があるからって、また会えると思っていても、会えないこともあるんだと知った。
次があるとは限らなくて、誰にもなんの保証もない。

年間600本もの映画を観て、論評を書くって、すごい気力と体力と筆力だなあと思っていた。
だし巻き卵がお得意で、いつもご馳走になっていた。
 
東京は桜の開花宣言があったけれど、我が家の裏の桜並木は、まだ開かず。
春がやってきて、永日、日が伸びたけれど、永日を期してお別れ。
ご家族と学生時代からの友人と山の仲間みんなで、お見送り。
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2017年3月21日 (火)

フラット

先週のコト。
大学山岳部の1年ときの主将だった、尚之さんと有楽町の大衆居酒屋へ。
いまどきの居酒屋は外国人客が多く、2階はなんと禁煙になっていた。
「タラの卵煮」というのは、タラの身が卵とじになっているのかと思いオーダーしたところ、でっかいタラの卵の煮つけだった。大ぶりの小鉢にてんこ盛りになっていて、とてもふたりでは食べきれなかった。
 
さて、大学山岳部1年ときの主将というのは、大概の人にとって在籍中に受けた影響、世話になった度合が大きな存在のはずだ。私も例外ではない。
高校山岳部というのはかわいらしい場所だったけれど、大学に入ってしっかりと登山を始めようと考えたとき、山岳部に入るか社会人山岳会に入るか考えた。
キャンパスに友人がいた方がよいと思い、最初に山岳部の部室に行った。そこで、尚さんに会った。

彼が説明する、部活の様子や活動内容もさることながら、話しぶりからして、「この人は、平等に人を見てくれるんだ」って、直感的に思って、入部を決めた。
大学1年生、まだまだ親に守られた立場。ほんとうの人生の辛酸をなめるとか、男女の差別とか味わうのは、私の場合社会人になってからだった。人生のことなんて、まだまだ何もわからず、のんきで平和で、だから直感的といっても、それが何だったのか、得体は知れない。
けれど、この歳になるまで、何度もあの日々のことを振り返るが、その直感は正しかったと、いまも思っている。
 
いつのときも、いつの場も、誰に対してもフラットでいられるという人は、そう多くはないのかもしれない。けれど、それはとても重要なことで、その人となりを、私はいつも尊敬するし、それに救われることも多々ある。
 
親愛なるオーシャンアスリートでありライターの岡崎友子さん が書いていた「海で生きるために、私が選択してきたこと」 に、「つまり初めからみそっかすみたいなもの」とあった。
友子さんのフィールドである海も、私が活動する山も、自然環境は男女関係なくふりそそぐ。身体能力の差は確実にあるけれど、そのなかで、どうやって劣っている部分を克服していくか、できないことはできないと受け入れて、できないことを正しく認識して、工夫や努力を重ねていくか。
世界トップクラスのウィンドサーファーまでのぼりつめ、ウィンド、カイト、サーフィンと波にあった道具で毎日、海に出ている友子さんが、歩んできた道のりについても書いてあった。
そうだ、友子さんはいつ会っても、誰に対しても、フラットな人だと、思い出した。彼女がこんな歩みを経験しているからこそ、フラットでいるのかもしれない、と思った。
 
もう1本の記事。登山の雑誌『PEAKS』4月号のインタビュー連載「Because it is there」に取り上げられている山岳ガイドさん。昨年は夏と冬にご一緒する機会があったが、この彼も、どんな時もぶれずにフラットな人だった。
それまでも、何度か仕事で一緒になる機会があったけれど、それをよりはっきりと感じられる時間を共にできたことは、私にとって嬉しかった。
いったい、フラットな人柄というのはどうやって形成されるのだろうか。人間の資質なのかもしれないし、人生経験なのかもしれない。
フラットな人というのは、心から優しくて、そしてしなやかに強い人であり、周囲を温かくしてくれる。

2017年3月20日 (月)

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森田勝、長谷川恒男、加藤保男。
年齢順に並べてみた。長谷川恒男は、日本の登山界マーキングイヤー1947年生まれかあ。加藤保男は生きていれば、まだ68歳だ。
 
それぞれについて100字程度で書きたいのだけれど、夕方までかかっても書けず。
日本の登山史、登山家の達のことを、系統だててしっかりと理解できていない証拠か。
 
東北から白馬に直行しようと思ったけれど、原稿が気になり、膝も痛くて、東京ピットイン。

2017年3月16日 (木)

親父の一番長い日

今日は、親父の一番長い日。
今年で12歳になる、友人夫妻の息子が生まれた前夜になる。
この日になると、夫のケンちゃんが、かならずfacebookに、当時の日記をUPする。
ブログで残っているそうで、それは長文だ。
毎年リアルタイムで、このケンちゃんの日記を読めるわけではないけれど、読めるときは、私はかならず読んでいる。
そうそう、ミヤはこうやって産気づいて、病院に向かったんだった。そして、こうやって生まれてきたんだった。周囲はこんなに喜んだんだったよねって、読み進めながら毎年思い返す。
思わず読み入ってしまうところ、心に残る一節、涙ぐみそうになる文章、毎年毎年少しずつ変化していたり、する。自分の心を表すようであるし、いまさらオトナながらであるけれど、少しは成長できて、なにかを感じられるのかもしれない。

まさに、さだまさしの「親父の一番長い日」。

数年前、ネパールの山奥である日、この曲を聞いた。
天気が悪くて、なにもできない昼下がり、バッティのダイニングにメンバーがたちが集まり、思い思いに読書している時間だった。
私よりずっと若いのにさだまさしが好きってなに?という年齢の友人が、この曲を流し始めた。のちに、このことを、ほぼ同い年の共通の友人に話すと、「そうそう、あの年齢の人たち、さだまさしが好きって言うよね。オヤジくさいわ」ってオヤジとおばはんで話した。

何気なく聴いていたその曲が、ある一節にさしかかったとき、どばーって堰が切れたように、私は泣いてしまった。自分の経験と重なり、思い出すことがあったからであるけれど、自分で自分にびっくり。
友人のふたりはあっけにとられるように口を開けて、それから声を出して笑った。
私も笑い転げた。以来、私は涙もろいというレッテルが貼られ、安心して二人の前では涙できるようになった。
 
昔の曲を繰り返し聞くように、ケンちゃんの毎年のこの日のfacebookも、そのときどき、心に沁みて、いいものだ。
ケンちゃんの夫としての父としての覚悟をもった誠実さを、そして母になるミヤの逞しさを感じる文章。

2017年3月15日 (水)

舟生大悟さんの「親不知~西穂、厳冬期単独縦走記録」@『山と溪谷』4月号

『山と溪谷』4月号に「ひとりで向かった厳冬北アルプス」を書きました。
 
舟生大悟さんが、昨年12月24日から27日間かけて、親不知から西穂高岳(上高地下山)まで、単独(デポ・補給ナシ)で縦走した記録です。
たった2ページであり、大悟さんから聞いた話は半分も書ききれていない気分です、書き手としては。もう一度、書かせてもらいます。
おそらく前例のないこの登山のなにがすごいのか、なんとか書いたつもりですが、やっぱり本人が書く記録を(も)、読みたかったですね。
「文章を書くのは苦手だから、インタビューしてくれてホッとしています」と言ってくれたけれど、この先の彼の登山について、いつか大悟さんが書く文章が読みたいです。
これからのクライマーであり、これからの山岳ガイドであるから。
 
