2017年10月20日 (金)

一年後に

「一年後に、またここで会おう」、というのはテレビドラマの世界に思うが、ちょうど一年後、「またあそこの店に行ってみない」と、友人を誘ってみた。
 
去年のいま頃、土曜の夜、初台のワインが並ぶ店で待ち合わせをしていた。私は山から下りてきた格好のままだったけれど、友人が山で出会った女性がやっているというので、ま、許されるだろうと。
待ち合わせの店に行く途中、幾つもの知らない番号から携帯が鳴り続けた。ほとんどが、マスコミからのもので、それによって、恩師の死を知った。
のちに友人が、「あれは天からの采配としか思えない」と言ったが、まさにそう。
彼女と一緒だったがために、私は足元がグラグラと崩れることなく、一夜を越すことができた。あの夜、ほかに誰と一緒にいたかったかと考えると、なにも浮かばない。
 
けっきょく、ひとつだけインタビューに答え、その原稿を読み、顔写真がほしいと言われそれを撮ってくれた方に使ってよいかと尋ね、そんな連絡をしたことしか思い出せない。
あとは、編集者でもある友人がインタビューのゲラを読んでくれたり。
私たちふたりは、なにを話していたのだろう。
とうぜん、電車はなくなり、店の閉店時間は過ぎ、どうやって帰ったのだったか。
 
一年後、同じ店を訪ねると、経営者の方針だということで、ワインではなく日本酒の旨い店になっていた。
自分の山登りについて、いったいいつまで話続けるんだろうっていうぐらい雄弁な彼女は、今日は休みだということだったが、閉店間際、店にやってきた。
そして、一年前のことを話すと、よく覚えていてくれた。
 
また来年、こんな夜をどこで過ごすのか。
どこかの山奥でもいいな。
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2017年10月19日 (木)

季節の変わり目

山の帰り、どうしても眠たくて、美味しいコーヒーをテイクアウトしてドライブに備えようと、友人夫妻が営むコーヒーの店に立ち寄り。北アルプスの山並みがクリアに見えて、これはご褒美だわ!って思いながら、カウンターでコーヒーを1杯、テイクアウト用のコーヒーを容器に1杯、淹れてもらい、飲んでいると。
「ほんとうに、帰るの?」コールがあちこちから起こり……ついうっかりの沈殿。
みんなで美味しい秋の味覚を楽しんで、翌早朝、自宅に向けて早起きをすると、山はガスの中だった。昨日、眺めた稜線をまざまざと思い出した。
 
途次、そういえば去年の今ごろ、ここに滞在しながら体調を崩し、あちこちの友人達に病院に連れて行ってもらったり、看病してもらったりしたんだと思い出した。
つぎの滞在のときは、必ずお礼を言おう。
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2017年10月18日 (水)

Air port MTGs

空港や東京駅、新宿駅、あるいはちょっとところ変えて松本駅、大阪駅のような移動のハブとなるようなところは、双方のタイミングさえ合えば、仕事の打ち合わせや友人とのお喋りタイムに便利。
先日も、出国や帰国が重なって、二日にわたって成田と羽田へ向かった。
成田には、repackingのエリアがあり、なんて便利なんだろうと、ココで出国前の大作業。

日帰り出張から羽田に戻り、ちょうどフライト待ちの友達と会いお茶をしたら、「すげえ疲れた顔しているね。歳をとると、こうやって疲れは顔に出るのか」としげしげと言われた。「このところたいへんだったもんねえ」というねぎらいの言葉はあったものの、これはヤバイ、お喋りなどしている場合ではないと、とっとと家に帰って、湯船につかりぐっすり寝た。
こういうときの指摘は、同性の友人よりもオトコ友達の方が正直かもしれない。

疲れ顔……もし仕事先の方にそれを感じさせてしまっていたとしたら、それは大反省だ。
あったかい湯船につかって、しっかり睡眠をとって、疲れは取りましょう。
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「大切な人を守るための応急処置の基礎知識」@『fam』

子どもとアウトドアを楽しむお父さん向け雑誌『fam』(三才ブックス 1000円+税)に、「"知っていることがいちばん大事" 大切な人を守るための応急処置の基礎知識」を書いた。
子どもを持った経験もなければ、とーさんになったコトもない。果たしてそんなで記事書けるのか? と思いましたが、優秀なフリーの編集者さんに助けられた。
 
監修はWMAJ(ウィルダネス メディカル アソシエーツ ジャパン)代表理事の横堀勇さん。
WMAJの本部は、アメリカにあるWMA(ウィルダネス メディカル アソシエーツ)。一般市民からアウトドアガイド、軍隊など政府間組織など様々な人たちに野外における救急法および災害時における救急法を講習している団体。
そのプログラムは、野外医療や救急医療を専門とする医師たちによってつくられている。またWMAやWMAJでリードインストラクターになるには、トレーニングを積むのはもちろんのこと、その前提として医療従事者、アウトドアガイド、教育者としての3つのキャリアが必要。
今回、監修してくださった横堀さんも、カナダでパラメディックの経験を、カナダと日本で山岳ガイド、教育者としてのキャリアを積んできた方だ。
このようなキャリアを持つ方に監修してもらえることは貴重。
 
今回の記事は、野外救急法あるいは、救急法というものについてこれまで接してこなかった方でもわかるような内容を心がけており、通常WMAJで講習している野外・災害時救急法の内容を大幅に省略した記事となる。
WMAJでは、人間の生命がなぜ維持さるかというメカニズムから習い、傷病者の「観察」と「評価」を重々身に着け、そこから応急処置に入る。
この過程を理解するには、一定以上の時間をかけて受講しないと難しい。
 
それでも編集者と監修者の手腕もあり、アウトドアを愛好する人たちが必要とするトピックをなるべくわかりやすく取り上げるようにした。
キャンプ場で起こり得る傷病について、お父さん(親御さん、大人)がどうやって子どもたちを守ったらよいか、守れるか、対応できるか記事にしてある。
 
秋のアウトドア・ホリデーにお役立てください!
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2017年10月17日 (火)

長崎県勤労者山岳連盟50周年

長崎県勤労者山岳連盟50周年にお招きいただき、仕事を通じて眺め出会ってきた山、登山について話をしてきた。
 
長崎は中学校2年生のときに、夜行列車に乗ってオーケストラの全国大会に行ったとき以来。今回は、飛行機でやむを得ず日帰り。
ANAのラジオでドリカムの「LAT.43゜N」を聞きながら到着した長崎空港は、N32`548。大村市にあった。
大学卒業してすぐに就職した会社の同期、原ちゃんの故郷。原ちゃんに会って、世の中にはこんなすんごい美人がいるのかと感激した。ひとつ上の先輩の池ちゃんも同じぐらい美人だった。私の中の超美人は、原ちゃんと池ちゃん。あんな綺麗な人はいないわ……なんてことを思いながら、市内行きのバスに乗り、車窓を流れる景色を眺めていた。
けれど、中学2年のときの訪問を、まったく思い出せない。ホールの舞台の様子やパート練習、ゲネプロと本番のことは覚えているけれど、街のこと、観光したはずの平和記念公園やグラバー邸のことは思い出せない。
 
あちこちの土地に講演で呼んでいただけるのはありがたく、なるべくその土地の山に登ってきたいと思っている。
講演をするだけの一方的な関係ではなく、色んな土地の山のことを知りたいし、そこに根を下ろして登っている方々とも交流したいと考えるからだ。
日本は広いし、自然環境も多様。それぞれの土地にそれぞれの山と登山がある。
今回の日帰りはやむを得なかったが、短い時間であっても、長崎で登山を続けている方々と言葉を交わせたことはとてもありがたかった。
 
