2017年8月15日 (火)

『山と溪谷』9月号「ハードスキルと両輪で動かすソフトスキルの追求へ」

『山と溪谷』9月号に、「ハードスキルと両輪で動かすソフトスキルの追求へ」という記事を書きました。
5月にフランス国立スキー登山学校技術指導委員会所属の山岳ガイド、アレキシス・マーロンが来日し、日本山岳ガイド協会の講師を務めた話ですが、アレキシスの人柄と、彼こそがガイドだと思わせるような資質と信念にふれ、感動しました。
私自身は、いわゆるハイキングガイドであり、日本でいうところの国際山岳ガイドであるアレキシスとは、違う世界をご案内していますが、ガイドの資質と考え方、信念には通底するものがあると感じ、以来度々、アレキシスの言葉を思い出します。
読者の方々にとっては、「山岳ガイド」とはこういう職業なんだ、信念なんだということや、また山岳ガイド先進国であるフランスの事情について読んでいただければと思います。
取材にご協力いただいた、JMGAの皆さん、ありがとうございました。

アレキシス、来日のときの様子はココ

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テントむし山旅@白馬岳周辺 8/11-13

お天気に恵まれず、2日目はあと少しでしたが、白馬岳に届かず。
その時の判断基準や段階などについては、テントむし参加メンバーのfacebook「DIVAS テントむし」に書こうと思います。
私は引き返す判断をしましたが、最初から「登らない」という判断もあったと思います。

参加の皆さん、なんて言うかなと思ったけれど、「無理する必要なし」「次がある」「リベンジが楽しみ」と言ってくれて、よかったです。
山は逃げますが、でも元気に下山すれば、また次があるので。

何度も登った白馬岳ですが、それでも私もまた登りたくなりました。
ことし私が担当するテントむし山旅は、これが最後。5回シリーズでした。
初回からずっと参加してくれた方、「今年はテント泊の経験を積むんだ」と継続してくれた方、久しぶりに顔を見せてくれた方、毎夏ご一緒できる方、最終回に初めてお会いした方、皆さんに感謝。
今年初めてテント泊を経験された方も着実に力をつけ、体力や歩行力を心配していた方も確実に強くなりました。これからの登山が、ますます楽しみです。
テントむしではこれまで、2泊以上の企画を何度かやってきました。
2016/9 白峰三山
2015/8 双六岳~笠ヶ岳 
2014/9 乳頭温泉~八幡平 
2014/7 常念岳~蝶ヶ岳
日数が多い分、たいへんなコトもありますが、またテントむしの皆さんと3日、4日と縦走する山旅に出たくなりました!
いつかお会いできる日までに、私自身、もっと成長していたいと思います。
あいにくの雨と曇り空でしたが、それでも時折山が姿を見せてくれたり、雨露に濡れた花が綺麗だったり、雷鳥に出会えたり、大いに満喫できました。
ありがとうございました。
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テントむし山旅@常念岳 7/22-23

なかなか天候が安定しない週末でしたが、常念岳に登ってきました。

土曜日は降られずに常念小屋のテントサイトへ。ほんの少しの時間ですが槍ケ岳が顔を出してくれました。

ラッキーなことに夕食時は雨も上がり、外で調理+ご飯タイム。
「世界の山のある街お菓子シリーズ」はとん挫気味で、インドのお茶。トゥルシーティーのスパイスバージョン。暑いときは熱いお茶で!
夜ごはんもスパイスの効いたカレイ鍋にしましたが、次回はもう少しオーソドックスなメニューに立ち返ろうと思います。
日曜日は、予定通り4時発。4時半からは雨がこぼれ始め、稜線は風も出てきましたが、みんなで登頂。天気が大崩れする前に、前日登ってきた一の沢を下山しました。
高山植物の盛りを過ぎていたことがちょっと残念でしたが、朴ノ木もカエデもミネザクラもダケカンバもナナカマドも眩しい緑の葉っぱをつけていました。
今年の初回からずっと参加してくれている方や、テントむし1期生(6年前)の方、1年ぶりに夏山で会う方々などなど新旧賑やかな顔ぶれで楽しんできました!
集合写真などは、Adventure Divasやテントむしのfacebookをご覧ください!
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2017年8月11日 (金)

空気の入れ替わり

山梨で台風による大雨をやり過ごし、だというにまた台風の名残りの荒天に突っ込むように、白馬にやってきた。
2日連続、地元の友人達とお酒を飲み、夜更かしをし、そして早起きして原稿を書き。
起きると、天頂に青空が広がり、「あ、やっと夏がきた」と思ったが、それは立秋を過ぎたあと。湿り気を帯びた空気を一掃するかのように、秋の予感がするような少し乾いた風がやってきた。

ふたたび夜。前夜と同じような顔ぶれで2日目の酒の席。
夜夜中、星を綺麗に見上げることができた。
雲が流れて、ときどき見えなくなった星がまた現れたり、いったい星は帰ろうとしているのか、そうでないのか。
そんな時間を経て、雪が残る白馬の稜線が、闇にふっと浮かび上がっていることに気づいた。「ああ、綺麗だね」と。
ずっと眺めていたい、寝ちゃったら消えちゃうかなと思いながらも、床についた。

翌早朝、窓の向こうに山の気配がして、嬉しくなって飛び起きると、白馬三山から不帰への稜線がぜんぶくっきりと見渡せた。
まだ、ちゃんと姿を見せてくれていたんだ。

夏がやってきたというあの大好きな瞬間も得られず、夏の夏らしさも感じないまま、涼風。
そんな季節の流れに寂しさもあったけれど、こうやって秋の訪れを白馬で感じる瞬間がもてたから、まあ、いいかな。

夏はまた、来年もやってくる。

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2017年8月 3日 (木)

小屋番の夏ひる飯

かつて、北穂高小屋に通ったことがあった。取材である。
編集部から依頼されたのではなく、自分で始めた取材であり、1シーズン通い終えた頃に、連載の目途がたち、2シーズン、4月21日の小屋開け入山から11月4日の小屋締めまで、毎月通った。「小屋開けに女性を入れたコトはないんですよね」と、主人から言われたことから取材は始まり……ときは流れた。
 
取材中は、努めて距離を保っていた。あくまで取材対象と取材者だと思っていたし。
でも、振り返ると、心を通わせたことは多々あった。「これが小屋番の岩登り」は、そんなひとつ。
 
大好きだったくせに、取材を終えると、通う理由、言い訳、言い分、建前をなくし、途方にくれたりもした。それでも、ときどき顔を見せていたが、あるとき、小屋の主人であるよっちゃんから「理由がなくても、来るのが山でしょ」と言われ、長年番頭を務めてきた足立さんから、「どんなに少なくとも、年に1回は来るように」と言われ、泣きそうになった。
 
職業柄、いろんな山小屋に泊まるし、山小屋の主人やスタッフ達と知り合う機会も少なくない。けれど、身内のように過ごせるのは、北穂高小屋だけだし、それでよいと思っている。
 