取材のとき、ご好意により相手の自宅を訪問することも多いです。
今回は、札幌の舟生邸を訪ねました。
妻と二人で暮らす、その暮らしぶりや彼らの人柄が伝わってきて、とってもいい時間でした。
ありがとうございました。
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2017年3月11日 (土)

人生折り返しの意味

ガイドに来てくださるお客様たちから、心温まるメッセージをもらった。
彼女の率直な言葉に、彼の深みのある言葉に、大いに励まされた。
色んなお客様に出会って、それぞれ皆さんに元気づけられたり、学ばせてもらったり、ガイドはお客様に育ててもらっているんだなと感じることが多い。

今回お便りくださったように、同世代のお客様というのは、一緒に成長していくような節もある。
知り合って5年程であるが、そのあいだに言葉にせずとも、それぞれに色んなことがあり、登山者として成長していくだけでなく、人間として成長していくこと、それを互いに見守ったり、感じあえるのは感謝したいことだ。

今回いただいたメッセージのなかに、「私たちの年代は、大人になってから丁度折り返し」という言葉があった。私が今年50歳になり、彼らも同じような年代である。「人生100年、ちょうど折り返し」というのではない。「大人になってから」の折り返しだという点が、ポイントなのだと。

子どもが、若者が、成長するのはある意味当然、自然のことだろう。しかし大人になってからも成長し続けられるのか、ほんとうはそこが問われているのではないだろうか。
これからも互いに成長して、素敵な大人になりましょう、というそのメッセージは、しみじみ心にしみいった。

3月11日を、ひとりで静かに迎えたのは、おそらく初めてだった。

 
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2017年3月 9日 (木)

行き先のわからないお惣菜

仕事が立て込んでいて、夕ご飯食べずにいたことを思い出し、小腹がすいた。
冷蔵庫にあったニンジンとちくわできんぴらを作ってみる。

さっとできてよいけれど、これはごはんに合うのか、つまみによいのか、はたまた冷めてもいけそうだから弁当用のおかずなのか、わからない。

そして、食べてみてわかる。ちくわは、もっと薄切りの方が馴染んだんだな。こういうところを、作る前から本能的に察して、さらっといっぺんで完成度の高いものを作れるかどうかが、センスの分かれ目。
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2017年3月 8日 (水)

おウチでたこ焼き

先日、友人の新宅に遊びに行った。
「昼ご飯、食べていってよ」と言って準備してくれたのが、たこ焼きだった。
関西では、家庭でよく作るというが、千葉生まれの千葉育ちの私は、食卓でたこ焼きプレートを囲むこと自体、初めてだった。
たこ焼きは、盆踊りの屋台で買うものだった。

生地を流しいれて、タコを一つずつ入れていくのは、4歳の男の子にもできる作業だった。
天かすや紅ショウガも入れる。
それから、1本ずつ配られた竹串で、少ししてからクルクルと始める。
見よう見まねでやってみたが、意外と難しくはない。
「まだ早い」と言われたり、「餅を何度もひっくり返しながら焼くように、何度も手を入れた方がいいの?」と聞くと、「いや、やりすぎはよくない」と教えてもらったり。
さすが神戸出身、たこ焼きは、わが食べ物、のような指導ぶりだった。
学校帰りの買い食いの対象であり、そして土曜の昼ご飯となると、家で食べるものだったそうだ。中学生が買い食いするたこ焼きは、8個で200円だったか、「きっとあれは、タコは入っていなかったよなあ」と回想。

クルクルは、難しくはないが、簡単でもない。時々ぐちゃぐちゃになる。
「鉄板がこなれてこないと、上手くいかないんだよ」と。
けれど、いちどぐちゃぐちゃになっても、次の段階でなんとかまとめることができる。
最後はうまく収まるのが、たこ焼きだということもよく分かった。

妻は関東出身でも、関西人の夫をもつと、異文化も身近なものになる。
私がぐちゃぐちゃにした後に、くるっと丸いたこ焼きができあがると、「いつも、最後はうまくまとまる」と。「最初は鉄板がこなれてこないから、上手く焼けないけれど、いつも最後になると、いちばんおいしくなる」と、彼女も話していた。
途中、ぐちゃぐちゃになっても、最後にはうまく収まる。まあるいクルっとした形になる。
これって、なかなか和やかでいいコトではないか!

2017年3月 1日 (水)

再会

2年程前にインタビューした方に、再会する機会があった。

2日間、山を一緒に登って滑って、心底、どんな場面でも山を楽しんでいる姿があって、なんだか、とってもいいなあと思った。
とってもリラックスした時間がもて、たくさん話をすることもできた。
彼女の親しい仕事仲間も一緒だったからかなあ。
2年前のインタビューのことを思い出してみた。3時間程度で済むところを、2日間時間をいただいた。それには私なりの理由もあった。前日にご本人に会って、山を緒に登ってもらい(この時もツアースキーだった)、翌日にインタビュー。
終始、硬い表情をしていた彼女を思い出すが、それはひょっとしたら、私が緊張させてしまっていたのかもしれないと思った。
2年経って、互いの色んな話ができた。仕事のこと、山のこと、それぞれの本音を話した。
いちどのインタビューでは、記事に表しきれなかったとしても、時を経て再会した時に、もっと深い話ができたり、深く交わることができるのは、やっぱり嬉しい。
一歩、相手に近づけた嬉しさ。それはもう取材とかではない。人と人の関係として近づけた嬉しさ。

別れ際、「札幌に来たら、まず電話。時間がなくても、お茶だけでもいいんだから、連絡してね」と言ってくれたのは、嬉しかった。
色んな土地に行くけれど、その先に知り合いはたくさんいるけれど、遠慮が入ってなかなか連絡はできない。というよりも、連絡をすることは、ほとんどない。
だから、相手から「まず電話」なんて言ってもらったら、それはもう、「ありがとうございます。じゃ、ホント遠慮せず、電話させてもらいますね」って、嬉しい。


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女性山岳スキーヤーたちが集って

Women's Skimo Projectのターニャレオ、ルドォを迎えて2.5日間。
可愛らしい人柄のターニャと、ジェントルってこういうことなんだっていう男性ふたりの3人組と過ごす時間は気持ちよく。

27日の旭岳は強風のなか登り、山頂は-20℃ほどの極寒。
冬の旭岳って、何度か訪れているけれど、天候がかみ合わないと登頂できないから、たぶんこれはたったの3回目の山頂。
北斜面に入ればなんとかなるかと滑り始めると、地元のみんなが「流氷が着岸したなかを滑っているみたいだ」とか、わかるようなわからないような喩えをするような、ぜつぼー的斜面を、私としては余裕もなくともかく失敗しないように降りていった。
ロープウェイ駅より下の標高では新鮮な雪がたくさん残ってたり……まったく変化にとんだ1日。こんな山岳環境を味わえる登山的スキー、私は好きだな。