長崎県労山の創立は1967年10月22日だという。私と同い年。この日付、同級生の誕生日だわなんて思ったけれど、人の50年と団体の50年はまた意味合いも道のりも違だろう。
長崎県労山では、毎夏、平和を祈願した登山をしており、原爆投下の際に避難した壕を巡る山歩きも企画されているそうだ。
会場では、こんなポスターも拝見。小西政継、今井通子、安川茂雄各氏。
小西さんは、エベレスト南西壁試登を終え、冬期グランドジョラス北壁を登った年。精悍な顔立ちの写真も展示されていた。
そしてこの3人のなかでさすがにお会いしたことのない安川茂雄さん、同業というのははばかれる大先輩であるけれど、彼の仕事ぶりをじかに聞く機会があったなんて、なんて貴重なんだろう。
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2017年10月16日 (月)

山の仲間ーその3/黄葉の森

先日、山小屋の手伝いをしているとき、ひょんなことから女性二人組と話をした。
大きな荷物だったので、テント泊かなと思い、「テント場の受付をされますか?」と尋ねると、「上の岩小屋で寝るんで」と。なるほど。
そこからもう少しだけお喋りは続き、赤蜘蛛に登るということと、どこの県から来たかということまで(話の流れのなかでなぜか……)聞いた。
「明日ココに下りてきたときに、元気にジュースを飲めるぐらいでいたいなって思います」と笑いながら、登っていった。
ふたりが「桃のネクター」がどうのこうのって話しているも小耳に挟んだので、翌日はぜったいにネクター缶とジュース数種類は、冷やしておこうと、切れないようにって、気を付けていた。
 
翌日の昼ごろ、勝手口近くで仕事をしていたら、ふたりが通りかかった。思わず、「お帰りなさい」と笑顔で手を振ったら、「登れなかったんです」と。ああ、今日は青空ではあったが、風が強かったからなにかたいへんだったのかもしれないと思うと、本人たちの理由だったようだ。
それでも笑顔であり、登りの時の楽しそうな声と相まって、仲のよい山仲間が、自分たちの実力を出し切らなければならないルートにやってきて、ちょっとしたなにかが理由で登れなかったけれど、それでもいい時間を過ごしたのだろう、きっとまた登りに来るのだろうなって想像した。勝手な想像だけれど、結果がどうであれ、自分たちで積み重ねてきたとういう登山こそが満たされるのだろうと。
 
小屋の前で一休みしたあと彼女たちは下山していった。その30分後ぐらいに私も下山を開始した。登山道上にクマが出たという誤報(とあとで知る)があったため、ひとりで下るのは気が引けており(ちょっと前に、早月尾根でクマと至近距離で会ったばかりだったし)、なんとか彼女たちに追いつけないかなあと少し思っていた。けれど足並みそろった二人に追いつくのは難しいだろうと諦めてもいた。
ところが、あっけなく追いついた。小屋から30分も下らないうちに、屏風岩の鞍部で休んでいたのだ。変わらず、ふたりでお喋りしている様子が、仲睦まじくほほえましかった。
 
下山後、駐車場にある「おじろ」のおばちゃんのところへ行くと、いつものようにそこに集う人たちとお喋りが始まった。
おばちゃんが、昨日からあるクルマの室内灯が付いていて、バッテリが上がってしまっているのではないかと話し始めた。すると、そこにいた人たちの中にはクルマに詳しい人達もいて、該当するクルマがどの程度のバッテリィを積んでいるかも想像ができ、これは動かない可能性が高い、と口をそろえて言い出した。
ナンバーを聞いて、それは赤蜘蛛の女性二人組のクルマに違いないと、私は思った。
平日で停車台数も少ないから、だいたいの見当がつく。まずまちがいない。
 
あの、笑顔のふたりのことを思うと、心配になった。あんまりに楽しそうに見えたから、途中でビバークでもして、もう1泊この山を楽しむ気ではなだろうか、とすら思った。
おばちゃん達に二人の話をすると、みなも心配し始めた。
きっと笑いながら下りてくるだろうに……クルマが動かないなんてことがあったら。
さいわい、ブースターケーブルを持っている人がいたので、下山を待っていよういうことになった。私が下りてきたのが16時前。その話をしたときは既に17時を回っており、いまからJAFを呼んでも暗くなってしまうだろうから、と。おばちゃんも、「おじろ」の店を開けておいてくれるという。なんて優しい人たちなんだと思いながら、もちろん私も一緒に待っていることにした。
 
「おじろ」の閉店時間は過ぎていたけれど、17時半を回った頃、ふたりが下りてきた。駆け寄って、事情を話すと、慌ててキーを取り出し、エンジンをかけた。
すると無事、エンジンはかかった。ああよかった、取り越し苦労だった。
 
私が、(下山も遅かったし)「あんまり楽しそうに笑っていたから、もう一晩どこかでビバークして紅葉の山で遊んでくるつもりなんじゃないかって、思っていたんです」というと、そんなことはないと。
「まだか、まだかってブーブー言いながら下っていたんですよ」と言うのを聞いて、ハッとした。
それはそうだ。登れなかったんだから、楽しいだけのわけがない、悔しいはずだ。
あんまりに二人が毎回笑顔を向けてくれたので、私はすっかり本人たちの気持ちに思い至っていなかった。
 
楽しそうに登っていく二人を見て、やっぱり仲間との登山はいいな、登れることも登れないこともあるし、スマートにいかないことだって多々ある。けれどやっぱりいいなと思った。
そして思いがけず、ふたりの下山を待つことになり、こんなにも晴れて綺麗な秋の色に染まった黒戸尾根であるけれど、人はそれぞれ色んな思いで下山しているのだなあと、それは気持ちいいとか楽しいとかだけではないという、極々当たり前のことを思い出すことができて、よかったなあと思った。
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2017年10月12日 (木)

山の仲間-その2

山に一緒に登る相手、パートナーのこと、登山を一緒に続けてきた友人のことを、「山の仲間」と自然に呼んできた。
 
ここ数年、『現代用語の基礎知識』の「登山」の項目を担当している。これは、現代の登山に関連するニュースを読み解くための言葉、登山の基本や本質を理解するための言葉、いま流行っている登山に関する言葉を集めたものだ。
数年前には「山ガール」という言葉も載せたぐらいだから、「山トモ」を載せてもよかったのかもしれない(今年の分は先日校了したが)、と先日、ふと思った。
 
最近では、登山を通じて知り合った人のことを「山の友達」、略して「山トモ」と呼ぶ。
しかし、私は「山トモ」という言葉を使ったことがない。
なんとなく軽々しく感じ、私にはしっくりこない。しかしその理由を深く考えたことはなかった。
 
先日、山小屋で山岳雑誌のバックナンバーを読んでいた。早く到着して、のんびりしていたときだ。
第一特集は、雪山登山の指南だった。そのなかに、雪山に登るための心構えのようなことを書いたページがあった。仕事の仲間が書いた文章だったが、真摯な素晴らしい内容だったので、帰宅後読み直したかったのだが、ウチの本棚にそのバックナンバーはなかった……処分してしまったのだろうか、がっくり。
 
とくに、山の仲間について言及した部分が印象的だった。大概のものはお金で買える、いい装備、適切な装備も用意した方がよい。身体作りも必要、技術も経験も必要。そしてさらに大切なのが、「山の仲間」だという話。
山の仲間は苦楽を共にし、相手の命を預かる相手。万が一のときは、相手を助けることができるだけの体力と技術を用意したいと。それが相手への敬意であり、山の仲間の務めであるという意味だと思う。
そうやって作り上げた関係性は、一生の宝物であり、時を経ても色あせることはないというようなことも述べていて、また「友情や友達なんていう甘ったるい言葉では表しきれない」「仲間」という言葉が合っている、というようなことを書いていた。いま手元にバックナンバーがなく、正確に記せないのだが。
 
友情という言葉が甘ったるいかどうかは、人により感じ方は違うし、友情にも色んな側面があると思う。
しかし、たしかに「仲間」という言葉がぴったりである。
仲間同士には、同じ目標をもって互いに尊重し合い、努力することに加え、友情もある。
そして、山の仲間は山を続けていくうえで不可欠であり、とても大切な存在だ。ほかには代えがたい。
 
