2018年9月 3日 (月)

日ごろ、自然

早めに仕事を終えて読書をしていると、いつもお世話になっている山岳ガイドさんから電話。
「面白い人たちが集まっているから、出てきてくださいよ」と。

スノースポーツのオリンピアンや山岳ガイド達が大勢暮らすこの土地で、そんな集まりに行くと、私以外全員が、スキーやスノーボードの選手、元選手、山岳ガイドなんてことは、よくある話。昨晩もそんな顔ぶれだった。

店に着くなり、「今日は釣りの話は禁止だから」と言われた。
おそらく、釣りだけでなく、山菜もキノコの話も禁止であろう、その理由には、思わず笑ってしまう。釣りの話をし始めると、みなが自分の釣りについて語ることに熱血して、収拾がつかなくなるからだ。
そういえば、数日前の夜、わざわざアオリイカを釣ってから、夕食の場に来てくれた方がいて、それは皆の口に入ると、小さな一切れだったけれど、とっても嬉しく美味しかったことを思い出した。けれどそんなほのぼのした話も、厳禁。

初めてお会いしたその方は、かつてモーグル選手として華々しい活動をしたと聞いている。「結局、俺たちみたいに釣りが好きで、キノコや山菜を採りに山に入るヤツが、その後もスキーを続けているんだよね」と。エリートスキーヤー達を多く輩出しているこの村で、小さい頃からスキー板を履いていて、その中からさらに能力の高い人は地元の高校スキー部に入る。その後、大学でもスキー部に入り、選手活動を続ける。
けれど、選手を引退したあと、スキーを続ける人は少ないそうだ。
選手にならなかった人たちで、スキーに親しむ人も少ないという。

山を滑ろうが、ゲレンデで競技をしようが、天から降る雪と積もり積もった雪からのメッセージを受け取り滑っている。自然にどれほど自分自身が露出されるか、その度合いはそれぞれであるけれど。
そうなれば、彼が言うように、釣りやキノコや山菜採りが好きだというのと、自然とふれあって滑ることが好きなのには共通点があり、そんな人たちこそ、長くスキーが続けたいと思うのかもしれない。

「スキーは生活のすべてではなくて、生活の一部だから」とも言っていた。
長く続けたからこそ、人生のすべてがスキーなのではなく、人生を形作ってきたワンピースがスキーと実感するのかもしれない。

店を出て、夜道を歩いているとうすら寒く、薄手のフリースを着込んだ。
そろそろ山にはキノコも出てくる。次の飲み会では、キノコの話は禁止となり、そしてキノコの話をするんだろうなあ。

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2018年8月18日 (土)

ヤマケイオンライン連載「雨の山を楽しむ」最終回~お手入れについて

連載「GORE-TEX 雨の山を楽しむ」最終回は、GORE-TEXのレインウエアや登山靴のメンテナンスについて、です。

コチラからどうぞ。

7月はカラカラで、晴天続きの山だったけれど、ここにきて台風や上空の寒気やらに悩まされ、雨の日も。あのままの雨量だったら、農作物も困っただろうし、恵みの雨。しかし登山については、予定を変えなければならないことも続いています。
ルートや日程を変更しても、行先は変わっても、ゴールは変わっても(ピークを踏めなくても)、山のなかで過ごす時間は素晴らしいなあ、と思います。
そんなこんなで、最近はレインウエアを洗う回数も増えてきました。
お手入れの前に、ぜひご一読いただき、洗濯方法などを確認ください。
ページ下までスクロールしてもらうと、バックナンバーへのリンクもあります。
第1回 横尾山荘:山田直さんインタビュー 

第2回 GORE-TEXの歩みとフロントランナーとしての信頼 
第3回 ザ・ノース・フェイス:大坪岳人さん~クライムライトジャケット開発ストーリー 
第4回 モンベル:真崎文明さん+三枝弘士さん~ストームクルーザー開発ストーリー 

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2018年8月16日 (木)

鉄道の旅

「移動が多くて、たいへんでしょう」「どこでもドアが欲しくならない?」とは、よく言われること。
たしかに「移動」が疲れないと言えば嘘になる。歳とともに疲れやすくもなっている。けれど、どこでもドアが欲しいと思ったことはない。それじゃあ、「移動」にならない。旅をすることは、好きだ。

北海道には、飛行機で行く。羽田や成田から、千歳、旭川、女満別などに飛ぶ。
けれど、先日は違った。
2泊3日の予定で、ニセコを訪れた。打ち合わせやインタビューのためだ。
台風の動きは気になっていたけれど、2日目の昼のブレイクのときには、まだ情報は入っていなかった。夕方、仕事に一区切りがつき、メールボックスを開くと、翌日搭乗予定のフライトがキャンセルになっていた。今回使う航空会社については、今日も明日も全便キャンセル。
これはちょっと厄介だな、と思い、帰京する手立てを取り直すことにした。

ほかのおふたりは、「集中して、チケット取りしたほうがいいよ」「大手のフライトの早い便から順にブッキングしたほうがいい」など、実に旅慣れた人らしい発言を残し、夕ご飯用のワインを買いに出た。

調べてみると、その時点では、ANAもJALも(つまり、大手)、弱気な発言をしていた。LCCは全滅。台風の歩みは遅くなる傾向にあった。たとえ、夕刻にフライトが復活しても、「機体がまわらない」など言いだしそうだ。
比して、JR北海道はもちろん、東日本も通常運転を予定しているという案内。ちなみに、高速バスには断りの案内があった。

どうしても翌日には帰宅しなければならなかったので、すぐにノートパソコンをオフにして、20分後には、倶知安の駅から在来線に乗った。これに乗車さえすれば、その日のうちに本州に渡れるので、あとはどうにでもなると考えた。ワインを買いに行ってくれたふたりには、電話を入れて。

倶知安駅から長万部駅まで、函館本線を往く。
あっという間に日が暮れて、外は漆黒の森であったが、尻別川が流れている様子が分かり、峠からぐいぐい標高を下げていった。

長万部駅での待ち時間は20分強。ココで夕食を済ませないと、食いっぱぐれるな、と思ったけれど、駅前は閑散。唯一開いていたのがホルモン焼きの店。この暖簾の向こうには、どんな店が広がっているのだろうと好奇心もあったけれど、20分では食べられないと諦めた。

特急スーパー北斗に乗り、新函館北斗駅へ。ここから北海道新幹線「はやて」で青函トンネルを渡って、本州へ。
ここまでは、まったく初めて乗車する路線だった。

新青森駅近くにはホテルはないので、青森駅まで戻って、投宿。
ここに来るまでの間に電話予約したのだが、当日夜に女性一人宿泊というのは、嫌がられるようで、10軒目でやっと予約が取れた。
コンビニで腹の足しになるものを買って、宿についたときには、12時を回っており、受付のいまどき珍しいほど場末感たっぷりな様相に、我ながら、笑った。

翌朝5時半前には宿を出て、再び新青森駅へ。そこからは勝手知ったる路線。午前中のうちに、東京の自宅に帰宅。
翌日からの仕事の準備をすることができた。

倶知安駅を出たのが夕方の6時過ぎ、自宅到着が翌日10時過ぎ。途中宿泊したことを含めて、16時間の旅。
年に何度かは訪れる北海道というのは、それぐらいの遠さだったのかと、旅の疲れと共に実感した。