ターニャ達との出会いが嬉しかったのと同じぐらい、このふたりと2日間を過ごせたことも仕合せ、幸せだった。
年齢は若かろうとも、私の遥か先を行く山の場を生業とする先輩たち。山岳ガイドの
泰子さん夕香さん
写真は、翌28日の旭川市の里山にて。この日は、ほかに4人の山岳スキー愛好家の女性たちも集まった。 コーディネートしてくれた
倫子さん、心からありがとうございます。
Women's Skimo Projectは、「より多くの女性が、アウトドアスポーツに関心をもち、活躍できる社会作りをしたい」というような目的で活動しているもの。昨晩、泰子さんと夕香さんをターニャがインタビューしているとき、ふたりが応えたある内容に、涙が出そうになりました。 詳細は、今後ターニャ達がwebで発信していきます。 私もまずは短文の記事を書き、その後も書いていきたいと思います。その際は、全行程を同行したカメラマン、二木さんの写真ですので、お楽しみに!

https://www.facebook.com/pasquedescollants/?pnref=story
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2017年2月21日 (火)

言葉

インタビューというのは、独特の行為だと思う。
週末のインタビューは、同世代がおふたり、一回り若い彼がおひとり。3人のクライマーだった。

同じ話題を繰り返し話すなかで、インタビュイーが先と違う言葉を使い始める。それが意図的に選んだ言葉なのか、無意識に変化、変容してきたのか、わからない。けれど、本人には確かめなかった。選びとっていく言葉が、心情の変化と一致するように感じたからだ。

またあるときは、もうひとりのインタビュイーが使った動詞に、耳が傾いた。私では、決してその名詞と動詞を結びつけないような組み合わせだったからだ。彼が口にした動詞を使って、翌日、その時の話を繰り返し聞いてみた。
そうしたら、「そうそう」とまた同じ話を、もう少し詳しく話してくれた。
なかなか思いつかない言葉だけれど、それがそのときの彼の心のうちと一致するのかもしれない。

いつ初めて会ったんだっけ? と聞いてみると、ひとりは「さあ、もう思い出せませんね」と。もうひとりは、「2002年のカトマンズですよ」と。はあ……そうだったか!忘れてもうた……。
時が流れ、皆さんにはそれぞれのことがあり、その中で登山を続けてきた姿に出会え、感慨深い2日間だった。
簡単に答えなんて出ない、けれど、ものごとを継続するなかで、その人の人となりが輝いてみえてくる。

こういう人たちに再会できると、自分もちゃんとしなきゃなと思うのだ。
私が彼らのことを、とっても魅力的だなあ、いい人たちのことを書かせてもらうんだなあと思うのと同じように、インタビュイーたちも、いいなあ、素敵だなあと思うようなインタビュアーからインタビューされたいだろうし。
とても、追いつきませんが、それでもずっと見続けたいと思う方々、見続けてきてよかったと思う方々をインタビューさせてもらえるのは、書き手の幸せ。


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2017年2月20日 (月)

賑やかな山

個人的には、静かな山が好きだけれど、たまにこんな賑やかな山もいいなあと思う。
週末は、雪のシーズンにいちばん多くの登山者が集まる山小屋のひとつをベースにインタビューの仕事。

こちらの山小屋に来ると、必ず10人の知り合いに会う。主に山岳ガイドの方々だ。
そんな彼らが、夕食後、自然とひとつのテーブルに集まってきた。
情報交換したり、近況を聞き合ったり。
楽しいひとときを過ごし、みなより一足早く部屋に戻ろうと席を立つと、ひとりの知人が席を立って、話しかけてくれた。昨夏、ヨーロッパでちょうど入れ違いになり会えなかったから、久しぶりにいろんな話ができたあとのことだった。
なにかまだ用事があったかなと思ったら、出てきた一言が、「コッチに引っ越しておいでよ。クライマー達はいるし、暮らしやすいよ」と、心配した言葉をかけてくれた。
20代の頃からの知り合いだけれど、深い付き合いをしたことがあるわけではないし、仕事をご一緒したのも数えるほどだ。けれど、若い頃からの知り合いといのは、なんとなくホッとするし、なんとなく互いに気がかりだったりする。どうしているかなって。
今回は、私にだけでなく、私たちの共通の友人のことも、「どうしている? 元気かなあ?」と気にかけていた。

人が苦しい思いをしているときに、それを察して、さっと温かい言葉をかけてくれるというのは、なんて心根の優しい人なんだろうと思う。そんな優しをもらったら、こんどは私も周囲の人たちに優しくしたいなって思う。
賑やかな山小屋の夜にいただいたプレゼント。

2017年2月15日 (水)

世界の頂で育んだ友情~田部井淳子とパンドゥ、エベレスト女性初登と第2登@『山と溪谷』3月号

『山と溪谷』3月号に「世界の頂で育んだ友情」という記事を書きました。
 
1975年5月16日に、田部井淳子さんがエベレストに女性初の登頂をしたその11日後、中国サイドから登ったパンドゥというチベット人女性がいました。
政治的にみても、ふたりがすぐに交流することはありませんでした。しかし何度か顔を合わせ、晩年は二人の間に確かな友情があったと、私は思います。
それは田部井さんの元来の好奇心、オープンマインドな人柄がきっかけを作り、パンドゥがそれに応えたのだと思います。
 
パンドゥの死去が2014年、生前にお会いする機会はありませんでした。
田部井さんには、度々パンドゥの話を聞いていましたが、インタビューは昨秋。振り返ると、最後に病室を訪問したときになります。
 
中国での3度の個人的面会の際、通訳を務めた須崎孝子さんには、この記事を作るにあたって、とてもお世話になりました。
現在は、貴州大学(中国貴州省貴陽市)で日本語教師をされている方です。
 
二人の友情、社会的背景、そこに表れる田部井さんの生き方については、いずれもっと大きな形でまとめたいと考えています。
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2017年2月14日 (火)

山の準備

仕事の合間、週末の山に向けて準備。
ひとりは、プレートを買って雪山用のアブミを作ると言っていた。
私は、アイゼンを履いていてもテープのアブミにそのまま乗ろうと考えていた。
けれど、ゴアのパンツはずいぶん汚れたためか、撥水性が落ちていたと前回を振り返る。これは洗濯しなければ。
この間のグローブがいまひとつだったので、夏にシャモニーでみんなを真似て買ったものを使おうと、油を塗りなおした。

山の準備って、なにかとある。前日だけじゃ、ぜったいに終わらないから、少しずつ。


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2017年2月10日 (金)

偲ぶ話

亡くなった方を偲ぶ話をすることが、続く。
ごく限られた方とすることもあれば、集まりのなかでひとりひとり語ることもある。後者のケースが何度かあったが、どうにも、私にはうまく話ができなかった。
故人を偲ぶこと、故人と自分の関わりあいのなかから思い出話をすることが、なぜかできない。
ご家族はもちろん、私よりもはるかに深く長くお付き合いされてきた方々が大勢いて、そんな皆さんのことを考えると、とても言いにくいのだけれど、いまだうまく、死別というものを消化しきれないのかもしれない。
彼女と出会って、一緒に過ごし、そして別れたことを、まとめて話すことなんてできない。そこにあるのは一つのカラーではなく、色んな色が混ざっていて、思いも複雑だ。