今年、友人が山小屋の管理人を始めた。
北穂高小屋のように近しい小屋が、ほかにできるとは思っていなかったけれど、先月、初めて遊びに行った。手伝うという名目があったけれど、実際に行ってみると、私がいなくたって何とかなる客数だった。
今月、二度目の訪問をした。取材のあと、2日間ほど居残ったのだ。あいにくの天気で、荷揚げのヘリも飛ばず、私がいなくても、なんともないような仕事量だった。
 
小屋番をしている、ヅメさんが、二度目の昼食に作ってくれたのは、そうめんだった。
「今日の昼は、そうめんにするわ」と彼が言ったとき、北穂の稲庭うどんを思い出した。
夏になると、5回ぐらいは、稲庭うどんの釜あげを昼ご飯にする日がある。
長ネギや紫蘇、茗荷などの薬味を千切りにし、頃合いよく茹で上がった稲庭うどんを、スタッフみんなで食べる。
なぜだかその日は、いつも以上にみんな興奮し、寸胴鍋に茹で上がった稲庭うどんをすくいあげるために、椅子から立ったまま、食卓を囲んだりもした。
そんな北穂高小屋での時間を思い出していると、ヅメさんのそうめんができあがった。
 
「麺類は、茹で具合に気を配り、緊張するよね」と、彼が言う。
長年、小屋番をつとめ、まかないも客飯も作りなれている、料理上手の彼が言うのだから、心にしみる。
食べる相手がいてこその料理、という話をヅメさんとしたばかりだけれど、茹で上がりについて、そこまで気を配るのもまた、相手への思いやりだ。

はたして出来上がったのは、錦糸卵、かにかま、キュウリ、油揚げ、ネギ、茗荷が千切りされて山盛りのっかった、ぶっかけそうめんだった。豪華、豪華。
バイトに来ている、食べ盛りのシオが、「すげえ」と言って、バクバク食べ始めた。
北穂の稲庭うどんに、七丈のそうめん。
夏のメニューとはいえ、半袖ではうすら寒く、長袖がちょうどよい山の上。だというのに、なんでこんなにテンションが上がるんだ?
ちょっと考えて、思い至った。涼し気な山の上にいても、やっぱりそこは夏。夏を感じたいから、小屋番たちも、夏の昼ごはんを食べるんだな。夏の山小屋、風物詩。
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2017年7月24日 (月)

ふと住みたくなるとき

山麓で暮らしたいという気持ちは、消えることなく。
仕事上の利便性や毎日山を眺めることができる、思い立ったらすぐに山に行けるなど具体的なことだけでなく、ふとしときに、その気持ちがむくむくと湧き上がってくる。

週末の常念岳での仕事に備え、金曜日の夜に山麓入り。
朝4時半駅前集合に合わせて、宿を出たとき、東の空に浮かんでいた暁月。こんな細いお月様がくっきり見えるんだと見入っていると、月の向こうに東山。
こんなときに、何の理由もなく、しいて言えば、その場の空気感を感じて、ああやっぱり北アルプスの近くに住みたいなと思う。

下山後、栂池までやってきた。仕事仲間の方々と、お酒を飲みにでかけて、夜遅くに店を出るとき、涼しく爽やかな夜風に、また住みたいなと思った。
ご一緒した方とそんな話をしていると、「僕の家のすぐ近くにこんな物件が出ていますよ」と。

どこに住みたいかって、具体的な条件だけでなく、とっても感覚的なモノなんだと思う。

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2017年7月18日 (火)

遠望の街、機窓の街

オハイオより東には行ったことがなく、新鮮だった。
ニューヨーク州のアッパーでハイキングをするために、JFK空港でトランジット。
世界の名だたる空港、名だたる街にある空港に降り立つのは、やっぱりちょっと興奮する。
 
ターミナル1に着いて、バーリントン行きの国内線に乗るためターミナル5へ移動するのに使った列車は、その名も「ジャマイカ・トレイン」。最終ターミナルまで行ったあとは、ニューヨークの街に向かうラインだという。
ターミナル5の駅に着いて、搭乗口に向かうブリッジを歩いているとき、遠く摩天楼がみえた。
一緒に歩いていたのは、30代後半をNYで仕事した山の先輩だった。彼女から、どれがエンパイア-・ステート・ビルか教えてもらった。
 
アメリカ滞在最後の日、お月さまがまるで半分の輪切りにしたオレンジみたいに見えて、星が降るような夜中に、バーモントに暮らすメリーアンの家を出て、バーリントンの空港まで送ってもらった。
バーリントンからJFK空港に着陸する少し前に、右手の窓からニューヨークの街がみえた。
ここにいっこさんが暮らしているんだなあと思いながら、見おろし、セントラル・パークがあんまりにおっきいことにびっくりした。
 
彼女がイスラマバードに赴任していた時期に、登山の帰りに会ったのが最後。20代後半に机を並べて一緒に仕事をした友人。まさに戦友というような存在だったが、あの頃から、彼女の人生に対するビジョンは明確だった。
旅先で、もうひとりの戦友であるキムちゃんから、「東京に戻った」という便りが届いたばかりだった。
キムちゃんもいっこさんも、同じく東京に暮らした時もあったけれど、会えるようでなかなか会えない。それはじつは、遠くに暮らしていても同じで、キムちゃんとは、昨年彼女の故郷の京都に帰国中にやっと会えたぐらいだ。

世界中どこにいても、会えるときはあえて、会えないときはあえない。
けれど、友人が住む街を素通りするのは、ちょっと、いやかなりさみしい。

遠望して、機窓から見て、ニューヨークっていう大都市を想像して、そこに暮らす友人とチャットして、声を聞いて。その先は、またいつか。

2017年7月 1日 (土)

なごやかな夜の電車

昨晩、友人たちと食事をし、終電の2本手前の電車で帰ってきた。
乗り換え駅から乗り込むと、数駅先に住んでいる知り合いと出くわした。
最近、この広い都会で、電車や駅で友人・知人と偶然会うことが続いているので、さして驚かなかった。
私は途中から乗り、1駅だけだったけれど、我々の会話は、最近のちょっとしたことを終えてすぐに、足元に転がるようにいる女性に移った。

酔っ払いである。
若い女の子がスカートをはいて、電車の床に座り込み、ゴロンゴロンと右に左に前に後ろに揺れながら寝ているのは、それは好ましいコトではない。
すぐ脇の座席に座る男性は、ちょっと迷惑そうな顔もしていた。
助けてあげた方がよいかなとも思ったが、命に別状があるわけではないし、またそう大きな迷惑をかけているわけでもない。ちょっとぐらいこの子も、今日は痛い目にあうのかもしれない、社会勉強かな、とそんな風に私は思っていた。

そうしたところ、私達と同じように近くで立ってつり革につかまっていた男性が、脇に転げ落ちていたバッグを、女性に抱えさせるように持たせてあげたのだ。なるほど、これは親切というものだ、と私は思っていると、その男性が私ににっこり微笑んだ。

もうしばらくガタゴトと電車が揺れ、彼女も相変わらずゴロンゴロンとしていると、先の男性が、座席の男性に向かって、「お知り合いですか?」「スミマセンが、席を空けてあげてくれませんか」「ここに座らせちゃえばよいかと思って」と。
座席の男性は、「知り合いじゃないんです」と迷惑そうに言ってから、続いた言葉に一瞬戸惑っていた。迷惑を受けている自分は、車内で同情される立場だと思われていると思っていたかもしれないし、仕事で疲れてやっと座った座席を、おいそれと譲るのは辛い。これは、都内通勤者だったら、誰でもわかることだろう。
 