雑誌を読んだ翌日、私は早月小屋を出発し、ひとりで早月尾根を辿った。
山頂に至るその瞬間に、「やっぱりこの山は、ひとりで来る山ではなかったな。仲間と来るべき山だった」と、仲間と共に登った時間を思い出した。最も大切だった仲間を失ったばかりだから、とくにそんなことを考えたのかもしれない。
それは、正直な気持ちであり、そして前日に読んだ記事を思い出しもした。
 
言葉は生きていて、時代と共に変わりゆく。
だから、「山トモ」というのはいまの時代に合った言葉なのかもしれないし、山で知り合った友人という意味だけであり、それはまだ「仲間」まで成熟してない関係なのかもしれない。
しかしやっぱり、私のなかには、「山トモ」という言葉は、ないなあ。
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2017年10月 6日 (金)

人生はシンプル

「先生」と呼ばれる職業が幾つかあり、その習慣があまり好きではないのは、「先生」と呼ばれる職業だった亡父が、心の底ではそれを嫌っていたからかもしれない。
なにかの職業が特別だとは思わないし、それぞれの職業にそれぞれの特徴があり、そしてそれぞれが自分の職業に誇りを持ちたい。後者は、高校時代からの友人がずっとずっと前に吐いたセリフ。
 
そんな「先生」と呼ばれる職業のひとつ、医師と話す機会が、この1週間ほど続いている。
医業のぜったい的特徴は、命を取り扱う、人間の身体を取り扱う現場だということだろうか。
 
初めて会ったふたり(医師と患者家族)が、いきなり本題に入って、今後の治療法や先行きについて話す。ビジネスの先行きにも命がかかっていることはあるだろうが、生身のからだとまさに生命に関わる話を、いきなり本音でズバズバと。
「理解が早いですが、医療従事者ですか?」と聞かれ、「いいえ」と答えたが、いまどきこれだけ情報があり、自分も病気をしたことがあれば、私のようにときどき医療について書く仕事をしなくても、話が通じるのは早いのではないかと思う。
 
手術室の扉が開き、やがて今度は、医師と立ち話。手術結果や今後のこと、そこには私の身の振り方も関係してくる。短い会話のなかに、その医師の人となりがうかがえ、こちらも普段あまり人に見せない顔を見せる。
 
こんなやり取りはインタビューとも似ているかなと思ったり。
 
そんななか、仕事で知り合った救命医と話す機会があった。
「いのちの終わらせ方って難しいですね」と言うと、「そう複雑なもんでもないことの方が多いのですけどねぇ」と。誰もがみないつか人生を終えるわけで、きちんと話ができていれば大概は望む形がわかってくるものだと。ただ、彼がいる現場のように、時間がそれを許さないときは、いささか大変」と。
「いささか大変」って言葉を使っていた。
 
なるほど、人生って、シンプルかもしれない。
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2017年10月 4日 (水)

インタビューの涙

やっと、インタビューのテープ起こしを終えた。ちょっと時間をかけすぎてしまった。
インタビューを聴き直して、そのインタビューが満足いくものだったことは、あまりない。
なんで、ココをもっと聞かなかったのだろう、突っ込んで話さなかったのだろうという点が幾つもある。
状況が許せば、聞きなおすこともあるけれど、それがかなわないことだって多い。
 
何年も前、ある山岳ガイドをインタビューしていたとき。
この先、このまま話を進めたら、共通の友人の死にたどり着き、きっと彼も私も泣いてしまうと予感した。その手前で、私は話題を変えた。
その時は、インタビュイーの気持ちや思いを理解したと感じて、これ以上この話をする必要はないな、と区切ったのだった。
けれど、テープ起こしされた文章を読み、愕然とした。私はちっとも彼のことをわかっていないではないか、と。
理解したつもりになっていたのは、勘違いであり、その場面の重圧感に耐えられなくなって逃げだしたようなものだったのだと、振り返って気づいた。
 
今回のインタビューでは、ずっと泣きそうだった。
あるひとつの登攀記録を聞きにいったのに、まさかそんな話になるとは予想だにせず。
彼も涙が流れそうだっただろうけれど、私もこらえるのが必死だった。
まったく涙もろい私が、よくも2時間耐えたと、我ながら褒めたい思いで、喫茶店を後にした。
 
しかしそれでも、テープ起こしを終えると、もっと突っ込んでいくべきだったと思う点がある。テープ起こしは、半ば第三者的に聞くことができるから、そう思えるのかもしれない。
 
ところで、インタビュー中に泣いてしまってもよいのだろうか。
プライベートではかなり涙もろい私だが、インタビュー中に泣くのは、ルール違反のように思え、必死にこらえる。こらえきれずともこらえる。
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2017年10月 3日 (火)

ホンモノ

先日、編集者が10年も前にロクスノに書いた記事をたとえに出して、「あの時の記事を覚えているんですよね、ああいうトーンがいいなあと思うんです」と。
なんだっけ?と思いながら、メールに書いてあったバックナンバーを本棚から取り出して読み直してみた。
 
故新井裕己さんが、不帰Ⅰ峰北壁を初滑降したときのもの。
当時の担当でもなかった編集者が、この記事を覚えてくれていたのはありがたいし、
現在進行中の仕事について「あの時の記事のように」という意図もわかる。
だがしかし、読み直してみて、あんまりの文章の酷さに驚いた。
 
これをインタビューしたのはどこだっただろうか。
当時彼がよくいた白馬村だったか、あるいは東大のキャンパスに停めていた軽自動車の脇だったか。思い出せない。
そんなにたくさんの接点があったわけではなく、最後の記憶は葬儀と五竜がよく望める温泉宿でご家族も交えて一晩中、友人知人仲間たちでどんちゃん騒ぎしたときのことだ。
いまアライユーキが生きていたら、どんな風になっていたのかと思うし、周囲はどんな風に彼を囲んでいたのかと思う。
 
まったくひどい文章にがっくりきたけれど、そこに書かれている人がホンモノであれば、ちっとも色あせない。というか、時代がやっと彼に追いついてきたような感すらある。
普遍であり、新鮮であり、心に響く。
おまけに、この記事を大切に保管してくれている人がいることも知り、ありがたかった。
 
 次にいただいたありがたい仕事は、もう少しマシな文章で描けるよう努力しよう。
 
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2017年9月29日 (金)

インタビュー「青木達哉の肖像」

「ずっと20代だと思っていたら、もう33歳になっていました」と。これは、青木達哉さん本人の言葉。
たしかに20代の頃と変わらない印象ではある。
しかし、インタビューした日の深夜、カメラ担当の杉木よしみさんが撮ったポートレートが送られてくると、そこにはハッするほど大人な表情をした青木さんがいた。
 
駆け出しの頃、若い頃のビッグタイトルがふたつ、最も親しかったクライミングパートナーの死。それでも、15年のクライミング人生のなかで、淡々と登り続ける姿は変わらず。クライマーであり続ける人。
 
書き手としてもうひとつ感じるのは、何年ものあいだひとつの人生を見続け感じさせてもらうこと、繰り返しインタビューさせてもらえることが、どんなに貴重か。心から感謝。
 
マムートのハイエンド「アイガーエクストリームコレクション」がリニューアルされて今シーズン
発売。青木さんには、アイガーエクストリームコレクションとの思い出(2月の明神Ⅴ峰)も語ってもらった。
 
 
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2017年9月28日 (木)

厳冬期北アルプス27日間縦走という静かなる偉業 舟生大悟@『WILDERNESS』

本日発売『WILDERNESS』(枻出版)に、舟生大悟さんが昨年12月24日から27日間かけて親不知海岸から穂高連峰まで単独縦走した話を書きました。
『山と溪谷』4月号に続き、二度目です。
今回は、大悟さんの日記を引用しており、ページ数も増えています。
使用したギアの撮影は、札幌在住の写真家、佐藤雅彦さん。山岳スキーやカヤック、古墳からの出土品の撮影を専門とされている方です。
 