頼まれた追悼原稿は、ちゃんとまともに書いたと思うし、インタビューもちゃんと答えた。けれどこうやって話すとなると、まったく大人げないと恥ずかしくなるほど、話せない。
少人数で会って話していても、それは同じだ。
でも時々、ほんとうに思いを共有できる相手もいる。
そんなひとりが、先月、ある店に誘ってくれた。かの国の大使公邸で板さんをしていたというから、私も彼の料理を食べさせてもらったことは何度かあったんだなあと思う。
誘ってくれた彼女が、「田部井さんが亡くなって、周囲を見渡すと、私よりも年上の女性が見当たらないよ」と、寂しそうな声で、この業界のことを言う。それほど皆が、田部井さんをどこかで頼ってきたのかもしれないし、実際に私も、思い起こせる同性の先輩となると、彼女ぐらいしか頼れる相手はいなくなった。
それから数週間経って。
同じ店に、今度は私が別の女性をお誘いした。
貴陽市から一時帰国している日本語教師の彼女だ。
お別れ会の時、一目お会いして、そして互いになにも言葉にはならず、別れたので、ぜひゆっくりお話したかった。
目に涙をためながら、やっぱり色んな話をした。

そんな本当に一緒に偲べる方々と何度か会ううちに、なぜ私がいまだ別れを消化できないのか、気づいた。
それは生前、ちっとも田部井さんの期待に応えられなかったし、宿題ばかり残っているし、まだまだ教えてほしいことはたくさんあったし、言うべきだったお礼を、ちゃんと言えなかったからだ。ご一緒した年月が、ひとつひとつを積み重ねた時間というよりも、整理がつかないまま、いまはまだ大きな塊のようでしかない。

抱え込んだ大きな塊はひとつではないけれど、これをひとつひとつ解きほぐしていくしかないのだなあと考えた。

2017年2月 9日 (木)

恵方巻

節分の日の夕方、「恵方巻が食べたい。買ってきて」とスマホにメッセージが入った。
なんとなく、らしくないリクエストだなあと思いながらも、ちょうど街にいたので、デパ地下で2本買った。恵方巻売り場の前は、どこも長蛇の列になっていた。節分に食べるもの、吉なる方位である恵方を向いてかぶりつくものぐらいしか、私には知識がなく、コンビニにもたくさん売っているので、コンビニが流行らせたのかなあとさえ、思っていた。
 
夕べの食卓、iPhoneで「北北西」を調べ、そちらを向いてかぶりついた。
恵方巻の言われも作法もよくわらからない私は、恵方巻をかぶりつきながら、「これって、いっぺんに食べちゃうの?」と聞いた。食卓にはお味噌汁も、冷ややっこもあり、そちらも食べたいと思ったからだ。
するとプッと吹き出して、口をもごもごさせながら、くぐもった声で「食べ終わるまで、話しちゃいけないんだよ」と。
 
のちに、恵方巻を食べ終わってからゆっくり聞いた話であるが、大阪や神戸あたりでは、みんな寿司屋に行って、恵方巻を食べるんだと。さすが関西出身は、身近なものとして知っているな。
私が余計な一言を言ったために、笑いが止まらなくなったけれど、「でも、お喋りしながら食べる方が美味しいよね」と。 

人と囲む食卓は、やっぱり温かい。
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2017年2月 3日 (金)

バスの移動

「え!バスで行っているの?」と驚かれた。
クルマ持ってきていないから、ひとりで移動するときはバス。
友人と山や滑りに行くときは、クルマに乗せてもらうけれど、それ以外はバス。
たとえば、滝野にあるクロスカントリースキーのコースに行く場合、バスを2路線乗り継いで行けば、到着する。真駒内駅から滝野へ向かうバスには、私のようなクロカン愛好者たちが乗っている。クロカンの板は軽いから苦にはならない。だから、そんなに驚かれるとは、思っていなかった。
もっとも今年は、中国人旅行者が激増し、バスの座席に座れるコトが稀になってしまった点が、ちょっとやっかいだが。

雪国のバスは、天候や降雪量によって遅れる。それも計算して家を出たり、雪道を歩いたり、写真のようにバス停にあるシャベルを使ってバス停を掘り起こしたりするのも、雪国に慣れる一環だったりする、私の場合は。
もちろん、朝の雪かきも。

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2017年1月26日 (木)

調べものと座標軸

インタビューに向けて調べもの。
ある山域の登攀史を読みあさる。
けれど、ネットはもちろんのこと書物を探しても、すべての登攀を読むことはできない。書物に書き表わしていないものもあるからだ。報告書や遺稿集、文集などまで手を延ばすと、もう少し読める。けれど、これは行き当たりばったりではだめで、ある程度あたりをつけて探していかなければならない。

 

もっとほかの記録もあるだろうなあ、と思いながらもなかなか探せずにいるなか、今日あるクライマーに連絡を取ってみた。本人は自分のことをもうクライマーではないと言うだろうから、元クライマー。

メンバー3人の名前と核心、即答だった。
そんな記録があったのか。
帰宅後にもう一度連絡をくれて、40年ほど前のヤマケイの何月号に載っているか、教えてくれた。しかしそれはたった一ページしかないからと、ある遺稿集に詳細があるとも教えてくれた。

彼が30代の頃、同じようなことをやりたいと記録を読みこんでいたから、すぐに思い出したそうだ。
いくら書物を調べてもだめで、登山にコミットメントしてきた人は、自分の経験と思い入れをもって、登山の歴史を知っている。そして、そういった知識と経験があるがゆえに、彼らは登山について語る座標軸をもっている。

私は書き手だというのに、座標軸がまだまだ貧弱で、色んな人から色んなことを教えてもらい、自分の経験の上に少しずつ積み重ねていっているだけ。
やがて確固たる座標軸をもって、自分の価値観でものを見て、書けるようになりたい。


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2017年1月21日 (土)

「エキスパートに学ぶ危機管理実践術」@『山と溪谷』2月号

『山と溪谷』2月号・特集「単独行60の知恵」のなかで、「エキスパートに学ぶ危機管理実践術」に、短文を書きました。山岳気象予報士の猪熊隆之さんらの文章もあります。

当初の編集から依頼は、「単独行に適した装備」「単独行の際、装備について工夫する点」についてコメントがほしいということでした。既に出されていたほかの方々のコメントをいくつか挙げて、それらと重複しないような内容がほしいと。
しかし、いずれのコメントを聞いても、また編集部の意図を聞いても、私にはちっともピンときませんでした。もっというと、私が考えることとは大きくずれていました。
結局のところ、計画立案、行動中の判断で大きく安全のマージンを取るのだと思います(それ以前に、単独で行くかどうかの判断があると思うのですが……その部分は今回の原稿では割愛となりました)。