戸惑っている間に、、隣の座席の男性が立って、席を譲った。つられて、言われた男性も立ち上がり、二人分の席が空いた。つり革の男性が彼女を抱きかかえ、席に座らせようとした。
 
その時、定期券が落ちたので、その行先をちらりと確認しながら、私は定期券についていたゴムを、彼女の腕に取れないように巻き付けた。ついでに、周囲の人たちにわかるように、彼女の行先の駅をつぶやいてみた。あと30分ぐらいかかるだろうけれど、終点だ。
 
それにつり革の男性がうなずいた。次の瞬間ふうっと、彼女が立ち上がって目を開けた。私は思わず、「立ち上がった~」と言ってしまった。その隙をついて、つり革の男性が「どこまで行くの?」と尋ねた。か細く澄んだ声で、駅の名前を言った。およそ、酔っ払いとは似つかない声色だと、私は彼女の可愛らしい顔を見入った。
 
それまで見物客だったのか、あるいは見ていたかどうかもわからなかった乗客たちが、「じゃあ大丈夫だ、終点だね」「車掌さんが、おろしてくれるだろう」「あとは、自分で帰れ」など次々に言って、どっと笑いが起きた。
当の本人は、座席ですやすや寝ている。
 
私は駅に着いたので、知人に挨拶をして、電車を降りた。
けっして褒められた酔っ払いではないけれど、ギスギスしがちな都会の電車のなかが、今晩はなんだか、なごやかだった。

2017年6月30日 (金)

真心の人たち

父や母にとっては、さらに思い出深い土地であるが、私の記憶は小学生から。
夏になると、遊びに行っていたのは外房の海。同級生のウチが「海の家」をやっているというので、片貝で地引網をすることもあったが、家族で行くのは御宿だった。友達も一緒に遊びに行った。
大人になってからは遠のいていたけれど、ある年の元旦、私は突然のようにサーフィンを始めた。御宿にはサーフポイントが3つもあることを、知ったし、たとえ風向きや波が合わなくても、外房の海はあちこちの方向を向いているから、ちょっとクルマを走らせれば、大概どこかしらで波にに乗れる。
借りもののウェットスーツを着こみ、借りものの板をかかえて、海に入った。
貸主は、私に貸しちゃったから、浜辺で待機。なんだか大きな声でアドバイスしているようだけれど、波の音にかき消されて、なにも聞こえない。
トップアウトはできたけれど、当然波には乗れず、帰ってきた。
当時、30半ば。「40過ぎたら、サーフィンでもやってみようかな」なんて思っていたのは、甘かった。ものすごく体力が要るし、ものすごく難しいスポーツであることが、分かった。
 
ある日、御宿の部屋のポストに、手書きのチラシが入った。水色の蛍光マーカーで大きく「SHOOTS」と書いてあった。どうやら御宿にサーフショップが新たにオープンしたようだ。
さっそく行ってみたら、同世代のご夫婦がやっていた。
海のコトは何もわからない私達にたいして、「御宿で海に入るんだったら、ココに名前と電話番号、緊急連絡先も書いていってよ」と。なんのことかと面喰いそうになったが、万が一のことを考えての気遣いだった。
ありがたく、そのノートに書き込んだ。
ウェットは吊るしの安いのを買ったが、ボードは、SHOOTSのシェーパーであるプロサーファーの竜二さんがシェイプした中古を譲ってもらった。中古といっても、奥さまのトミーさんが使っていたもので、彼女もプロ級の腕前のわけで、板はとてもよい状態のものだった。
以来、海で会うと声をかけてくれたし、教えてもくれた。ボードも押してもらった。
竜二さんの板に乗っているから、声をかけてくれるローカルもいた。
 
ワックスを買いに、店に立ち寄ることも多かった。
トミーさんがいればよいのだけれど、竜二さんしかいないと、レジの打ち方がわからないみたいで、たいへんだった。Tシャツでも買おうものなら、値段もわからず、そのまま持っていけぐらいのコトをいうので、とても困った。
板を作ることには、プロフェッショナルの魂を持っていたけれど、ほかのことに関しては、なんら自覚がない方なのかもしれない。
かなっぷは、「お金をもらうのが照れくさい人なんだよ」と言っていた。
 
あるとき、店の近くの住宅が建て直すことになり、取り壊された。
すると、通りからSHOOTSがよく見えるようになった。通りたって、目抜き通りでもないところなのだが、「店が目立って困る」とか「営業しているのが、わかっちゃう」というのだ。海に入れる時間が少なくなるのは、ぜったいに避けたいことだから。
かといって、営業しないわけにもいかないだろうし、ホント商売っ気のない人たちだって、笑った。
あるワールドツアーを回るプロサーファーの板も、竜二さんのものだが、そのロゴを入れるには商業的に莫大なお金がかかる。そんなことはできないので、ノーブランドのまま、あるいはほかのスポンサーのステッカーを貼って、そのサーファーは乗っていた。
 
そんなひっそりと、けれどしっかりと御宿の海と人々に愛され、板を作り、波に乗っている夫妻であるが、その長女は、いまやワールドランキング5位となった。
もう10年ぐらい前になるが、ピロタンがまだ日本で優勝したこともなかった頃、部原で行なわれた大会に応援に行った。彼女は、うまく波をつかまえられず、海から戻ってくると、周囲の大人たちが、「ピロタン、ピロタン」と大勢集まってきて、肩を落としている彼女を激励し、助言していた。ああ、愛されているなあと思った瞬間だ。
 
先日、この先、御宿と縁遠くなってしまう私達は最後に、SHOOTSに挨拶に行った。
これまでのお礼と、そして「また来ますね」と、夫妻に言うために。
また来るに決まっていると思っているトミーさんは、なんで私がメソメソするのかもきっと、わからなかっただろうなあ。なんて、泣き虫なんだろうって驚いていた。
いくつか、当たり障りない、いろんな会話をしたが、この間、ピロタンがヌーサで優勝したとき、インスタグラムやフィエスブックにお祝いの言葉を書き込んだら、その何百もあるメッセージのなかから、トミーさんが私の言葉を見つけてくれていたことには、驚いた。
 
トミーさんと竜二さんの海への接し方や暮らしぶりは、私の友人のあるクライマー夫妻と共通するものがあって、そんな生き方がとってもいいなあと、私はいつも思っている。
 
たとえ、また行けなくても、また行くのがほんとうにものすごい先のことであっても、それを実現できるかわからなくても、「また、来ます」と言って、別れてきた。
好きな人たちと別れるときは、たとえ再会できないってわかっていても、先のことはわからなくても、「またね!」と言って別れるものだから。
真心たくさんもらった、SHOOTSにて。
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2017年6月27日 (火)