初めて乗る列車は楽しく、車窓の風景は真っ暗でも、ワクワクした。
初めて降りる長万部の町は、夜でなにも観られなかったけれど、それでも新鮮で楽しかった。
やっぱり、鉄道の旅は楽しい。そしてやっぱり、どこでもドアが欲しいとは、ちっとも思わない。

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NHKラジオ「山カフェ」夏山スペシャル

7月17日に、NHKのアナウンサーである井田寛子さんと登った大菩薩嶺の様子が、NHKラジオ「山カフェ」でオンエアになりました。
ラジオの収録を山で? 山のラジオ番組? と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、山とラジオ、馴染むなあと思いました。
美しい山の映像が流れるのだけが、山の番組ではない。

実際に、この日の登山は、いつも以上に「音」に敏感になり、耳を傾ける1日でした。

そのせいかわかりませんが、いつもはたくさん写真を撮る私も、この日はたった1枚の写真しかありませんでした。それも、下山後、登山口に戻ってきたときに、空を仰いだものだけ。その分、「視ること」だけでなく「耳を傾けること」に注いでいたのでしょうか。

登山中は、鳥のさえずり、セミの声、川のせせらぎ、森を抜ける風の音、私たちの足音に、キュウリやモモやプラムをかじる音、いろんな音が、山にありました。

森の葉が風で揺れる音を、「乾いた音がする」と私が言ったら、井田さんが、「乾いた音ですか?」と、ちょっと不思議そうな顔をされました。


暑い暑い今年の夏、湿度もあり、真昼になると山に登るのもしんどい日もありましたが、不思議とこの日は、それほど暑さがひどくなく、湿り気も抜けてきたのか、そのときは、真夏とは思えない、乾いた音を感じたのです。

カエデやブナやミズナラ、ダケカンバ。色んな形の葉が重なって、風に揺れながら音を出していました。

そんな自然のなかの美しい音に比べると、私のヒョロヒョロとした変な声が聞き苦しくもあるのですが、今朝、ある方からメッセージをもらい、ちょっと救われました。
怪我をし、しばらくや山に登れないと。手術後の痛みで眠れない長い夜、山もお預けだし、聴くのも辛いかなと思ったけれど、オンデマンドを聴いてくださり、心が落ち着いたと。
そんなことを言ってくださる方が一人でもいれば、出演してよかったなあと思いました。

私の出演は、9時台の「ひろこの基礎登山」ですが、同じ9時台の空想登山も聞きごたえあるし、また小説家の唯川恵さんの出演、そしてオープニングには国際山岳ガイドの近藤謙司さんがツェルマットの街から出演しており、それぞれ楽しめます。
9/1まで、「聞き逃し配信」で聴くことができます。ぜひ、コチラからどうぞ。


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2018年8月 7日 (火)

ヤマケイオンライン連載「雨の山を楽しむ」Vol.4~mont-bell・ストームクルーザー

連載「GORE-TEX 雨の山を楽しむ」第4回は、モンベルの看板商品ストームクルーザーについて。
初代Mr.ストクルと二代目Mr.ストクル(と呼ばせてもらいました)である、真崎文明顧問と三枝弘士企画部課長にインタビューをしました。

なかでも、三枝さんの最後の言葉が印象的でした。
それは、平松葉子が「老舗」について書いていたことを思い起こすような言葉でした。老舗というのは、結果。私たちが老舗に抱く信頼感は、今日までたゆまず怠らず努力し続けてきた過程に対して抱く感情。
三枝さんに、今後のストクルについて尋ねると、驚くほどあっさりした答えが返ってきました。ただただ、目の前にあることをやるだけ、小さかろうが一歩ずつ前に進むだけ
それが、ストクルを形づくっているのだと思いました。

真崎顧問が、ストクル誕生をかけてアメリカのゴア社に通ったエピソードもご覧ください。

にしても、真崎顧問も三枝さんも、よく笑う笑う。満面の笑みの写真ばかり。その中にも、これまで真剣に仕事をし、キャリアを重ねてきた方の表情がうかがわれました。
そんな素敵なポートレートを撮ってくださったのは、杉木よしみさんです。
記事はコチラ

バックナンバー
Vol3    TNF大坪岳人さんに聞く クライムライトジャケット開発にかけた思い → コチラ 
Vol.2  GORE-TEXの歩みとフロントランナーとしての信頼性 → コチラ
Vol.1  横尾山荘:山田直さんインタビュー → コチラ
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2018年7月28日 (土)

平出和也「第二の登山人生に向けて、まっさらな状態に立ちかえる」@ドイター

ドイター・アンバサダーの平出和也さん インタビュー後編
「第二の登山人生に向けて、まっさらな状態に立ちかえる」


「まっさらな状態に立ちかえる」というのは、とても勇気のいることだと思います。これまで平出さんは、ことあるごとに、自分をリセットしてきたのだということがうかがい知れました。シスパーレはもちろん、たとえば、アマダブラムの救助のあと。
今夏、K2西壁の偵察に行ってきましたが、インタビューは出発前。偵察やその後のことについて話してくれました。
そして、冬の引きこもりの話もお聞きしました(笑)!


前編と合わせて、どうぞ。
・後編 → こちら
・前編 → こちら


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photo by Shispare Exp. 2017

2018年7月27日 (金)

祝いの便り

誕生日になると、必ず便りをくれる人がいる。
そのなかのひとりは、外国の友人。

もう10数年前のことだが、私はその年の誕生日を、長江の源流で迎えた。
友人と、その仲間たちでラフトを使って、川を下り、キャンプをしながら1週間ほどを過ごしていた。そこはチベット文化圏。とてもではないけれど、川を旅しなければ立ち寄れないだろう小さな集落やゴンパもあり、とても心に残る旅だった。
誕生日の夜は、なにがあったわけではないけれど、小さなたき火をして、心穏やかに過ごしたことを覚えている。

旅から成都に戻ったとき、一緒に旅した友人の弟であり、私の親友が出迎えてくれ、「スミコの誕生日は、どうやって過ごしたんだ?」と私たちに言った。私は、自分の誕生日のことをとくに言ってはおらず、友人も気づかなかったし、他の誰も知りもしなかったので、とくに何もなかった。
友人は、弟の言葉を聞いてハッとした顔をし、ものすごくすまなそうに、私に何度も謝った。
謝ることはないし、自分でも言わなかったのだし、だいいち、そんなコトだったら弟が教えておいてあげればいいじゃん、ぐらいのことを言って笑い飛ばした。

しかし、友人はそのことをずっと気にしていた。
せっかく、いい旅を一緒にしたのに、その時に祝えなかったことが、ほんとうに申し訳なかったと。
以来、必ず毎年欠かさず、便りをくれる。
親友であるはずの弟の方からは梨の礫だろうが。夏は彼らはとくに仕事が忙しく、旅に出ることも多いが、電波の届かない山奥へ出かける場合は、前もって、「この先、留守になるから、早いけれどメッセージを送るよ」と、律義に。