同じ特集の中で、廣田勇介さん(山岳ガイド・フォトグラファー、先日降りしきる雪のなか、白馬の山をガイドしているのにばったり会いました、頼もしかったです)が、「単独行のための個別のスキルというものは存在しない」との書き出しで、ではなにが単独行のスキルとなるのか、述べています。
厳冬のアラスカで単独登山を繰り返している栗秋正寿さんのエッセイにも、素晴らしいことが書かれていました。

よかったら、ぜひ手に取ってごらんください。


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2017年1月19日 (木)

言葉

朝日新聞の近藤幸夫記者が書いた「登山の魅力 語り続けた責任感  登山家 田部井淳子さん」という記事に感銘を受けた。
2017年1月14日夕刊、「惜別」というコーナーに掲載されたものだ。

その日、田部井淳子さんが呼びかけ人となって2009年に始めた20~40代女性向けの登山サークル「MJリンク」の新春登山があった。田部井さんの夫である政伸さんらも参加してくれ、雪のある丹沢を歩き、大山を参拝し、下山後は丹沢名物の豆腐屋さんで、みなで食事をした。政伸さんを囲んで和やかに話をし、そして最後は涙ながらも、みんなで田部井さんの思い出話をした。
その時、タベイ企画の吉田三菜子さんから、「今日の夕刊に田部井さんの追悼記事が載る」と案内があったので、帰り道にキオスクで買い求めたのだ。

けっして派手ではない。けれどこの記事のなにに心が惹かれたのかわからないまま、知人でもあり書き手として先輩でもある、近藤さんにメールをした。ほんとうは電話して話したいぐらいだったけれど夜遅い時間になってしまったので、メールにしたのだ。
するとすぐに、近藤さんから電話がかかってきた。
この業界では、弾丸トークで有名な近藤さんだ。翌日の登山の準備もしたく、深夜の電話ではいったい何時になってしまうのだろうと思ったけれど、とっても嬉しかった。
取材の話をしたり、田部井さんの思い出話をしたりした。
近藤さんは数年前から、デスクを退き長野支局、松本支局と渡り歩いている。
現場最優先の記者である立場を貫いている。これぞというときにきっちりと紙面をとって、記事を書く姿は、やっぱりこれまでに相当のことを積み重ねてきたのだなあと思わせる。

「惜別」の思いを書き表すだけでなく、近藤さん自身が持ちうる座標軸をもって、登山家・田部井淳子の人生を描き表したのだなあと、到底いまの私にはできない仕事だなあと、そんなことを言うこと自体、生意気ながらにも思った。

今回の記事のタイトルに、「責任感」という言葉がある。この言葉について近藤さんと話すなかで、やっとわかった。「責任感」というのは一般的な言葉であるが、田部井さんの人生を語るときにこの言葉を選び書き表すに至るまでに、相応の取材と熟考と執筆を重ねているのだ。たとえ一般的な言葉であっても、ひとつの言葉にたどり着くまでに、書き手が重ねたものが濃ければ濃いほど、その言葉は活きてくる。
しかしその言葉の意味や、重要性、価値に気づく人がどれだけいるだろうか。
私は、こうやって書き手がたどり着いた言葉は、その書き手のものであり、おいそれと、それに手を出せないと思っている。

ちょっと前、私が取材を繰り返すなかで思いつき、書いたある言葉があった。
ひとりのアルパインクライマーを称した言葉だ。成熟する域に達し、登り続けているアルパインクライマーだ。けれど、その言葉はいとも簡単に、広報で使われた。そういうのをみると、言葉を大切にしない、他者の仕事を大切にしない人もいることを、とても残念に悲しく思った。

書き手が苦心してたどり着いた言葉は、ほんとうに価値があると思うし、ひょっとしたらいとも簡単に使われた私の言葉には、まだまだ価値がなかったのかもしれないとも思った。
年が明けてから、2回も松本に行きながら、松本支局で働く近藤さんに連絡をしなかったことを、「なんだ、それ。来ているなら電話ぐらいしてよ」と、近藤さんは言った。彼の優しさだ。
そうだな、次の訪問のときはお会いして、一緒に田部井さんの話をたくさんしよう。


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2017年1月11日 (水)

写真に写っていたもの

スキーに来た場合、時間が許すようだったら何日か滞在するようにしている。そんな時の夜の過ごし方はいろいろ。
昨晩のように、地元に暮らす友人と一緒にご飯を食べることもあれば、宿の部屋などにこもって仕事をすることもある。
日中は滑って、夕方から机仕事というのは、理想。ただしくたびれて眠くなってしまうこともあるが。

今日、スキーから帰ってきて、お風呂で身体を温めて、いよいよ原稿を書こうとしたら、眠くなってきた。
原稿が進まず、記事に掲載する写真をぼんやりと眺めていると、パレードの主人公たちのすぐ後ろに、小さく写っている一人の男性に目がとまった。ひょっとして、ジャーナリストとして大先輩である彼ではないだろうか。12年前の、こんな記念すべき日に、カトマンズにいたのだろうか……。可能性は、ある。
と思い、連絡すると、「そうそう、通訳していたの。エリザベス・ホーリーの取材の通訳も担当したよ。だからなにか知りたいことがあったら、言って」と、すぐにメッセージが入った。

そうだったのか。
もっと早くに気づくべきだった。いまからインタビューしては、とても間に合わない。

取材って念には念を入れても、ちっとも追いついていないことってある。

2017年1月 9日 (月)

思い出深い島

思い出深い島、きっと一生心のなかにあるだろう島が、世界中にふたつある。
ひとつは、「Believe」という意味の名をもつ港がある島。もうひとつは、宮城県大島。
ふたつの島の共通点は、どちらもタンポポが咲いていたことと、それぞれ2回ずついったことがあり、どの訪問も、島の思い出と同じように大切にしたい人達といけたということだ。
 
宮城県大島に渡ったのは、30年ぶりだった。
大学2年生のGW、白神山地の縦走を終えたあと、手元にあったJRの「東北周遊フリー切符」で回れるところをと、弘前から盛岡に出て、花巻や遠野を旅して、そこから太平洋側に出た。三陸の海岸線を走る列車や船に乗りながら、南下。すべてフリー切符で乗れる乗り物だった。やがて、気仙沼に着き、そこからフェリーに乗って渡ったのが、大島だった。
港近くの路上で売っていたホタテを買って、船に乗り込んだ。
島にはキャンプ場があって、そこは一面タンポポが咲いていて、どうやってもタンポポの上にテントを張るしかなかった。ちょっとふわふわしていて、青い青い海が臨めた。
島の記憶は、それしかない。
そして、この旅のその先に記憶もなく、その後どんな経路を辿って千葉の家まで帰ったのか覚えていない。だから、この旅の最後の記憶は、黄色いタンポポの野原と青い海原だ。
 
今回大島に行くことになったのは、数年前にナムチェバザールのバッティで初めて会った女性が、住んでいるからだった。
正確に言うと、10年近く前、あることを通じて彼女の存在は知っていた。
いくら、3.11後のボランティアで通っていたとはいえ、縁もゆかりもないこの地に暮らしを移すというのは、逞しいなあ、勇敢だなあと思っていた。
私の好きな大島に住んでいることもあるし、また山を再開したいと話していたので、一緒に東北の山に登り、その後大島に寄せてもらおうという計画だった。
 