打ち合わせ

昨日も今日も、編集者と打ち合わせがあった。

今日お会いしたのは、初めて仕事をする編集部の初対面の編集者。
記事の内容について、意見を出していくうちに、「およそ、誌面の絵がみえてきました」と。
さすが編集者だなあと思う。こちらは、あれもこれもと考えを述べるだけであり、そこには私のような書き手の場合、あまり絵面は浮かんでいないのだけれど、編集者は違う。
書くべき内容を整理し、読者にわかりやすいような構成を、既にアタマのなかで作り上げている。

今日の待ち合わせは、私の住む町の駅改札で、打ち合わせは駅前の喫茶店で行なった。
偶然にも3駅離れたところに住んでいたのだが、それでも「ご足労いただき、ありがとうございます」と述べると、「いいえ、ライターさんの仕事場のできるだけ近くまで行くのが、僕の信条ですから」と。
かつて出版社に勤めていたときから、そうしていたが、フリーになったいまも、その考えは変えていないという。「打ち合わせ場所まで行くにも、時間もお金もかかるのですから」と。
いいや、時間もお金もかかるのは、お互いさまだ。
 
昨日会ったのは、数年前から一緒に仕事をしてきた編集者であるが、ちょっとご無沙汰していた彼女だった。「久しぶりに会いたいね」とは、よく言っていたのだけれど、超多忙売れっ子編集者、そんなに自由になる時間もないはずだ。
プライベートの旅先からメールやLINEをくれて、やっとランチに会えることになった。
 
私が朝から晩まで、有楽町界隈で用事があったことを知った彼女は、「あのビルだったら昼時でも空いているはず」と老舗ベトナム料理屋を、待ち合わせ場所として連絡くれた。あとで気づいたことだが、旅先でわざわざ調べてくれていた。
「このビルの上に仕事で来ることがあったんですが、前回はちょうど歯を抜いた日で、美味しそうだけれど食べられなかったんです。また来たいと思っていたんですよ」と。私の用事に合わせてくれた場所だというのに、余計な気遣いをさせない気遣い。
「このベトナム料理屋さん、昔からあって、美味しいんだよね」というと、「みんな、そう言います。老舗なんですね。来たことありましたか?」と。「うん、働き始めた頃、そうだね30年ぐらい前に来たかな」と言ったら、若い彼女、一瞬ビックリしていた。「あ、30年は間違えた。でも25年ぐらい前かな」と。四半世紀だ。
仕事の話、最近の互いの旅の話をして、冬頃にはこんな記事を作りたいねと、打ち合わせもできた。
 
長年、何度も打ち合わせしてきながら、一度も「そちらに伺いましょうか」とか、「ご都合のよいところで落ち合いましょう」とか、言ってもらったことがない編集者や編集部もある。そういうところって意外と多い。
 
一方で、必ずこちらに出向いてくれる編集者や、ちょうど真ん中あたりで会うことを提案してくれる編集者もいる。年上の編集者には、本の街の美味しい紅茶屋さんを教えてもらったなあと、懐かしく思い出す打ち合わせ場所もある。

どちらが伺うべきかとか、そんなことではなくて、互いの事情や都合を鑑みながら、都度いいように場所を決めてもいいのになあって、思う。
だから、今日の編集者の言葉は、とても新鮮な嬉しさだったし、昨日の彼女にも、感謝だった。
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2017年6月21日 (水)

さりげない味

ちょっと前のこと。
野外救急法の更新講習を受けるにあたって、会場が小谷の施設であることに、小躍りした。
6年前、ここで受講したとき食べた、サオちゃんのお料理が、これで毎日食べられるからだ。
彼女は、この施設の厨房を預かっていて、ここで行なわれる色んな講習の際、朝昼晩の食事を作ってくれる。ものすごく美味しかった、という記憶しかなかったけれど、ともかく6年前、誰もが口を揃えて、美味しい、美味しいと毎回食べたのだから、まちがいない。
そしてその後も、私達は、「サオちゃんのお料理、ほかでは食べられないのかなあ」とか「サオのご飯が恋しい」とか話したものだ。
今回4日間にわたって、朝昼晩のご飯を食べて、あらためて、ほんとうに美味しく感謝、感謝だった。食事が始まる前には、誰もが「今日は何だろう」って厨房をのぞいた。そして食べ終わると、またみなが口を揃えて、「美味しい、美味しい」と言った。、後片付けで厨房の洗い場に入ると、みんなサオちゃんを取り囲んで、「ご馳走様」と言うのだった。
 
私の周囲には料理上手が多いけれど、私はひょっとしたら彼女の料理がダントツいちばん好きかもしれない。決して派手ではない。洒落たメニューに載るような名前があるわけではない。けれど、どれも優しい味なのだ。なにが優しいって、私達の毎日の活動を知ってくれて、それに寄り添ってくれるような味。
 
そういえば、もうひとり、「彼女の味が好き」という友人がいる。ときどき泊めてもらう山麓の村に住むカップル邸。朝のお味噌汁に「あれ、この風味なんだっけ?」と尋ねると、「しそを少しだけ入れたの」とか、ササっと作ってくれる昼ご飯のパスタがホッとする味だったり。
 
何気ない美味しさ、毎日食べたい味、そういうのがいいなあと思う。
 
4日間の講習が終わって、受講生それぞれが自分のクルマを走らせて帰るとき、サオちゃんも玄関に出てきた。私もクルマを運転しながら、前の小道に出て、建物を振り返り、手を振ると、玄関のステップに腰を下ろしていた彼女が、笑顔でみんなに手を振り続けていた。
嬉しいな。
 
梅雨空で、山に行く日が延びた今朝、そんなサオちゃんの味を思い出し、そうだそうだ、味噌汁に生姜を擂って入れてみようと思いついた。里芋が残っていたので、それを具材にし、だから生姜が合うかなと。けれど、ちょっと入れすぎたな。匙加減が、まだまだだ。ついやり過ぎてしまう。
サオちゃんのその味噌汁は、「あれ?今朝はちょっと味が違うよ、これなんだったっけ?」と思わせて、ぐいぐい飲みたくなるような味。隣に座っていたジャーマンが、「生姜だね、味噌汁の味にコクが出る」と言った、あれを真似したかったのだけれど。
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2017年6月17日 (土)

地下鉄

山から帰ってきて、東京にいるあいだでも、電車に乗る機会はそう多いわけではない。
けれど、この2週間のうちに、東京の地下鉄でふたりの知り合いに出くわすという、偶然。
 
一人目は、大手町の駅で乗り換えようとプラットフォームにいると、向こうから歩いてきた。長身のその姿は遠めでもすぐにわかる。日本に帰ってきた頃だろうから、そろそろ連絡してみようかなあと思っていたところだった。
同じ方向の電車に乗るとういことで、わずか二駅のあいだに、互いの近況を弾丸トークでしゃべる、しゃべる。
 
二人目は、隣の駅に住む編集者。偶然私が隣の駅から乗車したその日、電車の待つ姿を発見。「ご近所様」になって15年ぐらいだけれど、地元で会ったのは初めて。
ちょうど、取材対象についてメールで連絡を取りあっていたばかりだったので、こちらも20分足らずの電車のなかで、あれよあれよと色んな話。
フリーのライターはひとりで書いていることが多いので、どうしても色んなことに行き詰る。アイディアが枯渇することもあるし、発想の転換ができなくなっているときも多い。
そんななか、編集者と話ができると、そうかなるほど!って思えるようなアイディアを教えてもらったり、自分自身も新たな考えができるようになったりするのだ。
 