登山中の写真は、大悟さん提供。
自撮りが2枚ありますが、親不知を出発するときの表情と西穂山頂のものを見比べていただきたいです。充溢した登山を終えた者は、こんな穏やかな笑みを見せてくれるのか、親不知とは全く違う貌をしています。
 
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2017年9月27日 (水)

山の仲間

9月中旬を過ぎて、ガイドや山の取材が一段落し、ようやく自分の山に時間をつぎ込めるかなってなったとき。
パートナーがいる休日は、ことごとく天気に恵まれず、敗退、転戦、中止など。ざんねんだけれど、天気ばかりはどうしようもない。

先日、パートナーはいないけれど仕事を休めそうで、そして天気がよい2日間がやってきた。
ロープを使わず、ひとりで歩けるところへ行こうと、早月尾根へ。
今年は、黒戸尾根に3度登る機会があり、4度目の前に早月に登ってみようと思い立ったのだ。
 
ちょっと、いやかなり前のGWに下降したことしかなく、無雪期のルート状況はわからない。
最近は、ルートガイドブックだけでなく、動画とか事細かな情報がwebに載っているのだという。別山尾根のカニの横ばいはどちらの脚からおろした方がよいか、とか。
もちろん、そんなものはほしくないので、地形図と過去の記憶を頼りに、歩き始めてみた。あとは、現場で判断すればよいのだ。別段とくべつなことではなく。

山小屋に泊まった翌朝は、ヘッドランプをつけて出発。どんなルートが待っているのだろうとドキドキなワクワク感。
やがて別山尾根と合わさり、傾斜を落としながら山頂が近づいてくると、なんだか嬉しかった。久しぶりの剱岳だから。
登山を続けていれば、きっと剱で過ごした時間、経験、思いは、それぞれが持っていて、それはなにものにも代えがたいような貴重なものだったりするはず―そういう人は大勢いるだろう。
私も僅かかもしれないけれど、そんな経験や記憶がよみがえってくる山だ。
 
無風快晴、360度の展望。
けれど、やっぱり剱岳は仲間と登る山だと思った。ひとりというのは、なにかが欠けている。
ちょうど前日、山小屋で山岳雑誌のバックナンバーを読み、友人が山の仲間やパートナーについて書いていた文章が、いたく心に残っていたからか。
剱岳にまた登れるよう、山を登り続けたいと思うし、いい仲間を大切にできるよう、登り続けたいと思った日。
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2017年9月23日 (土)

長く着続けること

ある登山家の死がきっかけになって知り合った神楽坂のイタリアンシェフの店で、ダウンジャケットを脱いだとき、裏生地の部分にバッテンに貼ったダクトテープに友達が笑った。彼女も山ヤなんだけれど、たしかに神楽坂のレストランには似合わなかった。
 
昨冬、ジミー・チンが来日したパーティに着ていったら、クライマーの友人もが「澄子さん、ダクトテープだね」って。それは表地に貼ったものだった。山やクライミングをやるものだったらよくやるコトだけれど。笑われちゃった。
恥ずかしくなって、色んな形をしたリペアテープを買って、たしかバイソンの形のそれを上から重ねてみた。

それを見た東北の山ヤの友人は、「何が貼ってあるのかなあって思ったよ」と。

みっともないと思いながらも、そのままにしていたけれど、カズーさん(古瀬和哉さん)のストーリーを読んで、これはリペアに出そうと決めた。というかこの文章は、リペア云々でなく、彼の心意気、彼が辿てきた道のりのカッコよさが、表れたものだった。

いつもお世話になっているパタゴニアの方に相談すると、「ダクトテープ付きとは!ダートバッグでカッコいいですね。とはいえ、機能的なことや今後の製品寿命のことを考えますと、お直ししたほうが良いかもしれません」と。もっともだ。
さっそくリペアに出すと、表面は、どこを修理したのかしら?と思うような出来栄えで返ってきた。裏面は、バッテンに貼ったダクトテープのあとが薄っすら残り、反対にこれはどうやって修理したんだろう?って考えてしまう(黒丸印は、カトマンズのホテルでクリーニングに出したときついてきたモノ)。どちらも、完璧。
 
パタゴニアに限ったことではない。ノースもモンベルもリペア部門はものすごく優秀。そういえばヨセミテでリスに噛まれたザックをモンベルのリペアに出したら、クールなザックになって返ってきた。
某「もじゃお直し屋さん」に依頼したこともあった。ここは名クライマーや名ガイドたちもお得意さん。
自分で直せる人はそれもよい。
いずれにしても、ちゃんと修理してこそ、長く使えるもの。
 
もうすぐ山はダウンの季節。今シーズンもガシガシ使えそう。
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2017年9月21日 (木)

Women's Skimo Project ティーザー完成

昨シーズン2月末に取材させてもらった、Women's skimo projectのティーザーです。
 
シャモニーからTanya Navilleたちがやってきて、日本の女性スキーヤーたちと交流し、映像におさめたもの。
白馬編は、福島のり子さん、西田由香里さん
東川町・旭川編は、菊池泰子さん、阿部夕香さん、青木倫子さんら
私は、後者を取材しました。
北の大地で通年ガイド業をし、スキーを愛し、山を登って滑っている彼女たち、カッコよかったです。女性としても、スキーヤーとしても、ガイドとしても、人間としても。
もちろん!のり子さん+由香里さんの白馬編も楽しみです。
 
コチラ、当時の記事

2017年9月20日 (水)

夏の終わりの嬉しい報せ

夏が終わり、秋になった頃、嬉しい報せが二通届いた。
ともに、ガイドツアーに参加してくださっていた方々から。
 
ひとつは、今年の「テントむし山旅」の講習会シリーズに、ほぼ欠かさずに参加してくださった3人が、涸沢へ行ったという話。どこを登ったのか詳細は聞かなかったけれど、とても楽しそうだった。
 
このシリーズは、これからテント登山を始めたい方を対象に、ステップアップのプログラムを組んだもの。涸沢へ行った3人も、この春に初めて、テント登山なるものに触れた方々だった。
講習、ガイド登山という場をぬけだして、自分たちで行くのは、どんな行先であれ、最初は緊張するだろうし、ひょっとしたら失敗もあるかもしれない。
けれどやっぱり、仲間同士で行く登山というのは、ほかには代えがたいものであり、またそれが同時期に登山を始めた者、同じぐらいの経験値の者同士だと、いっそう楽しかったりする。

もうひとつの便りは、9月中旬にやっと届いた。やっとというのは、一年越しの便りだったから。
 
一昨年、Hitsuji Projectで実施した「本気合宿」の最終回は、栂海新道だった。けれど、荒天にあい、白馬で停滞、予備日は持たない方針だったので、朝日岳から五輪尾根を降りた。
この尾根は、天国のようなところで、かなり愉しい思いを味わった。
 
けれど、日本海への心を残したことに変わりはなかった。
それで、昨年、参加者だけでリトライ。またもや荒天にあい、途中計画を変更し、白馬鑓温泉から下山。
そしてやっとことし、日本海へ抜けたというメールだった。
時間を経ながらも、行きたかったルートをしっかりと歩き通すのって、どんな満足感があったのかなあと、ホントは彼女たちともゆっくり話がしたいと思いながら、先送りになっている。
 
講習会やガイド登山の、その先にある歓びを知ってもらえるのは、ガイドという仕事をしている者としても、とっても嬉しい。
なにが嬉しいって、同じ山に登る者として、嬉しい。
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2017年9月15日 (金)

山岳医の新たな試み~山岳医療パトロール・黒戸尾根@『山と溪谷』10月号

甲斐駒ケ岳黒戸尾根周辺で、日本登山医学会の山岳医、山岳看護師らが「山岳医療パトロール」を始めました。
医療従事者が山を歩き、登山者たちと話をし、夜は七丈小屋でミニレクチャーを開催。これを7月から10月3連休まで毎週末やっています。
医療従事者がより多くの登山者と触れ合い、傷病者の現場にはいち早く介入する。これの意味するところがなんであるのか、『山と溪谷』10月号に書きました。
 