大地震と津波で甚大な被害を受けた沿岸漁業を営むお宅におじゃまして、牡蠣の耳釣りの手伝いをさせてもらったり、その友人Sさんにあちこち案内してもらったりして、時間はあっという間に過ぎた。
地元の人たちとの交わり方や話の端々に、この地でSさんがしっかりと根を下ろして生活していることを垣間見た。
そして、大島がとっても魅力的な島であることを、あらためて知った。
まるで、ノルウェーのオーレスンを連想させるような地形を見下ろすことができたり、亀山に上がるとあっちもこっちも海が眺められて、水平線まで見える。とても、平和的なところだった。
 
さらにSさんは、思い出のキャンプ場にまで連れて行ってくれた。
季節が違うので、タンポポは咲いていなかったし、設備が整備されたのか、記憶と一致しない点もある。けれど、きっと私達は、港からこのキャンプ場までの遠い道のりを、山道具が入った大きなザックを背負って歩いたんだと思う。長い上り坂だ。お金はなかったけれど、若さがあって、不便であることはちっともいとわなかったし、お金がなくても幸せだったし、それ以上に大切なものをもっていた。

そんな30年前のことを思い出して、そして新しい地で逞しく暮らす友人を見て、私も色んなことを、もっとまっさらにしようかと、そう思えた。
島を出るとき、フェリーの甲板から岸に目をやると、昼に牡蠣の作業でお世話になった家族たちが、大きく手を振ってくれていた。たった数時間の付き合いだったけれど、なんだか涙が出そうになった。
 
そういえば、ノルウェーを旅したとき、一足先に帰る私たちをじょっくんは港まで見送ってくれた。時間ギリギリでフィヨルドを渡るフェリーに乗り込んだあとは、フェリーの切符とバスの切符を購入したりとあたふたしていた。やがてフェリーが離岸すると、かなっぷが「ぜったいにじょっくんがいるはずだ」と言い出し、甲板に出た。
するとじょっくんは、笑っちゃうほど体を大きく揺らして、手を振っていた。
そんなことも、大島を離れるフェリーのなかで思い出した。

色んな大切なことを思い出したし、それは全部とても大切なことだけれど、これからの人生はその先にあるので、だからもっといろんなことをまっさらにしようと考えた。
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2017年1月 6日 (金)

年賀状

個人的な理由で、2年連続、年賀状を出さないことが続いた。
それでも送ってくださる方々がいるわけで、いただいた方々にはお返事とご挨拶を、それ以外にもご挨拶すべき方々には、「寒中見舞い」か「立春の挨拶」を出そうかと、今年はさすがに考えた。

今年の年賀状のなかで、正直に言えば「驚愕した」、驚愕したあとにまったく脱帽し、あらためて尊敬したものが一通。
何度かインタビューしている大先輩の写真家さんであるが、まったく新しいことに挑戦するようなことが書いてあった。彼が住まうところからも遥か離れた地へ通い、そこの自然を撮るようだ。若いころ、穂高は大きなテーマのひとつとしていたが、それとはまた少し違う山岳の自然環境。70歳をゆうにこえて、新しいものへ恐れずに挑戦していくというのは、どれほどの勇気と覚悟があるのか、そして写真というもに、身を削るようにして人生をかけているのだなあと「尊敬」とかそんな言葉ではコト足りないほどのものを感じた。
ミュンヘンに住む大学時代の親友からの一通も、いつも楽しみにしている。
あれほど親しくしていたクラスメートだけれど、そういえば私は彼女のメールアドレスを知らない。探せばfacebookアカウントをもっているのかもしれないけれど、気にしたこともなかった。
彼女が結婚するとき、ベルリンまでおもむき、一緒にお祝いし、とても楽しい休暇を過ごしたけれど、以来ごくごくたまに日本に帰国するときに会うだけで、あとは年に1回の便りだけだ。
けれど、かならず送ってくれる。

仕事柄、写真家やイラストレーターたちからの「作品」のような年賀状も多々あり、とても贅沢だ。
旧知の友人達の温かい言葉も多い。

そんな付き合いがあるから、やっぱり年賀状は、一部だけになってもおしまいにはできないな。


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2017年1月 5日 (木)

面白facebook

本人が雑な使い方をしているfacebookであるけれど、友人の投稿をみるのは好き。
なかでも、それぞれのカラーを出して(あるいはテーマ性をもって)投稿している方々は、とくに面白く、目に留まると必ず読んでしまう。

京都に住む友人が朝にアップするのは、その晩にみた夢。よく覚えているなあと感心するし、内容がまたまた面白い。大概ハチャメチャというか辻褄が合っていないというか、夢ってそんなものだろうけれど、ともかくおかしい。
彼はほかに、1週間の弁当の総菜や夕食のおかずの写真を載せることもあったりする。

もうひとり特徴的な方は、東京在住の新聞記者さん。家族の話題、取材中に立ち寄るのか都内のラーメン屋の話題、ご自身が執筆した記事のコトもあるが、なんといっても面白いのが、昔の今日を振り返る投稿。たとえば今日だったら、「〇〇〇〇年1月5日」の出来事。
社会的な出来事の場合もあれば、本人の記念すべき出来事の場合もあったりする。
本人の話題も事細かに書いているところをみると、長年日記をつけているのかもしれない。大学山岳部に在籍していた方で、歳も近いので、山の話題はなんとなく私も懐かしく思い出す。同じ日に同じ山にいたんだね(11月の富士山の雪訓とか夏合宿とはか、大概同じ日に同じところへ行くので)、と思い起したり。
社会的なことでも個人的なことでも、そこに世相が描かれていて、さすが新聞記者さんだなあと思いながら、興味深く読ませてもらっている。

2017年1月 4日 (水)

感想聞かせてください

先日、北アルプスのふもとの村にある登山道具店でテレマークスキーの板とビンディングを買った。
春先に山をご一緒した方から、「山で使うビンディングは、別のものを使った方がよい」とアドバイスをもらっていた。登高器のあるビンディングの方が、いまどきの硬いプラブーツの場合、シール歩行がしやすいということだった。登高器については、私の周囲では賛否両論ある。けれど、シールで登っていてターンを切るときに苦労するのは事実であり、一度使ってみようと思ったのだ。
いま気に入っている板にはそのまま、ロッテフェラのビンディングをつけておきたいので、山で使いやすい板も新調することに。これについても、私の実力をよくよく知っている友人達に相談したところ、様々な答えが返ってきた。結局のところ、「山を滑る」ということについて、どのようにとらえているか、それ次第なのかなあと思った。