それは、電話だったり、メールだったり、最近はfacebookのウォールへの書き込みだったり。今年は、WeChatで届いた。
いまのようにfacebookやGoogleが誕生日を知らせてくれるもっと前の頃からのことで、こちらが恐縮するぐらい、それは欠かさない。
それを、素直に受けとることが友情であり、そしてなによりも嬉しく思う。

彼からメッセージを貰うたびに、私はあの夏の旅を思い出すし、友人の優しさに触れる。

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2018年7月26日 (木)

テントむし2年目の白馬岳

7/14~15は、テントむし山旅プロジェクト(Adventure Divas)で、白馬大池に2泊して白馬岳へ。入山は栂池から、3日目に蓮華温泉に下山して、温泉を楽しむというプラン。

昨夏も、同じ内容のもので実施したけれど、肝心の2日目の天候がすぐれず、三国境で引き返し。
ある程度の心づもりをして出発するわけだけれど、いざ、「ここまで。引き返します」と言ったとき、参加のみんなは何て言うかなあ、と思った。けれど、「無理する必要なし」「次が楽しみ」と言ってくれた。次が楽しみ、というのは嬉しかった。山は逃げないというのはウソで、山は逃げると思うけれど、でも無事帰れば、次はある。
無理ない範囲での、雨の稜線歩きは、ぜったいに濡らしてはならないものを守ることなど、いい経験にもなったようだ。

今年は、昨年参加の方々が早々に申し込んでくれ、キャンセル待ちになっていたし、これで晴れなったらどうしようと、思い悩む日々……いや、悩んでもどうにもならないことは、悩まない。
結果的には、これ以上ないというほどの快晴に恵まれ、夕立や雷もなく、3日間が終わった。
無事、元気に白馬岳に登れたし、展望も抜群。剱岳はカッコよく、笠ヶ岳は美しかった。鹿島槍を眺めては、ああ、雪がついたらさぞカッコいい姿になるのだなあと思ったり。昨冬滑った、山々をの眺めたり。

参加の皆さんも、それぞれの思いが山頂にあったようだ。
かつて縦走した山並みをずっと眺めていた方や、私よりもはるかに登山歴の長い方に、これまでの白馬岳について伺ったり。

3日間を終えた後、大池のテント場で仰ぎ見ていた上弦の月を、山麓から眺めた。ちょっと遠くに白馬三山も見えて、お月さまは、変わりなかった。
たった3日間の山の旅で、その後はそれぞれの日常に戻り、参加のみんなは、今晩、月夜を見上げるときはあったのかなあと思ったり、あんがい、登れなかった山登りも心に残るものだと、昨年を振り返ったり。


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2018年7月21日 (土)

ポートレート

ご一緒するのは、二度目。
前回は、30代前半のクライマーのポートレートを撮って下さった。
9月終わり、暑さが残るボルダーでのインタビュー。
本人は、インタビュー中に「いつまでも20代の気分」と語っていた。
彼が学生の頃から面識があるけれど、たしかに初対面の頃と変わらないフレッシュさがある。
けれど、インタビューを終えた日の夜、写真家から送られてきたアタリを100枚近く見ると、そこには、確実に歳を重ねた33歳の素顔があり、ハッとさせられた。

今回は、25年来の親友をインタビューした。
インタビューの場は騒がしく、人通りも多く、さぞ撮りにくかっただろうと思ったけれど、編集者がDorpboxに入れてきた写真は、そんなことは、まったくなく、鮮やかな作品ばかりだった。
それどころか、次々と写真を見るにつれて、なぜだか、泣けてきた。
ほんとうに、泣けてきた。

インタビューの内容は、友人のモノづくりについて。最後の言葉が心に残った。
もはや、彼らが作るものは「老舗」のそれだろうが、老舗だとか、ロングセラーだからとか、考えて作っているわけではない。日々、ただただ、よりよいものにしていこうと作っているだけ。毎日のその積み重ねが、ロングセラーとなる。

知り合ったのは、友人が学校を卒業し、いまの会社に入社したとき。四半世紀以上前。
その間、毎日毎日積み重ねてきたのだということを、インタビューで知り、そしてすっかり「おじさん」になった彼の顔に、その積み重ねがあらわれていて、それをリアルに写してくれた写真ばかりが、並んでいた。
だから、泣けてきた。

親友が親友をインタビューし、普段知らない彼の仕事ぶりに触れ、岩場でも山でも酒場でも見せない顔を見せた。初対面の写真家は、見たことなかったであろう、彼が積み重ねてきたものを写しとる。
だから、泣けてくる。

いったい、どんな感性で私のつたないインタビューを聞き、インタビュイーの表情を見ていたのだろう。すごい写真家さんだなあ、と思った。
感謝。
下の写真は、撮影いただいたものをパソコンの画面に映したときのもの。
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2018年7月20日 (金)

平出和也「バックパックの容量は、ひとつの覚悟」@ドイター

ドイターの輸入代理店である、イワタニ・プリムスのwebサイトに平出和也さんインタビューを書きました。タイトルは、「バックパックの容量は、ひとつの覚悟」。

ドイターとの出会いなど、バックパックのことを中心にお話いただいています。


本音を言うと、日ごろ、ガイドや執筆の仕事で、装備について尋ねられ、飽きてしまうことがあります。適した道具を選ぶことは大切であり当然だけれど、道具で山を登るわけではなく、道具は道具、それ以上でも以下でもない。そんなことを常々思うのですが、同じようなことを、平出さんも語ってくれました。
さらには、道具に宿る魂や、道具開発と自分自身の登山の関わりあいについても。

ミュンヘン郊外にあるドイター本社と密なるコミュニケーションをし、道具をもって登山家をサポートし続けてきた加茂卓也さんも登場します。

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2018年7月19日 (木)

ヤマケイオンライン連載「雨の山を楽しむ」Vol.3

連載「雨の山を楽しむ」。第3回は、ザ・ノース・フェイス(TNF)の大坪岳人さんをインタビューし、TNFの主軸アイテムである「クライムライトジャケット」の開発についてお聞きしました。

2015年に日本で開発された、GORE-TEXのC-KNIT™。これを搭載したウエアは、TNFとmont-bellが先駆けで開発・販売しました。その記者会見でお会いしたのが初めてでしたが、昨夏は、雪倉岳が望める登山道でも行き交いました。

登山のウエア開発に関わり続け12年。テストを重ね、現場からのフィードバックを吸い上げ、試行錯誤を繰り返しながら作っていく、その過程、周囲の方々とのコミュニケーションの話が、興味深かったです。

インタビュー記事は、コチラからどうぞ。

*クライムライトジャケットは、マイクログリッドパッカー搭載です*

バックナンバー

Vol.2  GORE-TEXの歩みとフロントランナーとしての信頼性 → コチラ
Vol.1 横尾山荘:山田直さんインタビュー → コチラ


Vol.4は、約2週間後、どうぞお楽しみに。

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山と山のはざまで

白馬岳周辺でのガイド登山を終え、翌日の大菩薩でのロケに備えて。

北アルプス山麓で、一晩過ごす。
のんびりするわけにもいかず、ガイド仕事の後片付けと、翌日の仕事の準備をする合間に、焼きそばととれたての夏野菜という贅沢なご飯を作ってもらって、共に食べながら、互いの話を。