また、日本登山医学会、七丈小屋が手を組んでこのような活動を始めたことにも、意味があると思います。
先のポストで書いた、WMAJの見学受け入れもまた、そのひとつ。
ひとつの団体だけではできない。登山に関係する色んな団体が連携し、ものごとを前に進めていく。現場には活気があり、可能性も大きいです。
この活動は現状にとどまらず、さらなる発展のために関係者たちは今日も尽力されています。
登山の現場の各地で、色んなことが動き出している、ある意味ダイナミックな時期だと感じています。
 
地味な企画に、「1色見開きでは、見落とされます。4ページ書いてください」とページを割いてくれた、いつもお世話になりっぱなしの編集者、神谷浩之さんにも感謝。
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2017年9月14日 (木)

針の木谷の古道と船窪小屋@『山と溪谷』10月号

『山と溪谷』10月号(9/15)紅葉特集号に、針の木谷につく、針の木古道と船窪小屋のことを書きました。
 
学生の夏、剱の定着合宿のあとぐるっと回って、針の木谷を登った思い出があります。
針の木峠にあがり、そこから日本海へ縦走。
その思い出深い谷の古道が、船窪小屋などの尽力により補修され10年余りたつときき、久しぶりに登ってきました。針の木古道の思い出や修繕の様子を、船窪小屋の「お父さん」松澤宗洋さんに語ってもらいました。
 
同行はカメラマンの杉村航さん。
扉は、黄葉に埋め尽くされた谷の写真です。
この迫力のある写真、私もとっても好きです。ぜひ本誌をご覧ください。
下の航さんがカメラを構えているのは、その時の写真を撮っているものだと思います(たぶん)。
 
この時の取材は2泊3日。釣りが大好きな航さんは、1泊目の平の小屋から大興奮。ちょっとかなりの釣り師であるご主人の佐伯覚憲さんと話し込んでいました。
翌日は、禁漁期間だというのに、ずっと針の木谷で魚影を眺め、先に進みません(笑)。その分、尾根にあがってからは早かったわ~。と、楽しい取材でした。コレ重要。
 
船窪小屋の「お父さん」と「お母さん」は今年7月に引退。
十数年前に書いた新聞記事を、いつまでも覚えて下さっていて(その後数多くのメディア取材を受けただろうに)、ヤマケイの取材でお伺いしたのも2度目。最後におふたりに山の上で会えて、仕合せでした。
今夏からは、息子さんが引き継いでいることなど、本号のニュース欄にも短い記
事を書きました。
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2017年9月11日 (月)

ポケットの中味

とんでもないモノを、洗濯機の中に一緒に入れて、洗濯してしまったことがある。
 
この夏は、旅の終わりにダイアン達からもらった、銅製の飾り。
知り合いのデザイナーに頼んで、私達の友情の印をデザインしてもらったんだ、というほんとうに大切なもの。
壊してはいけないと、旅の服に何重にも包んで持って帰った。
旅の服は、すべて着用済み、帰国後にすぐに洗濯したいものだったので、ポイっと洗濯機に入れられるような状態にして、スタッフバッグにまとめてあった。
その真ん中にダイアン達の飾り物を入れたのだ。
 
夕方に帰宅後、すぐに友人達との待ち合わせに向かう予定だった。
洗濯ものの入ったスタッフバッグの中味をそのままポイっと洗濯機に投げ入れて、洗剤を投入して、ボタンを押して、家を出た。
これで、翌日からの仕事や山も順調に進められるわと思ったが、甘かった。
 
深夜帰宅後、洗濯機を開けると……洗濯もののなかに散ったピンクの包み紙を見て、ハッとし、掘り出した。
飾り物は、心なしか(都合よく考えれば)少しピカピカになり、無事だったことが、救いだった。どんなにピンクの包み紙を片付けるのがたいへんだったとしても。
 
ずっと前のこと。
あろうことか、アバランチ・ビーコンを洗ってしまった。
同様に洗濯ものを入れたスタッフバッグをそのまま、洗濯機に投げ入れたとき、一緒に入ってしまったようだ。なぜ、洗濯ものが入ったバッグにビーコンも入れていたのか、心当たりがない。この時も同じく、スイッチを入れて、外出。
 
留守中、さぞかしスゴイ音がしていただろう。よくぞこんなことを二度も繰り返し、洗濯機が壊れなかったものだ。
仕事から戻った夫に話したら、返す言葉もないという感じで、「俺も、(そろそろオルトボックスを止めて)パルスバリーボックスに買い替えるかな」と言った。
 
「ビーコンは自然乾燥させると、蘇るかな」とブログに書いたら、心ある某氏から、「電気系統のものは、そう簡単にはいきません。誤作動があってはならない道具だから、買い替えるように」と至極真っ当であり親切なメールがきた。
いつまでもオルトボックスの水色ビーコンを使うわけにもいかない時期でもあった。マムートのパルスバリーボックスに買い替えた。
 
今朝は、すべての洗濯ものを拾い上げると、洗濯機の底に葉っぱが。
大好きな山椒の葉、ティッシュを濡らして挟んで、ビニール袋に入れてあったのだけれど、一部まだポケットに残っていたんだった。
また、失敗してしまった。

空気が何度か入れ替わり、土曜の山は、陽射しがあってもそれも柔らかく、そして乾いた気持ちいい空気だった。昨日は午後になると、少し湿った空気が入り込んできた。
「流れる季節を追いかけて」と言ったのは彼だけれど、季節だけがどんどん前に進んでいって、いったい自分はどこにいるんだろうと思ったり、大好きな夏が終わってしまったことを寂しく思ったりもするけれど、それでも、新しい季節の到来はやっぱり嬉しく、秋の風を気持ちよく感じる。
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2017年9月 7日 (木)

「さん」付け

登山に関する仕事をしているが、登山はもともとの趣味でもあり、プライベートで知り合ってから仕事を一緒にするようになる相手も多い。
 
初対面が仕事の場であれば、年齢や性別に関係なく、「さん」付けで呼ぶ。どんなに歳が若い方であっても、「さん」付けで呼ぶ。それが礼儀だと思っているから。
しかし知り合ったきっかけが遊びの場、プライベートの場であった場合、「くん」や「ちゃん」、あるいはニックネームで呼ぶことも多い。
その呼び方を仕事の場に持ち込んでもいいとは思っていないので、周囲に仕事の人がいる場合や打ち合わせ、公の場では、「さん」付けで呼ぶのだが。
 
難しいのはインタビューの場面。これまで気さくに呼んでいた、その呼び名を変えて、いきなり「さん」付けで話し始めても、相手は面食らうだけだ。
それでつい、いつもの呼び方を引きずることも多い。
 
先だって、知り合って10年近くになるクライマーをインタビューした。
インタビューは2度目であり、それよりもプライベートの場や互いのトレーニングの場で会ってき
た。
今回は周囲に、編集者やカメラマンなど数人いたが、いつものように「くん」付けでインタビューを始めてみた。
 
帰路のクルマの中、周囲の人たちが、「若々しくて、フレッシュな方」と感想を述べていた。
なんどか、大きなタイトルをとってきたけれど、それで何かが変わることはなく、ピュアな気持ちで登り続けている人という印象を、私はもっている。昔からずっと変わらない人。
 
けれど、その夜遅く、カメラマンからアタリの写真が100枚以上届き、ひとつひとつに目を通したところ、ちょっとびっくりするような表情があった。
成熟した大人の顔をしていた。本人は「自分の年齢を忘れちゃうんですよね、いつまでも20代かと思っていたら、33でした」と言ったけれど、20代の頃の表情はなくなっていた。30を越えたのだから、当たり前のことであるのだが。
 
仕事の場では、「くん」付けはまったく似合わないなあ、失礼なことをしてしまったと、その日を振り返った。
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2017年8月31日 (木)