店頭であれこれブツブツ独り言をつぶやくように悩んで、ある板を手に取ると、違う2本の板を勧められた。そのあとまた、財布と相談しながら悩み続けていると、しまいにはコーヒーを出してくれた。「まあ、これでも飲んでください」と。
神田にある店構えは狭くとも奥行きのある在庫いっぱいのスキー屋さんは、店に入るなり椅子を差し出し(在庫で店は所せましなので、幼稚園にあるような小さな椅子)、コーヒーが運ばれてくる。こちらは、「話すコト」にも主眼を置いた店だけれど、白馬のこちらはそんなコトもないだろうし、第一連休の夕方は、店は混んでいた。
この日のうちに板まで決められないと思いながらも、結局は決めてしまい、ビンディングの取り付けを頼んで、店を出た。
その後受け取りに行くと、店長さんが「滑ったら、ぜひ感想も聞かせてくださいね」と。
私のような素人の感想を聞いても、何ら役に立たないだろうに、なんて嬉しいことを言ってくれるのだろうと思った。ましてやこの村には、プロもプロ級も大勢住んでいるのだから、道具のフィードバックなんてたくさんもらえるはずだ。けれど彼のセリフは、そういうコトではないのだと思う。
道具を新調する嬉しさとか、それを使うドキドキ感とか、道具に馴染んでいく過程とか、その後のスキーや山のコトとか、そういったことを思い計ってくれるって、とても嬉しい。

正月休みの最後、ゲレンデで新しい道具を使ってみた。硬いバーンが続くゲレンデで、「今までの板よりも幅があるから、もう少し柔らかい雪のときの方が乗りやすいかもね」と言われながらも、いきなり山で使うのも心配なので、使ってみた。
K2はしばらくぶりだったけれど、そうだこんな乗り心地だったんだと思い出しながら、滑っていると、一緒に滑った友人からも「素直に、自然にターンしているよ」と言われた。使いやすい道具だったんだな。これで、山にも持っていけるかな。
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2016年12月28日 (水)

素敵なクリスマスプレゼント

スポーツを習得するときに、アタマで理解しないと身体の動きにもっていけない(と勘違いしている)Thinkerと、感覚で覚えていこうとするFeeler、何はともあれやってみるというDoerがいると、聞いたコトがある。
誰もが少しずつこの3つの要素をもちながらも、どれかに偏っていたりする。私については、ことスキーに関して、ひたすらThinkerになりがちだった。
白馬での3日間は、あちこちのスキー場でアルペン。道具はみんな友人が貸してくれた。
スキーはもともと好きになれなかったところに、周囲がテレマークスキーを始めて、それにつられてやるようになり、これは面白いと思ったのがきっかけ。だから、テレマークスキーにはものすごく感謝しているのだけれど、いつかアルペンもやってみたいと思っていた。
スキーってなんでも楽しそうだから。

基礎スキーヤーからレーサーになった友人のあとについて滑りまくり。
「本当に、アルペンは初めてなの?」「まったく心配はいらないよ」「スキー操作をわかっているんだから」「与えられた斜面は、どこでも安定して降りてこられるんだね」と滑りを褒めてくれることに気を良くして、ともかく後をついていく。
スキーをやっていてよかった!と思えた。まったく自信がなかったけれど、少しは私もスキーができるのかもしれない、とも思えた時間だった。
これまでにたくさん教わった理論は封じ込めで、ともかく道具に慣れよう、楽しもうと友人のあとをついていくと、板をフラットにする瞬間や股関節を柔らかく使って滑っている様子が見てとれて、「わあ、きれいな滑りだなあ」と思いながら、見様見真似を繰り返す。Thinker封じ込め。


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2016年12月23日 (金)

誌面デザイン

雑誌に原稿を書くという思考や作業と、誌面のデザインをしたり編集するというそれとは、大きく違う場合もある。だから、それはそれぞれの持ち分だと、思っている。
ある雑誌のあるページの誌面デザインがとてもよかった。遠慮せずに言ってしまえば、ほかのページとは明らかに違った。同じ筆者である対向ページとも違った。落ち着きがあり、品格があった。
そのページを書いたライターに、誌面デザインをする際に、自分の意向を伝えたのか、反映されているのかなど聞いてみた。そうしたところ、そもそも雑誌掲載を想定して写真を撮っていたことや、ラフを自分自身で書いたこと、また実際にデザインが上がったあとの、写真のトリミングやそこに載せる文字の位置など、細かな指示を出したと教えてもらった。
そうか、そこまでしないと、いい誌面は出来上がらないのかと、うなだれた。とくに、自分が執筆したページの出来上がりをみて、反省もした。
原稿の内容だけではない、やっぱり誌面のつくりがよくなければ、読者も気持ちよく読めないのである。
 
そもそも誌面をデザインするのは、デザイナーの仕事であり、原稿の意図や内容とデザインを合致させるために、どのように落とし込んでいくかは編集者の仕事である。
けれどときに、ライターが自分の仕事領域を越えてでも出ていかないと、いい誌面に仕上がらないという現実もあるのだと、思い知ったし、今回はそこまでやった彼の粘り勝ちだと思った。

むろん今でも私は、それぞれの役割を全うすべきだと思っているし、ライターである私にはできない誌面デザインや編集者の役割をみせてくれたときにこそ、感動があったり、自分自身にも学びがあったり、いい作品が作れると思っている。
しかし、そうとばかり言ってられないのも、実情だ。

編集者の経験があるライターは、ラフを引いたり、誌面デザインの効果、写真選びが、やっぱりうまい。そういった経験のない私は、極端に弱い。
けれど、次の仕事に移った私は、今回はラフを引いてみようと思い立った。
現在進行中のページは、なじみの編集者なのでコミュニケーションもよく取れる。
原稿のおよその構成や内容も打ち合わせ済みだ。掲載写真も決まった。けれど、どの程度の文字数にしたらよいのかが、決まらない。
そこで、「ラフを書いてみましょうか」と投げかけると、「そうしてくれると、全体が見えてくるのでありがたい。文字数も割り出せる」と編集者。
そもそも、私が書くラフなんて、ラフの役割すら果たさない、幼稚園生のお絵かきのようなものだが、それでも、編集者と私のコミュニケーションツールになったり、ものごとを整理するのに役立ったりする。
ラフや構成メモをメールしたあと、夜遅く帰宅すると、文字数を割り出したという編集者からの返信メールが届いていた。
これで、すっきりした思考で原稿書きに移れそうだ。
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2016年12月16日 (金)

山で夜空を楽しむ! ビクセン社長カズさんと一緒に

「月にむら雲、花に風」という言葉があります。

冴えわたる月を愛でようとすると、雲がかかる。花見になると風が吹く。世の中は、とかく思い通りにならないといった意味。しかしひょっとしたら、思い通りにならないからこそ、何ごとも面白いのかもしれません。

 

秋の夜、ビクセン(光学機器メーカー)新妻和重社長と入笠山のてっぺんで天体望遠鏡を使い、月や星を眺めたときもそうでした。
自然相手ですから、こちらの期待通りにはいきません。けれど、夜空に星が現れるのをじっと待ち、月と雲のダイナミックな動きに一喜一憂し、大いに楽しみました。

その時の様子が、ビクセンのwebサイトに載っています。


月の写真は、
A62SSという鏡筒に自分のiPhone7をセットして撮ったもの。こんなきれいな写真が撮れるなんて! webにある動画はカズさん撮影(普段、新妻社長のことをカズさんと呼ばせてもらっているので、いつも通りに)。


そしてカズさんに、興味深い言葉も教えてもらいました。

「月に始まり、月に終わる」。

天文好きの間で言われていることで、身近に親しみを感じる月であるが、奥が深く、いつまでたっても飽くことなく、眺める対象、観測する対象になるってことのようです。

私は月を眺めると、遠くに住む友人のことを思い出します。月は地球のどこにいても、等しく同じに見えるから。

月や星のことを知ると、またひとつ山登りの楽しみが増えそうです!