病床にあるそれぞれの母親のことなど。時間はどんどん流れ、いまは過去になっていく。
難しいこともたくさんあるけれど、迷っていても仕方がなく、次へ次へとステップを踏み出す。
そんな友人の姿をみて、清々しいなあと思ったり。

デッキに出て、夜風に当たっていると、空に三日月が浮かんでいた。
昨晩まで、テントサイトで参加者のみんなと仰いだ月。
ガイド中のあれこれを、思い起こした。

参加のある一人が、「私にとっては、誰(←ガイド)と登るのかが、重要なんです」と言うのを聞いて、ハッとした。

登山ガイドの仕事をしているなかで、いただいたよろこびのひとつは、顧客に恵まれ、彼らからたくさんのことを教わったり、いい思いをさせてもらったり、色んなことを分けてもらうことだ。
けれど、考えてみると、友達を作りたくて山に登るのではなく、山が好きで山に登りたく続けてきたなかで、仲間ができた、というのと同じように、ガイドの仕事をしたくガイドを続けるなかで、結果的に顧客に恵まれ、彼らといい関係を築けるようなった、ということなのかと思う。

「私にとって、どのガイドと登るのかが重要」、ハッとさせられた一言だった。
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2018年7月 4日 (水)

ヤマケイオンライン連載「雨の山を楽しむ」Vol2

ヤマケイオンライン連載「雨の山を楽しむ」Vol.2
GORE-TEXの歩みとフロントランナーとしての信頼

 
山に登る人であれば誰もが知っているGORE-TEX。防水・透湿・防風性を兼ね備えたメンブレンとして、パイオニアでありそしてフロントランナー。揺るぎない信頼を得てきた理由、そのひとつは厳格なテストやアスリートたちからの細かなフィードバックにある、という話です。どうぞ。
 
Vol.2 → コチラ
Vol.1 横尾山荘:山田直さんインタビュー → コチラ

Vol.3は、ふたたびインタビューを予定しています。
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2018年7月 2日 (月)

テレビに映ったゲラから

ツィッターのタイムラインに、セブンルールというテレビ番組に校正・校閲者が取り上げられるという情報があった。テレビを持っていないので、オンデマンドで観ると、牟田郁子さんという校正・校閲者の仕事ぶりが紹介されていた。

書く仕事をしているため、校正・校閲の仕事は日常にあり、それほど珍しいものではない。
書き手にとってはなくてはならない存在であり、会う機会こそほとんどないけれど、ゲラに書き込まれた赤字に、校正・校閲者の顔が見えてくることすらある、身近な存在だ。

番組のなかで牟田さんが、大沢敏郎さんの『いきなおす、言葉』を手に取った。校正・校閲作業のなかで、参考となる書籍は片っ端から読むだろうから、なにが出てきてもおかしくはない。けれど、よりによって、大沢さんの本だ。
いったい彼女はいま、どんなゲラを校正・校閲しているのだろう、と画面に映し出されるゲラに目をやった。
すると、「寿識字学校」とか「長岡長一」という単語を見てとることができた。
これはいよいよ、このゲラが書籍になったときには、読まなければならない、と思った。

運のよいことに、牟田さんの連絡先を知ることができ、尋ねた。すると丁寧に教えてくださった。それが、『猫はしっぽでしゃべる』だった。
熊本にある橙書店の店主である方の書籍だと聞き、いったいどんな本なのだろう、と思った。須賀敦子の『コルシカ書店の仲間たち』のような本なのか、大沢さんのことは、どんな風に書いてあるのか、手に取り、ページをめくり、読み進め、たどり着くまでドキドキした。

故・大沢敏郎さんは、横浜の石川町駅近くにある大きなドヤ街真ん中で、寿識字学校というのをやっていた。
私はいまの仕事をする前、ユネスコの仕事をしており、識字教育の関係で大沢さんと知り合うようになった。私のいた職場の識字教育は、インドやネパール、バングラデシュ、タイ、カンボジア、アフリカなど識字率が低い国の教育支援であったが、日本国内にも存在する識字問題に触れる機会があったのだ。

寿識字学校に通ってきていた、長岡長一さんや梅沢小一さんの文章は、いまでもよく覚えている。圧倒されるものだった。ほかの人達の文章にも、いつも圧倒されていた。
彼らは、教育の機会を逸し、文字の読み書きに不便している大人たちだ。その彼らが書くつたない文章には、ものすごい力があった。
その力がどこから来るかは、ものすごく端的に言ってしまうと、書きたくても、書けなかった時間にためこんだ力であり、ほんとうに人に伝えたい気持ちなのだと思う。それは、並大抵の力ではなく、ほんとうに彼らの文章は、息をのむものだった。

そんな人たちの文章と、大沢さんはいつも丁寧に、そして真向から付き合っていた。
私のような者が、ときどき寿識字学校へ行き、彼らと一緒になって、作文をし、それこそくだらない、中味がなく薄っぺらい文章を書いても、それについても真剣に付き合ってくれた。

文章を書く動機付けとか、その根底に流れるものについて考えるとき、私は、寿識字学校のみんなと大沢さんのことを思い出す。
そして、彼らが書く文章を越えることは、一生できないのではないか、と思う。
書く仕事につまずいたとき、寿識字学校の文集『いきるちから』や、大沢さんの本を読み直そうと、いつも思っている。
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2018年7月 1日 (日)

山麓で迎える夏の始まり

毎年、ああ、夏になった。空気が入れ替わって、まさに今日から夏だ、と感じる日がある。
それをいつどこで感じたか、だいたい覚えているものだ。

あちこち出かけることが多いので、定点観測にはならず、だからその土地に住む人にとっては、「いいえ違う、この日よりも前に、季節が変わったんだ」「確実に空気が入れ替わったのは、その数日後」などあるかもしれない。
けれど、感覚は自分自身にしかなく、自分にとって、今年の夏が始まるのが、このとき、ということだ。

去年は、7月下旬、安曇野で過ごした日の明け方に、「いよいよ夏だ」と思った。
一昨年は、夏至のシャモニーの夜に思ったけれど、その数日後、イタリアに向けて移動する朝、「今日こそ」と思い直した。
その前の年は、小暑の朝の通勤路で「ああ、夏だ」と思った。

夜、夕食後に庭先に出ると、白馬三山は雲のなかだったけれど、満月から少しかけた月の周りに彩雲があり、日中よりもほんの少しだけ空気が乾き、「ああ、夏がやってくる」と思った。
短い山歩きだったけれど、久しぶりに北アルプスの尾根を登り、雪渓を渡りあがってくる風に、夏山の匂いがあった。
夕暮れ時、デッキのベンチに座り、山を眺めると、山にはまだ雪が残っていて、けれど緑も潤っていて、1年ぶりに夏の山に帰ってきたことが、とっても嬉しくなった。
田んぼからカエルの鳴き声が続き、涼しい風が部屋を通り、夏掛けの布団で眠る心地よさ。
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2018年6月28日 (木)

テントむし山旅@硫黄岳(6/23-24)