山小屋で音楽談議

先月、取材で山小屋に泊まったその夜、音楽談議になった。
 
音楽好き、日ごろから音楽を身近に感じている人たちが集まったからだろうか。
なかでもひとりは、いま本業としている医学の道に進むか、音楽の道に進むか、かつて考えたほどクラッシック音楽に専念していたそうだ。
こんな時にはあんな音楽を聴くとか、あんなときにこんな曲を聴いたとか、そんなたわいもない話だったけれど、そこに世代感や世相、嗜好が混ざってきて、楽しかった。
 
取材の彼らが帰って、小屋番とバイトの大学生と私の三人になった夜もまた、音楽談議が続いた。
 
小屋番の彼は、ときどきギターを弾き、歌いライブをやっている。
色んな話をしていくうちに、「柏さんはやっぱり、クラシックが基本にあるんだね」と言ってから、クラシックは、形式があり、そこにおさめるべき音楽でしょう、というようなことを言っていた。つまり、そこには上手い下手があり、クラシックの場合、上手いことが重要なのではないか、と。
 
確かに、コードだけ決めてセッションしていくのとは違い、常に譜面がある。
解釈はそれぞれで、テンポや多少の音程などに揺れが出ることもあるし、とくに協奏曲のカデンツァのような部分では、解釈の幅も広がる。
けれど、譜面がある以上、やっぱり形式美なのかもしれない。
その形式のなかに、最大限の個性と表現を加えていくのだとも思うが。
 
「好きなピアノ演奏は?」と聞かれてそのとき思いついたのが、アルフレッド・ブレンデルのモーツアルトのソナタ集だった。あの粒がそろった真珠がコロコロと弾むようなピアノの音色が素晴らしいと思うのだ。それってやっぱり技巧的なこと? よくわからない。
 
「下手でも上手い音楽がある」「下手でも味がある」というような話のとき、必ず、泉谷しげるを例に出す人がいた。
上手い下手ではなく、聞き惚れる音楽があるように、上手かろうと魅力を感じない演奏もあるかもしれない。
 
先日、一ヵ月ぶりに山小屋を再訪したその滞在の、最後の朝。
小屋番の女性が、「朝、これを聴くことがあるんです」と、iPhoneを取り出した。
先だって、音楽談議をした小屋番の彼が歌う、「上を向いて歩こう」だった。
どちらかというと、夜に似合う曲のように思うが、そんな涙がこぼれないように歩く歌を、朝に聴くというのが、なんとなく心に引っかかったが、一緒に聴いてみた。
「柏さん、これを聴くと、泣いちゃうよ、きっと。柏さんってすぐ泣くって、聞いているもん」と言いながら、彼女は聞かせてくれた。
 
いい歌声だった。
山小屋を始めたばかりで心細いであろう小屋番の彼女が、お客様の朝食を出し終わり、皿洗いも終わり、やっと自分の朝ごはんになった頃、その次には掃除やらなにやらさらなる仕事が待っている、その谷間に、ふと聴きたくなり、繰り返し聴いている歌声(だと、私は思っている)。
そんな歌と奏でるギターの音色が、私の心にも深く感じ入った。
歌が人の心に沁みいる。歌う彼もすごいし、音楽そのものもすごい。 
 
彼女が「声の枯れ方が、清志郎みたい」って言っていたから、下山してから探してみた。
忌野清志郎と甲本ヒロトが歌う「上を向いて歩こう」がYouTubeにあったけれど、いまの私には小屋番の彼の歌声の方が、ずっと響く。
 今晩、歌の主に言ってみた。「私も、あの音源、ほしいな」。
すると、「この間のコンサートの最後に歌おうと思って、ノリやキーやテンポを共演者に伝えようと即興で歌ったものだよ。恥ずかしいわ。けれど、もってけドロボー」と言いながら、送ってくれた。
完成されたものではない、という意味だったのだろう。

さっそく聴いてみた。心に入り込んでくるその歌が、終わると、しーんと静けさがやってきて、歌声と曲の存在感を、ぐっと感じるような、そんな歌だった。

心に響く音楽って、どこにあるのか、わからない。
同じように、心に響く文章というのは、どこにあるのだろうと、考える。
響かせるために書くわけではなく、心に響いたことを書くのであるが。
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2017年8月30日 (水)

トランジット

東京の自宅にはわずかしかおらず、帰ってきては、次の旅や仕事へと出ていく友人が数人。そんな彼ら、彼女らに、「次の東京トランジットはいつ?」と尋ねることは、多かった。
けれど、周囲から見ると、私もさして変わりはないようで、「東京トランジット」どころか、これは「東京ピットイン」だなと思うような、帰宅も、この夏はあった。
 
昨日明け方、山からクルマを走らせて。首都高に入った頃に、大きな朝日が昇ってきた。
ビルとビルの谷間に顔を出し、何本もの電線が重なり。
人工物の近くに見えるから、太陽が一層大きく目に映る。
トロンと溶けそうなオレンジ色で、そこにはエネルギーも感じるけれど、山の上で空全体を大きく染めながら浮かび上がってくる朝陽とは、違う。もっとドロドロした感じ。
 
やがて日の出の頃が終わり、周囲はすっかり明るくなり、レインボーブリッジを渡った。
高層ビル群や墨田川が流れ込む東京湾の人工的な入り江のような海が、無機質に感じられ、いまの自分とは遠く離れた存在のように見えた。
朝日にはエネルギーがあっても、日が昇ってしまえば、その街はすっかり気力をなくしたような、そんな雰囲気。
 
「東京トランジット」とか「東京ピットイン」とか、半分冗談のように言っていたけれど、どんどん遠くなっていく、東京暮らし。
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2017年8月22日 (火)

距離感と突き放し

ぽっかり空いた1日に、原稿書きをガツンと進めなければならずどうしようか考えていた。お盆で馴染みの使いやすい宿は取れず、次の土地に早めに駒を進めるのもためらうわけがあった。
結局、遠慮なくモノも言える友人のオフィスを借りた。

ひとしきり原稿書きが進み、外が台風による雨風がますます強まってきたことに気づき、クルマにヘッドランプを取りに行った。こんな森のなかで停電でも起きたら大変だからだ。すると向いの家に灯りが。「あれ、今晩はいるんだ」と。

向いの家もクライマー夫妻が暮らしている。電話してみると、「柏さんのクルマだったんですね。誰が来ているのかと思ったー」と。私の原稿書きが終わらないから、夕飯を共にすることは諦め、明朝のご飯を一緒に食べることにした。
「好きな時間に来てくださいね。お腹空いちゃったら、先に食べていますから、気にせずに」と。
 

翌日も早起きをして仕事をし、区切りのいいところで向いの家に行った。
ふたりが作りだした清々しい部屋の雰囲気にひたりながら、久しぶりにいろんな話をした。彼女が5月に訪れたUKのクライミングのこと、この夏の仕事のことなど。

話が弾みあっという間に時間が流れ、ふと彼女が言った。
「柏さん、もう帰ってください。帰って、仕事してください」。
20近く年上の者にぱーんと言い放つそのさっぱり感。
そう言われれば帰らざるを得ない。
しっかり者の思いやりに感謝し、また原稿書きに戻った。

この地域は、クライマーやガイドが大勢暮らしているので、仕事でもプライベートでも来ることが多い。互いがつかず離れず距離感をもって生活しているのが、心地よく感じる。ベタベタ近づかないけれど、遠くにうっすらと見えるような思いやりもった距離感。そしてなにかあれば助け合おう、楽しい時間は共有しようっていう優しさをもって。
彼女のこんな突き放しも、この地域のみんながもつ距離感に通ずるような。

写真は、数日前にやってきた別の友人宅。
夏休みを過ごすために、その前に原稿書きを、どこかのカフェで終わらせてくるつもりが、電源も確保できず、到着してすぐに、机に。
夏休みのスタートは夕刻に。

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2017年8月15日 (火)