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シンポジウム「日本における野外救急法の現状と今後の課題」

今年初めて開催された「Wilderness Risk Management Conference2017」のオープニングシンポジウム「日本における野外救急法の現状と課題」にて、コーディネーターを務めました。
シンポジストは、溝手康史さん(弁護士)、稲垣泰斗さん(救命救急医)、佐藤初雄さん(野外教育者)。
開始時間がずれこみタイムアウトで、用意していたトピック全部を話していただけなかったこと、残念でした。エピペンの法的解釈を話してもらう予定でしたし、また医療についても、課題をさらに明確に示せればよかったです。
今後も、法的なアドバイスを受けつつ、昨日挙がった医療面の課題をベースにしながら、国内の標準化を(これからも)進めていくことが、ひとつの目標になるのではないでしょうか。今回挙がった課題は、講習やインストラクターの更なる質の向上にもつながると思います。
稲垣さんのある発言が、USの野外医療先達者のひとりであるディビット・ジョンソンの言葉とまったく同じだったのが、とても印象的でした。
 
午後のワークショップは、浅井悌医師(利尻島国保中央病院・日本山岳ガイド協会(JMGA)理事)の「日本山岳ガイド協会がすすめるファーストエイド講習」に参加。
JMGAのファーストエイド講習がどのように行われているのかという話と、後半は低体温症のミニ講座。
 
日本登山医学会所属の医療従事者やWALS(医療従事者向け野外救急法のクラス)受講者、野外救急法講師など、医療関係者も多く集まってくれたようです。
ほか、アウトドアのガイドの皆さん、愛好者の皆さんなど、ご来場ありがとうございました。
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2017年6月13日 (火)

いちばん好きなクライマーは?

数日前の夜。「三次会」でのことだった。三次会といえども、二次会までは「仕事」だったので、お酒は入っているものの、あまり酔ってはいない。同じ登山の業界で働く3人が残って、あと一杯と。

ひとりが、「いちばん好きなクライマーは誰ですか?」と突然。いや、「好き」って表現ではなかったかな。「ファン」とか、「絶対的スター」とか、そういった意味のことを、彼は最初投げかけてきた。
当の本人が何の迷いもなく、「平山ユージさん」と答える。
もうひとりも、「戸高雅史さん」と断言した。
ユージさんは間違いなく、スターであり歴史に名の残る、クライミングのアイコンでもある。
戸高さんを思うあたりが、どんな真意があるのかと尋ねると。
その人は、私も一緒におこなった20年近く前の取材のことを話始めた。
その時、戸高さんが発したある言葉が心に残り、一気にファンになったのだという。
 
「柏さんは?」と聞かれ、答えられなかった。
同じ時代を生きる、世界に名を残したクライマーもいる。大好きだ、一緒に登っていても楽しい。そして、すばらしいクライマーだ。けれど彼の名だけを、いまこの時点で、挙げるのでよいのだろうか。
昔から、すごく好きになる芸能人もいなかったし、誰かの熱烈ファンになったこともない。
そんな性格だから答えられないのか、自分で自分について考え込んだ。
 
その末、ひとりの同世代のクライマーの名前を挙げた。
この歳になると、アルパインクライミングも上り坂は越えたのか。いや、海外の40~50代、そして60になるクライマー達の活躍を見れば、そんなことは言わなくてもよいのかもしれない。
けれど、歳を重ねながらも、その情熱を途切れさすことなく、山に向かう。今シーズンは、いよいよのトライを控えている。となれば、心が揺さぶられるのは、自分自身がこんな歳になったからか。

三次会が終わって、トボトボとひとり部屋に帰る途中、もうひとりの同世代クライマーにも思い至った。まさに、あきらめることなく、ずっと上を見続け、登り続けている人。いま大きな試練にあい、これからどうやって復帰していくか、正念場だろうけれど、「きっと、また登る」人であることは、間違いない、彼女。
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2017年6月11日 (日)

ICI石井スポーツ・エベレスト+ローツェ隊インタビュー@『夏山JOY』

発売中の『夏山JOY』(山と溪谷社)は、前半が夏山コースガイド。反対側から開くと、ICI石井スポーツのカタログ『THE EARHT』になっています。
巻頭に「なぜ人は山に登るのか、山と対峙する試み」を、載せてもらっています。
5/25・26にエベレスト、ローツェ連続登頂(しかも30時間を切るはやさ)した社長の荒川勉さん、奥田仁一さん、途中まで参加だった平出和也さんをインタビューしたもの。
BCに無事帰着後、ちょうどAGの近藤謙司さんと会う機会があり、詳細を伺ったけれど、そのスピードには驚かされました。
 
ちょっと欲張って、いつも眺めていたローツェも登りたいんだよねと語っていたのは、奥田さん。
今回のインタビューで心に残った言葉のひとつは、彼が発した「ヒマラヤに興じる」。
これまでの長い登山のなかで、登れた山も登れなかった山も、充溢した山も悔しかった山もあっただろうけれど、ヒマラヤに心揺さぶられ、歓び、満たされ、豊かな時間を過ごしてきたのだろうなあということが、想像できるような、そんな言葉を、自然と口にしていました。
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テントむし山旅プロジェクト@硫黄岳(6/3-4)

このシリーズの1回目からずっと参加の方、何年もテントむしに来てくれている久しぶりの方、初めてお会いする方色んな方々で、登山の経験やバックグラウンドもそれぞれの10人が集まりました。
スタッフは、Adventure Diavs代表のポーリンと私。
初日は美濃戸口から赤岳鉱泉へ。テントの立て方レッスン後は、「山のお勉強会」。「山登りを自分のチカラでコーディネイト」をキーワードに、それぞれが明日の登山の計画を立ててみました。

寒気が下りてきたこの夜は、けっこうな冷え込み。
寒くて寝つきが悪かったという方が多かったので、次回、シュラフに頼るだけでなく、暖かく眠る工夫についてさらに詳しく話しますね!(テントむしfacebookにも載せておきます~)
気温は0℃近かったかなあと思っていたところ、この晩の硫黄岳山荘は-5℃だったそうです。入下山後にお会いした木元康晴ガイドに教えていただきました!鉱泉も氷点下いっていたかなー。

二日目の今日は、硫黄岳往復。
樹林帯には雪も残っていて、ヒカリゴケはまだかなあ~という感じ。木々の芽もまだまだ小さく、山の上は春浅き。
八ヶ岳連峰や南北中央アルプス、乗鞍岳に御嶽山の展望は素晴らしく! 山頂の風も比較的弱かったので、みんなで楽しんできました。

2017年5月30日 (火)

森林インストラクター養成講習

今年度から「森林インストラクター養成講習」((社)全国森林レクリエーション協会)の仕事をしています。皆さん、試験に向けて様々な勉強をされますが、そのなかの「山の安全」という講習を担当。テキストの作成や年2回の授業などを受け持っています。
昨日は、初回の授業。
60人近い方々が全国から集まり、1コマ2時間の授業を、なんと1日に4つも!「山の安全」は、とっても幅広くまた奥深い内容なので、ものすごいスピードで2時間を駆け抜けました……。
 