6/23-24は、テントむし@硫黄岳でした。
スタッフは、ハリーさん+柏。参加者は13人。
ばっちこと樺澤秀近さんがオブザーバー参加。

夕方からは冷え込み、調理中のガスボンベに霜がついたり、翌日稜線に出ると霜が降りていましたが、見事な晴れ、最高の展望。雪解けも花期も早いけれど、ダケカンバの芽がまだ柔らかかったり、ナナカマドの白い花が始まったばかりだったり、春の気配も残っていました。

テントむしがチカラを入れている山のご飯、夕食はポーリンのリクエストで(本人はアドベンチャーレース参戦中で不参加)、参鶏湯風ポトフ。

これは、私がテキトーに考えたレシピですが、あくまで参鶏湯「風」。
鶏肉、じゃが芋、人参などの野菜、もち米が入って、にんにく、ナツメ、クコの実、松の実も入れたお鍋。それぞれの出汁や風味に加えて、塩コショウ、鶏ガラスープで味付け。

朝食は、ハリーズベーカリーとドライフール本舗ハリーによる、ベーグルと手作りドライフルーツ。なかでもメロンは、感激の味だった。

かばっちは、Adventure Divasのトレランを担当していて、世界各地の砂漠や秘境と呼ばれる地域のトレランやアドベンチャーレースを巡っているひと。

忘年会の頃から、テントむしなどほかの種目のイベントにも参加したいと意思表示していたことを実現してくれて感謝。そして、大した話はできなかったけれど、彼の感想を読むなかで、色んな気づきや今後のことを考える機会を貰いました。異文化交流、いいね。

山登りにはたいへんなコト、慣れてもらうコトも多いけれど、テントむしでは、登る楽しさや歓びも共有していけたら、いいなと思います。

今回もまた、講習会場など、赤岳鉱泉にたいへんお世話になりました。大賑わいの週末に、ご丁寧に対応いただいて、ありがとうございます。

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『Family』(FUJITUSファミリ会)インタビュー連載

FUJITSUファミリ会の機関誌『Family』のインタビュー連載、1月から始まりこれにて終了。
富士通製情報通信システムのユーザー団体に配布されるもので、富士通の情報通信システムを使っている会社経営者が主な読者だそう。
「HUMAN HUMAN」という、人生が豊かに彩られるような趣味や文化、芸術、スポーツについて紹介するコーナーで、登山について。
 
経営者のなかには、日ごろのストレスや都会生活とは真逆にある山のなかで寛ぎたい人や、USでは以前から流行のセブンサミッツをコレクトする登山など、なにかと話題のよう。
どうであれ、また経営者に限らず、それが趣味と言えるものではなくても、なんでも、人生のうちで山に接する機会があったら、それはいいコトだと思う。

難しい条件もあり迷った仕事だったけれど、富士通と聞いてお引き受けした。前職のとき、故山本卓眞会長に、とてもとてもお世話になったからだ。

年に数回お会するだけだったけれど、釣り好きの彼が語る渓流の話は、いつも面白かった。道志の山間の流れを釣り上げたときのことや、鮎宿の話……清々しい風が吹いているような、そんな印象が残っている。
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ヒマラヤキャンプ報告会(杉本龍郎)

それから、約1週間後、今度は、杉本龍郎さんによるヒマラヤキャンプ報告会へ。
参加者のひとりだ。

彼の人柄がでた誠実な内容だった。
また、会場や聴衆の雰囲気が、主宰の花谷さんのときと、また一味ちがったものになるのも、それぞれの個性なのかと思う。

印象的だったのは、BCを撤収しアプローチする氷河を変えたときのこと。
チーム内で話し合い、いくつかのアイディアから選択していくのだけれど、「(それぞれについて)単純な選択肢ではなかった」と話していた。
もうひとつは、バックキャラバンのときの心情を想像しながら、自分がどんな山登りにしたいのか考えたという話。
最後には、どんなことが自分にとって、チームにとって核心となったか、また今後自分自身はどんな山登りをしたいのか、誠実に話をしていた。
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2018年6月25日 (月)

「ライフスタイルとしての山登りのすすめ」(花谷泰広)

10日ほど前のこと。

patagoniaアンバサダーが順繰りに繰り広げるスピーカーシリーズ、花谷泰広さんの「ライフスタイルとしての山登りのすすめ」へ行ってきた。


ヒマラヤキャンプ、七丈小屋経営、これらをツールとして今後、どのような「山」を登っていきたいか、という話。ここ数年ずっとぶれることなく、彼が突き進んでいる道について。

ポジティブな性格ゆえ、いつも明るく、順風満帆に見えるかもしれないが、本人は必死なのだと思う。あるいは、死にもの狂いとでも、言うか。


ヒマラヤキャンプの写真に、冬虫夏草採りが通ったカルカに向かう道中のものがあった。潤う緑の向こうに白いヒマルチュリとピーク29が連なる景色。メンバー達がヒマラヤの氷雪嶺を眺めている後姿が、シルエットになって写っていた。

BCを撤収し、アプローチする氷河を変えて、ハイキャンプに向かう途中の写真だそう。


この日は、ヒマラヤキャンプの次なるステージとして、老若男女誰もに向けたものを示していたが、その話の通り、一番若い聴衆はみどりちゃんだった。友人のお子さんで、小学生。

春にネパールのトレイルを歩いたばかりだから、「ネパール、おもしろかった?」と聞いたら、シェルパ語で1から10まで数えてくれた。お父さんが「ネパール語じゃなくてシェルパ語覚えちゃったんだ」と笑っていたけれど、シェルパ語は彼女になにか響くものがあったのかなあ、と想像。


色んな人に色んなインスピ―レーションがわきおこり、色んなきっかけになるのかなあと、そんな夜。

めったに弱音ははかないし、言い訳は絶対にしない。行動者は、いつでも潔い。


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夏至のころ

夏至のころ。

ドクターヘリに乗る知り合いの医師が、夏至がどういう日かについて書いていた。
「昼間の時間がいちばん長くなる日」であると。これは多くの人が理解していることだけれど、ドクターヘリに乗るまでは、「夏至=日の出がいちばん早く、日の入りがいちばん遅い」と勘違いしていたというのだ。
正確には、日の出がいちばん早いのは、夏至の1週間前、日の入りがいちばん遅いのは夏至の一週間後。

大きな山の山麓に住む友人は、夏至が来ると、あとは日が短くなっていくだけ、夏が始まる前に終わりを感じるような寂しさがある、冬への折り返しか、と話していた。
私もまったく同じことを、今年の夏至の日に感じていた。

どうしてそんなことを考えるのか。
大人になったので、夏が始まる前に、だいたい何が起こるのか予測でき、夏はあっという間に通り過ぎることも分かっているから、寂しい。単純に「夏が待ち遠しい」とは言えなくなってしまったのか。
冬に向かうというけれど、それよりも前に、先の冬に起きたいろんな出来事を消化しきれないままで、感情を冬に置き忘れてきてしまったから、やるせない気持ちになるのか。

友人は、山麓に住むようになって、夏至の寂しさ、複雑な思いを感じるようになったという。
山麓に住まない私には、その実感はないかもしれない。けれど、北欧やヨーロッパ、あるいは日本でも雪の降る土地で、夏至を迎えるのが、いちばん気持ちよい、と思うようになった。
今年は、ちょっと違ったけれど。