『山と溪谷』9月号「ハードスキルと両輪で動かすソフトスキルの追求へ」

『山と溪谷』9月号に、「ハードスキルと両輪で動かすソフトスキルの追求へ」という記事を書きました。
5月にフランス国立スキー登山学校技術指導委員会所属の山岳ガイド、アレキシス・マーロンが来日し、日本山岳ガイド協会の講師を務めた話ですが、アレキシスの人柄と、彼こそがガイドだと思わせるような資質と信念にふれ、感動しました。
私自身は、いわゆるハイキングガイドであり、日本でいうところの国際山岳ガイドであるアレキシスとは、違う世界をご案内していますが、ガイドの資質と考え方、信念には通底するものがあると感じ、以来度々、アレキシスの言葉を思い出します。
読者の方々にとっては、「山岳ガイド」とはこういう職業なんだ、信念なんだということや、また山岳ガイド先進国であるフランスの事情について読んでいただければと思います。
取材にご協力いただいた、JMGAの皆さん、ありがとうございました。

アレキシス、来日のときの様子はココ

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テントむし山旅@白馬岳周辺 8/11-13

お天気に恵まれず、2日目はあと少しでしたが、白馬岳に届かず。
その時の判断基準や段階などについては、テントむし参加メンバーのfacebook「DIVAS テントむし」に書こうと思います。
私は引き返す判断をしましたが、最初から「登らない」という判断もあったと思います。

参加の皆さん、なんて言うかなと思ったけれど、「無理する必要なし」「次がある」「リベンジが楽しみ」と言ってくれて、よかったです。
山は逃げますが、でも元気に下山すれば、また次があるので。

何度も登った白馬岳ですが、それでも私もまた登りたくなりました。
ことし私が担当するテントむし山旅は、これが最後。5回シリーズでした。
初回からずっと参加してくれた方、「今年はテント泊の経験を積むんだ」と継続してくれた方、久しぶりに顔を見せてくれた方、毎夏ご一緒できる方、最終回に初めてお会いした方、皆さんに感謝。
今年初めてテント泊を経験された方も着実に力をつけ、体力や歩行力を心配していた方も確実に強くなりました。これからの登山が、ますます楽しみです。
テントむしではこれまで、2泊以上の企画を何度かやってきました。
2016/9 白峰三山
2015/8 双六岳~笠ヶ岳 
2014/9 乳頭温泉~八幡平 
2014/7 常念岳~蝶ヶ岳
日数が多い分、たいへんなコトもありますが、またテントむしの皆さんと3日、4日と縦走する山旅に出たくなりました!
いつかお会いできる日までに、私自身、もっと成長していたいと思います。
あいにくの雨と曇り空でしたが、それでも時折山が姿を見せてくれたり、雨露に濡れた花が綺麗だったり、雷鳥に出会えたり、大いに満喫できました。
ありがとうございました。
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テントむし山旅@常念岳 7/22-23

なかなか天候が安定しない週末でしたが、常念岳に登ってきました。

土曜日は降られずに常念小屋のテントサイトへ。ほんの少しの時間ですが槍ケ岳が顔を出してくれました。

ラッキーなことに夕食時は雨も上がり、外で調理+ご飯タイム。
「世界の山のある街お菓子シリーズ」はとん挫気味で、インドのお茶。トゥルシーティーのスパイスバージョン。暑いときは熱いお茶で!
夜ごはんもスパイスの効いたカレイ鍋にしましたが、次回はもう少しオーソドックスなメニューに立ち返ろうと思います。
日曜日は、予定通り4時発。4時半からは雨がこぼれ始め、稜線は風も出てきましたが、みんなで登頂。天気が大崩れする前に、前日登ってきた一の沢を下山しました。
高山植物の盛りを過ぎていたことがちょっと残念でしたが、朴ノ木もカエデもミネザクラもダケカンバもナナカマドも眩しい緑の葉っぱをつけていました。
今年の初回からずっと参加してくれている方や、テントむし1期生(6年前)の方、1年ぶりに夏山で会う方々などなど新旧賑やかな顔ぶれで楽しんできました!
集合写真などは、Adventure Divasやテントむしのfacebookをご覧ください!
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2017年8月11日 (金)

空気の入れ替わり

山梨で台風による大雨をやり過ごし、だというにまた台風の名残りの荒天に突っ込むように、白馬にやってきた。
2日連続、地元の友人達とお酒を飲み、夜更かしをし、そして早起きして原稿を書き。
起きると、天頂に青空が広がり、「あ、やっと夏がきた」と思ったが、それは立秋を過ぎたあと。湿り気を帯びた空気を一掃するかのように、秋の予感がするような少し乾いた風がやってきた。

ふたたび夜。前夜と同じような顔ぶれで2日目の酒の席。
夜夜中、星を綺麗に見上げることができた。
雲が流れて、ときどき見えなくなった星がまた現れたり、いったい星は帰ろうとしているのか、そうでないのか。
そんな時間を経て、雪が残る白馬の稜線が、闇にふっと浮かび上がっていることに気づいた。「ああ、綺麗だね」と。
ずっと眺めていたい、寝ちゃったら消えちゃうかなと思いながらも、床についた。

翌早朝、窓の向こうに山の気配がして、嬉しくなって飛び起きると、白馬三山から不帰への稜線がぜんぶくっきりと見渡せた。
まだ、ちゃんと姿を見せてくれていたんだ。

夏がやってきたというあの大好きな瞬間も得られず、夏の夏らしさも感じないまま、涼風。
そんな季節の流れに寂しさもあったけれど、こうやって秋の訪れを白馬で感じる瞬間がもてたから、まあ、いいかな。

夏はまた、来年もやってくる。

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2017年8月 3日 (木)

小屋番の夏ひる飯

かつて、北穂高小屋に通ったことがあった。取材である。
編集部から依頼されたのではなく、自分で始めた取材であり、1シーズン通い終えた頃に、連載の目途がたち、2シーズン、4月21日の小屋開け入山から11月4日の小屋締めまで、毎月通った。「小屋開けに女性を入れたコトはないんですよね」と、主人から言われたことから取材は始まり……ときは流れた。
 
取材中は、努めて距離を保っていた。あくまで取材対象と取材者だと思っていたし。
でも、振り返ると、心を通わせたことは多々あった。「これが小屋番の岩登り」は、そんなひとつ。
 
大好きだったくせに、取材を終えると、通う理由、言い訳、言い分、建前をなくし、途方にくれたりもした。それでも、ときどき顔を見せていたが、あるとき、小屋の主人であるよっちゃんから「理由がなくても、来るのが山でしょ」と言われ、長年番頭を務めてきた足立さんから、「どんなに少なくとも、年に1回は来るように」と言われ、泣きそうになった。
 
職業柄、いろんな山小屋に泊まるし、山小屋の主人やスタッフ達と知り合う機会も少なくない。けれど、身内のように過ごせるのは、北穂高小屋だけだし、それでよいと思っている。
 
今年、友人が山小屋の管理人を始めた。
北穂高小屋のように近しい小屋が、ほかにできるとは思っていなかったけれど、先月、初めて遊びに行った。手伝うという名目があったけれど、実際に行ってみると、私がいなくたって何とかなる客数だった。
今月、二度目の訪問をした。取材のあと、2日間ほど居残ったのだ。あいにくの天気で、荷揚げのヘリも飛ばず、私がいなくても、なんともないような仕事量だった。
 
小屋番をしている、ヅメさんが、二度目の昼食に作ってくれたのは、そうめんだった。
「今日の昼は、そうめんにするわ」と彼が言ったとき、北穂の稲庭うどんを思い出した。
夏になると、5回ぐらいは、稲庭うどんの釜あげを昼ご飯にする日がある。
長ネギや紫蘇、茗荷などの薬味を千切りにし、頃合いよく茹で上がった稲庭うどんを、スタッフみんなで食べる。
なぜだかその日は、いつも以上にみんな興奮し、寸胴鍋に茹で上がった稲庭うどんをすくいあげるために、椅子から立ったまま、食卓を囲んだりもした。
そんな北穂高小屋での時間を思い出していると、ヅメさんのそうめんができあがった。
 