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鏡筒をセッティングするカズ社長。
登山が大好きで、あちこちフットワーク軽くいろんな人に会いに行く、とっても面白い方です。光学機器を作るメーカーであるだけでなく、

「”多くの方が星空を楽しみたくなる”時代や文化を作り出す」ことを社のミッションとしており、天文を、自然を、自然科学を、楽しみ親しんでもらうための、いろんなコトをしています。

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A62SS鏡筒+iPhone7/「スマートフォン用カメラアダプタ」

2016年12月15日 (木)

匂い

立山での山岳ガイド研修のあと、友人宅に一泊。
今年はよく、この家に泊まりに来たなあ。2月末から数えて、6回目。今回は、今後のことでいろいろ話し合いたいこともあり、立ち寄った。
帰り際、友人が「柏さんは、オージャスが多いね。オージャスが多い人は、甘いかおりがするんだよ」と言った。
オージャスという言葉がすんなり出てくる人は、少ない。アーユルヴェーダを学んだ彼女らしい。検索すれば、web上にいくらでも出てきそうな単語であるけれど、それをすんなり、しかもジャストフィットのニュアンスで使うのは、やっぱりアーユルヴェーダやオージャスについて実感もった経験によるものなのではないかなあ……と、素人は思った。
だいいち、自分のオージャスが多いかって聞かれてもわからないし、甘いかおりのする女性は素敵だろうなあと思うけれど、自分にそんな匂いがするのかも、わからない。

「お線香の匂いも漂っているよね」と友人が言うから、「私が仏壇の前を何度も行き来して振動加えたからじゃないかなっ」て答えた。
引き出しを開けると、ひょいっと中からキリっとした香りが飛び出てくるのも、この家の居間の特徴。

大きな一軒家は、あちこちにあちこちの香りや匂いが漂っていていいなあ。
都会のアパート暮らしだと、せいぜい仕事部屋と寝室にアロマ、玄関先にお迎えのお香。台所は、においがこもらないように、気を遣う。

「香り」「薫り」「匂い」-それぞれ漢字表記すると、ニュアンスが変わってくる。
「匂い」「におい」は、最近こそ書き言葉として時々使うようになったけれど、以前は避けていた。「香り」の方が、お行儀がいいかなあと思っていたから。
けれど、「匂い」「におい」は、すこし動物的で本能的。色のある言葉だなあと、最近は思うようになった。
 
言葉って、歳を重ねると、そこからいろんなニュアンスを感じ取ったり、いろんなニュアンスを含められるようになるのだろうか。
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谷口けいさん思い出写真展@甲府「エルク」

先の日曜日、甲府にある登山道具店「エルク」に立ち寄り、開催中の谷口けいさんの思い出写真展へ行ってきた。
 
写真展には、彼女と親しかった仲間たち、仕事上の付き合いのあった方々による「言葉」、「けいさんへのメッセージ」も展示されている。

私も贈る言葉を書かせていただいた。
人間とも物事とも、ちゃんと真正面から向き合って取り組む方だったから、私も真正面から正直に書かせてもらった。本音を書いても、彼女は許してくれる、聞いてくれるかなって思って。
友人の鈴木啓紀くんの文章が、心に残った。けいさんと国内やアラスカで、数多くそして濃密に登っていた、クライミングパートナー。

このあとも、色んな方の言葉が増えていき、大晦日まで開催(年内無休)。
 
エルクは、中央道甲府昭和ICからほんの数分なので、登山の帰りなどにも、立ち寄りやすいです!
 
*エルク
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山梨県甲府市徳行4-13-9  TEL 055-222-1991
営業時間  10:30〜20:00  日曜・祝日は19:00まで 
火曜定休(祝日除く) ←年内無休!
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2016年12月10日 (土)

ジミー・チン来日『MERU/メルー』プレミアム

映画『MERU/メルー』のプレパーティとジャパン・プレミアム試写会へ。
『MERU/メルー』の主人公のひとりであり、カメラを回し、映画監督も務めたジミー・チンの来日を記念してもの。わずかな時間だったけれど話をして、ジミーはとても楽しい方で、笑顔が気持ちいい人だった。

サンダンス映画祭「観客賞」を受賞したことは、ジミーにとってシャークスフィンを登れたのと同じぐらい嬉しかったと。この映画は、3回編集しなおし、そのたびにサンダンスに出品し、3度目でようやく受賞したそうだ。

先の『山と溪谷』の記事にも引用した言葉であるが、『MERU/メルー』を作った動機について、「高所でのビッグウォールクライミングの過酷さを本能的に感じ取ってもらいたい……情熱の追求は必ずしも美しいものではなく、そこには葛藤、迷い、苦しい妥協が溢れている」など、ジミーは語っていた。
リアルなクライミングを描きたかったのだなあ、とここでも思ったし、実際に『MERU/メルー』はヒューマンストリーであり、かつクライミングが至極真っ当に描かれた映画である。

10年前の2006年9月26日に、馬目弘仁さん達がメルーに登頂し、その年の12月にTNF@原宿で報告会があった。その時のことを、私はブログに書いていたようで読み返したところ、タイトルが「Real Climbing」だった。そんな名前の映像を数年前に作ったコトがあったけれど、あちらはほかの方がネーミングしたので、まったくの偶然。
あの報告会の時、窓の向こうに東京の夜景がみえていたのだけれど、なんだか目の前の街の灯がひどく儚い世界に見えて、馬目さんら4人のクライマーの話の方がよっぽどリアルに聞こえた記憶がある。

激しく充溢した経験というのは、それが一般の人からかけ離れた世界のものであっても、語り手によってはとてもリアルに、私たちは感じることができるのかもしれない。

さて、舞台挨拶で「クライマーという人生」について聞かれると、ジミーは最初に一言、「それは素晴らしい人生だ!」と答え、続いて、今は自分は純然たるクライマーとしての人生を送っているわけではないと話していた。それは、ジミーの誠実さ。若いころ、7年間クルマ生活をしクライミングバムだった時のことを回想し、どれほどクライミングにコミットメントするか、クライミングに人生をかけることがクライマーであるというような。

 


同じ質問に馬目さんは、「一言で答えるのは難しい」と話ながらも、「それでも僕は、これからもクライミングを続けていくと思います。いい歳ではありますが」と。
会場には、馬目さんと2回のメルーを共にした花谷泰広さんとTNFグローバルアスリートである平山ユージさんも。今日の試写では、ジミーのインタビュー映像なども公開され、メルーサミッター達に挟まれて大画面を観るのは、なかなか刺激的だった。シャークスフィンのヘッドウォールが映し出されたとき、Mr.メルーが前のめりになり、画面に食い入る息遣いのようなものが伝わってくるようだった。

 
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