写真は会場となった林野会館1階にあった屋久杉の株。栗生で伐り出されたそう。屋久島は、前職で通った親しく思っている土地であり、懐かしい。日本が世界遺産条約を批准する前後のことであり、屋久島を世界遺産リストに記載するための仕事と、その後の仕事だった。
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2017年5月25日 (木)

「なぜ人は山に登るのか、山と対峙する試み」@『THE EARTH』~ICI石井スポーツエベレスト・ローツェ登山隊

ICI石井スポーツの登山カタログ『THE EARTH』に「なぜ人は山に登るのか、山と対峙する試み」を書きました。
ICI石井スポーツのエベレスト・ローツェ隊についてです。
荒川勉社長とは、この冬初めてご一緒しました。山ではタフで、そして気さくで、とても気持ちのよい時間をいただきました。
こういう人になりたい……と思わせていただきました。
奥田仁一さんと平出和也さんとは、20余年来の付き合いになるのか。
奥田さんとはいろんな場面でご一緒したけれど、一緒に登り、書かせてもらったのは初めて。茶目っ気たっぷりで、そして繊細な方です。
平出さんのことは、おそらく10回近く書いてきたのでは。
ふたりと久しぶりに会い、時間を共にし、インタビューし、ふたりがかっこいいオトナであることが、なんだかとっても嬉しかったです。
私が言うのはおこがましいですが。
かっこいいというのは、潔いってことです。自分の進むべく道を見据え、自分の選択に責任をもち、ゆるぎなく山に仕事に取り組む。そこに余計なことはなにもありません。

本日、荒川社長と奥田さんはみごとに、エベレスト登頂!
どうぞ無事に安全圏まで降りていてください。
平出さんは一足早く帰国し、デナリで活躍中ですね。
皆さん、いい山登りをして、元気に帰ってきてくださいね!

なお、『THE EARTH』は、石井各店の店頭で配布。来月には『夏山JOY』にも収録される予定です。

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アレクシス、シャモニーへ

ちょうど2週間前の深夜、羽田で出迎えたENSA(フランス国立スキー登山学校)教官であり国際山岳ガイド、そして若くして国際山岳ガイド連盟の技術委員長を務めたキャリアをもつ、アレクシス・マーロンが、日本山岳ガイド協会の3つの講習を終え、本日の深夜便でシャモニーへと帰国。
 
今朝3時に涸沢小屋を出て、北尾根からダイレクトルンゼを岳沢に向けて下り、上高地に下山。そのままあずさに乗って新宿までやってきたアレクシスを出迎えた。
羽田までの見送りとその前には、インタビューの続きも。
 
かつて私は、山岳ガイドのインタビュー連載をやったことがあり(その顔ぶれはココ)彼らを含む何人ものガイドたちと、幸運にもその後も一緒に時間を過ごすことが多く、彼らのガイドとしての生き方や姿勢に触れてきた。
今晩、アレクシスの話を聞き、そんな彼らこそ、アレクシスと話をしたかっただろう、私とは違う次元の話ができただろうと思った。またカテゴリ問わず、日本のもっと多くのガイドたちがアレクシスのフィロソフィーに触れる機会があったら、どんなによかっただろうと思った。
 
「尊敬するガイドは?」という質問に、隣をみて「ヒロのような人だよ」と答えた。通訳などインタビューを全面的にサポートしてくれた石坂博文さんのことだ。「それはどういう意味かというとね……」と続けた話が、また心に沁みた。
山岳ガイドというのは、どうあるべきなのか、どういった職業なのか、その本質を教えてもらった。
 
写真は、インタビューを全面的にサポートしてくれた近藤謙司さんと石坂博文さん、そしてアレクシス。
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2017年5月22日 (月)

テントむし山旅@明神ヶ岳 5/20・21

土曜日午前は、大雄山駅近くのレクチャールームで、テント泊の装備全般やパッキングのお話。その後、「花咲く里山」に移動し、ご好意で貸していただいたハーブ畑にてみんなでテント設営。
ヶ岳山頂4班に分かれてカレーを作りました。
私たちの班は、畑から摘んだハーブをふんだんに使う作戦。ベーコンはローズマリーとレモンバームで風味をつけ、なんとミントライスというのにしてみました。濃い味はつかないけれど、香りが爽やか。ミントは消化促進作用もあるというので、よいのでは。カレーの具はよく炒めたあと、少量の水で蒸してから煮込むという丁寧なプロセス。おかげでジャガイモがほっかほかでした!

日曜日は、明神ヶ岳の明神水のちょっと先まで往復。10キロを超えた荷物を背負ったのは初めてという方々ばかり、夏のような暑さでしたが、元気に降りてきました!

今回は、参加者22人、スタッフはAdventure Divasのポーリン+ハリーさんと私のフルメンバー。賑やかな顔ぶれで。レクチャールーム、テント場、登りながら、それぞれの時間と場所で、「テント泊」についてレクチャーしながら、学び知ってもらい、経験してもらう登山となりました。
ご参加の皆さん、ありがとうございました!

次回の「テントむし山旅」は、6/3・4の硫黄岳です。初日早めに赤岳鉱泉のテント場に到着するので、
・登山計画の立て方
・アクシデントに備える術
について、みんなで話し合いながら考えていきます。
翌日は、硫黄岳に登りましょう!
初めての方もウェルカムです。
申込みはコチラ→
https://www.adventure-divas.com/trips/tentomushi/

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2017年5月 8日 (月)

空気の肌触りと風の匂い

旅の終わりに、むりくり立ち寄った。
久しぶりにこの国に来て、素通りなんて、ぜったいにできない。
「せめて、3日ぐらいは泊まっていけばいいのに」と言われながら、1晩だけ、24時間足らず。

旅の記憶は、その土地に住む人々や食べ物、景色、そして何よりもそこで出会った友人、彼らと一緒に経験した数々のことにある。
でも、そんなじゃなくて、もっと本能的なところにも、記憶のかけらはたくさん埋まっている。
肌にまとわりつく空気の感触、風が運んでくるその土地の匂い。
思い出たくさんの街のいちばんのところへ。
ダージリンからタライへと降りていく途中に、ふたつの川が出合い、そこに伝説がある土地があったけれど、ここもまた、ふたつの川が交わる眺め。こっちは、中国内陸部の大都会でまったく違う眺めだけれど、そんな土地に不思議と縁がある。

15年も経てば、互いの身にはいろんなことが起こり、歳を取って、先のことが少しわかるようになる。相手に余計な期待もしなくなり、しかるべきところに落ち着く。
若いころは、自我も強くケンカもたくさんしたけれど、いまはもっと思いやりをもって、互いのことを案じて、大切に思えるようになる。
好朋友は、老朋友へ。これからも、互いの人生を温かく見守っていけそう。
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2017年5月 2日 (火)