「麺類は、茹で具合に気を配り、緊張するよね」と、彼が言う。
長年、小屋番をつとめ、まかないも客飯も作りなれている、料理上手の彼が言うのだから、心にしみる。
食べる相手がいてこその料理、という話をヅメさんとしたばかりだけれど、茹で上がりについて、そこまで気を配るのもまた、相手への思いやりだ。

はたして出来上がったのは、錦糸卵、かにかま、キュウリ、油揚げ、ネギ、茗荷が千切りされて山盛りのっかった、ぶっかけそうめんだった。豪華、豪華。
バイトに来ている、食べ盛りのシオが、「すげえ」と言って、バクバク食べ始めた。
北穂の稲庭うどんに、七丈のそうめん。
夏のメニューとはいえ、半袖ではうすら寒く、長袖がちょうどよい山の上。だというのに、なんでこんなにテンションが上がるんだ?
ちょっと考えて、思い至った。涼し気な山の上にいても、やっぱりそこは夏。夏を感じたいから、小屋番たちも、夏の昼ごはんを食べるんだな。夏の山小屋、風物詩。
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2017年7月24日 (月)

ふと住みたくなるとき

山麓で暮らしたいという気持ちは、消えることなく。
仕事上の利便性や毎日山を眺めることができる、思い立ったらすぐに山に行けるなど具体的なことだけでなく、ふとしときに、その気持ちがむくむくと湧き上がってくる。

週末の常念岳での仕事に備え、金曜日の夜に山麓入り。
朝4時半駅前集合に合わせて、宿を出たとき、東の空に浮かんでいた暁月。こんな細いお月様がくっきり見えるんだと見入っていると、月の向こうに東山。
こんなときに、何の理由もなく、しいて言えば、その場の空気感を感じて、ああやっぱり北アルプスの近くに住みたいなと思う。

下山後、栂池までやってきた。仕事仲間の方々と、お酒を飲みにでかけて、夜遅くに店を出るとき、涼しく爽やかな夜風に、また住みたいなと思った。
ご一緒した方とそんな話をしていると、「僕の家のすぐ近くにこんな物件が出ていますよ」と。

どこに住みたいかって、具体的な条件だけでなく、とっても感覚的なモノなんだと思う。

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2017年7月18日 (火)

遠望の街、機窓の街

オハイオより東には行ったことがなく、新鮮だった。
ニューヨーク州のアッパーでハイキングをするために、JFK空港でトランジット。
世界の名だたる空港、名だたる街にある空港に降り立つのは、やっぱりちょっと興奮する。
 
ターミナル1に着いて、バーリントン行きの国内線に乗るためターミナル5へ移動するのに使った列車は、その名も「ジャマイカ・トレイン」。最終ターミナルまで行ったあとは、ニューヨークの街に向かうラインだという。
ターミナル5の駅に着いて、搭乗口に向かうブリッジを歩いているとき、遠く摩天楼がみえた。
一緒に歩いていたのは、30代後半をNYで仕事した山の先輩だった。彼女から、どれがエンパイア-・ステート・ビルか教えてもらった。
 
アメリカ滞在最後の日、お月さまがまるで半分の輪切りにしたオレンジみたいに見えて、星が降るような夜中に、バーモントに暮らすメリーアンの家を出て、バーリントンの空港まで送ってもらった。
バーリントンからJFK空港に着陸する少し前に、右手の窓からニューヨークの街がみえた。
ここにいっこさんが暮らしているんだなあと思いながら、見おろし、セントラル・パークがあんまりにおっきいことにびっくりした。
 
彼女がイスラマバードに赴任していた時期に、登山の帰りに会ったのが最後。20代後半に机を並べて一緒に仕事をした友人。まさに戦友というような存在だったが、あの頃から、彼女の人生に対するビジョンは明確だった。
旅先で、もうひとりの戦友であるキムちゃんから、「東京に戻った」という便りが届いたばかりだった。
キムちゃんもいっこさんも、同じく東京に暮らした時もあったけれど、会えるようでなかなか会えない。それはじつは、遠くに暮らしていても同じで、キムちゃんとは、昨年彼女の故郷の京都に帰国中にやっと会えたぐらいだ。

世界中どこにいても、会えるときはあえて、会えないときはあえない。
けれど、友人が住む街を素通りするのは、ちょっと、いやかなりさみしい。

遠望して、機窓から見て、ニューヨークっていう大都市を想像して、そこに暮らす友人とチャットして、声を聞いて。その先は、またいつか。

2017年7月 1日 (土)

なごやかな夜の電車

昨晩、友人たちと食事をし、終電の2本手前の電車で帰ってきた。
乗り換え駅から乗り込むと、数駅先に住んでいる知り合いと出くわした。
最近、この広い都会で、電車や駅で友人・知人と偶然会うことが続いているので、さして驚かなかった。
私は途中から乗り、1駅だけだったけれど、我々の会話は、最近のちょっとしたことを終えてすぐに、足元に転がるようにいる女性に移った。

酔っ払いである。
若い女の子がスカートをはいて、電車の床に座り込み、ゴロンゴロンと右に左に前に後ろに揺れながら寝ているのは、それは好ましいコトではない。
すぐ脇の座席に座る男性は、ちょっと迷惑そうな顔もしていた。
助けてあげた方がよいかなとも思ったが、命に別状があるわけではないし、またそう大きな迷惑をかけているわけでもない。ちょっとぐらいこの子も、今日は痛い目にあうのかもしれない、社会勉強かな、とそんな風に私は思っていた。

そうしたところ、私達と同じように近くで立ってつり革につかまっていた男性が、脇に転げ落ちていたバッグを、女性に抱えさせるように持たせてあげたのだ。なるほど、これは親切というものだ、と私は思っていると、その男性が私ににっこり微笑んだ。

もうしばらくガタゴトと電車が揺れ、彼女も相変わらずゴロンゴロンとしていると、先の男性が、座席の男性に向かって、「お知り合いですか?」「スミマセンが、席を空けてあげてくれませんか」「ここに座らせちゃえばよいかと思って」と。
座席の男性は、「知り合いじゃないんです」と迷惑そうに言ってから、続いた言葉に一瞬戸惑っていた。迷惑を受けている自分は、車内で同情される立場だと思われていると思っていたかもしれないし、仕事で疲れてやっと座った座席を、おいそれと譲るのは辛い。これは、都内通勤者だったら、誰でもわかることだろう。
 
戸惑っている間に、、隣の座席の男性が立って、席を譲った。つられて、言われた男性も立ち上がり、二人分の席が空いた。つり革の男性が彼女を抱きかかえ、席に座らせようとした。
 
その時、定期券が落ちたので、その行先をちらりと確認しながら、私は定期券についていたゴムを、彼女の腕に取れないように巻き付けた。ついでに、周囲の人たちにわかるように、彼女の行先の駅をつぶやいてみた。あと30分ぐらいかかるだろうけれど、終点だ。
 
それにつり革の男性がうなずいた。次の瞬間ふうっと、彼女が立ち上がって目を開けた。私は思わず、「立ち上がった~」と言ってしまった。その隙をついて、つり革の男性が「どこまで行くの?」と尋ねた。か細く澄んだ声で、駅の名前を言った。およそ、酔っ払いとは似つかない声色だと、私は彼女の可愛らしい顔を見入った。
 
それまで見物客だったのか、あるいは見ていたかどうかもわからなかった乗客たちが、「じゃあ大丈夫だ、終点だね」「車掌さんが、おろしてくれるだろう」「あとは、自分で帰れ」など次々に言って、どっと笑いが起きた。
当の本人は、座席ですやすや寝ている。
 
私は駅に着いたので、知人に挨拶をして、電車を降りた。
けっして褒められた酔っ払いではないけれど、ギスギスしがちな都会の電車のなかが、今晩はなんだか、なごやかだった。

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