雪が降り、季節がはっきりとしている土地、夏は短いけれど、鮮やかにやってくる土地ではいっそう、夏至の日が輝くものとなるのかもしれない。ちょっぴり寂しい気持ちも加わりながら。

数年前、あるクライマーをインタビューしていて、緯度の高い土地に訪れる春が、どうしてそんなに素晴らしいのか、少しだけわかったことがあった。重く暗く閉ざされた長い冬を越え、待ちわびた季節の到来だから。もちろん、そんな心情もあるけれど、それだけではない。

クライマーの彼は、アラスカで登山を続けている人だった。
高緯度特有のぐいぐいと春がやってくる様子を、目を輝かせて語ってくれ、私も自分が旅した土地を思い出したし、山麓に住む友人達も、「ぐいぐい春がやってくるってよくわかる」と言っていた。

夏至もそんな季節の流れのなかにあり、鮮やかに移り変わっていく。
雪降る土地の夏至の空気感が懐かしくなり、いたたまれなくなった。早々に、山麓の友人達に会いに行くことにした。

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便り

もう少しでよいからうまく伝えたかったと思った、記事。
美しい文章でありたい、人を感動させたいとは考えないけれど、思いが伝わるように書きたいのに、うまく書けなかった思いが残った。
「もう1回でよいから、ゲラを出してもらいたかった」「そうすれば、もう少しうまく書けた」とか、言い訳はしたくない。
だから記事になるまでの過程を振り返って、あの時点でこうすれば、いい方向へいったのかもしれない。あの段階でもっと突っ込めば、もう一段階進めたのかもしれない、と考える。

原稿を書くのはライターだけれど、編集者や校閲者の作業が加わって、記事になる。
だから、自分の思い通りにだけ進めることもできない。
けれど、自分の思ったことを書きたいわけで、そのためにはどうしたらよいか。
毎日書き続けるために、振り返る。

おそるおそる開けた便りには、「よい内容だった」と書いてあり、少しだけホッとした。
いちばん読んでもらいたく、あるいはいちばん読んでもらうのが怖かった方から届いた便り。

少しだけ安心して、朝ご飯の準備。
味噌汁を作るとき、琺瑯の入れ物から味噌をすくい出す木べらは、北欧土産。これは、バターかチーズのナイフだよな、きっと。

さて、まったくどうしてよいかわからない、次の原稿に取り組もう。
前途多難。

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2018年6月23日 (土)

「雨の山を楽しむ」Vol.1 横尾山荘・山田直さん

ヤマケイオンライン連載「雨の山を楽しむ」Vol.1
横尾山荘・山田直さん


リードより。

「若き頃、登攀に憧れ穂高岳に通った青年は、やがて穂高山麓の山小屋の主人になった。人生のなかのいっときであれ、真剣に山と対峙した経験をもつ者は、いまや山小屋経営者として、まっこうから山に向き合う。そんな山田直さんにとって、登山のパートナーであり山に暮らす必需品でもあるGORE-TEXプロダクトとの出会いや思い出についてうかがった。」


webサイト、ぜひご覧ください。

ココ


以下の写真は私がパチパチ撮ったもの。サイトはカメラマンさんによるものです。連載の趣旨通り、雨の日のインタビューになりました。

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2018年6月18日 (月)

書評『バッグをザックに持ち替えて』

『バッグをザックに持ち替えて』(唯川恵著、光文社)の書評を、『山と溪谷』7月号に書いた。

「恋愛小説の騎手」と呼ばれる彼女が、登山について書いた3冊目の本であるエッセイ集。
ほかの2冊は、いずれも新聞小説を収録したもので、『一瞬でいい』と田部井淳子さんがモデルの『淳子のてっぺん』。

数年前にご縁をいただき(ということを編集部は知らずに、原稿依頼がきたのだけれど)、書き手としては雲の上の方。
私も、もう少しでよいから、上手に書きたかった。

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2018年6月15日 (金)

おにぎり五題

ひとつ。
真冬の朝、友人宅にて。
「今朝は、スミちゃんの好きそうな朝ご飯にしたよ」と。

愛知出身の彼ら夫婦のところに届いた知多半島赤味噌を使った味噌汁。
鰹と昆布出汁に、オホーツクの素干し海苔と三つ葉。
「味噌がいい仕事をしてくれただけだよ」なんて言うけれど、ものすごく美味しかった。
ふた口ほどいただいたあと、海苔が巻かれたおにぎりへ。
これがまた、ふっくらとして、びっくりするほど美味しくて、「すっごい美味しい」と言ったら、「手のひらに少しゴマ油を馴染ませたからかしら」と。
何気ない美味しさ。

ふたつ。
晩夏、友人の山小屋を手伝いにいき、ひとり下山する日。
入れ替わりに登ってくる小屋番の友人が「クマにあったよ」と連絡してきたので、気が進まなくなり、けれどそのアシで次の山に登りたかったから、いよいよタイムリミットで下りようと決めたとき。
「お昼食べていく? 時間ないよね。残り飯があるから、おにぎり握っていって」と。
下りたアシで登る次の山の行程も考え、思わず大きなおにぎりひとつ。
膝の上に載せてみたら、我ながらその大きさにびっくり。

甲斐の国自慢の武川米と、篠沢からくみ上げた美味しい水で炊いたご飯。
塩むすびは、美味しかった。

みっつ。
春の終わりのある夜。
同じ業界で働く同性の仲間とワイン食堂のカウンター。
フランスの塩をくださった。

中学でサッカー部に入る息子を持つ彼女は、毎日、昼ご飯と練習後に食べるおにぎりを握るそう。「ウチの塩の消費量は半端ないよ」と。そうか、米もだけれど、塩もか。朝練と放課後の練習で大汗かくだろうしな。
粒子の粗いこの塩でも、おにぎりを作ってみたくなった。

よっつ。
先日の日曜日。
小ぶりのおにぎりを3つもって山へ。
全部食べられるつもりだったけれど、お昼をとったところで、出汁巻き卵や夕べの残り物だという海老のおかずなど、周囲から差し出されるがままにあれこれいただいていると、お腹がいっぱいになった。

すると目の前のFさん、「柏さんは、どんなおにぎり作るの? ひとつ頂戴よ」と。
うっかり、どうぞと差し出してからちょっぴり慌てた。お料理上手の彼女に、こんなおにぎりでよかったのか。
玄米ご飯を、仕事仲間からもらった粗塩と、フレンチシェフの友達も使っていたから安心して「これは美味しいモノだ」と使い続けているゴマ油を手のひらにぬり、握って、それからいただきもののとろろ昆布をぐちゃって載せただけ。

いつつ。
週末にかけてアドベンチャーレースが行われる村にて。
友人が「花おにぎり」というエディブルフラワーをつかったおにぎりを、3回にわけて180個作らなければならないと。むろん、私が出る幕はない。
冬に赤味噌の味噌汁と一緒に私に出してくれた、あの絶品おにぎりの彼女。それはきっと、みんな大喜びだよ。

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2018年6月12日 (火)