深夜のチャット

かつて取材をした方々に、ご挨拶をして回る日々。
途中まで、年賀状のやり取りがあった方々もいらっしゃったけれど、私の筆不精もあり、10年経つと、途切れ途切れに。
どうやって連絡を取ろうか考えながら、今晩はとうとう、いっつもお世話になっている山岳ガイドさんへ連絡して相談。GW前で忙しいのを承知で、無理くり。

深夜のチャットで、ほかの仕事の相談も交えながら、連絡先を尋ねると、そのうちのおひとりが亡くなっていたことを知らされた。
ガイドの彼も、半年近く経った最近知ったということで、ひっそりと静かにお亡くなりなったのか。
辛いインタビューを何度も繰り返しお付き合いいただきながらも、いっさいの取材が終わった後は、懇意にしてくださり、なにかの折にはまめに葉書をくださった。だというのに、私は3通に1通ぐらいしか、便りもせず。
 
彼に繰り返し繰り返しインタビューしたことが、今回また、次の実を結び始めている。
できれば、これからの私の仕事もみてもらいたかった。
いまとなっては次の仕事を、このお世話になった方に捧げる本にすることぐらいしかできず、もうひと頑張り。
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2017年5月 1日 (月)

タケノコは1日勝負

ときどき、実家の庭に遊びに来てくれる夫婦がいる。
私と一緒に行くときもあれば、「今日、行ってくるわ」と一本電話があるときもある。
夏みかんに柚子、桑の実、茗荷、梅、蕗の薹に蕗、野蒜、月桂樹の葉や山椒など、好きなものを採っていく。
おそらく、世界にその名を残したクライマーであり、最近は林業の仕事も手伝っているというだけあり、高いところに登るのは得意で、大木の枝打ちをしてくれたり、庭の世話までしてくれ、とってもありがたい。
 
先日は、その夫婦のお父さんから写真付きのメールが届いた。
お父さんは、ウチの夏みかんの味を好きになってくれて、彼もいっしょに時々やってくるのだ。
「カシワさんが狙っていたなら、ごめんなさい。いただきました」と8本のタケノコに、フキや野蒜が写っていて、大いに笑った。
さっそく返信したあと、友人夫婦にも電話をすると、「たぶんあと数本は採れるんじゃない」と。
2日後には彼女の予言通り、3本採れた。
 
「雨後の筍」とはよくいったもので、天候にもよるが、タケノコは1日で日がずれると、ぐんぐん伸びちゃってダメになったりする。
ウチの実家からおよそ3時間のドライブになる遠くに住みながら、よくぞいいタイミングでタケノコを採っていったものだと、その臭覚に感心。
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2017年4月28日 (金)

『週末、自然さんぽ』

仲川希良さんが表紙の『週末、自然さんぽ』(JTBパブリッシ
ング・920円)。
都心の緑からアルプスの森まで、「関東」だけでなく信州もカバー。その土地の魅力やハイキンググッズ、キャンプクッキングなど。
ごく短いコラムに、3本のお勧めルートを書きました。「山麓のお勧めも、ぜひ」と編集者にいわれ、私がいつも立ち寄る温泉や店も紹介。なかには、山麓の村で友人が経営する珈琲屋さんとパン屋さんも。ホントはもう1軒どうしても、おばんざい屋さんも入れたかったのだけれど。
ほかにも、エディター、スタイリスト、写真家さん達のお勧めが並んでいます。
いまの季節、東京はカラっと乾いた空気でとっても気持ちよく、信州は残雪の躍動感ある山を背景に森も新芽が出始めていて、どこもいい空気。
よかったら、旅のおともに1冊を。
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丁寧なお料理と巡る食べ物

ちょっと前のこと。
山に行く前夜も、当日朝も、時間がつくれないスケジュールだったのだけれど、どうしてもだし巻き卵をもっていきたいと考えていた。
山の先輩がいつも、だし巻き卵を作って持ってきてくれていたのだけれど、その彼女と一緒に山に登ることは、もうかなわなくなってしまったので、彼女を偲んで、作っていこうと思ったのだ。
卵15個分のだし巻き卵を作るには、相応の時間がかかった。
時間のないなかやるべき作業ではなく、だし巻き卵が冷め切らないうちに、ラップにくるみ、小さな段ボール箱に入れて、ザックのなかへ。

小雨の降る日で、立ち休みばかりで歩いたので、帰路のバスで、みんなに食べてもらおうとザックから出したら……形が崩れ始めていた。
キッチリ冷ましてから、パッキングしないとダメなんだ。
料理をする人だったら作りなれているだろうだし巻き卵だって、慌て作るモノではない。きっと先輩の彼女も、毎月の山の前夜、丁寧に作って、冷まして、タッパーウエアに詰めてくれていたんだろうなあと、思い、反省した。
 
昨日のこと。
笹川の友人宅を出るとき、隣の谷の入善出身の山の先輩がいるんだと話したら、「じゃ、宮崎のワカメをもっていってあげて」と塩漬けにした、ワカメを幾種類ももたせてくれた。
今朝、仕事前に都内の先輩宅によって、ワカメを手渡すと、入善からたくさん届いていた山菜とお茶を出してくれた。「田舎のお茶請けみたいでしょう」と。
こごみもわらびも、富山らしく昆布〆だった。
帰り際には、富山の美味しいお米やかまぼこや大福や、先輩がつくったお菓子のあれこれも持たせてくれた。

これも、私が朝に立ち寄るからって、手間暇かけて用意しておいたくれたのだなあと思うと、とてもありがたい。

あちこちからたくさんの頂きものをして、ウチの庭でも、フキもタケノコもノビルも採れた。
ありがたい春。

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2017年4月24日 (月)

ゲラを読む体力

書き手や編集者にとって必要な能力のひとつに、「読む力」があるのは間違いない。読む力がなければ、書けない。

かれこれ10年近く前になるが、単行本を校了する日のことが忘れられない。
担当編集者と、編集部で夜通しゲラを読み続けた。
私よりもはるかにキャリアがあるから、当然といえば当然かもしれないが、圧倒的に読むのが早かった。早いだけでなく、修正すべき点をもらさずに拾い上げてきた。
それも「読む力」のひとつである。
つくづく、私はまだまだだと思ったときだった。
 
そして今ならさらにわかる。私よりも一回り以上年上であるから、当時でも今の私よりも年上だ。歳をとると、集中力を持続できる時間が短くなる。読むにも体力が要るし、集中力を持続するにも体力が要る。
その編集者は、いつも昼休みに編集部の周辺をジョギングしていて、抜群に体力のある方だったが、それにしても、あのときの集中力はすごかったなあと、今でも思う。
久しぶりに、本一冊のゲラを抱え上げ、「この紙の重さが好きなんだよな」と悠長なことなど言っていらない。
数百ページに及ぶ分厚い翻訳本上下巻のゲラを読み通したのは、そういえば2年前のいま頃か。
ゲラを読む力、集中し続ける力を、出さなければならないけれど、どうやって力を出すのかちょっと忘れてしまった。ゲラを読み始めて、ようやく思い出し、エンジンがかかり始めたところ。
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テントむし山旅プロジェクト@弘法山