DIRTBAGな人生

先々月のこと、USのクライマー、フレッド・ベッキーを描いた映画『DIRTBAG』を観に行った。
いつかインタビューしてみたい、その時、もし通訳を頼めるのだったら、彼しかいないと、日本のあるクライマーのことまで勝手に考えていたけれど、昨年亡くなった。
94歳まで、自由闊達に、気持ちの赴くまま登って登って、登った人生だから、本望であり、幸せな人生だったのではないかと、思っていた。
会ったこともなく、憧れだけが募る相手が、いったい映画のなかでどう描かれているのか、自分のなかで美化しているのはまちがいないし、だから映画を観るのが少し怖かった。

映画を観て、人間、いびつだって歪んでいたっていいんだ、と思った。
けれど、フレッドみたいに素直でありたいね、と思い、前半は泣けてきた。
後半部分では、彼が死ぬまで登り続ける姿に泣いた。

画面には、いきなり親友が出てきて、フレッドについて語っていてびっくりした。「知らなかった、教えてよ」って心のなかで呟いたし、彼もこの映画を観たら、笑ってそして、泣きたくなるだろうなあと想像した。

帰路、友人と夕食を食べるなか、私が、「彼は、愛すべき人物、愛したい人だなあ」と言うと、彼女は「ええ? 近くにいたら、やたら迷惑だよ」と。笑っていたけれど、けっこうホンキで言っていて、なるほど……確かに、愛すべきではないかもな、でも愛したい人だなあと思いなおした。

数日後、マウイから日本に戻ってきている岡崎友子さんと話す機会があった。
フレッドの会場でも会い、映画の話は簡単にしたのだけれど、その続き。
「幸せな人生だと思う」と言うと、友子さんは、それはどうかなあ、というようなことを言っていた。彼ほど突き詰めていく人生は、生きにくく、辛く、ひょっとしたらいい加減に生きた方が幸せかもしれない、というような話をしていた。

それを聞いて、私のようにいい加減な者は、フレッドの人生を幸せとしか感じられなかったのかもしれない、と思った。
上映後、周囲から「友子さんもDIRTBAGですよね」と言われていた彼女、彼女ほど真剣に、ひとつのことを突き詰めてきた人間からすると、フレッドの生きにくさがよくわかるのかもしれない。

さて、DIRTBAGという言葉、なかなか日本人には馴染まない単語のように思っていた。だいいち、日本語には訳しにくい。
けれど先日、ある日本の写真家が、アメリカのスキー雑誌で「DIRTBAG」と紹介されていることを、読んだ。
春に旅先でお会いした方で、物腰柔らかく、礼儀正しいその様子とDIRTBAGという単語がどうにも結びつかなかった。
周囲の記事を読み進めていくうち、やっと根っこの部分を垣間見た。

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2018年6月 9日 (土)

お見送り

駆け出しの頃からお世話になったカメラマン、川﨑博さんのお見送りへ。

数日前訃報を受け取ったのは、信州から帰京する車中であったが、その日の下山のとき、なぜか私は、しきりに川﨑さんのことを思い出していた。

ある年の1月、南八ヶ岳の稜線の小屋で、川﨑さんは、ザックを開けて楽しそうに、カメラの収納について、私に話した。プラスチック製のごみ箱を改良して、カメラのプロテクターを作り、それがザックの中に納まっていたのだ。

思うに、手慣れたカメラマンほど撮影は早く、カメラの出し入れは素早く、持ち物はシンプルだ。川﨑さんも、厳冬期のバリエーションルートの撮影に、最小限の装備でカメラも保護していた。

もうひとつ思い出したのは、あるインタビューについてだ。
ボタンの掛け違えのようなことが起こり、インタビューした記事を掲載できなくなってしまったのだ。
川﨑さんは、私のインタビューに付き合い、ある日の晩、池袋まで来てインタビュイーの方を撮影してくださったというのに。
ファックスが届き、掲載ができなくなったその直後に、私は川﨑さんに電話をした。
インタビュイーに、なんて返信をしてよいか戸惑うなか、ともかく、これ以上カメラマンに作業の負担をかけるわけにもいかないと思ったからだ。
一連のことを、ありのまま話し、お詫びをすると、幾つかの言葉で、私を励ましてくれた。
救われた。電話口で泣きそうになった。

今晩は、山に関連する大きな祝賀会があり、大先輩たちはじめ、200人以上の方々が全国から集っているはずだ。私は、それをいわゆる「ドタキャン」して、お見送りに参列した。
そんな選択をしたのは、むろん私だけではない。生きている方のお祝いは、またの機会にできるけれど、見送りは今日だけだ。
編集者、ライター、イラストレーター、メーカーやショップ経営者など、仲間たちが集まった。
祝賀会の版元編集者がいたのにはちょっと驚き、「こちらにいらっしゃったんですね」と声をかけると、「あっちは、大勢いるでしょう。それに若い社員もいるから、人手も足りているんですよ」と。

そんな我われから供えた花輪は、「山仲間一同」。
仕事の仲間であり、山の仲間であった。
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梅雨の晴れ間の打ち合わせ

晴れた日こそ、山に登りたいのだけれど、うまく周期を合わせられず、気持ちよい天気の日に東京で仕事。
暑いけれど、朝夕は涼しい風が吹いたり、真夏よりは少しだけ空気が乾いていて、気持ちよい。

編集者と写真家さんにお会いした。
「山をテーマにした写真家で、好きな人は?」と聞かれ、即答したのは、展覧会があれば必ず足を運ぶようにしている方。「好き」とはとても言えないほど、惹かれる。

「どんな滑りの人が好きなの?」とも聞かれ、スキーについてまったく素人であることと、昨シーズン一緒に滑った人のなかで、という断りをつけて、でも即答したのは、半世紀も滑っているという方。
そういえば、先日、ある友人と話していたとき、彼も、「俺も好きだな」と言っていた。

好きに理由はなく、ただカッコいいと思ったり、惹かれたりするのだと思う。

でも、一見、「なんだろう? 不思議」と思うような滑りだったり、きっと上手な類には入らない滑りであっても、だんだんとよく見えてきたり、こっそり後をついていくと、気持ちよく滑れるときもあったりする。
そういう味わい方もあるのかもなあと、思ったり。

スキーや雪の写真にも詳しいおふたりと話すなかで、自然のなかで、山のなかで、色んな意味でその環境に見合った、調和した滑りをしている人は、やっぱりいいなあと思うのかもしれない。
23区にも、緑を通り抜けた風が吹く場所が、ときどきある。
そんなところで、夕方、少し涼しくなってきてからの、会話。
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2018年6月 8日 (金)

先輩の山小屋へ

久しぶりに、大学山岳部時代の先輩である山田直さんが経営する横尾山荘にお世話になった。
同じ山岳部の先輩といえども、直さんは、在学時代から社会人山岳会で登っていたし、私が入学した頃には、既に卒業していたので、多くの接点があったわけではない。

けれど、私が大学山岳部に入った頃には、既に登攀から軸足を山小屋生活に移しつつある頃で、山小屋の仕事もしていた。
年に数回は、この山小屋を通過したり、またテントを張らせてもらうこともあったので、お目にかかることは多かった。

正直に言うと、恐れ多くて話をすることもできない雰囲気があった。
怖い先輩というのとは、少し違ったが、クライマーの厳格な雰囲気があり、おいそれと話しかけられなかったし、叱られたこともあった。
そんな彼と、色んな話ができるようになったのは、卒業して数年経ってからであり、この仕事を始めた頃からだろうか。

人生のなかのいっときであれ、クライマーとして真剣に濃密に山と対峙したことがある人が、山小屋を営むと、こういう風になるのだなあと、いつも考えさせられることがある。
山への向き合い方、取り組み方、接し方は、登山者それぞれであるが、山は人を分け隔てしないし、だからこそ、魅力があり、厳しい。

こと幅広い登山者を迎える、この地にあって、先輩はやっぱり変わらず、自分自身が厳しく山に対峙されているのだなあと、今回もまた、色んなことを学び、気づかされた。
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2018年6月 4日 (月)

ヌタプカウシペ、最初の出会い

旭岳山麓のヌタプカウシペへ。
春菜さんにお別れし、真理子さんと話をしてきた。

最初の出会いというのは、とても大切だ。
私の場合、旭岳における最初の出会いは、ヌタプカウシペの春菜夫妻だった。
初めて東川町を訪れ、冬の旭岳に登ったのは、15年以上近く前のことだ。
なぜ、ヌタプを訪ねたのかは忘れてしまった。
モンベルの昔のカタログにあったロッジの写真が印象的だったのか、あるいは偶然だったのか。

けれどじつは、数年間は春菜夫妻とは大した話もせず、ただ泊まらせてもらっていた。
毎朝、春菜さんがクロカンコースの整備に出るのは知っていたが、それがどういうことかもわかっていなかった。
だんだんと話をするようになり、どうやって彼らがこの土地にやってきたか、どんな暮らしぶりであるのか、ちょこっとだけ知った。
それから何年も経って、クロカンをやるようになり、春菜さんってすっごい人だったのだと、やっとわかった。
手作りで始めた旭岳のクロカンコースは、いまやクロカン選手は誰もがお世話になる土地だ。
けれどわかったことは、クロカンに関わる者としてもだけでなく、登山や自然に関わる者としても、生活者としても、すっごい人だということだった。

初めての出会いが春菜夫妻だったことは、私が途切れることなく旭岳に通っている大きな要因だと思う。
つきることのない旭岳や東川町の自然の魅力を感じられるのは、知らず知らずのうちに、夫妻の目を通した景色を、私も見せてもらっていたからだと思う。

東川町のある祝賀会に招待いただいたときのことだった。
この時何が嬉しかったかって、席順が春菜さんの隣だったことだ。
春菜さんの席を訪ねてきたある男性が「”神々が遊ぶ庭”という言葉は、彼が最初に言ったんだよ」と教えてくれた。

大雪山を指すアイヌ語のカムイミンタラは、直訳すると”神の庭”。それを神々が遊ぶと表現した春菜さんは、やっぱりロマンチストだと思った。
旭岳連峰、大雪山をちょっと離れたところから望むと、ほんとうに神様が舞い降りてきて、遊んでいるように見えることがあるから、不思議だ。

この祝賀会の晩は、ヌタプに泊めてもらった。客は私しかいなく、春菜さんと遅くまで話をした思い出がある。

たくさん話さなくても、訪れるたびに心に残る小さな会話を積み重ねていける。
いっぺんに相手(人とか自然とか、山とか)と親しくなったり、いちどきにたくさん知らなくてもいいんだと思う。少しずつ相手のことを知っていく、近づいていく。

けれど、そういうことにも限りがある。

空港に迎えに来てくださったのは、長年東川町に住み、新聞記者退職後は町の歴史書の編纂などをしていらっしゃる西原さんだった。
車中、色んな話をするなか、この世に永遠はなく、生きる者も死にゆく者も留まることなく、流れゆく、というような話になった。

ヌタプに着くと、春菜さんは、私がいつも転寝をする日当たりのよい位置で、眠っていた。
お疲れであろう真理子さんが、春菜さんの最期を話してくださり、春の若葉とエゾヤマザクラの開花をみて、ヌタプで逝ったんだと知った。

帰路は、若者ふたりが空港に見送ってくれた。若者といっても、もう中堅どころか。
春菜さんの亡きあと、本格的にクロカンコースの整備を担当する方でもある。
やがて彼らの家族も空港に来てくれた。
みなに見送られ搭乗した、夜7時過ぎの機窓からは、薄花桜色に染まる空に、カムイミンタラが見渡せた。
もう、春菜さんは、あそこで遊んでいるのかもしれない。
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2018年6月 1日 (金)

山麓

ふとやっぱり、山間の土地に住みたくなるときがある。
いい風が吹いたとき、山が見えたとき、

今日は寒気の通過で、大気が安定せず。けれど、私が到着した頃には、五竜も白馬三山も見えた。残雪の山は躍動感があっていい。

友人達が集まるところへ行くと、雷の話で持ち切りだった。
あっという間に山が見えなくなり、雷が轟き始めたからだ。
標高700mほどあるこの村は、下界といえども、いわゆる都市とは違う。
北アルプスから吹き降ろす風の通り道は、ものすごい突風が吹くときがある。
雷も、電線や電柱に落ちるときもあり、家のなかに「熱」が入り、家電が壊れることも。

そんな話をしながら、薄手のウールのカーディガンがちょうどよい気温を、心地よく思う。

2018年5月29日 (火)

森林インストラクター養成講習スタート

今年も、(一社)森林レクリエーション協会の仕事が始まった。
秋までかけて、森林インストラクターを志している方々に向けて、「山の安全」という内容で講習などを行なう。

高校山岳部顧問を務めている男性が、休憩時間に質問があると声をかけてきた。質問には答えたが、高校生を山に引率するというのが、どれだけ大変な任務かと考えると、自分自身も高校山岳部で先生に彼方此方連れて行ってもらった身としては、応援せずにはいられない気持ちになった。

かつてガイドに来てくださった方も受講していた。勉強をしていらっしゃるのだと。

今年は、私のコマのあとに、橋谷晃さんの「企画の立て方」という講習があり、久しぶりにお会いできた。
かつて一緒に本を書いたり、何度かインタビューさせてもらったけれど、ここ数年はご無沙汰していた。

「田部井さんのお別れ会のとき、見かけたけれど、あの日はたいへんだったものね。話しかけずに帰ってきたよ」とおっしゃっていた。
ひとしきり、田部井さんの話をしたあと、「実は僕、会ったことがなかったんだよ」と。
NHK教育テレビの登山関連の番組では、田部井さんが講師のときも、橋谷さんになっても、テキストは私が書いていたが、まるでバトンを受け取るかのように橋谷さんに引き継がれていったので、てっきり面識があるのだと思っていた。
ついで、ほかの方の話もしながら、「こんな狭い業界だから、いつか会えると思っていると会いそこねちゃうね。柏さんはちゃんと会いたい人には、会いに行った方がいいよ」と助言くださった。

会いたいとか、ここに書いた記事は、じつは心の底ではこの方に読んでもらいたかったんだ、だから手紙を書いてみようとか、そんなことを考えながら実行していないことは幾つかある。

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