これからテント泊を始める方々を対象に、テント泊の道具の説明やテント設営などについて話したり、実践したりしながら、山歩き。
参加者13人と、北村ポーリン+私で賑やかなスタートとなりました♪ 弘法山は10日も経つと、葉桜になり、林床の花の顔ぶれも移り変わっていました。

次回は、5/21-22の明神ヶ岳です!
今年は、「世界の山のある街のお菓子シリーズ」と題して、色んな国のお菓子をお持ちできるようにしようかなって思っています。今回は、シャモニーの街で食べたフランを作ってみました。次回は、アイガーのあるグリンデルワルドか、ヒマラヤをかかえるチベットの仏教菓子か、考え中です。

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2017年4月17日 (月)

DVD『UTMF2016』を観る ~サンゲ・シェルパ

たへんたいへん遅ればせながら、『UTMF2016』のDVDを観た。
昨年9月に開催されてもので、私は現地へ行き、Advenutre Divasで招聘したサンゲ・シェルパ(ネパール出身、フランス在住)を取材したり、レースの翌々日には東京で、サンゲを招いて公開インタビューのようなトークライブを開催した。
ジャケットデザインにあるように、雨、雨、雨のレースだった。
その全容や選手たちの頑張り、スタッフ達の苦悩など、あらためて見渡せるような映像だった。
そして、サンゲが、レースを心底楽しんでいる様子や、エイドステーションの度に郷土料理を味わっている姿も沢山映し出され、ホントにサンゲは朗らかだなあと思った。
それは彼の気質であり、彼のレーサーとしての強さでもあった。
 
DVDには、東京・さかいやで開催したサンゲのトークライブの様子も収められていた。
レース中に折れたポールで、サンゲが横笛を作り、ネパール国民の愛唱歌「レッサムフィリリ」を吹いている。
シェルパは横笛が好きで、たけで手作りしたり、いつも愉し気に吹いている。サンゲにきくと、彼自身は放牧に出かけた時によく吹いていたと話していた。
「レッサムフィリリ」は、ネパール人によくよく親しまれている歌である。ネパールは多民族国家であり、歌詞は公用語であるネワール語のほか、色んな民族の歌詞が沢山ある(私もとても全部は聴いたことがない!)。
どの歌詞も、ネパールという土地、自分たちの民族、家族、愛する人たちを思い歌ったものだ。
 
そんな「レッサムフィリリ」の曲を載せて、スタッフの方々がUTMF1週間後にコース整備をしていた様子が、DVDの最後におさめられていた。
雨水が引くと、コースがどれほど大変なことになっていたのか改めてわかることもあったし、選手とスタッフ皆さんの思いが詰まっていて、そんな心情が「レッサムフィリリ」の音色に、なんだかぴったりだった。
 
*トークライブで、サンゲが奏でてくれたのは、次の2曲。
・「レッサムフィリリ」

・曲名不明
どんな曲なのかサンゲに尋ねると、「少し哀しい曲」と。
遠くに働きに出たお父さんが、残してきた家族のことを思って歌ったもの。「モンスーンになったけれど、屋根から雨漏りはないか」とか、そんな(かなり具体的な)歌詞があるそうだ。
シェルパは、ヒマラヤの黄金時代を支えたころからずっと、いわゆる出稼ぎ民族だった、そして今でも(と思う)。他国、他のカルチャー、他民族のところへいって働き、生きてくというたくましさや幅をもった民族。だから、この歌もシェルパの歌なのかと思ったけれど、ネパリだそう。
こんな選曲も、彼らしい。
 
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2017年4月10日 (月)

お得な同期

体育会は年功序列が厳しいとか、それは生年ではなく入学年、いや入部した年によるとか、色いろ言われるけれど。そしてそれが、大学を卒業してはるか経っても、根付いていくともいわれるけれど。ネガティブな意味ではないと思う。
先日の酒の席で私が、「先輩は後輩を選べませんものねー」と言ったら、「部下は上司を選べないって、会社入って思ったよ」と返されたけれど、それほどお世話になった存在だから、やっぱり先輩は先輩なんだ、何十年経っても。
 
けれど、ちょっとお得なコトもある。
私の場合、一年遅れて入学したから、同期はひとつ年下。同い年はひとつ上の先輩たちだった。そのせいか、あるいはこちらの一方的感覚かわからないれど、ひとつ上の先輩たちも、なんだかミョーに近しい存在だと感じている。
当時の同期は、ちょっとライバルちっくなところもあるが、それとはまた違う感覚。けれどやっぱりひとつ上の先輩たちが話す様子をみていると、同期は彼ら同士であって、私は同期じゃないんだなとも思ったり。
たった4年間の間に確立された関係だというのに、それがそのまま続くのも、なかなかないことだ。
 
翌朝、実家の庭からとってきたカメリアが一輪、床に落ちていた。
友だちが来る日まで、もつかなあ。
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2017年4月 7日 (金)

ISG石井スポーツ エベレスト&ローツェ登山隊2017

4月3日、「ISG石井スポーツ エベレスト&ローツェ登山隊2017」の記者会見と壮行会があり、司会をさせていただいた。
90人以上の方々が集まる賑やかな会。登山隊のメンバーは荒川勉社長、奥田仁一さん、平出和也さんの3人。
昨年10月に社長に就任した、いわゆる「たたき上げ」の荒川新社長の素顔や、なんでエベレストだけでなくローツェまで?っていう話、最年少の平出さんのあっぱれな発言など、私も来月発行の『THE EARTH』に書いたので、ご覧ください。
今日ご来場のプレスの方々も、あちこちに書いてくださると思います。
荒川社長の芯の強さがどこにあるのか、長年登り続けてきた奥田さんと平出さんがどんだけカッコいいのか、この肉声をホントは多くの方々に直接聞いていただきたかったほど、今日はとってもいい会だった。

また、ロストアロー社長でもある坂下直枝さんが、乾杯の挨拶の時、ビジネスマンが遠征に出かける際のふたつのポイントを、ご自身の経験に基づいて話していたのも印象的だった。
彼がご自身の登山を語るときに、「隔絶感」という言葉をよく使ってきたと(私は)思yが、そういう隔絶された場所だからこそできる、人間の思考について。
マジックマウンテンの国井治社長は、まったくべつのはなむけを差し出していた。
長年、ビジネスと登山を両立されてきたおふたりの重みのある言葉だった。
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Women's Sikimo Project @ AKIMAMA

「AKIMAMA」というアウトドアにフォーカスしたwebサイトに、「Women's Skimo Project」について書きました。

シャモニーからターニャ達がやってきて、白馬と北海道・東川で女性のスキーヤーたちと交流した話です。
Skimoって、日本では山岳スキーレースのイメージが強いですが、ターニャ達に尋ねたら、山岳エリアでおこなうスキー全般を指すのだと。

写真は、赤井川のニキータこと、二木亜矢子さんです!
すっごく雰囲気のある写真を撮る方です。
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                                 Photo by Ayako NIKI

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  • ✾登山ガイドについて✾
    現在、MJリンクのサポーターやテントむし山旅プロジェクトbyAdventureDivasのガイドなどで活動しておりますが、このほかに個人ガイドをご希望の方は、下記「メール送信」をクリックの上、お問い合わせください。内容など、ご相談の上、実施したいと思います。

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